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報告者  土 井

 2011年6月30日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました。
 参加者(勤務校)は,土井(江南市教委)、早川先生(藤里小)、吉田先生(古知野中)、奥村先生(岩南小)、高橋先生(岩倉市教委)、尾関先生、岩井先生(岩北小)、天野先生、森先生(大南小)、阿部先生(江西中)、馬場先生(宮田中)、松田先生(曽野小)、小沢先生(扶東小)、柴田先生(草井小)、伊藤先生(岩南中)、坪内先生(岩倉中)、池邑さんの17名です。
 

 土井が提案したものを紹介します。 
1  山県市立高富小学校参観 
岐阜大学教育学部附属小学校研究発表会 参加報告
  岐阜大学教育学部附属中学校研究発表会 参加報告
  ポメラdm20の紹介
 役立ちWeb特集  
教育関連情報   
MM紹介

 山県市立高富小学校参観
 6月18日に、岐阜県山県市立高富小学校を参観してきました。昨年に続いて、2回目の参観です。今回は、日本生活科・総合的学習教育学会第20回全国大会 としての公開授業として行われているものです。
 大会主題は、生活科20年・総合10年の検証と展望
  副題:〜<クロスカルチャーの地>岐阜から始まる新たな挑戦〜
 1時間目は、7学級が自由公開授業を行っていました。他のクラスは自習です。
 まず驚いたのは3年生のこのクラス。
 自習のはずなのに、係の子が金子みすゞ「こだまでしょうか」を使った授業?をしています。全員が参加し、盛り上がっていました。
 
 公開をしている3年生は、地域の人からの聞き取り学習をしていました。
 
4年生は、石田川についての学習です。発言する態度、聞く態度が出来ています。全員が集中しているのがわかります。調査の内容、方法も高いレベルでした。
 







2年生の生活科です。アイデアを紹介し合っています。伝え合っていますね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 廊下に掲示してあった絵です。
 左が4年生、右が何と1年生の作品。驚きです。
 
 今回のお目当ては、川田英樹先生の授業を見るためです。
長良東小以来、もう10年近く、毎年のように授業を見続けています。
 昨年に続き、今年も6年生。
初めての出会いから2ヶ月半でどんな学級を作るのか楽しみにしてきました。
 



昨年同様、休み時間中から全員でゲームをしています。          
 今日は「じょりじょりゲーム」。
 全員で一体感を高めるのには、とてもよいゲームです。
 私は知らなかったのですが、動画で出ていました。
 http://www.youtube.com/watch?v=N9umP9oqYlQ 
 実際にはこの動画とは違ったルールでしたが・・・。
 
 いよいよ授業が始まりました。
総合的な学習「障がいとは U」11時間完了の5時間目です。
 課題は、「校舎内でアイマスク体験や車いす体験をして、気づいたことや思ったことを交流しよう」です。
 全員の手が挙がる中、意図的に指名をしていきます。
 「○○だよね。」の「ね」に、「うん」と全員が反応しています。全員に話を聞かせるための方法の一つです。
 初めに、「車いすの段差が大変」という意見が出ました。
 続いて、実際に車いすを使って、段差の高さを測り、「この段差でも大変」という意見を引き出します。
 写真のようにすぐに協力者が前に出てきます。


 3人目の児童は、アイマスクと比べて、「アイマスクは9センチでもまたげるが、車いすは超えられない。」
 障害によって大変なことが違うと考えを広げていきます。
 さらに、4人目から7人目の子にかけて、「車いすは体力が疲れ、アイマスクは頭が疲れる」というように、意見を繋ぎながらが深めていきます。
 両者の共通点は、健常者には何でもないことが、障がい者には大変なことがあるという意見になったところで、先生が「スロープは必要か?」と揺さぶりをかけました。
 いくつかのやりとりの後、階段に比べれば楽だが、「ちょっとした人の助けで随分違う」という、体験から出た意見が出ました。
 次に指名された子は、アイマスクで歩いて時間を計ったら、1人の時は12分だったけど、援助者につかまって歩いたら3分で行けて、安心だったという意見。
 このあたりの発言の組み立ては絶妙です。
 17人目の子は、ここまでの話し合いを、板書を使いながら、見事にまとめていきます。
 ここで、以前にゲストティーチャーでお世話になった岩田さんの話をビデオで見ました。
 
 体験で「こわい、あぶない、つかれた」と感じたと思うが、私も同じ。実際に、そうだ。でも、障がい者だからといって家の中だけにいてはだめ。外に出ないといけない。そんなときは、点字ブロックが助かる。でも、時々切れている所があり、迷う。その時は、助けを受けながら歩行している。
 
 このような、生の、しかも、力強く生きる前向きな話を聞くことが出来ました。この後、学校だけの体験でなく、街に出て体験をしないと、点字ブロックが切れていることなどはわからない、という考えにまとまり、次時の課題が作られます。
 最後の振り返りでは、短時間に自分の考えを書く鉛筆の音が印象的でした。
 そして21人目の子が今日の振り返りと、時事への課題をまとめて終了です。
 
 全体を通して感じたことです。
○ 温かい雰囲気の学級づくりができあがっている。
 発言のたびに「わかった」「なるほど」「そうか」というつぶやきが聞こえました。どの意見も尊重しようという姿勢が目に見えました。
○ 実によく聞いている。
 同じ意見の繰り返しは一度もありません。前の人の意見を認めながら、新しい視点を付け足しています。
 珍しく、グループ交流はありませんでしたが、意見がはい回ることなく、全体での学び合いになっています。
 もちろん、全員が発言者を見て聞いています。
○ 発言力が高い。
 21名の指名発言者と、7〜8名の相互指名発言者は、誰もがしっかりと発言しています。
しかも、全員が違う児童です。だれでも、40秒から60秒ぐらいで、自分の考えを伝える力が付いています。
○ 書く力も高い。
 時間はありませんでしたが、最後の振り返り作文の書く速さは見事でした。
 今日、一度も発言機会のなかった子も、集中して書いていました。
○ 情報をつなぐ力が高い 
 発言者の多くが、複数の資料を自分で選び、それまでの意見とつなぎなら説明しています。資料の読解力もさることながら、論理の構成力も身に付いています。
 資料は、廊下に貼ってありました。
 聞く人を見ながら、時々指名して意見を求めながら説明しています。 
 これらは、2ヶ月半だけで身に付いたものとは言えませんが、この5年間に学んできた力を、川田先生が整理し、強化しているだろうことがうかがわれます。
 さすがに、全日本クラスの授業でした。
 
 

 岐阜大学教育学部附属小学校研究発表会 参加報告
 6月25日(土)実施、テーマは「学びを実感する児童の育成」です。
 別紙で一部を紹介しました。 

 岐阜大学教育学部附属中学校研究発表会 参加報告
 6月26日(日)実施、テーマは小学校と同様「学びを実感する児童の育成」です。
 別紙で一部を紹介しました。

 
お役立ち資料
 ブログで、6月16日から30日までに紹介した資料です。
(1)「学校における危機管理の手引」/三重県教育委員会
 コンパクトにまとめてあります。

(2)「学校管理下における危機管理マニュアル」/三重県教育委員会
 最新の資料で、これまでにない事例も豊富です。

(3)学校における防災の手引/三重県教育委員会
 地震を中心に、学校が避難所になったときや再開するときなど、新しい指針に基づいたものになっています。

(4)何から始めるの?特別支援教育 〜通常学級で行う教科指導〜/三重県教育委員会
 特別支援教育は一人一人の子どものニーズに応える教育であるという視点から、通常学級における子どもにも特別支援教育対象の子どもにも共通して必要なユニバーサルな指導とはどういうものかを念頭において書かれています。

(5)育てよう!ソーシャルスキルを学校で/三重県教育委員会
 ソーシャルスキルトレーニングの基本から、実践、学級づくりへの応用まで書かれています。

(6)学校における「経営品質」に関する研究 〜今、求められている学校〜/三重県教育委員会
 タイトルは、「すばらしい学校」をめざして−対話によるアセスメント活動を通して−。企業経営の感覚を、学校経営に応用した、とても興味深い研究報告です。

(7)特別支援教育Q&A/三重県教育委員会

(8)子どもたちがネットトラブルにあわないために/栃木県総合教育センター
 見やすい紙面構成、すぐに使えるワークシートなど、学級担任のために配慮されています。

(9)特別支援教育Q&A II 〜支援のためのヒント集〜/三重県教育委員会

(10)学校組織マネジメントによる元気な学校づくり/栃木県総合教育センター
 学校組織マネジメントの事例集はあまりなく、貴重な資料です。 

(11)学校評価に関する参考資料(小・中学校編)/栃木県総合教育センター
 評価の事例が具体的で参考になります。

(12)学ぶ意欲をはぐくむ-「学習に関するアンケート」を活用して-/栃木県総合教育センター
「学ぶ意欲」というつかみづらいテーマに真正面から取り組んでいます。

(13)確かな学力を育むために/栃木県総合教育センター
 教科毎に具体的に学力育成を目指した力作です。

(14)子どもと共につくるよりよい授業を目指して/栃木県総合教育センター
  授業評価の導入と活用に関する参考資料(小・中学校編)

(15)組織力の向上を図る校内研修の充実/栃木県総合教育センター


 役立ちWeb特集 名古屋特集−
(1)OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)デジタル読解力調査の結果について
 
(2)「平成22年度人権教育及び人権啓発施策」について
  「平成23年版人権教育・啓発白書」 http://www.moj.go.jp/content/000076106.pdf 
 
(3)スポーツ基本法 http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/kihonhou/index.htm  
 第177回国会(常会)においてスポーツ基本法が成立し、平成23年6月24日に、平成23年法律第78号として公布されました。
 スポーツ基本法は、昭和36年に制定されたスポーツ振興法(昭和36年法律第141号)を50年ぶりに全部改正し、スポーツに関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務並びにスポーツ団体の努力等を明らかにするとともに、スポーツに関する施策の基本となる事項を定めるものです。
 
(4)スパコンの世界ランキングTOP500における「京」コンピュータの1位獲得について
 
(5)学校歯科保健参考資料「生きる力」をはぐくむ学校での歯・口の健康づくり

 教育関連情報
(1)文部科学省公式Facebookページの開設について       大臣官房総務課広報室
 文部科学省は、情報発信手段の多様化および迅速化を目的として、ソーシャルネットワーキングサービス「Facebook」に公式ページを開設しました。
閲覧URL http://www.facebook.com/mextjapan 
 
 週1〜2回程度、文部科学省ホームページの新着情報やYoutube文部科学省動画チャンネル新着動画、公式Twitter(@mextjapan)によるツイート内容、英文による文部科学省最新施策等の紹介などを順次配信します。
 ページの「いいね!」をクリックしていただくと、新情報が載るたびに自動的に表示されます。また、表示された情報にコメントを書き込んだり、「シェア」をクリックすることでfacebook上の友達と情報を共有することが可能ですので、是非御利用ください。
 
(2)県教委が新教育プラン  道徳、キャリア、防災に重点(愛知)
 県教育委員会は今年度から5年間で実施する「あいちの教育に関するアクションプラン2」(県教育振興基本計画)を策定した。2007年策定の旧プランを見直し、「幅広い県民参加による道徳性・社会性の向上」「発達段階に応じたキャリア教育の充実」などを重点課題に掲げたほか、東日本大震災後の防災意識の高まりや経済情勢の変化などにも対応した内容を盛り込んだ。
 MM紹介
(1) 国際派日本人養成講座 ■ H23.06.26 ■
    国柄探訪: 江戸の子育てに学ぶ
            幕末に来日した欧米人は、江戸の子育てに眼を見張った。
■1.「子どもの天国」と「最も教育の進んだ国民」
「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」
 明治10(1877)年に来日して、大森貝塚を発見したアメリカの動物学者エドワード・モースの言葉である。その一例としてモースは祭りの光景を次のように記している。
 祭りには、大人はいつも子どもと一緒に遊ぶ。提灯や紙人形で飾った山車(だし)を、子どもたちが太鼓を叩きながら引っ張って歩くと、大人もその列につき従う。それを真似て、小さな子も小さな車を引いてまわる。日本は確かに子どもの天国である。[1,p9]
 遊びだけではない。子供の教育についても、欧米人は目を見張った。ロシアの海軍少佐ゴロブニンは千島列島測量中に捕らえられ、文化8(1811)年から10(1813)年まで、松前藩で捕虜生活を送ったが、その手記の中でこう記している。
__________
 日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持ってゐる。ごく幼い頃から読み書き、法制、国史、地理などを教へ、大きくなると武術を教へる。しかし一等大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めて巧に教え込むこと・・・[1,p13]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 として、「日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である」とまで述べている。
 子供たちを楽しく遊ばせながらも、きちんとした学力や礼儀、忍耐などを教え込む。教育問題に悩む現代日本人から見れば、魔法のような子育てを、我々の御先祖様たちは実現していたのである。
■2.「おぢいさ、寝なんか」
 当時の日本人がどのように子育てをしていたのか、貴重な記録がある。桑名藩の下級武士・渡邊勝之助が天保10(1839)年に藩の飛び地である越後・柏崎に赴任した際、満2歳2ヶ月の長男・鐐之助(りょうのすけ)を祖父母の渡邊平太夫・夫婦に預けていった。その平太夫が孫の成育状況を9年間、柏崎の勝之助のもとに書き送り続けたのが『桑名日記』である。
 鐐之助は、いつも祖母か祖父と添い寝をしていた。現代のように無理に一人で寝かせようとはしていない。天保12年9月7日の日記には、およそ満3歳9ヶ月の鐐之助が「おぢいさ、寝なんか」と誘って、「おじいさ、むかし語ろうか」と言って自分から作り話をした後、「サアこんどは、おじいさの番だ」と話をせがんでいる様子が描かれている。
 同年12月19日には、「抱いてねると、おじいさ百人一首よみなへといふ。天智天皇秋の田のと読んでやると、その通り鐐も読む」とある。[1,p178]
 こうして祖父や祖母に抱かれて寝るのが、鐐之助にとって、満ち足りた幸せな時間だったのだろう。こうして肉親の愛情を直接肌身で感じることが、子供の成長にとって大事な基盤だったのだろう。
■3.「おれもはしで食べやう」
 生活習慣のしつけについては、どうだろうか。箸の使い方については、天保10年9月5日にこう記されている。
__________
 この間新地の鐵坊がきて箸で食べる故、おれもはしで食べやうといふてさじを止め箸にて食べ、それから毎日箸でばかり食べる[1,p177]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 洗顔や歯磨きについては、同月7日にこう記している。
__________
 歯を塩にてみがけば、おれにもくんなへという。すこし手の平へのせてやる。いっしょになって井戸端へゆき水をくんでやると、口をそゝぐやら、顔をあらふやらお爺のまねをする[1,p177]
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 満2歳8ヶ月の頃だから、現代に比較すれば、かなり早くから箸を使い出したり、洗顔、歯磨きを始めている。しかし、それも意識的に教え込まれたものではなく、鐵坊という年の近い子供の真似をして箸を使い出したり、祖父の真似をして歯磨き、洗顔を始めている。鐐之助の得意げな顔が、目に浮かぶようである。
 子供は何でも年長者の真似をしたがるが、それは成長の原動力なのであろう。子供にはそれぞれ成長の時期があり、内発的に年長者の真似を始める時期をとらえて、習慣を身につけさせる、というのが、江戸の子育てだった。
■4.「灸をすえる」
 鐐之助が祖父母を困らせることもよくあった。「困った」という記述で最も多いのが、「大口」と「わやく」である。大口は、子供が偉そうな口をきいたり、みだらなことを言うこと。わやくは、無茶を言うことである。天保10年8月22日の日記にはこうある。
__________
 日に増し、べろはまわる。わやくもする。あまりわるさをするときは、越後へやってしまふというと、もう止める、止めるといふゆへ、そんならおとなしくしやれという内、またにこにこしながらわるさをする。[1,p180]
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 越後とは父母のいる所だが、すでに祖父母との生活に慣れた鐐之助にとっては、知らない所に連れて行かれる、という事だったのだろう。
 また、3ヶ月ほど後には、近所のおばさんがお触れを持ってきたのを鐐之助が握って放さず、しわくちゃにするので、祖母が無理にとりあげた所、大だだを起こした。
 本当に悪さをした時の唯一の対処方法は、灸をすえることである。祖父は仕事で外出していたので、祖母と10歳ほど年上の姉・おなかが二人がかりで腹に灸をすえようとしたが、力があってうまくできない。ようやく一つすえたが、それでも、まだお触れをよこせとだだをこねている。
 しかし、灸はさすがに効果があったようで、その後は「灸をすえる」というと、悪さをやめている。
「困った」というのは、可愛い孫が悪さをしないように仕向けたいのに、なかなかできない、という愛情と困惑の入り交じった感情であろう。子供もそんな愛情と困惑を感じ取っていくうちに、だんだんと肉親を困らせないようにしよう、と成長していく。
■5.「おれもおかかのところへ、じじ(字)書いてあげやうねべ」
 平太夫はいつも日記や手紙を書いていたし、また柏崎からの鐐之助の親からの手紙を読んできかせていたので、鐐之助も自然に読み書きに関心を持つようになった。
 満3歳の頃には、平太夫が日記を書くそばで「おれもおかかのところへ、じじ(字)書いてあげやうねべ」と言って、何やら紙に墨をつけている様が記されている。
 満7歳になると、手習いの師匠のところに通うようになった。何人かの手習いの生徒がいるなかで、朝早く行くと今日は一番だったと喜んだり、手習いが終わると子供どうしで、初茸採りに行ったりしている。
 ある日は夕方に数人の男の子たちを連れてきて、寺子屋の真似をして、習字をするから、墨をすってくれとか、紙を出してくれ、などと大騒ぎをし、半紙に一字ずつ書いては近所のおじさんの家まで見せに言ったりしている。
 手習いも、このような子供どうしの楽しみに満ちたものであった。
■6.「我に『育てよ』との天命なり」
 冒頭で欧米からの来訪者が「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」と言い、同時に「日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持ってゐる」という観察を述べていることを紹介した。鐐之助が育てられた過程は、まさにこの観察と一致している。
 こうした独特の子育ては自然に生まれたものではなく、江戸社会の中で、多くの識者が子育ての経験知を蓄積し、かつ広めてきた結果である。
 たとえば、石田梅岩を始祖とする石門心学は、18世紀半ばには全国で教化活動を展開し、日常生活を送る上での心得を熱心に説いた。その中には、子育ての心得も含まれていた。
 石田梅岩の門下に、慈音尼蒹葭(じおんに・けんか)という尼僧がいた。慈音尼は、我が子を心を尽くして育てるのが人の道である、と説いた。
 自分の子だからと思って、愛に溺れて心を尽くさなければ、天命に背き、災いのもとになる、「わが子なりと思い、勝手するは、人欲の私なり」「わが子と雖(いえど)も天の子にして、我に『育てよ』との天命なり。天命を重んずる心からは、子に慈愛をつくさずんばあるべからず」と教えた。
 自分が作った子供なのだから、溺愛しようが放任しようが、自分の勝手である、というのは、誤った私心である。子供は天から「育てよ」と命ぜられた「授かりもの」であり、親としてその天命を果たすのが人としての道である、というのである。
■7.「随分可愛がり、愛するのがよい」
 石門心学の普及で中心的な役割を果たした手島堵庵(てじま・とあん)は教化対象を子供にまで広げた人物である。宝暦9(1759)年に著した『我つえ』では、あまりに厳しく育てることは良くないとして、
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 どうしてかというと、「愛しているから、このように厳しくするのだ」と思う子は少ないものだ。結局、ひがむようになり、恩愛が失われ、親子の間が疎遠になり、不孝者になることが多い。随分可愛がり、愛するのがよい。
 しかし幼少の時から、嘘や偽りを言うこと、この一事だけは決してさせてはいけない。幼いときは何をしてもかわいいから、嘘を言っても知恵があると思い、褒めそやすようなことは大変よくないことだ。小児の時から、嘘だけは、絶対に悪いことだと思うようにさせなさい。[1,p107]
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 江戸時代後期の国学者・橘守部(たちばな・もりべ)は、文政11(1828)年に著した『侍問雑記』で、「子は手塩にかけて親しく養ってこそ親しみも増し、親のほうから近付いて睦まじくしてこそ尊ばれもする」と書き、次のような態度を勧めている。
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 その子の幼い時から、朝晩、側近くに親しく寄せて、おかしくもない子どもの話も、面白そうな様子で聞き、年齢相応のことを話して聞かせ、楽しみも共にし、打ち解けた遊びも共にするようにして、大きくなってからも、ひたすら親しみ睦まじくすることを、親の方から習わせるように。そのようにすれば、悪いことがあった時に叱っても、たまのことだから、快く聞き入れるだろう。[1,p145]
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 まさに鐐之助が育てられた環境そのものである。
■8.身をもって子弟を導く方法
 子どもは人の真似をしながら、学んでいく。「学ぶ」とは「真似ぶ(真似る)」と同源の由である。
 海防論の先駆者と言われる林子平は、子弟を教える方法を説いた『父兄訓』の中で、「子弟を教えるには、父兄たる人、読書・手習い、および文武の諸芸等、怠りなく身みづから執り行うべし」として、こう述べている。
__________
 すべて幼少の者は、万事、人真似をするものだ。その中でも、天然の血筋で、父兄を他に並ぶ者のないほどすぐれた者と思い、何事も父兄のすることを手本にするものだ。だから父兄がそのようにすれば、子弟は自然に、八徳(孝悌忠信勇義廉恥)および文武の諸芸をも、し覚えるものだ。これは、打たず叱らず、身をもって子弟を導く方法だ。これを徳行という。[1,p156]
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鐐之助が、年長のいとこの真似をして箸を使うようになったり、祖父の手紙や日記を書く様を真似て、字を書こうとしたりした様は、まさにこれである。したがって、幼少の頃は、親が子に自らお手本を示さねばならない。
 しかし、子どもが10歳になったら、師につけて学ばせることが、良いとされていた。その理由を江戸時代後期の儒者・小町玉川は『自修編』の中でこう述べている。
__________
 父子の間は恩愛を主とする。自分で教えて厳重に善を行わせようとし、従わないと鞭打つようなことになれば、恩愛を損なうことになる。しかも父子が一緒に生活していて、父の行いがすべて道に従ったものでもない。子どもがそれを見ると、父の非を咎める心が生ずる。だからよい師友に託して教えを受けさせるのだ。[1,p67]
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 幕末、明治初期に欧米人を驚かせた日本の子育ては、鐐之助の例に見るように、家庭内の意識的な努力によるものであり、かつそれは江戸時代の多くの識者が様々な経験知を蓄積して、社会全体に広めてきたものでもあった。
 これに比べれば、現代の教育論に見られる「ゆとり教育」「子供の権利」「個性尊重」などといった主張は、ルソーやマルクス、エンゲルスの影響を受けた底の浅い机上の空論によるものだ[b]。
 教育の再生のためには、まずは教育論における本物と偽物の見極めをしておく必要があるだろう。(文責:伊勢雅臣)
 
(2)日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第2877号☆
■「読み聞かせる教室づくり」(14) 石川晋(北海道)  http://suponjinokokoro.blog112.fc2.com/
 今年の中1生2クラスには、授業開き早々に、読み聞かせをスタートした。面構えを見て、なんだか、とても読みたい気持ちになったのだ。
 教室読み聞かせをしていると、以前にも書いたと思うが、いつも全ての生徒が読み聞かせに集中しているわけではない。そもそも、私の教室読み聞かせは、新卒教師として万策尽きたところからスタートしたものである。だから「読み聞かせに集中していない子がいたらどうするのですか?」と時々たずねられるわけだが、「ぼくの読み方が悪くて申し訳ない、と心の中で詫びることにしています」と「一応」答えることにしている。しかし、まあ、乗れる子も乗れない子もいるでしょ、と内心は思っているわけだ。
 ところが今年の中1の生徒の読み聞かせに対する集中力はなかなかのもので、たいてい一人や二人は、あまり興味を示さない子がいるものなのだが、今年は2クラスとも、そういう子が見当たらない。
 面構えを見て、とても読みたい気もちになった、その勘が的中したと言えようか。
 最初の一冊は、安房直子『天の鹿』(筑摩書房)を選んだ、「創作民話」というようなジャンルの一冊で、安房さんらしい典型的な日本的ファンタジーである。
 それを6月初旬に読み終わった。
 今は鳥野美知子『どんぐり屋』(新日本出版社)を読んでいる。
 これも、「創作民話」である。
 鳥野さんのこの作品は、序盤に出てくる、秋田から来たというおばあちゃんのキャラクターがよい。このおばあちゃんが秋田弁でしゃべり出す場面になると、2学級ではどちらも笑いが起こる。教室読み聞かせで笑いが起こるクラスは、おおむね順調なクラスだと考えている。
 この時期に選ぶ本は、夏休みをまたがない量のものを考えている。あと20時間あるかないかの授業時間できっちり読み終わって、夏休みを迎えるのがいい。夏休み明けは、中1もいよいよ重厚な作品に進んでいくことになる。誤解のないように書くと、小規模で読みやすいものから大規模で難しいものへという上達のステップみたいなものを考えて読んでいるわけではない。「教室読み聞かせ」への慣れといった程度の問題であり、読み聞かせに上達論が存在することは事実だが、それを強く意識した事はあまりない。今年も、好きな本、読んでみたい本を、時間規模に合わせて読んでいる感じである。(以下略)
☆★☆ コメント ☆★☆
 中学校での教室読み聞かせの実践は、実は聞いたことがなかった。新卒時代に、生徒指導対策として初めて続いているからたいしたものだ。
 過去の記事を読み直してみたい。
 
(3)メールマガジン「学びのしかけプロジェクト」 107号 2011年6月26日発行
1 子供の主体化を促すノート指導  
      「ハイブリッド」編集委員 宮城県石巻市・公立小学校教諭 佐々木 潤
 「ノートは思考の作戦基地」とは有田和正先生。「ノート見開き2ページにまとめなさい。」はTOSS。そしてたくさんの先達がノート指導について実践してきました。ノートはなぜ書くのでしょうか。また、なぜ書かせるのでしょうか。
 
ノートの機能は次の4つだと言われています。(東井義雄氏『村を育てる学力』明治図書より)
1.練習帳的機能(漢字練習、計算練習など)
2.備忘録的機能(板書を写す、など)
3.整理保存の機能(調べたことをまとめる、など)
4.探究的機能(自分の考えたことを書く、など)
 これを読んでいる皆さんも、これらの機能を意識しながらノート指導を行っているのではないかと思います。私ももちろんこれまでずっと行ってきました。しかし、どこか中途半端で指導のポイントがはっきりしておらず、一貫性のないものになっていました。
 そこで、見つけたのが「ノートの鉄則『バン・カイ・ギ』!」です。「バン・カイ・ギ」とは『東大合格生のノートはどうして美しいのか?』(太田あや著・文藝春秋社刊2009年)の中に登場する、麻布中学・高校の原口宏先生の言葉です。「バン」=板書、「カイ」=解説、「ギ」=疑問、のことです。東大合格生のノートにはこの3つが含まれている、というのです。
 実に、語呂がいいじゃないですか。「バン・カイ・ギ!」子供にも分かりやすいです。これができれば東大合格も夢じゃない…(本当?)
 
 3年前から取り組んできました。そして、結論から言うと、これによって子供が主体的に学習するようになります。もちろん、簡単にはいきません。これをどのように定着させていったのかを、ここでは述べたいと思います。
1 まずは説明
 私は現在5・6年生の社会科専科をしています。4月の最初の授業開きでこのことを話します。
『「ノートの鉄則」を教えます。それは、「バン・カイ・ギ」です。「バン」は板書です。つまり先生が黒板に書いたことを確実に丁寧に書くことです。「カイ」とは解説のことです。先生が話したことや自分で調べたことを書きます。「ギ」とは疑問のことです。疑問だけでなく思ったことや考えたことも書きます。これで勉強が楽しくわかるようになります。』
2 書き方を評価する。
 授業が終わるたびにノートを集めます。そして、一人ひとりに「A・B・C」の評価と書き方のいいところについてコメントを書きます。(だんだんに、Bの○とかAの△とかAの○とか評価の段階を増やしていきます。)
 最初の授業でも、少数の気の利いた子がだいたい1時間目から「カイ」を書いてきます。そして、これはいいなと思った子のページに付箋を貼っておきます。
3 書き方を紹介する。
 付箋を貼った子のノートを次の授業時間の初めに、実物投影機で映して紹介します。
『これはAさんのノートです。先生が言ったグリニッジ天文台のことも書いていますね。これはBさんのノートです。…』
 2人から4人、多い時には6人ぐらいのノートを紹介します。紹介する基準は「バン・カイ・ギ」を工夫していることです。
 最初は先生の話したことを書いてきます。まず、これが何時間か続きます。するとそのうち、難しい言葉の意味を書いてくるようになります。
『あ、これいいですねえ。』とコメントを書いた上で紹介します。すると、それをその時間にすぐに真似する子が出てきます。それを見つけてすかさずほめます。
『いいですねえ。人の良いところはどんどん真似しましょう。パクリOKです。』
 今度は、友達の意見を聴き逃さずに書いている子が出てきます。これも同じようにほめると、また、真似する子が出てきます。友達の良いところを「C君が今日、一生懸命手をあげていました!」と隅っこに書く子も出てきます。すると、「今日のMVPはDさん!」というように自分でアレンジしたりもします。
 こうやってどんどん書き方のバリェーションが広がっていきます。
4 さらに紹介すると、そのうち「ギ」も増える。
 ですが、「ギ」=疑問は初めからなかなか出てきません。というのも疑問の発見はある程度の訓練が必要ですし、授業の展開にもよるからです。だから、出ない時は資料を見せて問えばいいんです。
『(川より低い土地に建っている家を見せて)これ、どこかおかしくないですか?』「あ、家が川より低い!」という子供たち。『あ、E君、なんか書いていますね。』と言うと(あ、「ギ」だ!「ギ」だ!)というささやきがさざ波のように広がり、あっという間にクラスの半分以上は疑問を書き始めます。「どうして川より低いところに住んでいるのか?」です。
 
 それから、出てきた疑問を紹介してみんなで考えるというのも効果があります。
『F君が大化の改新後の政治の中に「都や九州を守るとあるが、なぜ九州なのか?」と書いていました。なぜでしょうね。みんなで考えましょう。』
ノートには「F君のギ:なぜ九州を守るのか。→自分の考え:中国や朝鮮が近いので攻められてきたときのために守っていると思う。」
と、それぞれが考えを書きます。自分の書いた疑問が取り上げられて、しかもみんながそれを考えてくれる、ということが称賛となり意欲につながっていくのです。
 授業が繰り返されるにつれ、いろんな工夫がでてきます。ツィッターのようなつぶやきを書いたり、オリジナルキャラにしゃべらせたり、自分でこの時間のめあてを立てたり、まとめや感想を書いたり…。
5 意見の交流・考えの整理で
 考えを深める段階でも「カイ・ギ」は有効です。
「Gさん:大仏を建てることで地方の人々が苦しんだから、大仏は人々のためになっていない。→法律を変えた方がよかったかも?」と、友達の意見を書き、それに対する自分の考えを書いたりしています。「なぜ、聖徳太子は遣隋使を送ったのか?→H君の意見:文化を学びたかったのではないか。」と、自分の疑問について隣の席の子と話し合ったことを書いたりしています。
 また、矢印の脇に接続語(しかし、すると、ということは、etc)をつけて構造的に書いたりするようになります。
「ききんが多かった。
    ↓ ということは
 食糧が少なく、人々の生活も苦しかった。」
 これらの書き方は自然に発生してきたら紹介して広め、出てこなかったら教えればいいのです。
 調べる活動や話し合う活動を授業の中心にしていくと、その子供のオリジナリティが一斉授業の時よりも十分に発揮されるようになります。
「ビデオを見てわかったこと:1.平城京でのはなやかなくらしは地方の人々によって支えられていた。2.聖武天皇は伝染病やききんから…」
「奈良の大仏をつくったことは、世の中のためになったか。私は世の中のためになっていないと思う。その理由は…。」「友達の意見 I君:ためになった。拝むことで不安が収まった。J君:ためにならなかった。莫大な材料を使い過ぎ。他のことに使えばよかった。」
 今、教えている6年生は昨年度から「バン・カイ・ギ」を徹底してきました。彼らは1時間の授業で1ページぐらいは平気で書きます。中には3ページ書く子もいます。しかも楽しんでノートを書いています。
6 定着のポイントは
 ポイントは「ほめる」「くりかえす」「かかわる」です。
 初めのうちは「ほめられる」ことだけが意欲につながっています。
 「ほめる」のは、赤ペンによる評価・コメント、授業初めの紹介、授業中、と3回あります。何といってもこれが意欲の向上を促しています。これは従来も行われてきた「教師→子供」のタテの関係です。それを「くりかえす」ことでほめられる機会が増え、学習そのものへの意欲も高まってきます。「自分のアイディアを生かす余地がある」ということが主体的な取り組みを促しているのです。
 そして、この実践の最大のポイントは子供が子供から書き方を学んでいるという点です。授業はじめの紹介で学び、そして授業中の「かかわり」の中で学んでいます。「子供→子供」のヨコの関係です。
 もちろん、なかなか書けない子供もいます。しかし、「バン・カイ・ギ」で確実に進歩します。その進歩を取り上げてほめることでさらに進歩します。少なくとも板書を写し、時々自分の考えを書くようなノート指導よりもはるかに濃い学習ができます。
 初めに紹介した4つのノートの機能にもう一つ付け加えたいです。それは「楽習機能(楽しんで学習する)」です。いかがでしょうか。
☆★☆ コメント ☆★☆
 中島先生は、続く108号で、「教え込み、時々、活動」のキキメというのを書いています。
社会科の歴史学習です。
■1 教えなくてはいけないことを教え込む授業(旧)
 当初、歴史の授業を私の歴史講談といった調子で進めていた。
 単元「武士の世の中」の一場面を再現してみる。
 
『平氏にあらずんば人にあらず。人間、あんまり調子に乗るとロクなことはない。ちょっと、あいつ調子に乗りすぎなんじゃない。というのが必ず出てくる。』
 平氏全盛のエピソードを話した後、教師は問う。
『武士が出てくる前、もともと国を動かしていた人たちだ。だれだっけ?』
「天皇」「貴族」
『そう!だれか我らと一緒に平氏を倒すものはないかえ〜となるわけだ。』
『さあ、そこで立ち上がったのがあの人だ!伊豆に閉じこめられてぐつぐつと復讐のチャンスをねらっていたあの人。だれ?』
「源頼朝!」
 教師からの問いに子どもたちが回答する、このやりとりを重ねながら話を進めていく。
『さて、その壇ノ浦の合戦の様子を語り伝えていった人たちがいる。琵琶法師という人たち』
『知ってる?(絵本を見せて)耳なし芳一』
「あ、体に墨を塗る!?」
『はい。机を下げてここに集まって・・・』
 手を変え品を変え、子どもが歴史の話を聞きたくなるような工夫を重ねる。
『じゃあ、今日のポイントを黒板にまとめよう。ノートを出して』
 最後は、黒板に今日の“お話し”を構造的にまとめて流れを整理する。
 子どもたちは寄席にでも来ているような感覚で授業を楽しみ「歴史って面白い」、「今日は歴史ないのかぁ」などという言葉が聞こえてきていた。
 
■2 活動中心の授業「歴人クイズ」(新)(以下略)
 
 面白い実践です。続きは  http://jugyo.jp/  をご覧ください。
   http://suponjinokokoro.blog112.fc2.com/ でも紹介されています。 

  問い合わせは 土井謙次  syaraku☆tcp-ip.or.jp ←☆を@に換えてください