次回、1月16日は、高橋先生による授業です。
第405回 1月30日(木) 名古屋大学教育学部 柴田好章先生
第406回 2月13日(木) 宮田中学校 発表リハ、柴田先生のLINEについて
第407回 2月27日(木) 鈴木先生による模擬記者会見
第408回 3月13日(木) タイで活動した馬場さんの活動報告
1 模擬授業「いいつあよたまみの通知表−人の評価は決めるのか−」
2回構成の1回め。
「いいつあよたまみ」とは、江戸時代の代表的な政治家、家康・家光・綱吉・新井白石・吉宗・田沼意次・松平定信・水野忠邦のことです。
みなさんは、これらの政治家をどう評価するでしょうか?
この評価が、実は現代の世界の見方にも大きくかかわるとしたら・・・。
人の評価は誰が決めるのか、いっしょに考えましょう!
2 本日の参考文献
『ケンペルと徳川綱吉―ドイツ人医師と将軍との交流』(中公新書)B・ベイリー
『黄門さまと犬公方』(文春新書)山室 恭子
『徳川綱吉』(人物叢書) 塚本 学
『生類をめぐる政治――元禄のフォークロア 』(講談社学術文庫)塚本 学
『将軍側近 柳沢吉保―いかにして悪名は作られたか』(新潮新書)福留 真紀
『勘定奉行 荻原重秀の生涯 ―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 』(集英社新書)村井 淳志
『「忠臣蔵事件」の真相』 (平凡社新書)佐藤 孔亮
『これが本当の「忠臣蔵」 』 (小学館101新書―江戸検新書)山本 博文
『元禄時代と赤穂事件 』 (角川選書)大石 学
『吉良の人物史』(吉良町史編纂委員会)
『吉良の歴史』(吉良町史編纂委員会)
『日本の100人 bS6 徳川綱吉』(DeAGOSTINI)
『逆説の日本史 14 近世爛熟編』 (小学館文庫)井沢 元彦
『江戸の御触書―生類憐みの令から人相書まで』(グラフ社)楠木誠一郎
『徳川将軍家十五代のカルテ』 (新潮新書)篠田 達明
『小学要点 重要人名辞典』(受験研究社)
『浅野内匠頭刃傷の秘密―精神科医の見た赤穂事件』(メディカル・パブリシティ)中島 静雄
DVD NHK「その時 歴史が動いた」−大石内蔵助と大石主税 赤穂浪士討入り −
1646(正保3年 1月)3代将軍・家光の四男として誕生。母はお玉(低い身分か?)
1680(延宝8年 8月)4代将軍家綱死去。弟の綱吉が征夷大将軍になる。
家綱時代の大老酒井忠清(さかい ただきよ)を廃し、堀田正俊(ほった まさとし)を大老とする。
酒井家を改易(かいえき)(以後45家の大名を改易)
1682(天和2年 6月)勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)(今でいう会計検査院)を設置
1683(天和3年 5月)綱吉の継嗣徳松(とくまつ)夭折 5歳。その後も跡継ぎに恵まれず。
1684(貞享(じょうきょう)元年 8月)大老堀田正俊、若年寄稲葉正休(いなば まさやす)に江戸城中で殺害される
服忌令(ぶっきれい) 発布。今も喪中・49日として残る。
1685(貞享2年 7月)生類憐(しょうるいあわれ)みの令(れい)発布。本格的には2年後より。
1687(貞享4年) 鉄砲改めを命じ、農民の鉄砲の管理統制を行った
武家諸法度天和令(ぶけしょはっとてんなれい)「文武弓馬の道、もっぱらたしなむべきこと」 を「文武忠孝を励まし礼儀を正すべき事」と改訂した。
武家諸法度に殉死(じゅんし)の禁止を明記
1688(元禄元年11月)柳沢吉保(やなぎさわよしやす)を側用人(そばようにん)とする。31歳。吉保は綱吉の小姓(こしょう)
1690(元禄3年) 湯島聖堂(ゆしませいどう)が完成する。昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)を付設する。
1691(元禄4年) 東大寺大仏修理。大仏殿は1709年完成。現在も残る。
1695(元禄8年 8月)貨幣改鋳(かいちゅう)を荻原重秀(おぎわら しげひで)らに命じる。奥羽・北陸で大飢饉
1698(元禄11年9月)江戸大火
1700(元禄13年12月)徳川光圀(みつくに)(水戸黄門)病没 73歳
1701(元禄14年) 赤穂藩(あこうはん)第3代藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城の松ノ廊下で乱心
1702(元禄15年12月)赤穂藩の浪人たちが吉良上野介(きらこうずけのすけ)を暗殺。切腹の裁定を下す。
1703(元禄16年11月)2度の江戸大火
大地震がおき、相模・安房(あわ)・上総(かずさ)が津波に襲われる
1704(宝永元年7月) 利根川大洪水
1704(宝永元年12月)甥の綱豊(家宣(いえのぶ))が綱吉の養子となる。後の6代将軍
1707(宝永4年11月)富士山大噴火
1708(宝永5年12月)綱吉発病 病名は麻疹(はしか)
1709(宝永6年1月) 綱吉死去 64歳
1710(宝永7年2月) 吉良家 再興 高家(こうけ)職も復活