第436回 社楽の会報告 第435回へ 第437回へ TOPへ
報告者 土 井
2015年7月9日(木)布袋北学習等供用施設にて社楽の会を開催しました 。
参加者(勤務校)は、土井、小澤先生(愛教大学院)、大薮先生(楽田小)、天野拓先生、岩田先生、川地先生、天野先生(大口中)、旭先生(古西小)、伊藤先生(岩南中)、鈴木先生(扶桑北中)、松田先生(曽野小)、高木先生、田中先生(犬南中)、奥村先生(岩東小)、吉田先生(柏森小)、迫先生(大口西小)、柴田先生(古知野中)、寺谷先生(犬山北小)の18名でした。
1 伊能忠敬で参画の授業をつくる! 2 伊能忠敬の資料 3 第3回教師力アップセミナー 福山憲一 先生 4 岐阜市立加納小学校 平成27年度中間研究発表会 5 年号カード 6 お役立ちサイト 7「なぜ日本だけを標的に?」欧米から疑いの目を向けられる韓国妄執の“自業自得” |
社会に生きる(た)人(人々)が自分を活かしながら社会に貢献していることを理解することで、よりよい社会づくりに参画しようという資質や能力の基礎が育つであろう。 |
エ 社会の変動や欧米諸国の接近,幕府の政治改革,新しい学問・思想の動きなどを通して,幕府の政治が次第に行き詰まりをみせたことを理解させる。 |
西暦 | 年齢 | 事項 |
1745年 |
0歳 |
忠敬上総国山辺郡小関村(現九十九里町)名主の家に末子として誕生 |
1762年 |
17歳 |
(家の関係で、住まいを転々とする) 佐原村伊能家(造り酒屋・賃貸し)のミチの婿養子となる。忠敬と改名。 |
1769年 1781年 |
24歳 36歳 |
名主後見として祭礼騒動を処理。公認の河岸問屋 佐原村本宿組名主となる。 3年後には村方後見 |
1785年 1793年 1794年 |
40歳 48歳 49歳 |
天明の飢饉。貧民を救済し打ち壊しを防ぎ、米で利益も得る。 関西旅行。方位角や、天体観測で求めた緯度を記録。 隠居して、家督を長男景敬に譲る。 |
通称を勘解由と改める。 | ||
1795年 | 50歳 | 江戸へ出て、深川黒江町に住む。 |
幕府天文方・高橋至時(よしとき)(19歳年下)の弟子となる。 | ||
1800年 |
55歳 |
(第一次測量)閏4月から10月にかけ奥州街道、蝦夷地を測量して実測図を作る。個人負担70両以上、器具代70両。(2800万円以上) |
1801年 |
56歳 |
(第二次測量)4月出立、伊豆から陸奥東海岸と奥州街道を測量。12月江戸に戻る。 |
1802年 |
57歳 |
(第三次測量)6月出立、出羽街道、越後街道など測量。10月江戸に戻る。 |
1803年 |
58歳 |
(第四次測量)2月出立、駿河、尾張、北陸海岸、能登半島、糸魚川、佐渡に渡り、三国峠を経て10月江戸に戻る。 |
1804年 1805年 |
59歳 60歳 |
高橋至時死去。 (第五次測量)2月出立、東海道、紀州沿岸、大阪、京都、琵琶湖一周、山陽道を岡山へ12月到着、越年。 |
1808年 |
63歳 |
(第六次測量)1月出立、淡路島、四国の海岸線、伊勢街道を測量、伊勢山田で越年。 |
1809年 | 64歳 | (第七次測量)8月出立、中山道、山陽道、豊前小倉で越年。 |
1811年 | 66歳 | (第八次測量)11月再び九州に向かい、摂津郡山にて越年。 |
1815年 |
70歳 |
(第九次測量)2月江戸府内の第1次測量。4月より下役、内弟子を派遣して伊豆七島測量、(忠敬は老齢のため不参加)。熱海にて越年。 |
1816年 | 71歳 | 引き続き、富士宮、箱根、川越、熊谷を経て4月帰着。 |
(第十次測量)江戸府内の第2次測量。 | ||
「大日本沿海興地全図」の作成にとりかかる。 | ||
1818年 | 73歳 | 4月13日(陽暦5月17日)八丁堀亀島町の屋敷で死去。 |
遺言により浅草源空寺の高橋至時の墓のそばに葬る。 | ||
1821年 | 『大日本沿海輿地全図』完成、三ヶ月後喪を公表。 |
段 階 |
生 徒 の 活 動 |
支援・留意点 |
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つかむ |
○ 2枚の地図(建部賢弘日本図・伊能図)を比べて違いを比べる。 ○ 伊能忠敬についての概略を知る。 ・ 50歳まで懸命に働き、隠居し江戸に 出て勉強を始めた。 ・ 56歳から測量の旅に出た。(自費で、 2800万円以上出している。) |
○ 直感で、伊能図が現実に近いことを引き出せばよい。 ○ 略年表を元に、伊能忠敬が第2の人生で、地図を作製したことを紹介する。 ○ 当時の平均寿命を示す。 |
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伊能忠敬は、自分から3千万円近いお金を出しながら、当時の平均寿命を遙かに越えた56歳から日本の測量を開始した。それは、なぜか?(5択) |
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とりくむ |
○ 手元の資料から、自分の考えを書く。 ・ 次から選び、そう考えた理由を書く。 □ 幕府の命令だった。 □ 高い報酬を約束させられていた。 □ 初の実測地図という名誉を求めた □ 自分の夢を叶えたかった。 □ その他 ○ 地図づくりの目的が、地球の大きさを測りたかったことを知る。 「隠居のなぐさみとはいいながら・・」※より、自分の夢の実現が、世のためになることを自覚していた。 |
○ 意見が分かれるようなら、4人グループで理由を意見交流させる。 ○ 自分の生きがいが、社会の仕組みづくりに貢献したことを押さえるとともに、それだけ、町人にも蘭学の情報が入り、経済力を付けてきたことを実感させたい。 ○ 良い師と巡り会えたことも人生を変えたことにも触れる。 |
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ひろげる |
○ 伊能図の、日本全体に与えた影響を考える。 ○ 当時の新しい学問・思想について、教師の説明を聞く。 ・ 蘭学の影響 ・ 本居宣長 ・ 杉田玄白・前野良沢・中川淳庵ら |
○ 年表から、関連する項目を選び出し、以後、100年間使われたことを共通理解する。 ○ それぞれが、志により新しい時代を切り開いたことを確認する。 |
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まとめる |
○ 今日学んだことを、150文字以内でまとめる。 キーワード【生きがい・貢献・時代】 |
○ 黒板に書かれたキーワードを利用してまとめることを確認する。 |