伊那小研究発表会参加報告     第164回へ  社楽へ
大口町 土 井
平成14年2月3日

6:30に大口を出発し、雪の中央道をひた走り、8:40分頃到着。参加費と資料代3000円。

 自由参観授業は始まっており、まず全体を概観する。活動が多い中、6年剛組にターゲットを絞る。活発に議論をしていたからだ。
 昨年より学校周辺の野鳥観察をおこない、科学コンクールに応募し、文部大臣奨励賞を受賞した学級である。子どもたちの科学的な視点に注目して聴いていた。何しろすごい人で、廊下から教室の前部しか見えない。教師と前で発表する児童の姿しか見えないのが残念。
 声を聴いての印象でしかないが、教師の「どうやって調べよう」という投げかけに対して「行くしかないよ」という複数の声。それにうなずいているような雰囲気。それを聴いてニンマリする教師。
 総合的な学習を学級単位でテーマを決めて行うのは、どうしても個々の興味・関心が埋没する危険性がある。根本は、やはり教師の「これで育てる」という信念があり、いかに児童を自分から望んだように誘導するか、そのあたりのテクニックが優れていないとここまで高まらない。

 どの学級も、1年の学習の歩みが示されており、今日の授業の位置づけがよくわかる。前年度から続きの授業は、前年度の流れも示されている。こうした記録は大切だと思う。ただ、発表のためにつくるのはいかにももったいない。日々の実践の中でつくっていければ・・・・

体育館で開会行事が始まった。
北村俊郎校長
 北海道から沖縄で各地からおいでいただいた。朝、子どもと歩きながら話をする。少年が、「ぼく目が覚めてしまう。ぼくたちがつくった小屋で寝泊まりをした。その小屋のことが気になって・・・」「炭焼きをする」子どもは夜も昼も総合学習のことでいっぱいだ。
 学力も大事だが、足が学校へ向くとがなによりだと思う
 12月のある日、朝学校へ向かっていると、ともがき広場の羊を子どもが取り囲んでいた。「がんばって、元気だして」の声が聞こえてきた。さすって、体を温めていた。羊の目に涙が浮かんだように見えた。
 他の羊を今、がんばって育てている。羊からもらった命の大切さを感じて・・・
 多くの人から支援いただき感謝している。
 今日は子どもたちの顔を見てほしい。

研究発表

研究主任 千賀義博 

 二人の児童の学びの姿より、「内から学ぶ」についての説明があった。
紀要には「本年度の方向」として次のようにかかれている。

 「本校では、子どものありのままの姿を、共感的に、丹念に見取ることで研究をすすめている。それは、その子の具体的な姿から学ぶことこそが、その子を理解することであり、内から育つ子どもを支える教師にできる最大の支援であると考えているからである。このような立場で子どもを見つめるなかで、昨年度、長い期間に渡る具体的な子どもたちの追究の姿を明らかにすることを通して、一人ひとりがその子らしい学びの道すじを歩んでいること、具体的な行為としての表れと同時に、その子に材への認識の広まり」「関係への気づき」「自分への気づき」といった内面の育ちが起こっているとが分かってきた。
 しかし、その一方で
@ 私たちがとらえた内面の育ちは、その子らしい学びの道すじを歩んだが故のその子の育ちでは
  あるものの、その子の育ちの一面にすぎないのではまないか。子どもたちの追究の姿に学び、  一人ひとりの内面に育つことを更に明らかにしていきたい。
A 本校で考えている「私たちの考える学ぶ力」
  ○『意欲にかかわる学力』『知識・技能的学力』『情意的な学力』の3つの学力の総体が「学ぶ   力」である。
  ○ 『意欲にかかわる学力』を「学ぶカ」の中核に位置づけている。
  ○ これら3つの学力は密接にかかわりながら高まっていく。
  というこれまでの研究と、昨年度の研究から明らかになった子どもたちの育ちはどういう関係  にあるのか。
という反省が残されている。
 そこで本年度も、「その子らしい学びの道すじを歩ながら追究する子ども」をサブテーマに生きる力としての「育ち」の更なる究明に向け
 @その子らしい学びの通すじを探る
 A子どもたちの内面の育ちをとらえる
を視点として、子どもたちが、自らの求めや願いに向かい,自らの学びの道筋を歩ながら生き生き
と追究していく姿を願って,今年度の研究を進めていきたい。(引用終)

 いわゆるテーマから演繹的におろした研究で理論はない。子どもの内から学ぶ力を引き出すという基本理念があり、実践から帰納的に理論を導き出している。
 ただ、その理論は、「当たり前」のような気がしないでもない。もう少し理論として整理されると、他の学校でも応用できるのであるが・・・。応用できないから,毎年参観者が多いのかもしれない。

共同参観授業

 5年直組の「劇団直組−園児に喜んでもらえる劇を作り上げよう」を参観した。
 総勢37人が「三人のおばさん」「にんじゃへの道」の2チームに分かれて、相談・練習していた。
 ここでは、「三人のおばさん」に絞って見た。

 話の結末を台本通り「おこらない」、台本を変えて「おこる」のどちらがいいか話し合いから始まった。前半は沈黙が多かったが、「やってみてから考えたらどうか」の意見がでて、二通りで演じてみた。
ほとんど「おこらない」といったが、2名の反対があった。「ビデオで撮って見よう」「納得しない人が一人でもいたらできないよ」の声には驚いた。

−−−研究協議の様子は省略−−− するどい意見が飛び交った・・・・ 

指導 中島先生
1 総合活動と総合的な学習の時間のねらい
子供中心の原理
体験的な学習の原理
課題中心の原理  

伊那小→子供の興味・関心、学級の課題 
目指すところは、自ら課題を見つけ、自ら学ぶ

2 研究紀要の中のS君の姿から学ぶもの
保育園の先生から「部分部分がおもしろい」といわれ、思いがけない。「劇全体を楽しんでみてもらいたかった」劇への思いのかけ方を変えていく。
「声が小さい」→ひとりじっと座って台本を読み込む。

3 本時の授業から
自分の実感を懸命につなごうとした劇のあり方を求めていく育ち

4 宮崎先生の姿から学ぶもの
S君の向かっているところに思わず寄り添う心持ちになっている

5 課題と提案
問いが生み出される  自己評価をともなっている

学習発表

 ここで1年生と6年生の学習発表がある。見事であった。
 1年生では、全員が大きな声で、楽しそうに、いきいきと表現していた。よく1年生の学芸会にあるような部分をつなぎ合わせた感じではなく、流れるように展開し、あっという間に終わってしまうような印象を受けた。また、1人や2人は声の小さい子がいるものだが、例外なく大きな声で、笑顔で表現している。こんな1年生はこれまで見たことがない。
 6年生は、3年間川の学習から学んだことを、これも濃縮して流れるように発表した。こうした学習発表会なら見応えがある。6年生も、全員が大きな声で表現している。セリフが詰まることもなく、かなり練習したのではないか。
 

対談(2:45〜3:45)
「総合学習で大事にしたいこと−その2−」

文部省初等中等教育局視学官 嶋野道弘(s)
東京学芸大学教育学部教授  平野朝久(h)

h 伊那小学校の特徴は3つある。
1 教育哲学  2 真の学舎  3 先生が真摯
はじめに子供ありき、子どもをみとる、子供に肯定的に、何からでも学べるという考えにたつ
長い目・広い目・基本の目

 今日は「総合学習で子供はどう育つか」をテーマにしたい。
ちまたでは、学力論争が続いている。「どんな力が付くというのだ。活動あって学びなし。」こうした悪口ばかり届いてくる。
 そのような人には子供たちの姿を見てほしい。
 ではどう考えたらいいのか。今日の感想からお願いします

s 二つの発表での愛すべきエネルギー
 場や機会が与えられれば生き生きする。これこそ生きる力の具体の姿。学力の総体である。
しかし、対立論争が起きる。どうしてこういう子供が育つのだ。

 普段から自信を持つ、自分の良さを知る。ここに伊那小の教育がある。これは学力低下ではない。

h 学力低下を心配する学者は、たくさん教えればたくさん学ぶ、時間をかければ学力が付くと思っているのではないか。
 八百屋では、実際に売れなければ売ったことにならない。
 同様に、学校では本当の学びでなければ、学びにならない。本当の学びは、自ら疑問に思い取り組んだことだけだ。今日の総合学習では、各教科のかなりの内容が入っている。自らこれだけのものを取得している。その内容は質的に高い。子供の中に力となって身に付いている。
 昨年、総合的な学習と学力という文を書いたが、失敗だった。どうしても知識や技能の量の学力と比較されてしまう。学習の質を問題にしたい。そこで学んだことが、どういう意味があるのか。子どもとして、どう育っているのかを問題にしたい。

s 日常の授業だけ見ていて問題にしてはだめ。晴れの舞台と両方見て、その原因を日常の中から分析することが大事。評価でイメージしなくてはだめ。
総合で育つものを4つ提案する。
1 「ちょっと待って、餌だけでは説明できないようと思うよ」
  思慮深い子供が育つ。
 「棚田でお金を儲けて何か買って楽しもう」では、開墾した人に聞いてみる、手放す人にも聞く
  苦労や後継者もいないことがわかる。
  今も作っている人に聞くと、土地を交換をしながら棚田をつなげようとしていることがわかる。オーナー制度もある。どれをとっても、簡単ではないことがわかる。

 「練馬区内での八戸寮を守ろう。」という授業があった。小学生がいきいきと活動することはいい。でも、隣に住むと、カや花粉のアレルギー、たいへん。いろんな視点からものを考える子 思考力・判断力、その延長上に自己の生き方を考える子が総合学習では育つ。

2 現場を科学する子
 川は、きれい、汚いだけではだめ。具体的なものによって証明することが大切。シャワー遊びでも、高くからとばすと遠くへ飛ぶぞ、こうして得た知識が意図的に使えるようになっていく。

 高学年では、学びどころ・学ばせどころがある。 
 交通渋滞について調べる。「相乗り」5分で150台中120台は一人乗り。実に10台中8人だ。もし4人乗れば7割減らすことができる。
 でも面倒だから乗らないよ!という意見が出る。
 「それでも提案しよう。」という意見にまとまり、現場で訴えた。これが現場を科学するということだ。

3 生活や事実現象の中に埋め込まれている知を自ら取り出して自分の生活に生かすこと。
 教科では知が整理されている。総合では埋め込まれているので、中から取り出す。

4 応分の学びをつくる。
「今日見れば 今日もまたよき 桜かな」
対象は同じでも、こちらに興味関心や見る目が育てば、学びが変わる。

 横浜国大付属では、かかわり合う力を重視している。
 この4つが、情報の集め方、自己の生き方、主体的態度・・・・・をイメージするもの。

h 事例を見る力が問われていると感じた。
 生活、総合を見て、学びがないと言い切る人は、見る力がない。
肯定的な評価観がポイントだ。

s 活動あって学びなし。とは言えない。
 活動があれば、学びがある。しかし、これが言いにくい。何とかしてみたい。今日の掲示物と絡めてみたい。寄り添ってみる、離れてみる。
 子供の中には、こどもの思いや願いがあり、教師がそれを紡ぎ出せるかどうかがポイント。
「石を割ってみたり、たたいてみたり、こすってみたり・・・・」これが学びの道筋。
課題がはっきりしてきて、行けそうだと言うものが見えてくる。
伊那小は、この筋道を大切にしている。

教師の持つ方向性と、子供の方向性をどう共鳴させるか。

h 評価の問題
教師が見る目があるか。

2000年評価の答申
「一人一人の良さや可能性、進歩を評価する。」
「目標に準拠した評価」学校ごとにさだめた評価

教師の立てた目標と子供とのずれが生じる。

s 総合の評価
指導要録
1 観点別評価・・・

学力は、どれほどできた、どんな力が付いたのか
2 主な学習活動
3 所見

客観性と信頼性
客観性・・・自分を切り離して見る。数字。子供の意欲につながらない場合が多い。

評価・・・子供の状況を捉えること。それを次につなげる。
総合は評価の観点、基準も学校で決める。目標を決めるところから入る。
目標は子供の実体に基づいて作られるから、実際は大きくづれないのではないか。

h 各クラスごとに学習内容が違うと、観点も違ってくるが

s 学校として観点は共通のものがあってもいい。
基本的な指導計画を作るが、学級に降ろしたときに、学級に化けさせればよい。
学力は積み上げが大事。
学校として・・・は大事にしたい。

h 実体をよく見ながら観点を生み出すことが大事。
自己評価については?

s 特に総合に関しては自己評価が大切。
埼玉大の付属 自己評価力を育てようといっている。
1 総合は、自ら・・・・自己の生き方・・・・ 自分が欠かせない。
2 自己評価は無自覚なものを自覚化していく営み
3 子供は常に自己評価しているという発想に立つべき
カードにばかり頼らずに、つぶやきや発言に現れている。
4 自己評価カードを使った場合、学びの教材にする。
5 自己評価を補正・補充するのは、相互評価が必要。
自己評価にのめりこみすぎると危険。

h 最後に文部科学大臣からアピールがでたが・・・

s アピールには、総合に触れていない。それは当然のことだから。学び離れ、学習習慣は気になる。
福沢諭吉にかえりたい。
可能性があるならいかに実現するかでがんばっていきたい。