3日目                               
7月25日(月)

普段着を見る

早朝の公演にて 商代遺跡の碑 新旧車両が入り交じる 歩道が陥没! 2階建てバス

 朝6時から、そして朝食後7時40分からの2回、鄭州の街を歩いた。その街の顔の違いがおもしろい。
 6時には、高齢者がほとんどで、太極拳や散歩、その他武術、ダンスなどをしている人が多い。歩道上では、卵や、なぜか小鳥(ウズラより小さく雀よりも大きい)を売っている人もいる。服装はモノクロの世界で、赤いポロシャツを着ている自分が明らかに浮いている。

鄭州の街の朝食の風景

 7時40分に街を歩くと、さすがに通勤時間。高齢者は姿を消し、自動車、自転車の波。歩道では、座って食事をする姿など、いろいろな人々の日常を見ることができる。

 こうした街歩きが旅の醍醐味で、人々の生活を垣間見ることができる。観光地ではなく、普段着を見る方が個人的にはだんぜん楽しい。
 今回添乗員として同行したNさんは、イタリア生活が長い。「おすすめは?」と聞くと、「ローマ」でも「ナポリ」でもなく、「小さな田舎街の風景」と答えた。「さすがに本物だ!」

 自分はイタリアの経験はないが、観光地より、普通の街の人々の何気ない生活の方がおもしろいと思う気持ちはよく分かる。それも、都会より田舎の方がだんぜんおもしろい。

 話を戻す。鄭州の街には、商代の遺跡が残っている。商とは、「殷」のことで、中国最古の王朝である。その城壁が残っている。実際には城壁というよりは「堤防」といった感じだ。
 鄭州は、高層ビルも多く、大都会と言える。昨日の学校から、わずか車で90分でこの違い。昨日の子どもたちの家には、自家用車を持っている家は少ないだろう。だとしたら、この大都会を目にしたことがあるのだろうか?

二人乗り
 鄭州には他の街同様自転車が多いが、「あれ?」あることに気付いた。

 自転車の二人乗りが多いのはよくあるが、自転車をこいでいるのが女性で、後ろに乗っているのが男性なのだ。もちろんすべてではないが、その割合は日本に比べて圧倒的に多い。
 日本では、ほとんど見たことがない。ところが、ここ鄭州では(北京にも多かったが)3割から5割の二人乗りが当てはまる。
 Hさんに聞くと、「中国では女性が強いから」というコメントだったが、この光景に自由の空気を感じた。

清明上河園  http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/west/hn/hn44.htm

 入場料40元。
 北宋時代の画家 張択端の描いた絵にもとづいて当時の様子を再現したテーマパークである。敷地は広大で、まだまだ建設途上。完成すれば、すばらしい観光施設になりそうである。
 遊び心がいい。我が家の近くには明治村がある。あれは本物、ここは再建という違いがあるが、ここのエンターティメント性は参考になる。明治村も、当時の様子を再現した寸劇や当時の大道芸、市場の様子も復元したらどうだろうか。

開封市
 開封市は、戦国時代の魏や後漢、北宋、金など七つの王朝の都があった歴史ある街である。
 郊外には、河南大学、黄河水院、その他の大きな学校が建ち並ぶ。どれも立派な校舎で、その立派さは日本以上かもしれない。都市計画がなされているのか、道路がとても広い。三重県との合弁企業があり、カップラーメンの乾燥ネギはそこで作っているらしい。

 開封の史跡は、日中戦争で多くを日本軍に破壊された。ただ、まだ多くが地中に眠っており、そのため、高層ビルを建てることはできない。
 それにしても中国はたいへん人が多い。これだけの人の雇用を確保することは大変なことだ。機械化しないで人海戦術に頼ることで雇用が確保できるが、それでは貧富の差は埋まらない。機械化すれば生産性が高まり給料は増えるが、大量の失業者が出る。人口の多さは中国の根本的な問題なのだ。
 
 開封市の風景 http://www1.ocn.ne.jp/~gigi9191/newpage1chuugokunofuukei.html


青年海外協力隊員活動現場視察(作業療法士)

 2つ目の視察案件は、青年海外協力隊員の活動状況の視察である。まずは資料から紹介する。

2 青年海外協力隊員活動現場視察(作業療法士)

(1)協力期間:2004年12月1日〜2006年11月30日

(2)配属先 :開封市第一人民病院

(3)職種 :作業療法士

(4)実施目的  配属先は河南省開封市の最大の総合病院であるが、リハビリテーション科のスタッフのうち、専門的な教育を受けている人員は少なく、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の区別がなされないまま業務を行っているのが実情である。このうち、作業療法については、まだ初期段階に留まっていることから、知識・技術の向上のため、協力隊員の要請が行われた。

(5)事業概要  開封市第一人民病院のリハビリテーション科にて、脳血管障害の後遺症である上肢機能回復訓練とその指導、使用用具の作成、評価表の作成、使用方法の指導について協力する。

(6)効果 病院スタッフの作業療法に関する知識・技術が向上するとともに、周辺地域でのリハビリ活動が行われる。

 14時に開封市第一人民病院到着。
 熱烈歓迎とはこのことだろう。入り口両脇には、美しい看護婦さんが勢揃いで迎えてくれた。
 会議室のスクリーンには「熱烈歓迎日本ODA民間考察団 来我院参観考察」と 映し出されている。まずは双方の自己紹介、そして副団長がうまく挨拶をされた。はじめに病院の紹介があったがここでは省略する。

 次に隊員のFさんから説明を受ける。概略を紹介する。

 12月23日から半年が経ち、慣れて楽しく過ごしている。
 日本では、3つの職種があるがご存じか?作業療法、理学療法、言語療法である。しかし、中国では分かれておらず、総合リハビリ療法士がすべてやっている。
 リハビリの学校を出た人は8人、2人が治療士、もう一人が医者の専門学校、残りは看護婦さんだった人で、今研修を受けている。患者さんは脳卒中が多く、骨折も増えている。前任のMさんは理学療法士で大きく発展させたが、私は作業療法で大きな違いを感じた。作業療法では問題を感じている。

 手は足より回復が遅い。動きが複雑で、治っても不自由さが残り、治った気がしない。中国の人は一生懸命なのでやればやれるほど治る。家族も一生懸命で、やりすぎないように止めているほど。作業療法では手工芸をやっているが、お金がかかるので、遊びに思われてしまっている。
 作業療法は、日常生活において障害があっても生活できるように訓練することが目的であるが、なかなか理解されていない。

 リハビリセンターセンターの李殊主任から日本語で説明があった。内容はここでは省略するが、Fさん、前任者のMさんへの感謝と期待が表れていた。
 この後、実際に見学をした。

副団長挨拶 こちらへどうぞ リハビリの指導 再見(さようなら)!

 リハビリの実際を見ることができた。
 作業療法、言語療法は1回17元。理学療法は24元。保険が適用される人もいる。Fさん手作りの機能訓練用具を使ってリハビリをしている女性がいる。
「道具を作って評価された?」という質問に対して、「作ったことは誉められるが、治療としては別」という答えに、Fさんのプロ意識を垣間見ることができる。
 それまで、自主訓練として行われていた作業が、Fさんが来て「治療」になった。これは、この病院にとって、中国にとって大きな一歩である。

 これは、ある意味で、ODAにおける人的援助を象徴している。作業そのものは先進国の様子を真似することはできるが、理論がないので発展性がない。しかし、そこに理論を加えることにより、実践が整理され、システム化され、恒常的になる。さらに、応用が可能になる。人的援助とは、千匹の魚を与えることではなく、一匹の魚の釣り方を教えることなのだ。

 前任者の宮澤 恭子んの活動記事を紹介する。「中国リハビリテーション事業」

 再び部屋に戻った。Q&A主なものを要約で紹介する

Q Fさん以降の技術支援でどの分野が必要か?
A 言語療法士、義肢装具士、心臓リハリビ

Q Fさんの療法士、協力隊員としての目的は?
A 作業療法士としては、作業療法の理論の普及。特に、生活に生かせる実践と応用。
  青年海外協力隊員としては、相互理解。日本人は悪いヤツではないと思ってもらえればよい。

Q 日本人が来て変わったことは
A  日本人派遣は3回目。とても貢献してくれる。他の面でも助かっている。

Q 病院としてほしいものがあれば。
A  機器はそろったが、医学の進歩は早いので、3〜5年ごとに入れ替えなければならない。ガンの放射線治療、生化学検査機器なども必要。

Q 貧困者層に対する援助はあるか。
A  人民政府からも貧困者の治療費免除の指示が出ている。昨年、病院が50万元支払った。
「すぐに入院したい!」M氏談


Q 開封市は日本人に日中戦争で街を破壊されている。いやな思いをしたことは?
A  そのつもりでナーバスになっていたが、働いている間は無関係だった。それ以外で1度あったが、李さんに過去のことだからと励まされてうれしかった。

Q 病院の機器の財源は。
A  基本的に病院で捻出している。世界銀行、イスラエル、円借款で買ったものもある。

Q  円借款は削減の方向にあるが?
A  国家間の助け合いはますます重要になっている。世界銀行の借款も役立っている。これからも必要となるだろう。

Q 技術は他の病院に伝わるか?
A 勉強会があり、そこで講師として伝えている。

Q 勤務体制は?
A 8時〜12時、14時〜17時 月曜〜金曜、土曜日が午前中のみ

Q 病院から日本に伝えたいメッセージは
A 日本は中国と隣国であり、2000年以上の長い交流の歴史がある。開封市も20年前から交流している。これからも将来に目を向けて、両国の友好を続けていきたい。

 青年海外協力隊員に支給される生活費は、派遣地域によって異なる。
 Fさんの報酬は、月325ドル、日本円で4万円程度だが、これでも開封では高給である。プラス、日本で約10万円の積み立てが行われる。
 同僚の作業療法士は、月給400元(6,000円弱)程度。主任クラスの李さんでやっと1000元。やはり相当な開きがある。

 最後に「中国政府は日本の海外青年協力隊に対してとても評価している。また、受ける人にも指導が行われている。Fさんも業績を上げていると、安心して日本の国民に伝えてください」という言葉をいただいた。 

中国は感謝している?
 訪問前にでは、「中国は0DAに対して感謝していない。戦時補償放棄の代わりとして考えている」というテレビ報道があった。
 しかし、この2日間見た限りではその報道は大きな誤りであると感じる。直接支援を受けた学校・病院関係者はもちろんのこと、河南省関係者のアピールは大変積極的だった。私たちに対する歓迎ぶりはすばらしいものだった。昨晩の晩餐会も深く心に残った。

 担当者の王さんは、水道もないような貧しい村で育ち、村から出るために一生懸命勉強をしたと言う。昨日の中学校を恵まれているといい、「田舎ではあんなきれいな服を着られない。ODA視察なら、バスも入ることができない、そのような村も見てほしい。河南省でもまだまだそのような村はたくさんあり、ODAを必要としている」と力説された。

 日本のテレビ報道で見た、「反日感情、中国の経済発展、ODAに対する感謝なし」はいずれも一部の情報の誇張であり、現実はまだまだ貧しい人たちが日本の支援を期待しているということを感じた。
 軍事費を削って、あるいは宇宙開発費を削って民生にまわせと言う声もある。中国国内の富の分配は大切なことであり、今後進めてほしい。ただ、今の体制で、すぐに軍事費を回すと言うことは無理があろう。
 人民元切り上げは、かなり長い目で見れば問題解決の方向へ向かうだろうが、そこには多くの時間と中国人の自助努力が必要である。
 河南省の公務員は、貧しい子を一人面倒を見ているという。これも自助努力だ。

 ODAの主体は省政府であることが多い。こと対中ODAに関しては、中央政府の考えか、省政府の考えなのかを分けて考えるべきであろう。

このホテルはすごかった 河南省主催晩餐会 河南省最高級“杜康酒” ‘コンビKH’