’95年に中学3年生・選択社会科で実践したものを組合教研用にまとめたものです。    社楽へ
写真・資料等は省略しました。また、原稿作成時点では、実践の途中でした。

研究題目  個に応じた平和教育− 選択社会科での試み−
                                                江南市立布袋中学校
                                                       土 井 謙 次
T はじめに
  今年1月に行われた第44次全国教研−長崎大会−社会科教育分科会の最後に、共同研究者の緒方先生(日体大)は次のように言われた。

・ 発表された実践では、戦争教育はなされているが、平和教育になっていない。
 戦争教育とは、戦争の実態や悲惨さを正しく伝えること。
 平和教育とは、戦争を起こさないために何をすべきかを考えさせること。
・ 平和教育は、大人としての責任であり、次代を担っていく子どもたちにしっかり
 伝える必要がある。

  戦争の悲惨さだけを追う実践は多々あるが、平和教育はそれから一歩踏み込み、これからの社会をどうしていくかをいかに考えさせるかが問われている。
  選択社会科「戦後50年を機に戦争を考える」という講座を選択した生徒の活動と変容を追う。

U 望ましい生徒の姿
 本校では、「学ぶ意欲を引き出し、生徒が主体的に学習に取り組むことのできる授業」の研究に取り組んでいる。学習意欲を高め、学習方法を習得させることが、生涯にわたって学び続けようとする人間の育成につながると考えられるからである。
  このような、主体的に学ぶ意志と能力を持った生徒とは、社会科では次の生徒像が考えられる。

@ 知的好奇心に満ち、見近な事象に対して常に問題意識を持つ       意志
A 気づいた問題に対して、意欲的に立ち向かう                 意志
B 新たな問題に対しても、いろいろな方法を駆使して工夫して解決する   能力
                ↓
C 学習したことを生活に生かし、社会にはたらきかける             態度

  身近な事象から生じた疑問を自分の力で解決した満足感と、生活に生かすことができた成就感が、さらに次の学習意欲を育てる。
  そこで、選択社会科でも次のように指導課程を組み立てた。

@ 歴史の復習と個別の面接により各々の問題意識を掘り起こし、個の興味・関心にふさわしいテーマを決定する。
A 調査方法を指導し、身の回りにある新聞やテレビ・雑誌など、戦争に関する情報を集める。
B 事実を正確に把握するために、当時の写真や出版物、戦後公開された機密資料や証言、当時の体験談をもとにして考え、判断する。
C 学習したことをもとに社会にはたらきかける場を設定し、成就感を持たせる。

V 個の把握とテーマの決定
  テーマの決定にあたり、6名の生徒と個別に面接を重ねた。その結果、生徒の興味・関心が徐々につかめ、調査の方法・対象についての支援の方法を次のように考えた。

生徒 生 徒 の 実 態 支 援 の 方 法
A男 理論的に考えることができる。戦争に特別に問題意識があったわけではない。知的能力が高く、パソコン に興味がある。 パソコンを生かして、学習意欲を喚起したい。
B男 「かわいそう・悲惨」という心情だけで戦争をとらえている。 原爆に興味を持っている。 史料を客観的に読む学習を通して、歴史を科学的にとらえる目を養いたい。
C男 戦国の武将が大好きで、「戦争」と聞いて間違えて講座を選択してしまった。武田信玄と上杉謙信に興味を持っており、海音寺潮五郎の『天と地と』も読み終えている。 川中島の合戦を題材に、日本人の伝統的な戦争観を調べ、15年戦争との共通点を探らせたい。アドバイサーを本人の希望により大学の教授に依頼した。
D男 本人によれば、歴史の知識はほとんどないが、戦艦のプラモデルを収集しており、戦艦の知識は豊富。   いくつかの海戦をもとに、日米の国力の比較をさせ、開戦の是非を考えさせたい。
E子 受験的知識は豊富だが、戦争の実態や悲惨さは理解していない。福祉活動で活躍している。 福祉活動の中で戦争経験者の聞き取り調査を行わせ、当時の人の心情をさぐらせたい。
F子  受験的知識は豊富だが、戦争の実態や悲惨さは理解していない。家庭科が得意。 戦争経験者の聞き取りを中心に当時の人の生活の様子を明らかにし、再現させたい。

W 年間計画
  選択社会科は毎週木曜日3限に設定されている。そこで、年間計画を次のようにしたが、生徒は、放課や休業土曜日、夏休み等の時間にも自主的に活動を行った。

時数 主  な  内  容
4〜5月 近代史復習、テーマ決定。新聞記事・テレビ番組を録画したビデオなど資料収集開始
6〜8月 調査活動・第1次まとめ作成
9〜10月 文化祭準備
10月 すいとん調理・試食会
11月12日 文化祭での展示発表(戦後50年展)
11月〜 ディベート準備 
1〜2月 ディベート
2月 メッセージ発信・研究発表会

  活動場所は、教室はもちろん、授業時間中にも江南市立図書館での文献調査、学校の近くの家へ聞き取り調査を行った。授業時間外にもいろいろ活動ている。
  また、友人の協力を得て
戦争資料リストを作成し、生徒に目を通させた。また生徒が必要とする資料は借りて活用した。これら、戦争に関する資料は教室の1ヶ所に集めてあり、生徒はいつでも調べることができる。そのため、内容の濃い調査が可能である。

X 課題追究の実際
(1)A男・B男
  A男とB男は、共に戦争に特別問題意識があったわけではなかったが、ある程度知識があり、また、A男がコンピュータの知識があったため、パソコン通信(以下パソ通)により第三者とディベートを行うことで、学習意欲を喚起させようと考えた。また、1年を通して、原爆について調べることにした。
ア パソ通ディベート
 当初は、ディベートの相手をパソ通で呼びかけて広く募集するつもりであったが、研究仲間の教諭の協力が得られたため相手をお願いした。しかし、生徒は全く相手を知らないままである。ネットは藤ネットを使用した。
 パソ通ディベートのメリットは次の点である。

 ・ 生徒の基礎知識が少ないため、調べながらの活動となり、その場の討論では時間がかかりすぎる。その点、パソ通では、十分時間をかけて調べることができる。
・ 生徒には相手がわからないので、いい意味でのプレッシャーを与えることができる。
・ パソ通は、相手の都合に関係なく、いつでも送ることができ、また、いつでも取り出すことができる。

  実際のテーマは、「満州事変から太平洋戦争にかけての戦争は侵略戦争だったか」でおこない、生徒が肯定派になった。次は、実際に生徒が作成したものである。ワープロの入、・パソ通の発信はA男が行った。

  布袋中選択社会科発 第2信              H7・6・12
純無頼庵さん さっそく立論を示していただきありがとうございました。
それでは、討論に入ります。純無頼庵さんはつぎのようにおっしゃいました。
・ 満州事変は、当時の中国国内の事情も大きく関係する事件で、けっして一方的な侵略ではない。その証拠に、満州を日本の植民地にしたのではなく、満州人の皇帝を中心にした「満州国」を建設している。

今回は、この論にしぼって反対します。
1 満州人の皇帝を中心とした「満州国」の建設は、満州人がつくった国と見せかけるために、日本人が皇帝に満州人を立てたのであって、皇帝の権力は実際にはほとんどなかった。     (A男)
2 満州に財閥を立てたのであって、実際に権力はほとんどなかった。(B男)
3 前回の論拠につけ加えると、関東軍が柳条溝を爆破したのに、中国軍が爆破したという口実を作り、中国軍を攻撃しようとしていた筋書きが事前にできあがっていた。        (B男)
以上により、満州事変は侵略である。反論をよろしくお願いします。

 初めは、教科書の知識程度の議論であったが、相手に反論するためにより詳しい資料に目を通すようになり、回が進むと、次のように内容も深まってきた。

 手ごわい反論ありがとうございました。
 今回は、「満州事変は、理想国家建設を目指した戦いだった」という意見に反論します。
( 中 略 )
 純無頼庵さんは石原・板垣が、中国に近代的な国家ができることを望んでいたと言われましたが、この二人は佐久間大尉に「満蒙ニ於ケル占領地統治ニ関スル研究」を書かせています。この中には次のように書かれています。

 進ンテ占領地富源ノ開拓ヲ図リ以テ我帝国作戦ノ為メ十分ナル各種資源ヲ供給シ且帝国財政ノ緩和ヲ図ルコトヲ期ス 『日本の歴史 30巻』(小学館 P.34)

 これは、侵略であることの証拠ではありませんか。石原らの理想国家とは、あくまで日本に都合の良い理想国家であるのです。
 よって、満州事変は、侵略戦争であり、世界恐慌から抜けだそうとするための戦いなのです。
 反論をお待ちしています。   B男

 パソ通ディベートを始めて大きな変容を見せたのは、パソコンが好きで知的能力が高いA男ではなく、戦争を心情だけでとらえていたB男であった。次第に、B男の反論が質・量とも高まり、資料をもとに理論的に考えることができるようになってきた。

イ 原爆の調査
  並行して2人が行ったのが、原爆の調査である。長崎・広島が被爆に至る経過から、中国・フランスの核実験に至るまで、核兵器にかかわる新聞記事を 写真収集した。また、「江南に原爆が落ちたら」、「名古屋市に原爆が落ちたら」、の被害予想地図を作成した。
  これらの調査を生かすために、年度末にはチャーチル発言の賛否を問うディベートを行う予定である。

【原爆被害予想地図】 略

(2)E子・F子
 布袋地区は、空襲で28名が亡くなっている。(『空襲の記録●名古屋を中心に』による)しかし、その具体的な内訳はわかってはいない。
  E子・F子は、被害地区を聞き取り調査をし、亡くなられた方の名を一人一人確かめることにより、その数字の真偽を探ることにした。さらに、F子は当時の生活の様子を聞き、衣・食を再現しようと試みた。
方法は次の通りである。
・ 空襲の被害にあった五明・今市場地区を一軒づつ尋ねてまわる。
・ 休業土曜日に老人ホームでボランティア活動をしながら話を聞く。
その調査の結果の一部である。

 S・Hさん(69歳)
 昭和20年7月13日及び7月28日の二回に分けて一宮市がB29によって空襲されました。
 特に、2回目の空襲は布袋の五明、小折に死者・負傷者が出ました。五明では数多くのやけどを負った人、亡くなった人も2人ほど出ました。小折は、私の家のすぐ裏の家ではお父さんが出征されていて留守の所、おばあさん、奥さん、子供二人がみなさんといっしょに防空壕へいたのに、自分の家の畑が現在の関西電力の鉄塔の下にあるので、そちらの方が安全だと思い、一家四人と隣の家に手伝いに来ていた娘さんも連れだって、そこで四人が即死状態で奥さんだけが火傷を負い家に帰っていた。みなさんが、行方がわからないので探していたところ、自宅の入り口付近で、黄燐焼夷弾の黄燐を体中に浴びうずくまり苦しんでおられる所を発見されましたが、火傷がひどく翌日なくなったということです。
 ちょうどそんな頃、家のおじいちゃんの友達から聞いたそうですが、一宮から火に追われて東へ東へと逃げてきた人が8キロもある小折まで逃げてこられたそうです。28日午後10時から翌朝午前2時頃までの出来事でした。

  このほかの聞き取り結果
  聞き取りにより、すでに23名の犠牲者の氏名、住居の所在地が判明した。その住居を、他の焼失家屋と共に地図に書き込んでいった。
F子は、空襲被害の調査をしながら当時の食事の様子を調査していった。 E子は、「これまで戦争の悲惨さは自分でも知っているつもりだった。しかし、それは悲惨なうちには入らないことがわかった。ホームで聞いた熱田空襲の話は、今思い出してもぞっとする。それが、現実にあったかと思うと…いや、現実にあったということを知らないと、平和についても考えることができないと思う。」
と感想に書いている。なお、二人は名古屋市博物館や松坂屋、一宮市スポーツセンターなどで行われた戦争展でも見学し、調査していた。

Y 今後の流れ
(1)戦時中の料理試食(10月)
 F子が夏休み中に調べた戦時中の料理の試食会を行う予定である。F子は、祖母からすいとんやさつまいもの蔓を使った料理をの作り方を聞き、実際に調理している。
 そこで、当時使用できた量のみの調味料を使用して1時間でできる料理を調理し、メ ンバーで試食する。

(2)文化祭での展示(11月)
 文化祭では、全校生徒・父母を対象に、校区の戦争被害を中心とした展示発表を行う。 戦争関係の年表とともに、主な事件を掲載した新聞の実物大コピーをパネルにし、生徒が解説を書き概要を理解してもらうコーナー。実際の空襲被害を地図に表し、当時の証言で解説したコーナー。焼夷弾等の実物展示コーナー。校区の小学校の当時の学校日誌の復刻解説など、生徒の調査を生かした展示により、平和を訴えていく。他の生徒や父兄の感想が楽しみである。

   主 な 展 示 物
@ 戦中・戦後の新聞のコピーの展示、解説
A もし江南市に原爆が落ち
たら−被害予想地図
B 墨塗り教科書、解説
C 江南市空襲被害地図
D 聞き取り調査結果
E 焼夷弾

F 布袋北小学校学校
 昭和20年学校日誌 写

(3)ディベート
   2月には、A男・B男の調査の成果を生かしてディベートを行う予定である。その準備は、新聞記事・テレビ番組録画などを5月から行っているが、11月からは立場を決めて本格的に資料をそろえる。
 ディベートは次のテーマで行う。

広島と長崎に原爆が落とされた数日後の1945年8月16日、イギリスの元首相チャーチルは次のように演説した。「原子爆弾を使用すべきでなかったという意見があるが、自分はそうは思わない。日本との戦いにおいて百万人のアメリカ人と23万人のイギリス人の生命を犠牲にするよりは、むしろ原子爆弾を使用してよかった。」このチャーチル演説に賛成か!反対か!

  資料の一つとするために、仲間の教諭がパソコン通信で一般の方にも同様の質問を投げかけたところ、何通か回答をいただいた。そのひとつを紹介する。

(前略)チャーチル発言は危険なことも申し述べています。自国の兵士及び連合国の兵士の命を守るためなら何をしてもいいといえる発言をしています。この考え方は目には目を刃には刃をの考え方であり、日本人がアジアの人々にやった行為とたいして変わらないことをしてもいいということになり、それどころか戦争責任国ならば正義という旗の元では原爆投下も無差別殺戮の正義になってしまう理由になる。戦勝国と戦敗国という名の線引きで犯罪者と決め、連合国が犯した責任は無罪になるのは、おかしいと思う。確かにアメリカは日本国民を無差別殺戮し原爆を投下したのだから明らかにアメリカにも戦争責任はあると思う。(後略) NAICY

 実際のディベートでは、A男・C男・E子をチャーチル発言に反対側、B男・D男・ F子を賛成側として行う予定である。このグループは、理性的にとらえる者と心情的にとらえる者を組み合わせて編成した。
 ディベートに必要な資料は、パソ通で集まった意見の他、新聞や雑誌の記事、文献、被爆者の声など集まりつつある。

(4)メッセージ
  ディベートでは、原爆投下に至る過程が様々に論じられる予定である。ここでは、2度とそうしたことにならないように考え、その結果を社会にはたらきかける活動を行う。
 具体的には、この1年間で学んだことをまとめ、戦争をおこさない決意とそのためのアイデアをインターネットを通して訴える予定である。

Z 考  察
  まだ実践の途中であるが、すでにいくつかの成果と問題点が明らかになっている。
【成 果】
@ 聞き取り、パソコン通信などによる情報収集により、調査方法の幅が広がった。
A 生徒の興味・関心に合わせた研究テーマを設定し、これまでに経験のない学習活動を行ったことにより、学習意欲が向上した。
B 直接当時の生活の様子を聞き取ることにより、戦争下におかれた人々の心情を理解することができた。
C ディベートの準備では、過去の戦争の根本原因を追求し、理論的に分析することで、「自分がこれからの平和をつくる」という意識を持たせることができた。
【問題点】
@ 正規の選択社会科の時間が9月末までに11時間しかなく、多くが夏休みを中心とした時間外の活動であったこと。
A 聞き取り調査などで、地域の協力が必要なこと。
B 個の興味の高い分野を深く学習するため、内容が専門的になり、指導者にも専門的な知識が必要になること。したがって、外部のアドバイサーが必要である。

[ おわりに

 選択教科は、個に応じて教育課程を組むことが可能である。そして、活動の範囲は広く、その内容は深くする事も可能である。今後もひとつの方法に固執することなく、いろいろな学習活動の可能性を探りたい。さらに、それらの活動が、今後の平和の担い手を育てることにつながればと願う。