2 松茸狩り
 昭和28年か29年頃に松茸狩りに行ったときの帰りの写真。長良川の北数キロメートルくらいの山の麓から電車の駅までの道ではないかと思う。長良川とは直接関係ないけれど、岐阜は木の国、山の国、昔は松茸もたくさんとれて、松茸狩りなんて日常茶飯事・・・とか、聞くけど私は2度しか行ったことはない。写真の左の方のかごに入っているのはたくさんとれて食べきれなかった松茸。
 さて、松茸狩りそのものの写真でなく、その帰りの写真がなぜ紹介されているかというと、昔は、道を歩くのものんびりしていたなあ、という雰囲気がよく出ている写真だから。車なんてとても珍しかったから、人間が主役で道を歩いていた、ということがよくわかる。まだ、馬車がいて、我が家の前でながーーいお疾呼をしていたし、馬糞を踏むと背が高くなるなんていう、迷信というか冗談がまだ生きていました。そうそう、癇癪玉という花火があって、それを道に置いておくと踏んだ人がパンとはぜてびっくりするといういたずらをよくしたものだが、馬のひずめに入ると、馬が死んでしまうとか言って、大人がやめさせようとしていたものだ。

 ところで岐阜市に来られたことのある人は、市内電車(市電ではなくて、名鉄電車という私鉄の一部)があるのはご存知と思います。少しずつ、路線が廃止されてますが、昭和63年に岐阜市で中部未来博覧会という地方博が開催されるまでは、長良川にかかる長良橋をわたってその少し先まで路線がありました。ところが、この松茸狩りに行った頃は、もっともっと北まで路線があって、あたり一面黄色い田圃の中をかき分け、かき分け、この市内電車で松茸山の麓近くまで行った記憶がかすかにあります。
 この市内電車は、今は、市内を過ぎてから揖斐線、美濃町線へと2系統に分かれていますが、どちらも秋になれば黄色い田圃の中を走る電車です(取材予定 乞うご期待)。

 その美濃町線の関駅で降りて歩いて数分のところから乗れるのが長良川鉄道(もと国鉄越美南線)です(これも取材予定 乞うご期待)。

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