4 長良川の鵜飼

 鵜飼というのは、鵜を飼うのではなく、・・・もっとも鵜も飼いますが、・・・・・・飼っている鵜で漁をすることです。発音は、「うかい」と言います。「うがい」という人もいるかも知れませんが、少なくとも、岐阜市では「うかい」といいます。



こういうような感じで、舟の上で篝火(かがりび)を焚き、その光で水の中が見えるようになった鵜が、鮎(に限りませんが)を捕まえます。これらの鵜はひもでくくられているので、鮎を捉えるとと、そのひもを引っ張られて鵜匠さんのところへ行き、獲物を口から出します。鵜は首の部分を少し絞られてるので、小魚はともかく、ある程度の大きさのある魚はのどを通らないのです。
 鵜匠さんは独特のスタイルをしていますが、これは、水や魚の脂に邪魔されないで作業をするのに最も適したものなのだそうです。ちなみに、岐阜市の鵜飼の鵜匠さんは宮内庁式部職という官職をもっています。
 鵜飼の起源は、中国などアジア大陸のようですが、日本の鵜飼についても、古事記や日本書紀に既に記述がありますから、相当な歴史を持っています。岐阜の鵜飼については、直接、古事記に記述があるわけではありませんが、大宝年間くらいにこの地域の地名で鵜養郡とかいうのがあったということですから、この地域でもそんな頃からあったと推測されます。
 近世では織田信長が鵜飼を保護して、長良川の鵜匠(この言葉自体が鷹匠と同類の言葉で織田信長の影響が見られる。)に川筋に関しての権利を与えたということです(風流な鵜飼を保護したというよりも、長良川の交通交易上及び軍事上のキーマンを押さえたということでしょう。そう考えると鷹匠というのも深い意味がありそうだ。)。徳川家康も鵜飼が好きで、この地域は本来美濃藩ですが、尾張藩(御三家)の直轄になっている部分があったそうです。そして今では、長良川の鵜匠さんは宮内庁式部職なのは上に述べたとおりです。

 さて、私が長良川の直近に住んでいた子供の頃、夏の夜に窓を開け放っていると、遠くから、「ひゅるひゅるひゅ〜、ひゅるひゅるひゅ〜」という声がよく、聞こえてきました。さらに聞いていると「おばば〜、どこいきゃるな〜ああ〜ああ〜」と言うので、当時、たった一人だけいた僕のお祖母ちゃんは、腰を抜かして実家へ帰ってしまいました・・というのは、ちょっと嘘ですが、まあ、こんな歌が夜ごと、流れてきたものです。これは岐阜辺りの民謡で、なぜ、これが夏の夜になると遠くから流れてくるかというと、鵜飼のお客さんのために、左の写真のような踊り船というものが用意されていて、こんな民謡にのって、綺麗なお姉さん方が踊るというサービスがあったからです。これは、今でもありますが、平成9年からは、従来,、踊り手を一般から公募していたのを、踊りの上手な芸者さんだけにして、しかも従来毎晩していたのを土日だけくらいに限るようになったということです。
 確かにねえ、こういう踊りを鑑賞して愛でる人があまりいなくなったということもあるだろうし、そうでなくても、川の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている舟の上で優雅な踊りをしている姿は、何かそこはかとなく、おかしかったりして、(私の心の中でも)賛否両論あったような気がします。この写真は、鵜飼そのものの写真と同じく、平成9年の鵜飼開きに撮った写真ですから、皆、とても踊りの美しいプロのものです。
 なお、この民謡は、日本でも珍しいお化けを謳った民謡、ではなくて、「ヒュルヒュルヒュ〜」というのは、かわづ(岐阜地方の特有の蛙の一種らしい。)の鳴く声のこと、「おばば、どこいきゃるなー」というのは、さらに後に「3升樽さーげて、どこいきゃるなー」とか、何とか続いて・・結局、このおばあさんは孫が生まれたので、その樽で孫を洗いにいくというようなめでたい歌だったような気がします(よく知りません。ご存知の方、違っていたら教えて下さい。)。


 さて、鵜飼の醍醐味は、鵜飼をやっているところを見ることで
はありません!私も平成7年までは気がついていませんでしたが。
 鵜飼見物に来られた方は、鵜飼が始まるまでいっぱい時間があって、待ちくたびれるという方もいますが、その待っている時間がいいのです。自然の中でゆらゆら舟に揺られながらお酒を飲んでいると、銀座のどんなクラブにいるよりも豪勢な気分を味わえます。誰しも、あまり、地元の名所では遊ばないものですが、私は平成7年に隣の犬山(愛知県犬山市)の鵜飼見物をしたことがあります。その時に、何の因果か小さな舟に乗せられて、青い水の上でゆらゆら揺れる中、酒をちびり、ごくりと飲まされている((^^))うちに、よそでは味わえない喜びを感じてしまいましたね。犬山の鵜飼は木曽川ですから、長良川よりも少し水の色が濃いのですが、一幅の山水画の中、酒でちびり、ごくりと心を洗っているような気になりました。この日は天気が悪くて、ゆらゆら酒を飲んでいたら上流の方から雨が走ってくるのが見えました。「それっ」、てんで、船頭さんが御簾(みす)のような、簾(すだれ)のようなものを舟の屋根からおろす間もなく、さあーっと雨が降ってきて、簾を通して見る世界は本当に山水画の世界でしたね。こんなことは銀座のクラブでは100万円出してもできませんよ。行った ことないから知らないけど。

 で、左の写真は、鵜飼の始まるのを待っている風景写真です。これは木曽川でなく長良川ですが、こんな舟の上でゆらゆら揺れてお酒を飲みながら、夜の更けるのを待つのです。舟は先端を岸につけるので、岸においてある移動トイレにいつでも行けますから、結構飲んでも大丈夫です。
 真ん中当たりに煙が見えますが、これは、舟の上で鮎を塩焼きにする料理舟のようなものの出している煙です。木曽川の鵜飼では、こういうようにして焼き上がった鮎を売る舟と他に、お酒を売る舟もあったような気がします。長良川ではどうなのか、最近、乗船していないので私は知りません。
 なお、鵜飼はこの地域にはこの岐阜市のものと犬山市のものの他に、岐阜県関市のものがあります。今、ここに書いた順に素朴な鵜飼になっていきます。関市の鵜飼は私は見たことがありませんが、松尾芭蕉が「おもしろうて やがて悲しき鵜舟かな」と詠んだ時代のものに最も近いのかも知れません(この句は芭蕉が岐阜の鵜飼を見て詠んだものです。)。

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