Neil's Garage
2007.9.11

iPod Touch

新しく開発された技術が、定着して安定したものとなるためには20年から25年位かかるのが普通なのだそうです。Apple II が爆発的に拡がり、パーソナルコンピュータの時代が始まったのが 1977 年なので、 パソコンなるものもそろそろ技術的には成熟、安定期に入ろうとしているのでしょう。

で、ウチの若者は高価なノートパソコンで何をしているかというと、「ネコがハエを捕ろうとしてしてイスから落っこった」みたいな阿呆ヴィデオを見ているのであります。この間に世界の情報流は飛躍的に増加し、それによって変わった部分も多いはずですが、中間の「情報処理技術」が変わる程には「入力」「出力」の質は変わらないようです。

で、次のテーマは何かと言うと「触る」ということのようであります。身体の一部がマイクロソフトだともいわれるビルゲイツ君が「マウスで画面操作なんてゲーム用のオモチャなんである。全ての情報はキーボード操作で扱えるんである。」と豪語していた頃、マウスで画面操作をするのが基本というMacintoshブランドを立ち上げた御連中が、今度はiPod Touchというのを売り出しました。

情報に触る

1985年のファイミコンに付いていた十字キーが、未だに携帯電話などで普通に使われている通り、「入力」「出力」が情報機器全体の中で最も難しい部分の一つでしょう。「十字で世界を操る」というのがイスラム世界にはウケが悪いことも、様々な三日月型のゲームコントローラーが開発されていることから解ります。

マウスと画面は別の場所にある、というのがパーソナルコンピュータの変なところで、これを何とかしよう、という試みは絶えず進められてきましたが、iPod Touchも「情報に触る」というメタファーへの一つの試みということでしょう。マウスとキーボードには慣れたものの、未だに携帯電話のテンキーでメールを書けない、という私などにまた新たな課題であります。

製品から商品へ

面白かったのはプレゼンテーションにパートナー企業として登場したのが、かのスターバックス・コーヒー店のボスであったことです。スタバの店先に座って iPod Touch で YouTube を見るというのがコンテンポラリー、ということでありましょう。

なにせ1912年当時、Pike Placeに開店した一号店の店番をRobbie Ishiiさんがやっていた、というスターバックス・コーヒー店さんであります。 時は過ぎ、エチオピア全国農業共同組合連合会から「フェアトレードを喧伝しながら、我々のコーヒー1kgを$1.00で買い上げて$20.00で売るなど、農民搾取だ。」と因縁を付けられ、1年以上も揉んだ揚句に、「売れもせん田舎コーヒーを世界的商品に仕立てたのはチミ達では無く、僕達ナノヨ。」と寄り切ってしまう世界のスタバに成長したのであります。

まあ、スターバックスコーヒー店がコーヒーを生産者原価で売っているとは誰も思わんでしょうが、電子デバイスも似たか寄ったかの時代になってきた、ということは言えそうです。上海郊外の農家の次三男・三女が組み立てた iPod Touch なり iPhone をいくらで売るかは、 消費者次第なんでしょうね。「タッチ」なんつーのも広告製作会社で良く使いそうな言葉です。

そう考えるとApple Inc の30年はビジネススケールとともに「製品」から「商品」への道を辿った30年とも言えそうです。このところ流行っている Aqua style もこの「製品」から「商品」への流れを象徴していると言えるでしょう。

一生砂糖水

赤や青といった純色と透明感が消費者に訴える力をもっている、というのは清涼飲料水やビールのコマーシャルを見ると良く解ります。「米国人全員糖尿病化」に貢献してきた清涼飲料水も、全米の小学校から自販機を追放されそうになって、「一生砂糖水を売り続ける」わけには行かずシュガーレス化、となかなか大変でアリマス。世界中で餓死者が急増しつつある現在、カロリーゼロのダイエット清涼飲料というのは一種の「ヴァーチャル飲料」であり、糖尿病同様のおビョーキなのです。とにかく我々は透明感のあるゼリービンズのような形を見ると、ついクリックしてしまうのですね。

外の世界

商品としての保証の及ばない「子供の国」では、既にAppleIIの頃のように様々なことが起こりつつある様で、ビジネスの世界よりも面白そうです。

ちなみにページトップは「大統領をクビにしてイラク戦争を終わりにしよう」と歌うニール・ヤング君(62歳)のサイトより。誰かアベクンの歌を作らないかしら。

アベクンのお歌

と記したのが昨日。本日「アベクンのお歌」は必要無くなりました。となりの金ちゃんをいじめていたのがオザワ君にいじめられて、いやになっちゃった、ということのようです。米国の迷走ぶりも同じようなもので、ペトレウス司令官による「来夏までに増派兵力削減」ではダメ、ということでブッシュ君も困っています。非白人初の米国陸軍参謀総長となった新関大将も「ちょいと戦争、というのはダメ。」という意見だったので、こんなところに居合わせなくて今頃ホッとしているのでは。