ダウンタウンの小売業に対する対策の一つの柱は、歴史的保存を軸にしたものである。新興郊外住宅地、ショッビングセンターがどうしても真似の出来ないものに、ダウンタウン周辺の歴史的建築資産がある。これを現代の消費者にとって魅力あるものにするためのさまざまな工夫が成されている。

ワリングフォードから郊外型のショッピングセンターであるノースゲイトを見て、コンピューターショップを冷やかした僕達はパイクマーケットに戻ってきた。



シアトル発祥の地であるパイオニアスクエアと並んでダウンタウン周辺の歴史的建築物保存を軸とした都市整備事業の目玉である。

「フランチャイズ御断り」のパイクマーケットに、何故スターバックスがあるかと言えば、ここが1号店だからだ。近く似合った種屋の倉庫から引っ越して来たのだが、種屋に居た頃に店番をしていたのは、ロバート・イシイさんという日系の有名人なのだそうだ。

元々は近郊農家、漁船の朝市の場として栄えたパイクマーケットは、デパートの立ち並ぶダウンタウンの商店街のはずれ、港に隣接したところにある。元々活気のある場所であったものが、港湾業務地域に隣接しているため、街区の建物が老朽化するに従って、次第に荒廃した地域になっていた。始めてここを訪れた5年前には、一歩裏通りに脚を踏み入れると、かっての「腕に自信があるか、脚に自信があるか」でないとちょっと、という時代の面影の残る所であった。

ここを健全な観光名所とするために、港湾施設の跡地に水族館がたてられたのを始め、さまざまなプロジェクトが投入されたのであるが、重要な働きをしたの は地元商店街と、それに連係した設計事務所であった。



組石造の壁に木造の床、間仕切が保存建築物の典型的な構造。


もともとの地域の建物は、外壁を煉瓦の組石造で、内部の床をヘビーテインバーで組んだ重厚なものが多い、こうした建物のうち、残すべきものは残し、保存に適さないものは、周辺建物に調和したデザインで更新することとした。また怪しげな物騒な場所であった地域の裏通りも、ファサードとして整備し、観光客が入りやすくした。



裏通りの若い音楽家


裏通りではギターケースを前において、弾き語りをする若いお嬢さんもいた。一昔前までは、とても怖くて入れなかったような場所にである。設計事務所と、まちづくりを考える会も、あるビルの二階に納まっていた。こうしたソフトウエアが先行してこそのハードウエア整備だとも感じられる。

ソフトウエアで面白かったのは、全体の動きとは裏腹に、健全化について行けない部分があることだ。多分、かっては裏通りに点在していたものを、地域の健全化のために集め、既得権保全のために造ったものだと思われる巨大なスケベ屋が、表通りを隔てて営業している。5年前には結構客が入っていたのが、今度覗いてみると閑散としていた。こんな店は怪しげな場所でないと営業が成り立たないらしい。

ちなみに現在では流行の盆栽を並べる店が見られるくらいだが、戦前、ここで農産物を扱っていたのはほとんどが日系農場であったとのことだ。 1941年12月8日には襲撃を恐れた日系農民が来なかったため、マーケットは開店休業だったそうである。