大島教授の[暖蘭亭日記][99年4月25日〜 4月29日] [N E X T]

1999年 4月 25日 日曜日 晴れ
 朝食はハム・トーストとレタスのサラダ。どうもレタスというのは栄養があるのかないのか、はっきりしない。
 昨日着いた『科学』をぱらぱら。今月の話題は何と言っても巻頭「科学の目」にとりあげられた分子シャペロンHSP90の増減による形態変異の出現の話だ。要するに遺伝子異常による突然変異は日常的に起きている。それがそのまま表現型として現れるのを防いでいるのがHSP90と呼ばれるタンパク質だ。これが異常の起きやすいタンパク質と結合して相手を安定化させ、起きた異常が形となって現れないようにしている。しかし異常そのものは現れないだけで遺伝子の中に蓄積されている。何らかの環境の変化でHSP90そのものに変異が起きたり、量が減ったりすると、遺伝子内に蓄積されていた異常を抑えきれなくなって形態異常が現れる。
 その典型的な例がカンブリア爆発ではないか、というのが筆者が最終的に示唆していることだが、それ以上に、今現在でもそれは起こりうることだろう。HSP90は熱ショックタンパク質と言って、細胞や個体が高温にさらされると出てくるのだそうだが、普段は細胞内で上記のような遺伝子異常の出現を防いでいる。それが高温その他のストレスによってそちらの原因で変成したタンパク質の再生を促すことに動員され、普段の機能がおろそかになる。そこで形態異常が出てくる。
 現代は放射能、有害物質、「環境ホルモン」、気温上昇などストレスは飛躍的に増えているはずだ。前世紀に比べてもそうだろうが、生物学的な時間、例えば万年単位で見れば天文学的な規模になるのではないか。とすれば、カンブリア爆発のような現象がいま起きようとしていない、あるいはすでに始まっているともかぎるまい。今まで考えられなかったような生物がわっと出てくるのだ。人間だってどう変化するかわからないかもしれないのだ。実際には数百年、数千年単位では目に着く変化は現れないのかもしれないが、もっと変化の早い生物、例えば細菌の世界ではそうした現象が早く、また急速に起きてくるだろう。
 学問的にはこの発見が分子レベルの中立進化とダーウィン理論による目にみえる形態変化を結びつけることになる。これは自然選択理論の妥当性を補強することになる。

◎Emmylou Harris QUATER MOON IN A TEN CENT TOWN; 1978
 この頃のエミルーはあまり聞いていなかったので新鮮。アルバート・リーがバックに入っていたとは知らなかった。リーのギターとマンドリン、グレン・ハーディンという人のピアノがいい。どちらかというと、シンガー、エミルーのアルバムというよりは、ホット・バンドのリード・ヴォーカルというけしき。
 一曲だけリック・ダンコとガース・ハドソンが参加。ガースはアコーディオン、ダンコはこともあろうにフィドル。このバック・ヴォーカルはやはり見事。
 ジャケットはLPサイズで見たいものだ。

◎JOHN WILLIAMS; 1995
 クレアの血を引いたシカゴ生まれの蛇腹奏者のデビュー。アコーディオンも弾くが、コンサティーナがお気に入りらしい。録音の仕方にもよるのか、ちょっとおとなしい。このギターはすばらしい。アルタンのマークとミホール流の合体。クレアのギタリストらしく、マーティン・ヘィズの最初の2枚とエイモン・コッターのアルバムに参加している。そのヘィズとコンサティーナのデュエットがいい。

◎Various Artists THOUSANDS ARE SAILING; 1999
 Micromega では音飛びして聞けないのだが、ディスクマンと Spectral では何の問題もない。
 シャナヒー音源のものばかりだが、まあまあの選曲。ウルフ・トーンズは今二つぐらい。二流のダブリナーズというところ。ヴォイス・スクォドもあまり良くない。

 昼食は伊佐木の一夜干し、豆腐の味噌汁、小松菜の煮浸し。
 昼食後、メールをダウンロードし、CDUniverseに行ってピート・シーガーのCD、ニーヴ・パースンズ、ケヴィン・バークの新譜などまた5枚注文。
 午後、アイルランド大使館のWさんとリスペクトのTさんにファックス。Wさんにはゲール語固有名詞の発音調査の相談。Tさんには先日のサンプル盤のお礼と感想。その後、ブラウンのゲール語固有名詞のリストを作りなおす。
 クラダへの注文を書く。前回来なかったものを含めるとまた20枚近い。ただし出すのは後にする。
 タムボリンからもメールでまた臨時注文表が来たので注文を書く。A.D.A.へも注文を出さねばならないし、デンマークの注文もしなければならない。
 夕食は回鍋肉。ご飯。
 夜、FBEATS ウェブ・マガジン用原稿を作る。普段の日記からふさわしい内容をピックアップして加工、加筆。その後、ニフティ巡回。
1999年 4月 26日 月曜日 曇
 仁、休み。
 午前中、FBEATS WEB MAGAZINE 用原稿を見直して久田さん宛送る。
 10時過ぎ、アイルランド大使館のWさんから電話。昨日のファックスの件。こういう問合わせはポール・マッキャン氏に全部回しているそうだ。電話番号をもらう。先日の『リヴァーダンス』の取材に関して、その後どうなったかと言うのでこれこれしかじかと話すと、それは失礼だとだいぶお怒りのご様子。言いっぱなし、やりっぱなしが多いらしい。あとの尻拭いをさせられるわけだ。
 今朝6時ごろ、トイレで目が醒めたのと朝食をちゃんと食べなかったため、午前中は使い物にならず。日記を転記したりして過ごす。
 MOJO 四月号。広告にオイスター・バンドとダーヴィッシュが共演と出ている。"Buried Treasure" でアーロ・ガスリィの LAST OF THE BROOKLYN COWBOYS がとりあげられていて、およっと思ったら書いているのはコリン・ハーパーだった。
 サン・ディエゴの J-BOY さんから Nicole McKenna のCDが届く。早速聞いてみる。当り!

◎NICOLE McKENNA; (1999)
 完全なプライベード盤で、ジャケットはカラープリンタによる印刷とおぼしきもの。レーベルも番号もなし。クレジットもほとんどなし。曲目は盤面のみ。よくよく見たら「手焼きせんべい」だった。
 が、そうした体裁の不備などどうでもいいことになるくらい、中身はすばらしい。これが初めての録音とは思えない、堂々たる力作。着いていた本人の手紙によれば、ドラムスとベース、それに自分のギターだけ。キーボードも若干入っていると思うが、邪魔にはならず。練り上げられた歌を練りあけだアレンジで歌っている。曲数を絞ってその分一曲毎に全力を投入したのかもしれない。しかし、これだけのものが書けて歌えれば、フル・アルバムも怖くない。生を見たいものだ。特に後半3曲は文句のつけようもない。録音もすばらしい。

 Good Book Guideからペーパー1冊。アラビア砂漠のベドウィンの国を訪ねた紀行。オリジナルは1959年発表で、今とは状況が違うのではないかと期待。入っている写真を見るとどんぴしゃのようだ。楽しみ。
 昼食は釜上げうどんにゆで卵。
 昼食後、クラダ宛に不良ディスクを返送。東急にて音友本の口絵用にヨーロッパの地図をコピー。
 午後は翻訳に精を出す。
 夕食は秋刀魚塩焼き、あぶらげとエノキの味噌汁、キャベツ・和布。秋刀魚をガス台の上で、網で焼いたので落ちた油が燃上がり、もうもうと煙が出る。仕方がないので家中窓を開け、換気扇回しっぱなし。秋刀魚そのものは実に美味しい。
1999年 4月 27日 火曜日 曇
 予報では晴れとのことだが、雲はとれない。時々薄日が射す程度。気温もそれほど高くならず。
 K、朝一番でHを眼科に連れてゆく。まだ出席停止は解けず。次は金曜日。金曜日にはおそらく登校できるようになっているだろうとのこと。
 午前中翻訳。
 Zeami から支払い催促が来てしまう。bounce 見本誌。書いた覚えはないので、ありがたいことである。
 The Living Traditionより前回注文のCD一枚。マディ・プライアの新作。音友本の原稿を書換えなければいけないかもしれないのですぐに聞く。
 注文しておいた『袁枚:十八世紀中国の詩人』アーサー・ウェイリー/加島祥造・古田島洋介=訳、平凡社/東洋文庫650、到着。

◎Maddy Prior RAVENCHILD; Park, 1999
 FLESH & BLOOD の路線。見事なものだが、全面的に書換えるまでの必要はあるまい。ウェブ・サイトでフォロー・アップしよう。

 『科学』今月号の池内了のエッセイに刺激されて中谷宇吉郎のエッセイ集(岩波文庫)を読出す。まさに寺田寅彦の後裔だ。おもしろい。
 夕方、ポール・マッキャンに架電するも誰も出ず。茂木に架電してメール・アドレスを訊く。しばし雑談。柴犬に関することなど。
 その後マッキャン氏にメール。ゲーリック辞書の必要性を痛感し、ReadIreland のサイトへ行って探す。McLELLAN'S GAELIC-ENGLISH/ENGLISH-GAELIC DICTIONARY というのがあり、ファックスで注文。次いでに先日メールで通知がきていた文化事典も注文。
 夜、音友本序文を書きはじめる。
 朝刊にバルカン史の専門家がコソボ紛争について書いている。セルビアの民族観が「被害者史観」であるとの指摘は納得。セルビア側の譲歩が必要というのも当然。しかし、自らを被害者と規定する人びとは相手の立場を思いやるとか、自分たちを多数派と見ることはできなくなる。多数派と見ては被害者になれないからだ。ノーザン・アイルランドのプロテスタントも同じだ。宗教的な面から見ても、現在のセルビアはバルカンのなかでノーザン・アイルランドのプロテスタントと同じ位置にいる。違いはロンドン政府にあたるNATOが当事者として可能なかぎりの対策を講じようとしていることだ。ただ、ロンドン政府と同じく、相手方のアイデンティティの正体への洞察を欠いている。だから、空爆というおそらくはもっともコストと手間がかかり、その割りに効果の少ない手段をとってしまった。
 他の選択肢があったかどうかはもっと後になってみないとわからない。ロシアは当事者のような顔をしているが、メンツだけだろう。実際にセルビアに対して影響力を持っているかどうかははなはだ危うい。冷戦中にあってもユーゴはロシアの笠の下にはいなかったのだから。ロシアの仲介を期待するといっても、NATO側としては半分はやむをえず空爆をやっているという建前から、他の選択肢を残しておかねばならない。また、セルビア側にも一応の逃げ場を与える意味もある。ロシアに対してはお手並み拝見、できるならやってみてくれ、というのが本音ではないか。セルビアとしてはおそらくミロシェヴィッチが殺されるまでは動きはなかろう。おそらくは内部の敵か、あるいはロシアが密かに手を下す可能性もある。多分その手が一番「美しい」解決法だったかもしれない。ロシアに全ての責任をおっかぶせ、にっちもさっちも行かなくなったロシアにミロシェヴィッチをとりのぞかせる。そういう手をとれなかったのはアメリカのメンツのせいかもしれない。NATO自身が奢っている部分もあるのだろう。
 昨日の Daily Yomiuri に黄河が枯れているという記事。途中で全部水を汲みあげてしまうため、海まで届かないというのだからすさまじい。黄河から水を十分汲めない北京あたりではかわりに地下水を汲み上げすぎ、地下の帯水層は枯渇し、深刻な地盤沈下が起きている。ひとつの原因は、中国の人口分布が南北一律なのに対し、水資源分布が8・5対1・5であることだそうだ。それに近代化による生活の変化で使用水量が飛躍的に増えた。水洗トイレの普及、入浴・シャワーの普及、手間のかかる食材の使用(栽培に大量の水が必要)の増加等々。それにしても、だ。
 もう一つは北朝鮮の内部の考察。中国側に逃げてくる人びとの証言から現れる映像は、もはや国の体をなしていない。
1999年 4月 28日 水曜日 曇
 朝食はハム・トースト、レタス、コーヒー。
 朝一番で、メールのダウンロードと送付。ポール・マッキャン氏宛のメールを書いただけで送っていなかった。音友・Kさん宛に序文の草稿を送る。どうもこれだけは他人の意見が聞きたい。ラティーナ・Mさんから原稿依頼2本。里国隆の録音がもう一本出てきたらしい。朗報なり。
 Hさんからジョン・ドイルのギター教則ビデオ返却。ソラスが来たときのビューリーズでのセッション・パーティのときの写真が数枚同封されていた。どうも、こういう時の自分の顔は締まりがない。
 昼食はトロ鰹の刺し身、トマト、レタス。鰹は今ひとつ。
 今日も電話の日。
 午前中は『緑』。
 午後はPTA総会。この総会で正式に選出され、今年は役員である。それにしてもPTAというのは謎の組織だ。何やらフリーメーソン的なところもあり、隣組のようなところもあり、文部省の下部組織的なところもあり、よくわからない。もっとも民生委員とか健全青少年育成会とかにくらべればまだ何となく身近ではある。
 夕食はハヤシライス。
 ここのところ寝不足が続いていたがついに限界。朝起きたときには耳がおかしく、終日眠くて仕方がない。9時過ぎに寝てしまう。
1999年 4月 29日 木曜日 曇。寒。窓に結露。
 いくら寝ても眠れる感じ。8時過ぎぐらいから子供たちが騒ぎはじめたが、起きたのは結局9時過ぎ。朝食はジャム・トースト、プレー・オムレツ、グリーン・アスパラ。

◎Huw & Tony Williams UNPLUGGED & UNRELATED; 1996
 この二人も駄作は作らない。ただし、個々の歌の歌詞まで踏込まないと本当の良さはわからない。フィル・ビアのフィドル良し。
 久しぶりにニフティSF関連巡回。
 丸山さんからローレル・マクドナルドと里国隆のテープ・資料着。早速里国隆の資料に眼を通す。録音者・宮里千里のノート。「里国隆はマレビトだった」という一節に背筋に戦慄が走る。そうだったのだ。ぽんと納得される。
 それにしても、これは聞く順番を考えねばならない。
 昼食はご飯、水餃子、ザーサイ、グリーン・アスパラ。
 午後、音友、パイプのコラムの原稿を書きはじめる。パイプの情報を求めてネット・サーフィンしながら届いたカセットを聞く。

◎Laurel MacDonald CHROMA(サンプル・カセット); 1999
 ながら聞きでは良くわからない。松山さんのライナーは少々誉めすぎのような気もする。もっとも比較に挙げられているシンガーはまったく知らないので、ちゃんとした評価はできない。いずれにしてもルーツはあくまでも土台の土台であって、利用可能なリソースのひとつにすぎない。ボーナス・トラックはビル・ラズウェルによるリミックスの方が圧倒的に良い。
 おやつの後、翻訳の仕事。
 夕食は五目焼きそば。
 入浴後、ロニー・レーンの歌詞対訳を始める。一通り聞いた後、5曲やってしまう。"April fool" は名曲だ。例によって聞取りはいいかげん。
 中谷宇吉郎のエッセイ、読み続ける。この人は独特のユーモアがあって、何とも快い。科学はしゃちこばってやる必要はなく、むしろそうではなくて楽しみながらやるとき、本当の研究ができるというのは納得。というより、日頃考えていることを裏書された想い。科学だけでなく、経済でも政治でも皆同じではないか。眉をひそめて、がちがちになってやることがうまくいく試しはない。楽しみながら、面白くて面白くて仕方がないと言いながらやるとき、初めてものごとはうまくいく。そうするとふざけている、というのはそれができない無能ものの嫉妬の現われでしかない、というと言過ぎと言われそうだ。ただ、創造的な行為、科学(この場合自然科学だが)だって十分クリエイティヴだと思うが、それも含めたクリエイティヴな行為は楽しんでやるときもっとも創造性が発揮される。ということか。こういう人を師や友人に持てた人は幸運だ。
 最近、翻訳の仕事があまり面白くないのは困ったことではある。やはり、意に添わない本、というか内容に心から共感はできないものをやっているからか。それはしかしわがまま、ではなかろうか。
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