大島教授の[暖蘭亭日記][99年5月5日〜 5月9日] [CONTENTS]

1999年 5月 05日 水曜日 晴れ、暖。外の方が暑いくらい。
 9時半起床。
 朝食はハム・トースト。苺。
 昼食、茸入りのパスタ、人参のグラッセ、ローストチキン、南瓜のスープ。
 朝から『中谷宇吉郎隨筆集』を読み、とうとう読上げてしまった。さすがに選びぬかれただけあって、どれもこれも面白く、膝を叩くところ多い。著者自ら「面白み」と読んでいるユーモアの感覚はすばらしい。寺田寅彦についての文章も、書かれた本人の姿が生き生きと甦ってくる。戦時中の文章の、読むものが読めばわかるが、別の見方も可能な絶妙の書き方は見事の一言。寅彦やこの人を持ったことは、日本の科学にとって最大の幸福の一つではないか。ぜひとも他の文章も読みたい。
 勢いで、寺田寅彦の全集を読みはじめる。一日一篇読むつもり。これは編年体だから発表順のはずで、するとその最初が子規宅を訪ねるというのはいささか暗示的ではある。子規が死ぬまで三年を残している。寅彦は子規よりは一世代下。子規と漱石は同年。鴎外は五歳年長。つまり寅彦は明治第二世代。幕末から数えれば三代目。江戸を知らない世代だ。荷風の一歳上。
 弟子の中谷宇吉郎に比べれば、寅彦ははっきりと文学志向にみえる。少なくとも宇吉郎は寅彦のように文学修業的なことはしていない。文学者との交わりは薄いようだ。
 鴎外(1862- 1922)
 子規(1867- 1902)
 漱石(1867- 1916)
 露伴(1867- 1947)
 
 寅彦(1878- 1935)
 荷風(1879- 1959)
 
 夷斎(1899- 1987)
 
 中谷宇吉郎(1900- 1962)
 朝永振一郎(1906- 1979)
 湯川秀樹(1907- 1981)
 さていま文学でも科学でも、こうした人びとの衣鉢を継ぐものはいるのだろうか。
 ルータの件、リンククラブの商品部にメールを送る。
 夕方、昨日書きかけた里国隆についての短文を仕上げて、久田さん宛送る。ついでにニフティ巡回。「パブ」は一日おきにどっと書込みがある。
 夕食は鰻丼、和布とあぶらげの味噌汁、小松菜の煮浸し。
 夕食後、食器を洗っているとポール・マッキャンから電話。こちらのタイプ・ミスなど指摘してくれる。その後、ファックス。さらに電話がかかってきて、昨年のライヴの後、かれが電話してきたときオレが言ったコメントが良かったので、今度のポスターやチラシに使わせてくれとのこと。一もニもなく承諾。すぐにファックスからPowerBook の中のノートに転記。
 夕食前からフィリップのために『甦るオッペケペー』の解説の英訳。英訳というよりは、大意を英語にしたもの。昨年頼まれたままほうっておいたもの。なぜか最近やる気になっていた。わからないところも多い。浄瑠璃の各流派の関係とか違いなどは全然わからん。11時ごろまでかかって一気にやってしまい、送る。懸案が一つかたづいてほっとする。ついでにメールももう一度ダウンロード。就寝1時近く。
1999年 5月 06日 木曜日 晴れ、暑し。初夏の陽気
 昨日1冊読み終わったので今日から信夫清三郎『ラッフルズ伝』を読みはじめる。戦時中の本だが、初っ端から面白い。冒頭、当インド会社のインド搾取の実態が簡潔に書かれていて、参考になる。考えてみればこれもまったく知らなかった。

○Christy O'Leary THE NORTHERN BRIDGE; Old Bridge, 1997
 ケリィ生まれのシンガー/パイパーのソロ。Boys of the Lough のメンバー。父親がアイルランド人、母親がイングランド人。育ったのはアイルランド西部で Boys に参加してスコットランドにも住み、奥さんがスウェーデン人なのでそちらにも交流がある。スウェディッシュ・チューンを数曲パイプでやっていて、これが新鮮。もっとも、ホィッスルの曲など、ぼんやり聞くとアイリッシュに聞える。アーレ・メラーがパイプを聞いてインスパイアされて作った曲もある。
 それに加えて、すばらしい歌うたいで、半分は歌が占めているが、無理もない。Boys の THE NEW DAY DAWN で見事な喉を聞かせていたのは確かこの人。
 『袁枚』に引用された詩の一節。
 過眼皆吾有 「読み終わればたいていは忘れてしまうのだが
 書味在胸中 それで却ってわが身の血肉となる。
 甘干飲陳酒 その文章の香りが胸中にただよい
   とてもよい酒を飲んだあとの気持ちになるのだ」227pp.
 ただし、袁枚は酒は飲まなかったはずだが、少しは飲んだのだろうか。それとも単なる修辞か。
 ところでその少し後で著者はスタンダールの『ラシーヌとシェイクスピア』からロマン主義と古典主義の定義を引用している(247pp.)。これによれば現在のいわゆるエンタテインメントは全てロマン主義そのものではないか。しかもロマン主義の中に、「読み手の魂に正義と博愛という理想を醸成すること」というマンゾーニの言葉になる「義務」が含まれているとすれば、まさにロマン主義以外のなにものでもなくなる。
 この点からいえば、作品をめぐる言説から推測するに、おそらく現在わが国で書かれているエンタテインメント系小説作品のうち大きな部分はロマン主義であり、少し前のエンタテインメント、山田風太郎や柴田錬三郎の作品群は道徳的義務を果たそうとする志向が皆無であるから、ロマン主義ではなくなる。池波正太郎はどうだろうか。道徳的義務への志向は薄いが、前二者ほど徹底して無視してはいないようだ。過渡的存在かもしれない。
 筒井康隆もそういう点からはロマン主義ではない。わが国SF作家の第一世代は皆ロマン主義ではない。小松、星、筒井、光瀬、眉村、豊田、みなそうだ。福島は「醒めたロマンチスト」ではあるかもしれないが、ロマン主義者ではなかろう。モラリストとはとうてい思えない。
 一方、鴎外、漱石、露伴からの近代文学は古典主義だろうか。そうでもあるまい。かれらが「祖父たち」に快楽を与えようとしていたとは思えない。しかし、これは作家たちの意識とは別のことなのかもしれない。結果としてできた作品が同時代人よりも「祖父たちに快楽を与える」ようなものであれば古典主義作品とみなされることもありうる。
 少なくとも鴎外、露伴、荷風の系譜は古典主義といってもいいだろう。当然石川淳もそうなる。夷斎先生はあなたはロマン主義者だと言われたら、怒りだすのではないか。小林秀雄、隆慶一郎も古典主義。
 漱石自身はどちらかというと古典主義者かと考えられるが、例えば寅彦はどうか。科学は寅彦にとってモラルだったか。あるいはモラルと同一次元だったか。モラルを規範とすれば科学はモラルと相容れない。しかしモラルが人間存在の根本原理への志向とするならば科学への志向はまたモラルへの志向と重なる。科学は基本的には人間の生存を確実にしようとする手段の一つともいえるからだ。
 では、好奇心は生存に必要か。
 そして、モラルとは何だろう。
 読者の側にロマン主義者、古典主義者はありえるだろうか。書き手も読み手である以上、ありえるだろうが、書かずに読む人間はどうか。やはりありえると考えた方が面白そうだ。
 ところでスタンダール自身は自分をどちらだと思っていたのか。
 昼食は豆腐ハンバーグに大根下ろし。海苔少々。
 食べながら『袁枚』を読み、食後そのまま読み続けて読了。どこがどうおもしろいとは言えないのだが、何となく読んでしまう。確かに漢詩の見方が変わったのは確かだ。漢字で書いてあるからといって、ユーモアやたわいのない感情の起伏がないわけではない。今ひとつは、清朝盛時の士大夫階級の生活の実態ないし人間関係の様子が垣間見えること。やはりこれは今までなじんでいた人間関係、日本的なものやヨーロッパ的なものとは根本的に違う。宮崎市定の『科挙』の裏面ないしその背後にあったものが多少実感を伴ってみえてきた。
 Amaita Media というところからサンプラーとカタログ。タムボリンからリスト。Locus から定期購読更新通知。TLS からDM。
 2時少し前、東京創元社のYさんから電話。ホーガンの訳者あとがきを書けとの御錠。アイルランドがらみの話しか書けないよというとそれでいいという。アイルランドとコンピュータの話とか、"When Irish eyes are smiling" がキーワードに使われているとか。ホーガン自身がアイリッシュかどうかは本人に確かめてみることにする。後で公式ウェブ・サイトに行くと、しっかり父親がアイリッシュと書いてあった。母親はドイツ人。そういえば、ホーガンという姓はアイリッシュだ。
 3時前、あがったさんから電話。中川敬さんとの対談、20日になる。
 ホーガンとポール・マッキャンにメールを書いて送る。
 午後は、『バビロン』。
 夜、音友本の地図の原稿を作る。
1999年 5月 07日 金曜日 晴れ、暑し。

○Rod Shearman HERE'S TO FRIENDS; private, 1999
 正統的(?)イングリッシュ・シンガー。ただし、ほぼ全曲オリジナル。声域はテナーだろう。マーティン・ウィンダム・リードに似ている。言葉をなるべく柔らかく置こうとする感じ。押出すのではなく、ふわりと浮かせる。
 自筆ノートによれば、キャリア自体は長く、60年代からずっとうたい続けている。曲作りも古くから始めた。スキッフル、ジャズからフォーク・リヴァイヴァルへという、ある意味典型的な道を歩んでいる。フォークのイディオムで唄を作っている人もたしかに多いが、シャンティ形式はまだ少ないのではないか。ここでは披露していないが、ホィッスルとフルートもやる。ジャズのサックス・プレーヤーになろうとした時期もあったそうだ。
 曲作りの姿勢はこれもフォークの伝統をしっかり受継いだもので、虐げられたもの、一番苦しむ人びととその側に立つ者たちへの共感に満ちたもの。ヴィクトル・ハラとも面識があったとのことで、かれに捧げる詩とそれに続いてその魂に呼掛ける唄がある。オーストラリア・アボリジニを称える唄、ノーザン・アイルランド「紛争」への抗議(ただし、曲は完全にイングリッシュ)もある。
 友人のギター伴奏はすばらしい。Johnny Collins, Dave Webber, Annie Fentiman が加わってのア・カペラ・コーラスは文句なし。
 
 午前中から『バビロン』。
 CDUniverseからCD5枚。連休で着くのが遅れた。ピート・シーガーのものはメアリ・ストーントンのライナー用資料。あと、グリーン・リネット関係3枚。ニーヴ・パースンズとケヴィン・バークの新譜。ケヴィン・バークのものはやけに地味なジャケット。マーティン・ヘィズがゲストとある。あと CELTIC FIDDLE FESTIVAL。Alvin Youngblood Hart のファースト。これは楽しみ。
 昼食は朝の残りのキャベツと人参のスープを暖め、冷凍餃子を焼く。
 市のPTA協議会の懇親会。懇親会の方に出てくれと会長さんから言われて3時に出かける。ロイヤル・パーク・ホテル。少し余裕を見て出かけて、タハラとユニオンをのぞく。タハラは何もなし。ユニオンでは Jo-Ann Kelly のCD復刻があり、先日久田さんから話を聞いていたのはこれかと矢も楯もたまらず買ってしまう。中古盤を覗くとなんだかんだと3枚。ジェフ・マルダーの昨年のもの。中山さんが絶賛していたやつ。ジャッキィ・デイリーのファーストの復刻。確かLPはあったはずだが、こういうのは中古でCD復刻を見つけると買うことにしている。それにウェールズの Fflach から出ている知らないバンド。このレーベルは信頼できるので買ってみる。
 終ってから会長さんも用があるというのでさっさと引上げる。ヴァージンに行くと、グラム・パースンズの2枚があったので買う。ついでにポール・パターフィールドのベター・デイズ時代のライヴと、前から気になっていたロビン・ウィリアムスンのメリィ・バンドの最後のライヴも買う。有隣堂で中谷宇吉郎の『科学の方法』(岩波新書)と朝永振一郎の『量子力学と私』(岩波文庫)。中谷の他の新書はやはり絶版らしい。パーティではろくに食べられなかったので、吉本家で軽く食べてから帰る。帰宅8時過ぎ。
 帰ってから早速グラム・パースンズとジョー=アン・ケリィを聴く。

○Gram Parsons GP; 1972/1998
 あらためて聞くが、実によろしい。先日ソウル・フラワー・ユニオンのライヴでカヴァーしていた "She" は名曲なり。ちょっと他の曲と感じがちがって、カントリーらしくない。ロックン・ロール仕立ての曲は楽しい。バーズの SWEET HEART OF RODEO の方がいいと思っていたが、ちょっとあやしくなってきた。

○JO-ANN KELLY; BGO, 1969/1998
 69年の時点でこういうことをやっていたのは、やはり心底ブルースが好きだったのだろう。その好きという気持ちがストレートに出ているアルバム。だから、ここに黒人が歌うときのフィーリングがないと言ってこれを批判するのは当らない。始めからそんなものはすてているのだ。でも、これはやはり「ブルース」であろう。一人のイングランド女性の心の叫びである以上。ブルースは形式ではないはずだ。少なくとも音楽としてのブルースは。
1999年5月8日土曜日〜9日日曜日
 ばあ様の九十歳のお祝いで一族で箱根へ行く。ちょうど新緑の箱根は天気も良く、まずまず。
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