1999年5月17日月曜日 晴れ。
朝のうち、空気はひんやりしているが少し動きまわると暑い。部屋の中は結構気温が高い。
子供たちを送り出してから、家事のあとKをいつもの腰の医者に連れてゆく。置いてとってかえし、簡単に掃除。車内での雑談。今年は見事に高校への求人がないそうだ。昨年卒業生が就職した会社のうち、四社から今年は求人なしとの連絡あり。結局今までとは別のことをしなければならない、ということである。これはわれわれとて同じこと。
午前中、ホーガンのゲラ。昼食をはさんで『バビロン』。
Kは点滴を受けて、11時半頃連絡してくる。
昼食後、メールのダウンロード。それを見て音友・Kさんに架電。
Rod Shearman から返事。なんかえらい手数をかけてしまったようだ。それにしても返事を書こうにも、プリンタがつなげない。Folk Roots、ラティーナ。クラダから引落しの通知と新譜案内。珍しく映画の試写状が来たので何だろうと見てみると、アイルランド西部の村を部隊にしたコメディ映画。以前、茂木がちょっと言っていたやつだ。31日のに行けるだろう。
午後の後半は久しぶりに『緑』。
夜、ネットでMac関連の通販を物色して、ヤノのUSB接続のMOドライヴの値段を探索。CHAMPが一番安かったので問合せのメールを出す。 |
1999年5月18日火曜日 晴れ。
K、回復。子供たちよりも早く出てゆく。
朝一番はホーガンのゲラ。午前中、『バビロン』。午後、『緑』少し。
昼食は餃子、ザーサイ、ご飯、キャベツの味噌汁。
夕食は親子丼、サヤエンドウの味噌汁、キャベツわかめ。
Nさんからブー&クライヴのパーティとライヴの案内。ライヴには行けないことは先日メールしておいた。
午後、やはりバックアップ・メディアが必要と思い立ち、あちこちに架電。厚木のラオックス、町田のソフマップともに在庫なし。町田のメディアバレーに一台残っていたのを押える。4時過ぎに出かけ、メディアバレーに行ってピックアップ。書籍売場からTRON関係が消えていた。Linuxが増殖しているのはここも同じ。MacFan Internet を買う。厚木にもどり、ラオックスでMOのメディアを買う。帰宅7時過ぎ。
MOドライヴの箱を開けたが、8.1には対応せずとあり、繋ぐのは明日WXG for Mac が届いてからにする。
夜、メアリ・ストーントンのライナーに手を付ける。やはり「秘宝」であることをマクラにしよう。 |
1999年5月19日水曜日 雨、涼し。
朝一番でホーガンのゲラ。今日の仕事はこれだけ。
10時から学校。PTAの臨時役員会。昼にもどり、昼食は釜揚げうどんとバナナ。
午後早く、WXGのCD-ROMが到着。それ以後、ほぼiMacにかかりきり。8.5のインストール。8.5.1へのアップデート。iMac Firmware のアップデート。昨日買ってきたUSBのMOドライヴも繋ぐ。主なバックアップ。
WXGはα版だけあって、まだかなりバギィ。日記用のアプリなどもいきなり落ちたりもする。しかしとにもかくにも WXG だ。今までのユーザー辞書をコンバートする。単漢字辞書の使い方はまだよくわからない。ドキュメントがヘルプのみ。エー・アイ・ソフトのサイトにもいってみたが、担当者氏が用意するといっていた掲示板のようなものはまだない。
柴犬が不安定で、よく落ちるようになったのは少々困った。いよいよだめか。8.6でどうなるか。
The Living TraditionからCD2枚。Mae MacKenna と William Jackson。
夜、9時半過ぎ、音友・Kさんから電話。刊行は多分7月にずれ込みそう。テキスト方面はほぼ良いのだが、ビジュアル関係がなかなかそろわないようだ。
午後、あがったさんから明日の件、確認の電話。 |
1999年5月20日木曜日 晴れ、さわやかな五月晴れ。
8時半に家を出る。中川敬氏との対談のための関西行。新横浜へ出て、新幹線で京都、京都からJRで四つめの駅が山崎。新幹線の中でハム・サンドイッチで軽く昼食。電車の中で、昨日着いたばかりの Mae MacKenna の新譜と WINDS FAIRGROUND を聴く。Mae MacKenna は悪くはないのだが、あまりにひっかかりがない。平板というのではないのだろうが、めりはりが無いことは確か。
約束の時刻の30分前に到着。山崎駅は無人駅一歩手前の小さな駅。関東だったら相模線のどこかにありそうなところで、駅前にはちょっとした広場があり、歴史博物館があるのは古い街らしい。駅からすぐのところにはこれも古そうな神社や寺がいくつもある。その代わり、駅前商店街のようなものは皆無。喫茶店が一つ、本屋が一軒、郵便局、それだけ。
40分ごろ、おんぼろのバンがやってきて駐車禁止の看板の前に駐まる。降りてきたのを見ると案の定中川さん。ちょっと立ち話をしているとあがったさんがやってきた。喫茶店にいたらしい。起きたばかりで眠いという中川さんと一緒に入る。『胡散無産』の発行者の野瀬さんという女性とカメラマンの牧田さんに紹介される。野瀬さんは顔から見た年の感じは四十代だが、体つきや服装は二十代。ジーンズを短く切ったパンツがかっこいい。牧田さんは五十がらみ。あるいは在日韓国人かもしれない。少なくともかなり密接な関係はある。なかなか気っ風のいいおっさんで、酒が入ると小気味良いほど威勢が良くなる。
しばらく待ち、原稿をまとめるライターのSさんが到着してから線路ぎわに移動して表紙用に中川さんの撮影。ぶうちさんが到着してから次は中川さんのバンに全員が乗り、中川さんの自宅に移動。車で5分ほど、小学校わきのマンションの3階。マンションのすぐわきに掘立小屋のような建物があり、そこが専用のスタジオ「魂花神社」だそうだ。
部屋にはいってまず写真撮影。あがったさんたちは飲み物などの買い出しに行き、帰ってきたところで、ぼちぼちはじめる。対談というよりは、Sさん、ぶうちさん、あがったさんなども加わっての座談会みたい。だいたいは中川さんの独演。こちらはアイルランド関係で時折口をはさむ程度。
4時ぐらいまででまとめとなり、また中川さんの運転で高槻駅前に移動。そこの近くの飲み屋で一杯となる。中川さんはこれから車で大阪に出るとのことで酒は飲まない。7時半頃そこを出て、今度は高槻駅の反対側にある自然食品のレストラン。中川さんは一人車で大阪へと向かう。自然食レストランは牧田さんの知り合いがやっている店で、閉店時刻にもなっていたのか、われわれがいる間に他の客は全部帰る。料理はインド系で、揚げ出し豆腐と野菜のカレーはおいしかった。ここでも泡盛。8時45分に店を出て、駅で解散。他の人たちは大阪へ向かう。
帰りの新幹線ではすぐに眠ってしまい、名古屋で一度目が覚めた後、次に目を覚ますと小田原を通過するところだった。町田で小田原行き最終急行。帰宅0時40分。
MSIからロニー・レーンのサンプル。ワーナーからクリスティ・ムーアなどのサンプル。MOJO誌。
Kが起きてきて、Hが同級生に励まされて自転車に乗れるようになったことを報告。6、7メートル乗ったそうだ。 |