大島教授の[暖蘭亭日記][99年8月8日〜 8月14日] [CONTENTS]

1999年8月8日日曜日 曇りのち晴れ。
 目が覚めると10時半。少しぐずぐずしていると11時を回ったのでコーヒーだけにして支度をし、そうめんを茹でて昼食。夕食は鰹のたたきを溶かし、キャベツたっぷりの味噌汁とトマト、ご飯。
 昼食後はひたすらブラウンのゲラ直し。家の中が静かな今のうちに少しでも稼いでおかねばならない。
 夕方、シャワーを浴びてからメールのダウンロード。今日の蝉は午後のみ。夜は静か。
1999年8月9日月曜日 晴れ。
 意外に早く目が覚めてしまい、9時過ぎに起床。トーストとハムで朝食。
 ブラウンのゲラ直し続き。
 シャワーを浴び、1時過ぎに出かける。新宿に出てアカシアで食事。ヴァージンを見てCD6枚。マシェーズに行き、本を読みながら待つ。ユニ・カレッジのSさんとHさんとの打合せ。入口の正面の席にいたのだが、気がつかれなかったようで、ずいぶんしてから女性に声をかけられる。それがHさん。Sさんも来ておられた。それから1時間半ほどあれこれ話す。10月にやることになったアイルランド音楽に関する講演について。結局、アイルランド周遊旅行の方がよかろうということになる。今回は有料なので、ケツの穴を締めねばならない。5時前に店を出て、Sさんとは別れ、Hさんも一緒に一番近い紀伊国屋本店に入る。初めて気がついたが、一階も書籍売場にしている。新刊とか雑誌売場にしたらしいが、テナント料よりも収入がいいのだろうか。朝日から出たという David Wilson の IRELAND, A BICYCLE AND A TIN WHISTLE の翻訳を探す。訳者は松本剛史という人で、たしかトム・ロビンスンの『カウガール・ブルース』をやっていた。原書のイラストも入って、ちゃんと作っているようだ。特につけ加わった部分はないので訳書を買うのはやめておく。Hさんと別れてから時間があまり、とりあえず食事しようと王ろじへ行くと何と建替え工事中。仕方がないので中村屋へ引返し、カレーを食べる。食べながらユニ・カレッジでのセミナーの概要を考えてみる。なんだかんだ考えていたら6時半になったので渋谷へ。
 ツインズ・ヨシハシで(中川)五郎さんの出版記念会兼50歳の誕生日パーティ。入口で会費を払って中に入ると、まだ客は一人二人で、PAのセッティングなどしていた。五郎さんは実はずっと高熱が続いていて、今日は解熱剤を飲んで来ていたのだそうだ。なので酒は一滴も飲まず。それでも初めの挨拶のあと一曲、お開き近くに2曲ほどご機嫌で演奏する。Tさんがアコーティック・ベースでつきあっていた。客は知っている方が少なく、五十嵐さん、英輔さん、Kさん、I君、のざき、Mさんぐらい。あまりしゃべらず、隅の方で静かに飲む。かものはしに紹介されて伊藤よたろう氏というミュージシャンと話す。余興にスティーライの "The king" をア・カペラで歌っていたのだ。同年代でブラックホークにも通っていて、松平さんのことも知っていた。人にも言われるというが、確かに顔が似ている。
 お開きになってから下北沢へ行こうということになり、かものはしと英輔さん、もう一人やはりミュージシャンの人らしいのと一緒のタクシー。店は「ラ・カーニャ」で、五郎さんのところにいた人も何人か来ていた。よたろう氏もいて、後でなんだかんだ話す。原点はニール・ヤングだそうだ。かものはしが仕事も一緒にしているらしい元NHKラジオのディレクターというおっさんもいて、英輔氏に絡んでいた。英輔氏はぐでんぐでんで、赤ワインをぐびぐび飲みながらふらふらと出ていってはまたもどってきたり。後で行った「Stories」でもそうだったが、皆ワインを飲んでいる。それも赤だ。ヨシハシは一応ワイン・バーなので不思議はないが、われわれが学生のころは確実にウィスキーだった。
 2時ぐらいになってかものはしに頼み、「Stories」に連れていってもらう。下北沢はまさに眠らない街で、かものはしに言わせると一日36時間飲めるところだそうな。なるほど、朝帰るときにもまだまだこれからという感じで盛上っている店が随所にあった。かつて60年代から70年代のゴールデン街の趣なのかもしれない。「Stories」は予想していたより小さな店で、入ったときは何やら下手くそなハードコア・バンドが酔っぱらってやけ糞になってリハーサルしているようなものがかかっていて、聞いていたのとは違うなと思ったらヴェルヴェット・アンダーグラウンドであった。バナナ・アルバム。こういうものであったのか。それはリクエストであったらしいが、後で、明け方近く、マスターが自分で選んで "#FFFFFF" LIGHT "#FFFFFF" HEAT をかけたのだが、それもやはり似たようなもので、目蓋が重くなってしかたがなかった。
 入ったときは4人ほど客がいたが、ぼくらが入っていったのをきっかけに二人ほど帰っていった。その後、またひとり入代わり、後から来た若いのを捕まえて、前からいた灰色の長髪を後ろで束ねた男が何やらしきりに説教していた。二人とも店の常連で顔見知りらしい。若いのが先に帰った後は、われわれ3人だけになる。そこでこちらがリクエストしたトム・パチェコの2枚目のソロがかかると、気に入らないのか頻りに舌打ちしていたが、それが終わる頃出ていった。その後は5時の閉店まで客は来ず。
 それにしても徹底した店で、CDプレーヤーがなく、レコードは全てアナログのみ。壁には High Level Ranters とか Robin & Barry Dransfield とか Kevin Ayers、Woodstock Mountain Revue のLPがかかり、Jane Birkin, Bridget St. John, Anne Briggs のシングルのジャケットが飾ってある。カウンターの奥にはLPが何枚か置いてあり、それは売物なのだそうだ。THE COMPLEAT DANCING MASTER が2,500円はいいとして、Contraband 5,600円は高い。
 ヴェルヴェットのあとは The Roches、それから Eliott Murphy で、この人がこんなにディランだとは思わなかった。ためしに訊いてみると、ごそごそ探していたがやがて出してくれたのがトム・パチェコの THE OUTSIDER。ようやく念願かなって聞くことができた。かの傑作 SWALLOWED UP IN THE GREAT AMERICAN HEARTLAND の続篇であることはすぐわかる。バラッド志向が強くなり、アルバムの出来としては HEARTLAND の方が上かもしれない。いずれにしてもやはり傑作。その後、じゃあこんなのがお好きでしょうとマスターが出してくれたのが JOHN HERALD。これを聞くのも二十年ぶりではないか。名盤なり。その後、何も言わずにかかったのが Gene Clark。『ホワイト・ライト』。そしてしりとりで上記のヴェルヴェット。もう一回リクエストで SAMMY WALKER。もちろん、ワーナーからの一枚め。そこで4時半。お腹が減ったので、何か食べに行こうといって出ようとすると今日の最後は Jackson Browne の FOR EVERYMAN であった。一曲目の "Take it easy" だけ聞いてから出る。この頃のリンドレーは実にかわいい。
 外は雨。3時ごろ、やけに激しく降っていたが、まだ結構降っている。かものはしはその2軒向うの店も美味しいと言って入る。小山哲人氏がいた。そこも5時には閉めるということだったが、食べ物だけでもいいというのでオムライスを頼む。これが美味であった。卵の裏にチーズが入り、ライスには肉とともにシメジが入っている。元ガソリン・アレィという店だったのを今の主人夫婦が継いで、フランス風の店にしたのだそうだ。そこも閉店となり、始発電車の通った音もしたので、外へ出る。まだ飲みに行くという小山氏とは別れて帰る。帰宅7時前。
 Amazon.uk と Amazon.com から一箱ずつ。東野司さんから著書。腹が重たかったのでトイレに入ってから就寝。
1999年8月10日火曜日 晴れ。
 一度実家からの電話でおこされる。次に目が覚めると正午の鐘が鳴る。そのまま起きる。うどんで腹ごしらえ。その後はブラウンのゲラ読み。
 4時過ぎに家を出る。郵便局で、ピーターさんなどへ発送。駅までは空いていたが、準急で時間を食い、結局実家までは1時間半かかる。着いてすぐ夕食。ちょっと飲んだら眠くなり、そのまま寝てしまう。
1999年8月11日水曜日 晴れ、風あり。風がまた強い。昨夜はすうすう風が入ってきて、寒いくらいだった。
 起きると8時過ぎ。朝食は旗魚の醤油漬けを焼いたものに、豆腐とあぶらげの味噌汁、昨夜のサラダの残り、沢庵(千切り)、海苔。
 朝食後はごろごろ。Hはおふくろと映画を観るために一足先に出かける。ちょっと下に降りて庭を一回りしてから、本を物色。植草甚一スクラップブックのうち『ぼくの読書法』を選んで持って帰る。246を通って帰ったが、馬鹿に混んでいて1時間以上かかる。家に着いたのは正午。腹が減らないのでそのまま仕事。ブラウンのゲラ直し。
 郵便は Mark V Ziesing からカタログ。Interzone。おお、オーストラリア特集だ。Terry Dowling のインタヴューだ。F&SF。名古屋のHさんから高島のアイリッシュ・キャンプへのお誘い。いつも誘われるが、今年はロンドンに行ってしまったしなあ。
 予告があったのでエー・アイ・ソフトのサイトへ行き、WXGの新版をダウンロード。今回はユーティリティや辞書セットまで含めた大がかりな改訂。ユーティリティはインターフェイスがMacプロパーになり、かなり使いやすくなった。ただし、候補選択を番号でしようとすると落ちる。
 夕方、一堂帰宅。
1999年8月12日木曜日 晴れ。
 朝食、ハム・トースト。昼食、カツ丼。カツは昨日実家からあまりをもらってきたもの。夕食、鰹の叩き、かき卵スープ。
 午前中はメールの返事を書く。午後、ブラウンのゲラ。夜、BEATERS のための日記のまとめ。6月分まで。
1999年8月13日金曜日 曇りのち雨。朝から曇っていて、夜半には雨も降ったらしい。
 起床9時。朝食はハム・トーストにトマト。昼食は鶏肉をシソで巻いたフライ。その他野菜のフライ。シソは実家でMが摘んできたもの。昼食前にメールのダウンロードとともにニフティSF巡回。リスペクトのTさんから、『童唄』のリスナー・カードを見たと電話。英国盤は『ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ』のデザイナーがデザインした豪華パッケージになるらしい。夕方、ポール・マッキャンから電話とファックス。ジム来日公演の概要。すでにチケットは発売になっている。午後、BEATERS 用日記の整理。7月分。
 夜はメールを書いていると、中山(義雄)さんから電話。サーズの弦とチューニングについて、星川師匠に訊ねてくれないかとのこと。そのあと、新企画の話など、例によって0時半まで。デイヴィ・グレアムの資料はブルース関係にあったそうだ。何と、ジョン・メイオールの最初のギタリストはグレアムだったそうだ。アレクシス・コーナーが紹介したらしい。1962年という。Cliff Eberhardt がひどくいい由。
1999年8月14日土曜日 雨。涼しい。
 朝から雨。断続的に、そのかわり降るときにはかなり激しく降る。雨が降ってくると蝉が泣きやむ。雨がやむと鳴きはじめる。ミンミンゼミがうるさくなってきた。今年はどうしたわけか、熊蝉らしいものも聞える。もっと南に行かないといないはずだが。熱海にはいたような記憶がある。
 明け方、雷鳴で目が覚めてしまい、眠りが途切れ途切れになって結局起床9時半。
 朝食、ジャム・トースト。昼食、ゆで鶏肉の薬味添え、胡麻ダレ。葡萄。夕食、吉本家、キャベツ・味玉。
 仕事は断続的に『緑』。
 3時半に家を出る。ちょうど降りが一番ひどいときで、バス停まで登っていく間にズボンはびしょぬれ。激しい降りはなかなか収まらず、相武台あたりまでひどかった。下の川も相模川も、かつて見たことのないほど水量が増していた。相模川は堤防の幅いっぱいに濁流が渦巻いている。あるいは上流でダムの放流があったかもしれない。ひょっとして小田急が止まるのではないかと心配になる。
 相模大野には四時半少し前に着。のざきさんの招待で KENSO のライヴ。本来5人だが、今日はキーボードの一人がスターダスト・レヴューのお仕事にとられて欠席。相模大野グリーン・ホールの多目的ホールでのライヴ。左側の大ホールではなく、伊勢丹を抜けて右側の入口。多目的ホールとはいえ、床は階段状にできるようになっており、照明も本格的なものが可能。PAはもちろん持込みだが、いい音だった。かなりうるさい、「ハード」な音を出すバンドだが、耳うるさいことはなかった。開演前の音楽はロリーナ・マッケニット。会場は2〜300ほどで満員だろうか。席はほぼ満席。座った席はバルコニーということで、客席の両側、入口と同じ高さの通路に椅子が置いてある。途中から奥は立入禁止。客席とステージを見下ろす感じ。
 予定の5時を10分ほど過ぎて照明が落ち、メンバー登場。あとは2回のアンコールを含め、2時間の演奏。休憩なし。2回目のアンコールのあとBGMが始まったので出てきたが、ロビーでのざきさんと言葉をかわしていると、また拍手が起きて誰も出てこなかったから、何かやったのかもしれない。
 このバンドは固定ファンがいる。客席にUさんがいるのを見つけて挨拶。プログレということになっているけれど、やっている音楽はハード・コア・ジャズ・ロックという感じ。時にFZの趣も混じる。演奏能力は高いし、音楽的にもかなり高度なことをやっていると思う。ただ、アイデアが今ひとつ切れ味に欠ける。音楽は半分肉体的なところがあるが、リーダーの清水氏はその部分をあえて(と思いたい)切捨てようとしている。しかし、代わりの頭脳の部分がどうも弱い気がする。だからライヴを見て一番面白いのはバンドで一番の肉体派、ドラムスであり、ベースである。特にドラムスは「早撃ち二丁拳銃」といいたいくらいの手数の多さと速さを誇る。これは見ていてなかなか気持ちがいい。音楽から肉体的要素を排除しようとする志向からのもう一つの結果として、ハプニングが少ない。アレンジがきっちり決まっていて、そこからはずれていく部分が極端に少ないように思う。
 客層は20代半ば以上、40代前半までであろう。それ以外はメンバーの親族らしい。女性ファンが結構多いのにはちょっと驚いた。それもいかにものプログレ・オタクのような感じはほとんどいない。アベックも何組かいた。
 水が心配だったので急いで帰る。本厚木まで帰ったところで有隣堂によって『本の雑誌』『グィン・サーガ』、それにちくま学芸文庫の平台に『森有正エッセー集成1』を見つけて買う。今年のゴールデン・ウィークに実家に帰ったとき、妹の蔵書で『砂漠に向かって』の単行本を見つけ、なぜか心惹かれて持って帰ってきていた。その後きちんと読んでいなかったが、文庫になってまとまった形で読めるのであれば読んでみよう。今回は全集に入っていた日記が、それぞれの巻に対応する形で収められるのもありがたい。編者の二宮正之も著者同様ずっとヨーロッパにあってフランス語で活動している人だった。たしかフランス革命直前の地下出版のことを書いたイングランド人史家の本の翻訳者ではなかったか。夕飯を食べ、帰る途中、ずっと読みつづける。帰宅9時。まだ皆起きていて、シャワーを浴びて出てきたところ。久田さんにBEATERS用の日記7月の分をまとめたものを送る。ついでにメールをダウンロード。だが土曜日とて、あまり来ていない。モノノケが出る名古屋のイベントについては熱い書込みが電脳アジールの掲示板に上がっていた。
 『本の雑誌』の坪内祐三、目黒さんの日記、真空とびひざ蹴り、に目を通す。
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