大島教授の[暖蘭亭日記][99年9月1日〜 9月10日] [CONTENTS]

1999年9月1日 晴れ。風があり、家の中は涼しい。
 子供たちは8時にチャイムが鳴って、今日から二学期の始まり。
 家事をしながら昨日着いたディスクの中からジュディ・ミラーの新作を聞く。

○Julie Miller BROKEN THINGS; Hightone, 1999
 この人のアルバムを聞くのは二作目だが、これは期待にたがわぬ力作なり。ざらりとした音に、妙にこましゃくれた声で、力むでもなく、その癖ドスの利いたような腰の座ったシンギング。曲もすばらしい。"Orphan train" はオリジナルだが、明らかにブリテンのトラディショナルをベースにしたメロディ。ロジャー・マッギンの CARDIFF ROSE のタイトル曲を思わせる。唯一のトラッド曲 "Two soldiers" はアパラチア起源か。夫君のギターも大活躍。昨年のルシンダのように話題になるだろうが、個人的にはルシンダよりもずっと好ましい。ルシンダは悪くないが、過大評価だ。

 朝のニュースで洪水時の河川敷に暮すホームレス対策がとりあげられており、Hがホームレスは何だと訊く。説明すると、どうしてそうなるんだと訊く。理由はそれぞれ人によって違うというと、主な理由だけでも聞かせろという。仕方がないから、失業、失意、家から追出された、と三つをあげると、ぼくは追出されないようにしようという。
 それにしてもただホームレスに「警告書」を配って対策と称するのは、想像力の貧困。他に行き場がないからあそこにいるのであって、本気でどかせようとするのなら、移る場所を用意するしかない。それをしないで追出そうとするのは、とにかく自分の管轄地域から居なくなってほしい、管轄地域で死なれては困る、と言うのだろうか。そういう人間はホームレスでない住民に対しても、同様の姿勢で接するだろう。
 今日は防災の日とて、防災訓練とかが行われるが、起きてしまった災害の後処理の訓練は行われているのだろうか。たとえば首都圏の防災訓練では、東海沖地震の判定会招集が始動のスイッチになっているけれど、必ず予知できる保証はどこにもない。むしろ、最近の地震学では予知は現状ではほとんど不可能というのが大勢ではなかったか。よしんば予知できるとしても、すべて必ずできるという保証があるのだろうか。それがないならば、予知できなかった場合も想定した訓練も必要なはずだ。今朝の新聞に、昼間首都圏で大地震が発生し、交通機関が止まった場合、帰宅難民が300万という数字が出ていた。この場合の「帰宅訓練」は必要ないのだろうか。300万人を1日でも食べさせる備蓄食糧は都内のどこにもないというのだ。
 今のところ、昼間、都内にいて大地震に遭遇した場合、どう行動するか、個人として対策を立てておくしかない。基本的には自宅に向かって歩くということだろう。とにかく行動できるようになれば、つまり歩けるくらいまでの軽い負傷の場合はだが。
 昼間だけでなく、夜間でも同じかもしれない。夜間の場合は、できるだけ広い避難場所に移動して、そこで夜明けを待つ。日没までに着けない場合は夜間はなるべく安全そうな場所、避難所等で休む。
 怪我をした場合は、移動できれば近くの指定避難場所に向かう。できない場合はどうしようもない。
 昼食は昨日のカレーの残り。足りない分はハム。
 Judy Miller があまりに良かったので、前のアルバムを欲しいとおもい、あちこちネットを探す。普通のところでは見当たらず、Hightone Records から本人たちのサイトへ行き、そこから販売のページに飛ぶとテキサスのローカル・レコード店のサイトでようやくみつかる。旦那はもちろん、エミルーのレコードなども扱っているが、カードは効かないようだ。とりあえず、送料などを訊ねてメールを出す。
 夕食は釜揚げうどん、ゆで卵、朝のブロッコリ。

1999年9月2日木曜日 晴れ後曇。
 午前中、メールのチェックとネット遊び。Amazon と他のCDショップを比較して、Fred Neil, RT, Lucy Kaplansky などを比較する。結局 Amazon で、Fred Neil と RT、REMEMBER SHAKTI を注文。

○Buddy Miller YOUR LOVE AND OTHER LIES; 1995
 このデヴュー・ソロを出したとき、すでに40近いか超えているはずだ。もっとも経験だけではこうはならないだろうが。
 こういうのは何ともいえず、いい。いい、としか言いようがない。曲、歌、声、演奏、四拍子そろったアルバム。

 うっかり時間計算をまちがえ、正午までぐずぐずしてしまう。あわてて飛出してまっすぐ新宿。しかし結局着いたのはやはり三十分遅刻だった。伊勢丹の香味屋でカモノハシと待合せ。ゆっくり昼食をとり、三時半頃、両国駅脇の江戸東京博物館へ向かう。
 今週日曜日までの「永井荷風と東京」展を見る。実はあまり期待していなかったのだが、なかなか力の入った展示で、充実している。一番印象に残ったのは字のうまさ。今回の調査で発見された書簡や、掛け軸、落款などが数多く展示されていたのだが、どれもこれも実にうまい。字も絵もうまいし、そこに書かれた俳句も凡庸ではない。漢詩も少しあったが、これは良し悪しが全くわからない。しかし、筆の見事さは多少わかる。荷風作曲の何節というのか、三味線伴奏の歌や、荷風が台本を書いたオペラの録音などもある。一言で言えば、見事な教養人だ。筆で食べる必要はなく、また筆で食べなくてもすむように収入は別に確保してもいた。円本でもうかったのは偶然に過ぎない。それを狙っていたわけではない。そうして生活を確保した上で、書を読み、選んだ友と交わり、俳句を作り、時に小説を書き、隨筆やエッセイを生み、書画をたしなみ、女を囲う。まさに高等遊民、本当の意味での「高等」だろう。欧米ではこういう人間はそれほど珍しくなかろう。ブルジョワ、と呼ばれる人びと、資産家と言われる人間でこうした生活や生涯を送った人は、数はそれほど多くはなくとも稀な存在ではない。そこから文化的に見て価値の高い作品、文章だけでなく、美術、学術、行動の点で見事な作品を後世に残している人間も多い。ギボン然り、プルースト然り、リチャード・バートン然り。荷風の場合、やはりわが国でそういう生活様式をとる人間は極稀な部類に属することを、逆説的に示す。確かに小説や随筆の文章を書くことは荷風にとってもっとも大事な営為の一つではあっただろうが、それが他の全てを蔽いつくしてしまうような、そのために他の全てを犠牲にしてしまうようなものではなかった。いわば、教養人としての日常生活から、ごく「自然に」わき出してくるようなものだった。だからやはり荷風最大の「作品」はその生涯そのものであり、その記録である『断腸亭日乗』だ。『日乗』の実物やその草稿を見られたのは収穫だった。最後の日の付近の実物を見たかったが、これは展覧会期間中前半に展示されていたらしい。文化勲章受章時のテレビでのインタヴューの録画もあった。前歯が三本抜けているのが印象に残る。会場で買った図録は思いのほか立派なもので、これには最後の日の箇所の写真も載っている。が、実物をみたい。10月に神奈川近代文学館でも荷風展があるというポスターが会場に貼ってあった。心惹かれる。
 ゆっくりと見てまわったあと、出口で荷風展の図録と、以前に行ったらしい版画に見る東京の変遷の図録を買う。館内の土産物売場で荷風展の絵葉書、和紙の折り紙、都名所図絵のトランプなどおみやげに買う。出口で時計を見ると五時半。
 そのまま下北沢へ出て、食事と酒。Zaki という店で、値段もリーズナブル、味も良し。音楽がまたいい。綾度智恵という関西出身のシンガーのアルバムは収穫。十時頃、場所を変え、先日最後に入った Le Grand Ecart に行く。また小山氏がいた。11時過ぎに出て、帰宅。帰宅0時過ぎ。やはりずいぶん眠かった。
1999年9月3日金曜日 曇。
 天気予報より遅れて、午前中はまだ雨は降らない。

○Kokoo ZOOM; King, 1999
 面白い。録音はさすが。最後の長い現代曲よりは、オリジナルやカヴァーの方が面白い。現代曲が面白くないのは、演奏能力や解釈の問題ではなく、曲そのものがつまらない。スタジオ録音は、録音条件は良くなるが、演奏条件は悪くなる。「奔放さ」をもっと聞きたい部分が出てくる。音楽の波に乗っていく部分、ああもう止まらない、という感じがもっとほしい。

○Iris DeMent INFAMOUS ANGEL; Warner, 1992
 最後の曲、トラディショナルの "Higher ground" でリード・ヴォーカルをとる母親の歌を聞くと娘の世代と声の出し方もスタイルも違う。娘の方が地声に近く、より日常的だ。母親の歌は「クルーナー」ないしベルカント的だ。日常会話からは対極にあるような歌い方である。この変化はどこで起きたのだろう。ウディ・ガスリーかディランか。
 アルバム全体は良質のカントリー・アルバム。ちょっと甘ったるい声で、からりとしたバックによく映える。ただ、説得力という点からはやや難あり。

 タムボリンから荷物。CD11枚。
 『ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン』の販売の件で音友・Kさんに連絡。東さんが musse の編集と会ったら、あの本を絶賛していたそうだ。
 ビクター・Oさんからメールと電話。Boys Air Choir の曲目解説の依頼。あとで聖歌の解説のための資料がファックスで来る。
 夜、キングのIさんから電話。在日モンゴル人のミュージシャンがプライヴェート盤を出すのだが、その日本語解説を英訳してくれないかという依頼。解説そのものは千字程度。時間がないので頼むとのこと。当然引受けて、ファックス出来た原稿をすぐにチェック。モンゴルの地名を手元の辞書であたり、わからなかった一ヶ所を調べてくれるよう架電。
 その後、ウェブ・サイトを少しいじるが、更新はせず。今度の更新は和名索引ができたところでやることにする。Jedit でソートを試みるが、sortf の使い方がよくわからないのと、コマンドが終了する時にハングアップするので諦め、バックアップから King's Edit を出して、そのソート機能を使う。
 夜、ニフティ音楽巡回。
1999年9月4日土曜日 曇。
 朝食はハムとキャベツの炒めたものとジャム・トースト。
 iMac の挙動が不審だったのでノートンをかける。アップルメニューオプションの初期設定ファイルが壊れていた。その後 Disk Doctor をかけ、SpeedDisk を実行。きれいになったところで、こちらで少し仕事。
 昼食は釜揚げうどん、ゆで卵。
 夕食は茄子豚。中華風味噌汁。中華風冷や奴(ザーサイを細かく切って葱と一緒に載せただけ)。
 ビクター・Oさんから Boys Air Choir のテープ。BMGからサンプル・カセット。
 夜、かものはしに架電。明日のニフティFWBEAT壁オフに行くことを確認、会場の地図をプリント・アウトしてファックス。しばし雑談。今日インタヴューに行ったドラマーの話。慶應卒業後、アメリカに渡り、ドラムの専門学校に入って病みつきになり、そのまま続けているうちに学校の臨時講師、正規講師、やがてチャカ・カーンのマネージャーに認められ、プロになる。以後はずっとアメリカで活動し、数年前帰国。最近ではマルコス・スザーノの来日公演に参加。日本での活動歴はそれ以前は全くなし。ドラムスそのものを始めたのも渡米してから。日本人も海外に出てゆくようになったものだ。
1999年9月5日日曜日 晴れ。
 朝から晴れあがったが、それでももうそんなに暑くはならない。冷房の効きすぎが目立つ。
 じい様の七回忌の法要。終わってからお茶をいただき、蕎麦屋に移動。蕎麦屋は法事の時いつも使っている布屋多兵衛の方の更科。実はあまりうまくない。最後に出てきた蕎麦も、前に比べて味が落ちているように思う。子供たちは刺し身と鶏肉のしょうゆ焼きをむさぼり食い、腹が一杯になって蕎麦はほとんど食べず。
 親類のOさんはあいかわらず。長男に女の子が生まれて、嬉しくて仕方がないが、あまり遊びに来ないのがご不満らしい。長男の嫁さんとその実家に対して、またまたコンプレックスを抱いている。まあ、この人はコンプレックスを食べて生きている人なのだ。つまり対人関係をコンプレックスの多少で組立てている。究極的に「自己」というものがない人、というか自己規定を他人との比較だけで行っていることになるわけか。それはそれで満足できる人生が送れればいいわけだが、周りの人間はたまらない。
 2時近くに散会して、蕎麦屋を出る。家族と別れ、一人鳥居坂を登って六本木五丁目の交差点を渡り、突当たりを右に曲るとすぐ「将軍」という看板が見えた。この辺は飲み屋街で、どのビルも飲み屋などがぎっしり入っている。「将軍」はストリップ・バーであった。ニフティ FWBEAT 壁オフ。入ったときはちょうどリオのカーニヴァルのビデオをかけているところ。暗い中、ぼんやり見える店の雰囲気、当然ながら皆黙って見ているのがちょっと不気味であった。
 参加者は三十名弱で、どうやら俺が最年長らしいのに驚く。いつの間にそんな年になったか。ひでさんに挨拶し、まるこめさんの隣に座る。酒は飲み放題というので、ジン・トニックやらウォッカ・オレンジやら、まわってきたマッコリやらピンガ・ベースのカクテルなどを飲む。参加者は中華部屋とブラジルが多く、勢いそちら方面の音楽がかかる割合が多い。おれの他には街角のGIRIさんがファブリツィオ・デ・アンドレをかけたのが、ヨーロッパでは唯一。
 中華、韓国関係はやはりこういうところで聞きいたり見たりするのが助かる。気にはなっても、自分で買おうという気にはどうしてもなれない。中華では台湾の男性シンガー・ソングライターのロック・ナンバーがなかなかであった。中国語がエイト・ビートにあんなに見事にはまるとは意外。日本語よりも遥かにはまる。ドイツ語やフランス語よりもはまると思う。それともあれはソングライターの力量の問題なのか。サウンドは立派なオルタナで、それだけ取出せば、アメリカでも充分通用するだろう。
 もっとも自分でも買おう、という気になったのはブラジル方面である。中華も韓国も、サウンド面では欧米主流をなぞっていて、ルーツ的なところはほとんどない。ブラジルはやはり強烈な個性を持っている。何をやってもその匂いがぷんぷん。そこがたまらない。
 同じ席にいたみーなさんといろいろ話す。プレイヤー部屋で続けられているホィッスルのことなど。なんと、D管一本で全部吹こうとして穴を半分塞ぐこともやられているそうだ。
 前半の布教タイムはまるこめさんがトリ。間に分科会が入り、二度目の布教タイムで、分科会の間に来たかものはしがはにわオールスターズのビデオをかける。これがうけた。実にすばらしい代物。こんなことをやっていた人がいたとは。しかも十年も前に。このビデオはかものはしが今日のためにダビングしてきたので、他にもいろいろ面白いものが入っており、最後にプレゼントとしてだしたところ、あっという間に消えた。DINOさんあたりが確保して、あとでダビングして皆に配ることになったらしい。この辺に反応するのはやはりブラジル部屋の人たちだ。
 二回目の布教タイムが終わって、不要CDや今日の供出品の分配。会費徴集して散会。ほとんどは新宿に焼き肉を食べに行くというので、まるこめさんとかものはし、みーなさん、エフさんで近くで一杯。ケルツもパディ・フォリーズも閉まっているので、六本木の交差点の方へ歩いていくとサントリーの直営店があり、そこへ入る。かものはしの話にまるこめさんもエフさんも驚いている。まあ、たいていの人間は驚く。驚かないのは本人だけだ。当たり前だが。特にエフさんとは話が合うはずだ。8時過ぎにそこを出て、解散。他の三人と別れ、かものはしと歩いて乃木坂へ出て千代田線に乗る。かものはしは下北沢で降りる。厚木までもどって駅前で何か食べるかと思うが、今日は日曜で深夜バスがないことを思出し、バス・センターに行く。折りよく便があったのでそのまま乗って帰宅。帰宅、10時。
 メールのチェック。緊急に返事の必要なものだけ書いて送る。かものはしがもうメールを送ってきていた。就寝0時半。眠い。
1999年9月6日月曜日 曇。涼し。
 考えてみたら、今週やけに忙しい。
 朝食はハム・トーストにトマト。

○Alaitz eta Maider INSHALA; Alter Pop, 1999
 アライツ・エタ・マイテルのセカンド。前回よりもバンドをフィーチュアした曲が増え、二人だけのトラックは一、二曲。
 悪くはないのだが、良くもない。先日ライヴを見て思ったのは、基本的にまだ若く、経験が浅いのだ。演奏経験ではなく、録音とかステージでのライヴでの経験だ。ヴォーカルもどうも芯が弱い感じがぬぐえない。トリティキシャとパンディロの腕は確かだが、シンガーとしてはどうだろう。もっといいシンガーはたくさんいるのではないか。見栄えのする二人を多少無理してもバスクのルーツ・ポップの前面に立たせようという戦略的意図が先に立っているということはないか。むしろこの二人はバンドのメンバーとしては立派な演奏を聞かせるだろうけれど、ポップ・バンドのフロントに立つには、カリスマも押し出しもガッツも不足している。
 バンドそのものは手堅いものだが、バスク特有の色や臭みは薄い。そのために二人が「孤立」とまでは言わないが、ぽんとほうりだされているような感じがある。バンドがもっとルーツ色の濃い音を出せば、二人の演奏ももっと生きるのではないか。バスクの音楽の動きの中から自然発生的に生まれてきたアルバムというよりは、上述の戦略優先に聞える。

 Good Book Guideからカタログ。アンケートが入っている。ネットショップの実態調査。いわば草の根レヴューの集大成である Amazon.com とは対極にあるGood Book Guideだから、なかなかネット化には踏切れないのかもしれない。最近は注目書の書評は署名入りだ。今月は翻訳の注目株がいくつか。ポルトガル語とスペイン語からのものが多く、訳者としてスペイン語は Alberto Manguel が大活躍。ポルトガル語も訳者が重複している。Amazon.uk でチェックしてから注文しよう。

 昼食は伊佐木の一夜干を焼き、ご飯、キャベツたっぷり味噌汁にリンゴ。
 昼ごろ、松山さんから電話。ケイト・ラスビィがプージーズに参加したのは今回からかという確認。ついでに雑談で、ドーナルが伴奏とプロデュースをしてパディ・グラッキンが作ったアルバムがすばらしいと言う。トリニティが輸入したそうだ。話はつきないが樹理ちゃんがぐずっており、奥さんが病院に行っているとのことで早々に切る。
 夕食はKが遅かったので、昨日新宿高島屋に入っている中華点心屋で買ってきた肉まんとあんまんをふかし、先に食べる。あとで帰ってきてから、途中生協で買ってきた冷凍のチャーハンや餃子を暖め、点心屋のシュウマイなどもふかしてすませる。点心屋は人気があって入るのに30分ほど並んだそうだ。横浜にも入っていて、一度入ったHがえらく気に入った由。味はまあまあ。その辺の店よりはましだが、材料や料理に手を抜いていないだけだろう。
 昨日もらってきたせんべいも、味にこだわった頑固な作りを歌っているくせに、化学調味料はしっかり使っている。味にこだわり、材料を吟味しましたと謳っているところほど、化学調味料が多いのではないかとすら疑う。
 夜のメール・チェックでようやくWXGの新版がアップされたとのことで、早速ダウンロードしてインストール。今使っているが、なるほど大分良くなった感じ。安定感が違う。入力や変換の重いのも改善されている。制御パレットも一回り小さくなり、すっきりした。あとはユーティリティ類のアイコンだ。をを、数字で候補選択をするのが直っている。
 寝る前に Boys Air Choir のテープを聞きながら、『ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン』のミュージシャンの和名索引を作る。Boys Air Choir はアイルランド伝統曲と聖歌がはっきり別れている作り。伝統曲はやはり歌いにくそうだ。なかなか微笑ましい。バックのアレンジはちょっと行ける。
1999年9月7日火曜日 曇。
 動くと汗が噴き出るが、じっとしていると風は秋のもの。
 朝食はハム・トーストとトマト。
 iMac の PRAM を消去してみるが、CD-ROMのアップデートはやはりすんでいると出る。どうも信じられない。WXGはどうも重たいので、RAM ディスクを作ってそちらに辞書を置くようにすると快適。RAM は rumBanction で作る。12メガと8メガのものを作り、8メガはブラウザのキャッシュ用。12メガにメインに使う辞書四つを置く。
 昼食はやまゆりの冷凍北京餃子を焼き、キャベツたっぷり味噌汁にご飯、海苔。キャベツの味噌汁はKが作るとキャベツはどこだという感じだが、俺が作ると汁はどこだになる。このくらい入れないと食べた気がしない。
 午後、キング・Iさんから電話で、モンゴルのCDのライナー英訳の催促。急いで見なおし、夕食前、メールで送る。
 そのほかはビクター・O氏からの依頼の Boys Air Choir の曲目解説のためのネット探索。しかし収穫はほとんどなし。クラシック関係の情報は探しにくい。AMGのようなものもないようだ。ついでに Bill Bonk と David Poe の来日公演のサイトを覗き、Amazon で見てみると両方出ているので注文。二人ともまだ1枚ずつだ。David Poe はT・ボーン・バーネットのプロデュースだというので楽しみ。
 夕食後、メールを読む。アップルがiBook国内発売価格198,000円、10月上旬と発表。半年後に五色G4を載せて178,000円で発売か。税金、メモリで25万というところ。AirPort 用カードは12月に発売とのこと
。  フェアポートのメーリング・リストで、David Hughes の新譜の先行販売のお知らせが載っていたので、早速サイトに行く。注文書を打出して送る式なので、1400でもう一度繋ぎなおし、プリント・アウトしてファックス。ついでに昨年末出た、Hughes と Chris Leslie のCDシングル Acoustic Christmas も注文。
 夜、昨日作った和名索引をhtml化する。タブが消えてしまうのだが、どうすれば桁を揃えられるのか、わからない。仕方がないのでそのまま。関連ファイルも改訂していざアップしようとするとサーバーにつながらない。気がつくと11時半。試しにアップルのサイトに繋いでみると、つながるまでえらくかかる。今日はだめだ。全く、ソニーでも何でもいいから、早いところ繋ぎっぱなしのサーヴィスを始めてもらいたい。殿様商売のNTTなんぞ、さっさと潰れろ。
1999年9月8日水曜日 晴れ、暑し。残暑ぶり返し。
 午前中、リビングで仕事をしていると、暑い暑い。ここが午前中いかに暑いか忘れていた。
 朝食はいつものとおり、ハム・トーストにトマト。
 昼食は伊佐木の干物を焼き、葱の味噌汁、ご飯。
 夕方、ビクターの原稿に着手。詩の方を調べてみると、結構データが出てきて助かる。夜、すでに書いてあるアイリッシュの方を見てみるが、書き足すようなこともほとんどない。
 夕方、ソウル・フラワーの事務所のブレスト音楽出版の女性から電話。住所を訊ねられる。広報誌を送るという。
 夜、Good Book Guideのカタログでチェックしたものを Amazon で確認。一冊Good Book Guideではペーパーバック・オリジナルになっているのに、Amazon.uk ではハードカヴァーしかない。ものによっては、Good Book Guideでの価格より Amazon の方がかなり安いのに、特にディスカウントを歌っていないものもある。Amazon で値引きしていないものはGood Book Guideはポイントがつくからそちらの方が有利。11時近くなるとたんに遅くなり、とうとう英国は繋がらなくなる。これもワールドPCエキスポの影響か。 夕食はトロ鰹の叩き、茄子の味噌汁、隠元の胡麻和え、ご飯。
 メールを眺めて夜更かし。就寝1時半。
1999年9月9日木曜日 晴れ。暑し。
 朝食は鯵の干物、若布とあぶらげの味噌汁、小松菜煮浸し、ご飯。
 正午過ぎ、駅前に出る。有隣堂によると『グイン・サーガ』外伝の新刊があるので買う。岩波新書で長谷川眞理子の『科学の目 科学のこころ』というのが目につき、さてはと「あとがき」を見ると、やはり『科学』の連載をまとめたもの。もちろん買う。『断腸亭日乗』を経済史の観点から読み解いた本が出ている。とりあえず買わずに置くが、ますます『全集』を買いたい気が湧く。  吉本家でキャベツ・味玉で昼食。
 ポンパドゥールでパンを買い、銀行で金をおろし、郵便局。タムボリン、邦楽ジャーナル、Northampton Harmony、Angel Band Music に送金。家に帰ってから、『科学』とNew York Review of SFにも送金しなければならないことに気がつく。
 3時過ぎ帰宅。結構くたびれるが、すぐやりかけていたビクターの曲目解説にとりかかる。もう一度テープを聞き、前に書いていたものも加筆・改訂する。じっくり聴直すと、なかなかいいのである。アイルランドの伝統音楽とクラシックがいかに血脈の違う音楽か、改めてよくわかる。今回、専門外のものを書いてみてわかったのは、音楽的な側面を書く能力がないこと。要するに楽理の面だ。たとえば、かれらの歌がアルタンのヴァージョンと音楽的にどこが違うか、どうも音階が違うような気がするのだが。
 ふと気がついて、エー・アイ・ソフトのサイトを覗くとWXGの新版があるのでダウンロード。すぐに1400に入れた途端、挙動がおかしくなる。Arena は異常終了するは、次には立上がらなくなるわ。デスクトップファイルの再構築とか一通りやってみるが結局だめで、ノートンをかけたところ、WXGの初期設定ファイルの一つが壊れていた。こいつを捨てて立ちあげると、どうやら無事立上がる。一度ひとつ前にもどしていたWXG本体も新版に入替えたが、大丈夫のようだ。
 ノートンをかけるところまで行ったのが夕食時。夕食は鶏肉のソテーに朝の残りの野菜。チーズ・バタール。
 夜、キングのIさんからか、Kokoo の明日のライヴの招待状。
 プランクトンから12月のチケット販売の案内。一緒にリアムのチラシが入っていて、それを見ると、をを、今日はすでに佐渡に行っているのではないか。
 それに別のチラシでロナンのソロ・ライヴも決まったそうだ。これは行きたい。
 留守電にアイルランド大使館のWさんから17日、東京国際フォーラムでの「アイルランド短篇映画祭」への招待が入っていた。この日は多分子守りをしなければならないだろう。
 1400にノートンをかけている一方で、iMac でメールをチェックし、原稿や海外への注文など、原稿を送る。WXGメーリング・リストにも報告。
 MacOS9が10月に12,800円で発売という発表。iBook にはどうなるのか。発表では8.6特別版が入るはずだが。今日の発表になったのは、「9」並びに合わせるためだそうな。
 夜、少し雨が降るも、気温下がらず。かえって蒸し暑い。
1999年9月10日金曜日 曇。朝のうち、陽が出て蒸し暑い。
 朝一番でメールを書いて送り、チェック。来ていたメールに返事を書いて送る。それで午前中は潰れる。
 11時頃、新潮社・グラモフォン編集部・K氏より電話。星川さんに紹介してもらった件。四ヶ月に一度ワールド・ミュージックの記事があり、その翻訳とオリジナル記事の執筆の依頼。22日、リアムのライヴの前に渋谷で会うことにする。
 昼過ぎ、Boys Air Choir の資料が突然FAXで入ってくる。先週送ると言っていて来なかったもの。それを読み、"Magnum mysterium" の解説はやはり簡単過ぎると思い、加筆してビクター・Oさん宛メールで送る。一緒にダウンロードしたメールを見たり、返事を書いたりしているうちに時間が過ぎる。
 三時半過ぎ、ラティーナ・Mさんから電話。用件は、スペインのエヴィアが来日するので、一緒にパイプで共演できる人がいないだろうか、という相談。レコード会社の方から訊ねられた由。おれの知っているかぎりでは、ハイランド・パイプが数十人、イラーン・パイプが在日アイルランド人もいれて数人、あと、「笛吹き童子」のHがフランスのパイプを吹いていた。ガイタに至ってはまったく知らない、と応えておく。雑談の方が面白く、最近、南米でもヨーロッパからの移民の子孫が、自分たちのルーツを探ろうとする動きが現れてきているそうだ。Mさん自身、あるアルゼンチン人からそういう話を聞いたそうだし、アルゼンチンの有名な蛇腹奏者が、先祖の故郷ウクライナの音楽をやったCDを出した、と言うので、それは買うから送ってくれと頼む。もう一枚、ブラジルの新進ロック・バンドで北東部伝統音楽をロックでやっている連中の国内盤サンプル・カセットがたくさん来たので送ってくれるという。
 そろそろ出かけなくてはいけなかったので、早めにきりあげる。
 四時半前、家を出る。代々木上原乗換え・西日暮里経由で日暮里に出る。日暮里の駅は初めてだか、何とわかりにくい駅か。駅の両端に南北の出入口があり、南口に出ると、跨線橋の上が改札。一応自由通路になっているが、車椅子では乗降できない。階段を全部運んでもらわねばならないだろう。
 「和音」の場所はすぐにわかる。先日、元締めが摘発された韓国エステなどが入っているビルの五階で、そこだけ雰囲気が全然違う。エレヴェータで上がり、カウンターで送ってもらった招待状のファックスを見せたら、側にいた小柄な年配の女性がそのファックスの送り主だった。あとで聞くと、マネージャーだそうだ。すぐに、中村さんに引合わせくれる。ちょっと立ち話。飲物を買って席に着き、食事をしそこなったので、シーフード・ピラフを頼む。開演の少し前、かものはしとキングのIさんが来る。偶然エレヴェータで一緒になったそうで、紹介しておく。Iさんが側にいた女性にも紹介してくれる。日経におられる方だそうで、音楽批評もされている奈良橋さん。年齢的には同じぐらいか。今日はいろいろな人に紹介され、名刺を書きまくる。演奏後の打上げで、『邦楽ジャーナル』の田中さんと、音友の邦楽ディスク・ガイド本の話。
 演奏は二部に別れ、最後にアンコールで「ゴジラ」。やはり、この人たちはライヴだ。生で聞くと、「極小の記憶」のような、ハードコアのアヴァンギャルドや「光速不変の紙ひこうき」のような現代曲も、素直に聞けて、それぞれに魅力的。今回最大の収穫は "Breath for the moon" で、比較的静かな曲だけど、背筋に戦慄が走った。CDでは最後に入っている長い曲で、正直あまり好きではなかったが、このライヴはすばらしい。
 ステージは細長い店の一番奥で、しかもそちらに向かってすぼまる形なので、かなり狭く、長い箏を取換え引換えするのがかなり大変そうだ。一度など、立てかけてあった箏が倒れかかり、袖に控えていた助手の人が危うく支えた。
 箏を立って演奏するというのでまさか首から吊るすのではあるまい、と思っていたら、専用の台があるらしく、そこに載せ、PA用のマイクは下から当てていた。
 この店は定在波があって、反響が大きく、セッティングには苦労されたそうだ。たしかにコンクリートの壁は裸で、天井にも空調しかない。田中さんによると、壁にかけるラグの用意もあるはずだそうだが、今回は店の人が忘れていたか。
 しかし、音そのものはすばらしかった。ステージの奥に一応控え室もあるのだが、狭いので、三人はカウンターに一番近いテーブルをひとつ使っていた。
 客席は普段のテーブルなどを並べ替えた形で、全部で五十人も入っていただろうか。最前列は20代の男女五、六人がならび、その人たちは追っかけだそうだ。打上げのときの自己紹介によると、一人は東大で経済学を教えている由。
 バンドの三人はなかなか面白い。八木さんは異常に明るい。丸田さんも現代女性だ。中村さんはさすがに落ち着いていて、四年前から酒を絶っている由。箏を取替える必要もあって、一曲ごとにかなり長いMCをするが、これがなかなか面白い。ヴェルシュキ・ダ・コレシュキの話をしていたのを耳にはさんだそうで、その話をしかけたところで、乾杯が入ったりして中途半端になってしまう。しかし、何と昨年、新潟の県立ホールの柿落としで来日していたと聞いて仰天。新潟でやっただけで、その他は一切なし。一体どうなっているのだ。
 名残惜しかったが、明日もあることとて、11時過ぎに辞去。マネージャーの慶野さんから、中村さんの本曲のCDと古典ソロ・ライヴの案内をいただく。かものはしと新宿に出るが、改札から駆けて、本厚木行き最終にぎりぎり間に合う。すでにベルも鳴りおわっていた。珍しく、駅前で10分ほどタクシーにならび、帰宅1時過ぎ。
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