大島教授の[暖蘭亭日記][99年9月11日〜 9月20日] [CONTENTS]

1999年9月11日土曜日 曇りのち晴れ。
 起きると10時過ぎ。軽い宿酔い。ものを食べないで飲むと覿面。
 朝食は、チーズ・クロワサン一つ食べただけなので、昼食が事実上ブランチ。子供たちはまだ腹が減っておらず、食欲なし。うどん三玉茹でたところ、一玉分まるまる残る。野菜にプチトマト。
 Musicfolk から David Hughes のCDとミニアルバム。速い。同封のカタログを見ると、むらむらと買いたくなる。ちょっとサボっているうちに、イングランドも新譜がたくさん出ている。Fred Hanna'sから CEAL RINCE NA HEIREANN 五冊届く。楽器もできず、楽譜も読めず、さらにはゲール語もまるでだめなくせにこういうものも買わずにいられない。因果なことよ。茂木から貸していた Joseph O'Connor の THE SECRET WORLD OF IRISH MALE が返ってくる。ラティーナ・Mさんからサンプル・カセットと頼んでおいたCD。プランクトンからリアム公演の招待状。もちろんチケットは買ってあるが、誰かにあげられるかもしれない。ゼアミからカタログ。

○David Hughes & Chris Leslie Acoustic Christmas; Folk Corporation, 1998
 早速聞いてみる。6曲入りミニ・アルバム。クリス・レスリィはフィドルは弾かず、マンドリンとヴォーカル。クリスマス・アルバムなのでそれなりの曲がならんでいる。歌が入るのは2曲だけで、基本的にインスト・アルバム。ヒューズのギターがたっぷりと聞け、それ以上にレスリィのマンドリンがすばらしい。早弾きとかテクを聞かせるのではなく、味わい深い演奏。

○Mestre Ambrosio FUA NA CASA DE CABRAI; Epic, 1999
 これは面白い。特に五曲め。「カボクラばあちゃん」。フィドルが大活躍なのだが、このフィドルの音はいわゆるヴァイオリンというよりも、その前身のクルースやリラに近い。そのアコーティックの音と電子的な音の大胆なミックスは楽しい。

○Chango Spasiuk POLCAS DE MI TIERRA; Acqua, 1999
 感激の一枚。基本的には蛇腹とフィドルに多少ギターがつくだけのシンプルな編成で、えんえんとポルカやワルツをやっているだけのアルバム。ところどころ、おじいさんか一族の長老らしい男性のしゃべりや歌が入る。おそらく、昔はのう、という思い出話だろう。じいさんのとつとつとした、しかししっかりした歌に、主人公たちが楽器で参加し、一緒に楽しんでいる。そこに現れる、何ともいえず生き生きした音楽。自分の祖先たちの音楽を再発見し、やっているうちに、自分の中の奥深くから何やら得体の知れない血が騒ぎだしてきた風情。そういうものがあったとは知りもしなかった何者かが騒ぎ出した気配。ロシア合唱風、というかクラシックや教会でのもののような合唱が二曲ほど、始めと終り近くに入っているが、少しも嫌味がない。素直に聞けるのだ。前後のコンテクストはまったく知らないが、この一枚だけでも十分傑作。名盤というのではないが、折りに触れて聴きつづけるだろう。

 日記をつけ、メールの返事を書き、昨日のレポートをニフティに書いてアップするとそれだけで半日終わってしまう。5時半、上京。渋谷に出る。わざわざ各駅停車で神泉で降りてツィンズヨシハシ。Robin さんのバンドのライヴ。フィドルの熊さん、COCOさん、ピアノ・アコーディオンのクミコさん、ギターの青柳さん。Robin さんが一緒にやりたいと思って声をかけて集めたメンバーだそうだ。8時過ぎから休憩をはさんで10時過ぎまで。実質1時間半ほど。急造のバンドだから、完成度を云々するのは野暮だが、イングリッシュ・カントリー・ダンスの気持ちよさは、これもまた「グルーヴ」と呼びたいくらい。特に熊さんのフィドルがいい。ジグなどのちょっと速い曲ではもろいところが出てしまうけれど、ゆっくりめのワルツやポルカ、モリス・チューンはなかなかのもの。それにしても、ジグの選曲はもう少し考えてほしいもの。あまりにも定番過ぎるのはやはり不利だと思う。珍しい曲ならば、その珍しさで聞かせられる部分もある。
 気楽に行けるところではここにしかない Bushmills Malt を飲み、いい気持ちになる。やはりくたびれていたので、早々に辞去して帰る。帰宅11時45分。
 『ザ・ディグ』のTさんから電話が入っていて、朝まで会社にいるので何時でもいいから電話が欲しいとのことに架電。何を急いでいるのかと思ったら、月曜締切でディスク・レヴューを頼むとのことで、アン・ブリッグスとメアリ・ブラックの二枚引受ける。リチャード・トンプソンも予定に入っているというので、月曜にものが着いたら書いて送り、間に合えば載せるということにする。MSIからの二枚は仕事で関っているので辞退。それにしても、いかに編集長と二人だけでやっているとはいえ、あまりと言えばあまりの進行状況。単行本も同時並行で抱えているとは言っていたが。
 雑談で、聞くものがないとかぬかすので、あれもあるこれもあると喝を入れる。とりあえず、Kokoo と今日ラティーナから着いて聞いたばかりのブラジルのメストリ・アンブロージオと Chango Spasiuk POLCAS DE MI TIERRA を薦めておく。インターネットの話もする。ネットで買った経験はないそうだ。
 結局就寝1時。
1999年9月12日日曜日 晴れ。暑さがぶり返し、結構こたえる一日。
 起床10時10分前。
 中山さんが置いて行ってくれたCDを聞く。
○Greg Trooper POPULAR DEMONS; Koch, 1998
 バディ・ミラーのプロデュースによるシンガー・ソング・ライターのアルバム。ミラー自身、ギターでも参加。さすがの出来栄え。声はやや高いが、十分に歌い込んだもので、ほどよく掠れてどすが利いている。歌もロックン・ロールあり、カントリー・ワルツあり。これは買わねばならない。

○Lobi Traore SEGOU; Cobalt, 1996
 アリ・ファルカ・トゥーレの弟子だというマリのシンガー/ギタリスト。二つのパーカッション、ベースと彼のギター、それにヴォーカルとコーラス。単純なリフとフレーズの繰返し。むしろ、二つのパーカッションが複雑さを増す。リズムが複雑、メロディは単純。その全体がいくつかのうねりを作って流れてゆく。その気持ちよさ。なるほど、これも買い。

 今日もメールやニフティの書込みと読みで一日暮れる。実によくない。
 夜、送ったばかりのメールを見たのであろう、中山さんから電話。何ということはない雑談。Rounder に代表される復刻CDの話。Lobi Traore の話。バディ・ミラーの2枚、昨年国内盤が出たのだが、売上最低記録(どちらか知らないが20枚売れなかった)を立てたそうだ。垂れ流すだけで、ろくに宣伝も告知をしようという努力もしなければ、売れないのは当然。それで売れないのをレコードやミュージシャンのせいにするのはレコード会社のとるべき態度ではあるまい。
1999年9月13日月曜日 晴れのち曇り一時雨。
 湿度高く、3時頃軽く雨降るも、あまり涼しくならず。夜に入り、風が出てきて涼しくなる。
 午前中、アイルランド大使館のWさんから電話。先日留守電に入っていた「アイルランド短篇映画祭」の件。残念ながら子守りをしなければならないと断わる。ぴあの主催だそうだ。

○Natalie MacMaster IN MY HANDS; Greentrax, 1999
 翻訳をやっていてちょっと休憩しようと聞出して、一気に半分聴いてしまう。今年の脳天逆落としアルバム。一日興奮する。午後、残り半分聴く。

 Amazon よりようやくCD3枚届く。Good Book Guideより本3冊。A.D.A.よりカタログ。タムボリンからカタログ。
 昼過ぎ、出かけようとすると『グラモフォン』Kさんより、本誌と日本版見本誌。早速本誌を持って出て、昼食を吉本家(白葱・味玉)でとりながら目を通す。ほとんど全部ディスク・ガイドの雑誌だ。担当すべきワールド・ミュージックのトップ記事は Radio Ballads。あとディスク・レヴューが数ページ続く。地域ごとに別れている。向うの読者は、クラシックもこういうものも分け隔てなく聞いているのだろう。面白そうな板が2枚。一枚の Kennedy のジミ・ヘンのやつはソニーから国内盤が出ている。もう一枚、中世ガリシアの作曲家 Alfonso el Sabio の CASTIGA DE SANTA MARIA のディスクはまだのようだ。帰ってから Amazon で見てみると、この曲の板はたくさんあって、エステル・ラマンディエも出している。とりあえず、注文。他に Lobi Traore の新作、バディ・ミラーの新作(10月リリース)の予約などする。
 。タハラに寄って Gramophone の2枚を探すが見当たらず。地下で『フィドラーズ・フィールド』を買う。銀行で金を降ろし、郵便局本局で、『科学』の定期購読とNew York Review of SF の定期購読を送金。帰ると毛利台の辺りは軽く雨が降っていた。
 夜、メールのチェック、ニフティの音楽巡回の後、リチャード・トンプソンの新作を聞く。

○Richard Thompson MOCK TUDOR; Capitol, 1999
 これはいいんではないか。ACROSS THE CROWDED ROOM 以降一番まとまりがあって、質が高い。
 すぐに原稿を書き、Tさん宛送る。
1999年9月14日火曜日 晴れ。風あり。

○The Two Duos Quartet HALF AS HAPPY AS EVER; RUF, 1999
 アンディ・カッティングがからんでいるから普通のアルバムではない。ケルト系の細かい音の動きでくるくると転がっていく曲はほとんどない。むしろ、太めの音を積重ね、幾重にも折り重ねてタペストリーを編む。わいわいと載せることはないが、じっくり耳を傾けていると、次第に気分が昂揚してくる。スルメ盤の一つではあろう。

 久しぶりにすでに聴いて積重ねてあったものをCDラックに整理する。未聴の山を少しでも低くしなければならない。
 午前中『緑』をやり、午後からは『スポーン』71話を一気にかたづける。これであとはほぼ『緑』に専念できるはず。と思ったら、10月1日の件があった。明日は行く前にそれを考えねばならない。まあ、前に考えておいたものを敷衍すれば当面はいいだろう。リアムがすんだら、本格的に考えることにしよう。
 8時前、Tさんから電話。昨日のメールで言っておいた『フィドラーズ・フィールド』を今日の10時までに頼むとのこと。何時でもというので早くても10時だろうと言ったら、しばらくどこか(多分印刷所)と相談していて、それで結構ですとの返事。シャワーを浴びてからすぐに茂木の解説を読み、聴き通してから書く。シャワーを浴びながら大筋を考えておいて、聴きながらそれでいいかどうか考える。いつもと逆の順番。

○FIDDLER'S FIELD; MCA, mvce-24179, 1999
 なかなか面白い選曲。それにしてもジェイムズ・モリソンはいい。あれは買おう。

 その後、メールの消化。
 寝しなにバックアップをとっていたら、視界の端に何やら動く影。入口の文庫用本棚の脇をさささと上がるものがある。みると、でかい蜘蛛。褐色。脚がかなり長く、胴体は小さい。スリッパで叩くと落ちはしたが当ってはいなかったようで、その本棚の下にもぐりこんでしまった。図鑑でみると、脚高蜘蛛というやつかもしれない。徘徊性の蜘蛛では最大で、20センチぐらいになり、屋内で活動、ゴキブリなどを捉えるとある。
1999年9月15日水曜日 曇ときどき晴れ、風強し。
 台風に刺激された秋雨前線のせいか、朝から南風が強い。時折雲の間から日が差す。朝、一時強い雨。
 起床8時過ぎ。カーテンを開けられてもろに陽が当っては寝ていられたものではない。
 午前中、ユニカレッジの講演のためのプログラムを考えて、メールで林さん宛送付。
 松山さんからついにメールが来る。
 朝はスタッフ・スミスのオスカー・ピーターソンとディジー・ガレスピーとの共演盤を含むCD二枚組復刻の1枚め。すばらしい。あまりのすばらしさに、メールのチェックと同時にアマゾンへ行き、他のものを探す。持っていないものが3枚、出たばかりのものも含めてあり、当然注文。CD Universe、CD World も見るが、似たりよったり。
 朝食はパンケーキ。胡瓜。
 昼食はそうめん、バナナ。
 3時過ぎ、家を出る。駅でホームに上がるとちょうどロマンスカーが入ってきたので、乗ってしまう。アカシアで食事。今日はキャベツ・ご飯大盛りに鱈のクリーム・コロッケを頼んでみたが、コロッケが結構しつこい。二つ食べるのはやや重い。
 八木美知依のアルバムがあるかとちょっとヴァージンに寄ると、コンポステラのライヴ集と綾戸智絵の先日聞いた『LIFE』があったので、買う。コンポステラは97年のクレジットで、ジョン・ゾーンのレーベルだ。原宿へ出て、カイまで歩く。結構疲れる。湿度が高く、汗が噴き出る。原宿駅から表参道へ出る角の三角形の木立の中で、列を作って踊りながら歌っている女の子の一団。指揮をとっているのはギターを持った男。歩行者天国時代のパフォーマンス・グループがやめられずに続けているのだろう。これが生活の支えであった若者も多かったのではないか。パフォーマンス自体は俺にとっては魅力はないが、こういうことができる場を潰すのは、つくづくわが国には文化を育てようという心の余裕がないのだと思う。
 実は経済が不調なのも、文化が不調だからではないか、と密かに思ってはいる。衣食足りて礼節を知る、というが、実は文化は経済に先立つもので、文化に元気がなくなると経済活動も鈍くなる。普通は逆だと考えられているが、人間、明日の飯のことだけ考えては生きていけないのだ。人はパンのみにて生くる者に非ず。明日のおまんまのことと同時に、おまんまが例えなくとも生きる意欲が湧いて来るような「楽しみ」が明日に待っていると考えたくなるのだ。むしろ、その楽しみのために、そこまで生きるためにおまんまを食べるのであって、おまんまを食べるためにおまんまを食べるのではない。
 ましてや今のわが国で、本当に飢え死にするのは、なかなか大変なことだ。それに本当の飢えを知っている人はすでに老いてしまっている。今の五十代から下は知らない。とすれば、飢えを満たすことがそれほど重大なこととして心と体に刷込まれてはいない。食べるよりも楽しみが先であることが、先天的にも後天的にも染みついている。
 それを経済が経済がとばかり言っていれば、もう経済はけっこう、といずれなるだろう。政治が死に、経済が死んだ後、残るものは何か。文化だ。実は今もう、経済は死んでいるのかもしれない。文化がなくなれば、経済もまた死ぬのかもしれない。
 青山カイにて平安隆&ボブ・ブロッツマンのライヴ。客の入りが心配だったが、入ってみると満杯。それでも後から後から人が入ってくる。平安さんも感激していたが、客の反応もすばらしかった。女性が結構多い。年齢はやはり20代後半以降だろう。ブロッツマンのせいか欧米人の姿も目についた。
 内容はもうこれ以上ないほどすばらしい。これまで見たライヴの中でもベストの一つ。平安さんが出てきてまずギターで一曲。続いてボブが出てきて二人で一曲。ボブは大体ワイゼンボーンを弾いている。続いて山内雄喜さんが出てきて、以後、山内さんはアンコールの最後の直前まで出ずっぱり。ゲストはもう一人古謝美佐子さん。古謝さんのオリジナル、平安さんのオリジナル。
 平安さんはその時の気分でどんどん曲順を変えるので、ボブがとまどう場面もあった。
 前半の山は、エイサーの実演。在京の沖縄出身者だろうか、正式の衣裳に旗も二本用意し、女性の大太鼓六名、男性の鼓六名、三線三名。踊りの女性四名。狭い会場内に響き渡る太鼓の轟き、掛け声。それはもうちょっと感動などというものではなかった。
 会場の空気が完全に沖縄になった次の曲は、ボブのリゾネイター・ソロ。これがまた恐ろしいほどの熱演。ギターがドラム・シンセとなる。弦楽器は弾くものではない、叩くものなのだ。叩くのは平安さんも同じで、三線をしきりに叩いていた。これがまた鼓のようにいい音がする。
 歌の大半はスローでじっくり聞かせるものだが、ところどころアップ・テンポをはさむ。そのタイミングが絶妙。そして極めつけは「じんじん」。
 アンコールは古謝さんも加わっての「満月の夕」。40年音楽をやってきて、リハーサルで涙が流れたのは今回が初めてとボブがいう。聞いているうちに涙がにじんできた。
 最後の最後は、アルバムでも最後の曲。竹富島の日の入りをモチーフにした二人の即興。余韻深く、二時間半を超えるライヴは幕を収めた。
 始め入ろうとしたら、入り口に鈴木さんがいる。後はずっと一緒。松村洋さん、会田氏の顔を見る。ポール・フィッシャーも来ている。はしけんさんも来ていた。終演後、ボブのCDを買おうとしたらすでに売切れ。
 会場のかたづけを待って、その場で打ち上げ。会費千円。高橋さんがボブを紹介してくれる。しばし休んでから10時近く、鈴木さんと二人辞去。表参道のラーメン屋で腹を収めてから帰宅。いつもは並んでいて入れないらしいが、休日の夜とてがらがら。味はまあまあ。麺が柔らかすぎる。
 帰宅0時。
1999年9月16日木曜日 曇。涼しい。朝のうち、ほんの一瞬陽がさすが、あとはどんどん暗くなる。
 午後はまずメールのチェックをし、その後『緑』。

○STUFF SMITH DIZZY GILLESPIE OSCAR PETERSON; Verve, 1957/1994
 日本のジャズ界では完全に無視されているらしいが、これは傑作。Verve にスミスが残した3枚に未発表曲を加え、CD二枚組で復刻したもの。スミス自身のバンドの1枚め、オスカー・ピータースン・クィンテットとの二枚め、ディジー・ガレスピーと共演した3枚め、どれもこれもなんともすばらしい音楽が詰っている。このスイング感はおそらくフィドルでしか出せないものだ。ピーターソンもガレスピーもスミスに引張られ、刺激を受け、鳥肌の立つような演奏を聞かせているが、いちいち鳥肌を立てていたら風邪を引いてしまう。始めから終わりまで鳥肌を立てていなければならない。
 スミスの演奏はビブラートをかけないことを差引いても「ヴァイオリン」よりは「フィドル」と呼びたい。演奏そのものは恐ろしく洗練されているが、サウンドは土の匂いがたっぷりある。

 朝食はハム・トーストにミニ・トマト。
 昼食、北京餃子を焼き、キャベツの味噌汁、ゆかり、にご飯。
 夕食、エボダイの開き、小松菜煮浸し、あぶらげと若布の味噌汁、昆布の佃煮、ご飯。
 夕食を食べていたら、7時過ぎ、ヴィデオアーツ・Kさんから電話。ロナンのインタヴューの件。あと、いろいろ雑談。出るものはいいのだが、売上が厳しいという。ああいうものをちゃんと伝えるチャンネルがない、ということなのか。
 夜、Hさんから電話。Kさんも言っていた、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルの録画をNHKがBSで放映するが、ビデオが欲しいかという。喜んで頼む。その後、1時間以上雑談。楽器の話。バンジョーが弦楽器の中では一番金をかけられる。派手に飾れる。ギターやフィドルは飾れないから、地味なのだ。ギターも70年代以降、いろいろ選べるようになってきた。昔はマーティンかギブソンしかなかったのが、このごろはナッシュヴィルでもロゥデンを使うことも多い。そういうところで音が変わってきていることもありうるだろう。リチャード・トンプソンも最近はロゥデンだそうだ。
 浅倉さんから訳書。今度は昨夏夫婦が古書の世界に入ってゆくノンフィクション。最近、浅倉さんのお仕事にもこういうのが増えている感じ。
1999年9月17日金曜日 雨。涼し。
 朝食、イチゴジャム・トーストに昨夜の小松菜煮浸しの残り。
 昼食、豆腐入りハンバーグ、胡瓜、ご飯、味噌。
 ヴィデオアーツからブルース・コバーンの新譜のサンプル。
 昨日から舌の右側奥を噛んでしまったようで痛かったのだが、午前中休憩のつもりで背骨を伸ばすアーチに久しぶりに寝てみたら、大分軽くなった。どうも脊椎が縮んでいたらしい。ここのところ、寝る前の前屈をサボっていたためかもしれない。
 『緑』少しく進む。
 夕食、サンマの開き、胡瓜の塩揉み、隠元の胡麻和え、豆腐と葱の味噌汁、ご飯、海苔。
 やまゆりで買っている平飼い有精卵が今週から10個ではなく7個になる。何でも、暑さで突然鶏が卵を生まなくなってしまったのだそうだ。ベテランの養鶏業者だそうだが、初めてのことの由。
 ARENA の1400側が試用期間が切れたという告知を出すようになり、サイトへ行って購入を申しこむ。本当は昨日やるつもりだったのだが、忘れていた。なかなか細かく管理しているらしく、何をやってもだめで、こりゃあ月曜まで処理がされないとなると困るなあ、と思っていたら、夜メールをチェックするとすでにキーが来ていた。
 夜、MusicFolk に大量の注文のメールを出す。

○Stuff Smith THE MAD GENIUS OF THE VIOLIN, Vol.1 1936/1944; EPM, 1997
 もちろんSPからの復刻。茂木があれだけ熱を入れて書いていた"Bugle call rag" は確かに凄まじい。他の曲は、歌が入ったり、相棒のトランペッター、ジョーナ・ジョーンズや、後期ではクラリネットも入って三人になったフロントをフィーチュアしているので、スミスのフィドルばかりというわけではない。それはそれなりにどれも面白く、ヒットしたという "I'se a muggin'" や "Knock, knock, who's there?" とかの、ちょっととぼけた(こういうのがノベルティ・ソングというのだろうか)、遊び歌みたいのは味がある。しかし、この一曲の凄まじさは、まさにスミスのフィドルの全要素が凝縮した感じ。晩年の録音はむしろ、いかにも楽しげで、飄々としてリラックスしてスイングしている。この一曲の、一種鬼気迫る感じはない。
 それにしても本当にこの人は運がなかった。いや、そう言ってはいけないのだろう。もう少し長生きして欲しかった。そう、フランク・ザッパと出会い、あるいはデヴィッド・リンドレーあたりと出会っていたら、その後のポピュラー音楽の少なくともフィドルの関る一角は変わっていた可能性がある。
1999年9月18日土曜日 曇。昨日よりはむしむしするが、それでも涼しい。
 朝食はクロワッサンとロールパンにブルーベリー・ジャムをつけて食べる。レタスのサラダ。
 昼食は釜揚げうどんにゆで卵。子供たちと一緒。
 夕食は鰺の開き、キャベツ若布、茄子の味噌汁、海苔、ご飯。
 断続的にブラウンのゲラ。昼食後、ひどく眠くなり、一時間ほど昼寝。
 夕方、メールのチェックとニフティ巡回。
1999年9月19日日曜日 曇りのち晴れ。
 朝のうち曇っていたが、昼前から晴れてくる。風は涼しい。
 10時起床。
 朝食はチーズ・トースト。
 Kと子供たちは資源回収に出ている。

○Stuff Smith THE 1943 TRIO; Progressive, 1997
 ピアノとベースとフィドルという変則トリオ。ジョーナ・ジョーンズに去られたあと、スミスが一時的に再びシカゴ、ニューヨークで活躍した時期の録音。放送用のものらしく、モノーラルだがSPではない。もっともフィドルの音はクリアだが、ピアノとベースはもこもこしている。オフ・マイクだったのか。後のヴァーヴ盤に通じる、スイングするフィドルの世界で、同じ "Bugle call rag" でも30年代の鬼気迫る演奏はあまり感じられない。それでもところどころすっとんだフレーズや音が出てくる。もっとも肝心なのはこのスイング感、どれも三分以内の曲ながら、おそろしく中身の濃い演奏の方だ。こんなものをライヴで聞いたなら、一体どうなっていただろう。今回はゆったりした曲はなく、どれも濃密で凝縮された音楽。ひょっとするとこういう凝縮された音は、ジャズがその後求めた方向とは逆だったのかもしれず、そのためにこの人が喜劇的なまでに過小評価されているのかもしれない。こういう凝縮はむしろ、ロマやハンガリー、あるいはアイルランドの伝統音楽に顕著だ。その意味で極めて現代的な音楽ではある。生まれる時代をまちがえた、といってしまえばそれまでだが、しかし、30年代、絶頂期の録音に聞かれる、とぼけたヴォーカルの世界は、あれはやはりあの時代のものだろう。ジャズが「芸術」にまだなっていなかった「芸人」の世界。「芸」を突詰めて、どこかへ飛んでいってしまった人なのであろう。われわれがきっちり評価し、耳を傾けねばならない。ジャズ・フィドルの巨人ではなく、ジャズの巨人、否、民衆音楽の巨人として。

 クラダからCD着。
 昼食は吉本家で食べたいとのHの希望で12時半過ぎに出かける。その直前、松山さんから電話。Sin E の件で、前のアルバムについての質問。
 吉本家ではキャベツ・味玉。そこで皆と別れ、タハラを覗いてクラシックなど三枚。松山さんが絶賛していたフジコ・ヘミング、The Kennedy Experience、それにリングリンクスの『小笠原古謡集』。まっすぐバスで帰る。
 Sin E の新作サンプル・テープと前作のCDを聞返し、Tower UK など見るが、やはり三枚しかないようだ。そのままクラダや買ってきたCDの入力をしながら聞き、ついでにリチャード・トンプソンのLAでの六月のライヴのテープを聞く。絶好調、といっていいのではないか。
 松山さんに架電するが、留守。
 夕食はカレー。
 夜、中山さんから電話。23日、5時半にクワトロのビル一階で待合せることにする。例によってまた長話。ディランの新しさは電気を持ったことでなく、グリニッジ・ヴィレッジに現れた当初からロックン・ロールのリズムで古い歌を歌っていたことだ、というピーター・ステンフェルのインタヴュー。ディランもトムプスンも、ライヴを続けていて、しかも年をとるほどに良くなってゆく。クラプトンはかわいそうだ。もう、音楽ができなくなっているのではないか。
 Kが『週刊金曜日』を買って来たので、ぱらぱらやる。面白い記事は多いし、永六輔の「無名人語録」は鋭い。ただ、どうも、読んでいて元気が出てくる感じが少ない。世の中おかしいことだらけだし、隠されていることをきちんと表に出さなければ世の中良くならないとはわかるのだが、隠されているのは必ずしもそれを隠すことで利益を得ている人間が多いだけでなく、直接の利害関係を持たない者、いや隠されていることで害を得る人間にしても、実はそれを見たくないがために隠されていることも往々にしてあるはずだ。だから隠されていることを表に出すことは、なかなか苦いことで、どちらかというと後ろ向きの印象を与える。それを隠すことの方が暗いので、表に出すことが楽しく前向きであるという印象が欲しい。努力していることはわからないでもないが、もっとがらりと変わるくらいの明るい印象が欲しい。そうでないと、人間長続きしないし、大勢の人はついてこなくなる危惧がある。
 Nickey 1.5 リリースの通知があり、ダウンロードしてインストール。使っている。特に問題はない。
1999年9月20日月曜日 曇。朝起きたときは陽が出て暑くなりそうだったが、すぐに曇って涼しい。
 朝食はハム・トーストとレタス。
 朝、1400を立ちあげようとすると、Booster G3 のドライバのアイコンが出たところで、剣が刺さったままになり、止まってしまう。何度強制再起動をしてもだめで、仕方なく一度中を開けてみる。放熱シートの接着剤が熱で溶け、シートがチップから浮きあがっているのが怪しい。最近、内部の熱が簡単に上がり、しかもなかなか下がらない。しかし、熱で立上がらないのなら、朝一番であるのだから、それもおかしい。マニュアルにも、インタウエアのサイトにも、剣が刺さったままになることについては何も書いていない。とりあえず、ナカミチのドライバを外し、スリープができるようにする。
 iMac に Nickey 1.5 をインストール。今のところ、問題らしきものはなし。
 昼食はカレーの残りと鰺の開き、ご飯、リンゴ。昼食を食べていると、また以前歯に詰めたカネがとれる。今度は右下手前。
 午後、浅沼君から電話。『ヨーゼフ・ロート小説集2』が入ったと連絡。しばし雑談。
 インタウエアに架電。症状を説明すると、一度送ってくれ、とのことで、早速ゆうパックで送る。ついでにHさん宛、CDのサンプル盤で余っていたものを三枚ほど送る。
 外したあと、あまりにひっかかっていちいち反応が鈍いので、念のためノートン先生をかけると、アップルメニューの初期設定ファイルが壊れていた。ひょっとするとG3カードがおかしかったのも、このせいかもしれない。
 2時すぎ頃、松山さんから電話。昨日の Sin E の件続き。パソコンのことなど。昨夜は0時ごろ、打上げの席のKさんから電話があり、リアムの地方ツアーは大成功だったと大喜びしていたらしい。どこも満杯だったそうだ。今回リアムは子供と奥さんを連れてきており、22日は、樹理ちゃんも連れていって初お目見えするとのこと。
 昼前、PTA関連の件で学校へ。子供110番の看板製作の件。
 少し残って校外委員会の件で話していると、校長が話があるとのことで、一緒に聞く。いくつかあった中で唖然としたのは来年度から市内小中学校構内での教職員の駐車を原則禁止する措置を市教委が導入しようとしている件。先日市P協で初めて話が出て、市P協の会長もその場で初耳、本部役員の中でも知っていたのはおらず、校長会内で聞いていてたのが二人、という有様。校長がいなくなってから少し話をしたが、裏の目的としてはリストラのためではないか、ということになる。いったい誰のために駐車している、と言うのだろう。公共交通機関がロクにないこんな地方都市で、車がなければまともな移動などできないことは誰が見ても明らかだ。そんな無理なことをしようとするなら裏の目的があるのだろう、と勘繰りたくなる。労働条件を悪くすることで、やめさせようというわけだ。来年度、つまり2000年4月から実施にもかかわらず、その話が初めて出たのが先日9月の市P協理事会の席上という拙速。実行しようとすれば猛反対が起きることはわかっているはずだから、直前まで秘めておいて、一気にどん、というつもりかもしれない。PTAとしては当然反対である。少なくとも本校のPTA役員の間では反対で一致している。
 そのことを話していると、もう一つ突発事件。昨夜、南部給食センターに何者かが侵入したことが今朝判明し、万一のことを考えて、本日分として調理しておいたものをすべて廃棄処分にした。そのため、子供たちの食事としてご飯と牛乳、ふりかけのみということになる。あとでHに訊くと、ふりかけは若布のふりかけだったそうだ。
 Amazon からCD二枚。Bill Bonk と David Poe。Folk Roots。Mark V Ziesingからカタログ。古本部門が増えている。やはり新刊書の売上は減っているのだろう。Chris Drumm からもカタログ。THE LIBRARY OF AMERICA からカタログ。London Review of Books。
 ソーテックの e-one に対し、東京地裁は製造・販売、輸出禁止の仮処分決定を下す。それを伝えるテレビのニュースで、iMac とともに並べて写した画面に笑ってしまった。あれは判決そのものよりも当事者に対する影響は大きいのではないか。なにせ全国放送のニュースであそこまでそっくりなことがわかってしまったのだから。いままではせいぜいがパソコン雑誌の写真程度で、普通の人はわからなかっただろう。おまけに、テレビ局側の作為か、iMac の画面ではロゴが凄い勢いで動きまわっているデモが映っており、e-one の画面には単にそっけない文字列がだらだらと流れているだけだ。まさにかんべむさしの「カメガルー・コート」を地で行っている。
 11時前、恵子さんから電話。また東京に帰ってきて飲んでいるらしい。インターネットでもいい報告が上がっていると伝える。用件は五本指ソックスの子供用がないか、という相談。それはないが、リアム用のはまた一パック、あさって持ってゆくと伝える。
 しかし G3カードを外した1400がこんなに遅いとは。
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