大島教授の[暖蘭亭日記][99年10月1日〜 10月10日] [CONTENTS]

1999年10月1日金曜日 曇。結局雨は降らず。

 朝、Hさんから今晩の確認の電話。午前中、翻訳の仕事を断続的にやりながら、SULT のビデオをダビング。ラティーナ用にリアム・オ・メーンリのライヴ・レポートの原稿を書いて送る。午後も断続的に翻訳。

 2時45分、日産から電話で車検が終わったというので取りに行く。
 帰って着替え、4時前のバスで出かける。ユニカレッジの講演会。ユニカレッジは翻訳学校の一種だが、いわば文化背景としてのアイルランド音楽について話せということと解釈した。新宿、アカシアでキャベツで腹ごしらえ。北沢書店は九段下の方が近いと思ったらやはり神保町だった。おかげでずいぶん歩いてしまう。新宿でもアカシアから京王の地下まで降りるのがめんどかったので三丁目まで歩いた。

 北沢二階のギャラリーに着くと、すでに一人二人客が来ている。ここは以前、松山さんが鶴岡真弓さんと対談・セミナーをやったところだ。ビデオはプロジェクターでかなり立派なものがある。オーディオが天井埋めこみのやつで、まあまあの音。客は大半がユニカレッジの人たちで、あとAさん夫妻、土屋政雄氏が見えていたそうだ。全部で20人弱。東江さんも来られるとのことだったが、結局仕事が忙しく、来られないとの伝言。やはりなんだかんだとしゃべってしまい、結局ビデオを適当にきり上げたのが9時15分。
 残った十人ほどで、近くのロシア料理屋で軽く食事と一杯。ariko さんもつきあわれる。Hさんの旦那さんとSさん、俺以外は全員女性でユニカレッジの関係者。皆さん、まずまず楽しんでいただけたようだ。エンヤとU2以外知らなかったという人がマーティン・ヘィズは買わなくちゃといっていたのが印象に残る。

 終電ぎりぎり間に合い、帰宅一時。タクシーの運転手は土地区画整理事業で新しくできた近道を通る。もちろん料金も安くなる。
1999年10月2日土曜日 晴れ。風あり。気温高し。ただし空気は乾燥。

 いつも通り起床。さすがに眠く、10時過ぎ、30分ほど仮眠。
 朝食ジャム・トースト一枚ではさすがにたりない。さりとてパンをそうぱくぱく食べる気にもならない。
 昼食は子供たちと釜揚げうどんとゆで卵、林檎。マヨネーズの賞味期限が大幅に過ぎていた。
 Good Book GuideよりGreig-Duncan 歌集の第二巻。はて、第一巻は注文していなかったか。記録にもない。

 Amazon.uk より先日注文したダンセイニのぺガーナ全集。アメリカの本なのにAmazon.comにはなかった。なるほどラヴクラフトがダンセイニを好きだったのでこのシリーズで出るわけだ。ダンセイニのぺガーナ神話の最初の二巻がまとまるのは初めてだとヨシの序文にあるが、リン・カーターがアダルト・ファンタジィ・シリーズでやっていなかったか。

 オーマガトキより資料とカセット。夜、資料用CDをクラダに注文のメールを出す。

 終日翻訳に精を出す。
 夕食時頃から、右手に力が入らない感じ。考えてみれば昨日重い荷物を持ってかなり歩いたその後遺症ならん。またまた年齢を感じさせられる。

 かみさんが買ってきた女性誌に、代官山にスウェーデンのORDNIN&REDA の店があると紹介されていた。あそこのマウス・パッドは秀逸だったので、ぜひ行かずばなるまい。
 夕方、今日和室用にKが買ったコルクのカーペットが着いたので、二人の机を出し、掃除して敷く。若干大きく、カッターであまるところを切る。このカーペットの上に、前に買ってあった二人それぞれのフロア・マットを敷く。だいぶきれいにはなる。
1999年10月3日日曜日 曇。

 Kは学園祭で、子供たちを連れて朝から出かける。起きると9時半過ぎ。

 10時過ぎ、岳父から電話。ニュージーランド土産を渡したいとのこと。

○Mick Ryan & Pete Harris HARD SEASON; WildGoose WGS295CD, 1999
 ピート・ハリスは他ではブルース・バンドをやっているそうだが、そういう気配はほとんどかけらもない。わずかにラストの曲のエレクトリック・ギターにその面影がある程度。ミック・ライアンの歌唱には円熟の味がある。これに比べれば、20年前は確かに若さと力にまかせて、突っ走っていた。豪速球一本で勝負し、時にコントロールが定まらなかったり、出会い頭のホームランを打たれたりしていたのが、緩急の差をつけ、絶妙のコントロールで悠々と投げているエースの味だ。"The plains of Waterloo" の無伴奏歌唱を聞いてスティーヴ・ターナーを思出し、思わず MusicFolk にメールを書いてしまう。

 シャワーを浴びて三時半に家を出る。町田メディアバレーにて iBook 予約。予約金1,050円。ハンズで測量用のフィールド・ノートの方眼紙のもの、シグノの紫系のブラックを買う。JRの駅の側にルミネが新たにオープンし、ハンズの入っているビルは完全にとりのこされた感じ。一階の成城石井もそちらに移転、文具でハンズに入っていた中島もそこに入ったそうな。ためにハンズは二階と五階から上だけとなる。三階にはスポーツ用品、四階はカジュアル・ファッション。ハンズの売場は面積が小さくなってもあまり商品数を減らしていないため、棚と棚の間のスペースが狭くなっている。
 新宿へ出て桂花でターロー麺。紀伊国屋でぴあマップを見て、ピットインの場所の確認。ぴあマップの置いてある近郊の旅行ガイドのコーナーではアベックが何組もグルメ・ガイド本を立読みしている。それからぶらぶらと歩いていくが、始めわからずに、旧日新パワステの方へ行ってしまう。店に架電して確認。ようやく見つける。が、オープンまで間が合ったので、近くのコタニと世界堂を覗く。コタニの店頭ではインド音楽がかかっていたのでどうしたのかと思ったら、インド映画のサントラのキャンペーンだった。ここは妙に中途半端な店。レコード店というよりは古いタイプの楽譜や楽器も売っている形だが、タハラのようにレコードとそれ以外をはっきり分けていない。古いレイアウトのまま。レコードは完全に付録で、むしろ楽譜や楽器がメインなのだろう。
 世界堂は入ったのは久しぶりで、前回がいつだったかもう覚えてもいない。一階の文具売場を見たら、極細のボールペンがあったので一本買う。定価500円が420円だった。

 7時ちょっと前にピットインにもどり、電話予約しておいたチケットを買って待つ。30分ぐらい遅れで開場。整理番号順に入る。ここは初めて。入ってすぐカウンターで飲物をもらう。ジン・ライム。前から三列め、真ん中の通路脇の席をとる。椅子の前に小さなテーブルを置いてあるためにスペースの割に収容人数が少ない。ぎっしり立ち見にしても100人入るかどうか。
 30分ほどしてメンバーが客席左手の控え室から出てくる。フランク・ロンドンはトランペット、モラ・シラがヴォーカルとパーカッション。主に使っていたのは木の箱に何やらレバーを四、五本とりつけてアンプに繋いだもの。このレバーをはじき、箱の脇を叩くとアフリカン・ドラムのような音が出る。他にも様々な打楽器と一曲ではムビラを使っていた。梅津和時はアルト、ソプラノのサックスとクラとバス・クラ。ドラムス、植村昌弘。この人は初めて見聞したが、終始にこにこしながら凄まじい太鼓を叩く。大したドラマーだ。チューバ関島岳郎。さすがにモノノケの時とはまったく違って、ジャズ屋の本領発揮。キーボード、近藤達郎。この人も初めてで、ピアノ、シンセ、アコーディオン。ピアノが一番好きなようだが、一曲アコーディオンでもなかなかのソロを披露。
 2セットで一セットは9時10分終了。2セットは10時50分。さすがに即席のユニットでアンコール用の曲は用意しておらず、最後は全員が出てきて、モラ・シラが慣れぬ英語で挨拶しておしまい。

 入口で売っていたロンドンのCD二枚とベツニ・ナンモ・クレズマーのCDを買う。

 曲はメンバー各自の作品を演奏した。始めにモラ・シラの曲、続いて近藤作品。次はおそらくロンドンの曲で、二つの曲から成り、一曲めはあるサックス奏者、二曲めはフェラ・クティに捧げられていた。次は植村作品。梅津作品で一部終了。梅津作品が東欧風のメロディを持った曲で、クレズマー的。ロンドンも一番ノっていたようだ。
 休憩後の二部の一曲めは関島作品で、新大久保ジェントルメンに入っていた「靴屋のマルティン」。栗コーダー・カルテットでもやっていたか。次は明治・東京のストリート・ミュージック「ジンジロゲ」をもとにした曲。最後が再びモラ・シラの曲で、「うぉうぉうぉ」というリフレインを客席に歌わせ、手拍子まで入る。
 全体にジャズはいわば全体の枠組みだけ。というか、これが今のジャズなのかもしれず、それはそれですばらしいことだ。一番「ジャズ」らしかったのは「ジンジロゲ」の展開部で、これは梅津和時カルテットの様相を呈した。全体にクレツマー色は薄く、むしろモラ・シラを中心としたリズムというよりはうねりに載って各自が即興を披露する形。モラ・シラはさすがに異種格闘技に慣れていて、ジャズ的なグルーヴに平気で自分の「歌」を載せてゆく。これが「フュージョン」的にならないのがさすが。フュージョンのようなクールな感覚はほとんどなく、熱いグルーヴがうねってゆくのだ。面白いのは一つの曲の中でも明確な境界がないままにどんどん音楽が変わってゆく。リズムも微妙に変わっていって、うねりが一定しない。そこが実に快感。
 ロンドンはリーダーとしてここぞというところで最低限の指示を出していた。トランペットの他にはシナゴーグの中で使える唯一の楽器である角笛、各種パーカッションも駆使。後半は客としてきていたサム・ベネットが飛入り、最後の曲では植村氏と交替してドラム・キットを叩いた。

 モラ・シラは泰然自若としてバンドの重心を形成し、ロンドンや梅津がその場の思付きでいろいろと遊ぶ。やはり音楽はこういう遊びが一番いい。

 客は満員かと思いきや、全部で30人もいたろうか。これほどのすばらしい音楽を聞けるのがこれだけというのはもったいないというべきか。ありがたい贅沢というべきか。
 テーブルの上にDATやMDレコーダを出し、マイクを立てて録音していた人が三人ほどいたが、この店ではフリーなのだろうか。ミュージシャンの了解はどうなっているのだろう。それともジャズの世界では当たり前のことなのか。
 隣でDATを回していた青年は、拍手もせず、身じろぎもせずに腕を組んでいた。皆と同じような反応をせねばならない理由はないが、録音機材を前にしてそういう態度をされると、ひどく傲慢に映る。それに何より、本当に音楽を楽しみに来ていたのだろうか。

 終演後はそのまま駅まで歩いて帰宅。本厚木着は0時少し前で、帰宅0時過ぎ。Kはまだ起きて本を読んでいて、少しおしゃべりしてから就寝一時前。
1999年10月4日月曜日 晴れ。

○Ring Links 小笠原古謡集; ミディ・クリエイティヴ, 1999
 なるほど肩の力が抜けてゆく音楽。島の音楽だ。それも端っこではなく、真ん中の島。ただ、あまりにも短い。もう少しミュージシャンの側のこだわりが欲しい。

 正午過ぎ、昼食を食べているとJさんから電話。今週会う約束、木曜日から移させてくれとのことで、後でもう一回電話。結局水曜日の7時に向うに行くことになる。
 2時頃、浅沼君から電話。頼んでいた本が入ったとのこと。また音楽談義。
 リンククラブ・ニュース、邦楽ジャーナル、Irish Music。リンククラブのお薦めはイタリア・デザインの電気スタンド三種。どれもいいが、ここは我慢。
 NewNOTEPAD II が新版らしいので、サイトへ行くと1.8.2が出ていたのでダウンロード。
1999年10月5日火曜日 曇。涼し。寒いくらい。

 夕方、M、急に右脇腹が痛いと言いだす。ズボンをはかせると後は平気だったので、おそらくは冷えたのだろう。
 朝食は葡萄パンふたきれとチーズ・トースト。トマト。

 家事をかたづけ、歯を磨いてからPTAの副会長に教えられたS歯科へ行く。10時前でちょうど待っている患者はなし。しばし待つほどに呼ばれ、一応の問診、確認。レントゲン撮影。椅子は三セットあり、治療する時は寝椅子になり、待っている時は背中を起こす。うがいする時も起きるので結構頻繁に寝たり起きたり。診察室の左半分は一枚の窓になっていて、前の計画道路がよく見える。午後は日差しがよく入るだろう。夏は暑いのではないか。窓框にはキティちゃんとか猫のぬいぐるみなどが、植木鉢に混じってほとんど隙間なく置いてある。歯科助手の女性たちの趣味か。窓がない方の壁にはいろいろ絵がかけてあり、ライト・クラシックがおそらくは有線であろう、かかっている。

 医者本人は四十代ぐらいか。処置を一応ていねいに説明してくれる。が、肝心のところはちょっと抜けたりする。腕はひょっとするとあまり良くないかもしれない。が、よりていねいに患者の苦痛の少ないやり方でやろうとしているのかもしれない。虫歯を削るのは昔と変わらないが、昔は麻酔しても痛む場合はかまわず削ってしまっていたような気がする。子供の頃はそうだった。今日は少しでも痛い顔をすると、すぐにやめ、2度麻酔を追加で打った。それでも痛いというと今日はここまでにしましょうということで、薬を入れ、その上に詰め物をする。この詰め物はかなりしっかりしたもののようだ。
 麻酔が効くのを待つ間、下の前歯の一番歯石がひどいところをぐいぐい削ってとってくれる。これは若い女性の歯科助手。それ以外に看護婦というか助手というか、そういう女性が二人。それに受付の女性。
 まずは下の歯が一応ちゃんと噛めるようになったのは嬉しい。それに下の前歯もすっきりした感じ。久しぶりで、口を長時間開けているのがはじめは結構苦痛だったが、後で慣れてくる。それでも割合くたびれた。3,000円強。

 一度家にもどり、CDのプラ・ケース、振込用紙を持って郵便局。プラケースはフラッシュ・ディスク・ランチの案内にあったところへ送る。振込は Vine Linux 1.1 CR + Wnn6 のヴァージョン・アップと音友への送金。
 麻酔がなかなか切れず、昼食は一時。やまゆりで先日Kが注文をまちがえたハンバーグ(冷凍)を焼き、昨夜の残りの肉じゃがとキャベツ若布。このハンバーグはなかなかおいしい。ご飯。午後は翻訳に精を出す。

 MusicFolk からCD六枚、The Living TraditionからCD四枚。うち2枚ダブリ。Mark V Ziesingから本11冊。ソニー・マガ人から本。N嬢からCD。夜、8時過ぎ、MSIからテープ。『春秋』10月号。
 夕食はKがクラブ監督で遅かったので釜揚げうどんに林檎と梨。梨は臍が三つある変形。もっとも中身は特に変わったものではなかった。
 夕食時、ポール・マッキャンから来週ジム・マッキャン・ライヴの確認の電話。
1999年10月6日水曜日 晴れ。

○David Hughes THIS OTHER EDEN; Folk Corporation, 1999
 ギタリストとばかり思っていたが、この人の本性はむしろソングライター/ミュージック・メイカーなのかもしれない。少なくともこれはその才能が開花した傑作。エディ・リーダーやジャッキ・マクシーをも縦横に使い、ユニークな世界を作っている。例えばニック・ドレイクが思春期の危機を乗越え、成熟していたらあるいはこうなっていただろうか、と思わせる。なにより力を籠めたり、張上げたりするところの皆無な掠れ声は通底するところがある。これから想うと、前作はいわばギタリスト/シンガーからこうした行き方に変身する過渡期の作品で、まだ中途半端なところだったのかもしれない。聴直してみる必要はある。

 朝食、葡萄パン、ハム・トースト、トマト。
 昼食は鰹の叩き、トマト(朝の残り)、ご飯。Kがもらってきた海草サラダを試してみたが、うまくない。生臭いというのではないが、妙な匂いのようなものがある。
 昼食を食べていたらラティーナ・Mさんから原稿の催促。今日中にというので、食べおわってから聴直し、書いて、送る。
 MusicFolk からCD残りの2枚。英Gramophone 社から出ている季刊誌 Songlines が着く。ばらばら見る。なかなか面白い。ただ、付録のCDがべったりと糊で本体に貼りつけてあるのはいただけない。

 原稿を送るついでにメールをチェックしたりしていると、時間がたってしまい、3時半過ぎてそろそろ出ようとしているところへIから電話。新連載企画の英文タイトルを考えてくれという話。
 昨夜、新型 iMac が発表となり、メール・ニュースやサイトはそれで大騒ぎ。確かにスペシャル・エディションは魅力だ。何より静かというのがいい。7db も小さいとなるとほとんど音は出ないのではないか。HDの回転音もほとんど聞えないかもしれない。PowerBook並みだ。であれば、音が良くなったのも意味がある。

 切ると4時過ぎであわてて着替えて出かける。
 渋谷から代官山へ出て、ORDINING & REDA の店に行ってみる。基本的に紙製品の会社らしい。迷った末、ボールペンとメモ帳、それにマウス・パッドを2枚、おみやげに買う。店員の女性は若いがよく気のつく子で、対応が気持ちよい。プレゼントにしますかと訊くのであまりおおげさにならないようにと頼むと、見事に適切にやってくれた。11月に来年の手帳が入るとレジにあるので、見てみよう。
 ソニー・マガジンズにJさんを訪ねる。翻訳のS氏に紹介してくれるが、なんと彼は昔の勤め先の編集部でアルバイトに来ていて、顔に見覚えがあった。三人で近くのイタ飯屋でワインを飲む。料理もなかなかおいしい店だ。夫婦でやっているらしい。

 Jさんはあいかわらず元気。要するに、今までと違うことをやりたくなった、ということらしい。ワンダーランドの南端さんの話が出て、彼も今年48歳にして新しいことをはじめたそうな。今は小学館の顧問で、事務所を一つもらい、本の流通と情報のこれからについて考える仕事をしているらしい。共感するところ、大いにあり。Jさんに言われて、フリーになって来年で十年になることに気がつく。十周年などと浮かれる気はないが、一度まとめてみるのもいいかもしれない。会社に帰るというSさんと別れ、Jさんと二人で代官山のポレポレに行く。ぎりぎりまでいてタクシーで代々木上原に出るが、相武台行きとなり、帰宅1時半。久しぶりにかなり酔う。
1999年10月7日木曜日 曇。

 朝はさすがに酒が残った。昨夜も途中目が覚めたが、いつもほど長くはなかったのはやはり疲れていたのか。もっとも最近は胸やけをすることが多い。
 朝食はジュースに炒り卵にトマトだけ。

 朝一番でメールのチェック。WXGの新版がまたもや出ていたのでダウンロード、インストール。アップルのサイト等で新型 iMac のチェック。iMac でスペシャル・エディションのコマーシャルをダウンロードして見る。確かにかっこいい。しかし音が小さいというのは本当に魅力だ。国内でも価格と発売日が発表になる。一番高いので178,000円は安い。急に欲しくなる。新型 iMac が気になって、あまり仕事が手につかない。
 のざきさんからCD3枚とフェルサイドのカタログ。カタログはミュージシャン名、タイトル、番号、収録曲を並べただけのそっけないもの。これでは本当にわかるやつしかわからないだろう。

 ノートン・ユーティリティとアンティヴァイラスの新版が着く。早速インストールするが、iMac は全然CD-ROMを認識しない。試しにMacOSのCD-ROMを入れてみたが、だめ。仕方がないのでネットワーク越しに Norton DiskDoctor をかけ、AntiVirus をインストール。
 PowerBookの方も Utilities のCD-ROMで起動し、DiskDoctor をかけようとするとフリーズする。内臓HDから起動してCD-ROMを入れ、かけると大丈夫。なぜなのか。
 タムボリンからCD四枚。London Review of Books。二十周年記念で分厚い。

 昼食は豚肉と白菜の蒸したもの。ご飯。
 午後、Hが2時前に帰ってきたので、散髪に連れてゆく。その後でこちらも散髪してもらう。すっきり。二人で5,600円。
 夕食は焼きそば。
 Mが5時に帰ってきてから三人でビデオ屋に行く。Hはその後借りてきたビデオを見ている。ところがHは夕方、頭が痛いといいだす。夕食は一度食卓につくが、やっぱりだめといって寝てしまう。あるいはビデオの見過ぎかもしれない。
 夕方、昨日Iに頼まれたタイトルの英訳を考える。MSI・Sさんから頼まれたデ・ダナンの曲名邦題は、送ってきたコピーが全然見えないのでメールでその旨送る。入れ違いに明日までにくれというメールが入っている。Hさんから先日の講演会の評判につき、励ましのお便り。のざきさんに Fellside の注文のメール。
 Sさんから預った原稿を読みはじめる。処女作らしいぎこちなさはあるが、まずまずのストーリーテリング。ちょっとキャラクターが多すぎるきらいはある。風呂敷も大きい。
1999年10月8日金曜日 曇。

 朝食は昨日Kが焼いたパン、胡桃パン、葡萄パン。トマト。左下の虫歯の詰め物、だんだんとれてきて、ときどき固いものを噛むとちょっと痛い。子供たちを送出し、家事は最小限にしてすぐに昨夜の続きの原稿を読む。昼前までかかって預ってきた分は読了。

 Sさんからデ・ダナンの件でファックス。
 昼食はハンバーグの残り一枚を焼き、キャベツたっぷり味噌汁とごはん。このハンバーグは本当にうまい。
 昼食後、デ・ダナンの各トラックの邦題をつけ、ソニー・マガジンズのための報告を書き、メールで送る。

 1時過ぎ、Aさんから電話。明日午後、護国寺のお茶の水女子大の講堂で、友人のクラリネット吹きが出るストラビンスキィの『兵士の物語』のライヴがあるが、語りが筒井康隆でチケットが一枚あるので行かないかというお誘い。ありがたいが辞退。だめもとで頼んでみたら筒井さんも乗り気で、このまま巡業に出ようという本人が言い出しているそうな。
 その後雑談一時間半ほど。オーディオは簡単にしようという話。通信で音楽が変わるだろうという話。Macの話。ちょっと止まらなくなり、向こうが新聞屋が来たのでやめる。

 3時過ぎ、Iから電話。昨日送った新企画の英語版タイトル、気に入ってくれた由。
 なんだかんだでうだうだしているうちに5時前、お二人ご帰還。今日はKは宴会で遅くなるので、夕食は釜揚げうどん、ゆで卵、林檎。
 夜、松山さんから電話。明日そちらに行ってもいいかとのこととて、もちろん承諾。夜、メールで前に書いたクランのライナーとかその時に集めたデータなど送る。
 新型 iMac はやはり iBook 喰いだとか、G4 よりこっちの方がいいではないかとか、いう声が出ている。当然だ。
 寝る前に翻訳。
1999年10月9日土曜日 曇。涼しい。

 昨夜はKが帰ってきたので寝入りばなを起こされ、今朝は明け方Hが咳込むので起こされる。よって朝は眠くてしかたがない。Kが帰ってきたのは2時だった由。

 朝食はくるみパンとハム・トースト。
 昼食はエボダイの開き、豆腐の味噌汁、胡瓜の塩揉み、ご飯、昆布の佃煮。
 2時前、松山さん来訪。三時間ほどかかって、ウィンドウズ・パソコンの基本的使い方を伝授。一応パソコンで文章を書き、それをメーラーにコピーして送るのと、ネット・サーフィンのやり方、ウェブ・サイトからテキスト情報を保存するやり方を教える。5時半頃帰る。

○Martin Hayes & Dennis Cahill LIVE IN SEATTLE; Green Linnet, 1999
 トラックは五つで一つ30分近いのがある。中身は申分なし。

 夜、松山さんから電話。昼間ウチ用に設定していた回線接続を鎌倉用にもどしていなかったので、インターネットに繋がらなくなったとのこと。アキアを起動して設定場所を探す。ようやくコンパネの「モデム」の中に「ダイアルのプロパティ」を見つける。本当にウィンドウズはどこに何があるのかわからん。それでもなかなか繋がらず、三度ほど電話。全ての設定をやりなおし、OKボタンで保存してようやく繋がったとの連絡。
 それから一時間ほどかけて、松山さん宛にパソコンにつき長いメールを書く。就寝一時半。
1999年10月10日日曜日 晴れ。昨日あたりから気温は低い。

 昨日は毛利台幼稚園の運動会で朝から花火だったが、今日もどこかで運動会があるらしく花火があがっている。自治会の運動会かも知れない。
 10時起床。朝食のあと、まずは翻訳。

 PowerBookのクリック・ボタンの調子がおかしく、午後はMacで遊ぶ。外付HDに新しいノートンやアンティウィルスをかけたり、SpeedDisk をかけたりする。外付のHFS+のフォーマットの方にデータや内臓のバックアップを移す。これで拡張フォーマットではない方はいつでもまっさらにできることになる。ただ、Britanica がもったいないのと、柴犬の関係で今少しそのままにしておこう。外付から起動して1400の内臓HDも SpeedDisk をかける。ついでにPRAMを消去し、デスクトップファイルも再構築する。すると何となく調子がいいようだ。
 iMac のCD-ROMドライヴは念のため機能拡張マネージャーでMacOS8.6すべてと基本にしてやってみたが、全然だめ。やはり「9」を待つことにしよう。
 新型iMac熱は時間がたって、少し冷めてきた。

 朝食はブルーベリー・ジャム・トースト。昼食はKが浅蜊に砂を吐かせるのを忘れたため、急遽やまゆりの素麺。Mはこれのせいか、入浴後蕁麻疹が出ていた。夕食は浅蜊の炊込みご飯、榎とあぶらげの味噌汁、小松菜煮浸し、肉じゃが。

 昼食の用意をしていたらのざきさんから電話。スターダスト・レヴューが来月下旬発売の新譜で「ダニー・ボーイ」を「オーセンティック」にア・カペラで歌いたいと言っているのだが、お手本になるような録音がないかという話。昨夜、のざきさん自身インターネットで「ダニー・ボーイ」については調べたらしく、そんなものがないことはよくわかっていた。話しているうちにデイヴィ・スピラーンが最新作でとりあげていて、そこで歌っているのシネィド・オコナーということを思出す。そういうものの方が面白いのではないかといっておく。のざきさんとしてはデ・ダナンでドロレスが歌っている "Anthem for Ireland" の雰囲気も気に入っているらしい。それにしても来月発売のアルバムの録音を今ごろまだやっていて、しかもアレンジすら決まっていないというのもなんだかなあ、という気がする。ツアーで忙しいということなのかもしれないが。
 午後、CELTIC WOMAN 2 のテープを一通り聞き、歌詞がゲール語のものがあることに気がつき、N嬢に架電。その後、昨日松山さんから借りたバルカンのルーツ・ジャズのCD二枚を聴く。

○Various Artists CELTIC WOMAN 2; 1999
 前回と違ってひとり一曲で全17曲。前回以上にヴァラエティに富む。もっとも前回はどちらかというとインディーズ・レーベルのプロモーションの色彩が濃かったが、今回はアルタンやカパーケリー、モイア・ブレナンなど、アンソロジーとしての体裁を整えることに力点があるようだ。それにしてもフィオナ・ジョイスは群を抜いて下手だ。ライヴではまた違うのだろうか。曲の出来もアレンジも時代錯誤的で、どうしてこれが人気があるのかわからない。これならばディアドリ・カニンガムや、それにメアリ・コクランを入れてもらいたい。こういうことはライナーでは書けない。その他は、初耳の人も含め、それなりの水準で、ショウ・ケースとしては上質の部類。松山さんが言っていたフォア・レコードが粗製濫造しているというオムニバスは問題外だが、それでなくてもアイリッシュ系は変なオムニバスが多いから、こういうちゃんとしたものが売れて欲しい。

○Bojan Zulfikarpasic KORENI; Label Blue, 1999
 ベオグラード出身で今はフランスで活躍するジャズ・ピアニストが作ったコレニというバンドのデビュー・アルバム。クツィ・ユグネルが入っているのにちょっとびっくりしたが、しっかりジャズで遊んでいるのはさすが。ヴラクト・ステファノヴィツキの関係で借りたのだが、かれはもとより、他のメンバーもいずれも一騎当千で、こういうエスニック・ジャズというかルーツ・ジャズというか、俄然気になってきた。トラディショナルはもちろん、タンブーリ・チェミル・ベイの曲などとりあげてみたり、モダン・ジャズや現代音楽も視野に入れて、面白いアルバムになっている。ボヤン・ズルフィカルパシチというこのピアニストも含め、追いかけてみよう。

○Vlakto Stefanovski + Miroslav Tadic KRUSHEVO; M.A Recordings, 1998
 例のM.Aレコーディングスの一枚で、こちらはクラシック系のギタリストとヴラクトのコラボレーション。全編生ギターのみ。ちょっとバート&ジョンの雰囲気もある。ガット・ギターのタディチが基盤を織り、その上でステファノフスキが縦横に弾きまくる。曲はバルカンのトラディショナルやそれをベースにしたもの。だが、全体的には静謐で透明な、陽気さよりは哀しみの深い音楽。聞込むほどに味わいを増す、スルメ盤だろう。
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