1999年 12月 01日 (水) 晴れ、ただし薄雲がかかっている。昼前から曇り。気温上がらず寒し。
朝食はジャム・トースト、白菜と人参のスープ。
昨日届いたWXGの製品版をインストール。ことえりに切替え、機能拡張マネージャで「MacOS8.6すべて」で立上げなおし、ファイル共有を切る。インストーラでまずアンインストールしてから、あらためてインストール。再起動して環境設定からやり直す。そのままの状態で使用可能なことを確認してたら、いつもの環境て再起動。今試しているところ。この「超日記」での確定アンドゥはうまくいかない。
民主党厚生部会長 山本たかし氏がメール・マガジンを始めたので購読してみる。公明党副幹事長・外務委員会理事 赤松正雄氏のものと比べると、本人の声が出ているのがいい。こういうのを期待しているのだ。公明党の党としての公式見解など、別に個人のメール・マガジンのなかで読みたいとは思わない。そういう政党の中で、一議員としてどういうことを考え、活動しているのかが知りたいのだ。それとも公明党は、メール・マガジンを出すのは赤松氏に限り、そこでは党の公式見解を宣伝する、ということに方針を決めているのだろうか。あるいは、個人としての議員活動は制限しているだろうか。
昼食は豆腐入りハンバーグを焼き、朝の残りのスープ、ご飯、海苔。大根卸しがあるとハンバーグがおいしい。
昼食後『ロード・オヴ・ザ・ダンス』のライナーを書上げ、メールにて送付。
溜まっていたCDプラケースを大塚産業宛送付。プランクトンにメアリとカルロスのチケット代金振込。
○Buz Collins WATER AND RAIN; Fellside, 1999
ブズーキをメイン伴奏にしたシンガー・ソング・ライター。ジェス・ロウの後継者、と言いたいところだが、案外年の頃は同じくらいかもしれない。伝統音楽志向ではあるが、音楽的遺伝子の中にはジャズやミュージック・ホールの血もかなり濃いようだ。声は太く、のびやかで、ジェスにくらべると安定感は強い。数曲でコーラスを合わせ、一曲リード・ヴォーカルをとる奥さんらしい女性もなかなかのシンガー。 |
1999年 12月 02日 (木) 雨。寒し。
朝食は、旗魚の付け焼き、大根の味噌汁、小松菜の煮浸し、ご飯。
○Julie Miller INVISIBLE GIRL; Sweet Level, 1994
4枚め。ゴスペル&ブルース色の濃い一枚。かと思うと、ハイランド・パイプ(サンプリング?)で始まり、ホィッスルが出てくる曲もある。それにしてもこの人の歌唱は、何とも不思議。崩れそうでいて崩れない。こうして聞いてみると、初めの二枚は一種の助走期間で、三枚目からは完成されたアーティストの作品で、それぞれに特色を出している。そして最新作の完成度の高さが光る。
PTAの役員会。役員会そのものはそう問題はなかったが、広報から出てきたPTA会報の見本をめぐっていろいろと意見が出て、広報委員長との打合せが長引き、終ったのは1時。
昼食は、目玉焼き、海苔、朝の残りの味噌汁と小松菜、ご飯、昆布の佃煮。
午後、『ユリイカ』のSさんから電話。原稿の依頼。
思付いてジュリィ・ミラーのメーリング・リストを探す。今年の9月に立上がったばかりのものが、ONEList にあった。もちろんバディと一緒。
4時15分、家を出る。ロマンスカーがあったので新宿へ出て、桂花でターロー麺。住友銀行裏の店は、2階もあわせて20席ぐらいだが、客が切れることがない。これに比べれば確かに渋谷の店の末期は閑古鳥が鳴いていた。電車の中で『ユリイカ』の特集について少し考え、町田から眠る。
渋谷ON AIR EAST にてヒートウェイヴのライヴ。入ったのは6時20分ぐらいだったか、中間の柵の前がゆるく埋まるくらいの客しかおらず、大丈夫かと心配になったが、7時すぎに開演する頃には、会場全体がほぼ埋まった。出足の遅いこと。知り合いはくま加藤さんが奥さんと一緒に来ていたのと、志田さんだけ。後半になってからプランクトンのお二人が来る。
この箱としては珍しく音が良く、耳がおかしくならない。特にドラムスの音が押さえられていた。それにしても伴氏のドラムスは精進の痕が歴然としている。蔵王の廃校になった小学校の建物に寝泊まりして録音しているそうだが、きっと音楽三昧で集中的に練習もできるのだろう。ヒートウェイヴのアンサンブルの質は飛躍的に上がっている。ベースの山川氏も良くうたっていて、いつもは山口さんが他の二人を引張り、巻込んでいく感じなのが、今日はむしろ他の二人にあおられているようなところもあった。全体としてはチューニングの時間がいつもより静かで、みんなしんとして終るのを待っている。ハイライトは前半、ブズーキを持ったとき。三曲ほどやったが、とにかくすばらしく、ドーナルに見せたいくらい。見事なロックン・ロール・ブズーキ。ここでの演奏はとにかくすばらしく、山川氏がベース・ソロをとったときには、なぜか涙が出てきた。アンコール2回で2時間半。しかし、今日はそんなに長く感じなかった。
終ってからいつもの打上げの席に移動し、軽く飲む。11時過ぎたので辞去しようとして山口さんに挨拶しようとしたら、そっちへ行くといってテーブルへやってきて、しばし歓談。『ラティーナ』のリアム・オ・メーンリのライヴ・リポートのお礼を言われる。惜しかったが明日のある身、神泉の駅へ走って終電に間に合う。帰宅1時。 |
1999年 12月 03日 (金) 晴れ。
朝の目覚めはまずまずだが、やはり頭がぼうっとしていて、豚汁に胡椒をかけてしまったりする。
朝食は秋刀魚の開き、豚汁、キャベツ若布、ご飯、昆布の佃煮。豚汁は昨夜の残り。
○The Klezmatics POSESSIONS; Piranha, 1999
4作目。三枚めはユダヤのカントールとの共作で、正直、今ひとつ面白くなかった。真面目過ぎたのだ。今回はその影響が、前二作ほどの奔放さは影を潜め、真正面からクレツマーに取組んでいる。プランクトンのKさんが見たライヴは、伝統的な要素と現代のジャズ的要素が乖離していて面白くなかったそうだが、これを聞くかぎり、新たな語彙や方法論を獲得していると思う。表面的な奔放さよりも音楽の内部に降りて、そこからあらためて祭を起こそうという姿勢か。最後にユダヤのホームパーティのような合唱が入っていて、これはすばらしい。うたいおわって参加していた子どもが嬉しそうに笑う声がいい。テクニックを追求するよりも、音楽の楽の側面を極めようとしているのかもしれない。
朝一番でメールのチェック。昨日電話があったという横井さんからは、卒論指導している学生さんの相談に乗ってくれという依頼。くまさんと同じように、日本におけるアイルランド音楽の受入れられ方について知りたいということだ。やはり、そういう風に関心が動くのだろうか。なんだか、これからも同じような相談が増えそうな気がする。そのくまさんからさっそく昨日のライヴの感想が入っている。まめな人だ。
ビクター・Tさんからアナムのライナーと歌詞対訳の依頼。
白夜・K氏からは、ワトスンの翻訳、できれば年内、遅くとも1月末までにとのこと。一度ワトスンに全体の原稿をもらえないか、問合せてみよう。
iBook の仮想メモリを切ってみる。WXGの入力取零しはなくなる。やはり、デスクトップとノートではHDそのものは同じでも、つなぎ方が違うのかもしれない。iMac では全く発生していない。iBook の場合、取零しそのものはなくなるのだが、ものによってキーを押してから画面にひらがなが現われるのに一瞬の遅れがある。仮想メモリを切るとシステムだけで50メガを越えた。
昼食はご飯を炊いて若布ご飯にし、目玉焼き、朝の残りの小松菜、肉じゃが、昆布の佃煮。
1時半頃、ビクター・Tさんから電話。マイレート&トゥリーナのアルバムの邦題を考えてくれ。読売新聞がとりあげるそうだ。あわててTさんからもらっていた資料を探し、タイトル・フレーズが歌詞に出てこないことを確認。BETWEEN THE TWO LIGHTS の「二つの光」は英語とゲール語、マイレートとトゥリーナをさすのではないか。アナムの歌詞を送ってもらう。
夕食は親子丼、白菜の味噌汁、菠薐草の胡麻和え。
夜は眠いのを我慢しながら翻訳。 |
1999年 12月 04日 (土) 晴れときどき曇り。
朝食はチーズ・クロワッサン、ジャム・トースト、カリフラワー(茹で)。
PTA運営委員会。先月からの間隔が短いこともあり、大きな議題はなし。最後に校長が、学校構内の職員の駐車全面禁止の件で、経過と現状を報告。各委員会の代表は初めて聞く話だが、まず基本的に反対であることは全員異議のないところ。まず出たのは、なんで今ごろそんなことを教育委員会が言出したのか、という疑問なのは当然。
昼食は釜揚げ饂飩、菠薐草の胡麻和え、カリフラワー。
午後はメールのチェックと返事書きと翻訳。ディスクは渋さ知らズのアムステルダム・ライヴの二枚め。ますます凄い。後で、渋さ知らズのオフィシャル・ウェブ・サイトに行く。
5時過ぎに家を出て駅前に向かうが、駅へ向かうバス通りは大渋滞で、1時間かかる。土曜の夕方はいつもこうだ。PTA本部の忘年会。もちろんすでに始まっていた。最近の店はどこもそうだが、日本酒を各種取りそろえていて、飲んでいるうちにまたペースを忘れる。気持ち良く酔っぱらいはしたが、少々飲みすぎ。カラオケの二次会に行く。昔はこういう場はなんとしても行かなかったが、平気で行けるようになったのは年のせいだろう。もっとも一曲もうたわないが。なぜか今夜のカラオケ屋は市内の学校関係者で溢れていたようだ。10時過ぎ帰る。すぐに就寝。
お隣りの小学校の学区改編の話は地元に古くから住む人間が自治会の改編に直結するとして頑固に反対しているらしい。計画道路が途中で切れているのも、そういう頑固爺さんのせいだそうだが、道路と子どもを一緒にされて黙っているわけにもいかないだろう。お隣りのPTAがとうとう動きだしたそうだ。 |
1999年 12月 05日 (日) 曇。
8時前に起床。酒は少し残る。
○Oysterband ACOUSTIC AND ALIVE; Running Man, 1998
通販オンリー(だが、買ったのは MusicFolk から)のライヴ盤第二弾。やはりあちこちからのライヴを集めたもののようだ。今回はのりのりの曲は少なく、ジョン・ジョーンズの歌をじっくり聞かせる内容。アイリッシュ・リールのメドレーも一曲あり、アラン・プロッサーもフィドルを持ってダブル・フィドルを聞かせているけれど、どうしてもノリが違ってしまう。イングランド人はどうしてもあのノリが出せないようだ。歌はいい。最後はア・カペラ・コーラス。
白夜・Kさんから、ワトスンの創刊への祝辞の翻訳依頼。ワトスンの例の長編原稿はちゃんとしたコピーがないらしい。
昼食はご飯を炊き、キャベツ味噌汁を作り、ハムと海苔で食べる。林檎。 |
1999年 12月 06日 (月) 曇。
朝食はハム・トーストと茹でブロッコリ。
○渋さ知らズ ON STAGE AT AMSTERDAM; 1999
昨年6月3日、アムステルダムのビムハウスでのライヴ。ほぼ丸ごと納めたCD三枚組、計3時間弱。まさに祝祭。後になるにしたがい、テンションも高まり、ノリも良くなり、もう訳がわからなくなる。したがって後半に好演多く、特にC2のブルース・ナンバーと「本田工務店のテーマ」は絶叫もの。故意か、自然にそうなったか、一切MCがない。メンバー紹介が唯一だが、これも全くの日本語で担当と名前を言っていくだけ。いっそ潔い。タイトルを言ってもまあ、意味はなかろう。アイリッシュのチューン・タイトルと一緒で、曲の区別をつけるためだけの符号に過ぎない。まさに日本以外の何ものでもないメロディーをかくも普遍的な音楽に昇華してしまう、恐るべき想像力とそれを支える技量。そして、どんな環境いかなる状況でも、音楽そのもの、演奏そのものを楽しめる強靭な、何だろう、精神力?感情?あるいはすべてをひっくるめた意味での「体力」? 喇叭類はもちろんだが、ヴァイオリンがすばらしい。シュガー・ケーン・ハリスと並べてもいい。誰かが傑出しているのではなく、全員が高いレベルでそろっている。ボシィ・バンドが五つぐらい合体して、フリー・ジャズ・ベースの勝手な音楽をやっている。音質は無論良くないが、当然まったく気にならない。むしろ生々しくて良いくらいだ。とにかく、生を見なければ話にならない。
The Living TraditionからCD5枚。Amazon.com から本とCD。邦楽ジャーナル12月号、Irish Music12月/1月合併特大号。春秋12月号。SFマガジン編集部から、今年の日本語SF作品ベストの投票依頼。な〜んも読んどらん。プランクトンからチケットと招待状が一緒につく。
夕食は子どもたちとKはおでんの残り。こちらは秋刀魚の塩焼き。南瓜の煮付け。ご飯。大根卸し。蜜柑。子どもたちも秋刀魚を半切れずつ食べる。秋刀魚は仁のリクエスト。Kは昼にフレンチのフル・コースを食べたのでお腹が一杯といってほとんど食べない。
新聞に、日本人は冒険家の遺伝子が少ないという研究結果がアメリカで発表されたという記事。その遺伝子がどういう形で冒険好きを生むのかは記事からでは不明。冒険家遺伝子(I型というのだそうだ)と保守家遺伝子とそのミックスの割合が、アメリカ人ではほぼ三分の一ずつだが、日本人だと冒険家遺伝子を持つのは1・8パーセント、ミックス三割、残り七割が保守。だからどうした、と言うようなもんだが、アメリカと日本と比べても意味はなかろう。ヨーロッパ各国と比べなければ。あるいはアジア各国と。アメリカは国の成立ちとしては特殊なのだから。あるいはラテン・アメリカ諸国と比べてどうか。カナダとは。オーストラリアとは。進取の気性があるかどうか、あるいは本当に冒険家遺伝子が冒険家を生む作用をするとして冒険家が冒険家になるかどうかは、遺伝だけでは決まるまい。人種とは生物学的側面だけでなく、文化的側面も強い。
もう一つ、外国人参政権について、賛成議員(公明党)反対議員(自民党)の意見が載っていた。賛成意見は地方自治への参加は納税者として当然という視点があまり見当たらないのは少々弱い。問題は反対意見で、賛成しているのは朝鮮半島への加害者意識からきた感情論だ、といきなり断ずる。こういう主張が出てくるということは、本人がそういう意識を持っていることを示す。「冷徹な国際関係」とか「外国に忠誠意識を持っている人間は危険」といった主張である。つまりこの人は、韓国・朝鮮は国として危険であり、日本に対して敵対意識を持っているとみているわけだ。外国人恐怖症と言うよりは、韓国・朝鮮恐怖症なのだろう。その恐怖症の裏に過去の加害者意識がある。例えば永住外国人として欧米系の白人が多数いて、その人びとが同じ主張をした場合、この議員は同様の主張で反対するだろうか。もっとも明治維新以降第二次大戦敗戦までの日本人が、中国、朝鮮半島に対して持っていたのはおそらくは劣等感であり、恐怖感であり、それを克服しようとしてことさらに強硬な態度に出た側面もあるのかもしれない。それが戦後も尾を引いている。南京大虐殺はなかったとする主張も、あったと認めるとそれに対して相手の報復が恐い、という側面もあるのではないか。反対議員の主張の一部に、そんなに選挙権が欲しいなら帰化すればいい、と言うのがある。これは要するに自分の生まれ育った文化を捨てろ、と言っているに等しい。つまりは生まれ育った土地で追放された人間になれ、と言っているわけだ。なんとまあ、自己中心的、と言うよりは利己的な見解か。こういう人間が持っているのを本当の「利己的遺伝子」というのではないか。 |
1999年 12月 07日 (火) 晴れ。
昨夜も夜中、寒かったせいかトイレに行きたくなって目が覚める。
朝食はチーズ・バタール、胡桃パン、トマト・占地・玉葱のオープン・オムレツ。
○Inna and the Farlanders THE DREAM OF ENDLESS NIGHTS; Shanachie, 1999
ロシアの音楽学校の卒業生が組んだバンド。なるほど、テクも想像力もたっぷりある。ロシアのトラディショナルがどういうものか今ひとつはっきりしないが、音楽として面白いものであることは確か。少なくともコサック合唱団のようなものではないし、バラライカのような「作られた」伝統とも違うようだ。基本言語はジャズで、その意味では旧東欧地域のような独自の語法はないが、しがらみがない強みを活かしている。ロシアとて音楽がないはずはなく、ヴェルシュキ・ダ・コレシュキのようなものも産出せるわけだから、こういうバンドが出てきても不思議はない。
歯医者。右下の治療継続。先週入れた薬は二週間ないしそれ以上入れておく方が効果が高いのでそのままにしておくとのことだったが、詰め物が減っていたので、改めて入れなおし、減らない詰め物をする。その前にレントゲン。3本の神経に入っている薬が見える。
電話をかけようとした瞬間、サブの電球スタンドのワイヤを止めていた部品が割れ、ワイヤがはずれて上半分が落ちる。電球カバーとその上の網が落ち、カバーの方はCDの山の一つの上で、焦げていた部分が粉々になって大穴があく。ワイヤ止めは下の部分で、プラスティックの部品が割れてしまっているので、修理は不可能。
のざきさんからルナサの資料。
○Chris While & Julie Matthews PIECEWORK; Fat Fledg'ling, 1997
フェアポート一派をバックにした、見事なオリジナル・ソング集。歌うたいとしても歌つくりとしても、イングランド最高の人たちに数えられる。こういうしっとりとして切れ味鋭い音楽は、イングランド独自のものかもしれない。サイモンの息子のケンが、リチャード・トンプソンそっくりのエレキを弾いている。
昼食は帆立の貝柱を解凍し、刺身にして、キャベツの味噌汁、ご飯、林檎。
昼食後、昨夜録画したNHKの「クローズアップ現代 流血の歴史は終るか」を見る。ノーザン・アイルランドの自治政府成立を受けての番組。自治政府成立までの経緯、IRAの武装解除に関するカトリック側の言い分、宗派の違いを超えて平和を希求する市民、という三部構成。三つめのものはオマーで犠牲になった人びとの遺族たちが、宗派を超えて平和を訴えている姿を映す。バランスをとろうとする意図はあるが、プロテスタント側の暴力、軍と警察を先頭に立てた英国政府の永年の差別・抑圧については相変わらずほとんど触れていない。ごく普通の市民がなぜIRAに加わってテロを行ってきたか、という視点がない。同じ映像を二度使っているのもリサーチ不足を示す。もう半歩踏込めば見えてくるはずであるのに。
夕方、5時半に出かける。松平さんの追悼会の打合せ。駅までは30分。やはり土曜日の方が混む。そのまま下北沢に出て、かものはしの地図を頼りにラ・カーニャを探すが、一度行過ぎてしまう。すでにかものはしとMさんが来ていた。白石さんが間もなく来て、のざきさんは30分遅れ。10時過ぎまで、あれこれ打合せ。マスターにも挨拶する。小山哲人氏が後から来る。MC用のマイクのためのコンソールがあるかという話になり、小山氏が持っているのを貸してくれると申出てくださる。ありがたいことだ。12日、メアリのライヴの日にここで初めてのレコード・コンサートがあるそうだ。松平さんの会がうまくいったら、一度ここでレコード・コンサートをやってみるのも面白いかもしれない。
Mさんは帰り、残りで「ストーリーズ」に行き、マスターに挨拶。終電までおしゃべり。今日はジョン・レノンの命日が近いというので、それ関係が多かった。ピンク・フロイドみたいのがかかり、小山氏に訊くとやはりそうで、『原子心母』の頃のブートらしい。こういうのがかかるといかにも「ロック喫茶」然とする。終電には間に合い、帰宅1時。すぐ就寝。 |
1999年 12月 08日 (水) 晴れ。
朝食はチーズ・バタールと胡桃パン。ブロッコリ。炒り卵。
Kは昨日は出張。一種の研修で、英語と日本語は一対一では対応しないことを念頭に教えなければならない、といった話だった由。そんなことをわざわざ言わねばならないほど、英語の教師は英語がわかっていないのか、と呆れる。
朝一番はブラウンのイェイツの伝記を読む。まだイントロで、父親の話。この父親は相当アホだったようだが、このくらいのアホだからこそあの詩人と画家が生まれたのかもしれない。イェイツの姉妹たちの生涯も気になってくる。ブラウンの文章は客観的で冷静な叙述の中に一種の熱気があるところが気に入っている。正確に書こうとするためか、妙な単語を使うことがままあるのが玉に傷。英語の勉強も兼ねると思えばいいか。
Kは風邪を引いたと昼に帰ってきて、昼食を作る。昼食は豚肉と搾菜の炒め物にご飯。
MOJO11月号。カヴァーはジミ・ヘンドリックス。Time Machine でサンディ・デニーのフェアポート脱退の記事。The Living TraditionからCD。トニィ・ローズの新譜。
今年、エミー賞のドキュメンタリー部門で最優秀賞を受賞した毎日放送ディレクターの次の題材はノーザン・アイルランドだそうだ。期待しよう。
『緑』のマヤによるフランクの回想の部分をやっていて、ふと、実写の映像にするのならフランクはシュワちゃんではないかと思う。
夕食は豚肉小松菜、ご飯。
プランクトンからルナサ来日公演のレジュメがファックスで入る。とうとう正式決定だ。 |
1999年 12月 09日 (木) 晴れ。暖。
朝食、梭子魚の開き、大根の葉の味噌汁、キャベツ若布、ご飯、昆布の佃煮。
家事の後、メールの作成と送受信。NuEdit の新版があり、GrisNote という初めて聞くエディタがヴァージョンアップしていたので思わずダウンロード。午前中はこれで潰れる。
○Tone Hulbaekmo KONKYLIE; Grappa, 1995
この人のアルバムを聞くのは久しぶりだが、驚く。まるで、カリ・ブレムネスではないか。ノルウェイでは珍しくアラブへの志向も含んだバックに乗せて、堂々たる歌唱だ。伝統音楽云々よりも、現代の音楽、同時代の音楽、世界音楽等々の、視野が大きく広く、しかも深い。言葉がわからないのではっきりしないが、曲はみな相棒のギタリストによるもので、詞はどうやらトネさんのものらしい。
終日、断続的に翻訳。昼食は昨晩の豚肉小松菜の残りでご飯。
Mがスイミングから帰ってきて、後ろで髪の毛を束ね、前も半分ピンで止めると、やけに大人ぶった顔になった。The Living Traditionから本一冊。The Gaugers のCDのコンパニオン本。Maple Folk CD List のためのカナダのCDのお気に入りリストを作るため、Lennie Gallant のアルバムを聴直す。実によろしい。俄然、この人のその後が気になってきた。セカンドのCDにはアール・ルージュがコーラスで参加していた。
夕食は豚肉の生姜焼きに、茸と醤油を煮たソースをかけ、大根卸し、大葉、浅葱をまぶしたもの。ご飯。朝の残りの味噌汁。Kと子どもたちは、ソースは同じで豆腐入りハンバーグ。Hはだめだが、Mは大根卸しを嬉々として食べる。 |
1999年 12月 10日 (金) 晴れ。
朝食、早良西京漬け、カリフラワー、大根と榎の味噌汁、ご飯、海苔。
○Alan Bell IN MY HOMELAND; Dragon Records, 1999
久しぶりのアルバム。特に技量がすぐれているわけでもなく、コーラスはばらばら。それでいて、とにかく題材と歌への誠実さで聞かせてしまう。はじめはちょっとがっかりしていたが、聞いていくうちに引込まれる。ナイーヴなところもあるが、それがまた潔い。最後から二曲め、ア・カペラで聞かせる曲はすばらしい。もっとこういう演奏が聞きたい。
昼食、ハンバーグ、大根卸し、朝の残りの味噌汁とカリフラワー、ご飯、ゆかり。
○Tom Lewis SURFACING; Self Propelled Music, 1987<BR>
カナダの潜水艦乗りのオリジナル・シャンティ集。Cyril Tawney の曲を除き、すべて自作。ほとんどはア・カペラで、悠々と聞かせる。かなりの歌い手。シャンティは本来帆船の労働歌であるわけだが、ここではすでにそこから離れ、海に生きる人間の歌になっている。潜水艦シャンティのシリル・トーニィの歌は見事だし、それに続けて、そのシリルをたたえる歌はちょっと感動もの。
Interzone12月号。通巻150号。New Worlds の記録まであと50号、4年強。
○Kathy Stewart CELESTIAL SHOES; Fellside, 1999
アメリカ・スタイルのイングランドのシンガー・ソング・ライター。バックのギター、ドブロ、スティールは見事。歌もいいのだが、ジャケットにも現われているように、この人いささか「ナル」である。歌そのものは結構佳曲が多いが、歌い方が「ナル」なのだ。アメリカのシンガー・ソング・ライターへの入れこみから、発音や言葉の省略の仕方まで真似しているようなところがあり、それがいささか鼻につく。もっと素直にうたえば、すばらしいアルバムになっただろうに。フェルサイドとしては異色。 |