大島教授の[暖蘭亭日記][1999年 12月 11日 (土)〜 12月20日] [CONTENTS]

1999年 12月 11日 (土)  晴れ。

 朝一番に宅急便で起こされる。朝食はハム・トースト、プチ・トマト。プチトマトはMが洗う。昼食、釜揚げ饂飩に茹で卵。

 fRoots一月二月合併号。99年のベスト・アルバム。一位、トゥマニ・ジャバテ&タジ・マハルはまずうなずけるとして、二位にケイト・ラスビィが入っているのは腹が立つ。リイシュー一位がピーター・ベラミなのは当然。『ラティーナ』一月号、New York Review of SF、Book World。
 Mの誕生日祝いのため、昼食後出かけて実家。東名、がらがら。トラックが少ない。景気はまだまだである。上向いているといっているのは政府内の希望的観測に過ぎない。何かというと景気は上向いていると言いたがる。夕方までずっと持っていったキム・スタンリィ・ロビンソンの THE MARTIANS を読む。火星で最初のカーヴを投げさせる話には爆笑。

 夕食は寿司をとり、ツナとポテトのサラダ、プチトマトなど。親父は何か委託の仕事とかで夕方、出かけてゆく。ので、食事は5人。久米仙をロックで二杯。11時半頃就寝。が、足元がすうすうして眠れず。結局起上がって毛布をたくしこみ、掛けぶとんを押込んでようやく眠れる。一戸建は寒い。
1999年 12月 12日 (日) 晴れ。

 9時起床。
 朝食は鰺の開き、小松菜の味噌汁、昨夜の残りのサラダ、海苔。

 1時過ぎ帰宅。すぐメールをチェック。のざきさんから返事が入っている。忙しいはずなのに。2時半にKに送ってもらって駅前に出る。吉本家で遅い昼食。キャベツ味玉ラーメン。渋谷経由で恵比寿。ガーデンホールにてメアリ・ブラックの二年半ぶりのライヴ。まだ開場していなかったので、周りをぶらぶらするが、三越とオフィスビルのガーデン・タワーがあるのみで、特に見るところもない。なので中へ入ってしまう。ちょうど茂木が来たところで、一緒に席をとる。ここは初めてだが、結構広いホール。半分ほど雛壇を作って固定席を並べ、その前のフロアにも椅子を並べている。結局フロアぎりぎりにまで椅子が並べられ、しかも満席。立ち見もわずかながらいた。すぐ後ろが五郎さん夫妻。山口洋さんの姿も見る。

 ライヴは実はあまり期待しておらず、ケリィ・ジョー・フェルプスとどっちへ行こうかと最後まで迷ったが、まずは来てよかった。メアリは絶好調で、声にも張りがあり、表現力がまた一段と深まった。彼女の来日の中でもベストのパフォーマンスの一つ。バンドもタイトで、クラがいない五人編成だが、ギターが隠していた本領を発揮してしたのと、交替したベースのジェイムズ・ブレナハセットがやはり見事。アップライトもエレキもかなりのものだ。途中休憩が入り、アンコール二回。スタンディング・オーヴェーション。メアリはよく肥えていた。前半途中で二曲ほど座って歌ったのはそのせいではないと思うが。五郎さんも言っていたが、新作からの曲はステージ用のアレンジがよく練られている。古い曲もアレンジを変え、テンポまで変えて新鮮。日本まで来るとうたいたくなるといって "Song for Ireland" を歌う。ダギー・マクリーンの "Broken wings" が印象に残る。それとアンコールの "Thorn upon a rose"。終っても8時前だったが今週はいろいろあるので帰ることにして、茂木とS夫妻とともに駅に出る。茂木は『レコード・コレクターズ』の記事を書くために『モンティ・パイソン』のビデオを見なければならないとまっすぐ帰っていった。S夫妻と新宿で降り、ちょっと何か腹に入れてから帰ろうということになるが、結局11時まで飲む。帰宅0時半。
1999年 12月 13日 (月)  晴れ。

 朝食はハム・トースト。
 昼食、鮪の角煮を解凍し、キャベツ味噌汁、ご飯、林檎。

○London/Sklamberg/Caine NIGUNIM; Tzadik TZ7129, 1998
 ユダヤのヴォーカルの声の出し方は不思議だ。ひところのイングリッシュ・トラディショナルのように、鼻にかけているように聞えるが、その実、声はよく延びる。湿り気を帯びているのだが、じめじめはしておらず、むしろ肌ざわりはドライだ。はじめはクールな感触なのだが、聞いていると熱くなる。くり返しが重なるにつれ、熱くなるかと思いきや、ある一点から先には行きそうで行かない。ヴォーカルとラッパとピアノの組合せがメインなのだが、サウンドも厚すぎず、薄すぎず、広がりがあり、奥行きも深い。恐るべき音楽。

 午後までかかって THE MARTIANS をほぼ読了。事実上の最後の物語、"A Marian romance" は『青』よりもまたかなり先の話で、再び氷河期になった火星で未来への確信を語る。ある意味でこのシリーズ全体のテーマ、単独のテーマがあるとすれば、それはここに集約されているだろう。
 3時前、ポリドール・S氏から電話。『ロード・オヴ・ザ・ダンス』のトループを三つとライナーに書いておいたのだが、今日プロモーターと話した際、四つと聞いたが問題はないかとの問合せ。あとでもう一度オフィシャル・ウェブ・サイトを見てみるが、どうも FEET OF THE FLAME を数えているらしい。その旨、メールで送る。
 夕食は手製の春巻、菠薐草のおひたし。金子製麺の春巻の皮を使って作ったもので、久しぶり。やはり美味。
1999年 12月 14日 (火) 曇。

 Hは起きたときは喉が痛いといっていたが、食べたり飲んだりしているうちに元気になってきた。花梨蜜を飲ませる。熱はなし。
 朝食はハム・トースト、キャベツのバター炒め。
 朝食の最中にヤマト運輸から電話。宅急便の住所の確認。オーマガトキからのものだった。『ケルティック・ウーマン』のサンプル盤。

○Figgy Duff WEATHER OUT THE STORM; Amber Music, 1997
 パメラ・モーガンの歌唱はもう少し大らかに歌ってもらいたいと思うところもあるが、バックの質の高さに支えられて、それほど陰々滅々にはならない。ただ、どことなく「暗い」雰囲気に頼っているところも見える。曲は悪くはないが、とりたてて良くもなし。むしろラストの伝承曲が目立つ。

 歯医者。ようやく右上の治療にかかる。麻酔を打って削り、何やら薬を入れてセメントで固める。これで食事の度にいちいち詰ったものを穿くり返さなくてもよくなった。
 昼食は麻酔の切れるのを待って一時。昨夜の残りの春巻を暖め、キャベツの味噌汁を作り、ご飯、海苔。
 Hは3時頃帰ってくるが、もう元気になり、友人の家に遊びに行く。
 仕事部屋が寒く、眠くなるので、iMac で作業。お宝鑑定団によると、17インチ・モニタを備えた iMac DV SE が来年早々のサンフランシスコのMacエクスポで発表になるらしい。俄然そちらが欲しくなる。市場に出るのは春だろう。
 夕食はロール・キャベツ、ご飯、ゆかり。
1999年 12月 15日 (水) 晴れ。

 朝食はパンケーキ、昨夜の残りのスープにキャベツを足して煮直したもの。
 午前中、PTAの役員会。
 昼食は、Kが出勤前に作っていった豚肉と舞茸の中華風炒め物とご飯。

 夜は手製の餃子と焼きそば。焼きそばは賞味期限が迫っていたため。デザートにMの誕生日祝いのケーキ。フジスーパーの近くに新しくできた菓子店のもの。パンプキン・プリンを食べたが、まずまず。
 夕方、ニフティの音楽とパソコン巡回。キーボードの部屋で nory さんの書込みを見て、夜、試してみる。スペース・バーを左親指に指定すると、確かに取りこぼしが減るようだ。その旨、報告を書込む。
1999年 12月 16日 (木)

 朝食、エボダイの開き、小松菜の味噌汁、南瓜の煮付け、ご飯、ゆかり。

○Tony Rose BARE BONES; Boneshaker Reocrds, 1999
 17年のブランクを完全にとりもどすすばらしいアルバム。この間、録音こそ出していなかったが、歌いつづけていたのだろう。まさに定番中の定番曲ばかりだが、どの歌も永年うたいこまれて、見事に練上げられている。無伴奏、コンサティーナ、ギターそれぞれの伴奏だけ、と、演奏そのものも虚飾は廃し、ぎりぎりまで鍛えあげられたものだ。うたい継がれてきた歌がまた一つ鮮やかな年輪を加えるとともに、そこには歌い手の個性がくっきりと刻印されている。歌と歌い手の幸福な出会い。いや、本当にこれ以上、何を望もうか。歌い手トニィ・ローズの成熟、「ひとつの」完成を喜ぶ。ラストのディラン・ナンバーも全くの「伝統曲」に昇華している。

 続いてロイ・ハリスのライヴを聞いていたら、最後四曲、音が飛んで聴けず。見ると傷がついている。プリントも少々乱れているらしい。

 朝一番は昨夜の続きでマイレート&トゥリーナのアルバムを聞きながらドーナルへの質問を考える。  昼食、昨夜の残りの餃子を焼き、今朝の残りの味噌汁と南瓜、ご飯。
 今年の買物という Linkclub News の特集でこの「自分史日記」を知り、ダウンロードしてみる。ついでにこれのもとになった「何でもdesk」もダウンロードする。ファイルメーカーを使ったもので、「超日記」よりも使い勝手はいいかもしれない。とりあえず一週間ほど、試用してみる。こちらはランタイム版の他にファイルメーカーのファイル版があり、これの方がどうも速いようだ。それにレイアウトが変えられるのもありがたい。

 4時に送ってもらい、出かける。時間が早すぎたので、本屋を覗いてアイルランド友の会のメーリング・リストで話題になっていた村上春樹のスコットランド・アイルランド紀行を探す。奥さんの撮った写真はよくあるもので、良くもなく悪くもなく。買う気になれず、アジアン・カフェの近くのラーメン屋で腹ごしらえしようともどりかけると、東急本店横のオープン・カフェにドーナルとひで坊がいる。結局そこにすわりこんで雑談。6時過ぎ、ドーナルと会場までもどる。「こくだれ」と看板が出ているラーメン屋で腹ごしらえ。支那蕎麦系列の麺だった。会場で当日券を買って入る。
 ライヴはもう言うことなし。ドーナルが加わった「ケルト系」の曲は最高であった。やはり音は良くなく、今日はキーボードがあまり聞こえない。右の耳が痛くなる。やはりそろそろこういうライヴは限界かもしれない。会場はぎゅう詰めで、夏の時よりもずっと客は多かった。リスペクト・Tさんの話では新譜の売行きも絶好調で、めでたいかぎり。東急本店の向こう側の中華屋での打上げに参加。終電ぎりぎりまで粘る。ドーナルには別れ際、意志が強いな、と皮肉をいわれる。帰宅一時。
1999年 12月 17日 (金) 晴れ。

 白夜・K氏から『エーアイ・ジャパン』見本誌。大森氏がワトスンを訳していた。執筆者紹介を見ると、年上は一人しかいない。こういう時、自分の年齢を感じる。
 タムボリンから荷物。CD四枚と本一冊。
 クラダからクリスマス・カード。
 ポリドール・Sさんからファックスと電話。『ロード・オヴ・ザ・ダンス』サントラのCDライナーの再校。一行抜けてるわ、段落頭は全部一時下げになっていないわ。結局これで責了となる。が、ちと不安。その他の誤字脱字はない様子。
 朝食、苺ジャム・トースト。昨夜の残りの野菜。ブロッコリや人参を茹でたものに、鰯のソースをかけたもの。しつこい。
 昼食はご飯を炊いてハンバーグ。キャベツ一杯味噌汁、プチトマト。
 夕食、稲庭饂飩。茹で卵、林檎、蜜柑。

○Pete Castle MEARCSTAPA; Steel Carpet, 1999
 語尾をちょっと投出すような歌い方はアメリカのシンガーを連想させるのだが、味わいはどこまでもイングランド。今回はフィドラーに人をえて、トランシルヴァニアの音楽との合体に成功している。イングランドとしてはこの相手との異種交配は珍しい。これも嬉しいアルバム。

○Roy Clinging CHESHIRE BORN; 101 Records, 1999
 チェシャー生まれらしいシンガー/蛇腹奏者が、地元に関る伝統曲やオリジナルを歌ったアルバム。一九世紀半ばにこの地方の歌や民話を集めた好事家がいて、その人の本を中心にしている。オリジナルや、曲を自分で付けたものにはやや練成不足のところもある。このアルバムのために作ったのかもしれない。おそらくは70年代から歌いつづけている人と思われ、歌い方もイングランドのストイックなもの。やや単調になるところを二曲のチューンが救っている。

 ラオックスの開店に合わせて出かけ、iMac DV Special Edition を購入。ちょうど在庫がある。外箱を見ると昨日の入荷。メモリは128メガのものしかなかったのでそれをあわせて買う。かえってまずメモリの取付。ところがきちんと入っていなかったらしく、立上げると途中で凍ってしまった。それもいきなり画面が消えてしまう。後でわかったのだが、セットアップ・アシスタントの一部で、映画が出てきてそれに合わせてやっていくと、ネット経由でユーザ登録ができる、というものだった。何回か再起動するが、起動画面でバスエラーとかいって爆弾が出るので、仕方なくコンセントを引きぬく。昼食を食べてからあらためてメモリを入れなおす。CD-ROMで再起動。今度はちゃんと立ちあがり、メモリも認識されているのでHDを初期化してレストア。立上がることを確認してからパーティションを切り、再度レストア。後は夜までかかって旧 iMac ファイルをコピー、環境を整える。今回は初期設定もコピーしたので、登録コード入力を求められることは少ない。

 柴犬を入れようとしたら、「8」のディスクで iMac を調べますといったところでフリーズ。また立上がらなくなる。付属のディスクで立上げて、HDのドライバを更新し、改めて「8」のディスクから、OpenDoc と柴犬を個々のインストーラでインストール。とりあえず既存のファイルを読めるようにしておく。
 立上がってデスクトップが出てから、HDアイコンが出るまでやたらめったら時間がかかった(十分ちかく)ので、TCP/IPを見たら DHOCサーバを見に行くようになっていた。PPP に切替えると通常のスピードにもどる。
 Nickey + WXG の入力は快適。Kaleidoscope を入れてもさすがに速い。ただ、音が思うように小さくならない。起動音やシステムのサウンドがやたらでかい。それ以外の動作音はまことに静かなもので、これはほんとうに気持ちがいい。
1999年 12月 18日 (土) 

 朝食はブルーベリィ・ジャム・トーストとキャベツのバター炒め。
 朝一番で iMac を立上げようとするとまた起動画面で爆弾が出る。機能拡張マネージャを出し、SetupAssistant 関係の機能拡張をはずそうとすると爆弾。再起動してはずすと立上がる。Kensington のドライバをインストール。

○Chris Foster TRACES; Green Man Productions, 1999
 声もギターも20年前と少しも変わらず、あの時すでにスタイルは完成されていた。歌い方の粘りが一層美味しくなった気がする。期待通り、ということはつまり傑作。これもまた手焼きである。ブックレットの印刷の質は高い。

 11時に家を出て新宿に出、アカシアで食事。ロールキャベツにKRB。渋谷東武ホテルには1時半ちょっと過ぎにつく。ロビーにドーナルと中川さんが立っていた。ヒデ坊を待っていたらしく、中川さんと二人は店頭ライヴに出かけ、こちらはドーナルと二人、近所のファースト・フードの地下でインタヴュー。反響が大きく、若者たちで結構混みあっていたが、音はきちんと入っていた。面白い話がいろいろ聞ける。2時半にピックアップに誰かが来るというのでホテルにもどるとのざきさんがロビーで待っていた。そのまま一緒に車でラフォーレ原宿へ行く。入口左の従業引用扉から入り、エレヴェータであがるとドアの先は楽屋。Kさんがカルロス・ヌニェスと打合せ中。そのまま会場でぶらぶらして開演を待つ。時間があったのでドーナルにプレゼントするCDを探そうと地下のレコード屋におりるが、ここはごく狭い店で全然何もない。仕方がないので渋谷のタワーまで歩いて往復。これがどうも効いたらしく、ひどくくたびれた。

 ライヴそのものはまことにすばらしく、やはり自分のバンドで来るのは気合いが違う。一番後ろ、記録用ビデオが乗っているテーブルに腰をかけて見る。山口洋さんが奥さんと一緒に来ていた。もっともメンバーの表情も硬く、ようやくアンコールぐらいになって調子が乗ってきたという感じだった。観客のノリはスバらしく、前半最後のアップテンポの曲で最前列の女の子が立上がると、後は後半もほとんど全員総立ち。それを見てメンバーの表情もほぐれる。かなりきっちり作りこんだステージで、プログラムも決まっている。

 いったん終り、観客を出す。観客はいつものプランクトンの客層とは若干違い、このラフォーレが初めての人も結構いたようだ。ライヴを見ているうちに元気になってきた。食事をする暇もなく、パーティの開場となり、そのまま見る。客席内での飲食OKとなり、客席にもテーブルが出る。飲物の他に、スペイン料理やカナッペが販売されていた。いずれもスタッフの手作りで、結構美味しい。今回は来日側メンバーが少ないためか、スライドでガリシアの紹介などが入る。遊佐未森はドーナルや鼓童のメンバー、カルロスをバックに多分「砂山」と思われる曲をうたい、これはすばらしかった。自分のライヴをすませた平安さんも駆けつけ、ソウル・フラワーのメンバーと「満月の夕」をうたい、ルナがカンテを一曲、パンチョが自作を披露。鈴木亜紀という女性が、ア・カペラでフラメンコ調の自作曲に乗せて、「好色五人女・八百屋お七の段」をうたう。これが今夜のハイライト。仕上げはほぼ全員がステージにあがり、平安さんの音頭で「豊年デビル」。観客の中に数人、沖縄出身の人がいたらしく、もうたまらないという感じで踊りだした。見事だったのはカチャーシーの中にカルロスがちゃんとアイルランドのダンス・チューンを乗せてしまったこと。鼓童のメンバー二人の生みだすグルーヴもすばらしく、最高の仕上げだった。終演11時半。元気にはなったもののくたくただったので、客と一緒に引上げる。相武台行きに何とか間に合う。帰宅1時。
1999年 12月 19日 (日) 曇。

 10時半起床。メールのチェックだけ。3時に出かける。ラフォーレに着くと、ちょうど開場した直後ぐらい。今日は茂木、ビクター・Tさん、星川さん等々に会う。ライヴ自体は昨日以上ののりのりで、ようやくエンジン全開。ステージ上のメンバーの表情もほぐれていた。今日は昨日の客よりもおとなしく、最後にカルロスにあおられてようやく立上がる。曲、構成は全く同じ。ライティングも含め、かなり綿密に作りこんだステージ。昨日よりも前で見たせいか、音は若干大きめの感じだった。
 聞くところでは、メンバーの荷物がトランジットで乗りおくれ、一行が着いた時には着の身着のまま。次の便でも女性陣の着替えのみで、楽器が着いたのはようやくサウンドチェックの直前だったそうだ。道理でかなりかりかりしていた様子。そう特殊な楽器はないから、万一の場合にはいろいろ借りる手筈はしていたらしい。ガイタだけはカルロスが手荷物で肌身離さず運んでいるから、それは心配ない。

 ライヴそのものはあそこまでアイリッシュの比率を高くしなくてもいいのではないかとも思う。ガリシアの音楽を聴きたいのだから。特にクライマックスは、レパートリィだけ見れば、ほとんどアイルランドのバンドのようだった。カルロスの言葉を借りれば、新作をステージで再現しようとしているわけだから、それはそれで筋は通っているのだが。
 終ってから、ロビーで恒例のサイン会があり、結構な列ができていた。星川さんたちとしゃべりながら、待つ。五十嵐さんを星川さんに紹介する。星川さんをドーナルに紹介。
 ミュージシャンと楽器を宿に運ぶ手伝いをし、星川さんと一緒に移動。近くの居酒屋で打上げ。かなりの人数になる。

 中川さんから、「ザ・ドーナル・ラニィ・ブック」を書け、とはっぱをかけられる。自分たちのファンに対して、ドーナルを説明するのが難しい、それを一望の下にできるような本が必要だ、と力説される。ドーナルへの恩返しとしてもそれは確かにやってみたい。三人に山口夫人も通訳で加わって、ドーナルにそのことを言う。満更でもない表情。
 おれのアイルランド本にアイヌについて、あるいはわが国の現状についての言及がひとつもない、と中川さんに批判される。批判はその通りだ。あえて言えば、アイヌの音楽に感じるものとの出会いがないことが直接の原因だ。が、確かに逃げている部分もあり、その点は何も言えない。ただ、網野さんの本への批判にしても、文化に関する発言が常に直接、アイヌや沖縄や被差別部落などの現状、あるいはそこに代表されるわが国の現状に関っているべきものであるとも思えない。この点はもう一度考えねばならない。

 ミュージシャンたちは明日、仙台に移動する予定で、三々五々帰ってゆく。最後は日本側の女性陣と、中川、山口、松山等が残る。松山さんは朝まで喫茶店で寝るといって消える。他はそれぞれに散ったので、一人ラーメン屋を探して食べる。前に一度目をつけていた朝までやっている北海道系のところだが、あまりうまくない。食べおわってから下北沢に出ようかとも考えたが、日曜なので、そのまま車で帰宅。帰宅4時過ぎ。さすがに眠い。
1999年 12月 20日 (月) 晴れ。

 休息。

 M、風邪によるらしい腹痛が治らないため、休み。7時過ぎ、一度起床して排便。KとHが出かけてから寝直す。Mも眠ったようだ。

 正午の鐘で目が覚める。Mも起きて、腹痛はなくなったというので昼食を一緒に食べる。Mには梅干しとご飯、林檎のすりおろし。こちらは昨日の昼の豚肉小松菜の残りと海苔、ご飯。
 ラオックスに架電。担当者接客中にて折返し電話をもらう。iMac の症状をいうと、即座にメモリ・ユニットの不良とのことで、明日交換に行くことにする。
 終日、iMac 関連の環境整備。システム・ヴォリューム以外の中身をMOディスクに退避し、Maximizer で初期化しなおして、また復帰させる。辞書のヴォリュームはかえってわずかながら占有スペースが増えた。

 iMacボンダイブルーのデータ、個人データを消して、SpeedDisk をかける。
 Jamming 2.8.2 をダウンロードしてインストール。アップルのサイトに行き、iMac DV Special Edition の登録をする。
 夜、スキャナ関連のソフトや GoLive をインストール。
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