1999年 12月 21日 (火) 晴れ。
The Living TraditionからCD一枚。
朝食はハム・トースト、茹でブロッコリ。
歯医者。右上の虫歯の処置。前回やった大穴の残り半分だろう。麻酔を2本打たれ、二時まで引かず。唇も麻痺し、嗽もままならない。下の前歯の歯石をしつこく取られる。なかなか取れなかったらしい。歯並びが悪いからすぐに着く。ここは念入りに歯を磨くことにする。これで年内は終り。
12時半頃帰宅。そのまま出かけて、ラオックスでメモリ・ユニットの交換。帰宅してもまだ麻酔が効いていて食事ができなかったので、新しいメモリ・ユニットを増設してみる。問題なく立上がったが、設定がいくつか変わっている。
昼食、一口鰺フライ、キャベツの千切り、ご飯。
夕食は、豚の角煮と鶏肉のみそ漬を解凍したが、焼きすぎて焦げたり硬くなったりしていた。大根の葉の味噌汁、ご飯、ゆかり。菠薐草の胡麻和え。菠薐草の一束が多い。 |
1999年 12月 22日 (水) 晴れ。
朝食、早良西京漬け、大根の味噌汁、菠薐草胡麻和え、ご飯。
昼食、ご飯、朝の残りの味噌汁、ハム、生卵、林檎。
○Various Artists DEAD MAID'S LAND; Wild Goose Studios, 1999
イングランドはストイックが基調だが、ドリンキング・ソングや農作業用の作業歌が原型の歌には、楽しいものもある。メロディも美しいものが多い。例えば "Haymaking" のサビの部分。初めて聞く名前が多いが、いずれ劣らぬ歌うたい、演奏家たちで、それぞれかなりのキャリアを持つのだろう。ティム・レイコックやクリス・フォスター、クリス・バートラムと言った人びとが少しも目立たないほど質は高い。曲もさすがに選び抜かれたもの。
午前中、iMac が不安定なのでコンフリクト・キャッチャーをかける。結果、Kensington MouseWorks が犯人となるが、信じられないのでもう一度かけると Kaleidoscope も犯人となる。Kensington のサイトに行ってみたら、MouseWorks のMacOS9対応公開β版があるので落とす。これを入れると、確かにスクロールは治るが、メニュー・バーのメニュー選択の動きがぎこちない。これで午前中潰れる。
4時、皆で駅前に出、一人別れて上京。まず麹町のキングベアーに行き、Hさん。担当・Iさんに紹介される。30分ほど雑談して辞去。十数年ぶりに「モンドール」で食事。チキン鉄板。メニューも内装もほとんど変わっていない。冷蔵庫の小さい方が変わったのと、入口近くの天井に大型空調がついたぐらい。値段もほとんど変わらない気がする。おかみさんは変わらないが、親爺の方は少々疲れた感じ。料理ができるまでの時間が長い気もしたが、まあ夕方でもあるし、もう50を越えているはずだ。味も量も変わっていない。
7時半過ぎにユニカレッジに着く。一度講演をした縁で忘年会に呼ばれた。11時過ぎ辞去。ワインを結構飲む。さすがにシーズンで帰りの電車も混んでいたし、本厚木の駅では久しぶりに30分ほど待つ。ずっと立ちっぱなしだったのでタクシーで座れた時にはほっとした。帰宅1時過ぎ。 |
1999年 12月 23日 (木) 晴れ。
正午起床。
朝、一度トイレに起き、その後子どもたちの騒ぎになかなか眠れなかったが、そのまま寝ているとまた眠ったようだ。終日、翻訳に精を出す。 |
1999年 12月 24日 (金) 晴れ。
朝食はチーズ・バタールと胡桃パン、薩摩芋(昨夜の残り)。
朝一番でこの Diary++ をダウンロード。今試しているところ。なぜかインライン変換ができない。検索に Sherlock を使えるらしいのはいい。結局検索としてOS備えつけのものを使うのが一番いいのかもしれない。
○Various Artists THE TALE OF ALE; Free Reed, 1976/1993
こんなにすばらしいアルバムとは気がつかず。不覚。LPがあったはずだが、見当たらない。曲目、アレンジ、演奏、三拍子揃った名盤だ。シンガーではやはりピーター・ベラミとロビン・ドランスフィールドが光るが、言い出しっぺであるヴィク・ギャモンもなかなか。曲目としては "John Barleycorn" がぴか一。このヴァージョンはすばらしい。"Hey John Barleycorn" が別の曲であったのも発見。歌詞がついていないのが唯一不満。
「自分史日記」に書きこんでいたここ数日間のものをこちらに移す。
Naviagation Service に対応していないソフトで Default Folder を使おうとすると爆弾が出る。MacOSのアップデートをしてみる。少し安定するようだ。
昼食はやまゆりのP&Bハンバーグ。子どもたちは初めてだが、うまいうまいを連発。
『グラモフォン・ジャパン』一月号見本誌。『科学』一月号。「何でも_desk」CD-ROM、『胡散無産』8号。
午後はディスクのデータを打込みなおし。先日打込んだはずのものが、バックアップのとりまちがえで消えてしまったため。今度はやはりテキストで作るべしと思い、やり直す。
夕食は一応クリスマス・ディナーで、香料付きの鶏モモ肉と手羽、バタール、茹でブロッコリ。デザートでやまゆりのクリスマス・ケーキ。相変わらず美味。食後の音楽にマジカル・ストリングスの GOOD PEOPLE ALL をかけたら、Mが踊っていた。
夜は『エー・アイ・ジャパン』のワトスンに手をつける。 |
1999年 12月 25日 (土) 晴れ。
子どもたちは早朝からわさわさと落ちつかない。7時には起きだしてこちらの枕元に積んであったプレゼントの箱を和室に持ちこみ、組立に余念がなかった。9時過ぎにたたき起こされる。昨夜は眠りが浅く、あまり寝た気がしない。
朝食はシュトーレンだけ。
昼食、焼肉(ロース、カルビ)、人参、玉葱、椎茸、蜆汁、ご飯。
夕食は釜揚げ饂飩、巻繊汁。冬は最高。
終日、断続的にワトスン。ロビンスンに比べると文章も短く、段落も短い。その割りには進まない。
リンク・クラブ会報、電話料金表、大修館からDM。リンク・クラブの会報に Linn のシステムが載っていて、ちょっと聞いてみたくなる。CDプレーヤーとレシーバー一体型で29万。スピーカーがB&Oの4000に似た形でペアで52,000円。
Kaleidoscope のスキームで Notepad に着いていた mini 版にしてみたら、ウィンドウ・サイズが小さくなり、同時に Acrobat ともぶつからなくなった。 |
1999年 12月 26日 (日) 晴れ。
10時過ぎ起床。朝食は昨夜の残りの巻繊汁と炒り卵、キャベツのバター炒め。
ヤノ電気からMOドライヴ用の FireWire アダプタ。ドライバの入ったCD-ROM、グラファイト色の側板なども同梱。早速インストールしてバックアップをしてみる。確かに二倍ぐらいの速度。なかなか快適なり。
Book Worldから定期購読中途解約分の払戻しの小切手。$6.60 だが、こんなもの国内で現金化しようとしても手数料の方が高いだろう。
11時45分に皆で家を出てロイヤル・パーク・ホテル。一階の中華料理屋でKの両親と会食。親父さんの誕生祝い、K手作りのMの服の披露など。前菜三種、皮蛋、鶏肉カシューナッツ、牛肉搾菜、五目スープ、鶏チャーハン、固焼きそば等。仁だけチャーシューメン。
皆、いろいろいただきものをいただく。
食事が終ってからKは子どもたちを連れて一足先に帰り、こちらは親父さんたちを駅前まで送ってから眼鏡屋。今までのレンズを使って枠だけ替えるのが可能だというので頼む。一時間ほどでできるとのことで、タハラと有隣堂で時間を潰す。タハラには目指すCDはなし。有隣堂で『グイン・サーガ』の新刊と谷譲次『踊る地平線』全2冊を買う。地下を物色するが、本は買わず。4時過ぎ眼鏡屋へ行き、眼鏡を受取る。今日はメールが少ない。タワーのサイトに行き、鈴木亜紀さんのCDを注文。 |
1999年 12月 27日 (月) 晴れ。
朝食は葡萄パン二切れと翠の残りの蜜柑半分。
○THE SUZUKI MEETS KURICORDER QUARTET; Metrotron, 1998
ムーンライダーズはまともに聞いたことはないが、これはなかなかに良い。鈴木慶一のヴォーカルにちょっと不満。アメリカを意識しすぎではないかと思うが、あの世代ではそれは無理な注文かもしれない。栗コーダー・カルテットとの息はうまく合っていて、フォークでもなくポップでもない、ちょっと他にない空気。ジャズ的な要素もあり、楽しめるライヴ・アルバム。生があれば見てみたい。
午前中は日記のテキスト・データの整理。
昼食は納豆、菠薐草の胡麻和え、肉まん、あんまん。
午後、ファイブ・ディーのTさんから電話とファックス。『魂花時報』のための今年のベスト等のアンケート依頼。
午後、仕事に飽きて、ふと QuoEdit の新版が出ていたことを思出し、Vector に行ってダウンロード。ついでに FumiEdit という新しいエディタもダウンロード。これはREALBasic で作ったものだそうだ。
夕食は椎茸、人参、蒟蒻、牛蒡の炊込みご飯に豚汁(具も似たようなもの)、白菜の焼売、白菜の芯の酢漬け(小海老入り)。白菜の焼売は焼売の中身を白菜で巻いたもの。ポン酢で食べると美味。子どもたちもうまいうまいと平らげる。
夜のニュースで、公立小中学校の教職員で猥褻行為で処罰を受けた者がことしは昨年の四倍の50人になった、という報道。まるで文部省の宣伝機関だ。が、まあ、国営放送としては当然か。こんな数字はいくらでも操作できるし、今までが隠されていただけだろう。私立の方はどうなのか。私立学校でのセクハラの実態など全然出てこない。国の官庁内でのセクハラの実態も出てこない。ないはずはない。逆に児童・生徒への体罰で処罰を受けた職員の数は少なすぎるだろう。 |
1999年 12月 28日 (火) 晴れ。
9時過ぎ起床。朝食はクロワッサンにブルーベリー・ジャムを塗る。
Kが子どもたちと新宿へ行くので、ロマンスカーの時刻に合わせ、駅まで送る。ところが出かける時間がぎりぎりになり焦っていたので、昨夜家の鍵をズボンのポケットから出していたことを忘れる。帰って家に入ろうとして忘れていることに気がつく。
仕方がないので駅前に出る。まず腹ごしらえで、ミロード上の杵屋で天ぷら饂飩定食。行掛けにくまざわで『本の雑誌』新年号。食事しながらあちこち拾読み。「笹塚日記」は佳境に入り、今月は新年号と増刊号の二重進行で目黒さんは恐ろしいほどの多忙。気の毒になる。この号から出版広告を解禁していた。残念。出版広告はありとあらゆるところにあり、一般的な雑誌それが全くない雑誌というのはあれだけだったのだ。その点がとても気持ちよかった。内容の変化云々の前に、世の中のどこにでもある出版広告がない場、というのが無くなってしまった。寂しい。切ない。悔しい。
図書館に行き、アルベルト・マンゲルの『読書の歴史または読者の歴史』を借りる。ミロード地下の100円ショップを物色。確かにほとんどありとあらゆるものがある。一辺5センチほどの立方体の蝋燭を見つける。それとノートを一冊買い、上のオレンジ・ハウスで似たような蝋燭をこちらは700円で買う。有隣堂の文具売場でポスト・イットの正方形のもの、再生紙100%でちょっと渋い色のものを2種類。再生紙の方が高い。コミック売場で『無用ノ介』が分厚い版で出直しているのを見て、ちょうど何となくまた読みたいと思っていたところでもあり、第一巻を買う。鶴田謙二の『Sense of Wonder』のカバーにひどく心惹かれて買う。
一度帰宅。郵便物を拾う。いろいろ考え、結局缶コーヒーを買い、七沢森林公園に行く。おおやま広場で大山を目の前にして『無用ノ介』を読む。出だしは強烈な印象があり、話もだいたい覚えていた。しかしもっとハードボイルドないし『子連れ狼』的なムードである気がしていたのだが、案外饒舌なのだ。無用ノ介の年齢設定はちょっとわからない。三十そこそこのような感じだ。にしても良くしゃべる。台詞はまあまあ。当時『子連れ狼』はもう始まっていたのかどうか。脚本もあまり練れていない。
快晴で太陽の光も暖かく、いい気持ちになる。
駐車場にもどると3時半。そのままそこでまた『本の雑誌』を拾読み。坪内祐三の「読書日記」は今回、傑作。実に本が読みたくなる話だ。鏡明氏はSFへの信頼の強さ。四時になったので一度家にもどる。家の前の駐車場で『読書の歴史』を読みながら待つ。が、5時になっても帰ってこない。さすがに陽が落ちると寒いし、暗い。よって駅前に出て、ミロードの上のとんかつ屋でロースカツ定食。醤油が置いていないので今一。食べおわって6時過ぎ。電話を入れると帰っていたので帰る。ラオックスでプリンタを見る。やはりリンク・クラブで扱っているキャノンのやつが小さくて良いようだ。ヒューレット・パッカードは本体は小さいし、後ろもないが、前に給紙・排紙用のトレイが突出しているのがどうか。
帰るとそのまま仕事部屋に籠り、モーリン・フェイのアルバムを聞き、Irish Music Magazineの記事を読みながら、ライナーを一気に書いてしまう。
お宝鑑定団を覗くと、ヤマハがルータ問題の回避法のPDFを配布しているというのでサイトに行ってダウンロード。ついでにファームウェアも新しくなっていたのでダウンロード。TCP/IC のコンパネで手入力でアドレスを指定する方法が書いてあり、PDFを読んで設定する。試しにつないでみると見事に繋がった。
ところがその後、iBook に繋げようとすると繋がらない。いろいろやって、iBook もルータのアドレスを手入力で指定し、iMac を一度落としてケーブルをはずしてから設定をやり直すとようやく繋がる。ったく、コンピュータというやつは。結局1時過ぎてしまう。 |
1999年 12月 29日 (水) 晴れ。
8時過ぎ、子どもたちの騒ぎで起こされる。朝食は白菜と人参のスープ、ハム・トースト。
朝一番でカルロス・ヌニェスのライヴ・リポートを書き、ラティーナ宛メールで送る。よく見たら締切がクリスマス・イヴであった。
○Mad Pudding GRAND HOTEL; Fellside, 1999
ヴァンクーヴァーをベースにする六人組のバンド。楽器編成に変わったところはないが、特にリズム・セクションの出自は明らかにジャズ/ファンクの方面で、その要素を持ちこんだ曲はなかなか活きがいい。リード・ヴォーカルをとるのは三人いるが、どれもは今ひとつ。楽器では蛇腹が一番伝統に通じているようだ。プロデュースのジョン・カニンガムはどちらかというと手綱を引き締めているらしい。はじめは田舎の二流バンドのけしきだったが、聞いていくうちに面白くなる。聞いている分には気持ちがいい。Canadian のメーリング・リストをさらったら、他に二枚アルバムがあることが判明。これはどうやら三枚目。他のメーリング・リストも見てみると、北米にはこの手のケルティック・フォーク・ロック・バンド、とでも言うべきものがいくつかあるらしい。ヴァンクーヴァーにももう一つあるとのこと。
これでようやく今年300枚目だ。
昼食は豚肉小松菜、ご飯。
昼食後は、『ユリイカ』のための準備。
夕食は旗魚のフライ、昼の豚肉小松菜の残り、牛肉の牛坊巻、ご飯。
bounce 新年号。
○Eilis Ni Shuilleabhain COIS ABHANN NA SEAD: Amhrainn ar an Sean-Nos Mhuscrai (Traditional Songs from Muskerry); Clo Iar-Chonnachta, 1997
すばらしいシャン・ノース・アルバム。輪郭のくっきりした声だが、温もりに満ち、素直に聞くものの胸に入る。テンポ感覚が良く、スローな曲も、やや弾む曲も、安心して聞ける。ゲール語がこんなに身近に響いたことはない。日常語の感覚だが、それがまたひどく美しい。作曲家のミホール・オ・スーラウォーンとは関係ないようだ。
○Maria McCool AILLEOG; Ambush Records, 1998
ドニゴールのクイドーア出身のシンガー。
クレジットが何もないが、おそらくはプロデューサーでエンジニアも兼ねるこのフランク・マクナマラがキーボードを操っているものと思われる。
ヒロインのシンガー自体は悪くない。密度の濃い声で、地の底から湧きでてくる力強さがある。あまりコブシは回さず、素直にうたう。
ただ残念なことにプロデュースはチープで想像力はなく、アルバムとしては全く価値はない。
寝しなに久しぶりにヨガの基本体操をやる。気分良し。床に入ったとたん、右耳に何かでた感じがあって、恐ろしく痒くなる。仕方なく起きあがって、綿棒で掃除。 |
1999年 12月 30日 (木) 曇。
朝、宅急便で起こされる。またまた例の女の子で7時半。どうも前日残した荷物を朝届けてから集配所に行くのではないか。タワーから鈴木亜紀のCDだった。もう一度寝直すが眠れず、9時過ぎに起きだす。
朝食はフレンチ・トーストとチーズ・スプレッドを塗ったトースト。
午前中は溜まっていた新聞切抜きの整理。
タムボリンからCran, Swap, アシュリィ・マクアイザックのCD。
昼食、白菜と人参のスープ、飲茶セット、炒飯。
洗面所など掃除。
○鈴木亜紀 とてもシンプルなこと; MIDI, 1998
見事なアルバム。歌詞の美しいこと、歌もしっかりしている。プロダクションは決して悪くないが、ここまで大がかりにしなくとも、ピアノ主体のもっとシンプルなアレンジの方がシンガーの実力が前面に出たはず。とはいえそういうよけいなことを感じさせるほど、このアルバム自体の質は高い。
タワーがサンプルを同封してきた。おそらく全世界共通のものと思われ、洋楽だけ8曲入り。一応聞いてみたが、収穫なし。ロス・ロボスも全くのゴミ。
○Dan Milner IRISH BALLADS & SONGS OF THE SEA; Folk-Legacy, 1999
いわゆる英国の海洋帝国を支えた水夫たちの中にアイルランド人の割合は決して低くはなかったはず。したがってシャンティやシー・ソングズはまず英語だが、それを作った人びとの中にアイルランド人は少なくなかったはずである。とすれば、わざわざ「アイリッシュ」と断わらずともいいようにも思われる。とまれ、ここに集められたのはよく知られたシャンティやシー・ソングズの「アイルランド版」であろう。ダン・ミルナーはよくある力任せの音楽にはせず、むしろじっくりと聞かせる態度をとる。その意味で伴奏やコーラスのつくものよりは無伴奏ソロ歌唱に聞くべきところが多い。バックはアメリカのアイルランド音楽の精鋭ぞろい。
3時半前、かものはしとEさん到着。iMac初代を譲ることにしたため。念のため iMac を起動して点検。親指シフトが入っているので二人とも喜んでいる。車の助手席に箱ごと乗せた後、しばし雑談。鈴木亜紀が先日、かものはしが舞台監督を務めた五郎さんのライヴに飛入りした際の話など聞く。4時半、二人帰る。
メールでのざきさんに原稿を送り、ついでにチェックした後、5時過ぎ、家を出てまっすぐ町田。町田東急の上の寿司屋でKの実家一家と会食に合流。途中クロワッサンの店に寄り、方眼ノートとやや大振りの茶碗を買う。ついた時にはほぼ皆食事も終っていた。
夜はまた『ユリイカ』の原稿のためにCDを聞く。
○Tim Dennehy A WINTER'S TEAR; Clo Iar-Chonnachta, 1993
ケリィのティム・デネヒィのセカンド。半分はオリジナル。「人がそこにいて、うたう」そのもののシンガー。伴奏はちょっとうるさいものもないことはないが、許せる範囲。何を言うこともない。ただただひたっていたい。
○Aine Meirbhic AN BUACHAILLIN BAN; AMECD001, 1998
コーク出身のシャン・ノース・シンガーのソロ。やや歌いあげる感じ。イーリス・ニ・スーラウォーンとも親友らしく、このアルバムにも序文やノートを寄せているが、彼女よりも声の出し方が意識的な感じでクラシックに近いところもある。その辺がはじめは少し鼻についたが、聞いていくうちに気にならなくなってしまう。特に高音部に上がっていき、また下がってくるところは、地に足がつきながら重力を感じない。これもまた非凡なもの。
ただ残念なことに言葉が全くわからず、ノートも歌詞も英訳がついていないので、半分聞いても全部聞いても同じことになってしまう。また曲の区別がつかず、全部が一続きの流れになってしまう。それはそれでまた異次元に遊ぶ感覚ではある。 |
1999年 12月 31日 (金) 曇。
8時過ぎ、Kのおふくろさんからの電話で起こされる。
朝食はフランスパンにハムをはさむ。
○Sean Garvey ON DTALAMH AMACH/Out of the ground; Harry Stottle Records, 1998
写真から見るとかなりの年齢だが、おそらくは初めてのCDか。年輪を重ねた渋い声で、悠々とうたう。3曲ほど入るダンス・チューンもむしろ訥々とした演奏。ギターも渋いがなかなか壺を押えている。
リビングの掃除。スピーカー回り、オーディオ棚の前の玩具の裏、ワークデスクの裏等。
昼食は梭子魚の干物、若布キャベツ、大根と榎の味噌汁。
○Various Artists NENAGH SINGERS CIRCLE; 1997
六年前に原形ができ、四年前から正式に始まったクラブ型式のシンガーズ・サークルから生まれたアルバム。19名のシンガーが22のトラックを収める。うち、一つは物語。当然すべて無伴奏。もちろん得意歌を披露しているのだろうが、それにしてもそろって聞かせる。[18]はアルタンのマレードがうたっている。
昼食後、掃除の仕上げをしてからメールチェック。3時過ぎに出る。実家には一時間足らずで到着。東名の下りはがらがら。
到着後、子どもたちは早速テレビにくぎづけ。教育テレビでアニメ特集のようなものをやっている。『ジャム・ザ・ハウスネイル』という粘土アニメはなかなか面白い。日本人の製作になり、音楽が栗コーダー・カルテット。栗原、川口の両氏は声優としても出ている。その他声優にたまの知久氏が入っていて、なかなかのものだ。
その後、北側の六畳で『ユリイカ』用の作業。考えてみたらこの iBook で音楽CDも聴けたのだった。
○Various Artists GLOR MHAIGH EO; Clo Iar-Connachta, 1997
1972年ゲール語のラジオ放送局創設依頼メイヨで収集された録音からのセレクション。五人のシンガーのうち女性一人、1982年生まれの少年一人。
[06]はチープなカントリー風アレンジ。ゲーリック・カントリー!?
[18]も同じシンガーで、やはりチープなワルツのアレンジ。
[11]は珍しい十代の少年のシャン・ノース。やはり元気がいい。
[17]は "The Moorloch Shore" のメロディ。
夕食は焼肉。南瓜、薩摩芋、ジャガイモ、玉葱、椎茸、ピーマン。年越し蕎麦代わりの稲庭饂飩。焼酎をお湯割りにして飲む。ばあさまたちは缶入り梅酒。一口飲んだが、結構行ける。
眠かったががんばってメールの整理をしながら時間を潰し、新年を迎える。 |