大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 1月 01日 (土)〜 1月10日] [CONTENTS]

2000年 1月 01日 (土)  晴れ。

 朝方子どもたちが騒ぐので目が覚めるが、その後また眠り、起床10時。まずはさわやかなり。
 朝食はご飯一膳を海苔で食べてすます。

 12時半頃、新年の宴。いつもの献立で、刺身、蟹、おせち料理。雑煮、餅一個。妹と甥Tも来る。妹の旦那は昨日から会社に泊り。Tが高校に受かったら iMac を買ってくれとねだる。日本酒を飲み、いい気持ちになって昼寝約1時間半ほどしたか。妹とTは旦那が帰ってくるとのことで、泊らずに帰る。

 夕食はまた飲む。刺身、おせち、雑煮餅一個。
 その後はまたメールの整理。ショウ・オヴ・ハンズとカナディアンのメーリング・リストを整理する。ネットにつなごうとしたら、TCP/IPの設定を変えてしまっていて、プロバイダのネーム・サーバ・アドレスが消えていた。明日、ニフティから入って、会員用ページに入れるかどうか。
2000年 1月 02日 (日) 曇。

 明け方6時少し前にトイレに起きる。それからなかなか寝つかれず、結局9時過ぎ起床。

 朝食は雑煮、餅2個。
 昼食は稲庭饂飩。
 朝から「箱根駅伝」をテレビ観戦。今年は逆転に次ぐ逆転で、ひじょうに面白い。
 夜はまた酒。鮪の刺身、蟹、おせち。雑煮。酒は日本酒。冷やでもうまいというので、一杯半冷やで飲む。

 8時半頃早々に床に就くと、10時半頃目が覚め、それから眠れない。新聞が来るのがわかっていた。その後眠ったらしい。
2000年 1月 03日 (月)  曇りのち晴れ。

 8時過ぎ起床。朝食は雑煮、餅2個。

 朝から箱根駅伝二日目をテレビ観戦。途中からMにねだられて一階に降り、四畳半でばあさまのもてなしを受けながら、続きを見る。日本酒を冷やで軽く一杯。おしんこ、チーズ、大根の酢漬けなど。  昼食はばあさまの作ったお汁粉。餅1個。

 1時半、駅伝は駒沢の初優勝で幕。Kと二人で帰宅。厚木着2時半過ぎ。道路は順調。留守電にヒデ坊から一本入っていた。

 年賀状、結構来ている。メールのチェック。特に重要なものはなし。細川周平さんがサンパウロからクリスマス・カード。「ウィンズ・カフェ」のKさんが ROARATORIO のCDを送ってくださる。Interzone 新年号。MOJO新年号。邦楽ジャーナル新年号。
 夕食はクサヤを焼き、葱の味噌汁、黒豆、ごまめなど、ご飯。
 夜は、FBEATS 用日記の整理をはじめる。
2000年 1月 04日 (火) 晴れ。

 8時半過ぎ起床。昨日寝しなに泡盛を軽く飲んだら、良く眠れた。
 朝食は雑煮。

 朝一番でアスクという周辺機器会社のサイトをチェック。USBシリアルの変換アダプタが今あるプリンタに使えるかどうか確認しようとしたが、リストに出ていないので問合せのメールを出す。アダプテックのサイトもチェックするが、SCSI-USB の変換アダプタは Zip 100 には使えない。どうしても Zip ディスクの中のものが必要になったら 250 でも買うことを考えるか。いま現在は特に必要なし。

 午前中、タムボリンのための1999年度ベスト・アルバムの原稿を書く。
 昼過ぎ、Kと二人で駅前に出る。銀行関係は時間がかかりそうだったので、有隣堂とラオックスを覗く。Macと窓でプリンタ共有をするための参考書を漁ると、窓機にはネットワーク・カードを入れる他、プリント・サーバなるハードがあるといい、と書いてある。ラオックスで見ると、窓のノート用のPCカードが6,000円ぐらいで、プリント・サーバが安いもので6,000円ぐらいからある。Kに言うと、今あるプリンタも古いから、新しいのを買ってもいいとの返事。
 ミロード上の鰻屋で食事。うな重の一番安いやつ。

 帰ってすぐ、タムボリンに原稿をファックスで送る。午後は「超漢字」とLinux関連のサイトをサーフィンして遊ぶ。「超漢字」はCD-ROM辞書が使えないようだし、プリンタなども使用できるものが限られている。SCSIもUSBも使えない。ワープロは縦書きもできない。ということで試す気が一気に失せる。Linuxもそれほど大きな変化はなし。LinuxPPC が新iMac対応になるのを待つことにする。

 夕食はKが買ってきたフランスパンにハムをはさみ、レタスと林檎。それでも足らずに餅を2個焼き、海苔を巻いて食べる。

 その際中に中川敬さんから電話。年末に送ったドーナル本のファックスの返事。一つはドーナルの関ったディスクをすべてジャケット入りで紹介する。ドーナルや関係者、一緒にやっているミュージシャンへのインタヴューをできる限りとる。写真を入れる。山口洋さんと三人で話す件、スケジュール調整。
 夜はワトスン。
2000年 1月 05日 (水) 曇。

 9時過ぎに目が覚める。昨夜寝たのは2時半だが、寝しなに泡盛を一杯飲んだらよく眠れ、満ちたりた気分。
 朝食は雑煮。

 家事の後、少し仕事をやってから昼前にKと実家に子どもたちを迎えに行く。昼食は天笊をとってくれていた。2時前に出て、30分で帰宅。道路は東名も一般道も空いている。

 昨年申込んだEFDSSの新しい刊行物 Roots & Branch の第1号が着く。CDとブックレット、それにある歌の系譜をたどるポスター、その他から成る。製作は Unknown Public だから、デザイン的にも造本(?)的にもなかなか楽しい。EFDSSの入会申込書と、Roots & Branch CD Club の購入申込書が入っているので申込むことにする。ただし、カードの請求をずらすため、投函は来週始めだ。

 Kはおやつを食べた後、子どもたちを連れて皮膚科に行く。Hの疣の診察を受けるため。6時過ぎに帰宅。Mは完治宣言が出る。Hは年末自分で言っていたように両手の親指のものを切開。包帯を巻いて帰宅。かなり痛いらしく、夕食にちょっと口をつけて気分が悪いといいだしたので、寝かせる。残り三人は入浴。
 夜はふんばってワトスンを一気に終らせる。終了1時半。それからまた一杯飲みながら『一夢庵風流記』を読んでいたらやめられなくなり、就寝3時。
2000年 1月 06日 (木) 曇。だが、それほど寒くない。

 9時過ぎ起床。子どもたちもこの時刻まで起きなかった。おせちと雑煮の朝食を食べると11時。

 メールをチェック。iMacWire が昨夜のジョブズの基調講演の内容をリポートしている。予想通り、ソフト面、MacOS X クライアントの話に終始したようだ。Apple のサイトに行ってみると全面的に刷新されていて、MacOS Xの画面なども出ている。なるほどなかなか魅力的なGUIだ。アップルの方はまだ変わっていない。

 1時過ぎにみなで家を出て、吉本家で葱・味玉。そこで別れてユニオンで SAMMY WALKER を買い、中古を見て2枚。ラオックスへ回ってファックス用紙を買う。ついでに照明器具も見るが、まともなものはない。窓機ノートも眺めるが、どれも高い。20万を切るものもあるが、デザインがひどいし、画面も狭い。そのまま帰宅。3時。
 一行は5時過ぎ帰宅。

 夕食は鶏肉とカシューナッツの中華風炒めとご飯。
 午後と夜は『ユリイカ』のためのCD鑑賞。夕方、年賀メールを書き、送る。

 Sherlock からブラウザを立上げようとするとフリーズする件は、Anarchie がほうりこんだ機能拡張が原因と判明。これをはずすと問題なくなった。ついでに Lennie Gallant を検索すると、Back Porch Music というカナダの通販屋のサイトが見つかる。すぐに注文しようとしたがとりあえず、カタログを請求しておく。BREAKWATER のCD再発も含め、四枚のアルバムがあった。この人はP.E.I.の人。夕食後背中を伸ばしていると『ユリイカ』の須川さんから催促の電話。原稿の字数を確認するが、400字未満であれば適当との返事。
2000年 1月 07日 (金) 曇りのち晴れ。暖。

 9時起床。雑煮の朝食の後、すぐに歯医者に行く。珍しく20分ほど待たされる。右上のは、麻酔して削り、神経を処置。すぐ後の順番で、まだ1歳にならないぐらいの赤ん坊を連れた若い女性。治療を受けている間は始め子どもを腹の上に抱いて横になっていたが、そのうち、助手や院長夫人などが交替で抱いていた。なかなか大変ではある。

 昼食はコーン・クリーム・コロッケ、串揚げ一部、細切り昆布の佃煮、ご飯。
 午後、ビクター・Tさんから電話。アナムの楽曲邦題の件の催促。
 リンク・クラブから年末に注文しておいたMOディスク。

 夕食は朝から作っていたカレー。ただ、今回はカレー粉の量を失敗したらしく、あまりうまくない。
 終日、『ユリイカ』の原稿書き。就寝1時。
2000年 1月 08日 (土) 曇ときどき晴れ。

 今日も暖かい。
 9時半に起床するとKはすでに出かけていた。今日は相模大野の伊勢丹のバーゲンだそうだ。やはり病気だ。

 朝食はクロワッサンとチーズ・パンにチーズ・スプレッドを塗ってたべる。
 昼食は大人は昨日の残りのカレー。子どもたちはKが買ってきたハゲ天の天ぷらで天丼。
 終日、『ユリイカ』の原稿書き。
 Good Book Guideからカタログ。

 午後、子どもたちはスイミング。Mは夕食時、また腹が痛くなる。冷えたらしいのと、好き嫌いのため。夕食は豚肉、豆腐、葱、エノキ、春菊の鍋。ポン酢と唐辛子で食べるとなかなか美味。
 夜、ヒデ坊から電話。今度中川さんが来る時に一緒に来るかもしれないという話。結構長電話してしまう。
 就寝、なんだかんだで1時。
2000年 1月 10日 (日) 晴れ。まだ暖かい。

 昨夜は体がねじれているのか、寝つかれず、眠りも浅い。トイレにも一度起き、今朝も子どもたちが起きだすので目が覚めてしまう。結局8時過ぎには起床。

 朝食は葡萄パンにハム・トースト。
 相変わらず『ユリイカ』の原稿書き。
 昼食は餃子。昨日の鍋の残りの野菜に白菜を足したもの。
 3時前に、一応書上げ。点検すると、一枚メモだけで清書していないものが残っていたが、今日はもうやる気力なし。

 4時に家を出て、新宿。三丁目のみくに丸でパリから里帰りしている植野さんを迎えての新年会。東、長峰、音友のK、S、アオラのTの諸氏。宝塚の話で盛上る。十時半に出て、ラーメンを食べに行こうということになるが、店が閉まっていたので、しばしうろうろした後、一人別れて帰る。「桂花」に寄ろうとしたら行列なのでやめる。帰宅0時。
2000年 1月 10日 (月) 晴れ。

 予報に反し、雨は朝方あがり、昼間は晴れた。
 朝から子どもたちが騒ぎ、結局8時過ぎに起きてしまう。朝食はフレンチ・トーストにチーズ・トースト。

 午前中、『ユリイカ』の原稿をしあげる。メール・アドレスがわからなくなり、茂木に架電。キーボードを昨年末、買い替えたそうだ。正月から熱を出して寝ていた由。
 みんなが出かけたので、昼食は稲庭饂飩と林檎。朝刊に稲庭饂飩の創設者の死亡記事あり。
 午後、CDのジャケットを着払いで『ユリイカ』編集部に送る。2枚は適当なのがなかったので、MSI・Sさんとビクター・Tさんにジャケ写を送ってくれるよう依頼のメールを出す。

 未亡人から速達で松平さんの未発表原稿をプリント・アウトしたものが届く。
 Dirty Linen86号。カナダのサンプラーがついている。ソニー映画から試写状。Tower UK から以前に注文しておいた Lucky Bugs のアルバム2枚、ようやく届く。店頭にないとえらく時間がかかるものらしい。

 一同は4時前に帰宅。おみやげにパイ饅頭。

 夕方ニフティを巡回するが、どうも ComNifty が不調で、途中がとばされたりする。「パブ」がとばされてしまったようなので、手動で入り直して書込み等を確認。ちゃんとアップされてなかった分をアップしなおしたり、また「パブ」だけ未読にしてダウンロードしなおしたりしたが、それでもまた途中の発言が飛んでしまう。いよいよだめか。ちょっと「ComNifty 部屋」を覗いてみるか。その関連で(株)まつもとのサイトを覗いて Jterm のことを確認。ついでに Jedit 関連のスクリプトのうち sortf などを利用できるものをダウンロード。以前の版にバグがあり、ソートしようとすると凍ってしまったので、新しい版であるのを確認してからダウンロードする。ついでに sortf のマニュアルを探そうとして Sherlock で検索し、ブラウザに跳ぼうとすると凍ってしまう。あれこれ怪しい機能拡張をはずすがなかなかわからない。風呂に入ってからじっくり見て、Outlook 関連のものが一つ残っていたのをはずしたら無事ブラウザが起動するようになった。ったく。

 今度のスクリプトではちゃんとソートできた。これでだいぶ楽になる。ついでに jgawk と SedMac もダウンロードする。しかしMacOS Xになると、こういうコマンド類はOSについてくるのだろうか。

 夕食はほっけの開きを焼き、大根の味噌汁と、菠薐草の胡麻和え、林檎、ご飯、ゆかり。

 朝刊の日曜文化欄で、戦後のオピニオン・リーダーとして政治学者たちが、わが国政府はほうっておくとファシズムに陥るという考えのもとに警告を発しつづけ、それが新聞の論調にも大きな影響を与えている、と主張している本を紹介している。その考えのもとになっているのは資本主義はファシズムに行着くとするマルクシズム経済学なのだそうだ。いわゆる「戦後民主主義の再検討」というやつの一環らしいが、では、わが国政府はファシズムには陥らないということは証明されているのだろうか。あるいは戦前軍国主義は「ファシズム」であり、それは戦後日本において再現することはありえないことは立証されているのだろうか。その立証はよほど確固とされねばならないはずだ。なぜなら、戦前軍国主義を担った人びとが、戦後の民主主義をも、少なくともその基礎固めの時期、担っていたからだ。言い替えれば、日本のファシズムないし軍国主義の原因と成立過程は十分に解明され、その復活を阻止する方策は十分に立てられているのか。

 ドイツなどはファシズムあるいはナチズム復活を防ぐために様々な方策がとられ、実行されているように思われる。ナチ戦犯の執拗な追求もその一つだし、ユダヤ人に対する犯罪の責任の明確化と損害賠償を延々とやっているのもその一つだろう。イタリアは研究する必要がある。しかし、少数政党の乱立と短期連立政権の連続である戦後イタリア政治を見ると、権力の一極集中を防ぐ何らかの手だてがとられているはずだ。
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