大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 1月 11日 (火)〜 1月20日] [CONTENTS]

2000年 1月 11日 (火) 晴れ。昨日よりは寒し。

 今日から新学期。子どもたちは無論起きない。叩き起こす。
 朝食はハム・トーストに昨夜の残りの菠薐草。

 午前中は翻訳の原稿を一本仕上げて送る。一緒に9月分の日記を久田さん に送る。これであと懸案は『スポーン』だけ。アナムの締切も迫っているが、少しでも『緑』を進めなくてはならない。

 昨日ついた松平さんの未発表の文章を読む。一読、いても立ってもいられない気分。85年頃、百軒店界隈を再訪した時の紀行文だが、「喜楽」をはじめ、松平さんが贔屓にしていた店を訪ねあるく。その間に60年代から70年代にかけて自らが関った人びとと「今」の人びとの違いをさらりと書いている。ノスタルジーに浸るのではなく、さりとて今を非難するのでもない。その絶妙の距離感覚! しかしこのときからもまた15年経ってしまった。

 とにかく船津さんに教えなくてはと思い、浜野さんのサイトに行ってテキストをコピーし、メールで送る。ついでに浜野さんの日記の、松平さんの死後まもなくの頃を少し拝読。
 午後、須川さんから電話で、同じ方式で送った原稿が文字化けしたというので、須川さんに再送するついでに船津さんにもメールに貼りこんで再送する。

○Paul Anderson THE JOURNEY HOME; Ross Records, 1997
 スコットランドのフィドラーのアルバム。端整な演奏が詰っていて、いい気分で聞いていたら、最後にいきなり「ブラック・ヴェルヴェット・バンド」をみんなでがなっている。これはぶち壊しだ。なんでこんなもんをこんなところでうたわねばならんのか。

 富山のOさんから "Vinyl" の最新号。女性ヴォーカル特集。

 名古屋のMTというオーストラリア人から手紙。ROOTS & BRANCH を買ったら、その中におれのクレジット・カードのレシートが入っていたということで送ってきてくれたもの。十年名古屋に住んで大工をしているそうな。日本人と結婚して子どももいる由。日本語はしゃべれるのだろうが、手紙が英語なのは無理もない。

 昼食は、豆腐ハンバーグを焼き、キャベツ味噌汁。Kが自分のおかず用に鳥の唐揚げと大学芋を買ってきたのを子どもたちはむさぼり食う。

 米山画伯に架電。松平さんの追悼会の件、確認。一曲やってくれるという。
 2時半頃、皆で出発。大山阿夫利神社に初詣。さすがに今日は人出も少なく、初めて上の公営駐車場に入れた。まっすぐ下社まで上がって参拝。行きにすれちがったケーブルカーにはまだ人がいっぱいだったが、帰る時には、下りでもわれわれ以外には二人。上りは空だった。下の旅館街もそうだろうが、客が来るときと来ない時の差が激しいのだろう。いつものかんき楼で早めの食事。湯豆腐、子どもたちはざるそば。湯豆腐はなかなか正解だった。さすがに上では空気がひんやりし、降りてきても体が冷えている。せんべいを土産に買う。帰宅5時。

 よって夕食は餅を焼いて海苔で巻いて食べたのみ。
 富山のOさんの会社に、松平さんの追悼会の件と、"Vinyl" のお礼をファックスする。夕方SF関係のニフティ巡回。フルカラーのままでも十分速いようだ。あるいはモノクロではデータのダウンロードが速すぎて、ComNifty の処理が追いついていけなかったのかもしれない。
 夜、思いついて Synchronize 開発元のサイトに行くと、去年の秋に新版が出ていた。ここは全然知らせてこない。すぐにダウンロードする。
 久しぶりに Levenger のサイトを覗いてみる。なかなか面白いものが出ている。カタログを請求。
2000年 1月 12日 (水) ○電話の日。曇後雨。寒し。

 昨夜は足が冷えたせいか、なかなか寝つかれず。
 朝食はハム・トーストに白菜と人参のスープ。

 10時過ぎ、キングベアのIさんから電話。渡したフロッピーが開けないと印刷所が言っているということで、メールでDOSのテキストを送りなおす。後刻、確認の電話。送るのは案外時間がかからなかった。

 ファイルメーカーの挙動がおかしく、クラリスワークスで支出と収入のデータベースを作りなおそうとして見たが、集計フィールドとパートの使い方がわからない。なので、その日までの合計が出せない。ファイルメーカーでは専用の演算子がある。クラリスワークスのデータベースの演算子を見ると、財務関係で結構複雑なことをやる関数があるのに、単純にその日までの経費の合計が出せないというのは何なのだろうか。それとも別にやり方があるのか。結局午前中潰れる。

○Kieran Goss WORSE THAN PRIDE; Peermusic, 1997
 思いのほか力強い。相棒の力か。前作は、語りかけるような感じだったという印象があるが、今回はアメリカ流シンガー・ソング・ライターのような骨太の音作り。こういうものもいい。

○Luka Broom THE ACOUSTIC MOTORBIKE; Reprise, 1992
 旧作だが、聞いたのは初めて。ラップの多用はこの頃のこの人の一つの武器だったのか。悪くはないのだが、やや性急な感じもしないでもない。

 昼前から雨になる。氷雨。
 昼食はクサヤ、キャベツ味噌汁、ご飯、林檎。
 History Ireland 1999年冬号。

 KはHを皮膚科に連れてゆく。手の親指の疣を液体窒素で凍らせ、削るのだそうだ。前回は食欲がなくなるほど痛かったようだが、今回はそうでもなかったらしい。Hは新しい筆箱を買ってもらって元気に帰ってくる。今回も痛かったようだが、前回ほど痛がらず、食欲も衰えない。
 夕食は豚肉小松菜。子どもたちはむさぼり食う。

○JSD Band PASTURES OF PLENTY; KRL/Lochshore, 1998
 再編JSDのアルバム。こういうものを聞くと、フォーク・ロックというのはやはりこの世代のものだったのではないかと思う。ヴォーカルの弱さをバックでカヴァーしているが、純粋のインストとなるとまた弱い。フォーク・ロックは素人が素人らしさを前面に出す開き直りの方法論だったのではないか。

 4時過ぎ、音友・Sさんから電話。タハラのTさんに紹介したいとのことで、明後日の昼ということになる。
 夜は『緑』。
2000年 1月 13日 (木)  曇。朝のうち薄い雨。

 朝食はハム・トーストとキャベツのバター炒め。
 今朝も窓ガラスはびっしりと結露しているが、これが普通のはずだ。

○The Whisky Priests HERE COME THE RANTING LADS; Whippet, 1999
 トミィ・アームストロングの "The Oakey strike eviction" はこの歌の最高の演奏だろう。初めて歌詞が心に刺さってきた。基本的にはオイスターとポーグスを足して2で割り、ラン・リグの風味を加えたバンドだ。とはいえ、ダラムを中心とした北部イングランド炭鉱地帯の土着性は十分に意識し、また発揮している。上記の曲のリアリティは他の地域のバンドではなかなか出せないだろう。

 昼食は昨夜の残りの豚肉小松菜を暖め、ご飯。海苔。昆布の佃煮。
 The Living Tradition 2000年1/2月号。羅門さんから著書。とうとう信長が皇帝になった別世界の歴史を小説にしてしまった。これは読んでみようかという気になる。注文用のチェックをする。東京電話から申込書が届くが、確認のため受付センターに架電すると、ISDN用の申込みは別とのことであらためて送ってもらう。はじめ出た兄ちゃんは新米らしく、ISDNのことになると途端にしどろもどろになり、そちらの担当に変わる。しかし電話会社に勤めていてISDNのことがよくわからないような感じだったが、あれで勤まるのだろうか。少なくとも通信の現状、自分の会社がどういう扱いをしているかぐらいは知っていないと、東海村のJCOで死んだ社員の二の舞になるのではないか、などと余計な心配をしてしまう。

 『ユリイカ』須川さんから電話とゲラのファックス。すぐチェックして返送。
 夕食は串揚げセット(肉、烏賊、海老、南瓜、獅子唐など)、ご飯、昆布の佃煮。蜜柑。
 Tex-Edit の新版が出ていたのでダウンロードする。が、スクリプト・フォルダがメニューから引出せないし、フォルダの中身も、中に入っているドキュメントとは違ってほとんど何もない。すぐに消す。
 終日断続的に『緑』。
2000年 1月 14日 (金) 晴れ。暖。

 今朝はひどく眠く、なかなか床から離れられなかった。
 朝食はエボダイの開き、白菜の味噌汁、茹でブロッコリ、昆布の佃煮、ご飯。

○Cran LOVER'S GHOST; Black Rose Records, 2000
 昨年末に来ていたものだが、先日ヒデ坊からの電話で思出し、聞いてみる。
 見事な出来。セカンドでプロデュースのやり方がわかったのか、切れ味のいい造り。全体に先走らず、歌や遅めの曲をじっくり聞かせようというもの。ショーン・コーコランを中心とする歌がすばらしい。やはりこのバンドはどちらかというと歌のバンドなのだろう。チューンではルナサもファーストの冒頭で取上げて印象的だったマーチを二曲目にした[07]がいい。タイトル曲はちょっと聞きではどの曲のことなのかわからず。

 歯医者。今日は午前中最後の番。右上の歯に薬を入れ、ふさぐだけ。待っていた時間の方が長かった。郵便局でEFDSSあて、注文を投函。ここはウェブ・サイトはおろか、メール・アドレスやファクスすら書いていない。
 昼食は餅を焼いて海苔で食べ、朝の残りの味噌汁とブロッコリ、林檎。

 2時半にやまゆりの荷物を受取ってすぐに家を出る。駅前に出て、小腹が空いていたのでミロードの上のそばやに入ってとろろ蕎麦。まずくはないが、うまくもない。タハラに行って地下に降りるとSさんがすでに来ていた。三階に上がると、狭い事務室にTさんがいる。事務室のある方はビルの奥になっていて、表の階段からは上がれない。隣のイタ飯屋でおしゃべり。TさんがやっているレーベルのCDが急に売れなくなり、それが流通が整備されすぎてしまったせいという話は興味深かった。レコードの流通は事実上返品がないために、全国どこの小売でもどんな小さなレーベルのものでもとれるようになっているのだそうだ。その結果、インディーズのアイテムは流通の河の中で溺れてしまい、客のいるべき店でも担当者の目に止まらなくなってしまっている。流通が整備された時、一時どこの店でもインディーズものをわからないままにとり過ぎてしまい、その在庫に圧迫されて、現場のバイヤー・クラスに枠がはめられてしまっている。本の世界からするとちょっと不思議な話なのだが、専門店化するには小売の方にそこまでの力がないのだそうだ。ユニオンがインディーズ館を御茶ノ水に作るが、あれはアナログの中古盤の売上のおかげだという。Tさんの性根の座っているところは、ネットには行きたくない、という断固たる姿勢を持っていることだ。それはそれで立派な姿勢であり、その行く末は見守りたい。

 なんだかんだで5時半になったので別れ、Sさんと二人で新宿に出る。ちょうどロマンス・カーがあったので飛乗る。車中、ドーナル本の話をあれこれする。
 これも当然、ウェブ・サイトでサポートしなければなるまい。

 大学の学科会執行部同窓会。十年ぶりぐらいに出る。山の手で新橋に出て、指定されたレストランを探す。ちょっとわからなかったので電話をかけるが、教えられた電話番号が違っているのか、「番号を入れてシャープを押してください」というアナウンスが流れるだけ。結局番地を頼りに探してゆくと、何とか見つかる。30分の遅刻。

 個室になっていて、鍋が三つ、ちょうど乾杯をするところだった。おれ以外に十人。ほぼ全員そろっているのは驚異だ。ここは2時間の時間制限制だったので、終ってから日航ホテル地下のバーに行く。食事中はワインで、バーではブラントンを飲んでいたら、結構酔っぱらって絡んでしまう。山の手で新宿にもどるが、タッチの差で最終を逃し、相武台からタクシー。帰宅1時半。
2000年 1月 15日 (土) 晴れ。暖。

 朝食はくるみパンとチーズ・クロワッサンに昨日のブロッコリの残り。

 朝一番でメールのチェック。CDUniverse から、顧客情報が一部流出(盗難)したので、クレジット・カード等注意せよとのメール。サーバがクラッキングされたらしい。なるほど、こういう危険性もあるわけだ。昼前、カード会社に架電して、事情を説明し、現行のカードを止め、新たなカードを発行してもらう。サイトのパスワードも変えろというので、前のパスワードの確認したい旨、メールを出す。夕方、問合せが多すぎるのでちょっと待ってくれという返事が来ていた。さもありなん。

 Vector のサイトに行き、Tex-Edit の一つ前のヴァージョンがあったのでダウンロード。こちらは正常。ついでにいつの間にかヴァージョン・アップしていた褌と GripGrop もダウンロード。またまた iMac が、Sherlock からブラウザを起動しようとすると固まるので、今日はちょいと時間をかけ、コンフリクト・キャッチャーで原因を突止めようとするが、結局いつの間にかなおってしまっていた。一番怪しいのは、リンク・クラブが配布していた検索サイト用の Sherlock plug-in だ。とりあえずこれをはずすと、どうも Sharlock の機嫌がいいように思われる。Jamming のバグ取りアップデータが上がっていた。

○DUCHAS; Hos Productions, 1998
 ゴールウェイ出身の蛇腹とギタリスト/シンガーの二人組のアルバム。録音したスタジオのお姐さんがフィドルで参加している。ギタリストの方はポーグスの影響が強く、歌い方までエミュレートしている。が、なかなか存在感のある声だ。曲つくりもしていて "Danny boy" というタイトルの歌に、なんでこんなものをと思ったらオリジナルだった。相棒の蛇腹弾きのことをうたったものの由。リズム・ギターとしてはごく普通。蛇腹はなかなかのものだ。装飾音などのテクはそれほどでもないが、アレンジの才能はある。有名曲を結構面白く崩して聞かせたりする。ちょっと変化球だが、こういう連中がそれなりに存在感を示してくると面白い。中国に数ヶ月滞在してパブに出ていたことがあるそうだ。

 夕食は釜揚げ饂飩に巻繊汁。蜜柑。子どもたちは巻繊汁が結構量があったらしく、二人とも腹が痛くなるほど食べている。
 夜もぼんやりとメールなど書いたりして過ごす。久しぶりに「褌」を使ってみるが、これが Drag & Drop に対応していないことを忘れていた。何らかの主張に従ってのことだろうが、やはり不便だ。
2000年 1月 16日 (日) 曇。時折薄日が差す。寒くはない。

 8時前に起床。まずまず寝足りた感じ。
 Mは朝食時、まだ腹が痛いというのでむりやり寝かせる。すると2時頃まで寝ている。

 自治会の新春の集いがあるので、Hを連れて集会所へ。バザーを覗き、新品の金槌があったので100円払って買う。Hが福引をし、豚汁、餅を食べ、昨日Mたちが作った団子をどんど焼きにかざす。そう大きな火ではないが、結構離れたところまで熱が来る。ふと、あの炎というのはどういう現象なのか、気になる。何が光って見えるのだろう。Hはうまいうまいと豚汁を二杯半。三杯目を半分へずる。餅も安倍川とあんころもちを結構欲張ってもらってきたので、安倍川とあんころもちをへずる。団子はなかなか焼けず、昼近くなって焼けたものをHがもらったので、帰る。集まっているのはやはり自治会、管理組合執行部のメンバーが関係が中心。あとは子どもと老人。若夫婦がちらほら。高校生以上、二十代がほとんどいない。そういう意味でコミュニティは崩壊している。福引の景品か何かで出てきたらしい独楽やベーゴマを小学校中高学年の男の子たちが三四人、回そうとしているが、やり方がわからず、その辺の大人が教えようとしてまた失敗している。木の独楽で、紐がうまく巻きつかない。どんど焼きに松飾りをもってくる人は結構いる。中に、二十代の娘を伴ってきた女性が、松飾りなどを火に入れた後、手を合わせて拝んでいた。
 市内小中学校の構内に職員の駐車を認めない条例が、前回の市議会で通過したらしい、とのこと。やれやれ。

 昼食は中途半端で、結局巻繊汁の残りを暖め、稲庭饂飩を茹でる。Hは饂飩も一口食べる。
 そのまま、全国都道府県対抗女子駅伝の中継を見る。今年は長崎がぶっちぎり。それでもまあまあ面白かった。

 終って、家事をかたずけてから、メールのチェック。かものはしに架電すると、さっき帰ってきてメールと留守電をチェックしたところだとのこと。明日、やはり集まろうということにして、あとは雑談。五十嵐さんは今の音楽ジャーナリズムの貧困の一つの源流が、松平流音楽評論にあると考えているらしい。が、それはむしろ、松平さんすら認めようとしなかった、ジャーナリズム側の狭量さのせいだろう。書き手を育てなかったからだ。ジャズでは植草甚一にあれだけ書かせる度量があったのだから。

 アルベルト・マンゲルの『読書の歴史』に、読書能力を習得しないと、左脳優勢の遺伝的プログラムは完成度が低い、という話が出てくる。モントリオールのコート・デ・ネージュ病院のアンドレ・ロッシュ・ルクール教授の研究だそうだ。話された言葉を聞くだけでは、どちらの側の脳にしても、言語能力を発達させるのに十分ではない。この能力が発達するためには、視覚的な記号の中に込められた意味を理解することを教えられなければならない。つまり読むことを習得しなければならない。(同書/原田範行=訳、1996/1999, 050pp.)

 読書は人間の精神活動の中でも、最も高度で複雑なものの一つなのだそうだ。もちろんそれが人間の精神的能力の全てではないだろうが、読書が人間の潜在能力を開発し、高めることは確からしい。そしてそこで開発・発展した能力は当然他の能力、言語関係の能力のみならず、画像関係、音声関係の能力にも影響を及ぼすはずだ。やはり「活字」を読むことは必要なのだ。

 新聞書評欄、山内昌之の『納得しなかった男 エンヴェル・パシャ』の沼野充義による書評は面白い。網野善彦の『古文書返却の旅』の海部宣男による書評も良し。
 八木義徳の最後の遺稿集『われは蝸牛に似て』の高井有一の書評に、「八木義徳なんて相手にする編集者はいませんよ」と昭和30年代の始め頃、原田康子が言われたというエピソードを紹介している。この編集者は作家は編集者より長生きするという事実を忘れていたらしい。そして、別の作家に対してそういう言葉を吐く編集者は、少なくとも文学の編集者としてはすでに失格している。こういう編集者を相手にする作家はいない。

 この本のタイトルの元になった言葉、大学時代の八木の恩師・吉江高松が自著の扉に誌した言葉はここに記録するに値する。
 「双の触手は大空を探って全身で己が行跡を書き留むる蝸牛」
 「吉江は作家志望の学生たちに向かって、フローベールと島崎藤村の例を引き、作家たるべき才能は忍耐以外にない、と教えた。」その言葉に「ある希望と勇気のようなもの」を与えられ、「愚直に不器用に、文学を信じて生きた人」。

 八木義徳の『文章教室』を読んだのはやはり高井の書評を読んだためだと記憶するが、あれには正直、脱帽するしかなかった。文章の読込み、あるいはそれ以前の文章に対する感覚の鋭さは、わが遠くおよぶところではない。読書の能力が恐ろしく高い。文章によって何ごとかを表現し、その表現によって他人の感性に影響を与えることができる、その影響の大きさはやはり読書能力の高さなのだ。八木の小説を読みたいとは相変わらず思わないのだが、この人のエッセイは読んでみたい。

 夕食はおでん、ご飯、ゆかり。
 H、食事中排便に行ったが、帰ってくると腹が痛いと言いだし、途中で止める。すぐ寝かせる。M、また蕁麻疹。今日はあまり広くなく、左の後ろの腰の辺り。あるいは昼のチーズ・スプレッドか。

 夜、Amazon.com と CDNow へ行き、password を変更。Mass Music はパスワードは使っていなかった模様。CDUniverse には繋がらず。
2000年 1月 17日 (月) 雨、一時霙。寒。

 朝食はハム・トースト。

 9時前、『ユリイカ』須川さんが印刷所から電話してくる。原稿の方が一枚多く、21枚になっていて、最後のマイレート&トゥリーナのジャケットがまだ来ていないとのこと。ビクター・Tさん宛、会社にFAXを打ち、メールを送り、10時半頃、架電。伝言を頼む。のざきさんからルナサ応援ページの依頼と第2回の茂木、畠山との座談会の模様が送られてくる。爆笑しながら読む。

○Les Barker THE MRS ACKROYD ROCK 'Nユ ROLL SHOW; Mrs Ackroyd Records, 1985
 前回のような単なる詩の朗読ではなく、バック・バンドの演奏に乗せて朗読し、コーラスなどはちょっと節をつける。歌詞がわからないと苦しい。今回は犬をテーマにした詩を集めたものらしい。相変わらず、遊んでいるようだ。バックの演奏はなかなか芸達者。

 昼食は昨日の残りのおでんとご飯、ゆかり。
 1時前、ビクター・Tさんから電話。オリジナルのジャケットでいいから須川さんと連絡をとってくれるように頼む。その時言われて、マイレート&トゥリーナのアルバムのタイトルの意味について、あとでメール。

 なんだかんだごちゃごちゃやっていると時間が過ぎる。4時過ぎ、家を出る。「ラ・カーニャ」にて松平さん追悼会の打合せ。ちょっと早かったので、有隣堂とタハラを覗くが、お目当てのものはなし。吉本家でキャベツ・ラーメンで腹ごしらえしてから行く。まだ時間が早く、客は二人め。照明が暗くて、本が読めない。年だ。

 打合せはそう難しくなく、来る人の確認と看板、それに当日持参するレコードを白石さんと打合せ。9時過ぎにかものはしと白石さんの二人は帰り、のざきさんとルナサの件でおしゃべり。のざきはそれを録音して起こし、ウェブ・サイトに載せる。ウェブ・サイトも引越しの最中だそうだ。10時半、解散。最終の深夜バスに間に合い、帰宅11時半過ぎ。

 バスの車内広告に、環境を守るためにバスを利用しようというポスターがかかっているが、釈然としない。バスを積極的に利用できるような環境を整えられず、環境保護だけを錦の御旗にするのは、欺瞞ないし瞞着というものだ。深夜バスと称して通常の二倍の料金をとるのも、人の弱味につけ込んだ商売だろう。どこかに、運行してやっている、という意識が透けている。各県立高校への通学バスの運行に早朝、当該校の職員が生徒整理のためバスセンターに出て立つという慣行もそうだ。
 夕食時、Hが途中で腹が痛いと言いだし、最後はもどした由。昨日と全く同じ症状なり。
2000年 1月 18日 (火) 晴れ。暖。

 Hは相変わらず腹が痛いというので学校は休み。1年1組は18名欠席で学級閉鎖になったとのこと。

 朝食はハム・トースト。ミルク・ティー。
 昼食は賞味期限が二、三日すぎた鱈子をあぶり、キャベツ味噌汁とご飯、海苔。HはKが作っていったおじや。食べる前から唸っているので、起きる許可を出す。

 『ラティーナ』2月号をぱらぱらやっていたら、読者欄の募集のところで「アイリッシュ・ミュージックやフォルクローレの演奏メンバーを募集中」というのが出てきた。う〜む、いつの間にこの二つが一緒に演奏されるようになったのか。むろんいいことなのだが、その妙な軽さが何となく気になる。それぞれの根っこに対するリスペクトの点で。

 4時少し前、ビクター・Tさん来訪。5時過ぎまでいろいろ話してゆく。話を聞くと、アンプのテープ出力から iMac の音声入力にぶち込めば、LPのダビングができてしまうのだそうだ。それをCD-Rに焼けばCDができてしまう。MDよりも遥かに音も良くなる。整理も楽。これは考える価値がありそうだ。OS遊びよりもこちらかもしれない。面白いことにCD-Rは元の板のメーカーによって音が違うという。Mitsumi のものが一番いいそうだ。以前、質が良くないとどこかで読んだが、台湾に生産委託して質が落ちたのでそれをやめ、今は一番いいらしい。ビクターのマスタリング・エンジニアやTさんの共通の意見だというからまず確かだろう。

 録音の音質の話では、やはりアイルランドの特に金属弦楽器の生音の良さは、やはりプロのマスタリング・エンジニアが認めるところだそうだ。アイルランドにそんな優れた録音機材、特にマイクがあるとは思えないから、エンジニアの耳の問題ではないか、ということになる。つまりアンプを全く通さない音を日常的に聞いているのではないか。例えばパブ・セッションなどでだ。

 Hはすっかり元気になり、夕食も無事食べる。夕食はクサヤの干物を焼き、大根の味噌汁。Hは海苔とご飯、味噌汁。食後、子どもたちは自分からどんどん寝てしまい、8時には二人とも床に入っていた。

 PowerBook190の件で松山さんにファクス。あとで電話が来る。2月に入ったら行くことにする。奥さんと赤ちゃんが風邪で熱を出してしまっているらしい。
2000年 1月 19日 (水) 曇時々雨。ひどく寒い。

 Hは回復。
 朝食は白菜とベーコンのスープにチーズ・スプレッドを塗ったトースト。

○Flook! FLATFISH; Flatfish Records, 1999
 これはなかなかのアルバム。ルナサに匹敵する、と言ってもいいくらい。フルート二本とギター、バゥロンの組合せでここまで聞かせるか。オリジナルの曲がいい。最後のトラックでマケドニアのホロをやっているが、さすがにスケールが合わないようで、低い方では音が出しにくい。これもヴォーカルはないが、そこがまた潔し。

 午前中、PTAの今年初めての役員会。そろそろ今年度のまとめと来年度への布石。総会の準備。それにしても各校のPTA活動にしても、市Pの研究会にしても、まず時間が昼間。PTAからは父親は故意に排除されている、と言っても言過ぎにはならないくらいだ。一方で、では父親たちを引込むだけの意義がはたしてPTAにあるのか。となると、またこれは別問題だろう。ただ、子どもたちへの関り、という点ではプラスになることは確かだ。Kが青少年健全育成会の会議から帰ってきて、今月末の育成会の親子行事に、50名以上の親の参加申込みがあったと呆れていた。やはり、皆繋がりを求めているのだろう。例えば父親は会社以外の繋がりを。

 昼食、鰹の叩きを解凍し、朝のスープの残り、ご飯。解凍が足らず、醤油で溶かしながら食べる有様。
 夕食、ハヤシライス。
 夕刻、グラモフォンのKさんから電話。タブラトゥーラの新譜のレヴュー依頼。もちろん引受ける。ワーナーからの世界リリースだそうだ。

 朝、昼、晩と3回もメールをチェックする。
 昼のチェックで船津さんから追悼パンフの送り先、まだ来ないというので、かものはしの留守電に入れ、催促のメールを送る。思いついて「ラ・カーニャ」に架電するが、地図はないし、ファクスもないというので、住所だけ聞いて、船津さんにメール。
 ビクター・Tさんからのメールを見て、カメオ・インタラクティヴのサイトに行くが、製品案内がプロ向けで、全然わからない。

 夕方、そのTさんから電話で、FolkWorld というサイトで99年のベスト・ライヴにアナムが選ばれているが知っているか。初耳だったので、検索して行ってみる。これがデンマークにあるもので、なかなかのサイト。ヨーロッパ音楽のウェブ・マガジンを標榜している。99年のベスト1はイタリアのバンドのアルバム。3位にニーヴ・パースンズが入っている。なぜか北欧と東欧がみあたらないが、結構充実している。

 夜、まーぱの付録のCD-ROMから、paper 2.0 というアピアランス用テーマ・ファイルを入れてみる。Kaleidoscope の Paper がどうもあちこちぶつかるため。Kaleidoscope ほど徹底しないが、まさに和紙の感じでなかなか。

 午後、郵便局から帰る頃から、何となく眠く、その前に腹が下った。これは風邪が来たかと、リビングで寝転んだり、うだうだしたり、ハヤシライスを作ったりしたり、それを食べたりしているうちに、治ったようだ。ばあさまにもらった金柑の砂糖煮を食べる。
 今日は仕事はせず。
2000年 1月 20日 (木) 晴れ。

 朝食はハム・トーストとホットケーキ、レタス。
 午前中、ドーナル本の構成要素や構成を少し考え、ノートに書出してみる。

○Benji Kirkpatrick DANCE IN THE SHADOW; Wild Goose Studio, 1998
 ジョンとスー・ハリスの息子のソロ。本格的な録音としてもデビューか。
 ブズーキをメインにしたインスト・アルバムで、3曲ほど歌が入っている。トラッドとオリジナルが半々。シンガーとしてはさすがに親譲りで、芯のしっかりしたなかなかのうた。もっと聞きたい。が、本人はむしろインストに関心があるらしい。その内容も親父とは裏腹に、ケルト系への嗜好が色濃い。アルタンや Craobh Rua なんかともステージを一緒にしている。ブズーキといい、この辺はあるいは今のイングランドの若者に共通なのかもしれない。ひょっとするとケイト・ラスビィがもてはやされるのも、イングランドへのこだわりからか。音楽の質ではゆめゆめ負けるものではない。ただ、アルバムの構成としてはちょっと食い足りない。Paul Sartin のオーボエがやはり母親のあの音を連想させるものの、実にすばらしい。二曲しか入っていないのは不満。バゥロンはケルト系のような細かい叩き方はしないが、こちらも芯の太い勘所を押さえた演奏。うた中心にするか、あるいはバンドの方が録音としては好ましい。

 ビクター・TさんからUSB経由のオーディオ・インターフェイスで一つ情報があったので、カメオのサイトに飛んでみるが、アメリカの製造元が昨年別会社に買収され、製品のサポートが継続されるかどうかも不明。Mac版の発売も昨年夏に予告されているが、新しい情報は載っていなかった。気をつけてみると、Mac雑誌にもオーディオ関係のハードやソフトの情報は少ない。ヴィジュアル関係や、サウンドだとMP3のことばかり。CD-Rレコーダはあるが。
 ワーナーからタブラトゥーラのサンプル。音友からサンプル誌。
 昼食は帆立を解凍して刺身にし、キャベツ味噌汁、ご飯。

○タブラトゥーラ 蟹; ワーナー/Teldec, 2000BR>  昔よりもやはり良くなっているのではないか。パーカッションの使い方もうまいし、全体的なエネルギーのテンションも上がっている。ヴォーカルはクラシックの発声だが、そんなに嫌らしい感じはしない。古楽はバッハ以降の「単一音楽幻想」からの覚醒を目指したものだろうが、かれらその古楽でもまだあった「芸術音楽幻想」からの脱走を目指しているように思われる。音楽とは日常生活のためのものであり、その中で生きて初めて音楽となるのだ。その意味で、『レコ芸』2月号冒頭でシャルル・デュトワと対談しているタン・ドゥン(譚盾)の文化大革命期の体験を語る言葉は共感できる。
「(文化大革命は)辛い思いでもありますが、同時に、多くを学んだことも事実です。音楽家として、また、人間として、人生そのものについて、重要なことを学んだと思っています。
D:それはどういう意味です。
T:例えば、山奥の農村で、土地の人びとが歌う歌を聞くことができた。バルトークのように、研究として採譜する必要などなかったんです。当時の生活そのものの中に、その音楽が根付いていたからです。そうした音楽が生活の一部だった。そして、わたしが常にオペラに強い関心を持ち続けているのも、そのためです。ワーグナーや、シュトラウスやプッチーニといった人たちのオペラに興味がある。というより、今お話したようななかで、生活の一部となっている音楽、そのような形でのオペラに、わたしは惹き付けられる。」
――『レコード芸術』2000年2月号, 017pp.
 仕事はアナムの歌詞対訳。ほぼ終らせる。
 夕食は白菜のシュウマイ、肉じゃが、ご飯、ハム。

 夜、お宝鑑定団をチェックするとネットボランチのファームウェアのリヴィジョン・アップと、Aqua そっくりの Kaleidoscope スキームがあるというので行ってとってくる。なるほど、そっくりだ。ただ、いくつかボタンがちゃんとグレーになったりしないようだ。これにふさわしいデスクトップ・ピクチャが見当たらない。
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