大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 4月 01日 (土)〜 2000年 4月 09日 (日)] [CONTENTS]

2000年 4月 01日 (土) 晴れ

 風が北寄りで朝のうち、昨日よりは肌寒かったが、昼過ぎには風もやみ、桜が一気に開く気候。午後、乃木神社の横を通ったときには、神社脇の公園の桜の一本は七分咲きというところだった。

 8時に目覚ましをかけて起きる。朝食はクロワッサンにブルーベリィ・ジャム、グレープフルーツ。

 9時半過ぎに車で出発。赤坂・ざくろに向かう。甥の卒業・入学祝。妹の旦那の両親も来たので、総勢12名。これだけ一堂に会したのは、多分爺様の葬式以来。和食のコースだったので、子どもたちは残すものもある。Hは刺身のハマチも甘海老もだめ。品数が多く、結構腹一杯になる。

 一時半に店を出る。Kは子どもたちを連れて映画に行き、老人三人を実家まで送る。この辺りでも一番古いTさんの家はとうとう無人になってしまった。旦那さんは入院中。娘さんが一人いるのだが、この人が精神を病んでしまい、先日、甲府で保護されたそうだ。母親の墓参りに行こうとして全く関係のない所に行ってしまったらしい。主のいないのも知らぬ顔に、花は咲き、枝は緑に芽吹いて静かに春を告げていた。

 一服して帰る。メールのチェック。Rootsworld を見て、ポーランドのディスクが出ていることを知り、元のレーベルのサイトからドイツの通販業者のサイトへ行く。セキュア・サーバではなかったので、注文のファックスを送る。

 夕食はトロ鰹を解凍し、キャベツの味噌汁をこしらえて、ご飯、蜜柑。また蜜柑が来てこれを食べているせいか、腹が下り気味。
 ニフティ、音楽巡回。

 有珠山爆発。事前に警告を発して、住民を避難させたのはまず良かった。が、やはり中途半端だ。爆発の規模がわからないというのは言訳にならない。今までのデータもあるのだから、思い切って離れたところへできるだけ大量に動かしておくべきではないか。そうすれば、爆発のたびに住民を遠くへと順繰りに動かさずにすむ。動かされる方はたまったものではない。受入れ側の対応も遅れる。

 与党三党の党首会談が開かれ、その席で自由党の離脱が決まったと終ってから自民党・森幹事長が断言。始まる前に並んで座った三人の党首の顔が面白い。小沢はもうさばさばした顔で笑っている。小渕は決断はしたけれど、開き直るまではいけない気分を弱々しい笑いでごまかしている。神崎は苦虫を噛みつぶしたのを覚られまいとしてかちんかちんに顔がこわばっている。自由党がいなくなれば、公明が前面に押出される。公明としてはそれを避けたかった、と憶測しておこう。小沢としてはあとは選挙まで、いかに自民がひどい扱いをしたか、騒ぎに騒ぐ、ネガティヴ・キャンペーンを展開するしかないだろう。

 それにしても、ああして三人横にならんですわるのは、あれは何なのだろうか。マスコミが絵を作るためのポーズなのか。

 今日から介護保険制度が始まる。初日、厚生省は苦情受付のための電話を設けたそうだが、そういう電話を設けるという情報は事前にどれくらい流されていたのだろう。そこには40件ほどの電話がかかったそうだが、サーヴィスを受けられなかったというケースはなかったので、初日は混乱なくスタートしたと判断した、という報道だ。ケアプランがなくてはサーヴィスを受けられず、あるいは受けられたとしてもその費用を受けた側が建替えねばならず、しかも全国的にケアプラン作成は遅れていて、今日の開始に間に合わなかった人が、二割はいる可能性があるともいう。作成が間に合わなかったのは作成を依頼した人の責任ではないのに、その結果の不利益は当人に降りかかるのは理不尽である。厚生省はその点を手当てしているのか。それからこの制度の改善のシステムはどんな形になっているのだろうか。
2000年 4月 02日 (日) 曇。

 昨夜は2時近くに就寝したが、8時前に一度目が覚めてしまう。9時頃、ペリカン便の担当者からの電話で起きる。
 朝食はクロワッサンにブルーベリィ・ジャムを塗ったもの二個とコーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 今日の読書欄はちょっと面白い。三浦雅士による『武満徹著作集1』新潮社。そこに引用された一節。
 「孤独な感情が触れあうところに、音楽が形を現わす。音楽はけっして個のものではなく、また、複数のものでもない、それは人間の関係の中に在るものであり、奇妙に聞えるかもしれないが、個人がそれを所有することはできない」
 思わず「わかってたんじゃないか、この人は」と大声を発してしまう。かつて『へるめす』に載ったガムランについての文章にも膝を叩いた覚えがある。やはり読むべきであろう。

 山内昌之による昭和期日本陸軍についての大著二冊についての書評は踏込み不足あるいはスペース不足。陸軍がアメリカを、現在から見て呆れるまでになぜ軽視したか、が一番の問題ではないか。その事実そのものもまだ十分明らかにされていなかったのかもしれないが。駐在武官補佐官とはいえ、アメリカに三年間も滞在した人物が、なぜこれほどまでに皮層的な「観察」しかできなかったのか。これはもう「観察」ですらない。目をつぶっているだけだ。見猿聞か猿言わ猿、だ。

 開戦前夜、東條英機も、軍務局長武藤章も、対米戦争が無理だという認識を貫けなかったのが当人たちの「弱さ」としても、それは何に対する「弱さ」なのか。
 こちらとしてはここで、中国に対する態度と同様な「脅え」をみたい。陸軍はアメリカが怖かったのだ。と言うよりも、大戦間期の日本の指導層はアメリカが怖かったのだ。中国に対する脅えとは多分質が違う。中国は「感情的」に怖く、アメリカは「理性的に」怖かった。

 ということはおそらくは、アメリカや中国だけでなく、「外」が怖かったのではないか。明治期にはとにかく必死で、怖さを感じている余裕がなかった。このままでは潰されるという、これも恐怖だが、しかしその恐怖を克服するための具体的な目標を、ともかくも掲げることができた。それが一応達成され、第一次大戦という「僥倖」もあって、形だけは肩を並べることができた。そこで何をしたらいいのかわからなくなってしまった。と言うよりも、忘れていた怖さが徐々に表に現われ出てきた。今度はその恐れを解消できる具体的な方策は見つからない。デモクラシーも資本主義も、その本質は理解できない。ヨーロッパやアメリカになぜああいうことができるのかがわからない。だから、自分たちもどうすれば同様のことができるようになるかがわからない。

 とすれば、これはやはり「鎖国」の長期的影響ということになろう。「異物」とのつきあい方を忘れてしまっていたのだ。
 もう一度、とすれば、「鎖国」から二十世紀わが国の精神史を読んでみることが有効だろうか。
 新潮社の広告に、中村真一郎の長編史伝『木村蒹葭堂のサロン』というのが出ているのに惹かれる。

 昼前に『グラモフォン・ジャパン』のKさんから、進行がきつくて、今日のタブラトゥーラのライヴは行けなくなったと電話。仕方がないのでかものはしに架電。今晩は五郎さんのライヴが古川橋の飲み屋であるというので、電話番号など聞く。2時に家を出て、大崎のゲートシティ・ホール。まだ新しいからなかなかきれいなホールだが、アメニティはあまりいいとはいえない。詰めこんで500から700人ぐらいは入るだろうか。それにしてはトイレは狭いし、飲物といえば自販機が一台あるだけで、休憩のときには長蛇の列。

 メアリのときのガーデンシティ・ホールのように、前半分に椅子をならべ、後ろ半分に雛壇型の席。ガーデンシティのホールをそのまま小振りにした感じ。並んだのが先の方だったので、雛壇の最前列真ん中にすわる。今日は500席ほどだったと思うが、八割の入りというところ。団長のつのだたかしに言わせれば、空席以外は満席だ。客層はどちらかというとクラシック寄りだろう。ラフな格好をした若者はほとんどいない。女性が多い。七割方は女性。

 ライヴは多分定刻に始まり、休憩をはさんで約2時間。演奏自体は奔放なものだが、全体の構成はクラシックのノリだ。後半で波多野睦美が入って4曲うたう。MCの声を聞くと、歌はやはりクラシックの発声だ。やはりどうも苦手。
 PAは最低限で、基本的に生音。フィドルが小さいので噛ませていたらしい。後半、接続が切れたらしく、聞こえが悪くなる。

 ハイライトは「夜の蟹」「カンティーガス・デ・サンタ・マリア」。アンコールで波多野嬢が入ってうたったイタリアの曲はなかなか良い。アンコールの後、客電がつくまで少し時間があったが、ロビーで演奏していた。トイレに入って出てきてもまだやっていて、出口のところだから、客も帰らない。2曲やった後、つのだ団長が、「もう帰っていいです」といったのでようやく動きだす。その後、サイン会をしていた。

 渋谷に出て、バスで古川橋。五郎さんのライヴは始まって3曲ぐらいだったようだ。松平さんの追悼会で初披露した、「ぼくが死んだら」という歌の途中。今日は、いつものベースの戸田さんの他に、白石さんという若い人がギターとマンドリンで入っていて、なかなかの演奏を聞かせた。五郎さんは調子がいい。

 アダンというこの店は古い土蔵を改造した店で、手前右が調理場、奥の土蔵本体に入って左が飲物のカウンター。泡盛の古酒とブラック・ブッシュを飲む。一昨年サンフランシスコで会った、かものはしの友人のFが来ていた。この男は日本語ぺらぺら。時差ボケが一番ひどいときで、ちょっと辛そうだったが、それでもつきあい良く、下北沢に出るわれわれに同行する。ラ・カーニャはマスターがくたびれてもう閉店というので、ティーラに行く。鈴木亜紀さんも来ていて、一緒になる。先週、やはりアダンでライヴをしたのだそうだ。「春〇番」と銘打ったライヴのシリーズで、先月は平安さんもやっていた。終電ぎりぎりまでいて、神保町に帰るというFと一緒に出る。


2000年 4月 03日 (月) 曇。

 9時過ぎ起床。
 朝食はハム・トースト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 CDNow からCD8枚。段ボールは潰れて、危うく中身が出かかっていた。Richard Barnes からショウ・オヴ・ハンズ、昨年のクロップレディでのライヴCD。公式メーリング・リストのメンバー・オンリーのもの。のざきさんからサンプルCD2枚。Interzone、邦楽ジャーナル、どちらも4月号。MSIから新譜情報。

○Gaiteiros de Lisboa BOCAS DE INFENO; Farl/Beans, 1997
Gaiteiros de Lisboa  これは面白い。バンド名とは裏腹に、パイプは脇役で、むしろこれと一つに収まらない、様々な顔を見せる。基調はユーモアで、音楽の本質はここにあるのだ、とあらためて納得させられる。重厚な男性コーラスと、怪しげな創作楽器の組合せは懐が深い。

 昼食は鱈子を解凍し、海苔とご飯、キムチ。

○瞽女うた:長岡瞽女編;オフノート、2000
瞽女うた  長岡の瞽女はうたも三味線もパワフルだ。傲然と言ってもいいくらい。これに比べると高田瞽女は、タッチが柔らかい。瞽女はやはり旅芸人がなべてそうであるように、訓練を積んだプロの芸人であり、聞き手もまたマスではない。ばあさまにちょっと訊いてみたが、瞽女は見たことも聞いたこともないと言っていた。もちろん、かつての芸能は同じ共同体の中でも、全員が享受したわけではない。こういう旅芸能と享受する側の共同体構造との関係は興味深い。

 午後は『ラティーナ』の原稿書き。夕方、他のメールを書き、ニフティ・音楽関係の書込みを書き、夜メール・チェックと巡回。
 夕飯は釜揚げ饂飩。茹で卵。生姜がなくなり、仕方なく七味を入れる。
 入浴後はメール読み。たまっていたショウ・オヴ・ハンズ、Brokenthings、電脳アジール掲示板をかたづける。
2000年 4月 04日 (火) 晴れ。

 空気はまだ冷たい。7時半過ぎ起床。
 朝食、胡桃パン、コーヒー、ミカンジュース。ジュースはやまゆりの蜜柑を絞ったもの。
 午前中、車の定期点検。

 Amazon.co.uk からCD一枚と本一冊。本はハインライン『異星の客』完全版のぺーパーバック。なぜかアメリカ版では見当たらず。前にビクターにいたW氏から、高橋鮎生の新譜のサンプル。KさんからKokoo の新譜のサンプル。
 昼前にメールをチェックする。昨日から立上げっぱなしにしていたら、また日本語メールが文字化けしてしまう。やはり SweetMail に乗換えるか。やむなく、サーバをマウントして、必要なものだけ読む。国文社・Nさんからのメールを見て、慌てて架電。今日夕方、ゲラをもって伺うことにする。

 昼食は旗魚のフライ、茹でブロッコリ、根深汁、ご飯、搾菜。
 2時前に家を出て、まっすぐ国文社。ブラウンの念校のゲラを渡す。後はまた例によって、雑談。6時過ぎてしまい、あわてて青山の草月会館へ向かう。ケルティック・フィルム・フェスティヴァルのオープニング・パーティ。アナムのミニ・ライヴ、来日監督へのインタヴュー、短編映画の上映、ロビーでパーティ。着いたときにはアナムの二曲め。3曲しかやらなかったようだ。コンサティーナは新メンバーのティムがだめで、急遽、旧メンバーのトラーサが代役。演奏はまずまず。PAがきちんとしていないので、フィドルの音が小さかった。

 今回のフェスティヴァルのために来日している三人の監督、アイルランド、スコットランド、ウェールズのそれぞれの代表が出てきて、司会のバラカンさんからインタヴューを受ける。ウェールズが男性だが、後の二人は女性。しかもそろって若い。二十代、三十代だ。

 上映された短編は4本。アイルランドの住宅局のある係官が公営住宅の点検と契約に回る一日を描くもの。初めの家は母親が死んだ後残された、盲目でやや知恵遅れの双子の兄弟が住む。二軒目は、二ヶ月姿を見かけない女性の家で、警察とともにドアを破って入ると、住民は死んでいる。三軒めは、スキンヘッドのパンクな男が住んでいて、最初はすごんでいるが、隠していた驢馬を係官に見つかると、とたんに傷つきやすい性格を現わす。二本めは1970年代デリィの、カトリック系とおぼしき五人一家の4才ぐらいの女の子が、ふとしたことで母親が父親を殺したと思いこむ話。この娘は三人の子どもの真ん中で、後の二人は男の子だが、爆弾事件が日常的に起きている中で、ストレスに満ちた生活を送っている。

 三本めは、ノーザン・アイルランドに住むカハル・オ・シャーキィの詩を映画化したもので、家庭内暴力の末に母親を殺した父に強姦される娘の物語。娘は妊娠し、生んだ子どもを(死産か生まれてから殺したかは描かれない)埋め、最後に、とうとう父親と対決する。まさしく詩のような映画。四本めはスコットランドの監督の作品で、父親と一緒にやや離れたところでのクリスマス・パーティに出かけた幼い兄と妹の話。妹はやはり四歳ぐらい。兄もそう離れてはいない。廃線となったらしい鉄道のレールづたいに歩いてゆくと、同じような兄妹を連れた女性と行きあう。父親は女性と親しげに言葉をかわし、その兄妹も連れて、会場に向かう。会場はパブらしいところで、父親たちが子どもを連れて集まっている。サンタクロースなどもいて、小学校就学前の子どもたちが遊び回っているその脇で、父親たちは酒を飲む。ここに母親はいない。後から一緒になった兄妹は父親がさきほどの女性との間に作った子どもたちだが、それが正式に結婚し、その後離婚したのか、あるいは浮気の結果かははっきりしない。二組の子どもたちがほとんど同じ年齢層であるところをみると、後者の可能性が高い。

 長くて20分ぐらいのものだが、四本とも強烈な印象を残す。いい映画だ。
 パーティは特に招待された人だけでなく、昼間から残っていた一般の客もいるので、ロビーはごった返している。思いがけず、中川さん、ヒデ坊が来ていた。栩木さんが東京創元社・Yさんといて、栩木さんをのざきさんに引きあわせる。飲食はタダなので、飲物はあっと言う間になくなっていた。スコッチのモルトを飲む。はねてから、プランクトンのKさんたちと近くの串焼き屋で一杯。中川、ヒデ坊、のざき、それにプランクトンのHさん。5月のアルタン祭の話で盛上る。中川さんがエミルーの SPYBOY ライヴ・ビデオを見て、みんな表情を変えないのが面白い、という。11時すぎに一人帰る。終電に間に合い、帰宅1時少し前。

2000年 4月 05日 (水) 雨。夕刻、上がる。

 朝食、ハム・トースト、レタス、ポテト・サラダ、コーヒー、蜜柑生ジュース。
 昼食、ハンバーグを焼き、キャベツの味噌汁、ポテト・サラダ残り、ご飯、昆布の佃煮。
 今日から新学期。

 Amazon.com からレニィ・ブルースのビデオ。ドキュメンタリーだった。 レニィ・ブルースの「伝記」を一気に読了。一応冷静に客観的に書いているが、個人的な恨みは深い。

 MacOS9のアップデータが出たので、ダウンロード。ソフトウェア・アップデートでは繋がらず、アップデータのイメージ・ファイルをダウンロード。この方が、一回のダウンロードで複数のマシンにインストールできる。iMacの不安定なのは、マウスのコンパネを活かしておいたためらしい。Kensington のドライバとぶつかっていたようだ。これをはずしてみると、保っている。
 アップデートをかけて MacOS 9.0.4 となる。確かにまた少し速くなったかもしれない。

○Liz Carroll LOST IN THE LOOP; Green Linnet, 2000
Liz Carroll  端整なサウンドながら、変奏は思いきり大胆に崩してくる。作曲者として有名だが、今回もオリジナル曲に聞物が多い。アイリーン・アイヴァースやナタリー・マクマスターのようなシチュエーションの斬新さで迫るところはないが、演奏そのものはかえってラディカルかもしれない。ソラスを中心としたバックの演奏もすばらしい。地味だが、今年のベストの一枚であることは間違いない。

○Kokoo SUPER-NOVA; King Sevenseas, 2000
 これは傑作だ。のっけからファズのかかったサウンドで、ジミヘンの「紫の煙」、かっこいい。「ピーチズ・エン・レガリア」も冴えている。アレンジも見事なのだが、何と言っても演奏の表現力が格段に増している。ライヴで聞きなれた曲も別物に聞える。これを聞いてしまうと、今までやはり何かの枠にとらわれていたところがあったのではないかとすら感じられる。祝、突破。

 夕食は焼きそば、伊予柑、バナナ。
 夕食をはさんで、BEATERS 用の日記の整理。2月、3月分をやってしまう。
 9.0.4 にアップデートしたら、ロケーション・ファイルから ARENA が起動しなくなった。ネコミのメーラーは立上がるから、ARENA が原因とみて、バグ報告のメールを送る。
2000年 4月 06日 (木) 曇。

 朝、6時半前、Kが起きる物音で目が覚める。今朝はご飯の予定だったが、まるで用意をしていなかった。昨夜、食器を洗った後、完全に忘れていた。物忘れが激しい、というのはこういうことか。  そのまま眠れず、目覚ましで起きる。
 朝食は鰺の開き、榎と若布の味噌汁、ご飯、菠薐草の胡麻和え。
 家事をかたづけてから、小学校の離任式。今年度他の学校に移った二人はどちらも昨年、子どもたちの担任だったので、出席する。

 終ってから、PTAの今後の日程につき、確認。子どもたちに現金を持たせるのは基本的に好ましくないからPTA会費の徴集を銀行引落しにできないのかと会長さんに言うと、引落しできない家庭が出てくるので、なかなか難しいとの話。給食費もそうだが、現金徴集でさえ、未収金があるのだそうだ。そのため、近くの中学では今まで銀行引落しだったのを、現金徴集に変更した。
 給食費に未収金があることは、監査で表に出すべきだと進言しておく。たいていは払わないのではなく、家が貧乏で払えないのだそうだ。親が夜逃げし、子どもが児童相談所に引きとられたケースなどもあるという。その分は当然市が負担し、ということはわれわれの税金だ。である以上は、未収金の存在と総額は公表しなければならない。

 推理作家協会から、身分証、手帳、会報その他。
 昼食はKがMの弁当用に作っていったささみ・チーズ・フライと海老カツ、朝の味噌汁の残り、ご飯、昆布の佃煮。
 Songline 5号。

 Diary ++ の新版が出ているので早速ダウンロードする。ロケーション・ファイルから ARENA ガたち上がらない件は、今日は起きない。何が原因だったのか。
 4時過ぎにその後、家を出る。吉本家で白葱・味玉ラーメンで腹ごしらえし、まっすぐ自由が丘。キャロランズ。アナムのパブ・ライヴ。20分ほど早く着いてしまうが、何と店の前に列ができている。志田さんが最後尾にいる。

 見知った顔では星川夫妻と五十嵐さんがいた。佐藤英輔氏も来ていた。
 アナムの前に二つほど、国内のバンドがやった。一つはハープとフルートのデュオで、ハープはCDも出している坂上さんという女性。特にどうということはない。ふたつめは在日のフィドルの兄さんを中心にした四人編成らしい(よく見えない)バンドで、五弦バンジョー、ギター、ベース。これが音のバランスもひどいのだが、演奏も最低。全部終ってアナムが店を引き揚げる頃、この連中がジャズやブルーグラスを勝手にセッションしていたのだが、そっちの方がはるかに良い。音楽になっているし、本人たちも楽しそうだった。なんで無理矢理あんなアイリッシュまがいをやる必要があるのか、さっぱりわからん。

 キャロランズは細長い店だが、入って右側の奥にステージを作ってある。ほぼ三つに分れている、右から三分の一ぐらいのところの天井から板を吊るして大型の古いスリー・ウェイ・スピーカーを横にしてならべたのと、入口入って左側では、室内の飾りになっている梁に取りつけた、ボーズか何かの小型スピーカーがPA用も兼ねている。したがって音はあまり良くないが、サウンド・エンジニアは奮闘していた。フィドルの音が大きすぎる傾向はあったが。

 バンド自体は前に来たときより格段に良くなっている。演奏もタイトだし、何より自信が出てきて、安定感がある。ブリーンの歌唱にも余裕があった。五十嵐さんが指摘していたとおり、全体のグルーヴ感では今ひとつだが、コーンワルの曲やブルターニュの曲などを織りまぜて、他のバンドにはないレパートリィは新鮮。それにフィオナのヴォーカルはやはりなかなかのもの。ブリーンとのハーモニィもはまっていると思う。別れ際にブリーンにデュオ・アルバムを作ったらと言っておいた。今回はこれから帰って、ブリーンはソロ・アルバムの制作に入るそうだ。

 楽屋はないので、終演後、ファンが自由におしゃべりしたり、サインをもらったりしていた。これはこれでいいことではある。
 メンバーが引上げた後、五十嵐さんと引上げる。帰宅1時。
 往復、『異星の客』完全版を読みつづける。実に面白い。
2000年 4月 07日 (金) 曇時々雨。

 朝食、鰺の開き、ご飯、プチトマト。食器を洗っていると、湯が熱く感じる。春だ。くしゃみが立続けに出る。寝不足だろう。

 朝一番で歯医者。治療を終えていた左下奥がときどきうずき、叩くと感じることを訴え、やり直し。奥なので口を大きく開けねばならないのが結構大変。

○Ayuo EARTH GUITAR; MIDI, 2000
 前作の路線。悪くないが、今一歩突きぬけない感じ。一番足を引張っているのはリズム・セクション、特にドラムス。鮎生氏のヴォーカルもこれといった特定の味わいに欠ける。ゲストの女性ヴォーカルをもっとフィーチュアすればいいのに。その他のインスト部分はさすがの出来。第一印象では、前作の方がまとまりがあった気がする。

 Diary ++ の新版はダイヤモンド・カーソル実装でぐんと使いやすい。
 昼前、お宝鑑定団を見て、Jedit リビジョン・アップと Disk Warrior のMacOS9.0.4対応用のアップデータをダウンロード。
 昼食はハム・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、プチトマト、隠元胡麻和え、牛乳。

 『スポーン』81話。一気にあげる。
 夕食はKが飲み会のため、釜揚げ饂飩、茹で卵、トマト。
 夕食前、ニフティ音楽巡回。メール・チェック。
2000年 4月 08日 (土) 晴れ

 9時過ぎ起床。例によって子どもたちは早くから騒いでいて、目が覚めたのは8時過ぎ。

 朝食はチーズ・クロワッサントロール・パンにブルーベリィ・ジャムを塗ったもの、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 午前中は読書。

 昼ごろ、Jさんから電話。レニィ・ブルースの件で提案。さすがに鋭い。
 Macお宝鑑定団のサイトをチェックすると、QuickTime の映画のプレヴューで THE LORD OF THE RINGS が出ているというので、覗いてみる。実写で作っているという話は本当に進んでいたらしい。New Line Production というのは、たしか特撮で有名なところだったはずだ。はっきり言って、やって欲しくなかった。あの作品そのものが話題になるのはいいことかもしれないが。もちろん、見るつもりは毛頭ない。

 昼食は水餃子、レタス、ご飯、ゆかり。
 Granta 69: The Assassin。Alsoft から DiskWarrior のCD-ROM。早速、iMac、iBook双方に DiskWarrior をかける。CD-ROMにおまけとして Maximizer が入っていたので、iBookと外付HDにかける。Norton の SpeedDisk とは違って、一部、固定されたファイルは動かさない仕様になっているらしい。
 午後は、アルタン祭パンフのための原稿を書く。メンバー紹介。

 広島県安浦町の沖田憲彦町長(54)が、町立中学校の二、三年生の全員に、「君が代」の斉唱を求める手紙を郵送していたという記事が朝刊にある。「国民はすべて憲法や法律を守らなければなりません」「国旗は『日の丸』国家は『君が代』と法律で決定されました。規則正しく、後輩を迎えてください」と書かれ、入学式で「君が代」を斉唱するよう求めているそうだ。ついでに象徴天皇を定めた憲法1条の文面も同封されていた由。

 こういう手紙を出す気になったのはこの人物がそれだけ危機感を抱いているということだろう。それにしても、自らの信念ではなく、法律を持ちだしているのはいかにもその思考ないし感情の基盤の脆弱さを物語る。そういう手紙を出さないと不安、あるいは出しておくことで何らかのアリバイを作ろうとする意図にもみえる。もっとも記事だけでは今回が初めてなのか、今までも内容は別として同様の趣旨の書簡を出していたのか、わからない。

 ちょっと検索したかぎりでは、町としてのウェブ・サイトはない。施設として安浦町歴史民族資料館というのがあり、ここは「近代日本洋画史に不滅の足跡を残した『南薫造画伯』の生家、アトリエに特別展示室を設置し、修復。館内には、画伯の遺作を展示」したものだ。この内容で「歴史民族資料館」を名乗るのは、牽強付会という気もする。こういう名称をつけるところをみると、ナショナリスト的傾向があるのかもしれない。一方でひろしまケナフの会の所在地はこの町だ。

 グローバル化は地方から見た場合、一足飛びに世界に繋がるのではなく、まず東京の押付けとして感じられる、というのはどうだろう。それとも、直接世界と繋がるのだろうか。自前のウェブ・サイトも持たない町だから、直接世界は見えていない可能性が高い。ナショナリストはまず世界が見えないところに生まれる。次に、半分しか見ないところで育つ。

 ところで国旗・国歌に関する法律は、国旗・国歌を定めてはいるが、それを斉唱せよとも、見たら敬礼せよとも定めてはいない。この町の条例としてそういうものがあるのか。あるとしても憲法違反だろう。しかもこの法律の制定にあたっては、選択肢は示されてもいない。法律で定めるべきか否かの論議もなかったと記憶する。

 同じく朝刊の経済欄で、インターネットが「談合」を突崩し始めたという報道。この場合談合といっても業界内部のものだ。つまり、公共事業だけでなく、そもそも業界内部に談合があったらしい。

 「インターネット革命」というシリーズ記事の3回め。下請けや資材納入をネットで公募するゼネコンが十社近くなるという。その一社戸田建設東京支店購買部長・木村国男氏のコメントが面白い。「工期や安全確保などを考えると、付き合いが深い業者の方が安心だが、発注量の減少でコスト的に厳しい。協力業者にも競争力をつけてもらう狙いだ」

 付き合いが深い方が信頼できる、という発想。付き合いが深ければ、当然工期は短く(つまりコストは減る)、安全も確保されるという考え方の根拠は何なのだろう。相手方も企業である以上、利潤を追求する。付き合いが深くなれば、その利潤追求の程度が小さくなる、と言うのだろうか。

 確かに共同体の原理とは、相手のことを知っていることが基礎だ。相手の考え方、行動原理がわかっている、しかもそれが変らないという感覚だ。しかし実際には考え方も行動原理も変化する。コミュニケーションの速度とその変化の割合には何らかの関係があるはずだ。こういうことを研究している人間はいないのだろうか。あるいはわれわれはそのことをちゃんとわかっていて、しかしその変化を判断の基礎にすることはできないから、いわばそうなってくれという願望もこめて、考え方も行動原理も同じで変化しないことを前提にしているのだろうか。一種の本能的防衛機構というわけだろうか。

 同じ記事の後半で、ネットによって企業規模の大小が力関係の上下を決めなくなった、という側面が出てくる。エレクトロニクス業界ではNECが2001年3月に部品・資材の百%ネット調達を目指す。キャノンは年内に95%を狙う。NEC資材部長代理の菅孝治氏のコメント。
 「ネットによって、大企業が優位に立つ時代は終り、いかに優秀な技術を持った部品メーカーと組めるかが、勝負の分れ目になった」

 ハードは売るものは別にあるからネットを介しての取引が成立しやすい。ソフトは形そのものはないから、ネットを介すると代金の回収が難しい。

 Diary++ 1.2 で、ナヴィゲーション・サーヴィスでファイルを開いた後、WXGの候補ウィンドウがおかしくなる。上の方に空白が入って、通常見える部分の下の方が三つほど、見えない。インライン変換は使えている。昨日の現象は再現していない。

○Finola O Siochru SEARC MO CHLEIBH/Love of My Heart; no label, ?
Finola O Siochru  ケリィ州西部のゲールタハト出身のシンガーのソロ。スティーヴ・クーニィがプロデュースで、モイア・ブレナック、ブレンダン・ベグリィなどがバックをつける曲もある。大半はシャン・ノース。あるいはクラシックの訓練を受けているのか、コブシよりはビブラートが目立つところもあるが、聞いているうちに気にならなくなってきた。やはりどちらかというと低めのキーの人で、特にラストの曲など、低く始まって高まり、また低くなるメロディで効いている。伴奏ももちろん神経細やか。かなり質の高いアルバム。

 リンク・クラブがKDDとの関係を強化し、接続も見直したと連絡があり、アクセス・ポイントや認証方法も変更する。早速新たなアクセス・ポイントからつないでみると、ウェブ・サイトの読込みなど、かなり速くなった様子。

 夕食、串揚げセット(烏賊、豚肉、南瓜、海老、獅子唐)、ご飯、巻繊汁。Hは気分が悪いと言って、休んでは食べ休んでは食べしている。腹が減りすぎたらしい。
2000年 4月 09日 (日) 晴れ。

 もうベストに冬のジャケットを着ると暑い。新宿・高島屋のエスカレータで後ろの女の子たちが着るものが難しいとしゃべっていたが、実際その通り。

 8時半起床。朝食はハム・トースト。レタス。巻繊汁の残り。
 昼食、豚肉・小松菜、ご飯。

 朝からチーフテンズの伝記本を探して、本の山をひっくり返す。溜りに溜まっていたCDや本を送ってきたクッション封筒を整理。ファックスやチラシ類も整理する。が、結局全然違う部分で山の下にあるのを発見。

 Mがもらったばかりの道徳の教書が見当たらないといいだし、全員でほとんど家中ひっくり返す。結局見つからず。

 2時過ぎ、家を出る。まず新宿に出て、タワーとヴァージンでCDを漁る。レンヌのフェスティヴァルのライヴを探したが、ヴァージンに残っていた。原宿に出て、ラフォーレでポーラ・コールのライヴ。始めロビーに人影がまばらなのでちょっと入りが心配になったが、開演のころには立ち見もいたらしい。酒類もよく売れていたようで、ギネスはおれが買ったのでおしまい。サングリアも売切れ。五郎さん、鈴木亜紀さん、五十嵐さんに会う。五郎さんのライヴ仲間の戸田さんも来ていた。

 ライヴはしょっぱなから飛ばしに飛ばしてゆく感じで、2曲目で観客を立たせ、後はアンコールまで一気。昨日も見た五郎さんによると、遥かに今日の方が良かったという。本人がわたしの音楽的片腕と言っていたドラムスは、ジェンベにバス・ドラ、シンバル2枚、フット・シンバル、付属のパーカッション二つというシンプル極まるセットで、縦横無尽のリズムをたたき出す。アンコールのツェッペリンの曲ではジョン・ボーナム顔負けだった。ジェンベは大体スティックで叩いていて、縁も使う。12年間一緒にやっていると紹介していたが、飛躍するにはやはりこういう人間が必要なのだろう。ベースは黒人で、四弦、六弦、アップライト(エレキ)の三種を持ちかえ、時に奔放なリードを取る。ピアノ、キーボード、ヴァイオリン、コーラスの黒人の姉ちゃん(太っていたが案外若いだろう)も渋いところで、特にコーラスがいい。ギターはレズリー・ウェストかチャーリィ・ダニエルズという感じで、ギターが小さく見える。センスのいいリードと、かっちりしたアコースティックのリズム・ギター。アメリカのこういうバンドを聞くといつも思うが、うまいし、ツボを心得ている。そしてチーム・ワークの良さ。

 そして主人公たるポーラは、容姿では美人という方ではないが、はちきれんばかりのエネルギー、幅広い音域とスタイルを駆使し、切々とうたいかけると思えば、ハードに歌いあげ。スキャットでアドリブを延々と続け、一度は達者な口笛も披露。ギターとベースはステージの両脇に立たせて、中央に広々と空いた空間を所狭しと跳びまわる。とてもじっとしてはいられない、というのがよくわかる。二度目のアンコールではマイクを袖にほうり投げ、長い髪を振り乱してちょっと歌舞伎の鏡獅子の感じをまじえ、踊りまくった。ちなみにほうり投げたマイクはちゃんとローディーが受止めていて、次の曲で渡していた。とにかく表現力の大きな人で、しかもそれをちゃんと使いこなせる。ノーブラの臍出しタンクトップ、ずりさげ気味のジーンズにスニーカー。

 MCはほとんどなく、どんどんと演奏を続けて行く。演奏そのものはアドリブも多く、どこへ行くかわからない感じだが、エンディングは通例である大騒ぎはせず、どの曲もぴたりと決める。これも新鮮。ステージ全体も決めるところはきっちりと決めてあって、チューニングで流れを中断することもなく、小気味のいいほどてきぱきと進行してゆく。一時間で引込み、アンコール二回。計1時間半。いいライヴは皆そうだが、元気が出る。

 客層は意外に女性が多い。半分以上女性ではなかったか。二十代、三十代ぐらい。それも一人で来たり、女性だけで来ている人が多い。最後に手紙を渡していたのが二人。開演前に、Kさんに紹介されてワーナーの担当のM氏と話した時、売りにくいアーティストだと言っていたが、こういう客層ならばこれから固く売れるのではないか。あんまり美人でないところも女性は惹きつけられるのかもしれない。もっとも、こういうアーティストをきちんと紹介するのはもう既存の活字メディアではだめという可能性もある。

 ベースの兄さんのCDを売っていたので、最後の一枚を買う。五十嵐さんはすでに聞いて、誉めていた。
 今週はライヴやイベントで出かけること四回の新記録。なので、打上げには出ず、帰る。アカシアのロールキャベツで腹ごしらえし、帰宅、10時。メール・チェックだけする。
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