大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 4月 10日 (月)〜 2000年 4月 16日 (日)] [CONTENTS]

2000年 4月 10日 (月) 曇後雨。夜に入り、激しい。

 朝食、旗魚の照焼、茹でブロッコリ、ご飯。

○Show of Hands @CROPREDY VILLAGE HALL 1999; Longdog, 2000
Show of Hands.jpg  ショウ・オヴ・ハンズの公式メーリング・リスト・メンバー・オンリーの「オフィシャル・ブート」。昨年12月のクロップレディ・ヴィレッジ・ホールでのギグのライヴ録音。ゲストにガレス・ターナー。最近良くいっしょにやっている蛇腹奏者で、Little Johnny England の中心メンバー。おそらくMCはほとんどカットしてあるのだろう。次から次へと演奏してゆくのは気持ちいい。昨日のポーラ・コールもそうだったが、MC無しの方がすきだ。中身はもちろん、文句のないもので、選曲は比較的最近のものが多いようだが、もうレパートリィも多いから、お気に入りが抜けるのは仕方がない。これならオフィシャルのリリースとして出しても十分なクオリティだ。もっとも、質の悪いものをCDにしても仕様もないが。

 朝一番で日記の整理。
 昨夜寝しなに、脊椎を十分に伸ばし、捻りもやったら、今朝は調子がいい。どうも体を右に傾けていたようだ。平衡感覚が狂っているのか。
 『スポーン』81話、見直し。

 飯森氏の Mgrep の使用期限が切れてしまっていたので、かれのサイトに行ってみるが、新版はまだ出ていない。替りに MakeFreePage という仮想記憶を高速化するアプリがあったのでダウンロードして使ってみる。仮想記憶についての解説が興味深い。それで直接どうこうできるわけではないが、多少わかった気になる。仮想記憶を入れて再起動し、これを使ってみる。なるほど多少速くなったか。入力の取零しはない感じもしないでもない。

 TowerUK からCD三枚。五十嵐さんからのチーフテンズに関する問合せに返事のメール。
 夕食、ポーク・シチュー、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ。

 iMacは相変わらず不安定で、何回かファインダの操作を知ると、ファインダが落ちる症状が変らない。Conflict Catcher でテストをかけ、Apple Data Detector が犯人と出たので一緒にインストールした他の機能拡張も含め、全部捨てたが、今日はまただめだ。Netscape は旧版のアプリまで6に置換えられてしまっていたので、初期設定ファイルも含め全部ゴミ箱に捨てる。アップルメニュー、デスクトップ・ピクチャ等怪しい初期設定ファイルを捨て、さらにシステムフォルダを調べると、テキストエンコーディング・フォルダが、日本語名のものと英語名のものと二つある。英語名のフォルダ内のファイルの方が古いので、こちらを捨てる。ただ、前にも同じようなことをした覚えがある。
2000年 4月 11日 (火) 曇ときどき晴れ。

 朝食は飯をしかけるのを昨夜忘れたため、急遽、パンとなり、昨夜のシチューの残りに苺ジャム・トースト。イチゴジャムは到来物のハロッズのものだが、妙に甘ったるい。コーヒー、バナナ、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、一玉のこっていた饂飩を釜揚げにし、それだけでは足りなかったので肉まん・あんまん一つずつ。
 夕食は朝食と入代わりになり、目刺、ご飯、葱の味噌汁、レタス、伊予柑。

 朝、Kを送り、一度家にもどってから車を日産に持ってゆく。修理とタイヤ交換。バスで駅前に出て、トリニティとアオラにそれぞれの銀行で送金。有隣堂で本三冊。『グイン・サーガ』新刊と、電波天文学と宇宙生物学の研究者が往復メールで本を作っているのを見つけて買う。それに前から買おうと思っていた山口昌男の『天皇制の文化人類学』。『グイン』は惰性だが、もう他に小説を買う気がまったくしない。さて帰ろうとして、家の鍵を車のキーと一緒のキーホルダーに付けていたことに気がつく。日産に架電して取りに行こうとすると、駅前まで持参するとのことで、南口で待合せ。大いに助かる。ミロードでコーヒー・フィルターを二種、バターナイフを一本買い、電波天文学と宇宙生物学の本を読みながら帰る。なかなか面白い。

 仕事は断続的に『グリーン・マーズ』ノヴェラ版。
 午後、ユニヴァーサルの人から、コステロの "Just a memory" の歌詞対訳二次使用の許可を求める電話。むろん承諾。
 ドイツの WeltWunder Records から、ポーランドもののCD三枚到着。意外と速かった。その一枚を早速聞く。

○Berklejoy MUZYKA NASLUCHANA; Orange World, 1998
Berklejoy  レゲェをベースにして、ポーランドの伝統曲を料理しているもので、はじめ、やはり素材で負けていると感じたのだが、聞き進んでいくと、案外面白くなってくる。シタールやタブラを使った[07]あたりから身を入れて聞出す。ポーランドの伝統曲はむしろダシで、かといってレゲェの変種でもない。なかなかユニークな音楽だ。ダルシマーないしサントゥールがポーランドの土着楽器なのかは知らないが、これをリードにしてレゲェのリズム・セクション、それにセンスのいいパーカッションが入乱れて、割と広い空間を織ってゆく。結構音に隙間があるが、距離の取りかたがうまい。ルーツから出発していることは確かだが、そこにとらわれない闊達さが身上だ。ポーランドを聞きつづける気にさせる力がある。

 夜11時過ぎ、ヒデ坊から電話。7月のアイルランド行きの日程の件。
 夜、ニフティ音楽巡回。書込みをする。

 朝刊のシリーズ記事「インターネット革命」は、なかなか洞察がいい。今朝は証券会社をとりあげている。「株屋」と呼ばれて、「内部情報」に詳しいものが有利とされてきた株式売買の世界にネットが入った結果、専門的とされてきた商売の「虚飾」が剥ぎおとされた。

 そこまでは誰でもわかるが、その先、次の段階が面白い。「商売の『質』を掘下げるか、『範囲』を広げるか、新たな価値を示さなければ、ビジネスの舞台から消えてゆく」。

 同じことは個人の情報発信にも言えるはずだ。「面白い」情報発信源と認められつづけるためには、「質」を掘下げるか、「範囲」を広げるか、何らかの「新たな価値」を示しつづけなければならない。既存のメディアのように、他に替わりうるものがないから、というのは成立しないのだ。
 その点でも既存のメディアはそのままでは勝負にはならない。

2000年 4月 12日 (水) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。


 小渕が発病したのは鳩山がいじめたからだ、という野中の発言。ずいぶん甘ったれた物言いではある。病気になったのは小渕が保たなかった、というそれだけのことだ。国政を担当する人間として「身命を賭して」あたっていたのではなかったか。「涙を流し、机を叩いて悔しがった」というが、身から出た錆なので、だからどうした、と言われるくらいものだ。むしろこの発言を「国営放送」がそのまま報道するのも「不偏不党」とはいえまい。

 もちろん、野中はそんなことは百も承知で、選挙目当ての鞘当てをしているのだろう。同情票の呼込みだ。その意味ではしたたかでもある。

○Orkiestra P.W. SW. Mikolaja KRAINA BOJNOW; Orange World, 1998/FONT>
Orkiestra P.W. SW. Mikolaja  KRAINA BOJNOW  名前はSt. Nicholas Orchestra という英訳になる、総勢十三名の大所帯。ポーランドのヴァルティナの登場だ。このアルバムは明らかに影響を受けているが、1988年結成というから、ヴァルティナとキャリア的には同時期だ。Berklejoy に比べると、こちらはアコーティック楽器とコーラスでポーランドの伝統音楽に真向から挑んでおり、しかも相当程度成功している。こういうバンドが出てきたことは素直に言祝ごう。演奏能力、アレンジのセンスとも一級品。ポーランド音楽の魅力をはっきりと聴かせてくれる。スカンディナヴィアとの関係も聞取れるし、トルコから中央アジアへのラインも垣間見える。アップテンポのダンス・チューン、スローなバラッドをはじめ、さまざまな側面を揃えてもいる。むしろ、一度に何もかも詰めこもうとして、アルバムとしてのバランスが崩れているくらいだ。とはいえ、数少ないチャンスをものにしようとした意図はわかるし、音楽そのものの質の高さには関係ない。
 こういうバンドに出くわすのは楽しい。

 仕事はレニー・ブルース。
 リスペクトからハシケン、サード・アルバムのサンプルCD。

 ジュディ&バディ・ミラー夫妻のメーリング・リストを読んでいたら、それぞれの昔のアルバムがあるというので、そのクリスチャン・ミュージックのサイトへ行き、カタログを見て、注文のファックスを流す。海外からの注文では最低50ドルを越えるものでなければ受けつけないとある。幸い、二人のものをさらったら50ドルを越えた。


2000年 4月 13日 (木) 晴れ。

 朝食、エボダイの開き、菠薐草胡麻和え、大根の味噌汁、ご飯、鮪の角煮。

○TRAVELLIN' COMPANION 1: A Musical Journey to Poland; WeltWunder Records, 1999
RAVELLIN' COMPANION  見事なアンソロジー。Saint Nicholas Orchestra が突出していないのが質の高い証拠。ロマもあり、パイプの入ったブルース・ナンバーもあり、パンク・フォークもある。ジャズ、テクノ、ミニマル、そしてもちろんルーツのコア。解説によればやはり80年代半ばの、アンデスとケルト音楽の勃興が刺激になったらしいが、これはもう胸を張って世界のトップ・クラスと肩を並べられる。ダルシマーはやはりポーランドでは盛んに使われているらしい。ここに集められた曲の下のCDはどれも聞きたいものばかり。Orange World の2枚とも共通するところで、録音とマスタリングの優秀さは特筆もの。

 家事の後、郵便局で、CDプラケースをまた一箱送り、その他もろもろ投函。
 石原東京都知事の「三国人」発言関係の報道で、都庁に寄せられた約千件の意見のうち、発言を支持する意見が6割とのこと。誰が数えているのか知らないが、これが事実とすれば、そちらの方が問題である。石原の発言は石原個人の怯懦が表に出ただけの話。それよりもあのような「対外国人恐怖症」が、六割の人間にも広がっているとすれば、わが国でも偏狭なナショナリズムが広がっていることの現われとも見える。まあ、オーストリアやオーストラリアで起きていることがわが国では起きていないと考えるのは理屈に合うまい。
 それにしても見たいと思うものしか見えないのは人間の悲劇だ。いや、喜劇か。

 Diary ++ で、ナヴィゲーション・サーヴィスを使うと、WXGの候補一覧の表示が乱れる件で、いろいろ試してみて、結局日常業務に必要な必要最小限度の機能拡張等にしてやってみて、比較的安定。
 それにしても機能拡張マネージャの「MacOS9フル」と「MacOS9.0.4全て」のセットではずいぶん拾われるファイルが違う。全体的に言って、9.0.4 の方が少ない。これで本当に大丈夫なのかと思われるぐらいだ。例えばインターネット設定機能拡張まで外れるので、試してみたがコンパネの「インターネット設定」を使うには、やはりこれが必要だ。

 昼食、薩摩揚げ、鮪の角煮、朝の味噌汁と菠薐草の残り、ご飯。
 夜、コーン・クリーム・コロッケ、鰺フライ、あぶらげと若布の味噌汁、隠元胡麻和え、鮪の角煮、ご飯。
 仕事は終日断続的にレニー・ブルース。

○Lena Willemark WINDOGUR; Amigo AMCD 742, 2000
Lena Willemark  やった!! 「今年ベスト1は決まった」。今までの集大成だろう。きれいなだけではない、奔放さ。『ノルダン』のシリーズよりはるかにジャズ的。
 これを聞いていてベースの音が左でびびるので、玩具を外して見てみると、エンテックのコーンがやはり破れていた。これで、ついに二つともおしゃか。両方のスイッチを切る。かえって、音はすっきりしたような感じ。

 国文社・Nさんからブラウンの装丁案二つ、PDFで来る。一つはイラスト、一つは風景写真(ダブリンの遠景だそうだ)で、風景写真を使った方が圧倒的に良い。社内の評価でもそちらの支持が多いとのことで、何もなければこちらで行きますとのこと。自分としても風景写真の方がいいと返事をしておく。

 ニフティ、音楽巡回。ダウンロードのみ。「パブ」のとしまさんのレスを見て、TowerEurope へ行き、スティーヴェルを検索してみる。5月に新作が出る予告があった。買物籠にほうりこんでおく。

2000年 4月 14日 (金) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、バナナ。
 昼食、鰹の叩き、キムチ、ご飯。
 歯医者。左下奥やり直し。

 ヴィデオアーツからチーフテンズのビデオのサンプル。五十嵐さんから問合せのあったやつ。
 夕食、釜揚げ饂飩、茹で卵、苺、八朔。薫宴会につき。
 スーパーウーファーというアイデアそのものの将来性を見切り、エンテックをまったく諦める。わが家では少なくとも、不要と見切る。SDR からパワーアンプに直接つなぐ。ついでに後ろの方を掃除。最低音部は確かに出ていないが、全体のバランスはこちらの方がいいようだ。
 Jacqui さんの書込みを見て、久しぶりに OLD. NO.1 のLPを聴こうとしたら、右チャンネルが出ない。調べてみると、Audible Illusion につなぐところが外れていた。

○Novalia ARKEO; CNI, 1999
Novalia  今までイタリアに抱いていたイメージとちょっと違う。打込み主体のクラブ風リズム・セクションなのだが、それに乗るメロディは「北」の感じで、地中海ではない。使用楽器や旋律にはアラブの影響もあるのだが、なぜか南には向かわないのだ。重く雲がたれ込め、びょうびょうと風が吹く風景が浮かんでくる。ちょっとプログレ志向もある。ヴォーカルにもう少し骨があれば、傑作になったかもしれない。CNIのカタログによれば、これは三枚目。このレーヴェルの方針か、歌詞の英語対訳までつく。

 午後、アップルのサイトで、AirMac のベースステーションとカードを登録。
 ベースステーションを仕事部屋入口の本棚の側面につける。
 夕方、SweetMail の最新版をダウンロードし、使用してみる。ちょっと使ってみた感じでは、センスがいい。これに比べると ARENA が鈍重にみえるほどだ。

 夜、CNI のサイトに行き、最新情報をチェック。Agricantus の新作が出たらしい。とにかく、一度サンプラーを聴いて、全貌を把握しよう。
2000年 4月 15日 (土) 雨。

 朝食、苺ジャムを塗ったクロワッサン、ハム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Jimmie Dale Gilmore ONE ENDLESS NIGHT; Rounder, 2000
 どうやったのかはわからないが、このギルモアは気持ちよく聞ける。この人の前作は確かラノアがプロデュースで、この人独特の甲高い声をむしろ逆手に取って強調しようとするものだった気がする。バディ・ミラーはエキセントリックにな部分を抑え、声は隠し味に使っているようだ。バックは主人公を押出すのではなく、包みこみながら隠さない。バディ自身の「マンドギター」の音に代表される、ユニークなアレンジで冒険もしているが、それもまた冒険とは聴かせていない。一番印象に残る曲は Steve Gillet の "Darcy Farrow" だ。傑作。

 ドラムスの Don Heffington はバディの2枚の他、David Poe となんと、シネィド・ローハンのセカンドに入っていた。 ベースの Byron House とフィドルの Tammy Rogers、それにオルガンの Phil Madeira はバディとジュリーの両方のアルバムに参加。Rogers は Jim Lauderdale にも参加。Madeira は Ashley Cleveland のバンドの要でもあり、共作もしている。弦楽器の Darrell Scott は Susan Werner の1998年作と、Kate Rusby の SLEEPLESS にも入っているようだが、同一人物だろうか。Steve Hindalong はジュリーのアルバム。リード・ギターの Rob Gjersoe は初めてお目にかかる。

 午前中は、明日の対談のための準備。Flook! のサイトに行き、必要な情報をコピーしたり、プリントアウトしたりする。手元の関連ディスクをさらう。記事を読む。
 午後も作業続き。
 MusicFolk からショウ・オヴ・ハンズの新譜が入ったと連絡があったので、意を決してたまっていたのを注文。25枚。げろげろ。

 子どもたちをスイミングに送迎し、生協で買物。
 昼食は、ほっけの干物を焼き、葱間汁、若布ご飯、トマト。
 夕食は焼きそば。M、腹が痛いというのでやめさせる。スイミングの後冷えたのかもしれない。
2000年 4月 16日 (日) 曇時々雨。

 8時半起床。
 朝食、苺ジャムを塗ったクロワッサン、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 薫と子どもたちが子供会の資源回収に出ている間、家事にいそしむ。
 その後、Flook! の資料を探して雑誌をあたるが、Irish Music Magazineで一つ見つかっただけ。
 昼食、筍ご飯、牛肉・牛蒡・人参の醤油煮、豆腐とあぶらげの味噌汁。

 1時過ぎ、買物に出るKに車で駅まで送ってもらって出かける。まっすぐ鎌倉。3時にのざきさんと鎌倉駅で待合せ。松山さん宅で、中山義雄氏もまじえ、Flook! のライナーのための座談会。始まる前に、のざきさんが持ってきた古いFolk Roots誌の記事にざっと目を通す。初めのラインナップのころの Sarah Coxon による詳しいインタヴュー記事。座談会そのものは楽しく終了。松山さんが JSD Band を知らなかったのはちょっとびっくり。かれでも知らないバンドがあるのだ。
 一通り終ったところで、奥さん手作りの料理に舌鼓を打つ。ポテト・サラダ、地中海風サラダ、カレー、ご飯。

 そこへプランクトン・Kさんから電話が入り、アルタン祭のパンフレットの原稿で表記を統一したいという話。仕方がないので承諾。原稿を書いていないのが松山さんだけとのことで、急っついてくれと言われる。

 中山さんが持ってきたかつてマリの政府から出ていたLPで、「本物の」盲目のグリオの録音など、あれこれ聞いたり、チーフテンズの新譜と同時に出るビデオを皆で見たり。樹理ちゃんはもうすぐ一歳で、そろそろ立とうとしている。

 10時すぎに辞去。中山さんの車でのざきさんを駅まで送り、その後また自宅まで送ってもらう。来月、アイルランドと南イタリアを車で旅行する計画を立てている由。そのための練習だそうだ。

 車中、中山さんがトルコのモダン・アシェクのテープをかける。エレキ・サズ二本に女性のリード・ヴォーカル二人、どちらもユニゾンで、時折ネイかズルナのようなリード楽器がソロをとる。ベースとドラムスのリズム・セクションが入っているが、フロントが強力なのに比べて、いかにもしょぼい。そこからリズム・セクションの良し悪しの話になる。例えば英国には信頼できるドラマーが少ない、デイヴ・マタックス、ピート・トーマス、ジンジャー・ベイカー、それぐらい。アメリカには、エミルーのスパイボーイとか先日のポーラ・コール・バンドとかをはじめとして、そんなに有名でなくとも、センスのいいリズム・セクションが結構出てくる。そうすると英国にはベースはもっと少ない、という話になる。

 普通の音楽、つまりルーツの音楽にはベースにあたるものはないことに思い当たった。例えばアイリッシュでもルナサを見ると、ああアイリッシュにはベースがなかったのだと気がつくが、ベースがなくても別段、音が不足とか不満とかは感じない。普通は必要ないのだ。それは大体世界のどこの音楽でも同じだ。ベースが出てきたのはまずクラシックで、それから本格的にはアメリカのジャズだろう。なぜ必要と考えたのか、誰が、いつごろ、どこでダブル・ベースを指ではじくという形を導入したのか。

 ちょっと面白い命題だが、リズム・セクションの重要性が認識されるようになったのはごく最近のことだそうだ。ドラマーへのちゃんとしたインタヴューはほとんどないし、過去の録音では、リズム・セクションのクレジット記録もろくに残っていないらしい。ソウルやR&Bの昔の録音でも、ギターは調査が進んでいるが、ドラマーはだめだそうだ。

 またメジャーのレコード会社の話になり、東芝EMIとワーナーの合併話で、ワーナーの社員は東芝に対して相当神経をとがらせているらしい。日本では東芝の方が規模が大きく、力が強いから、合併した場合、東芝の社員の方が残る可能性が高いそうだ。それが嫌なら金を出せ、と東芝は言っているらしい。何にしてもメジャーの話だ。

 それと、ここ二、三年の新入社員は、男子でも、ちょっと叱るとトイレに行って泣くという話を聞いた由。事実だとすると、そして事実ではないと疑う理由は何もないのだが、唖然とするしかない。中山さんに言わせれば、それだけずっと内向きで育ってきたからだろうとなる。自分たちの世界と「大人」の世界を峻別し、「大人」の世界把握までも「向こう側」として、関係を持たないようにしてきた、というのだ。

 では、なぜそうなったのか。ひとことで言えば、過保護ではないか、と思うが、これも多分、そう一言でかたづけられるような単純な事情ではあるまい。ただ、本質はそういうことで、それに対する治療が必要ではあるはずだ。もっとも、過保護のまま、社会から「成人」として扱われる年齢に達してしまった、しかも、知的・身体的能力で、特に明確な障害がない人間の場合、その治療は難しいことは想像できる。まずそれが「障害」である、という認識が、「こちら」と「あちら」の双方にできるかどうか。

 できなければ、「過保護」の事態が「常態」となるわけだが、問題はそれが共同体(一応「国」を共同体として)の中では通用しても、外国との関係で通用するかどうか。いや、「通用」するかどうかという前に、こてんぱんにやられるのことは目に見えている。その後、今度はやられた連中がそれを国内に「転化」したり、対「外国」恐怖症を募らせて、ヒステリックな反応に出ることだ。戦前の陸軍の「中国通」が、自分たちの「想い」が中国に通じなかったことに苛立ち、挫折感を埋めるために無謀な侵略をしていったのと同じだ。

 ひょっとして、こうした「内向き」の態度、「大人」の世界へ背を向けようとする姿勢は、対外恐怖症が別の形で現われたものだろうか。
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