大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 5月 08日 (月)〜 2000年 5月 14日 (日)] [CONTENTS]

2000年 5月 08日 (月) 晴れ。

 朝食はハム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Jackie Dunn DUNN TO A "T"; JAD-CD 1, 1995
 この人のフィドルはケープ・ブルトンにしては流れるようなスタイルだが、ひっかけるべきところはひっかけ、曲と曲の変り目がよくわかる。実に素直な、一種、品のいいフィドルだ。ウェンディ・マクアイザックのアルバムよりもフィドルを前面に出したミックス。最後のトラックでは珍しくジグからリールにつないでいる。

 家事をかたづけてから出かける。図書館にて借りっぱなしだったアルベルト・マンゲルの『読者の歴史』を返し、井上究一郎の自選エッセイ集『水無瀬川』を借り、『井上究一郎文集』のリクエストを出す。銀行、郵便局など回って帰宅。

 朝から顔がのぼせ、朝食のときにはMに顔が赤いと言われる。たしかにここしばらく、右耳がざくざく言ったり、頭がかっかしていた。歩きまわったり、首を伸ばしたりしてもあまり効果がない。帰って本を見てみると、自律神経の失調らしいので、昼食前にヨガの基本体操を久しぶりにするといくらか良い。

 昼食はエボダイの開き、キャベツ味噌汁、ゆかり、海苔、ご飯。
 English Dance & Song、Interzone、Good Book Guide、Dirty Linenから定期購読更新の通知。

 昼食後、近所の郵便局に行き、ポーランドの Orange World にCD代金を送る。最近、簡易郵便局以外なら、為替や預金を扱っているところならば国際送金ができるようになったらしい。さすがにまだ慣れないので、ちょっとどたばたしていた。ポーランドは Sterling Pound でしか送れないと言うので、それで送る。2時前に入った時は客は全然いなかったのだが、俺の後、老人の夫婦やら主婦やらがぞろぞろとやってきて、窓口の女の子はてんてこ舞いしていた。

○LEAHY; Virgin Canada, 1996
 このメインのフィドルの兄ちゃんはクラシックの訓練も受けているはずだ。ハンガリーの曲や、ラストのスロー・エアにはっきり出ている。特にラストのスロー・エアはクラシック・ヴァイオリンの語法ではある。例えばナタリーやウェンディ・マクアイザックなどの、伝統からそのまま出てきたのとはちょっと出自が違い、リズム・セクションを入れてのロック的演出もそういうポップさの現われだろう。ランキン・ファミリーに通じるところか。それはそれで面白く、伝統に対するリスペクトもきちんとあり、好感は持てる。ただ、この方向が実を結ぶにはもう少し戦略的な意識が要ると思う。このアルバムはあまりに真正直で、好感は持てるが、見事さに打たれる、あるいは面白さを楽しむところまで行っていない。あるいはそこがかれらの良い所なのかもしれないが、ここはいちばん突抜けて欲しい。

2000年 5月 09日 (火) 晴れ。暑し。

 朝食、梭子魚の干物、大根の葉の味噌汁、菠薐草のおひたし、ゆかり、ご飯。

○CATHAL HAYDEN; Hook/Music Plant, 1999/2000
CATHAL HAYDEN  茂木のライナーは細かいが、たまにはこういうものも読みたい。これを素人流に書直せば、フレーズの始め、つまり八小節の頭の音はドニゴール風に強く入るが、その後は比較的流れるように弾いて、要所要所でトリプレットで決める、ということか。正直キーボードはちょっと邪魔。フィドルが持続音だから、背景放射のようなこういう音がかぶさるのは好きではない。もっとも、フィドルの音そのものを隠すようなことはしていない。スライドのトラックに参加している Donal Murphy は茂木のライナーでは触れられていないが、シュリーヴ・ノーツのメンバーで、シュリーヴ・ルークラのベテラン蛇腹奏者だ。あらためて聞いてみると、フィドルもさることながらバンジョーが見事。それにしてもフィドルのアルバムはいくらでも聞いていられる。
 午前中、読書。
 昼食、昨夜の残りの小松菜・豚肉、ご飯、ゆかり。
 昼食後、郵便局へ行き、Phil Beer のところとタムボリンに送金。
 MusikFolk からCD2枚。
 昼食後「グリーン・マーズ」の見直し。夕食までかかって、一気に終らせる。

○LITTLE JOHNNY ENGLAND; LJECD1, 2000
LITTLE JOHNNY ENGLAND  こういうバンドがいまどきイングランドから出てくるとはいささか意外。フェアポート、アルビオン、オイスターの良いところを集めたようなバンドで、ガレス・ターナーとフィドルを中心とするインスト・パートも、唄モノも、懐かしいフォームとサウンドを感じさせながら古くない。今の音楽なのだ。P・J・ライトというこのシンガーはかなりのもので、ジョン・ジョーンズ以来と言ってもいいかもしれない。正直シンガーとしてだけとれば、スティーヴ・ナイトリィよりも一枚上だろう。"I was a young man" を除き、すべてオリジナルだが、ショウ・オヴ・ハンズ以上にイングランドの伝統をたっぷりと受継いでいる。ショウ・オヴ・ハンズは言うなれば超一流のB級だが、この連中はAクラスになれる可能性を孕む。要注目。

 夕食はロール・キャベツ、ご飯、ゆかり。
 夕食、入浴後はまた読書。『水無瀬川』は一種の回想録集で、一つひとつは短いながら、対象の素材が大きいだけに、面白い。

2000年 5月 10日 (水) 曇。夕方外へ出ると、風がかなり涼しく、一瞬もどって着替えることも考える。

 朝食、フレンチ・トースト、バナナ。
 昼食、焼き餃子、搾菜、ご飯。
 朝から終日読書。さすがに疲れる。神経もだが、何より眼が疲れ、後半は少し辛い。

○Gillian Welch HELL AMONG THE YEARLINGS; Almo, 1998
Gillian Welch  ようやく聞くが、予想以上。この人のソングライターとしての才能には背筋が寒くなる。とりわけ、[03]のような、トラディショナル調の曲。だが、その他の曲も、ゆめゆめ劣るものではない。今後、シンガー・ソング・ライターの出来を判断する際の指標になる人であり、アルバムだ。

○Stacey Earle SIMPLE GEARLE; Gearle Records, 1998
Stacey Earle  そのジリアン・ウェルチに勝るとも劣らない出来。声はいささか甲高いが、嫌味はなく、ちゃんと中身のある声だ。それ以上にソング・ライティングが見事。そして、バック・バンドの水準の高さ。これ一枚で消えていても傑作として残るはず。

 ヴェクター・ダイレクトからAdaptec Taost 4 のアップデート版が届く。
 5時に家を出て、郵便局にてみのさん宛、ビデオを投函。まっすぐ横浜。6時半前に着いてしまったので、札幌やで醤油ラーメンにて軽く腹ごしらえ。ルミネの有隣堂を覗く。網野善彦の対談集と著書が新たに出ている。深町眞理子さんがエッセイ集を出されていた。その他は特に面白そうなものはなし。

 7時にそごう隣のスカイビルの上にある、リビングバー・スエヒロにゆく。ここはサントリーがやっているチェーン店だそうだ。横浜・神奈川在住の翻訳家・出版関係者の集まり。鎌田三平さんの呼びかけ。10時近くまで。食べ物はいろいろ出てくる。酒はビール、ウィスキー、ワイン。扶桑社の富田氏、あとから金子さんも来る。海洋モノをやっている大森さんという中年女性とシャンティの話で盛上がる。実物が聞きたいと言うので、曲名を言ってくれるように言う。日本丸でボニー・ジャックスの一番背の高いメンバーの人が、シャンティを歌うサークルをやっているそうな。文春の人、創元の井垣さん(『薔薇の名前』の発見者)と『ジョン・ランプリエールの辞書』の翻訳者・青木純子さんにも会う。三年かかったそうな。東江さんも見えたが、あまり話は出来ず。二次会は町田という声が大きかったので、そのまま帰る。帰宅11時半。ジュースを二杯飲んで就寝。

 夕方出かけるとき、ちょうど家のある棟の下の道路脇の電柱に梯子をかけて登り、作業している人がいて、バスはその横を通る時、ちょっとスピードを落とした。普通こういう作業をする時には、二人がかりで、工事中の表示を出してやるが、近くに他の作業員も見えなかった。ふと、ああいう所に盗聴装置を仕掛けるのはかえって簡単なのか、とも思う。制服を着てヘルメットをかぶって作業していれば、特に誰も怪しまないし、怪しんで質問したとしても、相手が本当に盗聴器を仕掛けているかどうか、素人には判断がつかない。こういうのは妄想なのだろうけれど、「陰謀史観」は妖しい魅力に満ちていて、カルトには無縁の人間でもこちらはついつい陥りそうになる。それとも、結局人間、弱点は同じ、ということだろうか。

2000年 5月 11日 (木) 曇りのち晴れ。涼し。

 朝食、旗魚の付焼き、キャベツの味噌汁、茹でブロッコリ、ご飯。
 昼食、鰺の開き、ブロッコリの残り、搾菜、細切り昆布の佃煮、味噌汁残り、ご飯。
 午前中、国際送金の受領証をスキャナで取込み、Orange World 宛手紙を添えてファックスする。昼食中にメールのチェック。

 図書館から借りて呼んでいる井上究一郎の『水無瀬川』は予想通り、見事なエッセイ集で、まずは第一部追悼集がいい。何せ対象が辰野隆、鈴木信太郎、堀口大學、三好達治、中島健蔵、森有正といった人たちだから、内容の奥行が違う。

 それはともかく、読んでいくうちに、近代におけるわが国の文学思想、いや思潮と言った方が正確かもしれないが、文学から見たものの考え方の大枠を決めたのが、辰野隆以来の二十世紀フランス文学への傾倒とこれをわがものにしようという努力だったというイメージは、説得力を持ってくる。はじめから著者が意図したことではないにせよ、そういうイメージはこの追慕文集からくっきりと浮きあがってくる。辰野隆という人は谷崎の同世代人だったらしいが、自身創作に向かうのではなく、あくまでも学者として、また師として大成した人だったらしい。この人の姿を初めて垣間見たのは孫弟子か曾孫弟子にあたる隆慶一郎のエッセイだったが、井上究一郎のこの文章は『辰野隆隨筆全集』なる書物のために書かれているので、これは読んでみたくなった。何しろ、渡邊一夫、伊吹武彦、小林秀雄、三好達治を第一として、中村光夫、中島健蔵、淀野隆三、あるいはまさに井上究一郎といった人びとがその門下からは輩出している。この人によってフランスの同時代文学がわが国の少なくとも二十世紀前半の文学の方向性を決定したと言ってもまず過言にはなるまい。その末には、例えば石川淳、中村真一郎、大江健三郎や、あるいは後に井上もその恩恵を蒙る塙喜彦なども連なるわけだ。そしてさらには隆慶一郎も現われる。少なくともわが国二十世紀前半の文学の姿を決めたのは、渡邊一夫のラブレーであり、鈴木信太郎のヴィヨンであり、小林秀雄のランボー、中島健蔵のボードレールであって、漱石の英国でも鴎外のドイツでもなかった、とは言えるのではないか。ドイツにゲーテあり、英国にディケンズありといっても、ジッド、ヴァレリー、プルーストと並べると、同時代文学として、そして二十世紀の文学全体の方向性として、いささか見劣りがすることは否めない。プルーストとならべられるべき、ジョイスもムージルも、その全貌がある程度見えてくるのはやっと最近の話だ。

 こうした人びとの足跡を少しでも追ってきたわけではない俺にしても、例えば隆慶一郎とかあるいはその前に石川淳とか、そしてこの井上究一郎とかいうあたりを媒介にして、その余沢にあずかっていることは確かだ。

 『水無瀬川』というこの本では、井上の伝記的な情報も初めて知ることができ、その点でも興味深い。タイトルがとられたエッセイを読むと、その故郷は今中川敬たち、ソウル・フラワーのメンバーが住んでいるあたりにもほど近いはずで、何やら妙な気分になった。プルーストと中川敬ではほとんど対極にある存在ともいえるだろうし、中川は多分プルーストなどと鼻で笑うではあろうが、俺の中では素直に繋がる。

 故郷の先祖の墓に、生家にあった井戸の水をかける時、苔からたちのぼる匂いに当の先祖への繋がりを感じる著者の感覚の鋭さ。プルーストを味わうとはこういうところまで含めてのことだろう。

 森有正との関係を綴った文章や、第二部のふるさとについての文章を読んで、ふと『ガリマールの家』が気になり、今朝はまた始めの方と後ろの方を拾読みしてしまう。井上究一郎の文章として初めて夢中になったのはこの本だったが、何度読返しても新鮮さはいささかも衰えていない。これは雑誌『海』と塙喜彦から生まれたものとして、塩野七生の『海の都の物語』とならぶ双璧ではないかと思う。

 戦時中の井上の行動も気になっていたのだが、彼は1943年とかなり遅くなってから当時の仏領インドシナに渡っている。兵士として招集されるのを免れるため、在外日本語講師を志願していった。
 フランス語やフランス的なものの見方にはあまり共感を感じないのだが、フランスに共感した人びとが生みだしたものには共感する。多分そこに、異文化・異文明との付合い方の理想があるからだろう。

 さて、ひるがえって我が同時代の文学あるいは思潮として、取組む実体は何になるだろうか。「思想」ないし「思潮」が生まれるにはアイルランドはあまり可能性は見えない。あそこにあるのはもっと非言語的な動きではないかと思う。それを言語に置換える作業はそれはそれでまた面白いかもしれないが、はたして言語に置換える作業そのものが有効であるかどうか。
 あるいはやはりアメリカの文芸ということになるか。
 そして、おそらく小説はすでにその玉座を降りている。

○Susan Werner TIME BETWEEN TRAINS; Bottom Line/BMG, 1998
Susan Werner  その点でひょっとすると現代アメリカの文学的「声」としてこうしたシンガー・ソング・ライターのうたは無視できないのではないか。詩の朗読あるいはポエトリー・リーディングとはまた別の次元で、「文学」の新たな形としてのうたが生まれているのではないか。
 この4作目は彼女の資質が余すところなく開花していて、もちろん彼女のアルバムとしても文句なくベストだが、数あるシンガー・ソング・ライターのアルバムとしても傑出している。ジリアン・ウェルチとならべても遜色は全くない。ジャズをある時は隠し味に、ある時は前面に出す。一曲パイプが入っているが、これはどうやらチャンターだけのようだ。隠しトラックはちょっとブレヒトを想わせる。あるいはブレヒトそのもののカヴァーか。

 3時頃、東京創元社・K氏から電話。メールで送った原稿、無事受領。同じアンソロジーに何かエッセイを書いてみないかという話になり、あれこれ話すうちに、『異星の客』とSFという「形式」、ひいてはアメリカの文化・文明を支えるもの、それをロビンスンの火星シリーズにもひっかけるという話はどうかということになる。さてまず『異星の客』完全版を読了しなければならない。

 自民党を中心とするいわゆる「改憲派」の人びとが現憲法を改正する必要性の論拠として、制定過程の不正をもちだすこと、つまり現憲法は占領軍に押付けられたものだから変えるべきだ、と主張するのは、その論拠の弱さを示している。弱さというよりも、「言いがかり」に近い。何よりも「何故、いま」変えねばならないか、その理由が全く分明ではない。憲法という基本的な枠組は変えないですむならば変えない方がいい。現に憲法改正などしなくとも、再軍備はできているのだし、海外派兵もしている。憲法解釈がときどきの政府で変わるのはむしろ当然のことだろう。どうしても憲法を変えねば、国としての存続がたちゆかない、あるいは、「国民」の生活がたちゆかない、という必要性は、いま現在、全く感じられない。

 広島県安原町の「日の丸・君が代強制」町長もそうだが、今60代の人びとは敗戦前の「臣民」教育を叩きこまれた最後の世代である。しかもこの世代は、日中戦争末期から太平洋戦争へと戦況が厳しくなる中で、教育現場での締めつけも一番きつかった世代でもある。そういう教育を受けた人びとが、敗戦前のシステムにノスタルジーを感じるのはむしろ当然だろう。しかも戦後のシステムの破綻が日々明確になっているとなれば、それに替わるものとしてそれ以前の自分が幼い頃に慣れ親しんだシステムをもちだすのは、もっと当然とも言える。この人びとは敗戦時にはまだ成人していないから、自分たちが叩きこまれたシステムそのものの破綻は実感していない。ありていに言えば「負けた」という実感がない。「負けた」のは自分たちではなく、自分の親たちの世代だと感じているのだろう。

 安原町の町長は町内の中学校の教師に、「日の丸を掲揚し、君が代を斉唱して、社会主義・共産主義を押付けるな」という趣旨の手紙を送ったそうだが、日の丸を出さず、君が代をうたわないことが、「社会主義・共産主義」の押付けになるという論理がわからない。そもそも、教師は「社会主義・共産主義」を奉じて日々の教育にあたっているという認識そのものが、アナクロ過ぎて馬鹿馬鹿しくなる。

 もっとも、となると敗戦前の「臣民」教育における「社会主義・共産主義」とは何か、というのもちょっと面白い命題だ。誰か、そこのところをきちんと研究している歴史学者はいないのだろうか。

2000年 5月 12日 (金) 晴れ。やや雲あり。

 朝食、鰺の開き、大根と榎の味噌汁、和布キャベツ。削り節の買置きがなかったので、鰹節を削る。

○Katell Keineg O SEASONS O CASTLES; Elektra, 1994
 なるほどアメリカ人ばなれしたセンスを聞かせる。声もユニークだし、曲にもふとアラブが入ったりする。この声は、ちょっとトニ・チャイルドに感じが似ている。粘着力の高いところとか。編成もフル・バンドあり、どシンプルあり。ほとんどギター一本で聞かせるラストの曲は感動的だ。他のアルバムも聞いてみたい。

○Liz Doherty LAST ORDERS; Foot Stompin' Records, 1999
 明朗快活。ジャケット通りの音楽。曲種もヴァラエティに富み、演奏もさまざまにテンポやアクセントを変える。イアン・カーのギターがなんともすばらしい。リズムを刻みながら、ハーモニーをつけるような感じだ。一曲、トニィ・マクマナスが参加しているトラックでは、メロディを弾くマクマナスにカーのリズム・ギターが入ってくるところはスリル満点。

 昼食、Kが朝揚げていった鶏の唐揚げ、和布キャベツ、味噌汁は朝の残り、ご飯、ゆかり。

 Read Ireland に、ダブリンの男娼の世界のルポルタージュが出ている。数百人規模でいると言われるダブリンの男娼の世界に女性が取材して書いたもの。なるほど、言われてみればないはずはないだろうと思われる。

 井上究一郎『水無瀬川』を読みつづけているが、この人の文章に惹かれるのは、一つにはこの世界が自分と対極だからかもしれない。フランスも南部からイタリアに連なる南ヨーロッパのルネサンス以降の文化に対する愛着は、こうして紹介されれば魅力は感じるものの、自分から積極的に求めて行く気にはならない。むしろキム・スタンリィ・ロビンソン描くところの荒涼たる火星の風景の方が、気性には合う。

 3時過ぎ、出かける。ロイヤル・パーク・ホテルにて、市P協年次総会の後の懇親会。帰宅6時半。KはMを耳鼻科に連れていっていて、Hがぽつねんと留守番していた。そのHは腹が痛いと言って夕食はほとんど食べず、早々に寝る。Mは元気。

 7時過ぎ、ヴィデオアーツのKさんから電話。先日輸入盤を送ってもらった Virginia Rodriguez のライナーの依頼。また締切がきついので、アルタン祭の後、二日ほど時間をもらう。ファックスでまず基本資料を送ってもらう。

 中途半端に酒を飲んだので他に何をする気にもならず、『水無瀬川』を読みついで、一気に読了。阿部昭という作家で、井上氏の教え子になる人物に関する文章がいい。アポリネールの「刺殺された鳩」とその堀口大學訳をめぐる論考。そしてやはり『失われた時を求めて』に関する文字どおりの「こぼれまつば」拾遺が見事。今回は後半の『囚われた女』や『見いだされた時』に関する論考があって、先を読みたくなる。

 この最終章に現われるサン・シモン公ルイ・ド・ヴルヴロワ(1675-1755)とシャトーブリヤン(1768-1848)の二人の回想録の存在とその力を知って、俄然興味が沸く。プルーストは特にサン・シモンの回想録に傾倒し、「別の時代の回想録を残そう」と決意して小説の様式を一新する。同時代を同時代から回想することはすでに『断腸亭日乗』がある。キアラン・カースンの散文には回想の新しい様式の実例があるのではないか。

 WXGの選択候補ウィンドウの不具合はますますひどく、候補追加するとまず百%の確率で表示がおかしくなる。その時は大丈夫でも、その次からだめだ。WXGの初期設定諸ファイルのうち「WXG設定」を捨てて作りなおしたら、どうやら治ったようだ。

2000年 5月 13日 (土) 曇後雨。

 8時、目覚ましで起床。
 朝食はクロワッサンとロール・パンにブルーベリィ・ジャム、賞味期限過ぎのハムをあぶったもの、胡瓜、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Dee Carstensen BELOVED ONE; NYC, 1993
 これがファーストになるのだろうか、一枚だけ聞いていなかったらしいのだが、これは薄っぺらなうたを漫然とうたったものを、化粧だけのプロデュースで飾りたてた愚作。ゴミと言ってもいいくらいで、途中で聞くのをやめた。セカンドは昨年4月10日、サードは昨年6月3日に聞いていて、どちらも割合気に入っているので、これはまだ何もわかっていなかった時のアルバムか。

○Jonatha Brooke 10 CENT WINGS; MCA, 1997
 上記よりはましだが、何よりドラムスの底が抜けていてぶち壊し。それでもまだ自分のうたいたいうたがあり、必ずしもメジャー的な音作りに呑込まれずに立っている部分もある。

○Beth Nielsen Chapman YOU HOLD THE KEY; Reprise/Warner, 1993
 メジャー系の音三連発の中では一番ましで、ヒロインの存在感がはっきり聞ける。一曲、キャスリン・ティッケルが入っている曲もある。予想していたよりもポップで、音楽の幅も広く、ジャズの様式を借りた曲や、シンプルなバックでじっくり聞かせる曲もあり、それなりの才能は感じる。

 と三枚、聞いたところでふと思ったのは、メジャー系の音は、セールスを優先するために、冒険をしなくなっているのではないか、ということが一つ。もう一つは、映画の場合のように、スタジオ・ミュージシャンのユニオンが強くなり過ぎてしまい、アルバムの中に一定の比率で各種楽器やストリングスを入れなければいけないという全体的な契約ができているのではないかということ。

 この三枚、どれにも必ずキーボードが入り、ストリングスがどこかで入ってくる。全く必要ないと思われるシンプルな設定の曲でも、途中から入ってくる。チャップマンのアルバムはそれでもヴォーカルを前面に出しているので、まだしも聞けるのだが、ブルックでは曲によって埋もれることもある。そういう楽器やバッキングの「必要性」をプロデューサーが認めているということなのだろうが、どうしても無理を感じる。ジリアン・ウェルチやスーザン・ワーナー、スティシー・アールたちのアルバムの持つパワーを聞くと、シンセサイザー系の音やストリングスは、まさに「チョコレートがどろどろ糞便垂れていたり、生クリームがくたびれたあくびをしているアメリカ風ケーキ」(井上究一郎「味覚の散文詩三・さとう・エ・コンパニー」/『水無瀬川』〔筑摩書房、1994.08〕119pp.)に相当するものとしか思えない。

 クラダからCD一箱。税金1,200円。MusikFolkからもCD2枚。Dirty Linen。Sugar Hill のサンプラーがおまけ。なぜか全員男性のミュージシャン。F&SF。ダニエル・キイスが「アルジャーノン」成立過程を書いたエッセイを出版し、その抜粋とともにオリジナルの中編を再録している。テレビ化もあったのかもしれないが、何となく不自然なものを感じる。青木純子さんから『ジョン・ランプリエールの辞書』。

 夕食は旗魚のフライ、キャベツの千切り、豆腐と葱の味噌汁、細切り昆布の佃煮、ご飯。
 夕食後、サカキバラ事件の話題になり、Kが犯人の少年の両親の発言として、小学校の半ばから息子の考えていることがわからなくなった、というのがあった、と言いだす。Kによれば、その内実は、両親が描いていた少年象から本人がはずれだしたという意味だろう。

 俺に言わせれば、譬え自分の子どもでも、「わかる」と考える方が「わからない」。血を分けているということと、子ども自身が何を考えているかわかることは別だ。血を分けていることが実感できるのは理性の部分ではなく、感情の部分であり、したがってそれは言葉にはできず、明確に伝えることも難しい。それにしても推定の部分が大きい。実際にどう感じているか、何を考えているか、などということは、よくよく話合ってみてもわかるかどうか怪しい。自分の考えていること、感じていることを明確に言葉で他人に伝えることは、成人同士ですら稀にしかできないことで、ましてや言語の使用にも熟達せず、思考や感情も未発達の子ども(例えば小学生ぐらいの)にそんなことがそうそううまくできるはずがない。

 そういう言葉にできない部分を感じとるのが「血の繋がり」というのなら、それは血縁を盲信しているだけだ。もはや血縁などに大した意味はない。なぜなら、われわれの生きている時代は変化が急速な時代であり、第二次大戦までに比べて、おそらく自乗から三乗、あるいはもっと大きな速度で変化が起きているからだ。そしてその変化はますます速く大きくなっていて、当分スピードが緩む気配はないからだ。自分が子どもとして生きていた時代と自分の子どもが生きている時代では、状況がまるっきり違うのであって、子どもとしての自分の体験と現在の子供たちの体験に共通する部分は、ごくごく少ない。われわれはたがいにエイリアン、異星人と考えた方がわかりやすい。あるいは子どもたちは鶯の巣に生まれた郭公の雛である可能性もある。それがいやなら、子どもは天から預っていると考えてみればいい。預ものであるから、それが自分の遺伝子を持っているかどうか、本当のところはわからないのだ。

 おそらくはこれは親の自立にも繋がるのだろう。自分の挫折の代償を子どもにしょわせるのではなく、自分の失敗はあくまでも自分で引受ける。そう、おそらくは最近の少年たちの「爆発」は、引受けるべき責任をきちんと引受けてこなかった年長の世代へに対して、あらためて責任を問うているのだ。

 森有正のちくま文庫版『エッセー集成1』や、一冊だけ買ってあった、文庫版『ゲルマントのほう 一』の訳注を読んだり、昨日読了した井上究一郎のエッセイ集の余波が続いている。

 井上の感性はおそらく視覚を中心にしている。絵画、美術への嗜好は顕著だ。むろん他の五感も並み大抵ではないようだが、しかし音楽への嗜好は、もちろんクラシックにせよ、文章には現われない。詩はずいぶん親しみ、自身詩作も試みたことがあったようだが、『水無瀬川』に収められている若い頃の作など、正直言って箸にも棒にもかからない。実は、『失われた時を求めて』の翻訳にも、あまり文章の流れとして適当と思われないところ、つまり読んでいて音の流れが淀んだり、とびはねたりするところがままある。

 ところで絵画、あるいは彫刻等の伝統的美術は、その本質からして十九世紀的、あるいはヨーロッパで言えば第一次大戦前までの文明に属する。なぜなら、絵画や彫刻は、それを鑑賞できる人間の数がきわめて限られるからだ。本来こういう美術作品は、複製されることを前提にしていない。真筆は常にただ一つだ。版画は多少違うかもしれないが、これとても複製技術の革新による「大量複製」ではない。文章のように、印刷によって大量に複製することも意味がない。あるいは、そこでは本来の作品の持つ含蓄が決定的に変化する。ひとことで言えば、印刷されたものは「作品」ではない。「カタログ」に過ぎない。「索引」あるいは「記号」だ(おそらくベンヤミンが『複製技術時代の芸術』でとりあげたのは、こうした問題なのだろう)。

 そうして見た場合、第二次大戦と、その後の大量複製技術革命以前の世界の「回想」である『失われた時を求めて』は、われら「新世界」の住人にとっていかほどの「意義」があるか。
 あるいは、「新世界」の住人にとってふさわしい小説ないし散文による「芸術」はどんな様式であるのか。あるいは映画がプルーストにおける絵画を筆頭とする美術品に相当するものなのかもしれない。スチールに対するムービー。クラシックに対するポップ・ミュージック。こうした、対照するように見える二つのものは、たがいに入代わるものだろうか、それとも片方が片方の上に積重なるものなのだろうか。

 一部は入代わり、一部は積重なる。つまり「旧世界」の構成要素も完全にとって替わられるのではなく、「芸術」として残る。ただし、役割、含蓄、意義等が変化する。その変化のベクトルは個々の様式、作品によっても変わってくる。早い話、プルーストの作品が井上究一郎にとって持っていた意義と、俺にとって持っているだろう意義は違うのだ。鈴木道彦に対してもっている意義とも違うはずだ。

 回想は過去を対象にはするが、その行為自体は未来に対するものだ。自分も消えたその後の人びとに、自分の同時代の意義を示すためのものである。その時、回想する者は誰がその回想を受けとり、解釈するか、わからない。だから、回想は未来への橋渡し、過去と未来をみずからの全存在によって結びつけようとする行為となる。
 複製技術革命前夜、「芸術」が複製を前提としない最後の時代を回想しながら、プルーストは複製技術革命の到来を余地ないし予感していただろうか。

 森有正のエッセーに、フランスという普遍的文明に対峙するためには、その対象から無視され、排斥されることも覚悟しなければ対峙できない、という一節がある。これには共感した。森はフランスに「普遍的な文明」を見ているが、俺が今いる位置から見ると、フランスもまた「ローカル」の一つでしかない。というよりも、「普遍」は常に変化していて、今はフランスにはいない、と言うべきだろうか。この世紀末、「普遍」があるとすれば、それは中央ではなく周縁、一点ではなく複数の空間に「ある」。それはある軌跡としてしか捉えられまい。後であれが普遍だったとわかるわけだ。いや、こうかもしれない。相手から無視される、排斥されるそのリスクを常に意識し、あえてそれを踏み越える、そういう関係、相手とのその不断の緊張関係の中に初めて「普遍」は存在しうる。

 しかし、俺は「普遍」を求めているか。むしろ求めるのは普遍ではなく、その緊張関係――媚びず、溺れず、狎れあわず、相手からの排斥の可能性を受流しつつ、その本質を掴もうとする、相手を相手たらしめている根幹の部分を吸収しようとする、そのような関係だ。

2000年 5月 14日 (日) 晴れ。

 朝食、クロワッサンにブルーベリィ・ジャムを塗ったもの二個、プチトマト、炒り卵、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○THE LONDON LASSES AND PETE QUINN; Lo La Records, (2000?)
 昨日着いたばかりの一枚。美女ばかり四人組に男性がピアノ伴奏でついているアルバム。このピアノが今ひとつで、しかも大きな顔をしている。メンバーの誰かの恋人かもしれんが、音楽にとってはマイナス。バンド名通り、ロンドン在住のアイルランド系の人たちのバンドで、フィドル、バンジョー、フルート、ホィッスル。基本はフィドル二本にバンジョー、フルート。ヴォーカルがゲスト。うたはなかなかだが、選曲が定番ばかりなのがお里が知れる。全体としては可もなく不可もない。

○Snakefarm SONGS FROM MY FUNERAL; BMG, 1999
 はじめ何で茂木が誉めているのかわからなかったのだが、曲がすべてトラディショナルであることに気がついて、がらりと世界が変わった。なるほど面白い。70年代の始め、ロックの解釈をほどこすことが革新的であったように、いま世紀末にあたってトラディショナルを同時代でもっとも「流行っている」様式で解釈すれば、確かにこうなるだろう。しかも、その「流行」の様式の最も本質的な要素を自在に組合せ、それに対するパロディもしくはバーレスクを生出しているのだ。おそらくバーレスクの性格が強い。そうしながら、音楽としては確かにこれはトラディショナルにとって新たな環境を提供していて、いわばコロンブスの卵だ。表面的なところだけでなく、聞込むほどに面白みが出るだろう。

○Kate Wolf LOOKING BACK AT YOU; Rhino, 1994
 実に久しぶりに聞くケイト・ウルフ。それも比較的初期のロス周辺でのシンプルなライヴなので、彼女の原点に近いのだろう。この人のうたの魅力はうたそのものの飾りのない、一見ごく日常的な親しみやすさと、その親しみやすさにぴたりとはまる歌い方にある。ごく普通の人がごく普通の暮しの体験からすくい上げた情景をごく普通にうたにし、ごく普通にうたっている、という気色なのだ。ちょっと工夫すれば誰にでもすぐ書けそうなうたを、誰にでもうたえそうなようにうたう。ケイト・ウルフの見事さはそうした見かけがまた仕掛けのないものであって、そこには表も裏もないことだ。非凡を平凡に見せようという欲がない。ただ、人がいてうたう。現在のシンガー・ソング・ライターの隆盛の原点には確実にこの人がいたのだが、この自然な飾りのない率直さはアメリカの文化の最良の部分だろう。

 昼食、釜揚げ饂飩、胡瓜、チーズケーキ、コーヒー。
 昼食をはさみ、シュリーヴ・ノーツのライナーを書く。関係CDを聴直し、雑誌記事からメモをとり、オリジナルのライナーを確認。午後、一気に書いてしまう。

 シュリーヴ・ノーツのためのライナーを書くので、IRTRAD-L をさらっていたら、次のようなメッセージを発見。
--引用開始--
> In a message dated 11/13/99 8:06:50 PM, you wrote:
>
> >and I assume this is also how Donal Murphy of Sliabh Notes
> >gets his almost-authentic Sliabh Luachra sound out of a B/C box).
>
> Hello Han (and anyone else who might be interested)
>
> When I met Donal Murphy at the Blarney Star last year he was playing a C/C#
> Soprani so maybe he doesnt play the B/C...
>
> Jim C

Hi Jim,

On the first Sliabh Notes album all tunes and songs are in the "funny"
keys, so he's obviously playing the C/C# there. But their new album,
"Gleannta/n", has everything in the normal keys, so he's probably playing
a B/C there.

Anyway, whne I met Donal Murphy in Cork, July last year, he said he used
B/C fingerings.

Han.
--引用終了--
 なるほど、聞比べてみるとファーストの方がキーが高い。実はファーストの方が好みなのだが、これが原因であったらしい。それにしても、音が高い方が快いというのは、だいぶ中毒がひどくなったということか。
 夕食は、飲茶セット、ご飯、ゆかり。
 夕食と入浴をはさんで、昨日着いたCDのデータ入力。

○Bull and the Ben Eadair Buccaneers BROADSIDE FROM THE GEARDINE; Dunbo Publications (2000?)
 どうもよくわからないアルバム。ムーアという兄弟姉妹がこういうバンド名を名乗ってやっているらしいが、アンサンブルと言えるようなものはなく、各々が勝手にうたい、演奏している録音を集めた趣。中では女性のシンガーとパイプがまず水準以上。フィドルとバンジョーはまあ、水準でしょう。男性のシンガーはもっと遠慮して欲しい。が、下手の横好きというやつか、一番でかい顔をしている。選曲も一貫性がなく、インストは有名曲、それもスティーライのセカンドのメドレーを全くそのままやっていたりするし、うたはサンディ・デニーやら "Rose of Allendale" があるかと思えば、"Angels from Montgomery" やら、"The king of Rome" まである。おまけに後者はほとんど無伴奏だ。まあ、この女性のうたはなかなか聞かせるので、文句はない。裏ジャケニは何やらバンドの由来が書いてあるらしいのだが、下の方がバックの真黒な絵にそのまま黒インクで乗せているので、全然読めない。多分、ダブリン生まれ育ちの若者たちが、伝統音楽にのめり込み、勢いで作ってしまったのではなかろうか。

○Neil Young SILVER & GOLD; Reprise, 2000
 やけに謙虚なニール・ヤング。曲も歌い方も、ていねいで、言葉を愛おしむようにうたうのは、もう何年も聞いたことがない。少なくともこれはあの大愚作 HARVEST MOON とは対極にある。ただ、どこかニール・ヤングらしくないことも確か。バックはまあこれ以上は望めない布陣で、それがまた実にていねいな演奏。ニール・ヤングはもう一度初心に帰ろうとしたのか。だとすれば、一応は成功している。

○Djivan Gasparian & Michael Brook BLACK ROCK; Virgin/Real Wrold, 1998
 ちょっと期待していたのだが、やはりマイケル・ブルックは本質的なところではずしている。ガスパリアンは素材としてはヌスラトよりはブルックの体質に近いようだし、ガスパリアン本人も楽しんでやっている様子はうかがえる。デュデュックから普通出さないような音を引きだしてもいて、それなりに刺激的ではあったのだろう。だが、結局それもサックス的な使い方に堕してしまうのだ。ブルックはかれなりに頑固なミュージシャンで、相手がどうあろうと自分の方へ巻込んでしまう。いや、巻込もうとしてしきれないのだが、どうもそれに気がついていないらしい。西洋的な耳からはこれは多分快いものなのだろう。だが、アルメニアはやはりアジアだ。特にデュデュックの音はアジアで、俺の中のアジアがブルックの「西欧」に対して、おまえは違うと指弾するのだ。アジアという言い方がずれていると言うのなら、非「西欧」である。ブルックのやっていることは植民地主義にしかなっていない。これならば、臆面もなく、まるで意識せずに土足で上がりこんでいるビル・ラズウェルの方がずっとましだ。

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