大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 5月 22日 (月)〜 22000年 5月 28日 (日)] [CONTENTS]

2000年 5月 22日 (月) 晴れ。朝のうちは曇っていたが、9時頃から日が差す。


 朝食、健康パンにパストラミ・ポークをはさんだもの、サニー・レタス。コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 Hは学校を休みたがらず、げほげほ言いながら、それでも元気に出てゆく。
 全く疲れはとれず、偏頭痛がんがんで、皆を送りだした後、昼まで寝直すが、あまり良くは眠れない。

 昼食、ご飯を炊き、薩摩揚げ、サニー・レタス。

 レコードを聞く気になれず、半日本を読んだりして過ごす。あいかわらず『井上究一郎文集』第一巻。ヴィクトール・ユゴーの詩についてのエッセイ二篇。触発されて『シテールへの旅』の中のユゴーの章、筑摩世界文学大系『名詩集』の中のユゴーのところなど読む。井上氏の解説を読んでから詩を読むと多少「わかる」気がする。何をうたっているのか、はじめ読んだ時にはさっぱりわからなかった。

 読んでいてあらためて思うのは、ここに書かれている「文学」や詩人たちの「芸術」世界があくまでも男性のもの、少なくとも男性中心の世界観に塗りつぶされていることだ。ロマン派にとって「女性」は対等の存在、血肉を備え、中身は違っても質は同じ苦悩を抱える人間ではなく、「象徴」や「霊感の源泉」になる。

 Hは1時半頃帰る。掃除をさせる。掃除機の中袋が外れてしまっていて、ゴミが全部掃除機のボディのすぐ内側に出てしまっている。後ろの吸いこみ口のフィルターに埃が詰り、吸引力が落ちていたのだった。

 咳が止まらないので、3時過ぎ、Kが連れて行き、Y病院で診察・投薬を受ける。咳止めのみ。水曜日に耳鼻科を予約。

 Lenox のボールペンはクリップが緩んですぐ落ちるようになって、今日はトイレの中で落とした。するとキャップのペン先が出る穴が歪んでしまったらしく、うまくペン先が出なくなる。ペン先でしごくときついながらも一応出るようになった。どうも柔である。

 夕食、小松菜豚肉、ご飯。
 夕方メール・チェック。特になし。TidBits で紹介されていた Idea Keeper というソフトが面白そうなので、ダウンロードしてみる。英語版だが試してみると日本語も通る。確かにちょっととっつきにくい感じはある。が、最初のチュートリアルなど、良くできている。試す価値はたしかにありそうだ。

 Idea Keeper のパッケージについてきた TSMfix を入れてみる。古いソフトで、以前にも何かをインストールしたら、自動的に入ったことがあったのだが、これで入力時の「取りこぼし」が減るかどうか。特に変わった感じはないが、若干減ったような気もする。それよりもデスクトップファイルの再構築をこまめにやった方が効果があるかもしれない。

2000年 5月 23日 (火) 晴れ。

 朝食、エボダイの開き、グリーン・アスパラ、葱の味噌汁、ご飯、細切り昆布の佃煮。

 ちょっとことえりを使ってみる。やはり入力はさくさくしていて、取りこぼしはない。問題はカスタマイズと辞書関連の移行だ。カスタマイズは普段の入力とどちらが優先になるかという問題で、慣れの要素もある。辞書関連の移行はちょっと厄介だろう。

 Kは夜宴会なので送る。家事の後、ヴィデオ・アーツのKさんが送ってくれた Virginia Rodriguez のビデオを見る。アメリカのテレビ・ニュース番組での特集と出演した時のクリップ。ライヴの断片が見られる。これはやはりライヴを見たい。

 ことえりのユーザ辞書が二つあり、調べてみると、機能拡張と初期設定の各フォルダに入っていた。初期設定の方には逆引きもあったので、こちらに統一する。が、いまいち不安なので、機能拡張内の Apple 日本語辞書フォルダの中に移す。その過程で、DiskCopy の初期設定と作業記録のファイルがだぶっていて、しかもその片方が現れたり消えたりしている。仕方がないので両方ゴミ箱に捨てて再起動。新たに作りなおす。

 ということでことえりで日記を書いていたのだが、表示が乱れだしてとうとうフリーズしてしまった。辞書の位置が悪いのか、その他の原因か、今ひとつわからない。もう一度試してみる。

○Geoff Muldaur THE SECRET HANDSHAKE; Hightone Records/Blues Interactions, 1998
 何と頼師匠のライナーではないか。それによると、何と18年ぶりのアルバムだそうな。しかもあの Hightone からだ。中身はもう言うことなし。ちょっと前の Taj Mahar のアルバムと同じく、「アメリカン・ミュージック」の饗宴だ。昔から全然やってることが変わっていない気もするが、ある意味で、それが「アメリカン」なのかも知れない。何せ、あの国の連中は、未だに西部開拓時代に生きている気分を抱えているのだから。そうでなければ、まだ「銃を持つ自由」などと言えるはずがない。とは言え、変わっている部分は当然ないわけではない。それは何だろう。

 青学の佐藤亨氏より訳書。ヒーニィの『プリオキュペイションズ』で国文社からのもの。共訳者の室井光広氏はボルヘス論などで群像新人賞や芥川賞も受賞している人だそうだ。

 昼食は昨日の残りの小松菜豚肉とご飯。今回はやけにたくさん残っている。
 ことえりでの表示がまた乱れたので、WXGに替えてみたが、こちらでは表示は大丈夫だ。ものは試しとまたことえりに替えてみる。駄目である。ことえりの方が不安定とはこれいかに。ことえりの文節の伸し方が今一つ分からない。ことえりは変換のやり直しをやると表示がおかしくなる。そのまま使っていると、メニューバーの操作ができなくなる。仕方がないので、インストールしなおす。

 2時過ぎ、車で出て、飲むヨーグルトと『マ〜パ』を買ってくる。『マ〜パ』のオンライン・ソフト・コレクションに POC という定型文字列コピー・ソフトがあるので、試す。こちらはアプリケーションなので、変な風にぶつからない。

 本屋で『無線と実験』の表紙のスピーカーが目につき、中の記事を覗いてみると、オランダの新進メーカー Final のハイブリッド。ウーファーが後ろにあって、上を向いている。ESLユニットはその前に斜に立てかける感じ。デザインはいいし、これはいい音がしそうだ。「0.3」というモデル名も良い。扱いを見るとナイコムなので、帰ってからサイトをさがしてみると、いつの間にか立ち上げていた。とにかく Final 0.3 は聞いてみたい。価格はペアで30万。絶妙な値段だ。20万なら飛びつくところだが。

 4時半前、各務さんから電話。チャラパルタの二人が日本に残っていて、木曜日に代官山のポレポレでチャラパルタのプロモーションをやるという。残念ながらその日は夜Kが出かけるので子守りをしなければならない。

 6時前、シンコー・ミュージックのMさんから電話。『The Dig』のジャンル別ディスク・レヴューのうち、トラッド・フォークのところを頼むとのこと。喜んで引受ける。
 夕方、メールを書き、メール・チェック。

2000年 5月 24日 (水) 晴れ。暑し。

 朝食はハム・トースト、レタス、コーヒー、グレープ・ジュース。

○Dar Williams MORTAL CITY; Razor & Tie, 1996
 ダール・ウィリアムスのセカンド。一部しか聞いていなかったので改めて聞直す。やはりアルバムとしてはこれが一番だ。三枚目はバックが妙にヘヴィなので、このアルバムのようなアコースティックなバックの方がこの人の声は映える。ファーストほど何もかも入れこもうとして言葉が溢れるようなこともない。さり気ない言葉やシーンがあるところできゅっとひねられる、そのひねりの急激さと角度の鋭さ、そしてその向こうにあらわれる情景の艶かしさ。それを伝える声の危うさ。引き絞られているのではないのだが、やはりこの人も歌を作り、歌うことでかろうじて自分を支えているところがあるのだろう。

 ダール・ウィリアムスのデータを入れていたら、昨日入れた POC というソフトがクラッシュした。まだ未完成なところがあるようだ。

 昼食は薩摩揚げを焼き、ご飯を炊き、朝のレタスの残りと海苔。Kは一度帰ってきて昼食を食べ、駅まで送る。横浜へ出張。

 『グラモフォン・ジャパン』『アンボス・ムンドス』、London Review of Books。
 嘉手苅林昌の『ジルー』のサンプルが届く。その帯を見ると六月発売の三枚組のボックス・セットだったはずのものが八枚組の『全集』になっている。
 大塚産業宛、CDのプラケースをまた一箱発送。

 夜、fRoots、Dirty Linen、Songline、F&SF、Locus の定期購読更新。Dirty Linen はウェブ・サイトに行き、そこで申込んでしまう。fRoots はファックスを送る。The Living Tradition にCDの申込みをファックス。これで今月はもうCDは買えない。困ったことだ。

2000年 5月 25日 (木) 晴れ。暑し。

 朝食、チーズ・バタール、葡萄パン、珈琲、グレープ・ジュース。

○Tom Prasada-Rao HEAR YOU LAUGHING; isg, 1997
 名前からするとインド系の人らしく、音楽もいわゆるカントリー・ベースのフォークと趣を異にする。ポップスからジャズ、ラテン系までかなり幅広い。ただ、シタールやタブラの使い方は音楽に馴染んでいるとは言えない。ギターの腕とうただけで十分聞かせられる人だけに、ここはいささか興醒め。

 歯科。左下奥続き。またレントゲン。行掛けに郵便局で、CDプラケース(ゆうパックのカードが一杯になったのを利用したので無料)、F&SF、Locus、Songline に定期購読更新申込書を送る。

 昼食は梭魚の開き、キャベツの味噌汁、ご飯、ゆかり、海苔。
 BMGからヴァルティナの新譜のサンプル。bounce 6月号。ヴィデオ・アーツから Alvin Youngblood Hart 新譜のサンプル。

 朝からヴィルジニア・ホドリゲスのライナー執筆。二枚のアルバムを聞き直しなどして午後、なんとか恰好をつける。4時頃、Hさんから念押しの電話。ようやく5時前、完成してデザイナーと同送で送る。折返し、プリント・アウトがファックスで返ってくる。

 夕食、チーズ・バタール、胡桃パン、ポテト・サラダ、ロイヤル・ミルク・ティー。

 昨日大手都市銀行の決算が発表になり、またまた巨額の不良債権処理が明らかになった。これは要するに取立もできない借金を帳消しにする、と言うことなのだろう。こうして「処理」去れた債権の債務者はいったい誰で、ひとりあるいは一社あたまどのくらいの借金があり、その経営者たちの財産はいったいどうなっているのか、その辺のところは全然わからない。マスコミはどうせ突込むならそこまで突込んで報道すべきだ。それとも、不良債権の実体は他にあるのか。

 もう一つ笑ってしまうのは、不良債権の処理が山場を越えたと聞かされるのはこれで何回目だろうか。決算の度ごとに同じことを聞いている気がする。もう三回は聞いている。地価が予想以上に下落したからとか、不況で倒産が増えたからとか言うのは言訳に過ぎない。地価が確実に上がるという保証か根拠でもあったのだろうか。どこかの幹部も認めていたように、判断が甘かっただけだ。すると今回も甘くないという保証や根拠はあるだろうか。少なくとも新聞やテレビでの報道では見えない。

 不良債権の処理が遅れるとこちらへの影響として、まず景気の回復が遅れるだろう。金融機関の破綻の危険性も大きくなる。なぜか金融機関は私企業であっても税金で救うことになっているから、納税者たるわれわれの負担が増える。納税者と預金者は一致しないのだ。一部の銀行経営者の判断ミスないし無能力のつけを、われわれが払うはめになる。当の経営者たちの懐は別に痛まない。これだけ金融機関が危ないと言われて、経営陣の中で破産したとか、ホームレスになったとかいう話は全く聞こえてこない。

2000年 5月 26日 (金) 晴れ、暑し。

 朝食、梭魚の干物、莢豌豆の味噌汁、胡瓜、ご飯。
 6時に目が覚めてしまい、ふと見ると飯を炊いていない。起きあがって米を研いで仕掛ける。そのまま眠れず。

○Eric Taylor RESURRECT; Munich Musa, 1998
Eric Taylor  さすがのアルバム。ちょっとヴォーカルが引込みぎみのミックスだけが不満。暗めの緊張感に引きしまったうたと演奏。ジャズの風味がうまく効いている。よくよく見たらこれもオランダ盤ではないか。なつかしの Munich だ。録音はヒューストンだが。やや籠り気味の声、語りかけるシンギング、シンガー・ソングライターのアルバムとして理想の一枚。

 昼食、ハム・エッグ、朝の味噌汁の残り、ご飯。
 羅門さんから著書。MSIから新譜案内と Greentrax のカタログ。Mark V Ziesing からもカタログ。History Ireland。東京エムプラスからもカタログ。

 朝から昨日の続きで『新潮世界文学辞典』のチェック。思いのほか広範囲の文化圏から項目を拾っているのに感心する。しかし女性の文学者で本当に革命的な活動をしているのはヴァージニア・ウルフとエミリ・ディキンスンぐらいのようだ。あとボーヴォワールか。重要な人といえばジェイン・オースティンだが、小説そのものを生み出したり、その概念をひっくり返すような活動をしたかというと、首をかしげる。

 これだけ広範囲な項目を拾っていると、わが国の翻訳活動がいかに偏ったものか、よくわかる。英仏独露の各言語圏以外が極端に少ない。中国語圏は例外だが、平均的に各時代からとなるとどうだろうか。比重からいって少なすぎると思われるのはヨーロッパでは伊西、そしてアラブ・ペルシア語。

 女性の項目を拾いながら、目についたところを読んでいると、英語圏でもいくつか日記や旅行記の類いが目につく。ピープスの友人だった John EvelynやアメリカのAnais Nin(これは翻訳が出ていたようにも思う)。Mary Russell Mitford という人の『田園日記』OUR VILLAGE: Sketches of Rural Life, Character and Scenery なるものがあるらしい。ノンフィクションでは John Aubrey の『名士小伝』BRIEF LIVES、Richard Hakluyt の『イギリス国民の航行・航海・交通および発見』THE PRINCIPAL NAVIGATIONS, VOYAGES AND DISCOVERIES OF THE ENGLISH NATION (1589, in 3 vols, 1598-1600) はイングランド人を冒険に駆立てるために書かれたそうだ。この人自身は海外に行ったことはなかったらしい。航海記の収集と刊行・翻訳に生涯を捧げると誓った聖職者。

 ずいぶん前に Washignton Post Book World で見かけたアメリカの女性作家で、ちょっとプルーストの向こうを張るような作品を出した人とその作品のことがふと思い出され、急に興味をひかれたのだが、その名前がどうしても思い出せず、Amazon とかあちこち見てまわったが、出てこない。その記事も捨ててしまったらしい。こういう時、辞書とかは何の役にも立たない。やはり書評誌などをこまめに見ているしかないのだろう。そのうちどこかでぶち当たるのを祈るのみ。

 と諦めかけたがどうしても気になるので、とうとう Amazon.com の文学のコーナーを著者の名前別に順番に見ていく。一時間以上かかって、Marguerite Young の MISS MacINTOSH, MY DARLING をつきとめ、二冊セット30ドルなりを注文。アナイス・ニンもカート・ヴォネガットも絶賛している。いやあ、すっきりした。午前1時過ぎなり。

 夕食前、『CDジャーナル』のカトリオナ・マクドナルドの原稿を書き、送る。
 ニフティを巡回する時に覗くと、Diary++ 1.3 が出ているので、ダウンロード。ランチャー機能がついて、ウィンドウの位置を覚えてくれるそうだ。
 夕食、納豆、小松菜の煮びたし、豆腐の味噌汁、ご飯。

2000年 5月 27日 (土) 曇。風やや強し。

 9時起床。
 昨夜は実に久方ぶりに自律神経失調症の発作が起きる。納まってから時計を見ると2時半。

 シャツの胸ポケットに財布と水性ボールペンを入れたまま洗濯してしまう。どうも最近こういう「うっかり」物忘れが多い。やはり頭の血管がいかれてきているのかも知れない。
 カード類はもちろん平気だが、財布そのものが駄目かも知れない。ボールペンも一応大丈夫だが、インクが前より滲むようになっている。一緒に洗濯したシャツやパジャマにボールペンのインクが滲んでしまう。

○Rod MacDonald WHITE BUFFALO; Gadfly, 1996
 初めてまともに聞いたが、ちょっと甘いテナーの声がなかなか気持ちよい。が、好みとしてはもう少し低めの方がいい。この人は歌詞も然ることながらメロディ・メイカーのようだ。一曲ヒップホップ風の曲もある。良いアルバムではあるのだが、では他のものも聞きたいか、というとそこまではならない。何故かは良くわからない。

○Alvin Youngblood Hart BIG MAMA'S DOOR; Okeh, 1996
 なるほど、これはブルース原理主義者が喜びそうなアルバムだ。実際すばらしいアルバムではある。ブルースだけでなく、広い意味でのアメリカン・トラディショナルを視野に入れている。後知恵かも知れないが、どこかジャンルに縛られない、器の大きさがある。もっともジャンルというのはレコードの販売上の都合で決まってくるもので、音楽の本質とは関係がない。セカンドのごった煮は大好きだが、これはこれでまた十分時間の試練に耐えうるものだろう。

 昼食、釜上げ饂飩、昨夜の小松菜の残り。

 推理作家協会から原稿の載った会報と「推理作家協会賞」授与式およびパーティの案内。
 会報にやはり原稿を載せている元早川編集者の女性は二十年勤めたそうだ。宮田さんの本にも出てくるが、早川は「財産」は大事にするが、「人」は財産ではない。早川清が晩年、宮田さんとしきりに会いたがったのは、そのことに実は漠然とした不安を抱えていたからという気もする。

 人を大切にしないのはわが国の企業の場合、共通に言えることかも知れない。そうでなければ、「リストラ」といってどんどん「人材」を馘にするはずはないだろう。人ではなく「組織」があれば大丈夫、という発想だ。だが、組織と人とどちらが先かは決まっている。しかも今既存の企業が採用しようとしている人間は「即戦力」だそうだ。すぐ役に立つ人間は、すぐ役に立たなくなる、といったのは誰だったか。学校教育でろくに訓練も施していないのだから、「即戦力」が育つはずもないし、もしそう見える人間がいれば見かけ倒しであろう。しかもそうして入ってきた人間は、先輩たちがいとも簡単に捨てられるのを目の当たりにしているのだ。

 リストラの案。まず若い人間の九割を切る。希望退職を募るのは三十歳以下。管理職の半分を平にする。取締役は社長の他は総務、経理担当だけ。賃金は年俸制。社員が株を持つ道を開く。

 7時前まで『スポーン』。7時少し前にKと子供たちは車で出かける。こちらは歩いて、下のコンビニ横の飲屋。Hの同級生の一家が渡英するので送別会。母子組と父親組に別れて一次会。二次会はHさん宅に集まる。初めての人ばかりでペースを忘れて飲んでしまう。近くにギネスの生を飲ませる店があるというのでそこへ寄る。ギネスだけでなく、ベルギーなどの珍しいビールを置いてある。もっともコロナにはライムではなくレモンを入れてきた。この辺ではライムは高いかも知れない。

 Hさん宅でまた飲みなおし、泡盛の古酒があるのをいい気持ちで飲んだあたりで意識がなくなる。

2000年 5月 28日 (日) 晴れ。風強し

 明け方目が覚めてから苦しくなり、トイレに行ってもどす。何年ぶりか。時計を見ると5時。寝直すがあまり眠れず。子供たちが起きてきて、Kにせかされて家に帰る。8時過ぎ。帰ってから寝直すが、やはり眠れはしない。昼の鐘が鳴るまで横になっている。水分をとり、うだうたしていると腹が減ってくる。2時頃、そうめんを茹でるとみなも食べる。

 夕食は空腹で手が震える。鶏肉を茹で、大葉、茗荷、生姜を散らして金胡麻と醤油、酢のタレをかけ回したもの、葱の味噌汁、ご飯。

 『新潮世界文学辞典』の「イギリス」関係者の項の拾出し。各々の項を読んでいるとそれなりにみな熱く、本を読む気にさせてくれる。丸谷才一が意外に熱い文章を書いている。

 メールの未読を片付ける。
 Show of Hands のメーリング・リストに The Hunger Site (http://www.thehungersite.com/) というサイトの紹介があったので行ってみる。そこのボタンをクリックするとスポンサーから国連食料計画に寄付がなされ、全世界の飢餓に苦しむ人びとに食料が渡されるというもの。スポンサーは欧米の、それもネット関連の企業がメインらしい。なかなか気の効いたアイデアだ。一応一日1回しかボタンは押せないようだが、URL を指定して行くと、大丈夫らしい。これから一日一回はクリックするようにしよう。同様のサイトで The Rainforest Site というのもある。

 昨日の代議員会で Ulster Unionist Party はシン・フェインとともにノーザン・アイルランドの自治政府に戻ることを承認した。副党首で戻ることに反対していた John Taylor が David Trimble 支持にまわったのでもどることに決まったが、それでも投票は53%vs47%の小差。しかもテイラーの賛成の背後には、RUC改革について、プロテスタントの主張に譲歩した密約がちらついている。問題はこのままプロテスタント側が歩調を合わせていられるかどうかだ。ユニオニスト党内の反対分子の動きや、プロテスタント準軍事組織の暴力に歯止めがかかるかどうか。毎日の今朝の朝刊のロンドン特派員はまたまたIRAの今後の反応が鍵だと紋切り型の分析をしているが、そういう段階はすでに過ぎている。ノーザン・アイルランド和平は、一にかかってプロテスタントが既得権益をどこまで手放すかにかかっている。いや、ロンドン政府がプロテスタントの既得権益をどこまで削れるかにかかっている。削った分をカトリックに渡すことで均衡を見い出そうとするわけだが、どちらの側も第三者的に見て均衡がとれている地点では相手に譲歩し過ぎていると感じる。

 だが、おそらくブレアは今度こそと決意しているはずだ。このチャンスを逃せば、ずるずると「冷戦」状態が長引くだけで、それはロンドンにとっては一番避けねばならぬ事態だろう。「冷戦」状態で一番困るのは実はロンドンかも知れない。極端な話、ノーザン・アイルランドの権力をプロテスタントが握ろうがカトリックが握ろうが、言うことを聞いてくれているならどちらでもかまわないのではないだろうか。だが、どちらにしても言うことを聞かないのであれば、両方を角突き合わさせ、自分は「調停者」になった方が統治の実はあげられる。

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