大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 5月 29日 (月)〜 2000年 6月 4日 (日)] [CONTENTS]

2000年 5月 29日 (月) 晴れ、暑し。

 朝食、ハム・エッグ、和布の味噌汁、ご飯、グリーン・アスパラ(茹で)、レタス。
 昨日の朝ゲロしたための筋肉痛が今日になって出てくる。

○Alvin Youngblood Hart START WITH THE SOUL; Ryko/Video Arts, 2000
Alvin Youngblood Hart  すてきに開きなおったものだ。こうこなくては嘘である。明らかにこの人はちゃんと電気も弾いてきている。昨日今日始めたフォーキィではない。したたかな、筋金入りのギタリストだ。ちょっとロバート・クレイを思わせるところもあるが、備えている野生の質と量が一桁は多い。このまま、ハート流アメリカン・ミュージックの構築に突進んで欲しいものだ。

○Geoff Muldaur SLEEPY MAN BLUES; Vivid Sound, 1963/1997
 ジェフ・マルダーがここでうたっているうたを愛し、心からの誠実さで全身全霊をこめてうたっていることはわかる。凡百のシンガーに作れるレコードではない。その上での話なのだが、ここでのジェフ・マルダーは自分のうたは歌っていない。敬愛するシンガーたちのスタイル、歌唱を懸命になってエミュレートしているだけだ。おそらく自分では気がついていないのだろうが、誠実に歌おうとすればするほど、自ら想定したある「枠」に己をはめ込んでゆく。その無理からはみ出る胆汁が声の端々から滴る。当然うたに感情をこめようとすればするほど胆汁の量と苦味は増える。とはいえ、この胆汁があったからこそ、その後のジェフ・マルダーがあるのだろうし、あのすばらしい一昨年の THE SECRET HANDSHAKE があるのだ。悲劇のファースト・アルバムというべきか。

○Gove Scrivenor SOLID GOVE; Flying Fish, 1977/1979/1998
Gove Scrivenor  この "Cocaine" は見事。うたとの距離の取り方が絶妙。軽やかに少し斜に構えた歌い方が、歌に埋めこまれた悲哀を引出す。甲高いギターとベースの対照も鮮やか。
 それにしてもこんなにすばらしいミュージシャンが埋もれていたとは。ベストのときのジェフ・マルダーのにも勝るとも劣らない「アメリカン・ミュージック」ではないか。バックのメンツもたいしたものだが、そのメンバーを自在にまとめている主人公の器の大きさ。録音も優秀。ライナーによると80年代には確かに音楽の流れが変わっていて、90年代前半には一時全く音楽からは離れていたらしい。1977年と79年といえば、ブラックホークに一番通っていた頃だが、そこでこの人の名前を聞いた覚えはない。Flying Fish ならばブラックホークに入らなかったはずはないし、この音楽だったら高い評価を受けたはずだが、何かの拍子で漏れたのか、こちらがたまたま行当たらなかっただけか。

 朝刊に佐々淳行氏が先日の西鉄バス・ジャック事件に関して警察当局がとるべき行動パターンについて書いている。こういう緊急事態では警備当局の責任者、たいていは県警本部長だが、その人間は不完全な情報をもとに短時間で判断を下さなければならない、そうしないと事態の進展に判断は追いつかない、と言う。場合によっては、例えば人質を一人でも殺した場合、犯人は射殺してもいいという判断を下す必要がある。ただし、これにはその処置の責任を警備責任者がとる覚悟が要る。

 まことにもっともなことだ。問題はそういう緊急事態に対処できるような訓練を、県警本部長になる人間が受けてきているか。佐々氏は県警本部長は「護民官」だと書いているが、自分は「護民官」だと言葉面だけでなく自覚している県警本部長は全国に何人いるか。
 この記事が出た今日、部下の覚醒剤使用をもみ消そうとした神奈川県警の前の本部長に有罪判決が出た。ただし、執行猶予付きだ。警察官は一般市民に報を守らせる権力を行使する。そういう人間が法に反した場合、守らされる側の人間と同列の扱いをされるべきではない。遥かに厳しい扱いをすべきだ。

 昼食はほっけの開きを焼き、レタス、ゆかり、ご飯。
 『スポーン』83話。レニー・ブルース三章見直し。ともに夕方、送る。
 ニュー・ゲイト・レーベルから渋さ知らズの新しいブートが届く。まだ金も送っていないのに。fRoots、MOJO、New York Review of SF(定期購読更新案内も)。

 夜はニフティの音楽巡回。
 夕食は焼きそば。
 夕食後、ディスクのリストを AppleWorks で読込んだら表計算ファイルになった。これがよくよく見てみると、意外に使いやすい。数字を扱うのでなくても、いろいろと使えるのかもしれない。元のファイルでTabのつけ方が不規則だったので、読込む時におかしくなっている所もあるが、おいおい直して行ってみよう。

2000年 5月 30日 (火) 晴れ。暑し。夕刻より曇る。

 朝食、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム、バタ付き葡萄パン、胡瓜、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Paul Butterfield's Better Days LIVE AT WINTERLAND BALLROOM; Victor, 1999
Paul Butterfield's Better Days  ポール・パターフィールドのブルース・ハープを聞いていて思うこと:こういう演奏をできる人はこういう演奏をしているその時間の密度は常人の日常生活における密度とは次元が違うのだ。客観的にはわずか数分の時間が主観的には何時間、いやそう言う単位を越えた、あるいは時間そのものをも越えた領域で生きているのだろう。一度そういう時間を体験してしまうと、そこから離れられなくなり、そうした時間を奪われると埋合せのためにドラッグ等に手を出すことになる。とはいえ、かれらの生涯の総時間数としては長くないにしても、主観的に生きた時間の密度の点では、常人とは比較にならないほど「長い」人生を生きているのかもしれない。

 午前中、レニー・ブルース。郵便局に行き、渋さ知らズのCD代金、Ken Hunt 宛 Swing 51 の代金を送金。『CDジャーナル』にCDを投函。
 昼食は鰹の叩きを解凍し、半分だけ食べ、キャベツたっぷり味噌汁、ご飯。
 午後は『ザ・ディグ』の原稿のためのCDを聞く。

○John Tams UNITY; Topic, 2000
John Tams  始めは何だあ、と思ったのだが、聞いているうちに悪くないと思いはじめる。セカンド・ヴォーカルのバリィ・クープがいい味を出していて、ジョン・タムスの軽い質の声をうまく支えている。一曲リードを取るリンダ・トンプソンもブランクを感じさせない。バックもシュアで、アレンジもよく練られており、ジョン・タムスは自分の声にあったバンドの組立てを掴んでいるようだ。全曲タムスのオリジナルでキャッチィなところはないものの、なかなかに味わいのあるうたを書く。すぐに傑作という気にはなれないが、何年かたってみると、隠れた傑作と言われているような気もする。

 今年初聞きの200枚め。一日平均1.3枚。このペースで行けば年間500枚も夢ではない。まあ今年はとにかく一日一枚を目標にして、500枚は来年の目標にしよう。

○Ian Carr & Karen Tweed FYACE; Conpass, 2000
Ian Carr & Karen Tweed  驚きのアルバム。確かに素材は伝統音楽だが、やっていることは現代音楽。こういうやり方もあったのだ。ギターと蛇腹はどちらが主でどちらが従ということはなく、全く対等。つまりこれは二人の芸術家による音楽を媒介にした対談集。知性と想像力を思いきり働かせている。ジャズの語法もちらちらと見え隠れはしているが、どれか一つの語法に従っているわけではない。さまざまな語法を身につけた上で、自分たちの言葉を編出している。伝統音楽の柔軟性の証と聞くことはもちろん可能だし、むしろ胸を張ってこれぞ伝統音楽と押出したい気もするが、もう伝統うんぬんはどうでもいい。

 注文しておいた『失われた時を求めて』文庫版全巻セットが届く。ケースの絵が見たかったのだ。
 fRootsから定期購読更新サーヴィスのCD。速い。
 夕食、鰻丼、昼の鰹の残り、胡瓜の塩揉み。

○Bruce Cockburn THE TROUBLE WITH NORMAL; Gold Castle, 1979
 「転回点」の頃のブルース・コバーンはきちんと聞いていなかった。あらためて聞くと、時代に反応しながらも、いま聞いても聞応えのある歌を歌っているのはさすがだ。ヴォーカルにもエフェクトをかけたり、妙に紗のかかったギターのサウンドを作ったりしていても、上すべりになっていないのだ。歌い手自身、弾き手自身の危機感、どうしてもこうしなければ気がすまない、これが気に入らなければ聴かなくてもいい、という覚悟。

2000年 5月 31日 (水) 曇。

 朝食はハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○PROVIDENCE; Rolling River Productions, 1999
PROVIDENCE  アルタンのマネージャーのトム・シャーロックが薦めていたバンド。最近のバンドとしては珍しく、リールで突走らない、うたやミディアム・テンポの曲をしっくり聞かせるアルバム。ジョーン・マクダーモットはいいシンガー。それほど若くはないと思う。アイリッシュによくある、ちょっと高めで少し張上げる歌い方で、あまり好みではないが、歌うたいとしての実力はある。ホーンパイプやバーンダンス、ジグをモダンに聞かせるのは嬉しい。ギターがなかなかであるが、アレンジも結構考えられている。突走るばかりが能ではないとこをあらためて教えてくれる。

 白石朗氏から訳書。帯に「(この著者は)現代のドストエフスキーだ」という惹句があり、何かの引用かと思ったら解説に「全く、この作品は現代のドストエフスキーと称してもいいほどに、広く世に警鐘を鳴らし人びとの記憶に残る傑作であると思う」とある。ふーむ、ドストエフスキーは「広く世に警鐘を鳴らした」作家であったのか。

2000年 6月 01日 (木) 晴れ。

 朝食、早良西京漬け、菠薐草胡麻和え、葱の味噌汁、ご飯。
 朝一番で歯科。左下奥続き。
 戻ってご飯を仕掛け、PTAの役員会。
 12時半過ぎもどる。お土産におにぎり二個もらう。ので昼食はそれと、ハムでご飯。朝の残りの味噌汁と菠薐草。

 1時過ぎ、中山さんから電話。アイルランドから今日戻ったそうな。ダブリンに入り、コーク、クレア、ゴールウェイと回ってきた由。ジェイムズ・スティーヴンスの古本をだいぶ見つけたと言う。

○David Olney OMAR'S BLUES; Dead Reckoning, 2000
David Olney  ミラー夫妻のメーリング・リストで教えられたシンガー・ソング・ライター。写真ではバディと同年輩のようだが、やっている音楽もごつごつとした気骨のあるうただ。タイトルのオマルはオマル・ハイヤームのオマルらしい。全体は三部に分れ、「恋するオマル」「オマル尊師」「ハリウッドのオマル」とタイトルがつけられている。それぞれの先頭に「オマルのブルース」が第一番から第三番まで置かれている。うたの内容まできちんと聞いてはいないのだが、埃濛々のロックから、ストリングスをバックにじっくりと聞かせるもの、ギター一本の弾語り、とさまざまであり、そのどれもが地に足のついた、血の通った演奏だ。主人公の声もまだ枯れるまでは行かないが、しっかりと経験を己の血肉に昇華している人間にしか出せないもの。バックに名前の聞いたことのあるメンバーは一人もいないのだが、いずれも主人公にふさわしい骨のある演奏を聞かせる。ギターの Mike Henderson はバディにも劣らない味のあるギターだ。

○Old Blind Dogs FIVE; KRL/Lochshore, 1997
Old Blind Dogs  IBTRAD メーリング・リストでの Micheal さんの書込みを見て、あらためて新譜を聞くべく、未聴だったこのアルバムから聞いている。白石さんが評価しないのはわかるのだが、俺にはこの Ian F Benzie の気持ちがわかる気がして、共感を覚える。ひとことで言えば彼は「遅れてきた青年」であり、若い頃夢中になったうたをあらためて90年代のコンテクストで歌うべく作ったバンドなのだ。鍵は David Cattanach のパーカッションであり、Johnny Hardie のマンドリン、フィドルではなくマンドリンだ。ここでの白眉は "The lowlands of Holland" で、ベンジーもただスティーライやペンタングルをコピーするのではなく、ちゃんと遡って自分のヴァージョンを探す努力は怠ってはいない。キャタナックのリズムにハーディのフィドルは十分応えているとはいえないところが、むしろこのバンドの弱さかもしれない。パイプはロゥランドだが、使い方としてとくに斬新なものではなく、むしろサックスが面白い。

○Old Blind Dogs LIVE; KRL/Lochshore, 1999
Old Blind Dogs  ハーディもそのことは自覚しているのだろうか、ここではマンドリンをメインに弾いていて、これがなかなかだ。マンドリンは実はブズーキよりもずっと「熱く」なれる楽器なのだ。ライヴということでリズムのノリが違い、それが一番うまくいっているのは "Bedlam boys" だろう。これはスティーライに比べても引けを取らず、あえて言えば、見事にお返しを果たしている。この投げやりな、しかしツボは抑えては揺るぎもしないヴォーカル。十分に「ロック」だ。一通りうたいおえたところで入る、笑い声がいい。そう、このバンドは形態は別として、「ロック・バンド」だと思う。これに匹敵する「ロック・バンド」はひょっとするとないかもしれない。Cordelia's Dad が活動を再開すると中山さんから聞いたが、唯一この OBD に対抗できるのはあいつらだけだろう。
 しかし、ベンジーはこの後、バンドを抜けるのだ。

2000年 6月 02日 (金) 曇、蒸暑し。

 朝食フレンチ・トースト、バナナ、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Old Blind Dogs THE WORLD'S ROOM; Green Linnet, 1999
 イアン・ベンジーとデイヴィッド・キャタナックが脱けた新生OBDだが、やはり性格の転換は免れず、このバンドは「普通の」フォーク・バンドになった。これを聞くとベンジーとキャタナックのバンドがいかに「ロック」・バンドだったかわかる。ベンジーの声の質と歌唱のスタイル、キャタナックのたたき出すリズムは「ロック」のものだったのだ。では何が「ロック」なのかというと少々困るのだが、いわば身を投げだす、とにかく内なる衝動に身を任せ、「怒り」や「不満」や「挫折感」をうたとして叩きつける。後がどうなるか、それは問わない、全く眼中にない。そういう態度ではないか。隆慶一郎が言う「かぶき者」の心情。そこには「歓び」や「幸せ」を求める姿勢は少ない。音楽的な「歓び」、例えばアイリッシュのセッションに浸る時の「喜び」のようなものは希薄だ。

 まずジム・マルコムはシンガーとしてはるかにフォーキィの資質が大きい。ベンジーのざらざらごつごつした歌唱に並べると、滑らかでソフト、それにていねいで、うたを愛おしむ。ベンジーにあってはうたをして歌わせるのではなく、いかに自己の存在感をそこに籠めるかが重要なのだ。そういう意味ではポール・ジェニングスのパーカッションもおとなしすぎる。ただ、この一枚でこの新しいバンドをうんぬんするのは速断が過ぎるだろう。"Edward" のような演奏はこれまでの OBD ではおそらくできなかったものだ。

○Jim Malcolm ROHALLION; Greentrax, 1998
Jim Malcolm  フォーク・シンガーだが、素材の嗜好としては伝統音楽だけでなく、ブルースやジャズ、ミュージック・ホールなどにも思い入れがある。一曲めは後に上記の OBD で再演するが、どちらかというとこちらの方が活き活きしているように思う。オリジナル曲の出来はファーストの方がまとまっていたような記憶がある。少なくともファーストの方が資質が素直に出ていた。今回は自分の中のさまざまな面を出そうとして多少無理をしているところも見える。そういうことが必要な時もあるが、十分に成功しているとまでは言えない。

 AppleWorks のマクロを試す。なかなか利口だ。しかしこのマクロはいったいどこに保存されているのか。全然わからない。独立したファイルではないようだ。

 昼前に駅前に出る。市役所で国民健康保険の切替え手続き。図書館で『井上究一郎文集』第一巻を返却し、『辰野隆隨筆全集』を申込む。吉本家でキャベツ味玉ラーメンで昼食。読売新聞の広告で『グイン』の新刊が出ているとあるので、無印良品で文房具と肩掛け鞄を買ってから有隣堂。ぶらぶら眺めているとちくま文庫に小池滋・編で『英国鉄道文学傑作選』なるものが目につく。先日琉歌のメール・マガジンで紹介されていた集英社新書『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』(沖縄を「日本」の文化圏の一部とするものの見方にはどうも眉に唾をつけたくなる)を買いに新書のコーナーに行くと、講談社新書で『巨大望遠鏡が見た宇宙 星空を歩く』、さらに洋泉社まで新書を出していてその一冊に網野善彦氏の『歴史と出会う』がある。他にも新書で読みたいものが二冊ほどあったが、今日は多くなりすぎるのでやめておく。いわゆる教養系新書の氾濫には、単行本が売れないという事情もあるのだろうが、果たしてこうしたシリーズが版元や著者に益するものか。ちょっと不安。とまれ、目についたものは目についた時に買っておかねばならない。

 早速網野さんの本を読みながら帰る。この本は正面から書いた論文ではなく、言わば歴史の周辺や自分の学問との関りをふりかえったもの、歴史学者以外との対談、追悼文などを集めたもの。まず刺激的だったのが鶴見良行との対談。『ナマコの眼』刊行当時のものだが、これは鶴見の本も読みたくなる。こういうことを考えていた人だったのか。鎖国が実は「鎖国」ではなかったのではないかという指摘に網野氏もうなずくところにはのけぞる。隆慶一郎をめぐっての縄田一夫との、南北朝を舞台にした北方謙三の小説を肴にしてのその著者との対談も面白い。どちらも改めて俎上に上がった作品を読む気になる。縄田氏が言っている、隆慶一郎に影響を受けて書いている若い作家たち、宮本さんもその一人になるか、は気になる。

○Runrig Maymorning; Ridge Records, 1999
 CDシングル。新しいリード・シンガーが入ったものは初めて聞いたが、音楽自体は相変わらず。アルバムも聞く気は失せるが、資料として一応入手しなければなるまい。因果なことだ。

○Donnie Munro ON THE WEST SIDE; Vital Spark Records, 1999
 実は少し期待していたのだが、まるでだめだった。一度「スタジアム・ロック」の味を覚えてしまった人間は、リスナー、いや音楽との距離を忘れてしまうのかもしれない。まあ、この人の資質の問題と思いたいが。とにかくもう締まりも何もない、大味の、まさに「糞便のように垂流されたチョコレート」の趣。もうこの人のアルバムは二度と買わない。

○Altan ANOTHER SKY; Virgen/東芝EMI, 2000
 松山さんが何度も聞くうちに良くなったと言っていたが、確かに ISLAND ANGEL 以後では一番いいだろう。やはりプライベートでの変化もあるのか、全体に清新の気が漲る。ダンス・チューンもみずみずしいダイナミズムをとりもどした。マレードのうたはまた格別。

○Lyle Lovett LIVE IN TEXAS; MCA, 1999
Lyle Lovett  ピーターさんが口を極めて誉めていたので買ってみたものだが、実際ただ事でない出来。この人のはファーストしか聞いておらず、あれも悪くないものだったが、こんなになっているとは。ジェフ・マルダーの昨年のもの同様、背伸びせず、しかしのびのびと、成熟したうたい手が最高のバンドをバックに悠々と自作のうたをうたってゆく。ブルースあり、ラグタイムあり、ジャズあり、フォークあり。さんざん盛上げておいて、最後にギター一本でうたいだした時には涙が出できた。この人のアルバムは全部聞いてみたくなる。

2000年 6月 03日 (土) 曇。

 朝食はチーズ・クロワッサン、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム。サニー・レタス。コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝一番で昨夜書けなかったメールを書き、チェックと送り。熊谷さんから「日記」の勘違いを指摘されたメールがあったので、すぐ久田さんと熊谷さんにメールを出す。
 WXGの新しいβ版があがっていたのでダウンロードしてインストール。なぜかネスケで落せず(サーバにアクセスもできない)、Anarchie を使う。「お宝鑑定団」を見て、ソフトウェア・アップデートをかけ、CarbonLib を更新。WXGは速くなった感じ。

 網野善彦『歴史と出会う』収録の日経のインタヴュー記事(NHKの大河ドラマ『太平記』にひっかけたもの)の中で、アメリカの捕鯨船が19世紀にたくさん日本海に来ていて、その航海日記によるとペリー以前から船員が対馬や松前などに頻繁に上陸していた話が出てくる。釜山水産大学の朴という人の研究だそうだ。おまけに松前に上陸した船員が「村民と芸能をした」と言う。「芸能をした」の原文がどういうものかぜひ知りたいところだ。朴氏は「バンジョーでも弾いたのでしょう」といってるそうだが、この時代にはまだ今のバンジョーは成立していないはず。ただ、原形ぐらいは持っていたかもしれない。アメリカ、スペインの資料を研究すれば、今までの「鎖国日本」というイメージは大きく変わる可能性があることは、網野氏の言われる通り。わくわくしてくる。

 『もののけ姫』をめぐる宮崎駿との対談でも、『七人の侍』の悪影響の話とか、士農工商はイデオロギーで実態ではないとか、貨幣経済を握っていたのは女性だったとか、眼鱗というか、既成概念をひっくり返される話題が次々出てくる。この快感!

 明治以降の日本の歴史学が「陸」の視点に縛られる、その原因の一つがヨーロッパの歴史学に「海」を始めとする水の視点が欠けていたためではないか、との指摘も刺激的。そういえば最近、海難を扱った本が相次いで出ているのはそうした「潮流」に変化が出てきた証だろうか。北米北西岸のインディアンの「海上世界」とヨーロッパ人植民者たちの意識の違いを指摘したJonathan Raban の記述も重ねて想いあわされる。

 帰ってきた昼食を作るはずのKが会議が長引いているとかで帰れないと連絡があり、急遽昼食は鰻丼となる。それに豆腐とあぶらげの味噌汁。
 アオラからリッカルド・テシのサンプル。THE BOOK OF KELLS のCD-ROM。

○Richard Shindell SPARROWS POINT; Shanachie, 1992
Richard Shindell  タイトル曲にはウィニフレッド・ホランとジョーニィ・マッデンも入る。一見すると単調な声とスタイルに聞えるが、一筋縄では行かない、なかなかに陰翳に富んだ歌唱を聞かせる。メロディもマイナー系ないしトラディショナルに近い。メロディ・メイカーだ。言葉は平明な表現を重ねて、具体的な物象に囚われず、抽象の陥穽にも足元を掬われない。非凡な歌つくり。この世界はここですでに完成の域だ。

○Kevin Rowsome THE ROWSOME TRADITION; KELERO, 1999
Kevin Rowsome  レオ・ロゥサムの孫にあたる人だ。もっと渋渋かと思いきや、意外とモダンなパイプ。レギュレーターの使い方も抑制が利いて、なかなか微妙な音も聞かせる。ギター、ブズーキの伴奏との呼吸もいい。コンサート・ピッチで流れるように吹いてゆく。アーカイヴものもレオ・ロゥサム自身の曲目紹介まで入り、面白い。

○Kathleen Wilhoite PITCH LIKE A GIRL; V2, 1997
Kathleen Wilhoite  Katell Kenig を買った時に餌箱の同じ区画に入っていたので間違って買ってしまったものなのだが、聞いてみたらなかなかの拾い物だった。ちょっと掠れ気味の粘り気のあるヴォーカルで、フォークでもロックでもジャズでもない、言葉の一番広い意味でのポップスではあろうが、どこかもう少しねじれている。が、そのねじれがいっそ素直で、嫌味とかタメにしているところが伺えない。ちょっと不思議な音楽だ。バックも十分にこの知的なポップスに応える。他にもアルバムがあるのか、ちょっと気になってくる。Amazon.com でも AMG でもアルバムはこれ一枚しか出ていない。

 夕食は豚肉生姜焼き、昼の味噌汁の残り、キャベツ千切り。

 CDのデータ整理をしながら、Johnny Hardie と Gavin Marwick が Davy Cattanach とやっているCDが出てきたので聞いてみる。これは一度聞いた覚えがある。どう聞いても面白くも何ともない。プロデュースかミックスか、キャタナックのパーカッションが引込み気味のこともあるかもしれないが、このパーカッションにフロントの二人がどうも合わない感じ。あるいは、パーカッションの生みだすグルーヴについていけないのか、行く意志がないのかのどちらかだ。選曲も良いとは言えない。

○Bruce Cockburn INNER CITY FRONT; East Side Digital, 1981
 レゲェを導入したブルース・コバーン変身第一弾だったか。それにしてもヴォーカルの力強さ。ジャズやレゲェを十分に自家薬篭のモノにして、表面にとどまらない有機的な音楽を作っている。同時期のヴァン・モリスンやポール・ブレディの姿勢にも通じるが、こちらの方がアクチュアリティは感じる。同時代に聞いていれば裏切りだと怒っただろうが、今聞けば見事なり。ギター・プレイも鋭い。久ぶりに昔の『レココレ』に載ったマーク・ラパポートのコバーンへのインタヴュー記事を見たら、このアルバムのこの盤は音が悪いのだそうだ。Columbia 盤を買いなおさねばなるまい。

2000年 6月 04日 (日) 晴れ。

 朝食、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム。コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 Kと子どもたちは学童のボーリング大会。

○Phil Callery FROM THE EDGE OF MEMORY; Tara, 1999
Phil Callery  どちらかというとギター等のリズミカルな伴奏のものより、無伴奏や、ストリングスによる無拍子のものの方が良い。白眉は "The green linnet"。全曲の歌詞がようやくはっきりわかったのも嬉しい。アイルランドの中でもブリテンとの関係の深い曲が多い。ニック・ジョーンズやディック・ゴーハンの歌唱から習ったものなど。あるいはニック・ジョーンズはわれわれが思っていた以上に「ケルト」なのかもしれない。

○Richard Shindell BLUE DIVIDE; Shanachie, 1994
Richard Shindell  ぐっと音楽の幅が広がり、さまざまな曲調、スタイルの歌が現われる。本人のヴォーカルも一枚皮が剥け、「巧まざる技巧」を身につけているようだ。前作同様、シェイマス・イーガンやウィニフレッド・ホランが参加し、一曲などもろにイラーン・パイプまで入る。そういうものが突出していない。独自の世界を語る手法を確立している。

○Riccardo Tesi BANDITALIANA; Dunya/Beans Records, 1999
Riccardo Tesi  アオラからのサンプル。この人のCDを聞くのは久しぶり。二枚持っているはずだが、Silex にまだ他に二枚ほどあるらしい。ライナー(なぜか英語)によれば、これはしばらくぶりに自分のルーツを確認しようと地元出身者ばかりで組んだバンドのアルバムだそうだ。ケパなどに比べるとこの人はやはり後発組で、超絶技巧で聞くものを圧倒するのではない。むしろバンドとしての交歓やグルーヴを楽しむ感じ。スローな曲もアレンジがいいのか、じっくりと聞ける。

 昼食は昨夜の残りの生姜焼きを暖め、サニー・レタスとご飯。

 昼食をはさんで『ザ・ディグ』の原稿を書いてみるが、ざっと書くと1,600字。はて、600字の原稿だったかと、Mさんに字数確認のメールを出す。メール・チェックすると栩木さんがブラウンの本に関してていねいな返事を下さる。訳者冥利に尽きる言葉。これだけでもやった甲斐があった。

 Kたちは昼過ぎに戻る。図書館から連絡のあった『井上究一郎文集』第2巻を引取ってきてくれる。『プルースト篇』。巻頭、晩年の著者の写真。初めて尊顔を拝す。やはり良い顔をしている。
 夕食は実家の両親と駅前ミロードの上でとる。Hのリクエストで寿司を御馳走になる。8時前帰宅。

 夜はIBTRAD-L とアイルランド友の会のメーリング・リストに書込み。ニフティ音楽巡回。ダウンロードのみ。

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