大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 7月 10日 (月)〜2000年 7月 16日 (日)] [CONTENTS]

2000年 7月 10日 (月) 晴れ。暑し。

 朝食、ハム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、吉本家でキャベツ味玉ラーメン。

 夕食、金目鯛の味噌漬を焼き、キャベツの味噌汁、茹でグリーン・アスパラ、ご飯、ゆかり。

 午前中、『春秋』(春秋社の広報誌)の7月号に読みふけってしまう。編集後記にあるように、巻頭の三本のエッセイは巧まずして「教育」の問題に新鮮な角度から光を当てている。横内謙介は歌舞伎の御曹司の実例から、子どもはこの世に生まれてきたことを祝福されることで、苦難に耐えて大成できることを示す。

『春秋』  「この世は辛い所ではない。先に生まれてこの世を生きている者たちが、後から生まれてきた者たちに、何よりも先にそれを教えてあげる。そして難しい理屈抜きで無条件にその誕生を祝福し、世界は君を待ち望んでいたのだと拍手を送る。
 きっと彼らはその拍手からこんなメッセージを受け取るだろう。君こそがこの世界の正当なる継承者なのだ、と。赤ん坊はまだ何者でもなく、特別なことが出来るわけでもない。けれど赤ん坊はその祝福を受けたことで、この楽園の良き住人にして正しき継承者として生きてゆく決意を無意識のうちに心に刻み込むのだ」(『春秋』2000年7月号、4pp.)
 この人は確か「コクーン歌舞伎」の演出をやっていた人ではなかったか。
 山中恒は国家総動員体制のもと徹底した軍国教育を受けた世代が出征する代わりに猛烈社員となって家庭から存在を消し、また「戦う少国民少女」だった母親たちが自分たちの受けた教育への反動から「我慢、辛抱、忍耐、節約」を子どもに強いることを惧れる様を示す。現在問題とされている17歳世代を育てた親世代を育てたのは、かつての「少国民」世代であり、すると現在の「17才」の犯罪は戦争の傷痕でもある。

 禅寺付属の幼稚園園長の鏡島眞理子は、座禅とお茶を日常生活に組込むことで、子供たちが変わってゆくことを示す。すなわち環境の整備だ。環境とは「自然保護」に限定されることではなく、人間としての生き方そのものを問われることなのだとの主張にはうなずける。

 表2にはここのところ高橋達史という人が「オーケストラから締めだされた楽器たち」という連載をしている。いずれもクラシックの視点からなので、見当違いの部分もあるが、それも含めて発見もある。今回はハーディガーディ。「修道会での音楽教育に用いられて普及し、教会でも重用された」というのは面白い。が、この文章に続くその後がおかしい。
 「十五世紀末期以降は辻音楽師、特に盲人の乞食につきものの楽器となり、弱者への差別意識も手伝って、評価は一気に下落してしまった」
 こうした見方を裏付ける何らかの文献証拠があるのだろうか。なければ書かないだろうとも思われるが、なぜ盲目の辻音楽師につきものとなったのかはまず簡単にかたづけられることではない。それに、当時の盲者への「差別意識」は現在のものとは違っていたはずだ。楽器そのものの評価の下落と直接に結びつくのだろうか。そもそもこの「評価の下落」とは、どういう基準で誰が評価を下げたのだろうか。

 18世紀にいたって、「田舎趣味」の台頭でフランス宮廷で人気が出て、ハイドンやモーツァルトがハーディガーディのための曲を書いているそうだが、ちゃんとハーディガーディを使った演奏等は現在されているのか。いるのであれば聞いてみたいものだ。多分、一度聞けば二度と聞きたくなくなる類ではあろうが。

 前回のバグパイプにしてもハーディガーディにしても、オーケストラには採用されなかったが、伝統音楽では栄枯盛衰はあれ、脈々と生き続けている。ある意味、こういう楽器はオーケストラは高すぎて手が出なかった人びとが一台でそれに相当する音を手に入れようとして生出され、発達したものともいえる。別の角度から見れば、こうした楽器を締めだしたオーケストラという「楽器」システムが、いかに「偏った」、使い勝手の悪いものだったか、ということも示す。一台ですむものを、わざわざ数十人もの人間に分担させるのだから。

○Kieran Goss RED-LETTER DAY; Cog Communications, 2000
Kieran Goss  この人は安定してアルバムを出してくれる。質も安定して高い。今回は歌うたいとしての進境が目立つ気がする。ロニー・レーンの ONE FOR THE ROAD を思いおこす。今までのアルバムにもまして、歌の良さが引立つ。クリスティ・ムーアが引退した後のアイルランドの男性シンガーとしては一頭抜けた存在になったかもしれない。バックにも文句なし。もう一つの今回のテーマは歌つくりの上での共作か。録音か、プレス・ミスか、音が罅割れるところが2ヶ所ほどあり。

 昼前に家を出て、駅前で雑用をすませ、吉本家で昼食。ハンカチを忘れてゆき、大汗をかく。そのまま帰宅。Jonathan Raban の PASSAGE TO JUNEAU を読みつづける。北上するにつれて、カナダの沿岸インディアン集落の没落が目立つ。かつて沿岸漁業で栄えた漁村が軒並み廃墟と化している。いまこの The Inside Passage は手つかずの自然を目玉にしたクルージング観光が盛んなようだが、そこからも外れた奥地の集落は逃出すしかないらしい。確かに著者の言う通り、自然と調和して暮らしていたというイメージもまた確かな証拠はない「文明」側の願望の投影かもしれないが、少なくともインディアンたちは数千年にわたってこの地で生き続けてきたわけだ。その生活、共同体が姿を消しているのは、「文明」の犯罪以外のものではあるまい。

 それにしてもこの地方を「文明」化した尖兵である伝道師たちがスコットランド人だったのは、歴史の皮肉ではあろうか。もしスコットランドのプロテスタントが来なければ、アイルランドのカトリックが来ていたのかもしれない。

 午後はソニー・マガジンズからの原稿を読む。
 のざきからキャリコのライナー原稿がメールで来たので、すぐチェックして送り返す。
 Mの咳がひどいので、Kが一緒に耳鼻科に連れてゆく。特に深刻なものではないが、プールはドクター・ストップが出る。Kはだいぶ回復してきた。

2000年 7月 11日 (火) 晴れ。暑し。

 朝食、ハム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、ほっけの干物を焼き、ちょい辛め野沢菜の漬け物、ご飯、ゆかり、バナナ。野沢菜の漬け物は生協宅配で買ってみたもの。道長というメーカーのもので、味は今ひとつ。

 午前中、ソニー・マガジンズの原稿。
 朝一番でSさんからのCD-ROMがついたので、すぐに『リーダーズ+プラス』のCD-ROMのイメージ・ファイルを作る。昼前に終る。フラッシュ・ディスク・ランチからCDのソフト・ケース。内袋のみ50枚1パックが入っていなかったので、午後架電。明後日ぐらいに着くよう手配するとのこと。

○Jack Evans ONCE UPON A TIME IN THE NORTH; Greentrax, 2000
Jack Evans  名グループ The Easy Club の音楽の基調を作っていたのはこの人だったのだ、とこのソロを聞くとわかる。ユーモアの趣味がいい。鋭すぎず、どこかとぼけた味わいがある。しっかりスイングしているかと思うと、結構前衛的な試みをしてみたり、遊び心が適度に入っている。Mairi Campbell のヴォーカルと Jenny Gardner のフィドルもその遊びにうまくつきあっていて、表面なかなか軽いノリだが、なかなかどうして奥の深い音楽だ。例えば[07]など、まるで『NHK歌謡コンサート』でも始まるのかと思われる導入で、ホィッスルさえ尺八に聞える。それにしても Swiss army knife という「楽器」はどんな音が出ているのだろう。

 午後、MSI・Oさんから電話。ロニー・レーン&スティーヴ・マリオットの件で、翻訳のためのライナーが追加になる。

 夕食、親子丼、和布とあぶらげの味噌汁、胡瓜の塩揉み。
 夕食後、ポールから催促の電話。食べおわってから書き、送る。

 メールをチェックするとクラダからクレジット・カードが落せないと入っていたので、ファックス。折返し、後でファックスが来る。どうやら古いものの記録しか残っていなかったらしい。

2000年 7月 12日 (水) 晴れ。薄雲がかかり、蒸暑し。

 朝食、ハム・トースト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、バナナ。

 朝刊の首相動静のところ、記者団が何を訊いてもだんまりらしい。オフレコと確認をとっての発言を記者団が記事にしたのが気に入らないらしい。約束を反故にした記者も記者だが、それに腹を立てて何も答えないと言うのもまるで子どもだ。ペナルティは別にとればいいわけで、一国の首相が自らコミュニケーションを拒否するのは、「国民」に対する侮辱ととられても仕方があるまい。マスコミ以外に自らの考えを広く公にする手段を別に確保しているなら別だが、そんなものはあるのか。
○Farlanders MOMENTS; JARO, 2000
Farlanders  Inna Zhelannaya を前面に押したてた Farlanders の新作でライヴ。二人の笛奏者、ドラムスとパーカッション、そしてバンドの要のベース。ドラムスがすばらしく、こういう人ならドラム・キットもまだまだ可能性はある。イナはアコースティック・ギターも担当。もっぱらリズムを刻む。半分ほどがトラディショナルで、ロシア各地からベラ・ルーシも含む。バラッドもあれば、ダンスに誘う歌もある。オリジナルは大半がイナの筆になるもので、この人、歌つくりとしての才能も半端ではない。このシンガーにしても、バンドにしてもタイプとしてはマーラ!を想わせる。水準も勝るとも劣らぬところ。ロシアの底力恐るべし。これに続くバンドやミュージシャンが出てくることを祈る。

 日記の整理をしながら、Triology を聴直してみたが、これは傑作。それにしてもメインのシステムで聞くと良く聞こえるのはなぜだろう。

 昼食は葛饂飩。ちょっと短い。これは釜揚げの方が美味しいかもしれない。
 午後、ロニー・レーン&スティーヴ・マリオットのアルバムを聞きながら、ライナー翻訳。

○Ronnie Lane & Steve Marriott MAJIK MIJITS; NMC, 2000
 これはロニーの病気がすでに進行していた80年代末に録音されたままお蔵入りになっていたもの。音楽の形としてはほぼロニー・レーンのソロの路線。一連のロニー・レーンの死後リリースとしてはBBCライヴと並んで、最大の成果の一つだ。パンクの嵐に消された傑作がまた一つ浮上した。ライナーは成立を当時のベーシストにインタヴューしたもの。初回分にはボーナス・ディスクがつき、こちらはアウト・テイクや、インストだけで歌が入らなかったトラックを集めたもの。

 夕食、烏賊刺し、チラシ天麩羅、茄子の味噌汁、隠元胡麻和え、ご飯。Hは天丼にしている。
 iMac Wire で紹介されていた UtilityDog というソフトをダウンロードして試す。反応はなかなか速いし、DOSのファイラー・ツールのようなものとしてここまでまとまったものはMac版はなかったかもしれない。ただ、インターフェイスがモロにウィンドウズのエクスプローラのなぞりなのが気に入らない。

2000年 7月 13日 (木) 晴れ。暑し。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。ブルーベリィ・ジャムは生協宅配で買ったフランス製。まずまず。

○Orkiestra P.W. SW. Mikolaja CZAS DO DOMU; own label, 1997
rkiestra P.W. SW. Mikolaja  St Nicholas Orchestra のCDとしては一枚目でアルバムとしては三作目。セカンドCDに比べるとコーラスなどはまだ手探りなところもあるが、アレンジではかなり高度な洗練さも見せ、すでに自分たちの方法論を見定めている。これを聞くとヴァルティナとの関連は薄いことがわかる。

 昼食、ほっけの干物を焼き、漬物とご飯、ゆかり。

 夕食は食べそこない、ライヴの後、のざき、白石と近くの無国籍料理屋で飲食い。
 アオラからサンプル。DagMusic というところからサンプル。タッドの紹介。
 出かけるまで終日ソニー・マガジンズの原稿を読む。

 相模大野・グリーンホールでトリオロジーのライヴ。二つあるホールのうち、小さい方の多目的ホール。のざき、白石と一緒になる。このホールは壁が吸音材でかなりデッドな感じで、PAなしの生音ではもう少し響きがあってもよかった。一番後ろの席で見るが、十分楽しめた。始めにこのライヴも一環であるシリーズの企画者である女性が出てきて挨拶。引っこむと入代わりに三人が出てくる。チェロの兄さんは裸足。新作セカンドでも冒頭だったピアソラの曲で始まるが、それが終わったところで女性ヴァイオリニストの弦が切れてしまう。楽屋に交換に引込んでいた間、チェロともう一人のロシア人ヴァイオリニストの二人だけで、まず「麗しき青きドナウ」をまるまるやり、そのまま続けて、今度はグラッペリ風のスイング・ブルース。チェロは主にリズムやハーモニーをベース感覚でつけていた。嬉しいおまけ。女性が戻ってきたところで改めて本来のプログラムにもどる。三人が交替で曲についてのコメントを日本語の原稿をたどたどしく読む。これが結構笑える。特にロシア人ヴァイオリニストは吉本のセンスがある。もっとも全体にユーモア精神のあふれる演奏だ。

 こういうのを見ていると、アルタンにしてもルナサにしても、演奏している姿はにこにこやっているが音楽そのものは実に「真面目」だと感じる。トリオロジーの三人はクラシックの訓練は受けているが、やっている音楽はむしろジャズの範疇。あるいはジャズをベースにしてその上でやりたいことを展開している。クラシックのような特定のヒエラルキー内での上昇志向やリスナーを威服させようとする意図は皆無。二人だけで間を持たせた時の姿に現われているように、エンタテイナーだ。だからアンコールでは「モリソンズ・ジグ」をやりながら、客席を一周してみせる。エンニオ・モリコーネのマカロニ・ウェスタンの演奏では、コーラスには金がかかるので、皆さんのご協力をお願いするといって聴衆に歌わせる。その歌わせ方や、合図の仕方にも笑った。

 チェロとヴァイオリンの二人がそれぞれくたびれたといって客席に降り、残った方だけで演奏するのも聞かせる。クライマックスは今夜のために作曲したという組曲で、世界各国の音楽をベースにした短いピースをつらねる。そのそれぞれにユーモラスなタイトルがついていて、それをいちいち日本語で叫ぶ。アンコールの最初はチェリストが世界三大テノールの後継者だと言って、口ぱくでチェロを鳴らす。その表情に場内大爆笑。実に楽しいライヴだった。最後はわれわれ三人だけだったがスタンディング・オーヴェイションを送る。

 このシリーズにはメルシャンが協賛していて、休憩時間中にワインがタダでふるまわれた。南アフリカ産の白を飲んでみたが、なかなか美味しい。
 終って、のざき、白石はサインをもらう。近くの無国籍居酒屋で一杯。帰宅11時半。

2000年 7月 14日 (金) 晴れ後曇り。蒸暑し。風ややあるものの、じっとしても汗が流れる。

 朝食、ハム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、ハム・エッグを焼き、朝の残りのトマト、漬物、ご飯。
 夕食、早良の西京漬け、豆腐とあぶらげの味噌汁、胡瓜の塩揉み、ゆかり、ご飯。

○Donna Burke & Bill Benfield LOST & FOUND; DagMusic, 2000
Donna Burke & Bill Benfield  欧米各国からそれぞれの事情で日本にたどりつき、出会ったミュージシャンたちが集まって作ったアルバムの由。シンガーのドナ・バークは確かになかなかの実力者で、確かな歌唱力を聞かせる。メアリ・ブラックが霊感のもとの一人だそうだ。ギタリストのビル・ベンフォードはシンガーを押しのけて弾きまくるタイプではなく、バックに徹する「大人」だ。選曲もアレンジもよく考えられていて、とりわけ "Wichita lineman" とジョン・デンバーの "Annie's song" は見事な出来栄え。後者はエレクトリックとアクースティックの二つのヴァージョンが収められているが、どちらもすばらしく、これだけでも聞く価値はある。ライナーを書いているタッドにも伝えたことだが、問題はアイリッシュとされる四曲の選曲。"She moved through the fair" と "Carrickfergus" の意表を突いた解釈は収穫。が、"Danny boy" はこの歌の持つ感傷性が前面に出ていて、こうした感傷を持たない人間の耳にはいやらしいとしか聞えない。

 終日、ソニー・マガジンズの原稿読み。
 お宝鑑定団で iMac Firmware の新版が出ているとのことで、ダウンロードしてインストール。iBookの方もダウンロードだけしておく。Bridge 1 から TexEdit 4.0 が出ているというのでダウンロードするが、BinHex のはずなのに StuffIt で全然デコードできない。結局諦める。あのソフトは結構こういうミスがある。それにしても前のヴァージョンは確か 3.1 じゃなかったか。

 夕方、不動産屋の勧誘電話。さっさと切るとしつこくかけてくるので留守電にする。しつこくすれば売れるとでも思うのか。ただ、そうやれと言われているからやっているのか。電話一本で不動産が売れるはずはないのだから、とっかかりをつけようというのだろう。あるいはしつこい方がひっかける可能性は高いのかもしれない。

2000年 7月 15日 (土) 晴れ後曇り時々雨。

 朝食、チーズ・バタール、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
○Fernhill WHILIA; Beautiful Joe, 2000
Fernhill  WHILIA  どこがどうと名指しはできないが、バンドとしての成熟を感じる。選曲、編曲、演奏、録音、四拍子も五拍子もそろったアルバム。Tim Buckley の曲の解釈の深さ、そしてそれが本来の性格はそのままながら、他のトラディショナルと見事に溶合っている様子。個々の要素がどうこうではなく、一つの有機的作品として、音楽全体が生き生きと存在しているその確かさ。これはひょっとすると、とんでもないものではないか。

 昼食、秋刀魚干物、小松菜煮浸し、ご飯、ゆかり。今日の秋刀魚はうまかった。
 夕食、蜆汁、豚肉味噌漬、小松菜煮浸しの凝り、ご飯。Mは梅干しも食べる。
 午前中、地震。
 終日、ソニー・マガジンズの原稿読み。夜10時までかかって読上げる。

2000年 7月 16日 (日) 晴れ。暑し。梅雨明けかとおもったら、まだの由。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 爺様の墓参り。ロマンスカーがあったので新宿に出て、アカシアでロール・キャベツ、KRBの昼食。

 いくつか古い小さな墓に、最近お参りをされた方は本堂に寄ってほしい旨のプラスティックの板がかけてある。おそらく縁者もすでに絶えた墓なのだろう。どれも表の文字も読めなくなったような古く、また小さな墓石で、苔むし、もう長い間誰かがお参りに来た形跡は全くない。しかしこういう墓の方が、かえってどことなく愛嬌がある。墓らしい顔をしている。かつてはこうして墓を作った人が今は名も知れず忘れられているその様子は、どことなく心うつものがある。いずれはわれわれも皆こうなるのだ。そして百年もすれば、この墓石すら崩れ、消えてゆく。

 どこにも寄り道せず、中村屋で甘栗をお土産に買っただけでまっすぐ帰宅。5時前。熱気と冷気の間を往復したので思いのほかくたびれる。足の裏も痛い。乗物の中では寝てばかりいた。
 子供たちがそれぞれ友だちが来て遊んでいるので、仕事部屋で呆然と『一夢庵風流記』など読む。読出すと読んでしまうのは文章の力か。

 夜、中山さんから電話。また1時まで。しかしレコード屋もレコード会社も現状を変えようとする意欲すら感じられないらしい。アメリカの音楽産業の言いなりの観がある。いわゆるJ-POPSはメジャーのブロックバスター方式をそのまま踏襲しているだけで、先細りは目に見えている。毎年ウタダヒカルが出るはずもない。ウタダヒカルにしても日本の外のマーケットで売れることもない。中華ポップスの方が遥かにワールドワイドだろう。

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