大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 8月 28日 (月)〜2000年 9月 03日 (日)] [CONTENTS]

2000年 8月 28日 (月) 晴れ。風あり。

 8時過ぎ、起床。
 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、キャベツのバターいため、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、金目鯛の味噌漬、茄子の味噌汁、隠元胡麻和え、ご飯、ゆかり、はりはり漬け。
 メディアワークスから電撃三賞の贈呈式および祝賀パーティの案内。が、10月3日はリアム・オ・メーンリ&スティーヴ・クーニィの東京の最後のライヴと重なる。Good Book Guide、London Review of Books。

○Tryckster WHEN THE STONE IS EXPOSED; Fellside, 1999
Tryckster  リンディスファーン〜ジャック・ザ・ラッドの流れを汲むイングランドのフォーク・ロック・バンド。こうしてみるとあのバンドからしてすでにケルトの影響があったのかもしれない。もっともノーサンバーランドは音楽的にはケルトの一部だ。ライヴではまた違うのかもしれないが、演奏もアレンジも灰汁抜けない。曲はほとんどがオリジナル。ソングライターのうちでは Yvonne Reay-Bennett の方が上だが、シンガーとしては David Camlin に軍配。この男の書く歌は退屈。歌うたい、歌つくりとして一番的もなのは Neil Reay-Bennett で、こいつがもっと表に出ればずっと良いバンドになるはず。やはり二流のイングランドの、ローカル・ヒーローの一つというべきか。スタジオでの録音に慣れていない所は伺える。2ndが出ればずっとマシかも。

○Night Ark TREASURES; Traditional Crossroads, 2000
Night Ark  TREASURES  めっけもの。アルメニアのウード奏者がピアノ、ベース、パーカッションとともに作ったルーツ・ジャズ/フュージョン・バンド。ピアノは二人入代わる。アメリカ編集のベスト盤。使用楽器の写真が載っていて、何年か前デヴィッド・リンドレーが赤坂ブリッツでやった時時に使っていたバンジョーのでかいもののようなやつの正体はおそらくこのクムブスだろう。ここに入っている曲の中には、中東あたりで歌詞がつけられて、大ヒットしているものもある由。確かにメロディはなかなかキャッチーなものもある。しかし一番面白いのは、やはりジャズ的展開のところ。何より、イスタンブールで指折りというパーカッショニストが尋常でない。それほど種類は多くないし、アクロバティックなこともやらないが、ほとんど主役を喰う活躍。ポルトガル・マンドリンという聞きなれない楽器と打楽器奏者の二人だけによる[03]からの3曲がハイライト。この人、スキャットもやり、これまた見事。このバンドは全貌が知りたい。中心人物のウード奏者は他にもバンドを組んでいるらしい。録音優秀。

 有隣堂から電話。昨日頼んだ Zoom 707 は金曜日に入荷するとのこと。
 昼食を挟んで、クランのライナー、歌詞対訳の準備。

 4時半、出発し、まっすぐ新宿。うまい具合にロマンスカーがあったが、8月最後の週末の後とあって、帰りの人が結構あり、喫煙席しかとれない。もっとも普段と違って観光帰りのおばさんたちなどもいて、それほど煙草くさくはない。隣の席のおばさんは小学校の教師か何かだろうか、二学期が始まるので元気に登校しましょうという内容の葉書を何枚も書いている。途中で眠くなり、後半は寝る。

 ハンズに向かうが何と今日は休館。こういうことがあるので、通販に向かうことになる。高島屋の文具売場も覗くが、なんも面白くなし。アカシアでロール・キャベツ、KRBで腹拵え。紀伊国屋アドホックも覗く。一階の半分がコミック売場になっていた。

 ゆるゆるとリキッドに向かう。ソウル・フラワー・ユニオンのライヴ。例によって階段を登らされ、ひいひい言いながら入場。飲物に並んでいたら音友・Sさんが声をかけてきた。また後ろで見ようと思ったが、やはり天井がつかえる感じでフロアに降りた。はじめやや後ろが空いていたが、開演時にはほぼ埋まる。今日もソルド・アウトだったらしい。フジロックの余韻が客の方に漂っていて、客電が落ちるだけで歓声が上がる。

 飛入り前座でハシケン。ギター一本で2曲だけ。「グランド・ライフ」と「ワイド節」。「ワイド節」は一層ハードになっていて、と言うよりもハシケン自身が弾けているようだ。客をのせるのも積極的でうまくなっている。今月末のスターパインズでの二日間の宣伝のために出たようだ(一日目に河村氏がゲストで出る)が、十分に盛上げていた。後で中川さんが二日前にいきなりハシケンから電話がかかってきたと説明。

 ユニオンは内海洋子さんがはじめと終わりにゲストで出てきた。大熊さんもそろう。洋子さんのヴォーカルはさすがで、生のステージを見るのは初めてだが、確かにこれだけステージで存在感を示せるシンガーはなかなかいないだろう。美人とかかわいいとかいうのではないが、色気は十分。
 洋子さんの存在が示す通り、しょっぱなからバンドは全開で聴衆もいきなりハネだす。床が揺れる。ちゃんと重量対策はしてあるのだろうな。この会場は、ビル自体、後で上階を付足したような気もするが、その辺心配。元々はディスコだというし。

 「クレイジー・ラヴ」もまた別の味わいで聞かせた。「追いかける男」のようなフォー・ビート系のリズムの方が、単純なロックン・ロールより遥かに血が沸く。昔の曲よりも比較的新しい曲のメロディが嬉しい。昔の曲はほとんどメロディがないように感じられ、平板に聞える。やはり『ヤマツミ・ワダツミ』あたりが境界線らしい。
 今日は中川さんも一度三線を手にして「満月の夕」。奥野タイムはなく、替りに新曲のサントラ「アンチェイン」。

 メンバーが出てきてすぐ、河村さんの前で「三河河村会」の旗が振られる。
 今日は音がひどい。ここは ON AIR よりひどいと想っていたが、今日はことさらにひどく、後半は耳がおかしくなり、ヴォーカルなどまともに聞こえなくなる。大熊さんの音はほとんど聞こえない。サウンド・エンジニアの耳がおかしいのではないか。もう少し全体のレヴェルを下げるだけで、格段に聞きやすくなるはずだ。このバンドは音量で勝負するのではなく、歌詞とアンサンブルを聞かせるバンドなのだから。フジロックではPAが相当に良かったらしく、それがあそこでの評判の高さにも繋がっていたようだ。今日は最低のPA。アンコールのときには、耳がおかしくて聞きたくなくなったほど。

 終ってから追いたてられるように一度外に出ると、何と白石さんが来ている。ソウル・フラワーのライヴで会うのは初めてではないか。リスペクトのTさんやポール・フィッシャーと話していた。入口あたりでTさんなどと話していると、そのうち、ロビーの方からヒデ坊が登場。しばしおしゃべり。ひとしきりおしゃべりした後、打上げの席にSさん、白石さんと三人で先乗り。渋谷・道玄坂。先日入った「もりげん」の筋向いの日本酒屋。飲んで待つほどに三々五々、客が来て、中川さんとヒデ坊登場。ヒデ坊からドーナルとアンディのツーショット写真をもらう。

 電車がなくなるので一人先に抜けるが、終電は逃し、相武台からタクシー。運転手は中年の女性。帰宅1時半。

2000年 8月 29日 (火) 晴れ。風あり。朝はやや涼しい。

 8時過ぎ起床。
 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 家事の後、『CDジャーナル』宛CD(アンディ・アーヴァインの新譜)宅急便にて送付。郵便局で『胡散無産』定期購読代、HONZI Two の代金をHIFUMI Records (*)宛振込。HONZI は佐渡山豊の『サバニ』に参加していた女性のフィドラー。セカンドは9月22日発売。
*HIFUMI Records
 〒153-0064 目黒区下目黒2-19-3 B.I.ビル2F
 Tel: 03-5436-6610
 郵便振替00180-5-166079

 昼食、豆腐ハンバーグ、揚げ茄子、隠元胡麻和え、豆腐の味噌汁、胡瓜の漬け物、ご飯、ゆかり。
 午後、クランのライナーと歌詞の訳。
 夕食、鶏肉とカシューナッツの中華風炒め、かき卵スープ、隠元胡麻和え残り、ご飯、ゆかり。

 中山さん、アメリカから帰国して、興奮して電話をかけてくる。夜10時頃、来訪。アメリカで手に入れてきたと言ってビデオを一本持ってくる。71年頃とおぼしきペンタングルのTVでのライヴ映像。しかもカラーの鮮明な画像で、音質も上々。バートは髭だらけで、ひと頃のレヴォン・ヘルムやリチャード・マニュエルそっくり。ジョンがほとんど映らない。

 そのあと、英国の "Music Room" というテレビ番組に出た第二期スティーライ・スパンの映像。ホストのインタヴューに答え、四曲演奏する。セカンドの録音中らしい。
 続いて同じ番組にダニィ・トムプスンが一人で出たときの映像。ベースでの即興を一曲。チェロに持ち替えて、フルートと「スカボロ・フェア」をベースにした即興演奏。このフルートが誰だかわからないが、あるいはトニィ・ロバーツか。

 そして再びペンタングル。英国ではおそらくなく、オランダかどこか北欧あたりのライヴハウスでのライヴをとらえたTV。こちらはファーストかせいぜいセカンドを出した頃だろう。モノクロ。全員髭は無く、ジャッキ・マクシーはミニ・スカートで髪を一段高くしている。

 最後に、テープでははじめのペンタングルの前に入っているフェアポート。第一期で、ジュディ・ダイブルとイアン・マシューズがリード・シンガー。Top of the Pops に出た時のものの由。モノクロ。"Reno, Nevada" ではトムプスンが延々とギターを弾きまくるが、確かに「エリザベス・リードの追憶」をやっている。歌とまるで関係のないソロ。ほとんどジャズだ。あるいは当時のかれらができる範囲でのジャズ。クリームの影響だろうということになる。
 スティーライのときとのハッチングスの姿の落差がおかしい。こちらではもう十年やっているベテランの顔だが、スティーライでは必死になって他のメンバーに負けないように目一杯突張っているガキ。

 このビデオは今回訪米した際世話になったという、ノーザンプトンの中古レコード屋の親爺が持っていたのをダビングしてもらってきたらしい。もとのはデッド・ヘッドのテープ交換の際、おまけについてきたものだそうだ。オランダ、デンマークあたりにはこうした「ブリティッシュ・フォーク」マニアがかなりいて、60年代の後半からせっせとテープを溜めこんでいるらしい。

 中山さんはスティーライの映像にしきりに感心していたが、前に結成二十周年のライヴ映像を白石さんのところで見ていたので、それほどの衝撃はない。あの時、ダンス・チューンでは踊ってみせるマディ・プライアや、汗だくになってフィドルを弾きまくっているピーター・ナイトの姿を初めてみたことで、スティーライの評価はかなり変わっていた。

 それよりはやはりペンタングルだ。とりわけ、リズム・セクションの二人の演奏している姿を見られたのは大きい。ジャッキ・マクシーがほとんど表情を変えず、坦々とうたっているので、これはこの人の特性かと思ったら、そのあと見たフェアポートのジュディ・ダイブルも同じようにほとんど無表情でクールに歌っていたので、この頃の英国の女性シンガーに共通したものなのかもしれない。サンディ・デニーの映像を見たいものだ。それにしてもダイブルは初期のジューン・テイバーにそっくり。

 中山さんは11時半頃帰る。あちこちこのビデオを見せに回っているらしい。

2000年 8月 30日 (水) 曇。風あり、ここ数日より若干涼しい。

 K出張のため、7時前起床。
 朝食、秋刀魚の開き、キャベツの味噌汁、茹でブロッコリ、胡瓜の漬け物、ご飯。

 Hが「ナノザウルス」をやろうとiMacを立上げると、WXGのパレットが出たところで凍る。昨日も出た症状で、完全に治っていなかった。調べてみるとWXGの辞書セットのファイルが壊れているらしい。これと初期設定ファイルを捨てて再起動すると治る。辞書セットを作りなおし。

 ミュージック・プラントから THE LONSOME TOUCH の茂木のライナーと Darden Smith のCD。F&SF2000年8月号。

 昼食、Kが朝Mの弁当と一緒に作っていったお菜。鶏チューリップの唐揚げ、豚カツ(冷凍)、揚げ薩摩芋、茹でブロッコリ、胡瓜漬け物、ご飯、ゆかり。
 昼食後、Hは丹尾君の家に遊びに出てゆく。

 広島の公立中学で、一度に二十人(男子15人、女子5人)の生徒に、出席停止措置との新聞報道。授業妨害が激しいためとのこと。職員室にかかってきた電話に、先に出てきってしまったりすることをしばしばだったそうな。よほど強圧的な「指導」をしていたのではないかと想像する。校長は「悔しい」と言っていると記事にあるが、本来「恥ずかしい」と言うべきだろう。悔しいなどという感情が出てくるあたり、教育のプロとしての資質を疑う。

 昼食後、クランの歌詞対訳をしていたが、聞いているだけで寝てしまうので、2時頃より昼寝。3時頃、Kが帰ってくるので目が覚める。K、ダウン。夕食は素麺、胡瓜味噌添え、梨。夕食早めにして8時過ぎには子どもたちを寝かせる。
 夕方までにクランの対訳はほぼ終了。

 夜、日記でとりあげたアルバムの索引を作ろうと思い立ち、作業。初聞きアルバム・リストを加工してデリミタを作り、 sortf 用のフィールドを作ってアーティスト名でソート。ようやく sortf の使い方が少しわかった。さらに加工して各要素の区切りをタブに置換し、AppleWorks で読込むと表計算ファイルになる。各セルの項目を整える。結構時間がかかってしまったが、日記を始めた昨年3月31日以降の566枚がアーティスト順に並ぶ。

 今度はこれをhtml化しなければならないが、試しにちょっと GoLive で読込んでみたが、サイズが大きすぎるのか、異常終了してしまう。今度はiMacで仮想メモリを入れて試してみよう。

 夜、手首の汗対策に先日買ったリストバンドを試しにはめてみる。はじめはきつい感じだったが、少しすると吸収した汗をどんどん蒸発させるらしく、すうすうしてくる。なかなか気持ちがいい。

2000年 8月 31日 (木) 曇時々雨。

 朝方、激しい雨の音で一度目が覚める。風が全くなく、蒸暑い。昼前からすこうし風が出てきた。昼食を食べていると雷雨。ひとしきり激しく降る。その後、雲が切れて晴れる。

 8時過ぎ起床。朝食、チーズ・バタール、コーヒー、バナナ、グレープフルーツ・ジュース。木屋のパン切り包丁はまだおろして間もないのにもう刃こぼれしている。やはり国産はだめか。

 歯科。右上。今日は土台が入る予定だったが、出来てきた土台に気になる隙間があるとのことで、もう一度型をとり、作りなおす。

 Temple からCD7枚。うち一枚はおまけのサンプラー。The Living TraditionからCD1枚。ずいぶん前に注文したものらしい。ジェス・ロウなので文句はない。

 昼食、ありあわせで豆腐ハンバーグ、白子卸、和布キャベツ、目玉焼き、ご飯。大根卸しが猛烈に辛く、ひいひい言いながら食べる。昼食後、少し仕事部屋で昼寝。生協まで食料品など買物。

 生協のレジですぐ前のおばさんが買込んでいる食料品は当然のことながら大量生産品だ。そう言うものの安全性に何の疑問も抱いていないのだろう。雪印事件以降、様々な大量生産の食料品に様々な「異物」が混入する報道が相次いでいる。こうした事例が急に増えたわけではなかろうから、日常的に起きていたことが、雪印事件をきっかけにマスコミ報道の表面に浮上したと見るべきだろう。それ以前に、大量生産品そのものに対して、いつしか信頼感を失っている。基本的に大量生産品は、ハード・ソフトを問わず、「安全」なものとは言いがたい、という観念が抜きがたく根を下ろしている。

 一つには大量生産ではない製品を製造・販売している立場からの「宣伝」効果もある。少量生産はコスト的には大量生産にかなわないから、付加価値をつけなければ売れない。そして付加価値として一番効果的なのは「安全」だ。食料品、それも加工食品のように、本来大量生産には「なじまない」製品を大量生産するために、様々な技術が適用されている。化学調味料をはじめとする添加物はその技術の代表だ。そしてこの「技術」すなわちテクノロジーそのものが疑惑の対象になっている。テクノロジーは本当に人間の安全で豊かな生存が可能になるように作用しているのだろうか。

 工業製品は大量生産によって初めて可能になるものでもある。一つずつ個別に作っていたのでは、コストが掛かりすぎてしまうものを、大量に作ることでコストを下げ、多数の人間が手に入れることができるようになる。自動車、家電、デジタル機器、みなそうだ。

 食料品はどうだろう。工業製品と決定的に違うのは、これが基本的な生存に関るものである点だ。すると、大量生産をやめた場合、例えば現在の日本の人口を養うことができなくなるのだろうか。

○Gjallarhorn SJOFN; Finlands Svenska Folkmusikinstitut, 2000, Sweden/Finland
Gjallarhorn  期待して聞いたが、ファーストにあった個性的な部分が少なくなっているように思われる。フレーズやヴォーカル・スタイル、アレンジの仕方などが、どこかから借りてきたもののように聞えるのだ。ヴァルティナの影は、即座にはっきり聞取れる。あるいはリエナ・ヴィッレマルクやアーレ・メラーたちのやっていること。全体として悪いアルバムというのではないが、自分たちの受けている影響がもろに出てしまっているのは、やはり練り上げ方が足らないのではないか。フォロワーとして片づけるには音楽自体の質は高すぎるが、これはどこかで聞いたという感じが拭えないのは、プロデュースの未熟か。惜しい。

 夕食、茹で鶏肉の薬味かけ、占地と榎の味噌汁、和布キャベツ残り、揚げ薩摩芋、ご飯。

○Darden Smith EXTRA EXTRA; Haven, 2000, USAmerica
Darden Smith  あまりアメリカ人らしくない、細やかでしっとりした歌をうたうシンガー・ソング・ライター。テキサスはオースティンをベースにするのも納得。ブー・ヒュワーディーンとの共作まであるのも頷ける。シンプルな編成で、はでなソロもほとんどなく、ひたすら主人公の歌を聞かせるプロデュース。その歌も、叫んだり荒げたりすることはほとんどなく、耳元で囁く形。もう少しでニューロティックになるのをぎりぎりで留まっている気色だ。カントリー調の曲は少なく、基本はいい意味でのポップス。

○Astor Piazzolla SINFONIA DE TANGO/シンフォニア・デ・タンゴ; BMGファンハウス, 1955/2000
Astor Piazzolla  1955年パリで録音されたピアソラの初のアルバム(10インチLP)だそうだ。この時、ピアソラ34歳。ピアノ入りの弦楽オケをバックにしてピアソラがバンドネオンを弾いている。録音は決して良いとは言えない。ピアノの方が前に来たりする。この楽器の録音の仕方がまだわからなかったのかもしれない。アレンジはクラシックというより、映画音楽の趣。ライナーに言う「タンゴ性の欠除」なのかもしれない。とはいえ、根っからのタンゴ・ファン以外には案外そこが魅力ではないかとも思われる。メロディはオケとバンドネオンのどちらかが演奏し、メロディを担当していない方はリズム・セクションにまわる。曲自体はすでにピアソラ・スタイルのもので、別にタンゴがとりわけ好きでなくとも、十分聞応えがある。するとすぐに「単なるタンゴの枠を越えた」という表現が持ちだされるが、実はそうではあるまい。ピアソラ本人としては自分なりに徹底的にタンゴを追求してゆく中で生出されたもので、タンゴ以外の何ものでもないと言いたいだろう。この辺の曲の後の時代の再演もあれば聞いてみたい。

○Paul Brady OH WHAT A WORLD; Ryko, 2000
Paul Brady  じっくりと時間をかけて作ったことがよくわかる。曲の練り上げ方、うたい込みの深さ、アレンジの周到さ、どれをとってもほぼ完璧に近い。充実度の点では、ベストの一枚といってもかまうまい。この人に今さらあれこれ文句や注文をつけても始まらないのだが、しかし例えばかつて "Arthur McBride" や "Lake of Ponchartrain" のような歌唱を生出したあの力、伝統の枠を軽々と雲散霧消させたあの力、おそらくはロックン・ロールを生出したのと同じベクトルを持つ力はここには感じられない。自ら到達した境地に満足し、そこに遊ぶことで事足りている。そもそも満足できるだけの境地に到達できる人間が稀なのだから、それはそれで非難する筋合いは全くない。ないが、である。もう少し、何か「はっ」とさせて欲しい。SULTのビデオで、ドーナルと二人だけでゲール語の歌を熱唱していたあの姿。ああいう姿をアルバムの上でも見たいのだ。

 AppleWorks の表計算ファイルをウェブ・サイトに上げる方法を調べてみたが、結構めんどくさい。それにウェブ・サイト上で表になった時、果たして見やすいだろうか。つらつら考えて、結局テキストでソートすれば充分だし、テキスト・ファイルの方が何かと加工しやすいと結論を出す。デリミタをきちんと指定すれば、ソートそのものは難しくない。大文字小文字を無視させるオプションもある。

 それでもう一度初聞きリストをテキストでソートしなおし、イニシャル別のファイルを作る。今気がついたが、うっかりして昨年のリストを年頭から全部入れてしまっていた。日記は3月31日からだから、それ以前のものは除かねばならない。がーん!

2000年 9月 01日 (金) 第274日 曇。朝のうち雨。涼し。

 目覚ましで7時前に起床。朝食、チーズ・バタール、苺ジャム・トースト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、和布キャベツ。

 家事の後、9時過ぎに歯科に架電。昨日詰めていたのが、昨夜歯を磨いていたらぽろりと取れてしまったため。かぶせておいた方が良いので都合の良い時間に来てくれとのことで9時半過ぎに行く。少し待って別の素材で蓋をする。さすがに今日は金はとらない。

○Various Artists TEMPLE SAMPLER; Temple, 1992
TEMPLE SAMPLER  20曲収録。聞いていないのはパイプ・バンドぐらいだが、セレクションの基準が今ひとつ一貫していない。Jim Hunter や Christine Primrose、Pat Kilbride や Peter Nardini あたりだとうまくいくが、Arthur Cormack ではもっと良いのがあるでしょうと言いたくなる。Jim Hunter は持っていないが買いだ。異色はDeaf Heights Cajun Aces のケイジャンとMike Whellans のブルース。どちらもブリテンの例で味つけは薄いのだが、悪くない。パイプ・バンドは確かにこれもスコットランドの伝統音楽の一角であることは間違い無いが、外部の人間にとって魅力は薄い。安易な妥協の産物のように聞える。トリはバトルフィールド・バンド。元々このレーベルはこのバンドのアルバムを出すために作られたわけだから、これは当然といえば当然。このトラックの選択は納得。

 子どもたちはそれぞれ10時過ぎに相次いで帰宅。
 昼食、ありあわせで、子どもたちの分はKとHがチキン・ライスを作る。Kはまだだめ。こちらは昨夜の残りの鶏肉とハム、ご飯。茹でブロッコリ。

○FINLAY MacDONALD; Foot Stomping Records, 2000 (sample CD-R)
 スコットランドのパイパー/フルーティストで、言うなればマイケル・マクゴールドリックに相当する人というべきか。ドラムスを入れたり、ジャズってみたり、結構面白い。パイパーとしてもしっかりしていて、スローな曲での装飾音の切れ方は気持ちよい。ドラムスは当然ながらジャズの素養があり、聞応え十分。適度な奔放さと複雑さをアルバムに加えている。一曲、ニック・ジョーンズから習ったという "The humpback whale" をやっているが、ゲストで入っているシンガーはなかなか。全体にハイランド・パイパーのアルバムとしては革新的。

 午後、Hは友人の家に遊びにゆく。Mは大人しく本を読んだり、先日学童保育のビンゴ大会でもらった砂絵セットで遊んでいた。砂絵ができたので見てくれと来て、見に行き、そのままKと少しおしゃべりしていると、両親を独占めできたのではしゃいでいる。そのうち、飛びまわったりしてどこかにぶつけたとか言っていたかと思うと急にうずくまり、首の後ろを押さえている。痛くて声も出せずに泣く。ただ、痛いのだと言う。原因がわからない。静かに仰向けに寝なさいと言って寝かせておくと、そのうち元気になる。前にもあったようなことも言う。その後は何ごともない。夜、ネット上で少し調べてみる。膝が痛い症状はいわゆる成長痛と言われるものだろうという説明が、ある相談室に出ている。これは原因がまだ分からず、また時にはかなりの激痛を訴えることもあるそうだ。いずれにしてもほんとうに病気であれば、継続的に痛みが続き、しかも段々ひどくなるはずだと言う。しばし、気をつけて観察すべき、ということか。

 夕食、素麺、茹でブロッコリ、冷や奴。デザートに葡萄。子どもたちも冷や奴に恐る恐る葱をのせて食べるが、食べると美味しいと言ってさらにのせていた。K、頭痛薬を飲んでだいぶ回復。

 夜、プランクトン・I君から電話。チラシに載せたいので、スティーヴ・クーニィについての原稿を書いてくれとの依頼。二つ返事で引受ける。そのあと、Kさんに代わり、ファンファーレ・チョカリーアの話などいろいろ。梅津さんが金曜日、楽譜を見ずにやっていたのはKさんが「圧力をかけた」のだそうだ。楽譜を見ないでやれるんなら出てもかまわないといったところ、悩んだ末、覚えますといっておぼえてきた由。土曜日の打上げではテーブルの上に乗って踊る人間が出たそうだ。名古屋は超満員で、ステージの上は酸欠状態だった。大阪でリヴ!ラフ!が一緒にやろうとしたのだが、唯一できる曲のスピードが本来の半分ほどで諦めた。等々。今度はコチャニ・オーケスターを呼びたいとのこと。こちらはマケドニアのバンドで、チョカリーアをもっと洗練させて、音楽性を豊かにしたものの由。CDは一枚聞いたが、あまりおもしろくはなかった。ライヴはやはり相当良いらしい。タラフ・ドゥ・カランシェヴェシュを見たいと言ったら、Kさんもまだ見たことがないそうな。ヨーロッパでも名前を聞かないそうだ。マネージメントがきちんとしていないのかもしれない。

 夜はメール書きとスティーヴの情報をネットで捜す。イタリアの Folksy Links は一度繋がったのだが iCab ではサイト内でのジャンプが効かないので、ネスケに替えてつなごうとしたら、一向に繋がらなくなってしまった。

2000年 9月 02日 (土) 晴れ。多少風はあるが、暑い一日。

 朝食、葡萄パン、クロワッサンにブルーベリィ・ジャムを塗ったモノ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、プチトマト。

 皆出勤と登校。洗濯物を干そうとしたら、和室側のベランダの手すりと物干し竿の間に、蜘蛛がでかい巣を張っていた。黄色と黒の縞模様の、胴体の細い蜘蛛。全体の長さは10センチほどか。糸はベランダの天井にまで張ってあって、かなりしっかりした作り。破ろうとすると手応えがある。蜘蛛の巣は自然界で一番強い糸だそうだが、納得できる。

 家事の後、9時過ぎに家を出る。ちょうどバスが行ってしまった直後で、仕方なく下まで降りる。吾妻神社まで行くと上古沢からのバスがあるらしいので、待って乗る。停留所にいた髪をオールバックにした初老の男性が気さくに話しかけてくる。バスの中でも隣の女性に話しかけていたからそういう性格なのだろう。町田へ出て東急のクロワッサンの店を覗くが、パン切り包丁も、前に置いていたフランス製A5の方眼ノートも見当たらない。すぐにハンズへ行くが、バーゲンの最中で商品の数が減っており、ヘンケルのパン切り包丁は品切れ。他は国産でやむなくそこにあった一番良さそうなものを買う。そのまま厚木に戻り、有隣堂にて注文しておいた Tombow Zoom 707 のシャープとボールペンを受取る。バスで帰宅、11時半。

 昼食はKが帰ってきてから、鰹の叩きを解凍し、豆腐とあぶらげの味噌汁、隠元胡麻和え、ご飯、ゆかり。鰹の叩きは一人で食べるには多いが、四人だと少ない。

 午前中かなり真剣に歩きまわったため、昼食後頭がぼんやりしてしまう。暑さがこたえる。
 3時頃、昼食の後片づけや米磨ぎをしているうちに多少すっきり。iMacで GoLive を立ちあげ、ほぼ一年ぶりにウェブ・サイトの手入れをする。マニュアルを付属のものと先日買ったそとマニュアルと両方見ながら、新規サイト・ファイルを作り、古いファイルを登録。ついでにあちこち手を入れる。

 iBookとiMacでWXGの辞書を同期させると、iMacの辞書設定ファイルが壊れる。あるいはiBookの辞書にアクセスしようとするのかもしれないが、とにかく立ちあがりのところで、WXGのパレットが出て固まってしまう。ふと思いつき、今までデータ用ディスクに置いていたユーザ辞書を、本来の starup disk:システムフォルダ:機能拡張:WXG:辞書: に置く。iBookでも同じ設定にしてみると、仮想メモリ・オンでも Nickey での入力の取りこぼしないし変換ミスが無くなった。これはありがたい。MacOS Xになると仮想メモリ無しではおそらくきついだろう。あと10日でリリースだが、未だどういう形でリリースされるのか、発表は無いようだ。それにしてもこうしてみると、WXGは快調だ。HDの高速化も必要ないらしい。

 夕食、牛肉とピーマンの中華風炒め、隠元胡麻和え残り、ご飯、ゆかり、かき卵スープ。
 夕食後、再び『日記』の索引をhtml化する作業にいそしむ。単純作業。トップ・ページも少し変える。書類間やURLとのリンクは絶対パスなので、iMacからiBookに書類を移してやるとリンクが切れてしまう。仕方がないのでiMacの中の書類をiBookから編集。AirMac越しだとちょっと待たされることがある。夜中までかかって、ほぼ作業終了。残りは明日にする。

2000年 9月 03日 (日) 晴れ、風あり。空気が乾燥しているので、日向は暑いが、家の中を吹きぬける風は爽やか。

 8時起床。朝食、葡萄パン、ハムを挟んだロール・パン、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、胡瓜味噌添え。

 9時半頃、親爺から電話。おふくろの胆嚢につき、当初と医師の所見が変わり、何らかの手術が必要になったとのこと。胆嚢自体が機能していないので、そのまま放置すると癌などになりやすいそうだ。一つは胆管を広げる手術、もう一つは胆嚢切除。例の「インフォームド・コンセント」という医者の責任放棄システムで、どちらかはこちらで決めろとのこと。明日、親爺が病院へ行き、医師から直接話を聞くそうだ。

 11時頃、米山画伯から電話。新しく録音したアルバムは現在ミックス段階で今月末にラフ・ミックスが上がる予定だが、ついてはライナーを書いてくれとの依頼。喜んで引受ける。内容に相当自信があり、自己満足ではなく、今度のはぜひみんなに買って聞いて欲しいと言う。楽器も伊藤さんが入っているし、エンジニアの岡本さんがギター、奥さんがキーボード、それも何とメロトロンとか使っているそうだ。歌が4曲で、フランキー・アームストロングがア・カペラで歌っているのにオリジナルのアレンジを施してやっている。ダンス・チューンはイングランド、フランスからのもので、イングランドは16〜7世紀のものばかり、等々。早く聞きたいぞ。

 朝食後からウェブ・サイトの手入れとアップロード。なぜかサイトの構成が変わってしまい、URLが www.linkclub.or.jp/~soyo/(ユーロ・ルーツ・ミュージックの森)に変わってしまった。もっとも前よりは簡単になったので、わかりやすいのではあるが。
 少し背景の色を変えたり、多少見栄えをましにする。グラフィックがまだ一切無いから、愛想の無いのは相変わらず。

 Kは朝からねじり鉢巻きで洗濯をした後、美容院に開店と同時に入るのだと言って飛びだしてゆく。12時半頃電話があり、吉本家で待合せ。キャベツ・味玉ラーメン。一足先に帰って、メールのチェック。

○Mary Custy with Stephen Flaherty AFTER 10:30; own label, 2000c
Mary Custy with Stephen Flaherty  これは良い。白石さんはのんびりしすぎだというが、このゆったりしたところが何とも言えず。前二作は尖がった部分を強調しようとするのが時に鼻についたりするのだが、これは等身大。小さい頃からやっていた音楽を小さい頃からやっていたようにやっている。初めて心底からこの人のフィドルをもっと聞きたいと思う。リラックスした演奏には確かにギタリストの彼氏の存在が大きいのだろう。そこがまたいい。リールなど例えばマーティン・ヘィズほどゆっくりではなく、それなりの速さで弾いているが、速いと感じない。フィドルの音の姿がくっきりと浮かぶ。[03]のブレトン・チューンの愛らしさ。

 一同は3時半頃帰宅。4時半に家を出る。吉祥寺・マンダラ2にてふちがみとふなとカルテットのライヴ。まっすぐ吉祥寺に行き、帰りの切符を買ったところで、Sさんがやってくる。マンダラ2は初めて。6時半開場だったが、まだオープンしておらず、階段に腰かけて待つ。待っているのは十人いない。やがてオープンし、ドリンク代とともにチケットを買って入る。席をとり、飲物(ラム)を受取り、CDを買いに行く。とにかく並んでいたものを全部買う。ふちがみとふなとの2枚、カルテットの新譜、ビジリバのセカンド、ピジン・コンボ、山之口貘の詩のアンソロジー。それに千野秀一のもの。これは後で奥さんが持って駆けつけるとのことで、名札だけ置いてある。こういう所でないとなかなか買えない。

 ちょっと小腹が空いたので厚切りハムのホットサンドを注文。なかなか美味。エフさんとも一緒になる。ソウル・フラワーのファン・サイトの掲示板「電脳アジール」で活躍している HdK さんも来ていた。後でSさんの友人で、朴保などと一緒にやっているというYさんも脇に来る。客では他にハシケンがいた。シーサーズの二人も来ていて、片方は赤ん坊連れ。この赤ん坊がときおりギゲゲというような声を立てる。案外、音楽に合っていたりする。会場はちょうど満席。

 やがて定刻ちょっと遅れて、前触れもなく、ちょっと老けた感じの小柄な女性がすたすたと現れ、マイクの前に立つ。後から三人が続いて出てきて、それぞれの楽器のところに立つ。そのまま女性がピアニカを吹きはじめ、それを合図に楽器が入ってきて演奏が始まった。

 渕上純子さんは明るいサイコという感じで、MCは最低限にしてひたすらうたってゆく。うまいわけではないが、上手下手とは次元の違うところで、人がうたうことの原点に立っている。言葉を発する、うたをうたうとは、本来こういうことなのだ、飾りや夾雑物を全部そぎ落とした後に残る、言葉やうたう行為の本質、芯、根っこ、をストレートにぶつけてくる。MCにしても、言葉を選ぶというよりは、言葉自身が自分たちで選んだ、その時一番的の真ん中を射ているものを噴きだしてくるようだ。
 ハイライトは一部の最後の、どこか童謡のようなうた。そして後半のルー・リード "Walk on the wild side" のカヴァー。

 大熊さんはクラリネット、バス・クラ、サックスを曲によって、あるいは曲の途中でも持ち替える。三人はバックで伴奏をつけているのではなく、四人は対等の立場だ。その点では初期ペンタングルだ。時にうたが休み、楽器だけで対話をすることもある。すばらしい対話を聞かせてくれる。とりわけすばらしかったのは、初見参の千野氏のピアノ。ダウンタウン・ブキウギ・バンドのピアニストだったそうだが、だとすると、あのバンドの音楽を支えていたのはこの人だったにちがいない。顔はクールなままほとんど表情は変えないが、上体は大きく動く。ベースの船戸氏は、どんな時にもいかにも楽しくてしかたがないと緩んだ顔のまま。茫洋とした、懐の深いベース。大熊さんは、ソウル・フラワーのときとは別人のように溌剌として鋭いフレーズを連発する。一度ホーメィを披露。

 しかし、あれこれ分析するようなことはしたくない音楽だ。ただ黙って聞惚れ、ライヴが終れば、その余韻を噛締めながら、うまい酒でも飲めればいい。可能なかぎり、ライヴに通い、この音楽を体と心に染みわたらせたい。それだけだ。

 2時間たっぷり、アンコール二度。それでも拍手は止まず、最後に渕上さんがちらと顔だけ見せて、手を振った。
 終ってからSさんと近くの店で一杯。新しい感じの、酒も料理もなかなかいける店。後で渕上さんも友人方と来ていた。

 最終小田原行きに間に合い、帰宅〇時半。

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