大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 9月 04日 (月)〜2000年 9月 10日 (日)] [CONTENTS]

2000年 9月 04日 (月) 曇。涼し。

 秋である。朝顔もまだ花は咲いているし、新たな蕾も用意しているが、元気はなくなっている。

 朝食、ロール・パンにブルーベリィ・ジャム、ハム・トースト、無し、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 WXGははじめひどく調子が良かったのだが、二、三日使っているうちにだんだんまた取りこぼしが増えてくる。今のところ我慢できる範囲内。変換学習用の辞書は特に詰っている様子はないのだが、おかしな変換や文節区切りも増えている。

○ビジリバ ビジリバ宇宙; F.M.N. Sound Factory, 2000<
ビジリバ  ふちがみとふなとの二人とギターの古太郎、パーカッション古田マリの四人組の2nd。初めて聞くが、ふちがみとふなとカルテットがジャズ方面への展開なら、これはロック方面への展開かもしれない。二つのベクトルの角度はたぶん90度だろう。とは言え、ジャズとかロックとかいうのは、イメージを伝えんがための便宜上の分類に過ぎず、実際の音楽はレッテルを拒むのは当然。ライヴとCDの違いはあるが、カルテットは四人の交歓から生まれるアクシデントを大切にしているのに対し、こちらはかなり入念に組立てた趣。ギターはリードを弾きまくるのではなく、ミニマリズム的な、前衛音楽風なたたずまい。むしろバイブも含む打楽器がリード。曲によってふちがみのうたもふなとのベースもかなり極端な変化を見せる。ここではエレキ・ベースも弾いているらしい。成立ちからして当然とも思えるが、カルテットの音楽が開放的なのに対し、こちらは閉じた世界。宇宙は確かに閉じている。その中心にある、というよりこの宇宙を作っている原理、引力の定数とか、光の速度とか、そういう基本になるものがふちがみの歌を形作っている彼女の感性とそれを肉声に乗せたうただ。この宇宙にはものみな呑込むブラックホールは存在せず、そこから物質が溢れでてくるホワイト・ホールが無数にあるのだろう。

 昼食、ハンバーグ、和布キャベツ、ご飯。Hは帰ってきて一緒に食べる。

 12時半頃電話があり、中山さん、2時過ぎ来訪。例のビデオを持参してくれる。それとボブ・ブロッツマンのLP4枚。お礼にダブったアドヴァンスドCDやカセット、本をあげる。3時前帰る。

 3時のバスでHとともに出かける。駅前で銀行に寄り、有隣堂で見舞いの本一冊買う。まっすぐあざみ野。駅前の花屋で小さな鉢植えの花を買い、もう一冊本を買ってタクシーで病院へ。おふくろは窓際のベッドに移っていて、部屋の中の人数も減っている。痛みは食事もお粥の他は普通、ただし肝臓を休めるために徹底的に油抜きだそうだ。先ほど、親爺とTも来て、内科・外科双方の医師の説明を聞き、結局胆嚢切除の手術を受けることにしたとのこと。機能しなくなった胆嚢を置いておいても百害あって一利なしの由。胆管に砂が入っていると手術後の経過が長引き三週間、単純な切除ならば十日で退院できるとのこと。来週のどこかで手術することになる。しばし、雑談。おふくろはHとも結構しゃべる。普段の様子にもどっている。

 5時20分頃、辞去。すでに巡回バスはないので、タクシーを呼び、新百合が丘へ出る。雨が落ちはじめる。が、駅では降っていない。7時帰着。バスを降りると虫の声響きわたっている。声というよりは轟音に近い。無数の声が重なり合い、干渉しあい、空気を満たして溢れでる。家の中、北側の部屋からは個々の虫の声が聞きわけられる。5匹以下だ。

 夕食、餃子、海老カツ、トマト、ご飯。
 プランクトン・I君より再三電話。チラシの件。
 夜、メールをチェック。

 アップルが旧型機と互換性が無いことが判明した新型キーボードの出荷を来年第一四半期まで延期するとメールを送ってきていた。ハード的問題であれば致し方ないが、ソフトで対応できるものならば、とりあえず欲しい。

2000年 9月 05日 (火) 雨。涼しいを通りこして寒いほど。

 目覚ましをしかけわすれ、目が覚めると7時半。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 9時半頃、PTA会長さんから電話。妻田小が「こども110番の家」制度を立上げることになり、先方の会長さんが話を聞きたいと来校される由。一応同席することにする。

 この Diary ++ のエディタ機能は ARENA のメール作成エディタより速い。キー入力の取りこぼしがこちらの方が格段に少ない。メーラーが重いのは仕方がないか。

 昨夜、腰を思いきり延ばす体操をしたら、喉元で飲みこむ息がひっかかる症状が消える。中途半端なげっぷも出ない。どうやら腰の背骨が潰れていたらしい。

○Astor Piazolla & Horacio Ferrer EN PERSONA; BMGファンハウス, 1970
Astor Piazolla & Horacio Ferrer  フェレールの詩の朗読にピアソラがバンドネオンのソロをつける。もちろん伴奏などというものではなく、詩人の声との対話だ。声に出して読むことは現代の日本人にとって縁遠い。むしろ、われわれは学校教育の中で黙読を善とし、音読を悪とする志向を身につけてしまっている。先だってもHが声を出して読んでいたMに怒っていた。しかし言葉は本来、声に出すのが始めだったはずだ。そして声に出して見て初めて実感される意味や含蓄を備える。ピアソラのバンドネオンはその普段は隠されている意味や含蓄を浮かびあがらせるような気がする。もとより読まれている言語の具体的意味は分からないが、音楽が生みだす空間、ではたぶんない、物理的なものとは違った時空連続体に響く時、言葉は言葉の限界を越え、具体的な意味とは別の衣、別の実体を纏う。そして言葉はまたバンドネオンの音楽にも、音楽の限界を越える実体を与えている。これを聞いていたら、ピアソラのバンドネオンだけのアルバムも聞いてみたくなる。一枚くらいはあるだろう。

 新型キーボードは、JIS配列なのにASCII配列と認識してしまうのだそうだ。TILでは、OSが対応する来年第一四半期まで延期とあった。ということは、MacOS Xの正式版か。

 2時過ぎからちょっとと思って昼寝して、目が覚めたら3時半過ぎ。6時頃、図書館から電話。リクエストしていた『攻撃と暴力』が入ったという連絡。夕食、焼きそば。
 『春秋』8・9月合併号の表2の連載。今回はパイプ&テイバー。これまでになく生きた記述で、パイプについての詳細な記述は眼鱗もの。単純な三つ穴の縦笛ではなかった。と思ったら、どうやら筆者が実際に練習しているかららしい

 夕食後、スティーヴ・クーニィの原稿を仕上げ、I君宛メールで送る。その後夜半まで、原稿の修正やら何やら電話のやりとり。
 e言葉はWXG関係の新しいネット・コミュニティ。掲示板形式だが、メーリング・リストの方が良かった。一応会員登録だけはする。


2000年 9月 06日 (水) 晴れたり曇ったり。午前中はまだ涼しい。1時半頃、驟雨。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝一番でメール・チェック。昨夜、I君がメールを送っておくと言っていたためだが、来ていない。変わりにダディ・オーのH氏から MacZip が見つからないとのメール。仕方がないので添付して送る。

○Battlefield Band STAND EASY + Preview; Temple, 1979+80/1994
Battlefield Band  どうも聞いた憶えがないので、初聞きとする。Jenny Clark なる女性メンバーがいた時期で、この人もなかなかのシンガー。このバンドは良いシンガーがいつも複数いる。というか、スコットランドのバンドはインスト・オンリーというのはほとんどない。良いシンガーが複数いるのが普通なのは、やはりこの国が歌の国である証しか。ブズーキないしシターンでダンス・チューンのリズムを刻んでいるのはブライアン・マクニールなのかこのジェニィ・クラークかわからないが、この辺はドーナルの影響だろうか。Preview は1980年にトピックから離れ、テンプルを立ちあげた時に作ったプロモーショナルEPで、メンバーも変わっているが、基本的な性格は変わっていない。このバンドは長いキャリアにもかかわらず、驚くほど、基本的性格が変わっていない。あるいはアラン・リードの指導力が強いのだろうか。
 うたの一部で、女性ヴォーカルをオーヴァー・ダブしているのは、時代的要請だろうか。
 Preview で女性シンガーがSylvia Barnes に交替しているが、声域が高い他は、シンガーとしての性格は似ているし、甲乙もつけがたい。こちらではオーヴァー・ダブはせず、男性がコーラスをつける。この方が好ましい。

 昼食、素麺、プチトマト、煎餅と牛乳。
 昼食前後から夜半まで、I君とチラシ原稿の件で電話、メール、ファックスでやりとり。

 アップルよりiBookの修理代の領収書。The Library of Amreica の秋のカタログ。AMERICAN SEA WRITING のアンソロジーは面白そうだが、その前にトウェインのミシシッピものの一巻は買って読まねばなるまい。もちろん翻訳と首引きになるが。

○SALSA CELTICA; Greentrax, 2000, (sample CD-R)
 期待していたのだが、要するにスコットランド人たちが、移民やゲストともにサルサを演奏しているアルバム。演奏の質としては悪いものではなく、むしろなかなかの水準ではないかと思うが、ここまでサルサになりきっていると、スコットランド人がやっているのをわれわれが聞く価値はあまりない。2ヶ所ほど、パイプが入ってくるところがあって、そこだけ耳をそばだてたが、長続きはしない。せめてもう半歩でも自分たちの伝統を持込んでくれたら、ずっと面白いものになったのではないか。

○Karan Casey & friends SEAL MAIDEN; Music Hill People, 2000 (sample CD-R)
 白石さんが絶賛したそうだが、諸手を挙げて賛同する。話そのものは典型的な人魚伝説で、それをカラン・ケイシィの語りとうたで進めてゆくのだ。バックを固めるのは旦那のニール・ヴァレリィはじめ、マイケル・マクゴールドリック、デジ・ドネリィ、ミック・デイリーといった面々で、マレードが一曲、イアラ・オ・リオナードが2曲ほど、またマーティン・ヘィズ&デニス・ケイヒルが2曲、参加している。どれもこれも珠玉の演奏。Sさんは語りが入っていること出だすのをためらっているようだが、全然邪魔にはならない。うたはほとんどがオリジナルで、これまたいずれも佳曲ばかり。いずれにしても愛聴盤になりそうだ。

○Husnu Senlendirici & Laco Tayfa CIFTETELLI; Traditional Crossroads, 2000
Husnu Senlendirici & Laco Tayfa  面白い。トルコのロマ出身のクラリネット奏者を中心にしたバンドで、ドラムスとベースも含む。冒頭いきなりレゲェが出てきて、仰天。やはりフュージョンだが、スピリットとしてはジャズよりもロックを感じる。かと想うと、微分音やコブシを聞かせまくるソロを展開したり、フリーリズムの古典調の曲もあり、フィドルやバグラーマ、カーヌーンも活躍する。トルコのエーゲ海沿岸地方のロマはやはりブラス・バンドとして地元の結婚式などで演奏することを仕事としているらしいが、これはファンファーレ・チョカリーアなどとはある意味で対極の行き方で、もっと積極的にしかも意識して西側の市場音楽の方法論を取込み、利用している。バンド名は Good Work Group の意味。これもライヴは相当なものだろう。他の録音もあればぜひ聞いてみたい。
2000年 9月 07日 (木) 雨。蒸暑し。

 朝方、夢を見る。

 また国際便の飛行機に乗り遅れそうになる夢を見る。間に合いそうにないというので空港に行くのに特別に案内してもらうが、なぜか歩きで、道なき山林に入ってゆく。石づたいに流れを渡ったりして着いた先は地下世界へと降りてゆく階段。ただし、そこは恐ろしいところではない。むしろその先に何か面白いことがある予感があった。
 そこで場面が変わって、祖父様が出てくる。自分が英語で何で死のうとしているのかと訊ねている。するとちゃんと質問を理解して答えようとする。場所は今住んでいるこの家のリビング。答を聞く前に目が覚める。この家が夢に出てきたのは初めての気がする。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 歯科。右上真ん中に金属の土台が入る。

○佐渡山豊 サバニ; トランジスタ・レコード, 2000
佐渡山豊  昔は知らないが、今、十分に聞応えのある音楽。技術的には時に眼を、いや耳を蔽いたくなるところもないではないが、しかし聞いているうちにそんなことはどうでも良くなる。やはり、うたうべきもの、うたわずにはいられないものを持っている人だ。内から溢れるその何かが、直接こちらの胸に流れこんでくる。言葉に対する感覚はなかなかに鋭く、ありふれた、時にクリシェやよく知られたフレーズをならべて全く新たな表現としてしまうところは実に楽しい。日本的な、つまりヤマト的なフォーク・ソングのメロディ、ということはアメリカ的な流れを汲むものでもあるが、そこに沖縄言葉を素直にのせるのが、妙に気持ちよい。沖縄と大阪と、二つの故郷を持つことの悲しみをうたうことが多いが、逆に考えれば、故郷が二つをあるだけ、それだけ豊かな財産もある。サックスもフィドルも腕よりはハートで聞かせる方で、主人公のうたによく応えている。

○Helene Engel CHANSONS JUDEO-ESPAGNOLES; Blue Silver, 1991
Helene Engelr  スファラディムの歌をうたうシンガー。四分の三はガット・ギター一本の伴奏。あるいはクラシックの訓練を受けているのかもしれないが、気障な嫌味はない。クレッシェンド・デクレッシェンドの使い方がなかなかよい。ギタリストも只者ではなく、緊張感に充ちた世界をつくりだす。バイオ情報は一切なし。曲により、"Orient" とか "Turquie" とか歌の出身地らしき添え書きがあるが、どちらかというと、"Orient" の方がスペイン的。
 [10]のサロニカはギリシア。[14]以降が本来のスファラディムの歌らしい。[15]はギター伴奏も歌も古楽的。[16]エレキ・ベース、フィドル、ギター。この辺りはバックがかなり面白い。[18]さすがにラストに持ってくるだけの曲。

 昼食は鰹の角煮を解凍し、長崎しっぽく漬けを開けて、ご飯。

 午後からはずっとウィンズ・カフェ用のセレクションのためのリスニング。
 午後、I君から電話。スティーヴ新聞をプランクトンのサイトに揚げたとの連絡。

 夕食、先日中山さんが持ってきてくれたシラスをそのままご飯に書け、牛肉きんぴら、揚げ茄子、キャベツの味噌汁、しっぽく漬け、胡瓜味噌添え、ご飯。

○Rag Foundation MINKA; Fflach: Trad, 1999
Rag Foundation  ギターと女性フィドラー兼シンガー、それに男性シンガーのウェールズのトリオ。レパートリィはトラディショナルばかりで、アレンジもかつてのトレイラーを想わせるストイックなものだが、男性のシンガーの歌い方はパンクだ。インスト部分を担うのはフィドルで、こうなるとコーデリアス・ダッドの従兄弟と言ってもいい。フィドルはマーティン・カーシィとデュオを組んでいた時のデイヴ・スウォブリックをお手本にしている。しかしそこに当然ながらウェールズの味わいがあり、これに比べるとスウォブですら乾いて聞える。アンディ・カッティング、ナイジェル・イートンなどがさすがのサポート。ハイライトは "Bonny bunch of roses"。アレンジ、シンギング、コーダのダンス・チューンまで、数あるこの歌の演奏でもベスト。そしてマカロニックの[07]、ウェールズ語での[08]。全体として、優にベスト10候補。
2000年 9月 08日 (金) 曇。やや蒸し暑し。

 朝食、昨夜の残りの牛肉きんぴら、鳥の付け焼き、枝豆、茄子の味噌汁、しっぽく漬け、ご飯。

 9時、ばあさまから電話。おふくろの手術は13日になった由。
 相変わらず、ウィンズ・カフェのための曲の選定作業。

○Tenores di Bitti S'AMORE 'E MAMA; Realworld, 1996
Tenores di Bitti  サルディニアの男性四人によるポリフォニー。四人の歌に何の加工も加えず、そのまんま録音したのは大正解。マイケル・ブルックもたまには良い仕事をする。ポリフォニーの快感を最高に体験させてくれる。聞いているだけでも快感だが、うたっている方はもっと気持ちよいに違いない。ブルガリア合唱もそうだが、高次倍音の重なりはこれ以上のドラッグはあるまい。しかもそのポリフォニーが一番気持ちよく響く音と響かせ方、またそれにふさわしいメロディが永年の経験の積重ねの中で磨きぬかれている。本当にもう他に何もいらない。ただただひたすらこのポリフォニーの極楽に浸っていたい。それにしてもウォータースンズやコッパー・ファミリーのポリフォニーとはどこがどう違うのだろうか。

 昼食はKが持っていくのを忘れた雉焼き弁当、枝豆。

 昼、Kensington MouseWorks の新版をダウンロードしようとしたら、スピードは遅いし、途中で切れてしまう。何度やっても同じ。
 MSI・Sさんから、ジョン・マカスカーのファーストのテープ。
 PTAの会合、時間をすっかり忘れていた。

○Gabriel Yacoub TRI; Boucherie Productions, 1999
Gabriel Yacoub  TRAD. ARR. から 4 (QUARTO) までの4枚からのベスト。一曲だけ ANTHOLOGIE DE LA CHANSON FRANCAISE EPM, Vol.2 からの収録がある。この元盤のタイトルからして当然、これはトラディショナルで、すばらしい演奏。TRAD. ARR. のトラックと聞比べてみたが、やはり後期の録音だろう。解釈の深さが違う。あるいは TRAD. ARR. がいかにブリテンの影響の下にあったかがよくわかる。やはりフランスにはフランスのアレンジがふさわしい。もっとも TRAD.ARR. もある意味で「異種交配」でもあって、そこが今から見ると面白くもある。それにしてもこうして聞くと、この人の音楽の質の高さが実感される。あるいは志の高さと言換えてもいいかもしれない。

 夕食、鱈子、ノリ、トマト、枝豆、冷や奴、ご飯。子どもたちは鱈子なのでご飯をむさぼり食う。Kは鱈子の替りに薩摩揚げ。

 夕食後、Kensington MouseWorks のダウンロードに4度挑戦するが、今度は3MBを越え、残り600KB弱まで行ったところで止まる。一体 Kensington は何をしてるのか。回線が細すぎる。おまけにダウンロードの resume 機能にも対応していない。

○Haris Alexiou (THE GAME OF LOVE); Mercury, 1998
Haris Alexiou  『ネフェリス通り』の流れを汲む、ゆったりと流れるアルバム。何より自分の声が一番引立つテンポをわきまえている。小編成の隙間の多いアレンジで、ヒロインのうたがひきたてられる。ギリシア云々よりもやはり地中海の響きだろう。もう何を言うこともない成熟の極み。様々な要素が溶込んだ、なんともコクのある、しかししつこさは欠片もない豊潤なスープ。これまで聞いた十枚近い彼女のアルバムでも『ネフェリス通り』とならぶ傑作。ヨーロッパのルーツ・ポップスのアルバムとしても有数。

 Amazon.comから Jonathan Raban の昔の評論集が古書で見つかったと連絡が来るが、送料合せて61ドルでは買う気にならない。

2000年 9月 09日 (土) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、チーズ・クロワッサン、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、笊饂飩、茹で卵。

 夕食、豚しゃぶ、和布キャベツ、若布とあぶらげの味噌汁、ご飯、梨。

 K出勤。午前中、Mと駅前。有隣堂と図書館。図書館では先日連絡のあったものの他にダーガーの本も入荷していて、2冊借りられた。ビブレ地下で飲むヨーグルトを買って帰宅。
 午後、子どもたちはKと一緒に学校へ行き、そのままスイミング。夕方帰宅。3時過ぎ、ようやく MouseWorks 5.50 をダウンロード。
 午後、Mさんから電話。月曜日のPTA会合の念押し。金曜日にまたすっぽかしたので会長さんが頭にきているのだろう。

 終日、ウィンズ・カフェのための選曲。思ったCDが出てこない。行方不明が少なくとも2、3枚はある。
 夜、ヒデ坊から電話。iBookを買ってメール・アドレスをとった由。
 久ぶりにタムボリンに注文を出す。スペイン盤とユダヤ系。
2000年 9月 10日 (日) 晴れ。残暑戻るが、風があるのと空気が乾いているのでそれほど辛くはない。

 Kが早朝から洗濯しているので8時前に目が覚めてしまう。

 朝食、ハム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食は薩摩揚げ、キャベツの味噌汁、トマト、しっぽく漬け、ご飯。
 夜、カレー、葡萄(巨峰)。

 Kは子どもたちを連れてユザワヤ。子どもたちは相模大野の西櫻亭で昼食を食べさせてもらうとの約束でついて行く。Hはステーキを食べたそうな。

 朝、親父に架電。おふくろの手術の詳細は明日午後にならないとわからない由。連絡をもらうことにする。
 終日ウィンズ・カフェのための選曲。思いのほか手間取る。時間制限や曲調、アーティストの性格が出ているもの等々条件を付けるとなかなか適当なものが見つからない。
 それでも夕方には一応終了。夕食後、ペンタングルを選んで選曲作業は終わり。夜、原稿を書きはじめる。

○Kari Bremnes FOLK I HUSAN; Triola, 1982
Kari Bremnes  1980年の FOLK I HUSAN を中心に、81年の STIFTELSENS FRISTELSER と翌年の同バンドのシングルを加えた再発。
 ファーストは兄とのデュエットとジャズ・コンボをバックにした二種類のトラックがある。兄の Ola もなかなかのシンガーで、むしろこのアルバムは兄が妹を立てて作ったもののようだ。兄の書く曲は童謡の趣があり、また楽しげにうたっている。中には17世紀はじめのメロディを使った古楽風のものもあり、英語の聖歌(ダウランド!)をうたったりしている。ジャズ・コンボをバックにしたのはフォークというよりは良質のポップスだ。
 バンドの方はむしろアメリカ志向の、おそらくは当時ノルウェイで普通だったポップス・バンドではなかろうか。ジョニ・ミッチェルの曲にノルウェイ語の歌詞(翻訳?)をつけたものもある。最後に入っているシングル曲はレゲェを使ったロックで、82年の歌謡コンテストで優勝したとある。そのせいか、時代の枠を感じさせ、ほとんどカリの歌唱のみで支えられている。
 総じてこの時期のシンギングは、歌詞の一語一語、一音一音をはっきりとうたう形で、それが不思議なアクセントを産出し、独自のきりりとした世界を作る。とはいえ、後の成熟した歌を聞いてしまうと習作の域を出ない。
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