大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 9月 11日 (月)〜2000年 9月 17日 (日)] [CONTENTS]

2000年 9月 11日 (月) 雨。終日断続的に降り続く。昼過ぎまでは休まずに、時に激しく降る。午後からは降る時は短時間だが激しく降り、その間はしばし間隔が空く。雨が降っている間は雨の音にかき消されているのか、止んで静かになると虫の音がうるさいほど。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、昨日の残りのカレー、ゆかり。

 午前中、PTA役員会。その前に教育委員会学校管理課の担当者二人が来校し、来年度初めからの学区改編について説明を受ける。教育委員会は出生率などの統計から将来の児童数を予測している。この辺、ひょっとすると穴があるかもしれない。開発によって児童数が急増することもありえる。
 それにしても、どこの学校に通うか、子どもと保護者以外の人間があれこれ口を出すこと自体、理解の外だ。

 2時頃、音友・Kさんから電話。日曜日のウィンズ・カフェでの書籍の販売について。川村さんに連絡をとることにする。

 昼食後、La Musgana を聞いて、選曲し、最終的にウィンズ・カフェのプログラムを決定。残りの原稿を書く。4時頃書上げ、『ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン』に載っていないアルバムのジャケットをスキャナで取込む。その画像ファイルを処理して、テキスト原稿と一緒に川村さん宛送付。

○La Musgana EN CONCIERTO; Resistencia/Beans, 1997
La Musgana  パイプ&テイバーがこんなに活躍するのは他ではほとんど聞いた憶えがない。それにバス・クラも珍しく、また面白い。ゲストの二人のシンガーは対照的な声で、それぞれに味があり、ケパはあいかわらず飛びまくり、ルイス・デルガードはインドの壷打楽器まで聞かせる。規模は大きくないが、やはりこれは「宴」で、しかも熱さと楽しむスピリットではどんな宴にも負けない。
 パイプ&テイバーのテイバーは意外に(?)表現力がある。バゥロンに似て、かえって柔軟なのかもしれない。ファンファーレ・チョカリーアの太鼓も想いだす。バス・クラはタラゴットと音域が近いのか。クレジットによると "pipe & tabor", "Busque pipe & tabor", "three-hole flute & tabor" と曲によって表現が違うが、楽器そのものは同じようだから、これは遊びだろう。

 夕方からでかけたK以下三人の帰宅7時を過ぎ、よって夕食は鱸の刺し身を買ってきて、子どもたちは昨日のカレーの残り、さらにささみチーズ・フライ、隠元胡麻和え、キャベツの味噌汁、ご飯、ゆかり、海苔。

 夜、メール書きとチェック。久しぶりに山口さんのサイトに行き、日記を読む。やはり面白い。ああいうユーモアのセンスは、俺にはない。

2000年 9月 12日 (火) 晴れ。風あり。予報では雨だったが実際には降らず。西に移ったらしい。

 朝食、ハム・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、帆立てを解凍して刺身にし、キャベツ味噌汁、隠元胡麻和え残り、ご飯。
 夕食、豚肉付け焼き、和布キャベツ、ご飯。

 朝から可動式CD棚の内箱をリビングに運びだし、中身の整理。すでに聞いたものをアルファベット別にして全て仕分ける。内箱の中にあった未聴分は、Alan Lomax と Caprice のスウェーデンのものを除き、外に出す。アメリカ物多し。意外に手間取り、終了して元に戻しおえたのは3時。
 その間、音がないのが寂しかったので、Michael 氏の教えるRTEの The Late Session のファイルをダウンロード、RealPlayer で聞いてみる。The Two Duos Quartet のライヴ第2部。すばらしいライヴ。音はAMラジオだが十分。病みつきになりそうだ。

 結構くたびれてしまい、あとはメール・チェック。

 夜、Filofax のリフィルのネット通販を捜す。リフィル印刷用のソフトが一つある。ウェブ・サイトでは、com の方はカタログだけ。それにしてもずいぶん種類が増えた。サイズも色々。クローンへの対抗だろうが、代わりにリフィルの種類が減っているようだ。本家、英国のサイトでは通販もある。リフィルの種類は似たようなもので、かつてあったダブル、トリプル、クオドラプルのリフィルはなくなっているらしい。

2000年 9月 13日 (水) 曇。朝のうち晴れるもすぐに曇る。夜8時過ぎ、雨降りだす。断続的。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、新百合丘の杵屋で天麩羅饂飩定食。
 夕食、本厚木・かついちでロースカツ定食。帰ってからバナナと梨。

 朝、メールを書いて送る。
 11時前外出。新百合丘からタクシーで横浜総合病院。
 おふくろの胆嚢手術。すでに一般病棟から被手術者用の待機病室に移されていて、ちょうど麻酔の注射を打たれた直後。Tも来ている。

 おふくろの隣、病室の出口脇のベッドには小学校高学年ぐらいの少年が同じように点滴の管を手に繋がれている。やはり手術を受ける待機をしているらしいが、両親はちょっと来ただけで、隣のデイ・ルームに引込んでしまっている。少年は手持ちぶさたと不安感で、外に出たいと看護婦に訴えては、なだめられている。一人子らしいが、ほうっておくのはかわいそうな気もする。

 1時15分頃、ベッド毎手術室に移動。手術室は2階で一緒にエレヴェータで降り、手術室に通じる廊下入口で見送る。Tは見送った後、仕事とて帰る。親父とレストランでコーヒーを飲みながらおしゃべりして待機。2時半、4階に上がって待機。看護婦のOGだろうか、生後間もない赤ん坊を連れて若い女性がナース・ステーションを出たり入ったり。看護婦がそれを取囲んで談笑している。

 3時、この手術前後の病室(集中治療室?)担当の看護婦がやってきて呼ぶ。早めに終ったらしい。親父と二人、2階に降り、手術室に通じる廊下にある小部屋で、執刀医から説明を聞く。胆管に砂はなく、おそらく流れ出たのだろう。切除した胆嚢と、その中に入っていた石を皿にとってあり、見せられる。胆嚢はすでに切開されていたが、意外に大きい。胆嚢自体には肉眼では癌等の徴候はない。石は成分分析に回し、胆嚢は顕微鏡検査に回す。成分分析をするのは、CTやレントゲンでの見え方との比較など、データとして今後に活かすため。

 執刀医は30過ぎとおぼしき、比較的大柄な男性。話している間は一度も目を上げない。
 礼を言って四階に戻る。しばらくしておふくろがまたベッドでもどってくる。まだ酸素マスクをつけたままで、しばらくつけたままらしい。術後の処置をするので追出される。デイ・ルームの手術待機室に近いところ、ナース・ステーションから見える位置に病室内の患者の心拍データの監視モニタが置かれている。脈拍らしい数字は「52」だったのが徐々に増えている。やがて看護婦から許可が出て、病室内に入り、声をかける。一応わかるが、言葉にはならない。しばらく待ち、3時半頃、もう一度声をかける。そこで、一応よしとして二人そろって帰る。ちょうどバスが来たので、停留所で親父と別れ、新百合丘行きのバスに乗る。どうも形が違うと思ったら、車体の床が低く、歩道とほぼ同じ高さになっているのだ。そのため乗降りは格段に楽だ。最後尾の席はエンジン・ルームの壁を背にしているので、窓は高い位置になり、後ろの風景は見えない。

 町田で降り、ハンズで Filofax のリフィルを捜す。Filofax そのもののリフィルはないが、クローンはまずまず。中に、方眼と定規のついた下敷きがあったので、それと白紙ノートを買う。ついでにシャープペンの売場を覗くと、製図用でプラチナから新しいアルミ製のものが出ていたのでそれも買う。製図用は今ひとつ文字は書きにくいことはあるのだが、デザインがちょっと気に入った。芯を最後の1ミリまで使えるという触込みの製品もあるが、デザインが気に入らないのでやめる。

 本厚木へ出て食事し、そのまま帰宅。6時半過ぎ。
 皆が夕食を食べている間、お宝鑑定団のサイトに行くが、まだ何も情報は出ていないので Apple のサイトを覗くと、新しいiBookが発表になっていた。その画面を見て、Mがキイ・ライムのが欲しいと叫ぶ。iMovie2 を搭載したそうだが、この画面サイズでムービー編集はどうだろうか。それよりはBTOができるようになった方が大きい。噂ではPowerBookも新しいものが発表になるとのことだったが、実際には出なかったようだ。MacOS Xは AppleStore で30ドルで発売になっている。一応日本版を待つとしよう。

 メール・チェック。「新し物好きのダウンロード」でIn WaterMelonSugar という日記ソフトが紹介されていたの、ダウンロードして試用してみる。保存のメニューがない。自動保存されるらしい。カレンダーで日記を書いた日の色が変わるのは楽しい。確かに全部埋めたくなるので、こういうのは大事かもしれない。問題は検索機能だ。カーソル移動の機能が弱いのはできたてだから仕方がないか。これも REALBasic を使ったもの。

 夜のニュースで、昨日集中豪雨で惨禍を受けた西枇杷島町の避難所が、それ自体一階が水没し、孤立し、食糧の供給も満足に受けられない状態とのこと。町役場も一階が水没。電話不通、停電、ガス停止。防災無線は自家発電装置の燃料切れ。まるで笑い話だ。街が立てていた防災計画では、はじめの三日間は避難する人が持ってきた食糧を頼りにすることになっていた由。想わず吹きだしてしまう。そんなもの、防災計画とも言えない。災害時に三日分の食糧なぞ持出す余裕があるか。確かに何の備えもしていない方もそれはそれで反省すべき点はあるかもしれないが、あるかないかわからないそんなものを頼りに計画を立てるというのは、無能としか言いようがない。避難民が自分で持ってくる食糧など、プラスαでしかないではないか。

2000年 9月 14日 (木) 曇。ときおり雨ぱらつく。

 朝食、エボダイの開き、キャベツの味噌汁、小松菜煮浸し、ご飯。
 昼食、和布ご飯、海苔、味噌汁と小松菜の残り。

 午前中、Cambridge Folk Festival の98年と99年のBBCの特集番組をテレビからダビングしたものを見る。誰からもらったのか、全く忘れてしまっているが、これは礼を言わねばならない。98年は40分で99年は90分。98年はいきなりシャロン・シャノン参加のクールフィン、それも "Mouth of the Tobique" で始まり、こりゃあ凄いと見ているとあっという間に終ってしまう。ライヴを見て評価しなおしたというか、ちゃんと聞く気になったのは Kathy Mattea。すばらしい歌うたいだ。一枚買ったまま聞いていないものは、ジャケットの顔が暗くて、どうも聞く気になれなかったのだが、ライヴは本当にすばらしい。ちゃんと見たい。

 99年はビリィ・ブラッグがホストで、ときおりミュージシャンへの短いインタヴューなど交えている。ジェイムズ・テイラーが好きなのか、この年のヘッドライナーだったのか、始め、終り、中間と3回も出てくる。まあ禿げあがった頭を隠そうともしていないのがちょっとなんだが、演奏自体は悪くない。E2も初めて見たし、ノーマも出てくるし、文句はない出来。

 昼食後、昨日久しぶりにメールが来たK氏のコアマガジンのサイトからリンクをたどり、「女神の唇」というサイトを見に行く。この場合唇は普通の口ではなく、陰唇の謂。「露出狂」という言葉があるが、これはやはり精神の病なのだろうか。それとも一種のドラッグか。性感も人一倍強いのだろうが、ここには泣きたくなるような索漠荒涼と、声もなく笑いつづける哄笑が同時に共存している。東電OL殺人事件の被害者の女性が体を売ることで、自らを「罰していた」のと似たような精神の現れと見えないこともない。実はこの女性は羞恥心が強すぎ、その羞恥心を性的快感に置換することでかろうじてバランスをとっているのかもしれない。

 夕食、鶏肉とカシューナッツの中華風ぴり辛炒め、かき卵スープ、ご飯。

2000年 9月 15日 (金) 晴れ時々曇り。 ほんの少しぱらぱら雨降る。夜半、11時半頃、急に降りだす。

 8時半過ぎ起床。朝食、チーズ・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、掻揚げ天丼、胡瓜味噌添え。
 夕食、Kの両親と相模大野・西櫻亭で食事。タンシチュー、ライス、南瓜のプリン、コーヒー。

 午前中、仕事部屋の本をリビングに出し、その奥の籠に入った本を車に積む。主に洋書のアンソロジー。その過程で『手塚治虫全集』の一期分が入った段ボールが出てくる。リビングに運びだし、子どもたちに見せる。Hは『ジャングル大帝』を発見してあっという間に3冊読んでしまった。Mが『リボンの騎士』を選びだしたのは、やはり絵に惹かれてのことか。
『ライオンブックス』
 こちらも『ライオンブックス』のうち「百物語」の巻を見つけて、思わず読んでしまう。確か前には断片的に読んでいて面白かったのだが、今回通して読んでみると、ちょっと語りの甘さが眼につく。特にスダマが主人公に惚れてゆく過程。ある時いきなり惚れてしまっているのだ。それともこちらの読みが浅いのか。主人公・不破臼人は生まれかわっても弱点だらけの人物で、最後も安易な方法を選んで墓穴を掘ることになるが、そこがおそらくこの人物の魅力であり、スダマが惚れたのもそこではないか、少なくともそこに惚れたと作者は想わせたいのではないか。

 この話の面白さは、魑魅魍魎のどたばたではなく、弱点だらけの人間が精一杯生きてゆくその様にあるのだ。結果、自ら招いた事態のため死ぬはめになったとしても、そこまでの過程で十分生きた実感があれば、それは最高の人生だ。そう、つまるところわれわれが求めるのは充実感、力のおよぶかぎり生きたという充実感だろう。それさえあれば、例え後悔だらけの人生であったとしても、孤独な、あるいは悲惨な死に方であってもかまうまい。

 3時半頃、出発して実家に積んだ本を運ぶ。例によって汗びっしょりになり、下のシャワーを借りる。今日は着替えを持っていった。オリンピックの開会式をTVで見ながらお茶を御馳走になり、5時半辞去。裏を走って相模大野。が、ところどころ渋滞。6時半の約束に十分ほどの遅刻。8時前に店を出て、今日は小田急沿いの道を帰る。この時間だと空いていて、30分強で着く。

 帰宅後メール・チェック。
 企画室ゆう改めパワーラボの Cube プレゼント付きアンケートの結果のメールが来る。そこでは店頭でのデモでは熱暴走はない旨強調されているが、お宝が報じていたADC接続ディスプレィとの絡みで、どうやら熱暴走が起きている現象もある。いずれにしてもとりあえずは金はないので、MacOS Xの方で遊ぶことにしよう。日本語版はどうやら10月だそうだ。

 SweetMail の作者より再度の返信。段落頭の一字下げの一応のやり方を伝えてくる。その上で、今後、このための機能の実装をしない理由として、一字下げをするのは電子メールの世界で「少数派」だからと書いているのを見て頭に血が上る。だったらそもそも何でおまえはMacのアプリなど作っているのだ。

 だいたいその前に、段落頭を一字下げるのは多数・少数の話ではない。日本語を書く基本ルールの一つだ。縦書きの場合の行送りは右から左へ、横書きの場合は上から下へ、というのと同じだ。あるいは句読点の使い方もそうだ。

 第二に、少数派とは具体的にどういう意味か。一字下げをしているのは49%なのか、1%未満なのか。また、そのデータはどのようにとったのか。ネットに流れている全てのメールの一部として有意な統計か。

 第三に、多数・少数などというものは永遠不変ではありえない。簡単に変わりうるのだ。今多数派だからと言って、来年も多数派である保証はどこにもない。
 まあ、別に何がなんでも SweetMail を使いたいわけではない。実装しなければ使わないだけの話。

 10時前、Maria Pomianowska さんから電話。いきなり訛りのある英語で話されるのでちょっとびっくり。ようやく手紙が届いたらしい。10月に入ってお目にかかることにし、あらためて電話することになる。

2000年 9月 16日 (土) 嵐。朝方、ひっきりなしの雷鳴で目が覚める。雨は断続的だが、降る時は相当激しく降る。一番激しかったのは11時頃で、小学校の会議室から見ると外は真白。午後に入り、1時過ぎぐらいからまた雷が連続する。一分以上雷が止むことがない。時には電光も連続し、前の電光の雷鳴が聞えるのと同時に光る。二、三度、電灯が一瞬瞬き、その後しばらくして、1時間の間に三度ほど停電。5分ほどで復旧。CDプレーヤーの電源を抜く。その間は雨はそれほど激しくはなく、やはり断続的。2時過ぎ帰ってきたKによると、1キロに満たない距離の間で雨が降ったり止んだりしている。二度ほど、サイレンの音、遠くで聞える。雷は3時過ぎてやや間隔が空くようになるが、4時頃からまた連続しはじめる。5時過ぎてようやく止む。雨は断続的に時に激しく降りつづける。6時過ぎてまた雷。夜に入り、7時半頃から静かになる。

 午前中風雨激しく、小学校は急遽、授業打切り、下校を決める。大雨洪水警報は午前中から出ている。スイミング・スクールも悪天候のため、今日は休講。

 朝食、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム、ハム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、稲庭饂飩、茹で卵。

 午前中PTA運営委員会。

 朝、運営委員会に行く前、仕事部屋のCDを、入り口に近い方に移す。昨日クローゼットの中の籠を運びだし、そこへ手前に出ていた本を入れて空けたスペース。

 夕食、豚肉生姜焼き、キャベツ千切り、豆腐とあぶらげの味噌汁、厚焼き豆腐、ご飯。デザートは巨峰。

2000年 9月 17日 (日) 朝方、再び雷鳴で目が覚める。特に8時前、すぐ頭上で凄まじい音。雨は断続的で、昨日ほど激しい降りはない。雷も間隔が遠く、正午頃には全く止む。

 朝食、苺ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、炒り卵、桃。

 昼食、雌旗魚のフライ、小松菜煮浸し、ご飯。小松菜、量が多すぎて味がない。

 昼食後、支度して1時過ぎに出かけ、吉祥寺、ウィンズ・カフェ。

 雨は上がっていたが、途中何度か急に激しく降ってくる。と言うよりも、激しく降っている場所を通過する。吉祥寺では雨は上がり、陽が差す。7階のギャラリーから見ると、雲の塊が次々に頭上を通過してゆくが、雨そのものは落ちてこない。一度、ざあっと降ったが一時的。ビデオ上映タイムになり、8時過ぎ頃、北の方で何度か電光を認める。が、雷鳴は届かず。

 天候のせいもあり、またテーマがケルトほど広がりのあるものではないせいか、今日の客は十人ほど。遅くなってくる人もいて、最終的には二十人ほどになる。

 まずまず皆さん、楽しんでいただいたようだ。主催者の川村さんは大喜びで、特にリエナ・ヴィッレマルク、ファーランダーズ、テノーレス・ディ・ビッティ、ジョセ・アフォンソ、それにビデオでノーマ・ウォータースンに反応していた。

 9時半過ぎ、かものはしが帰るというので一緒に辞去。ところが傘を忘れ、取りにもどると音友・Sさんとのざきも帰るところで、一緒に駅前のラーメン屋で食事をして帰宅。帰宅〇時。

[CONTENTS] [ ← P R E V] [N E X T → ]  [DIARY TOP]