2000年 9月 11日 (月) 晴れ。いわゆる台風一過。ようやく風は爽やか。空気は乾燥している。室内の湿度は50%まで落ちる。
今朝も朝顔は二つ花をつけているが、今までのものより小振りになった。気温が関係しているのだろうか。
朝食、チーズ・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
家事をかたづけてから仕事をしようとすると、どうにも眠くなり、昼まで寝てしまう。
昼食、和布ご飯、小松菜の味噌汁、海苔、ご飯、桃。
朝刊、岸義範という心理学者のコラム。「少年」の行為を許容できない「大人」の余裕のなさを指摘したのは、「少年」に関する論議の中でもっとも冷静沈着な言動だ。
昼食を食べようとしているとラティーナ・Kさんから電話。取材の件、ポーランド大使夫人の件。夜、夫人に架電。日時を取決める。ネットで調べると、やはり駐日大使の夫人であった。ついでにちょっと見てみると、関西、名古屋、長崎に日本ポーランド協会という組織もある。
夕食、タンドリ、ブルーベリィ・ジャムトースト、バナナ、葡萄。タンドリはKが挑戦したもの。カレー粉が足りなかったのか、香りはかすかにあるが、味は単なるテリヤキチキン。鶏肉がいいのか、結構食べられてしまう。
fRoots10月号、The Living Tradition40号、『CDジャーナル』10月号。RadRockers からカタログ。Amazon.comからボブ・ブロッツマンのCD4枚。
The Living Traditionはカヴァーがマーティン・カーシィ。広告ではWilliam Jackson の Mill Records からメイ・マッケナの MIRAGE & REALITY がリイシュー。聞きたいCDがごっそり。表4の Both Sides of the Tweed フェスティヴァルの広告は Susana Seivane がフィーチャーされているが、彼女が恍惚とした表情で握っているとパイプのドローン管が男根に見えるのはこちらがちょっとまずいか。
fRoots の表紙はまたまるで知らない、イングランドの女性蛇腹奏者。ニュース欄でラルフ・マクテルの自伝の「第一巻」がもうすぐ出る由。アレクシス・コーナーの伝記、バートの伝記と合せて読むと興味津々だろう。しかしそういう時代になったのだ。コリン・ハーパーがアンディ・アーヴァインにインタヴューしているのが Roots Salada のトップ。話題はCDの売り方だ。笑ったのが、EMIの会長がやってきて、あんたが次のビッグ・カムバックだ、ここに百万ポンドの小切手があるし、バック・ヴォーカルにはコアーズをつけようと言われたらどうする?という質問。アンディはライ・クーダーが来るというなら考えてもいいが、と応えているが、リンドレーの方がいいよ、アンディ。
広告で仰天したのが、ロビン・ウィリアムスンの新譜がECMから出ている。ハリス・アレクシーウの記事は初めてだったか。こちらも聞きたいCDが山ほど。バートの伝記を編集長自らレヴューしているが、ここに書かれていることの一部を実体験している人としてはこたえられない本だろう。べたぼめだ。こちらからすると文章に難があるのだが、いずれにしてもとにかく読まねばならない。
投書欄のトップはアメリカのルーツ音楽「産業」の実態に対する怒り。ひとつは先ごろ出た Harry Smith の「失われた」最後のアンソロジーが実はスミス本人が計画していたオリジナルのものとは違っているのに、その事実がアルバムのどこにも触れられておらず、レヴューなどでも指摘されていないこと。もう一つは Moby なる人物がアラン・ロマックスのコレクションからサンプルして作ったCDが広告やTV・ドラマに使われ、CDも売れているのに関らず、ロマックス財団には一銭も印税が支払われていないこと。メジャー・レーベルはネット音楽を著作権法違反で訴えるのなら、自分が払うべき印税をまずきちんと払うべきだ。
RadRockers のカタログを見てミラー夫妻のメーリング・リストで名前が出たことがある Mark Heard を思出し、捜してみる。80年代始めから活動していて、結構な枚数のアルバムがある。やはり芽の出ない時期と、「化けた」時期に別れるらしい。しかもすでに若くして亡くなっていた。とりあえず新しく、安い方のアルバムとトリビュートを買うことにするが、それだけでは最低ラインの50ドルに満たないので後ろの方のバーゲン品を漁ると Tom Pradado-Rao が一枚あり、しかも Mark Heard のプロデュースだというのでこれを入れる。が、The Living Traditionに注文しなければならないことを思出し、こちらは来月に回す。The Living Traditionに注文のファックス。今回は15枚。Tradition Bearers の subscription も出す。
Nさんにケンブリッジ・フォーク・フェスティヴァルのビデオのお礼のメールを出したらバウンスしてきてしまった。
○Battlefield Band CELTIC HOTEL; Temple, 1987 |
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この時期、やはりバトルフィールドにしてもいささか「焦り」を感じていたのかもしれない。キーボードがいつになく多彩な音を出すのだが、管楽器やベースを出そうとしている意図はわかるにもかかわらず、音自体はチープに堕している。レパートリィとして、スペインやウェールズの曲をとりあげてもいる。が、完全に自分たちの懐に引きいれているようには聞こえない。借り物とは言わないが、足腰が定まっていない。ブライアンはまだいるが、サウンド面での貢献はそれほど感じられない。アラステア・ラッセルは他で聞くよりもしっかりした歌をうたっているようだが、歴代のシンガーに比べるとどうしても非力は否めない。その中で[09]は突出して良い出来。これがアルバム全体を救っている。 |
団地の管理組合からケーブルTV加入についてのアンケート。やはりまだ入っていなかったのだ。昨年、小学校校舎の塗装を塗替えた時、電波障害が起きて不満が出たとのこと。もちろん大賛成。手続きが順調に進んで、賛成者が多ければ、今年度中にも導入されることを期待。おそらく一番ひっかかるのは、加入すると接続料が月500円徴集されるが、これはケーブルを見る見ないに関らず取られるという点だろう。ウチだけ要らない、払わないというわけにはいかない。
一つの懸念は、ケーブルTV事業は地域内では独占で、他の地域のケーブルTVに加入するのは難しい。神奈中バスのようなことにならねば良いが。それと、この会社は例の赤字垂流し第三セクターが持っているアクストタワーの中にあり、ケーブルの大元のアンテナもこのタワーにある。あのビルそのものの所有権の行方次第では、事業継続ができなくなる可能性も全くないとは言えない。
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2000年 9月 19日 (火) 晴れ。日中気温は上がり、歩いていると汗をかく。日が落ちると涼しくなる。風も涼しい。
朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
昼食、新宿・アカシアにてロール・キャベツ&KRB。今日は忘れずにKRBのケチャップを抜いてもらう。
夕食、素麺、茹で卵、桃。夜、腹が減って、先日防災訓練の日に自治会が置いていった乾パンを食べる。なかなか美味。包装には英語では "Navy biscuits" と書いてある。
『フィオナが恋していた頃』の試写に行く。なんだかんだで家を出たのは10時前。新宿に出て、食事した後、地下鉄で銀座。伊東屋で Filofax のリフィルを買う。来年のスケジュールなど。Filo でも方眼の下敷きがあったので買ってみる。ペンを入れる輪が付いている。が、あとで使ってみるとこれが全く役に立たない。白紙の紙の下に置くと、方眼は全然見えない。Filo の白紙でもだめ。
ヘラルドを捜して歩く。三原橋の交差点で、遊び人風の兄ちゃんに数寄屋橋はどこかと訊ねられる。数寄屋橋という地名も知名度が低くなっているのか。
ヘラルドは遥か昔仕事で来たような気もするが、場所の記憶は全然ない。試写室はなかなか贅沢な造り。プランクトン・I君と、ぎりぎりになってKさんが来る。
映画そのものは泣けるが、重い。いわゆる「いい映画」とストレートには言えない。語りのもたつきも眼につく。中心テーマがぼやけている気がする。悲恋で涙を絞ればよしとするのか。それにしては教会の抑圧のやり方をはじめ、ドラマの背景は実に丁寧に作ってある。考えるのは観客一人ひとりに任せるということか。悲恋に泣くだけでも良し、その後ろにあるものに思いを致すものはそれで良し。作品の「意図」は見るものそれぞれの分だけある。そう言いたいか。しかし、物語の「枠」をきちんと締切っていない気がする。
シーンとして、記憶に残るような圧倒的な「絵」はなかったが、細かいところの工夫が眼についた。ゴールウェイあたりから呼ばれた上級司祭の説教の場面で、喋るにつれて前に身を乗出してくる司祭の顔が、暗がりから日の当たるところへ出てくるところ。フィオナを諦めようと自室で祈っているキアランの背中に斜めにさしこむ陽光。
役者はうまさが目立たないほどうまい。誰も彼も演技していることを感じさせない。
もう一度伊東屋へもどって、伊藤やオリジナルのペンを捜すが、シャープはないようなので諦める。一階で Faber-Castell のフェアをやっていて、鉛筆にちょっと惹かれる。アルミ製のペン籠を買う。
帰りもロマンスカーがあったので、行き帰り比較的眠れる。家に5時半に着く。そんなに歩きまわった憶えはないが、睡眠不足からか、結構くたびれる。シャワーを浴びようとしたとき、眩暈がした。
WeltWunder からCD2枚。イタリアもののコンピレーションとポーランドの Chudoba の西欧デビュー盤。ダディ・オーからアンディ・ホワイトの新譜のサンプル、アンディ・ホワイトのライヴのチラシ原稿の謝礼、ライヴの招待状など。すまんことである。
羅門さんから久しぶりに著書。さすがにペースが鈍ってきた。と思ったら、途中だいぶ抜けているらしい。
本の会というところから例会の案内状。宮田さんがゲストで、『戦後「翻訳」風雲録』がネタのため。が、この日は子守りで行けない。
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2000年 9月 20日 (水) 晴れ。動くと汗をかく。
朝食、ツナ・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
朝、トイレから出て洗濯物を干そうとすると眩暈。昨夜は0時前に床に入り、結構よく眠れた気がするが、まだ足りないようだ。
昼食、ラフティ(冷蔵)を暖め、小松菜の味噌汁、朝の残りのトマト、和布ご飯、海苔。ラフティはなかなかおいしい。
昼食を跨いで『青』。
『グラモフォン・ジャパン』、Interzone。タムボリンからCD17枚。今回は思わず大量注文してしまった。
○ANDY WHITE; Daddy O Reocrds, 2000 |
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前にカセットで聞いていたが、この人の場合はCDになったからといってそうそう音が変わるものではないらしい。キーラン・ケネディのプロデュースはざらりとした手ざわりで、ちょっとラノワを思わせるところもある。元々この人は辺りは柔らかいが芯は硬い、というよりもごつごつしているから、こうしたプロデュースは正解。ファースト、セカンドあたりと比べると、バンドの「ぼかし方」が今風のところもあり、この辺が時間とともにどう変化してくるか、面白いところ。が、今この時点ではこれはアンディの柔らかさを引立てることでざらざらした芯の手ざわりを伝えることに成功している。
はじめ、ちょっとかかりにくく、二度ほどエラーが出、[03]では音飛び。 |
○Battlefield Band NEW SPRING; Temple, 1991 |
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ブライアン・マクニールが抜け、ジョン・マカスカーが参加したアルバム。パイパーもイアン・マクドナルドが参加。とはいうものの、それほど何か新しくなったという感じはない。アラン・リードのキーボードは蛇腹の働きやベースの働きをしている。リールなどでもアイリッシュのような疾走感はない。スコッツは走るよりも飛跳ねている。歌の表現はアイリッシュよりも多彩だ。 |
○Battlefield Band QUIET DAYS; Temple, 1992 |
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やはりイアン・マクドナルドは歴代のパイパーの中でベストだろう。フルートも達者だ。フルートもブズーキやバゥロンとならんでずいぶんスコットランドに浸透してきた。この人とジョン・マカスカーとのフロントは最強だ。冒頭のメドレーはその代表。対照的にこの時期は一番シンガーが弱い。アラステア・ラッセルは以前に比べれば進境著しいが、歴代のシンガーに比べるとやはり二流であることは否めない。アラン・リードも歌うたいよりは歌つくりに才を見せる。すると勢いインスト・トラックが抜出ることになる。インスト曲の比重も多い。ケイト・ラスビィが数曲ハーモニーをつけるが、自分だけでうたうよりずっといい。もう一つ、意外にこのバンド、と言うよりもアラン・リードはユーモアのセンスがあるのかもしれない。バトルフィールド・バンドのアルバムをアメリカで出していた Flying Fish の社長だったブルース・カプランが急死したのに捧げられている。 |
夕方、ヒデ坊より電話。明後日の白石さんとの待合せの件の確認。慌てて、切った後、6時前だったので会社に架電。「つづら折り」のチケットの売行きはなかなかで、大阪は300を越え、東京は400を越えた由。まあ、モノノケが出ればそれだけで客は来るだろう。アンディとドーナルは結構気合を入れてリハーサルしているそうだ。1時間半はできると言っているらしい。アンディからのCDは200枚が着いたが、バック・インレイを同梱するのを忘れたそうで、アンディが手で持ってくる由。おまけにCDを送ったときの宛先が、"I Hidebow" だったため、なかなか着かなかったそうな。
夕食後、ヘラルドのM氏から電話。ドーナルたちの東京でのライヴを短時間地方のテレビ局が撮影できないかという打診。それはヒデ坊と直接話してくれ、ヒデ坊から連絡を付けてもらうようにするからと返事。ヒデ坊に架電するが留守電。メールを送る。
夕食、鰻丼、小松菜の味噌汁、胡瓜の塩揉み、葡萄(海路)。
メール・チェックすると TidBits に BBEdit がついにマルチバイト文字をサポートしたとの記事。早速サイトに飛んでゆき、5MBあるデモ版をダウンロードする。25回の起動、4週間の制限があるだけで、一応全機能が試せるらしい。しかしこれはニュースではないか。使用メモリは Jedit と大して変らない。ちょっと見てみたが、単一フォントで、とにかく編集と検索に機能を絞っているらしい。潔い。確かに日本語の入力もばっちりで、反応も速い。Tex-Edit Plus にとってはもちろんだろうが、ひょっとすると国産エディタの強力なライバルになりうる。
○Gong Geledag RESONANCE MEDITAITON: 共鳴瞑想; Victor Entertainment, 2000 |
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ガムランのCDを聴くのも久しぶりだが、これはすばらしいアルバム。録音はもちろんだが、これまでになくこちらに迫ってくる音楽。押しつけがましくはないが、するりと耳に入ってきて、気持ちよい。楽器そのものも優秀なものの由だが、音が柔らかい。びんびんとうるさくない。ガムランというとスピードに載った超高速フレーズとゆったりした律動の交錯、やかましい時と静謐な時が交錯する、その交点に面白みがあるように感じていたが、これは全体が音楽として聞える。ガムランというとこれを聞くことになるかもしれない。ちょっと他の板と聞き比べてみよう。解説を書いておられる皆川厚一氏は凄い。ライナー、斯くあるべし。 |
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2000年 9月 21日 (木) 晴れ。朝は涼しい。
朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
昼食、吉本家で葱味玉ラーメン。久しぶりの葱ラーメンは辛いがやはり美味い。
9時前に歯科から電話。11時過ぎのアポだったが9時半の患者が一人キャンセルになったので、よろしければどうぞとのこと。喜んで行く。前回土台を作った右上手前の歯の小さな虫歯を削り、詰め物をし、型を取る。これで2,000円近く取られる。何にかかっているのだろう。
そのまま下の停留所に出てバスにて駅前。銀行で金を下ろし、ビブレのチケットぴあで「つづら折りの宴〜アイリッシュ編」のチケットを買う。この公演名で会場を「青山CAY」としたらなかなか見つからない。会場は「レストランバーCAY」で、ミュージシャン名はソウル・フラワー・モノノケ・サミットになっていた。チケットに印刷された公演名は合っている。タハラでアンディとドーナルに土産のCD。沖縄もの。ついでに一枚、面白そうな沖縄ものがあったので一緒に買ってしまう。
有隣堂で携帯用の和英辞典として研究社からの新刊『カスタム和英辞典』を購入。岩崎民平の『新ポケット英和辞典』が前面改訂されて『ポケット英和辞典』として出ていた。そのうち買ってみよう。しかしもう紙の辞典は字が小さくて読みづらい。
正午過ぎ帰宅。歩くと汗が出るが、止まって少し風があると、すうっと体が冷える。
ダウランド&カンパニィからDM。クリスマス・ライヴのチケット発売案内。これは早坂紗知が出るから行かねばならない。推理作協から会報。酒井昭伸さんがマイクル・クライトンの使っている Apple Cinema Display を欲しいと思ったが解像度が低いので使えないと書いているのに首をかしげる。Macと「窓」では解像度の表示が違うんだったっけ。なんと酒井さんはつい最近まで98を使っておられたそうで、ウィンドウズ環境に全面移行したが表示フォントが汚いのに閉口したそうな。Macにすればいいものを。
HIFUMI Records から HONZI TWO のCD。一風変わったケース。いわゆるデジパックだがCDの入れ方は初めて見るもので、ケースの上から出入れする。横長。このレーベルは Five-D の傘下のようだ。
『CDジャーナル』Iさんから電話。輸入盤の紹介の件。いわゆるワールド・ミュージックであれば地域は問わないとのことなので嬉しくなる。一枚はポーランドの Chudoba にしようと思っているが、もう一枚は昨日タムボリンから着いた Oskorri かな。
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2000年 9月 22日 (金) 京都は曇り。
朝食、秋刀魚の干物、胡瓜塩揉み、キャベツの味噌汁、ご飯。
昼食、京都駅上の伊勢丹。カフェで卵・サラダ・ハム・チーズ・サンド、クラムチャウダー、カフェ・ラ・テ。
夕食、祇園・鶏安にて水炊きのコース。
朝、資源ゴミの回収当番に出る。8時23分のバスで出かける。新横浜に出て新幹線で京都。Sさん夫妻と車内で落合う。
昼食後、宿へ向かう。京阪三条駅のすぐ近く。ロビーにて皆と落合う。アンディ・アーヴァイン、ドーナル・ラニィ、ヒデ坊、ゲイリー、ヒデ坊の友人のバンジョー弾きS氏とその彼女。オーストラリア人の由。2台の車で金閣と龍安寺に観光。金閣は舎利殿だが、本当に金ぴか。全く面白くも何ともない。ヒデ坊がおもろないーとこぼす。龍安寺は人も少ない。石庭は確かに良い。いつまでも見ていたくなる。アンディとドーナルも興味も示していた。近くのS氏宅で休息。古い民家。古すぎて借り手がおらず、家賃がべらぼうに安いそうだ。蚊取り線香を久しぶりに見る。楽器、CDなどを売っている。コーヒー、紅茶、かりんとう、梨。
金閣へ向かう車の中でゲイリーが、明日の大阪のライヴでステージにあがり、曲の解説をしろと言いだす。ドーナルの発案だそうだ。大阪のライヴは見ずに帰る予定だったが、断わりきれず、夜、家に架電。
宿へもどってチェック・イン。一度行方不明になっていた二人の楽器がちょうど届けられたところだった。関空に二人が着いた時には楽器がなく、一時はヒデ坊が怒りくるったそうだ。アンディは疲れたと言って寝てしまう。ドーナル、ヒデ坊、ゲイリー、S夫妻と祇園のヒデ坊の友人の経営する鶏料理屋にて水炊きのコース。ここの今の若旦那は昔ライヴで対バンを張っていたバンドのドラマーだった由。料理は実に美味。鶏がらスープを塩と生姜の絞り汁で飲む。豆腐、野菜、饂飩、など。最後雑炊。デザートに梨と巨峰。ドーナルは巨峰をライチみたいだと言う。ドーナルは魚アレルギーで、ダシもだめだそうだが、今日の料理は大満足のようす。
15分ほど歩き、四条の“field”というアイリッシュ・バーに行く。この店でセッションをしているクラブのメンバーが呼び集められ、ドーナルとセッション。立命館の学生が主体とのことだったが、水準は高い。みな自分の音楽にしている。一人、ステップ・ダンスをする女の子もいて、なかなかのもの。しかも踊りながらホィッスルを吹こうとする。〇時過ぎ引上げる。
宿にもどって寝ようとするが、スイッチを切ったはずの空調の音が凄まじく、夜半目が覚める。フロントに言って部屋を変えてもらう。
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2000年 9月 23日 (土) 雨。
10時起床。シャワーを浴び、下に降りる。S夫妻を待ち、タクシーで京都駅。新幹線のチケットを日曜朝の便に振替え。
伊勢丹上のレストラン街、蒸籠料理の店で天麩羅饂飩と蒸籠の昼食。蒸籠は蒸しご飯。
JRにて大阪に向かう。「つづら折りの宴〜アイリッシュ編」大坂の当日。心斎橋クワトロに1時半に入る。が、来ているのは奥野さんとゴロスの伊沢氏だけ。45分頃になって連絡が入り、クワトロの搬入口がある路地の入口につけた車に荷物を取りに皆で行く。2時15分からまずアンディとドーナルのリハということで二人は準備に入る。アンディはチューニングに専念し、ドーナルはブズーキの弦を全部張替える。ギターは低音弦のみ替えている。ブズーキの弦はすでに末端が輪になっているのを共鳴穴下の突起にひっかけ、糸巻きの横に突出た握りにオレンジ色の道具をはめてぐるぐる回して巻きとる。
先に準備を終えたアンディがステージに出たので、そちらに行く。はじめ椅子が高すぎるといったが、座ってみるとちょうど良かった。楽器は一見12弦ギターのものとマンドリン。ギター様のものは後で訊くとギター・ボディのブズーキ。円型ボディのブズーキより音が柔らかく、深いので、ドーナルのものと一緒に弾いても音が違う。ついでにドーナルのものは Peter Atonely というカンタベリのメーカーの製品で29年前のものの由。
そのブズーキをまず持ち、軽くイントロを弾くとおもむろにうたいだす。"Never tired of the road"。アンディの前のフロアに立ってその声を聞いたとたん、目頭が熱くなった。柔らかく芯のある、あの声。腹はずいぶん出たし、頭には白いものも交じっているが、この声はあのプランクシティの頃と少しも変わっていない。マンドリンも弾く。2〜3曲弾くうちにドーナルが出てくる。フロアから聞いてサウンドに指示を出しはじめる。サウンドマンがいないからドーナルはそちらの面倒も見なくてはならない。フロアで二人のリハを聞いていると横にゲイリーが来て、音の組立てはこんなもんでいいかなと訊く。急に緊張して、耳をすまし、思ったことを言う。しかし基本的にこのホールは生音はすばらしい。渋谷よりずっといい。二人も満足の様子。
その後、今日のゲストの大島保克さんとモノノケのリハがあるので、S夫妻とともにアンディとドーナルを連れだす。近くの喫茶店で、インタヴュー。ドーナルには今度公開される映画『フィオナが恋した頃』のサントラの話。アンディには昔のことをいろいろ。1時間半ほどたってそろそろ終る頃ヒデ坊が来る。今度はステージ上での曲解説の打合せ。4曲ほど割当てられる。幸い、どれも良く知っている曲なので、原稿ナシでもなんとか行けるだろう。ドーナルとアンディが読む原稿をヒデ坊、Sさん夫妻とローマ字で作る。
アンディはそのまま楽屋にもどり、他のメンバーで今度は近くのパスタ屋で軽く食事。ヒデ坊との話のはずみでドーナルに、ホンモノの伝統というのはミクスチュアだよねというとその通りと太鼓判を押される。
開演30分前に楽屋にもどる。客の入りも良く、オンタイムで開演。まずは大島保克さん。正面の客席後方で聞く。全くのソロで、5曲ほどやられる。初めて聞くが感心する。これは追いかけねば。リハの時、マネージャー役の奥さんから今度出る新作のサンプル・カセットと資料をいただく。
モノノケはステージ横の通路から見る。ゴロスが入ったこのメンツでは初めて。気合いが入っている。「弥三郎節」は力演。大島さんが入って2曲ほど。これもすばらしかった。
モノノケの後の休憩の間に上手のステージの横に回る。二人が出て来ると大歓声。ドーナルはもうモノノケのファンにもおなじみのようだ。席につき、ドーナルがローマ字の原稿を読みあげ、ステージに呼出される。一応の挨拶をして、簡単にいきさつを述べ、最初の曲の説明を簡単にする。二人に頷きかけてステージを降りる。あの一拍が入ったのでだいぶ楽になったよと後でアンディが言ってくれる。
アンディは開演前までの潮垂れた様子はカケラもない。声は力強く、楽器の上を走る指さばきも鮮やか。観客の反応もすばらしい。歌が中心だが、熱心に聞いている。手拍子も自然だ。アンコールも心のこもったものだった。1時間のステージは客としてみたら短すぎるものだったろうが、3、4曲ごとに回ってくる曲解説のせいか、結構長く感じる。アンコールはドーナルの歌だけの予定だったが、ドーナルがうたいおわったとたんアンディがブズーキをとりなおし、うたいだしたのは "The curragh of Kildare"。手拍子が起きるが、歌が始まるところでリズムが変わるのでとまどっていた。
再度のアンコールを求める手拍子が続いたが、ヒデ坊が出てきて今日はありがとうと宴のお開きを告げる。
客が引けるのをスピーカーの横で待っていると、学生のような女性がセット・リストとかありませんか、と声をかけてくる。後でモノノケのオフィシャル・サイトにあげることを約束する。
楽屋にもどると、アンディは開演前とはまるで別人。元気そのもの。持ってきたCDの売上もすばらしく、100枚を越えたあ、とヒデ坊がとんでくる。
日本で最初の本格的アイリッシュ・パブ「マーフィーズ」にて打上げ。別室のようなところを貸切る形。ドーナルもアンディもご機嫌。今日ボランティアで手伝ってくれたヒデ坊のファンの連中がたくさん来ている。0時過ぎ、引上げ。アンディ、ドーナルたちはゲイリーの車で京都にもどる。鈴木夫妻とともに河村さんの運転する機材車に便乗して京都にもどる。宿に着くと1時半。隣のコンビニで下着や明日朝飲むためのジュースなど買込む。
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2000年 9月 24日 (日) 京都晴れ。厚木も晴れ。
窓からさしこむ朝日で目が覚める。テレビをつけてみると6時。もう一度寝ようとしたが、やはり眠れないのでそのまま起きてしまう。7時15分にかけたモーニング・コールは7時10分に鳴った。昨夜は15分に設定しましたとコンピュータは返事していたのだが。
チェックアウトしてロビーの喫茶コーナーでコーヒーを飲みながら日記を付ける。TVではオリンピックの女子マラソンの中継をやっている。朝早くからご苦労なことだ。
8時少し過ぎ、S夫妻が降りてきて、そのままタクシーにて京都駅。新幹線口に着けてもらう。昔からある駅に新幹線が通っているところは大抵そうだが、ここも駅の表口からは裏にあたり、結構な距離がある。例の京都駅ビルの裏側が見える。しかしこういう建物でどうして表と裏をここまで区別する必要があるのだろうか。お土産(生八橋)を買い、朝食用に押し鮨の弁当をSさんと分け合うために買って、ホームに上がる。見ていると新幹線も便によってだいぶ混み具合が違う。
車内では通路の向いの年配の大人ばかり四人組の一人がFMラジオを聞いていて、女子マラソンの中継をしている。
車中、ずっとSさんとあれこれおしゃべり。ヒデ坊の器の大きいこととか、彼女に創作をさせてみたいとか、中川さんは本なぞ書くより曲を書くべきだとか、モノノケの顛末はそろそろ誰かが書いてもいいんじゃないか、それも正攻法のノンフィクションできっちり残しておくべきだ、とか。
本厚木駅前のアンデルセンで昼食にパンを買い、帰宅1時前。Kが出勤で子どもたちも連れていっている。
ヒデ坊の携帯に架電しようとすると現在使われておりませんの返事。アイルランドに行っている間に切られたらしい。調べまわって昼食後架電。昨夜はドーナルが酔っぱらって盛上がりっぱなしで、大変だったようだ。ちょっとドーナルに替わる。
やはり眠くてなにをする気にもなれず。アイルランド友の会メーリング・リストでくまさんの発言に管理人の寺尾氏が「おまえの発言は痰だ」という旨の返事をしてひと騒動起きている。くまさんは抗議して退会宣言。これを弁護する趣旨の発言にA.O.氏が反発し、さらにこれにROMメンバーが反発。A.O.氏の気持ちもわからないではないが、ずいぶんと了見の狭いことだ。先日の少年たちの行動に余裕のない反応を見せる大人たちの「揺れ」を指摘した文章を想いだす。
のざきから言われて Celtic Music Online の掲示板を見て返事を書きこむ。ついでにあちこちのメーリング・リストにも大阪の報告を書く。
この「宴」は特別のものとはしないで、定期的にツアーをすればよいと思う。ユニオンとしては行けなくても、身軽なモノノケであれば全国どこへでも行けるだろう。ソウル・フラワーのファンを増やすこともできるだろうし、経済的な基盤を作ることにも繋がるだろう。大阪でも、ユニオンのライヴには絶対来ないような年配のおばちゃんたちが、スピーカー前に陣取り、実に嬉しそうににこにこしながら見ていた。アンディやドーナルのファンとも思えず、おそらくは震災後の出前ライヴなどでモノノケのファンになった人たちだろう。その意味でモノノケは本当の意味での「国民バンド」になりうる可能性を備えている。中川さんも「満月」だけでなく、モノノケで歌っておかしくないような新曲を書くべきだ。例えば平成の壮士演歌のような歌を書くべし。
夕食は豚肉とニンニクの芽の中華風炒め、かき卵スープ、ご飯。
さすがに眠く、11時過ぎ、就寝。
留守中、MusikFolk からCD6枚。うち Carreg Laffar は新譜と思ったら一つ前のもので、ダブってしまう。
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