大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 9月 25日 (月)〜2000年 10月 01日 (日)] [CONTENTS]

2000年 9月 25日 (月) 晴れ。

 目覚ましが鳴っても誰も起きず、仕方なく、目覚ましを止め、テレビをつけ、窓を空ける。トップ・ニュースは案の定、女子マラソンの金メダル。確かに史上初めて女子の陸上で金メダリストが現れたことはめでたいことだし、ニュースでもあるだろうが、ここまで大騒ぎすることもあるまい。新聞など一面と最終面ぶっちぎりの扱いだ。スポーツ新聞ではあるまいし。確かにこういう話を読むのは楽しくないわけではないが、他に伝えるべきニュースは本当に何もないのか。

 朝食はハム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 まーぱの今月号に載っている Fairtunes.com というサイトの話。Napster/Gnutella でダウンロードした楽曲に対して、払いたい人が払いたいアーティストに著作権料を支払うシステムとのこと。

 午前中、ニーヴ・パースンズの取材の準備。雑誌を漁って記事を探し、質問を考える。Irish Music Magazineの今月号が来ていたはずだが見当たらない。
 昼、Kが帰ってきて一緒に駅前に出る。ハゲ天で昼食。穴子天丼。有隣堂で Filo のリフィルを少し買い、すぐに帰る。
 のざきから電話。目白のワールド・ディスクに来ているのだが、コリンダのファーストは褐色のジャケットでいいのか。

○Battlefield Band THREADS; Temple, 1995
Battlefield Band  メンバーが固定されるメリットが出たアルバム。アレンジ、演奏ともに巧まずして洗練をしめす。アラン・リードのヴォーカルが光るが、あまり他では目立たないように想う。この時期では頂点。自信を深めたのか、歌の比重が多くなる。ラストのニック・ジョーンズで有名な "The Indian lass" のアラステア・ラッセルはこの人のベスト・シンギングの一つ。ジェイムズ・マッキントッシュの打楽器がここでも活躍。この人が入ると俄然音楽に躍動感が出る。[03b]はジョン・マカスカーのYELLA HOOSE でもやっている。

 午後、バトルフィールド・バンドの未聴残り一枚を聞き、ライナーの準備。夕食後、一気に書いて送る。
 夕食、素麺、茹で卵、Kの買ってきたツナ・サンドイッチ、梨。

 夜、原稿を書きおわってのごほうびに、先日見つけた津波恒徳のCDの一枚目を聞いてみる。何と、桜井芳樹に林栄一、関島岳郎、中尾勘二が入っている。中身は保証されたも同然。ライナーを斜め読みすると、この人、実はとてもエライ人らしい。一曲め、声が聞こえた時点で、大当たりィ! 聞き進むにつれてとんでもないアルバムではないかと思う。実に沖縄は奥が深い。まあ、こちらが無知なだけだが、こういう無知は楽しい。
 B/CレコードのURLが載っていたので行ってみるが、File Not Found。

 11時半過ぎ、フリー編集者のSさんから電話。先日の絵本の翻訳の支払いの件。用件の後、雑談。0時半まで。ゴスペルをうたうグループに入って燃えているらしい。仕事はフリーでは弛れてしまうので、どこか会社に入ろうと思うと言う。フリーのライターの仕事が減っているという話。特にジェネラルで何でもこなしますという人はきついとのこと。確かに何らかの専門分野を持っているのはセールス・アピールにはなるが、必ずしもそれが収入には結びつくわけではない。

2000年 9月 26日 (火) 曇りときどき晴れ。11時半頃雨降りだし、1時半過ぎまで。3時過ぎ、雷が鳴りだす。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Chudoba POLKAS, LULLABIES & WEDDING SONGS; WeltWunder Records, 2000
Chudoba  1993年結成の八人組バンドのコンピレーションで西欧デビュー盤。おそらくは前半が 1st から、後半が 2nd から、ラスト一曲はラジオ放送のためのもの。複数のリード・シンガーによる集団リード・ヴォーカルはセント・ニコラス・オーケストラとも共通するところ。ただ、こちらは男声中心。とりあげる地域はセント・ニコラスより広く、セルビアやシレジアまで。セント・ニコラスがより洗練された、ある意味でクラシック的、芸術的志向を持つとすれば、こちらは伝統をできるだけ生の形で現代のコンテクストに再生しようとする。リズムは必ずしも重視しないが、アンサンブル全体がリズミカルで闊達なアレンジが多い。ひょっとするとこれもポーグスの間接的影響かもしれない。もっとも、だとすればやや時間のずれた影響だが。どれかの楽器がソロとして突出することはほとんどない。リードの役割が一番多いのはフィドル。楽器はベースも含め、すべてアクースティック。技量は高く、チーム・ワークも良い。ダンス・チューンにも何らかのヴォーカルが入る。セント・ニコラスもそうだが、折りに触れて見せるユーモアのセンスもなかなか。2ndと思われる後半はアレンジのスタイルの幅が広がる。[17]の緊張感は好み。女性ヴォーカルの比重が増える。新しいメンバーが入ったのかもしれない。タイトルにもあるが、結婚の歌はポーランド音楽で大きな部分を占めるらしい。

 この Diary++ では、表示や移動は日付を基準にしているわけだが、タイトル欄を設けて、そのタイトルの順番でも表示や移動ができるようにすると、使用の幅が飛躍的に広がるのではないかと考える。そういうことは可能なのだろうか。

 Amazon.co.uk より本4冊とCD1枚。うち本2冊はうっかりダブって買ってしまったレイバン。
 昼食、薩摩揚げ、キャベツの味噌汁、トマト、ご飯。

 昼食後、ヴィデオアーツ・Kさんから電話。シェヴェシュチェーン・マールタ&ムジュカーシュが来ていて、TLGに明日から出るのに招待してくださるとのこと。ありがたいことだが、土曜日に行けるかどうか。アンディとドーナルにも来てもらいたいとのことで、明日、二人に確認して連絡することにする。

○Oskorri URA; Elkarlanean, 2000
Oskorri  [08]ではホーミィが入っている。録音が良い。種々のパーカッションの使い方が秀逸。ナチョのヴォーカルも肩に力が入っていない。人懐こく、聞くものの中にするりと入る声。多彩なゲストが参加して盛りたてているが、主役はあくまでもオシュコリ。どこかの耄碌バンドとは違う。ブックレットにでかでかと印刷されている "H2O"(水の化学式)は何の意味だろう。

 午後、『CDジャーナル』の原稿を書いてしまう。
 3時過ぎ、ヒデ坊から電話。今日は曲の解説をヒデ坊がやるのでもう一度曲の内容の説明をしてくれとのこと。アンディのCDは残り30枚しか残っていないとのこと。アンディは大喜びで、大盤振舞をしているらしい。東京で売るものがないそうだ。

 K、クラブの監督で帰宅7時過ぎ。夕食、豚肉の付け焼き、昼に作っておいたキャベツの味噌汁、隠元胡麻和え、ご飯。

○Donal Lunny DUISEACHT; Experience Ireland, 2000<
Donal Lunny  ドイツ・ハノーヴァー万博のアイルランド・ナショナル・ディのために委嘱されてドーナルが作曲した、オーケストラとバゥロンのための曲を含む非売品CD。オーケストラとパイプ、フィドルのための曲と、もう一曲、トラディショナルのシャン・ノースの歌。これはオーケストラとロゥホィッスルが伴奏。オケの他の演奏者はやはりドーナルの子飼いで、フィドルはナリグ、パイプ/ロゥホィッスルはジョンマク、パーカッションはロイド・バーンとグレッグ・シーハン。今年6月28日の初演のときのフィドルはドーナルの娘のコーラだった由。
 作曲家としてのドーナルはどちらかと言うと後期ロマン派。パーカッションとオケのための曲はちょっと面白いところもある。ドーナル自身のつもりとしてはわからないが、この方向ももう少し突込んで欲しい。ライナーを書いているのはテオ・ドーガン。さすがにいい文章だ。
 シャン・ノースのシンガーは若いがなかなかのうたい手。他に録音かあるのなら聞いてみたい。ナリグ、ジョンマクはさすがの演奏。しかし、ジョンマクやドーナルは初演の時どんな服装をしていたのだろう。

○Bob Brozman BLUE HULA STOMP; Kicking Mule, 1981
Bob Brozman  テクニックのためのテクニックではなく、表現の可能性をとことんつきつめてゆくプロセスの結果としてのテクニック。頭の中で聞こえている音を現実の音とするためのテクニック。つきつめる限度はないわけだが、目標がはっきりしているから一音一音に確信がこもっている。出てくる音に迷いがない。これほどキレの良いギターの音を聞いた憶えはない。結局楽器の可能性を追求するとは、音楽家本人の可能性、表現の可能性を追求することにほかならない。どう言うかをつきつめようとすれば、つまるところ何を言うかに帰結するということか。テクニックがいかに高度に発達しようと、それだけであれば表現の可能性をつきつめたとは言えないということなのだろうか。

○Bob Brozman DEVIL'S SLIDE; Rounder, 1988
Bob Brozman  1988年の同題のアルバムに1985年の HELLO CENTRAL, GIVE ME DR JAZZ! から5曲を加えたCD再発。加わっているのは原盤の[B5][B6][B1][B2][B4]。DEVIL'S SLIDE の方も曲順が変わっている。[01]〜[07]は同じで、原盤の[A8]が[20]に移動し、[08]〜[14]はまたB面そのまま。[B8]が[21]になっている。理由は不明。トラックによって音質がまちまち。上記アルバムはすばらしいリマスタリングだが、こちらはほとんどモノーラルのトラックがある。ヴォーカルのミキシングはおかしい。それとも何かかぶせてあるのか。HELLO, CENTRAL の方はまともなミキシング。
 上記よりもワンマンの度合は増えているが、音楽としてはバンド・サウンドで、音質とは裏腹にヴォーカルが良い。ライ・クーダーはもちろん、最近のデヴィッド・リンドレーと比べても、シンガーとしての資質はこの人の方が上だろう。しかしハイライトは[11]のディキシーランド・チューン。
 ここでの音楽は理知的だ。カリプソをやっても底が抜けない。ハワイアンにもゆるみがない。冷たく計算して組立てているのではないが、野性の赴くままに任せてはいない。いかにしてナショナル・レゾフォニックの可能性を広げるかと考え抜いている。そのための素材であり、アレンジだ。そこで音楽が上すべりにならないのはユーモアのセンスのおかげ。つまり高級な遊びに徹しているところがいい。ここまで来るとこの人にとってナショナル・レゾフォニックは楽器としての則は越えてしまい、肉体の延長、いや存在の延長だ。あるいはギターという楽器の特性かもしれない。例えばリード楽器に比べるとギター、あるいはナショナル・レゾフォニックは十分弾きこなすのに知性を求めるのかもしれない。トリプレットを多用しているが、これはバンジョーの奏法から借りたか。
 それにしてもここでピアノを弾いているジョージ・ウィンストンは Windham Hill のジョージ・ウィンストンなのか。

○The Tau Moe Family with Bob Brozman HO'OMANA'O I NA MELE O KA WA U'I; Rounder, 1989
The Tau Moe Family  ハワイ音楽がまだ事実上ハワイだけのものだった時代の姿を現代に再現しようという試み。タウ・モアイ一家はその時代からの生残りという。ブロッツマンのライナーによれば、これは1915年までのハワイ音楽の姿をある傑出した一家の形で再現しようとしたものだそうだ。今までハワイ音楽はあまり面白く聞けたことがないのだが、これはいささか趣を異にする。ヴォーカルが引込み気味のミックスは不満(あるいはこのシステムはヴォーカルがものによると引込み気味なるのかも)だが、Rose の声は今まで聞いたどのハワイの歌よりも心に響く。いつもはずいぶんと緩いだけの音楽が、はっきりしたメリハリを持って立上がってくる。
 それにしてもこの一家の半世紀にわたる巡業(これは「ツアー」ではない)に継ぐ巡業の歴史は、それのみで独立した一個のドラマだ。ヨーロッパでの第二次大戦の戦火を逃れ、ハワイに帰りついたその日に真珠湾攻撃に遭遇し、再びインドにとって返す辺り、宿命の匂いすらする。
2000年 9月 27日 (水) 晴れ。

 今朝は寒くて朝方目が覚める。あまり寝た気がしない。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、グリーン・アスパラ(茹で)、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 朝顔は一本だけ鉢植えにしたものにまた小さな花が咲いている。鮮やかな深紫色。二本残っていた紫蘇に貝殻虫がついてしまったようだ。

○Cyril Pahinui & Bob Brozman FOUR HANDS SWEET & HOT; Dancing Cat, 1999
Cyril Pahinui & Bob Brozman  Gabby の息子と二人だけの各種ギターによるインスト・アルバム。16曲中2曲だけヴォーカル。スラック・キーが低音部、ボブのナショナル・レゾフォニック、ワイゼンボーン、コナが高音。それにしても二本だけでやっているとは思えない、音楽の膨らみ、精妙な絡み。ボブのギターの響きはきっぱりした確信はそのままに、柔軟さをぐっと増しているように思う。これはハワイ音楽にもはまりそうだ。キリルのヴォーカルはホンモノの伝統音楽家のもので、何の力みもない。もっと聞きたい。録音優秀。
 このレーベルは Wincham Hill の関連会社だから、ここでもプロデュースに参加しているジョージ・ウィンストンはやはり同一人物だろう。

 10時半頃、松山さんから電話。アンディの様子について。
 昼食、ハンバーグ、キャベツ味噌汁、グリーン・アスパラ(朝の残り)、トマト、ご飯。

 昼食後、出かけてまっすぐ青山CAYへ。3時半着。モノノケのリハ中。挨拶してから楽屋を覗くと松山さんがドーナルとアンディにインタヴューしているところ。そのまま隅で聞く。さすがに鋭い質問をする。
 ブズーキでアイリッシュ・ミュージックは変わったか。スウィニーズ・メンとエメット・スパイスランドはたがいにどう思っていたか。通訳Mさん。
 エメット・スパイスランドはエメット・フォークとスパイスランド・なんとかの二つのデュオが「大型合併」してできたのだそうだ。

 アンディは明朝早く出発とのことで、マールタを見に行くのは無理。Mさんが今夜見に行くそうなので、アンディが手紙を託していた。終演後電話がかかってきておしゃべりしていたらしい。
 モザイクの話をちょっとドーナルから聞く。ドーナルとリアム・オ・フリンだったか加わったことがあるのだそうだ。歌はマールタが自分の歌をうたい、ハンス・ティーシネクが自分の歌(ブルース)をうたい、アンディが自分の歌をうたうという感じだったらしい。

 プランクシティのBBCライヴはないのかと訊くと、わからんとのこと。解散直前の録音を Nicky Ryan が持っているそうだ。ライヴ録音として一本あって、かつてのマネージが持っている由。これをライヴとして出したとい打診されたメンバーが聴直して見て駄目を出したのに、数年たって断りなしに Tara にテープを売り、Tara がこれをリリースしたことがあるらしい。クリスティが偶然レコード屋の店頭で見つけ、弁護士を雇ってつぶした。

 松山さん、Sさんなどとだべりながら開演を待つ。ピーターさん、タッドが来る。
 会場は満杯。オン・タイムでスタート。まずシーサーズ。二人に大熊さんとギターが加わる。始めゆっくりした曲。だんだん速い曲。テーマ・ソングはすばらしかった。衣裳をきっちり付けている。ライヴは初めて見るが、これはちゃんとしたステージを見たい。

 続いてモノノケ。大阪よりも演奏は緊まっていた。「弥三郎節」はやはりいい曲だ。
 開演前ゲイリーと話した時、モノノケでツアーに出ればと言うと、モノノケで普通のライヴハウスとかに出たいとは思わないと言う。モノノケとユニオンの中間の形ができればと思っているとのこと。モノノケでうたえるオリジナルを書くことを薦める。「満月」や「潮の道」のような、モノノケでもユニオンでもできる歌。あるいは壮士演歌の現代版のような。

 モノノケでひとしきりやった後、シーサーズが加わって2曲。「ひかみかちや」と「豊年でーびる」。これはさすがにどちらもすばらしい。シーサーズが引込んでからさらに2曲。ラストは「日本最初のロックン・ロール」(ゲイリー)と言って「インターナショナル」。その前の一曲は壮士演歌の一つ。
 モノノケが引込んだところで人をかき分けて前に行き、ステージに上がる。ヒデ坊が言って前の方の客を座らせる。が、かなり後ろの方まで座ってしまったので、後ろはぎゅう詰めだったろう。

 二人が登場するとドーナルはやはりモノノケのファンにも馴染みなので大歓声を受ける。
 セットは大阪とほぼ同じ。1曲入替えた "West coast of Clare" で奥野さんがアコーディオンで参加。大したことをやっているのではないが、やはり効果は大きい。ドーナルがいきなり言いだしたらしいが、さすが。演奏は例え3日であってもやはりライヴを重ねただけあって、さらにリラックスした感じ。アンディのヴォーカルの「崩し方」もより奔放になっている。

 大阪と違って東京の客は手拍子をしない。どうもしてはいけないと思っているのではなかろうか。それでも一曲終わるごとに大受け。アンコールは同じ2曲。最後はヒデ坊が挨拶して幕。
 少し待ってからステージを降りる。モノノケのファンらしい若い20才前後のカップルが話しかけてくる。ゲイリーに焼酎を渡したいのだがと言うので待ってみるように言う。少し話したがアンディ&ドーナルのことは何も知らず、初めて見たが感動していた。明日リアム・オ・メーンリがあるというと、行こうかなと言う。どこでレコードが買えるかという話など。

 プランクトン・Kさんの姿が見えたのでリアムたちが着いたとわかる。最後の5分間ぐらい見たそうだ。
 もう一人、ソウル・フラワーのファンの女の子で名前を忘れてしまったが、髪を三つ編みにした顔見知りの子が握手を求めてくる。しきりに涙をぬぐっている。ピーターさんもやはり感心している。

 MSI・Sさんが息せき切ってやってきて、明日のニーヴのインタヴューの時間をずらしたいとのこと。ラティーナ・Kさん、タッドもいて、一気にカタが着いた。
 アンディとドーナルの楽器が気になって、ダディ・オー・レコードのHさんと二人残っていたら、一度上にあがったヒデ坊や二人がなかなか降りてこない。ドーナルはともかくヒデ坊とはなるべく離れたくないという様子がありあり。

 結局ドーナルのギターのみ奥野さんに大阪まで持っていって保管してもらうことにして、アンディ、ドーナルとシティ・ホテルへもどる。ドーナルはヒデ坊と一緒に行くと言って残り、ゲイリー、アンディ、Hさんとタクシーで向かう。

 車中、アンディが印税のことで不満を口にする。プランクシティの頃、著作権とか印税とか何もわからなかっので、もらうべきものをずいぶん損していると言う。それにレコード会社は経費がかかったことを理由になかなか印税を払おうとしない。苦い思いを抱いているのだろうが、表面は穏やかだ。

 ホテルに着いたところで11時を回ったので再会を約して別れる。最終小田原行き急行に間に合い、帰宅零時半。さすがに眠くてすぐに就寝。

2000年 9月 28日 (木) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、アップル・パイ、コーヒー、プチトマト、グレープフルーツ・ジュース。

 朝食後、メール・チェックなどしていると右耳が痛くなる。耳の下の内耳の辺り。やはり昨日のライヴのせいか。一度医者に行かねばならない。

 11時半過ぎのバスで出かける。吉本家にて昼食。葱味玉ラーメン。辛いがやはりこれが一番うまい。
 タハラをちょっと覗くがピンとこないのでそのまま上京。渋谷にてビックカメラでMDの空ディスクと電池。HMVでニーヴへのプレゼント用CD。早かったがそのままインタヴュー会場に向かうとその前でタッドとばったり。地下に降りて待つほどにニーヴとMSI・Sさんが来る。こちらは上で待つ。時間ちょうどラティーナ・Kさん到着。

 タッドのインタヴューが盛上ってなかなか終らず、むりやり入ってしまう。インタヴューはまずまず。ほぼ定刻に切上げて、ニーヴをホテルまで送る。伊東屋の移転オープンは明日だったので、銀座の本店に行き、手帳のツール、筆記具など。またシャープを一本。これで500円は安い。麹町へ出るがモンドールはまだ開いていなかったので、カフェ・グレースで時間を潰す。モンドールのチキン鉄板で夕食。

 原宿アストロ・ホールでリアム・オ・メーンリ&スティーヴ・クーニィw/ニーヴ・パースンズのライヴ。ラフォーレの筋向いとのことでぶらぶら探してゆくとすぐにわかる。タッドなどが屯している。スケジュールが押していて、6時半を回っていたが客入れをはじめたばかりとのこと。その辺で待つほどにヒデ坊、ゲイリー、ドーナルがやってくる。3人は一度楽屋口から入り、ブズーキを置いてくる。一通り客が入ったところで、招待客に交じって入る。ラフォーレの半分ほどの大きさ。前の方は椅子を置き、後ろは立っている。茂木、ヴィヴィッドのEさん、 Robin さんなど。鈴木コージさん。後から五郎さん。昨日は体調が悪かったのだそうだ。

 ヴィヴィッドのEさんに松平さんの本の売れ具合を訊く。結構売れているらしい。直接取引で青山ブックセンター等の本屋にも置かれるようになった由。下手に取次に入れて妙な配本をされるより、確実に売ってくれるところに入れた方が遥かに良いだろう。

 スティーヴのギターは生で聞くと、想像以上にいろいろな音を出す。それに繊細さと大胆さの幅が恐ろしく広い。ニーヴの歌も録音ではわからないのか、こちらがとらえきれないのか、微妙な表現に満ちる。ハイライトは二部の頭でア・カペラでやってくれた「アナン・ウォーター」。実はインタヴューの最後に何かリクエストはあるかと訊かれてこれを頼んでいたのだ。もちろんレコードはちょっと比べ物にならない。背筋に戦慄が走る。どちらかというと二人ともニーヴを立てるようなところもある。それでもやはりリアムはリアムだ。スティーヴはディジリドゥーも披露。2時間たっぷりのステージ。

 このホールは後ろの方が音がいいらしい。休憩の時、前の方ですわって聞いていたドーナルがやってきて、あんまり音が良くないとこぼすので、こっちの方がいいよというとそのまま残って聞いている。ヒデ坊やゲイリーもその辺で聞いていた。ドーナルは途中で消えて、アンコールで飛入り。全く何の打合せもなかったらしいが、さすがにしっかり合せてしまう。

 ハネてからしばらく後に残り、すぐ近くのレストランでの打上げに出る。先に座っていて、スティーヴが来たので拍手で迎えたら、本人ひどくテレくさそうにまた出てしまう。まだ後もあるので、早めに引上げる。

2000年 9月 29日 (金) 曇り。

 朝食、ハム・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、薩摩揚げ、キャベツ味噌汁、ご飯。
 夕食、ハム・トースト、メロンパン、梨、コーヒー、牛乳。

 Traditional CrossroadsよりCD6枚、サンプラー1枚。Good Book Guide。MOJO。にじゅうにより安藤勇寿『少年の日』。先日、Sさんの依頼でちょこっとした翻訳をやった画集。数十年前のわが国の農村地帯の情景を子どもを中心に描いている。この人は1951年生まれだそうだから、子どもの頃には実際にこういう情景を見ていたのかもしれない。しかし、絵としてはあまりにも影がない。2枚だけ、「蛍」と「しょんべん」と題された夜の情景だけがかろうじてリアリティを持つ。それ以外はまさに描き手の頭の中だけに存在する記憶、それも実際の記憶ではなく、こうあるべきだと思いこんでいるものの記憶の情景だ。子どもの情景、子どもの記憶は、もっと暗い、あちこちに痛みを伴うものではないか。この絵の中の子どもたちは大人に指示されて、それぞれの役割を演じている。

 平安隆&ボブ・ブロッツマン、インタヴュー。ラティーナ・Kさん同席。高円寺駅前のホテルの地下。この地下は喫茶室にでもするつもりだったのか、あるいはこちらをロビーにするつもりだったのか、何とも中途半端な造り。その一角の応接セットでインタヴューする。二人とも楽器を持っていて、ちょっとでも暇ができると何やら弾いている。一通りすんだと見るや、たちまち演奏を始める。

 5時に引上げ、Kさんと新宿駅までもどる。心身ともにくたくたになり、ジム・マッキャンのライヴはやはり諦め、帰ることにして、ハンズで歯ブラシなど。帰宅7時少し過ぎ。起きていようとしたがロマンスカーの中でも気がつくとうたた寝している。降りようと立上がったところで、座席と通路の段差に気づかず、反対側の座席にもろに倒れこんでしまう。年配の夫人がいたが、幸いぶつかるのは避けられた。

 途中のバスの停留所の向いのコンビニ入口の脇で、ホームレスらしき中年の男を警官二人が動かそうと説得していた。バスで隣に座った中年女性の同僚らしい女性がすぐ前に立っていたが、それを見て「おまわりさんだって不安よねぇ」と言う。

 この「だって」に本人の不安が端的に現れている。人は自分の不安を隠そうとして他人にその不安を押しつける。本当に不安なのは自分なのだ。ホームレスの人びとに対してそうでない人びとが不安を感じるのは、やはり自分がいつ何時その仲間に入らないとも限らないことを、無意識の中では承知しているからだ。意識の上では、ああはなりたくない、という表現に変わる。
 しかもこの不安は抑圧しようとすればするほど大きくなる。むしろその可能性を完全に否定しようとしてしきれないところから生まれる。可能性を受入れてしまえば、不安を感じようもない。

 可能性を受入れるとは覚悟を決めるということだ。実際にそうなった時には泣きわめき、醜態を曝すかもしれないが、単に覚悟を決めるのはそれほど難しいことではない。少々大袈裟に言うならば、この場合、ホームレスになるかならぬかは最終的には自らの力のおよばぬところと思い定めることだ。そうならぬよう最大限の努力は惜しまないし、なってしまったのならそこから脱する努力も惜しまぬ決意ではある。しかしそう決意してもそれだけでホームレスには絶対にならないかといえばそうではない。宇宙には人間の力だけではどうにもならぬことは多い。むしろ人間の力のおよぶところなど微々たるものだ。人事を尽くして天命を待つ。
 もちろんこの「人事」の中身はいくらでもありうる。ホームレスを生む社会の仕組みそのものへの攻撃もありうる。

 Kダウン。買ってきたパンと食パンの在庫で夕食。Hもしきりにくしゃみをし、鼻水も出ている。Mは右耳の下を延ばすとときおり痛いと言う。よって、今日は入浴等はせず、足だけ洗ってすぐに寝かせる。

2000年 9月 30日 (土) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャムを塗ったクロワッサンとハムを挟んだロール・パン、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 さすがに朝早く目が覚める。
 明日の運動会の準備があるため、子どもたちは二人とも10時半には帰ってくる。

○津波恒徳 シンガポール小(グワー); B/C Records, 2000
津波恒徳  沖縄は奥が深い。こういうエライ人がまだまだいるのだ。ドラムスまで入ったバンド形式のとぼけた味が何ともいえず心地よい。そしてどんなバックになっても全く動じずにマイペースのままうたうヴォーカルの安定感。適度に掠れ、底が硬い。ディック・ゴーハンの声にも通じる。独特のテンポ感覚は昨日のボブの言葉を借りれば、潮の匂い、南国の空気の人懐こさをたっぷりと含む。ウチナー、ヤマトのバックもうたい手への敬意を忘れずに大いに遊ぶ。音楽の膨らみ、奥行きの深い響き。傑作。

○Catriona Macdonald & Ian Lowthian OPUS BLUE; Acoustic Radio, 1993
Catriona Macdonald & Ian Lowthian  懐かしや、Geoff Heslop のプロデュース。しかもキャスリン・ティッケルとの共同プロデュース。ただし、流通は C.M. Distribution。ベースやパーカッションの使い方はなかなか先鋭的。曲はイアン・ロゥシアンの作品が多いが、スコッツの伝統に漏れず佳曲ばかり。が、ハイライトはラストのノルウェイの曲。カトリオナはやはりもともと伝統の枠に囚われない志向の持主だ。BOLD は必然的な展開だろう。ジャケットは恐ろしく地味で、デザインとしては最低の部類だが、中身がそれに反比例しているのは「古き良き」伝統を受継いでいる。トム・アンダースンに捧げられていて、シェトランド音楽は新時代に入ったといってよいのではないか。

○Susan McKeown LOWLANDS; Green Linneet, 2000
Susan McKeown  ニーヴ・パースンズも大好きだと言っていたシンガーの2ndになるらしい。確かにニーヴにも通じる、ドロレスとメアリを繋ぐ位置にいるシンガー。アイルランドには珍しい粘り気のある声、一本調子に見えてその実、かなり微妙な表現力を聞かせる。そして何と言ってもコラやタブラまで取入れたアレンジは斬新。一方でリアム・ウェルドンの "Dark horse in the wind" を無伴奏で悠々と聞かせる。歌のアルバムとしてニーヴの二作にも勝るとも劣らない傑作ではないか。かすかだが、甘いところがあるのだが、そこがかえって適度なゆるみになって、いくらでも聞いていられる。これはファーストも買わねばならない。

 午後、THIS IS MY FATHER のサントラのライナーを書く。サントラのライナーというのも勝手がわからず、ちょっととまどう。何とかまとめるが、例によって結末がうまくつかない。最近、最後がぴたりと決まらないのは、やはりマンネリに陥っているのかもしれない。

 このサントラのリリース元のIさんからメールが来る。青山の「つづら折り」に来ていたらしい。

 夕食、烏賊刺し、胡瓜味噌添え、厚揚げ、豆腐と葱の味噌汁、ご飯。

○Mary Custy Eoin O'Neill THE WAYS OF THE WORLD; Celtic Music, 1991
Mary Custy Eoin O'Neill  メアリ・カスティのファースト。メドレーをやらず、一つの曲を繰返す。ある意味、パブ・セッションなどに近い形かもしれない。少なくとも普段やっていることをほぼそのままやっているけしき。ただし、トラックによっては冒険をしている。とはいえ、肩に力を入れて冒険だと叫ぶのではないのは当然。リールをすっとばすだけでなく、スロー・エアでもなく、リリカルな曲を結構熱くやったりしている。トミィ・ヘイズのパーカッションがすばらしい。オゥエンのブズーキはあまり低音を利かせない。ドーナルのようなリズムを刻むのと、キアラン・カランのような裏メロを取る形の中間。メアリのフィドルは結構音の太い音で、ブズーキが繊細なのでうまくバランスが取れている。二人だけの演奏をもっと聞きたい。

○Kathy Mattea LOVE TRAVELS; Mercury, 1997
Kathy Mattea  98年のケンブリッジ・フォーク・フェスティヴァルのハイライト番組でライヴを2曲見て一発で気に入った。一枚だけ中古で買っていたものを聞いてみるが、なかなかの佳作。ケンブリッジでもやっていたタイトル曲は、ケルト風のリフを持ち、ホィッスルも入る。ライヴでは自分でホィッスルを吹いていた。このジャケットの写真は美人だがいささかきつく、敬遠していたのだが、ライヴの本人は実に愛らしい。曲を見ると自作は一つもなく、あくまでもシンガーということらしいが、ちょっとアメリカのメアリ・ブラックという感じ。バックは中核はおそらくライヴのバンドと同一で、とりわけて凄いものはないがしっかりしたいいバンドだ。リズム・セクション、特にやや硬質の音を出すドラムスがいい。ところどころ、ジェリィ・ダグラスとか、ジム・ケルトナーとかが入ってアクセントになっている。とはいえあくまでも、本人のうたが売物で、またそれで十分。ジリアン・ウェルチの曲を2曲とりあげている。

2000年 10月 01日 (日) 曇り。

 朝食、健康パンにハムを挟んだもの、ロール・パンにブルーベリィ・ジャムを塗ったモノ、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 小学校運動会。昨夜だいぶ降ったようでグラウンドは一部ぬかるみかけているところもあるが、雨は完全に上がった。ときおり薄日がさす。炎天下よりは遥かに楽。

 昼食は昆布の佃煮の入ったおにぎり、チキン・チューリップの唐揚げ、揚げ薩摩芋、チーズささ身フライ、プチトマト、茹でグリーン・アスパラ、梨。体育館で取る。今日は曇りなので外で食べる人が多く、体育館は全部で五家族ぐらい。
 予定よりやや時間がかかって3時過ぎ終了。今年は赤が勝ったので子どもたちは喜んでいる。後片づけを手伝い、3時半過ぎに帰宅。結構くたびれる。

 運動会そのものの意義は疑問だが、子どもたちはそれなりに楽しんでいるようだし、家族もリユニオンのチャンスとして利用しているようだから、いきなり廃止というのも乱暴かもしれない。高学年の子どもたちにとってはイベントや組織を運営する訓練にもなるだろう。

 しかし、短距離走主体の種目や、表現という名目で全員が一斉に決められた動作をそろってやることはそろそろ変えてもらいたいものだ。表現というならば、なぜ個々に表現することを許さないのか。運動は短距離走だけではないはずだ。Hはおれは距離が長くなるとだんだん速くなるのだ、と主張していた。

 組織運営の訓練であれば、もっと子どもたち自身に任せるべきだ。企画立案から、準備、実施、後片づけまで。子どもたちがどうしてもできないこと、例えば入場門を立てるとか、電気関係の作業とか、そういう部分だけを教師が手伝えばいい。それでたとえ見栄えが悪くなったとしても、あるいは現在のように実質上教師を子どもたちが手伝う形の場合よりも中身が薄くなり、運営がスムーズにならないとしても、それは問題でも何でもない。子どもたちが自分の手でやることが大事なのだ。

 見ていて気がついたこと。徒競走の時、隣の子どもを見ながら走っている子が何人もいた。順位には関係ない。他人と比べないと自分の位置が判断できないとすれば問題だ。

 やはり徒競走のゴール後ろでカメラを構える保護者の数が、学年が上がるにつれて減ってゆく。結局あれは子どものためではなく、保護者の自己満足のためなのだろう。わが子が力をつくす姿をカメラのファインダや液晶パネル越しにしか見ないのは、むしろ子どもにとって失礼ではなかろうか。記録が残ったとしても、それはやはり二次的体験でしかない。

 運動会の歌や校歌の斉唱で一番声が大きく熱心なのは低学年。高学年は大部分がうたわない。少なくとも口は動いていない。

○Night Ark IN WONDERLAND; Emarcy, 1997
Night Ark  「夜の方舟」というと幻想小説にでもありそうだ。中東の伝統音楽をベースにしたオリジナルはやや「歌謡曲」的なノリもあるのだが、卓抜な打楽器のおかげでクリシェに陥らずにすんでいる。ウードを始めとする伝統楽器の新しい側面を見せようとする意図はあまりない。むしろたまたま得意な楽器がウードで、身にしみこんだ音楽を素材にしているだけで、明確な方法論があるようには聞こえない。あるとすればジャズの語法に伝統音楽のイディオムをのせることだろうが、これもとりたてて言うほどのことでもない。しかしこれが案外に心地よいのは、伝統音楽の「崩し方」がちょうど良いせいかもしれない。甘さ控えめの清涼飲料で、喉が乾いた時にはおいしいというところ。

 夕食長崎ちゃんぽん。麺が多すぎ、子どもたちはもてあます。

 夕食時TVをつけるとシドニー・オリンピックの閉会式の実況中継。開会式に劣らぬほど派手。おまけに出てくるのがオーストラリアでは有名なロックやポップスのミュージシャンたちなので、遠くから見ている方としては全然のらない。現場にいる人たちはそれなりに楽しんでいたようだから、別にかまわんのだが。

 開会式もそうだったが、女性の姿をよく見る。それもスタッフとか、大会旗の持ち手とか、従来ならば男性の独占だったところに女性が入っている。見ていて気持ちが良い。

 今回わが国の参加選手で好成績をあげたのも女性が圧倒的に多い。指導者が優れていて、それに素直に従ったという、東京オリンピックの頃の「東洋の魔女」的構図だけではなかろう。わが国の男性は、男性だけの組織に閉じこもっているうちに体も心も萎縮してしまったともみえる。

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