大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 10月 09日 (月)〜2000年 10月 15日 (日)] [CONTENTS]

2000年 10月 09日 (月) 雨。かなり激しく降り、二度ほど遠く雷鳴。

 K出張とて、8時前にたたき起こされる。演劇部の大会の由。
 朝食、ロールパンにハムを挟んだもの、ブルーベリィ・ジャム・トースト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 午前中はメール・チェックと返事書きで終る。
 昼食、鱈子、ノリ、キャベツの味噌汁、ご飯、梨。

 午後、『つづら折りの宴〜アイリッシュ編』のライヴ・リポートを書き、ファイブDのTさんに送る。
 送ったとき念のためメール・チェックするとのざきさんから入っていた。それを見て、ガッツプロのサイトを見に行く。なるほどポーランドのジャズは面白そうだ。Polonia というこのレーベルは民族音楽やワールド・ミュージックのディスクも作っているそうなので、訊いてみよう。

 4時半、子どもたちを連れて出発。町田でKに二人を引渡し、そのまま渋谷に出る。桂花のターロー麺で腹拵え。平安隆&ボブ・ブロッツマンのライヴ。
 会場クワトロの入りは7〜8割というところ。後から結構来たが、それでも満員までは行かない。昨年、青山Cay が満杯だったから、いいところだろう。ステージのすぐ前は少しスペースがとってあり、ここは後でエイサーのチームが入る。
 ポール・フィッシャー、ピーターさんの姿を見る。音友・Sさん、志田さん。後で、山口さん、Kさん、のざきも結局来ていた。

 ライヴの始めは平安さんのお弟子さんらしい若い人たちが8人ほど(男女比3:5)、三線を持って出てきて一列にならぶと後から平安さん登場。自分はギターを持ち、みんなの三線をバックに伝統歌を一曲。お弟子さんたちが引込むと代わりにボブ登場。また伝統歌を一曲。ここで「民謡大会はここまででこれからはロックン・ロールで行きましょう」と言って、バンドを呼込む。ギターに鳥打ち帽を被った兄さんが出てきて、どうも沖縄か関西の人らしい。なかなか上手いリズム・ギターを刻む。ベースはあちこちでよく顔を見るベテラン。先日のハシケンのバックでも弾いていた。ダブル・ベースとエレキ・ベースを持ちかえる。足が悪いのか、軽く跛を引いていた。ドラムスも平安さんと同年代のベテランの由。結構な太鼓だが、スローな曲ではもう少し軽やかに叩いてほしかった。

 ボブはノリにノっていて、鮮やかなフレーズを連発。途中、2曲ほどひとりステージに残ってソロを披露。一曲はハワイの曲。もう一曲はブルースで、とにかく知っているだけの日本語をほとんどでたらめにブルースにしてゆく。猛烈に楽しい。
 楽しいといえばこの二人のライヴは本当に楽しい。今回特にバンドでのロックン・ロールはすばらしかった。しかしハイライトは「満月の夕」。ゲイリーではないが、歌が平安さんの肉体に溶込んでいる。

 今回もエイサーが入る。顔を猿に塗り、藁の髷を高くつけた男性のソロ舞踏から始まる。ステージ上で歌を担当する初老のおっさんのヴォーカルが見事。平安さんも遠慮してうたわない。最後はカチャーシーで、後ろに下がってスペースを開けていた客たちも入り乱れる。それにしてもカチャーシーには人をつき動かす魔力がある。

 アンコールは4曲やったが、これは少々長かった。最後にひとりステージに残った平安さんが、ギターの弾語りでうたいだしたが、1フレーズうたったところでマイクを外し、ステージの端に腰かけ、全くの生音でうたう。みんなにうたうのを促す。曲名は忘れたが有名な伝統歌。最前列にいた女の子の声が一際高かったのをステージに引きあげ、隣に座らせて声を合わせる。志田さんによれば、映画『ナヴィの恋』のナヴィ役の子ではないかというが、素人ではなく、なかなかのヴォーカル。

 終ってからKさん、山口さんたちと「龍の髭」で食事。他にのざき、Sさん、志田さん。Kさんからスティーヴの話など聞く。12月にケリィで録音をやる件、今週末からKさんが向こうに行って決めてくるとのことで、山口さんとの相談の結果、そちらに合わせてゆくことにする。ケリィの録音二日間につきあい、そのままドニゴールまで車で移動、マレードとダーモットのパブに行ったり、スティーヴの家を訪れたりしてみる計画。山口さんはたまたまスティーヴの家を見たことがあるそうで、全く人里離れた廃屋に近い由。電気もガスも水道もないはずだと言う。

 同様の家に住む詩人と知合いになり、その人の家で一日過ごしたことがあるそうで、その時は腹が減って困ったそうだ。その詩人は蝋燭の明かりで詩を書くと、2時間歩いたり、ヒッチハイクで近くの村のパブまで行く。そこで書いた詩を朗読し、それが気に入るとパブにいる人たちがギネスを奢る。それを飲んでまた廃屋に帰るのだそうだ。

 山口さん、志田さんと井の頭で帰る。終電で帰宅1時。帰りの電車は連休の最終日とてさすがに客も少ない。Kによれば、今日は町田も人出が少なかった由。東急上の寿司屋に入ったら、6時半過ぎに出るまでとうとう他に客が来なかったとのこと。

Gats Pro
http://www.gatspro.com/

2000年 10月 10日 (火) 晴れ。昨日とはうってかわり、秋晴れ。今日は晴れの特異日だと聞いたが、まさにそれを証明する天気。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 8時半に家を出る。まっすぐ千代田線・赤坂。早く出たおかげで10時少し過ぎ着。10時半過ぎ、ラティーナ・Kさん着。二人してポーランド大使夫人マリア・ポミアノフスカさんのお宅に伺う。氷川神社と日枝神社を混同していた。地図を頼りに行ってみると、マンションの一階に「ポーランド大使公邸」の金属製のプラークが打付けてある。早かったので神社の境内で雑談しながら時間を潰し、11時5分前にインタフォンを押す。中から鍵を外す式のドア。応答なし。三度ほど試すが応答がないので、Kさんの携帯を借りてかけてみるがやはり応答なし。念のため、20分ほど、前の神社で待ってみるが、帰ってくる様子もない。やむなく、諦める。

 赤坂の駅近くのパスタ屋で昼食をともにする。太めの、ちょっと面白い麺。唐辛子と青じそ、茄子のスパゲッティ。ベーコンがやたら入っている。ちょっとしつこい。ランチ・サーヴィスでサラダとグレープフルーツ・ジュースをつけてもらう。

 店を出たところでKさんとは別れ、銀座線で銀座。伊東屋でファイロファックスのリフィルと Lenoxx デザインのストップウォッチを買う。これは普段は時計だが、電池交換の仕方がどこにも書いていないし、できるようにも見えない。ファイロはスケジュール表を見開き2週間から見開きひと月にした。何かあった日は別に一枚つければよい。

 さすがに昼間で新宿から座れたので、本厚木までほぼずっと眠る。オレンジハウスでホーローのミルクパンの替えを買おうとしたら、以前使っていた型はなくなってしまっていた。置いてあるタイプが気に入らないので、先日オープンしたばかりの無印良品の大型店に行く。ここもホーローのものはないが、ステンレスのものを買う。帰宅3時半。

 ミミカキエディットの新版が出ていたのでダウンロードして使ってみる。Linux用のハイパー日記システム用のツールというのがあるので、これもダウンロード。hns というこのシステムは、ウェブ上で日記を公開するためのシステムらしい。Linux には Namazu とかこういうツールがあるのが魅力だ。何というか、ネット上での個人の繋がりを支援するものというべきか。MacOS Xで使えるだろうか。久しぶりに Vine Linux のサイトをチェックすると、Vine Linux for PPC が8日発売の Linux Magazine に収録予定とある。

 なるほどミミカキはソース・コードを書くためのツールではある。それにしても凄まじいまでのカスタマイズ能力だ。使いこなすのは結構手間隙がかかるが、一度自分用にカスタマイズできてしまえば、おそらく離れられなくなるのではないか。

 夕食、焼きそば、バナナ。
 今日から長袖のパジャマ。

はいぱー日記システム
http://www.h14m.org/

2000年 10月 11日 (水) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 マリア・ポミャノフスカ夫人には葉書を出すことにする。
 昨夜は斎藤兆史の『英語達人列伝』中「斎藤秀三郎」「鈴木大拙」「岩崎民平」の項を読んで夜更かし。鈴木大拙は間に戦争が入ったにしても、80歳から9年間、欧米各地で講演活動をしている。人間の活動に年齢は関係ないのだ。岩崎民平に『和英小辞典』があるのに気がつく。研究社のサイトで見ると絶版らしい。久しぶりに古本屋で捜す気になる。『ポケット英和』の全面改訂版はやはり買ってみよう。
 こういう本を読むと英語を勉強しようという気持ちがむらむらと湧いてくる。

○Susan McKeown BUSHES & BRIARS; Alula, 1998
Susan McKeown  基本的には LOWLANDS と同じ。このスタイルがどこで確立されているか、ちょっと面白い。うたい手としてはアイルランドの伝統どっぷりではなく、ニーヴ・パースンズ同様、伝統を基礎にブリテンやコンテンポラリーにも積極的にアプローチする。AMGの記事を読むかぎりでは、キャリア的にもニーヴに近い。伝統歌謡の現代化の一つの型になろうとしているのかもしれない。出自はアイルランドだが、ダブリン子でもあり、むしろうたの世界におけるアイリーン・アイヴァースではないか。冒頭タイトル曲で、サビのバックで遠く「あーっ」という絶叫に近い声を入れているセンスは見事。

 てっきり今日が歯科の予約が入っているはずと思って行くと、12時で誰もおらず。予約カードを見なおしたら明日だった。そのまま下の内田屋に行ってみると Linux Magazine があるので買う。歩行者用信号が青だったので、コンビニの前からまっすぐ渡ろうとすると、右手から赤い小型車がかなりのスピードで飛びだしてくる。ためらったが止まったので渡ると、後から罵声を浴びせてきた。坂を昇ってくると汗をかく。

 Read Ireland より TURLOUGH by Brian Keenan 着。Granta 71: Shrinks。

 昼食、笹かまぼこを暖め、和布ご飯、プチトマト、バナナ。買ってきたばかりの『リナックス・マガジン』に目を通す。しばらく見ないうちにいろいろとまた変化がある。見慣れない言葉も増えている。

 SETI@home のクライアント・ソフトが Ver.3 になったので、ちょうど解析が終ったところでダウンロードして入替える。新たにデータをダウンロードして走らせるが、ずいぶん解析が速くなった。これまでの三分の二ぐらいの時間で1ユニット終るのではないか。

 午後耳鼻科。この時間帯だと子ども連れが多い。まだ鼓膜の色が今ひとつはっきりしないそうだ。右耳だけ空気を通す。
 帰るとまだKは帰っておらず。少しして帰ってきてHを疣焼きに連れてゆく。6時半前、二人帰宅。昨夜、Kが気がついたHの背中の発疹は病気というほどのものではなく、体質的なもので、成人すると消えるとのこと。治療の必要なしの診断。

 夕食、鯵の刺身、隠元胡麻和え、葱の味噌汁、ご飯、昆布の佃煮。

 夕食後、Kが新聞を読んでいて、千代田生命が潰れたの、と言う。Kの生命保険はあそこだった。Hの学資保険をやっている協栄生命も危ないとのことで、どちらも引上げて、別のところにやり直す方針にする。保険会社は今はどこも同じようなものだから、やはり寄らば大樹の陰にするしかあるまい。とにかくリスクをできるだけ分散するしかない。

 夕食後、植野さんから電話。プリペイドの携帯を買った由。
 その後、ラティーナ・Kさんから電話。アンディ・アーヴァインの記事の件。まず、ディスクのプレゼンをどうやるかの案を出してくれとのこと。ページは4ページだそうだ。

 夜、ファイブディー・Tさんから電話。『魂花時報』の原稿、改訂の依頼

○Patrick Street MADE IN CORK; Green Linnet, 1997
Patrick Street  レコードになるとアンディのヴォーカルはあくまでも柔らかく、あの力強さはほとんど全くと言っていいほど感じられない。うたのメロディは全てアンディのペンになるが、全てが成功というわけでもない。あるいはこれからうたい込んでゆくにつれて多少メロディも変わるのかもしれない。インストはジャッキィ・デイリーの健康を慮ってか、スピードに乗って走りまくるものはなく、ポルカが多い。大人の味だ。IRISH TIMES や ALL IN GOOD TIME の凄味のようなものはないが、リラックスして、良い意味で「レイドバック」している。水準作。

Susan McKeown
PRIME CD http://www.primecd.com/

2000年 10月 12日 (木) 晴れ。暑し。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、鮪角煮を解凍し、和布ご飯。鮪の味が濃すぎて、和布ご飯の味が打消されてしまった。
 夕食、餃子、トリ手羽のつけ揚げ(?)、和布キャベツ、ご飯。

 正午、歯科。右上のかぶせが入る。さすがに3,000円取られる。これでようやく2本。ために昼食は1時半。
 東急に2往復、歯科、郵便局にも行ったので、結構くたびれる。

 夜、中山さん、松山さん来訪。中山さんが先日置いていったペンタングルなどのビデオを引取に来たのに松山さんがついてきたもの。ケンブリッジのビデオを見せる。11時二人帰る。iMacの復帰作業。

 オリックスのイチロー、大リーグ移籍を求め、球団と合意のニュース。そもそも7年連続で首位打者を許す他の選手も不甲斐ない。いずれ松坂が続くだろう。王と長島が完全引退し、そして「誰もいなくなった」。野球は今のバレーボールのたどった道をたどるのではなかろうか。

2000年 10月 13日 (金) 曇り、時々雨。寒し。

 朝食、胡桃パン、フランスパンにハムを挟んだもの、バナナ、グレープフルーツ・ジュース。コーヒー豆がもう一袋あると思いこんでいたら、どこにも見当たらず。愕然。
 昼食、笹かまぼこ、キャベツ味噌汁、和布ご飯。

 午前中、iMacの復帰の続き。とりあえず終えて、さあLinuxのインストールと想い、まずはCD-ROM付属の書類に目を通す。HDの設定の所で、パーティションを切る際、ディスクのフォーマットは HFS の標準にせよとある。愕然。おまけにswap用のパーティションのサイズも搭載メモリと同じかそれ以上にせよとある。仕方がないので、昼食後、もう一度パーティション切りとインストールのやり直し。

 DMいろいろ。新潮からカレンダーと手帳。アドビから GoLive 5 のアップグレード。The Planetary Soceity から年会費更新。アドビは申込みをファックスする。あとで、署名が読めないと電話が来る。しかし、署名は誰某とすぐに読めるようでは署名の役に立たないのではないだろうか。新潮は今年は書込みカレンダーのみ。

 iMac、最低限の復帰を終ったところで、Vine Linus for PPC Ver. 2.0 のインストールにかかる。一度、パーティションの設定でフォーマットにチェックを入れるのを忘れ、その後のインストールで "fail" が続出。途中で再起動してむりやり中断させる。改めてやりなおし、今度はフォーマットを忘れずにやると、あとはあっさりとインストールが終わる。

 難関はむしろその後で、option を押しながらのブートができるようにしようとしたのだが、設定ファイルの書き方がよくわからず、四苦八苦。ダミーのシステム・ファイルを使ってのブートはできるのだが、次に Linux を立ちあげようとするとカーネルが見つからんよ、と言って先に進まない。プリント・アウトしたマニュアルを熟読し、あれこれ試行錯誤するうちにようやく理屈がわかってくる。夕食後にいたって、ダミーのシステムフォルダとともにいれたイメージ・ファイルの位置が、システムフォルダの中ではなく、外だったことに気がついてようやく解決。見事Xが立上がり、Window Maker の画面が出たときには思わず歓声をあげ、Hが拍手してくれた。夜の9時頃。思えば初めてLinuxを試そうと思ってからかれこれ三年越しだ。

 もっともその先はまだまだ前途遼遠で、これから日常的に使えるようにするためにやらねばならないことは山のようにある。さいわい、ケンジントンの Orbit USB は2ボタン・マウスの代わりになるようだ。
 それにしてもインストールしてたちあげるだけでみんな喜んでいた、その想いがようやく実感できた。あるいは5年前にインターネットに繋ぐのもこんな感じだったのかもしれない。あるいはもっと昔、『ウィザードリィ』で最後のボス・キャラを倒すのもこんな感じか。こうなると、iBookにもインストールしたくなってくる。

 夕食は鰹の叩き、胡瓜味噌添え、昼間作ったキャベツの味噌汁、厚揚げ、ご飯。

2000年 10月 14日 (土) 晴れ。暖かい。

 朝食、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム、ハム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝食の後片づけで、小さめの皿を一枚洗おうとしたらいきなり三つに割れる。ほぼ半分に割れ、その片方がまたほぼ半分に割れる。痛みなどは全くなかったが、あとで右手に赤いものがついているので見ると、親指の内側付根を切っていた。傷はごく浅く、出血もすぐに止まる。もっとも、夕食の皿を洗っていたら、湯が当るのと、あとで何かにぶつけたか、再び出血。

○Stacey Earle DANCIN' WITH THEM THAT BRUNG ME; Gearle Records, 2000
Stacey Earle  買ったまましばらく寝かせておいたのだが、のざきがあまり良い評価をしないので聞いてみる。これのどこが悪いのだ。昔よく言われた「二作目の危機」も「二年目のジンクス」もまったく関係ない。そう言えばジリアン・ウェルチのセカンドも1stと全く遜色のない出来だった。2ndが1stと遜色なく聞えるということは、ある意味でセカンドの内実で1stを上まわっていることかもしれない。期待するにしても、初物の輝きを失うにしても、2ndは始めから1stに比べれば不利だ。それだけにこの充実ぶりは嬉しい。冒頭の兄貴の作を除き、すべて本人の作。こういう声は真摯な歌うたいとしてはむしろ不利と思われるが、やはりどこかで下積みをしていたのか、軽薄なところは欠片もなく、歌のリアリティを十分に運ぶ。[05]のようなスロー・ナンバーでも聞かせる。クレヴァーで、よく練られたアレンジにも磨きがかかっている。シンプルでなおかつ幾重にも重なったバッキング。やはりこういうシンガー(・ソングライター)の開花には優秀な片腕となる人間が鍵だ。

 昼食、釜揚げ饂飩、茹で卵、梨。
 夕食、旗魚のフライ、豆腐とあぶらげの味噌汁、キャベツ千切り、ご飯、ゆかり。

 終日、iBook のシステムを入換え。パーティションを切り直す。今回はデータ用のパーティションを始め標準の HFS でフォーマットし、あとで PlusMaker で拡張フォーマットに変換する。これでファイル・サイズの最低単位が1KBになる。こうするとHDへのアクセスも心持ち速くなった感じだ。それとも、フラグメンテーションが多少とも解消したせいだろうか。

 システムの復帰で、AirMac の設定にアクセスするパスワードがどうしてもわからず、とうとうベースステーションの裏のスイッチを押して、設定をやりなおす。Ehternet のケーブルで遊んでいるのを使ってベースステーションとルータを繋ぎ、これまでつないでいた長いケーブルはiBookに直接入れるようにする。iMacとの通信は有線の方がてんで速くて、無線は話にならない。それでも何だかんだ時間と手間がかかり、結局完全復帰したのは夜の10時。

 夕食後、明日の子供会資源回収に出すため、新聞・雑誌・段ボールの類をまとめて紐で縛る。

 かものはしから unit4 への投稿で、今日が松平さんの一周忌にあたることを想いだす。あれがわずか一年前のこととは信じられない。もう遥か彼方、そう、十年とは言わないが五年は経っている感覚だ。それ以外特に感慨は湧かない。しかし、このところ、どこか決定的に自分の音楽に対する態度が変わってきている感覚はある。その原因ないしきっかけをたどれば、やはり松平さんが亡くなられたことに行着くのだろう。松平さんの代わりになどというのはおこがましい。むしろ、松平さんが音楽に対するときの態度、音楽について書くことへの態度、そういうものを知らず知らず模倣しようとしているというに近い。あるいはこれが覚悟を決める、ということなのだろうか。

○Various Artists SHETLAND DIALECT: Language of the Fiddle; Veesik, 1996
SHETLAND DIALECT  シェトランドの若手のフィドラー、フィドル・バンドを紹介するアンソロジー。ライナーはカトリオナ・マクドナルド。やはり Fiddler's Bid はとび抜けている。 全体に霞のように「いなたさ」がかかっている感じがする。おそらくこれがシェトランドの味、なのだろう。曲はシェトランド独自のものというよりは、どこかで聞いた有名曲がよく出てくる。これもローカル色を薄める原因だろう。フィドルの音色自体は気持ちよいが、タイトルほどには「方言」は聞こえない。あるいはあえて押さえているのかもしれない。

2000年 10月 15日 (日) 曇り。

 8時半過ぎ起床。朝食、フランスパンにハムを挟んだもの、ロールパンにストロベリー・ジャムを塗ったもの、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝刊の岩波書店の広告に『中谷宇吉郎集』全8巻。やった!
 午前中は Ethernet 経由でのiBookとiMacのネットワークを試し、インターネットへの接続を確認。ところがリンククラブがまた繋がらない。障害が多いので、やはりメールはニフティ経由にする。10時半過ぎようやく繋がり、何と KDDI の回線障害だそうだ。バックボーンが繋がらないのでは何をか言わんや。
 システムを入替えてから、何となくiBookの反応が速くなった感じがする。

 昼からiBookに Vine Linux のインストールを試みる。第一回目はCD-ROMからのブートが始まったところで止まる。Booting... のメッセージが出たあと画面が消え、しばらくしてCD-ROMプレーヤーも止まる。Ehternet をつけたままだったので、はずしてみる。やはりだめ。HDを入替えているせいだろう。

 昼食、旗魚の照焼、目玉焼き、キャベツの味噌汁、南瓜の煮付け、ご飯。
 思いついてVine Linuxのメーリング・リストを検索してみると、同じ症状が出ていた。インストールの設定ファイルが間違っているのだそうだ。新たなカーネルと設定をすればちゃんとインストールができる由。うーむ、これはちと敷居が高い。

 夕食、白菜と豚肉の蒸煮、ご飯、蓮根の辛醤油煮。蓮根は少々辛すぎ。Mはひいひい言いながら、嬉々として食べている。
 夜は日記等の整理。

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