大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 10月 16日 (月)〜2000年 10月 22日 (日)] [CONTENTS]

2000年 10月 16日 (月) 晴れ。家の中で動きまわっていると汗をかく。

 朝食、ハム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昨夜寝しなに思いついて、外付のHDをフォーマットしなおし、PlusMaker で最大限の拡張フォーマットにコンバートする。昨夜と今朝でiBookの必要なファイルをバックアップするが、何と900MB近く空いている。

 昨日投・開票の長野県知事選挙、田中康夫が2位に10万票以上の差をつけて当選。当選するだろうとは想っていたが、これほどの大差がつくとは予想外。もともと田中をかつぎ出したのが地元の銀行頭取をはじめとする経済界だったそうだから、県庁との癒着で食べている土建業界のような業界を除けば、田中支持に回ったのだろう。業界団体の支持さえとりつければそれでOKという自民党型選挙では勝てなかったわけだ。

 今回も都市部で田中氏が大量得票したらしい。自民党首脳部は地方選挙は国政とは違うと言張っているが、地方自治体の政治と国政がなぜ、どのように違うのか、明確には言わない。国会議員が地方の議員や自治体官僚からは独立して政治活動を行い、独立して選挙戦を戦って当選しているのなら国政と地方選挙の結果は別と言えるだろうが、果たしてそうなのだろうか。
 次は東京21区の衆議院補欠選挙だが、ここもおそらく川田龍平氏の母親(名前を忘れた、いかんいかん)氏が当選するだろう。滋賀の補欠選挙も自民党は勝てないと見る。

 この選挙関連の新聞記事の中に、ある雑誌での佐高信との対談での田中の発言として、「イギリスやフランスが凄いのは、ブランド物着て、ワイン飲んでるような連中が左翼であること」という趣旨のことがあった。持てるもののバランス感覚だろうか。あるいはかつての「ノーブル・オブラージ」の残映だろうか。貧しいものが必ずしも「左」にならないのは、アイルランドの現代史を見ればよくわかる。むしろ貧しいものは「右」に振れる傾向が強い。1950年代までのアイルランド、第二次大戦前のドイツや今のユーゴのように、被害者意識が強いとさらにそうなる。

 もともと被害者意識は、不満のはけ口が閉ざされている時、状況を打開することができない自らへのコンプレックスを他人に責任転嫁することから生まれるのだろう。悪いのは自分の力のなさではなく、「外国勢力」や「革新勢力」というぐあいだ。

 被害者意識ということでは今のイスラエルもそうかもしれない。とっくの昔に加害者に立場が変わっているのに、いまだに自分たちは被害者だと思っている。だから悪いのは全部相手方になる。それにしても無防備の相手に実弾を撃ったり、戦車やヘリまで動員して攻撃する姿には哀れを催す。そこまでしなければ安心していられないとすれば、そうまでしてもなおかつ安心できないはずだ。アラファトに民衆を押えるよう要求しているのも、アラファトには押さえられないことを承知しているからだ。あの姿にはノーザン・アイルランドのプロテスタント過激派の姿が重なる。

 午前中、PTA役員会。
 昼食、帆立てを解凍し、キャベツの味噌汁、ご飯、梨。

 午後、仕事をしようとするとどうにも眠くてしかたがないので、30分昼寝。生協の宅配で起こされる。その後、レニー・ブルース。
 Linn からCD5枚。本当に送料なしの一枚10ポンド。これは安い。

 夕食、ハンバーグ、人参と豌豆豆のグラッセ、大根卸し、ご飯。
 アマゾンに行き、Susan McKeown のCD他6枚注文。

○Ivan Kirchuk HERITAGE OF THE LOST VILLAGES; PAN, 2000
Ivan Kirchuk  ベラルーシの男性シンガー/マルチ・インストルメンタリストによるベラルーシの伝統歌謡集。ベラルーシ云々の前に歌うたい、音楽家の作品として傑出したアルバム。伝統に深く根ざしていることは確かだが、おそらくこの人の個性が色濃く刻印されていると思われ、そこがすばらしい。芯の極めて太い、いかにもスラヴという声だが、全体に昏い色調の緊張感に充ちた歌唱。ブリテンの伝統歌謡にも通じる、歌そのものへの感情移入を拒否するストイックな姿勢。伴奏はきわめてシンプル。高音の男声コーラスがつくものもあるが、このコーラスも含め、すべてひとりでやっているらしい。例えばディック・ゴーハンによってスコットランドのうたの世界に引入れられるのと同じ構図がここでも可能だろう。ライナーによれば何と俺より三つ下で、正規の音楽教育を受け、民俗音楽と儀式の研究家としてかなりの成果をあげている人だ。

※今日の引用
 「ついでに言っておけば、役に立たないものの代名詞になってしまった感のある学校文法や「受験英語」も、それ自体にどれだけ本質的な欠陥があるのか僕にはわからない。もちろん、英語教育の方法論にも改善すべき点はいくらでもあるが、学校で習う英語が役に立たないというのは、そもそも習った英語をきちんとマスターしていない人の言い草だろうと思う。」
斎藤兆史『英語達人列伝』062pp.「斎藤秀三郎」中公新書、2000.05

2000年 10月 17日 (火) 曇り。やや寒し。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、赤坂・時代屋で釜飯ランチ定食。釜飯、かけそば、サラダ、漬け物、突出し。
 夕食、ナマリの煮付け、茹でブロッコリ、大根の味噌汁、ご飯。

 パスネットという首都圏私鉄共通のカード5,000円を買う。小田急から地下鉄への乗入れで、いちいち切符を買ったり清算したりする必要がない。まずまず便利。しかし今日一日で1,300円近く使っている。帰りロマンスカーだったので、バス代も入れるとやはり一回上京で交通費2,000円は最低だ。特に地下鉄が高い。

 8時半に家を出て、まっすぐ千代田線・赤坂に行く。先日すっぽかされたマリア・ポミャノフスカ夫人への取材。10分ほど待つとラティーナ・Kさんも来る。念のためKさんに頼んで今朝電話を入れておいてもらう。やはり早く着きすぎ、10分ほど近くでまってからインターフォンを押す。
 メイドさんらしい初老の婦人(日本人?)がドアを開けてくるれ。マリアさんはピアノを弾いていた。末っ子の男の子がまだ1歳半で、窓の外、道路側のベランダにいるのを中に入れてメイドさんに預ける。入ったすぐの部屋は元々はオフィス用に作られているのだろう、すぐにかなり広い部屋になっていて、ここを応接間にしているらしい。

 マリアさんは話から推測するに40代と思われるが、若々しい美人。エネルギーに満ちあふれていて、一つ訊くと十も二十も返事が返ってくる。訛りはきついが聞取りやすい英語で、喋りまくる。おかげでずいぶん手間が省けた。

 楽器を手がかりに話をはじめると、堰を切ったように言葉が出てくる。ひょっとすると誰かに聞いてもらいたくてしかたがないのかもしれない。ポイントは今世紀始めに最後の演奏者が絶えたスカというフィドルの前身楽器の一つを復刻したこと。ネックにまで共鳴箱が付き、金属弦を指の腹で押えるのではなく、爪の側を横から弦に当てて音程を調節する。インドのサーランギの奏法だ。

 なぜインドに行ったのかとか、付随する話は別として、ポーランド文化における音楽の重要性を認識し、一方で自らの楽しみのためにクラシックから、インド、さらにポーランドとどんどん自分の世界を広げている。ある意味で理想的なミュージシャンのあり方だ。

 マリアさん手ずから焼かれたというポーランドの伝統的なケーキをいただいたが、これが実に上手い。バターもミルクも使わないのだそうだ。何かナッツが入っていて、色はチョコレート色だが、甘みはぐっと押さえてある。ジンジャー・ブレッドに近いか。飲みこんだ後、ほのかに香料の香りが残る。

 最後にKさんが、楽器の写真を撮らせていただき、1時過ぎに辞去。こんな面白い話が聞けたのは望外の収穫。マリアさんが作っていたバンドのCDを三枚いただく。

 終ってからKさんと見附の駅近くの「時代屋」という飲み屋でランチの釜飯定食で昼食。なかなか美味だった。日本酒が主なようだが、四合で5,000円とか8,000円とかすごい値段がついている。古い民家をそのまま使っているようだが、こんなところにもともと建っていたとも思えない。わざわざどこかから移築してきたのだろうか。

 以前よく行っていた喫茶店が変わってしまっていたので仕方なく Cafe de Crie に入って少し打合せ。
 新宿に出てまっすぐ帰る。赤坂見附の駅は3時半頃だったが、乗車券売場で真赤な顔をしてかなり酔っている若いカップルを見る。特に比較的長髪でデニムのシャツを着た男の方は、相当酔っていた。帰宅5時少し過ぎ。

 iMacのシステム以外のパーティションを PlusMaximiser でフォーマット。やはりこれも最低単位が2KBになる。何も入っていない状態でやるとこうなるのかもしれない。

 夕食前、ヒデ坊から電話。松山さんへの連絡方法、アイルランド行き、ドーナルのメール・アドレス取得の件。その他のニュース:ドーナルはキアラン・カランの代理でアルタンのかなり長いツアーに参加する。弟のマーナスがインド人女性と結婚した。

 夜、メール・チェック。ようやくMacOS Xパブリックβ日本語版のアナウンス。

○Zespol Polski MUZYKA NIZIN (Music of the Lowlands); MTJ, 1995
Zespol Polski  マリア・ポミャノフスカ率いる「アンサンブル・ポロネーズ」のデビュー・アルバム。ポーランドのフォーク・ミュージックとショパンの作品の繋がりをフォークの側から探ろうという試みが出発点。ショパンの作品とクレジットのある曲も、見事なまでのフォーク・ミュージックに昇華(あえて昇華という)されている。就中マズルカとポルカはまさにダンス・チューンで、その躍動感、パワーはアイリッシュやスコティッシュ、あるいはスカンディナヴィアやハンガリーのものに劣るものではない。ここから発したポルカが全ヨーロッパを席捲し一世を風靡したのもむべなるかな。さらに興味深いのは、中部ポーランドに残るという「トランス」のための音楽で、マリアさんの即興が冴える最後のトラックの迫力は、ちょっと今までのヨーロッパ・ルーツ音楽では聞いた憶えがない。ハイランド・パイパーのピブロックがスピリットとしては近いが、この激しさはない。やはり、ジクルやカッワーリに通じるものだ。スカは目の前でマリアさんが弾いてくれた楽器よりも音程が低く聞える録音で、クラシック的な録り方だと思うが、全体に録音レベルが低い。とまれ、セント・ニコラスの姉貴分に当たるバンドとして、音楽の質はきわめて高い。

2000年 10月 18日 (水) 曇り。

 朝食、ハム・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、コーヒー、オレンジ・ジュース。

 朝刊をとったら、昨日来ていた宅急便が二つ。MSIからサンプルCD2枚。ワーナー・ビデオから『リヴァーダンスの軌跡 RIVERDANCE: a Journey』のDVD。夜、iMacでちょっと見るが、字幕が出てこない。が、説明書によるとちゃんと入っているらしい。

 午前、『熟語本位英和中辞典』のデジタル化に手をつける。Jamming の辞書テクスト形式で作る。まずは "with" の項から。

 正午前、学校に行く。給食試食会。参加希望者多く、場所はランチ・ルームから六年生の教室に移動。会長から、今年の1年が学級崩壊していると聞く。そのため、校長がふんばって市の実験校に組込み、応援を一人派遣してもらっている。が、これが午前中のみで12月まで。しかも遠足等にはついていけない。この実験のために各校に派遣する要員としては市全体で三人しかいない由。市庁舎で無駄飯食っている教育委員会の職員を派遣したらどうだ、と言いたくなる。

 帰り際、児童会の部屋があったので覗く。黒板に運動会の反省がいろいろ書いてある。笑ったのは「親のマナーが悪い」という意見。子どもはちゃんと見ているのだ。

 ほぼ終日、レニー・ブルース。
 メール・チェックしたら、アイルランド友の会のメーリング・リストに文化放送の BS担当から、ワールド系音楽のアドバイザーを求めるメールが転送されている。返事を出してみる。

 夕食、豚肉と舞茸の中華風板目、かき卵スープ、ご飯。
 入浴後、9時過ぎに植野さんから電話。携帯の留守電の聞き方がわからなかったとのことで、20日の場所を訊ねてくる。場所の名前と電話番号を伝える。

○Calic ATTINDE; Ludos, 1998, Sardinia
Calic  録音地からするとサルディニアのバンド。クレジットにはコーラスのサウンド・エンジニアまで含まれるが、実質男性ばかり5人。柔らかいヴォーカルを縦軸に、アラブの打楽器を横軸に、持続音楽器の少ない、空隙の多いアレンジでオリジナルを聞かせる。持続音はハーモニカとハーディガーディとおぼしきもの。地中海には多い、圧倒的なパフォーマンスと迫力で迫るのではなく、肩の力の抜けた音楽。テクニックとしてもとび抜けたところはない。むしろ切味を隠した鋭いセンスで聞かせる。ミニマリズムも上手に使い、あのポリフォニーも控えめにしか出さない。多かれ少なかれこの地域の音楽が備える、アクの強さ、どろどろしたごった煮ではないところが実に新鮮。あるいはペンタングルとか、かつてのネオ・アコとか、地中海に映える木漏れ日などというものが可能であれば、まさにそういうものだろう。涼やかな中にきらりと光る知性。こういう地中海もあるのだ。

2000年 10月 19日 (木) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

Riverdance journey  朝、『リヴァーダンスの軌跡』のDVDを改めてiMacにかけ、字幕が出ることを確認。思わず半分ほど見てしまう。特に問題なく見られる。

 昼食、一昨日Hが食べ残した訛りを煮直し、白菜の味噌汁、トマト、和布ご飯。

 昼食後、『CDジャーナル』・Iさんから電話。今月も輸入盤2枚。一枚はベラルーシのやつにしよう。もう一枚はスティーライか。
 レニー・ブルース。7章あげ。

 夕食、ホワイト・ソーセージの野菜スープ煮、ご飯。

 夜はマーティン・ヘィズ&デニス・カヒルの準備。
 carbonized Jedit があまりにのろいので、LightWayText にもどす。
2000年 10月 20日 (金) 曇り。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、葡萄パン、トマト、コーヒー、オレンジ・ジュース。

 歯科。左下の根の治療仕上げ。
 浅倉さんより訳書。タムボリンより先だっての臨時注文のCD四枚とDVD1枚。コロムビア・Tさんからチーフテンズ THE WATER FROM WELL のDVDサンプル。推理作協より会報。

 昼食、鰺の開き、昨日作った白菜の味噌汁残り(昨夜誰も食べなかったため)、ハム、ご飯。

 ダディ・オー・Hさんに架電。アンディ・ホワイトのライヴ、日曜に振り替えてもらう。土曜日の招待券を誰かに回してもらえないかというのでかものはしに架電。夜、渋谷で会うことにする。

 5時、皆で車で出発。銀行に寄り、そこで別れて渋谷へ。時間が少し早かったので、新たに東急に移った伊東屋を捜す。銀座線の降車改札の正面。広さは以前の旧東邦生命ビルの店より若干広いか。インテリアは比べ物にならず。品揃えはあまり変らない。Tombow Zoom 707 用の水性ボールペンの替え芯を探して買う。

 雨の降る中、ぶらぶらと指定の店に行く。パリから一時里帰りしている植野和子さんを囲む会。靴を脱いであがる形。最近こういう形が多いらしい。音友の二人がすでに来ていて、15分ほど遅れてアオラのTさんが来る。が、肝心の本人は30分たっても現れず、Kさんが携帯に電話してみるが出ない。8時近くなり、ようやく店に電話が入る。近くにいるとのことで、Kさんが迎えに行く。Kさんは9時半頃帰り、そのあと四人で結局11時過ぎる。植野さんは相変わらず。イ・ムヴリニの追っかけで、コルシカ島内のツアーにまで同行した由。コルシカにダンス・チューンがないというが、ちょっと信じられない。植野さんはとにかくダンス・チューンには興味が無いから、たぶん耳に入っていないだけなのではないか。

 10時頃、かものはしがやってきて、チケットだけ受取って消える。最終小田原行き急行で帰宅。雨の金曜日でさすがにタクシーには列ができているが、10分ほどで乗れる。帰宅1時少し前。

2000年 10月 21日 (土) 晴れ。

 朝食、チーズ・デーニッシュ、葡萄パン、アンパン、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 寝不足と、若干酒が残っていたか、午前中は鈍い頭痛。
 午前中、PTA運営委員会。先日の運動会の際の保護者のマナーの悪さについて、いろいろ話が出る。駐車違反の件だけではなく、ビデオカメラを持った親が、規制のためのロープを持っていた6年生を邪魔だと怒鳴りつけたとか、フィールドの中を競技中に横切ったとか。

 昼食、鰺の開き、大根の味噌汁、和布キャベツ、ご飯。

 注文していた『ポケット英和辞典』が来る。字は細かいが、このサイズで9万語というのは大したもんだ。

○Bill Jones TURN TO ME; Bedspring Music, 2000
Bill Jones  うん、ケイト・ラスビィはやはり勘違いしている。これを聞くとあらためてよくわかる。歌をうたうのはこういう自然なことなのだ。fRootsの表紙ではアコーディオンを持っていたが、この人は本質的に歌うたいだ。自身弾くアコーディオンにしてもフルートにしても、友人のフィドルにしても、歌の引立て役に徹する。これは案外最近珍しい。アンディ・アーヴァインの "Blood & gold" をバフィ=セント・メリーの "The universal soldier" とメドレーでうたうような意識もある。インストルメンタルのテンポ感も良し。"Young Waters" の説得力に充ちた歌唱。"A jug of this (=Ye mariners all)" で実にチープなリズム・マシーンをからませているのが、妙にはまる。fRootsの表紙になった「新人」はなべて外れていないが、イングランドの新人としてはナンシィ・カーに肩を並べる。かつてのジューン・テイバーの出現に比肩してもいい。

○Steeleye Span BEDLAM BORN; PARK, 2000
 何とマタックスがドラムスで入り、「ロック」である。ティム・ハリーズのエレキ・ギターも、時代をまちがえているのではないかと思われるほど。もちろんそれだけではないが、こんなに「ロック」しているアルバムはこれまで無かったのではないか。やはり、ゲイ・ウッズの資質なのだろうか。それともティム・ハリーズが主導権をとっているのかもしれない。ゲイの声も昔と違い、ぐっと低く、太くなり、一種壊れそうな繊細な響きはない。むしろたくましさすら感じさせる。ゲイ・ウッズ、ボブ・ジョンスン、ティム・ハリーズが、それぞれのオリジナル曲で交互にリード・ヴォーカルをとる。メロディ・ラインや題材にはアイルランド的なところもあるが、全体的な響きはイングランドの、ボブ・ブロッツマン言うところの「植民する側の音楽」。

 夕食、ナマリの煮付け、隠元胡麻和え、ご飯、ゆかり。

○Various Artists SIOL/Seed; Magherabaun Records, 2000c
SIOL  「アイルランド種子保存協会」なる団体の活動資金確保のためのアンソロジー。様々な種子の保存を通じて、地球上の生物種の多様性の保全を目指すのが目的の団体らしい。オリジナル録音は[01, 02, 04, 05, 08, 10, 11, 15]で半分強。マーティン・ヘィズとトミィ・ヘイズのコラボレーションは冒頭にふさわしい。カラン・ケイシィがイアン・キャンベルの名曲 "The sun is burning" をア・カペラでうたっているのがすばらしい。トミィ・ヘイズ、ジュリア・ヘインズ、ケネス・エッジの、バゥロン、ハープ、サックスの即興曲の爽やかな響き。[10]のシンガーは初めて聞くが、なかなか良い。キーラのカラムの曲らしい。[12]は Micheal 氏が騒いでいたシャン・ノース・シンガー。確かに見事。この人もどちらかというと声域は低め。高域もしっかり出すが、低い音域の響きの豊かさにシャン・ノースの真髄はあるような気がする。

 夜、OLD GLORY 残り20頁ほどを読んで、読了。ラストは一種のアンチ・クライマックスではあるのだが、しかし河の水は確かにこうしてルイジアナのベイユーに溶込んでゆくのだろう。ミシシッピの先には「何もない」。

 RIVER HORSE もそうなのだが、陸だけ見ていたのでは決してわからないアメリカがここにある。そしてもう一つ、ミシシッピには河自体の世界がある。牽引船(ここでは引くのではなく、押すのだが)の世界。生き物のような河それ自体。アマゾンやナイルなど、河はそれ自体生き物として、個々に異なる性格を示すのだろう。いろいろな川下りや川上りの話を読んでみたい気もする。

2000年 10月 22日 (日) 曇り。

 朝食、ハムを挟んだ健康パン、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝、Hが昨日のスイミングのバッグの後始末をしておらず、Kに洗濯機のところまで持ってくるように言われたのに生返事をして動かず、寝転がってマンガを読みつづけていたので、近くにあったそのバッグを投げつける。その底がたまたま鳩尾に当たったらしく、しばらくうずくまっていた。そのうち、立上がって持っていったが、しばらくすると眠いといいだし、ごろごろしはじめる。短時間眠った後、目が覚めると吐き気を訴え、頻りに吐こうとするが何も出ない。しばらくその状態を続けた後、体の右側を下にして寝かせ、短ズボンを脱がせてパジャマのズボンを穿かせると、少し楽になったらしく、眠る。元々調子が悪かったのか、バッグが当たったために内臓がショックでも受けたのか、判明せず。

 俺も昨夜は零時前に就寝したにもかかわらず、頭はすっきりせず。風邪ぎみではある。

 12時15分頃、いきなり「治った、気持ち悪いの」と言う。が、しばらくするとまた気持ちが悪いといいだし、今度は胃液を吐く。その後また2時間ほど眠り、目が覚めるとだいぶ良くなったとは言うが、しばらくすると三度気持ちが悪い、苦しいと言いだす。ここにいたってKがY病院に連れてゆく。

 俺自身ひどく眠かったりするので、2時半から30分ほど寝る。その後、熱を計ってみるが熱はない。結局今日のライヴは行かないことにして、スター・パインズ・カフェに架電。Hさんに断りを入れる。

 AppleStore に行き、MacOS Xの Public Beta を注文。パスワードを忘れた時の質問と回答を入れさせられるのがちょっと変わっている。要するに合言葉ということか。さすがに送料をとらない。

 5時半、Kから電話。血液検査と痛がり具合から盲腸の疑いとのことで、点滴を受けている由。ネットで調べると、盲腸も軽いものは抗生物質の点滴で治るらしい。6時過ぎ、帰宅。そのあとは、点滴が効いているのか、かなり元気。

 夕食を挟み、溜まっていたCDのジャケットのスキャニング。
 10時半頃、中山さんから電話。質問にかこつけた雑談。質問は Frank Harte は何枚持っているか。"She moves through the fair" の一番ルーツに近いヴァージョンは。アイルランドのフィドラーで一番好きなのは誰か。なんだかんだで1時半まで。

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