大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 10月 23日 (月)〜2000年 10月 29日 (日)] [CONTENTS]

2000年 10月 23日 (月) 雨。終日断続的に、時にかなり強く降る。

 朝食、ハムを挟んだ健康パン、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、薩摩揚げ、和布キャベツ(昨日の残り)、ご飯。
 夕食、豚肉小松菜、ご飯。

 先日Kが土を掘返してチューリップの球根を植えたプランターから朝顔の双葉が三、四本、顔を出している。
 タムボリンからCD1枚。バート・ヤンシュのトリビュート・アルバム。Planet Soceity会報、London Review of Books, Vol.22 No.20、リンク・クラブ会報。

 Hは朝になってまた気分が悪いと言いだす。薬を飲ませてみるが、まもなく胃液とともに戻してしまう。もどすとすっきりするらしい。
 Kが1時間休み、三人でY病院へ。Kは途中で出勤。院長の診たてでは、白血球の数にしては痛みが少ないとのことで、虫垂炎ではなく便秘ではないかとのこと。レントゲンを撮ると直腸に便が溜まっているので、浣腸してみましょうということになり、三階の身障者用の広いトイレで浣腸してもらう。

 三階はデイケア・センターで、お年寄りが十数人、テーブルに座っている。確かにおたがいに楽かもしれないが、プライヴァシーはゼロだ。浣腸していくぶん便が出たが、一階に降りるとまた気分が悪くなったと言って、胃液をもどす。Kによると、浣腸すると胃が刺激されてもどすことがあるそうだ。院長は触診してみて、やはり便秘と思われるので、出した薬はなくなるまで飲み、その間異常があったら連れてきてくれ、薬がなくなったところでもう一度来てくれ、と言う。タクシーで帰宅。運転手はなかなか美人のおばさん。運転はもう少しで乱暴になるところ。

 帰るとHは病院への往復でくたびれてしまったらしく、ごろごろしながら、30分ほど眠る。そのあとは徐々にバナナやヨーグルトなどを食べ、夕方にはほぼ平常に回復。夕食におじやを貪り食べる。

 夕方、Hの担任のYさんから電話。事情を説明する。
 レニー・ブルースに精を出し、8章半分。
 夜、RTEの The Late Session のダウンロード。なぜか26MBもあり、ダウンロードするのに1時間以上かかる。

 東京21区の衆議院補欠選挙は川田龍平氏の母堂の悦子氏が当選。その感想を訊かれた自民党公認候補が、無党派層はこれで責任を持って欲しいという旨のことを言う。自民党流に政治に責任を持つというのは、公共事業の予算を分捕って地元の土建業者に分配することを言うのではないか。そういうのはたくさんだ、とこの選挙区の有権者は言っているのだ。
 悦子氏の選挙運動を支えたのは、全国から集まった400人の学生主体のボランティアだったそうだ。これもまたよし。

2000年 10月 24日 (火) 

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 芽を出した朝顔は数えてみたら11本。たまたまかもしれないが椿象を10匹ほど見つけ、外に出す。

 カパーケリーのビデオ・コレクション(DVD)をiMacで見る。画像フォーマットはPalだがちゃんと見られる。音は仕方ない。
 はじめのビデオ・クリップ集と後半ライヴ('92アバディーン)を2曲まで。やはりライヴは良い。ライティングなど派手だが、バンドそのものは「見せる」ものではない。クリップ集も今一つ垢抜けず。映像で見せようとする意図が不明。とはいえ、音だけでは魅力のないものも聞けるのはヴィジュアルの力か。カパーケリー再評価のきっかけになるやも。

 と、思ったら昼前、MSI・Sさんから電話。THE BLOOD IS STRONG のライナーの依頼。頼んでいた人から断わられたのだそうだ。
 Amazon.co.uk からラルフ・マクテルの自伝の第一巻。誕生から15歳で陸軍に入隊するまで。タイトルはマクテル自身の曲 Lunar lullaby より。

○Ralph McTell ANGEL LAUGHTER: Autobiography Volume One; Amber Waves, 2000, 288pp.,
   ISBN 1-902684-02-8 定価15GBP。

 イワン・マッコールの自伝、アレクシス・コーナーとバート・ヤンシュの伝記に続いてこういう本が出てきてくれるのは嬉しい限り。

 注文しておいた講談社『日本の歴史』00巻の網野さんの本が来る。ついでに同時配本の01巻も来てしまう。はじめ返品しようと思ったのだが、網野さんの巻『「日本」とは何か』の第一章「『日本論』の現在」を読んでいるうちに、これは全部読もうという気になる。
 熱いのだ。いつもにもまして熱気が伝わってくる。同時に「危険」でもある。この企画は完結まで二年以上かかるが、その間なんの障害もなく完結するかどうか。それをも含めて、読者として参加し、行方を見届けなければならない。

 今年度ノーベル化学賞に決まった白川氏に文化勲章と文化功労者。いかにも取ってつけたとしか思われない。
 それはともかくノーベル賞にはずいぶん欠けている分野がある。数学もそうだし、天文学もそうだ。文学賞はあるが、芸術や歴史/社会学はない。平和賞があるところをみると、やはりノーベル賞は基本的に政治的な性格のものなのだろう。物理学、化学、文学、医学&生理学というのは政治に直結している。数学も天文学も政治からは遠い。芸術は近すぎる。歴史/社会学も政治には批判的なのが基本だ。

○Iarla O Lionaird I COULD READ THE SKY; Real World, 2000
 マーティン・ヘィズ&デニス・カヒルが参加しているというので買い、マーティンとデニスが来るので聞いてみたのだが、やはり勘違い男はどこまでも勘違いしている。打込みリズムに代表される合成音やサンプリングによるミニマリズムを同時代的コンテクストと思いこんでいる。本人がどこまでシャン・ノースをきわめているのか知らないが、少なくともここでそれが活かされているとはとうてい思えない。むしろ、音楽産業と交わるうちに、シャン・ノースの繊細さを失っているように思える。ラストのシネィド・オコナーとのデュエットでは、むしろシネィドの方が歌の真実に近い。マーティンとデニスのトラックは見事に浮いている。ノエル・ヒルのトラックも唐突。

○Kevin Burke IN CONCERT; Green Linnet, 1999
Kevin Burke  冒頭のトラックはマーティン・ヘィズの影響ではなかろうか。これまでよりもアクセントのつけ方、音の大小強弱、全てがずっと多彩で繊細。これもやはりマーティン・ヘィズの影響ではなかろうか。少なくともここに聞かれるソロ・フィドルにはボシィの「機関車」の面影はほとんど全くと言ってよいほどない。ギター伴奏がつくと、とたんに表情が変わり、ワイルドな風味も滲むのだが、やはりこれは成熟なのだろう。音の一つひとつから豊潤な香りと味わいがたちのぼる。マーティン・ヘィズとのフィドル二本だけの音楽のなんと豊かで充実していること。これだけで宇宙を満たせる。この人の数あるアルバムの中でもベストと言ってもいい。

 夜、久しぶりにニフティに繋ごうとしたらシリアルポートがないと言われる。よくよく見てみたら、モデムの機能拡張をはずしていた。
2000年 10月 25日 (水) 曇りのち晴れ。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、ミロード・ハゲ天で穴子丼。
 夕食、鯵と莢豌豆の天麩羅、焼売、占地と大根の味噌汁、ご飯。

 8時、Hを七沢自然教室まで車で送る。担任に引渡してすぐ帰る。道は順調。
 先週のRTE/The Late Sessions を四分の三聞きながら家事。 

 朝一番で、アドビから GoLive 5.0。Interzone 10月号。夜、GoLive 5.0 インストール。何とデフォルトで48MBも使う。全くアドビのソフトはメモリ食らいだ。
 東京への往復、夢中になって STRANGER IN A STRANGE LAND の完璧版を読みつづける。面白くてしかたがない。
 夜、らっぱ堂から電話。スペクトラルのCDプレーヤーの修理が終わったので送ってよいかの確認の電話。修理代は4万足らず。本当に治ったのだろうか。ちと不安。

 メール・チェックすると、「本のメルマガ」で『サイアス(旧科学朝日)』の廃刊決定について、立花隆が痛烈な批判を書いているとの記事。リンクをたどって見に行く。立花隆の連載はわが国の世界最大級のシンクロトロンを使った素粒子実験の現場報告の由で、こんな連載をしているとは全く知らなかった。ぜひ読みたい。
 と言うよりもこの雑誌の存在そのものが視野に入っていなかった。立花が言うとおりの雑誌だったら、定期購読しているのだったと後悔する。

 立花が説明する雑誌廃刊の経緯は、それが事実だとすれば、そして事実ではないと考える理由は何もないが、朝日新聞社自体に未来がないことを示す。これははなはだ困ったことではある。全国紙の存在意義が以前に比べて軽くなっていることは確かだが、読売のひとり勝ちになるのはまずい。ひょっとすると実は読売にも未来はないのかもしれないが、一番最後まで残るのはやはり読売だろう。

 具体的に『サイアス』の代わりになるメディアとしてはやはりネットしかないのではないか。よりインタラクティヴにできるはずだ。問題は運営費や専任編集者を置く場合の人件費だが、会員制度にして、シェアウェアと同じく、会費を払ったものに見るためのパスワードを発行するなどの方法である程度は賄えるだろう。まだ額は少ないが、広告収入も見込める。

○Jerry O'Sullivan THE GIFT; Shanachie, 1998
Jerry O'Sullivan  いかにもアメリカ人らしい、よく言えば節操がない、悪くいえばヴァラエティが豊富なレパートリィが楽しい。北米で聞けるケルト系チューンをほとんど網羅している。曲種も原産地も多岐にわたるが、どちらかというとスローなナンバーや[11]のノーサンバーランド・チューンが印象に残る。[09]のジャズ・ナンバーはパイプの楽器としての限界を逆手に取る演奏者のセンスが良い。[07b]はパイプによるブルース・ナンバーとしてなかなかで、Zan MacLeod はこんなスライド・ギターも弾けるのだ。もちろん速い曲も悪くないが、こちらはむしろ周りのギターやパーカッションが面白い。そういう意味ではこの人のパイプはどこまでも真正直な、悪くいえば優等生タイプ、よく言えば誠実なものかもしれない。技倆よりもセンスで聞かせる人なのだろう。スーザン・マキュオンはスキャット。
2000年 10月 26日 (木) Live: Martin Hayes & Dennis Cahill  第300日。 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、ウィンナとじゃが芋と玉葱のバター炒め、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 新聞を取ると、昨日来ていたMSIからの宅急便が一緒に出てくる。ジョン・マカスカー『イエラ・フース』のサンプル、バトルフィールド・バンドのブックレットと帯、カパーケリー THE BLOOD IS STRONG のCD、デ・ダナン『ボールルーム』のカセット。ジョン・マカスカーのアルバムはテンプルにしては凝ったブックレットがついていて、段ボールの莢に入る形。しかし27歳でこの髪の薄いのは気の毒というか、ちょっと興醒め。カルロス・ヌニェスもそうだが、ヨーロッパの人間には結構多いのか。バートのトリビュート盤ブックレットに載っているウィズ・ジョーンズの総白の髪が珍しくみえる。

○Various Artists PEOPLE ON THE HIGHWAY; Market Squre Music, 2000
PEOPLE ON THE HIGHWAY  [A01]先頭バッターとしては十分以上。[A03]さすがの歌唱。この人がうたうのは納得。[A05]全然昔と変らない。[A07]大胆な弦楽器の使い方が意外。[A11][A13]を除き、基本的にヴォーカルとアコースティック・ギターのみ。どれも力の入った演唱。この形はその人間のありようや実力がもろに表に現われる。その点で多少優劣はあるが、とりあげたうたへの誠実さ、ミュージシャンとしてすべてを注ぎこんでうたっていることでは変わりない。あるいはそういう姿勢にさせるものを、バートの歌は備えているのかもしれない。
 スティーヴ・ティルストンは声といい、スタイルといい、バート・ヤンシュそっくり。[B07]はアイルランドのブルーグラス/ジャズ・スイング・バンドだそうだ。[B09]エリノア・ マキャヴォイはなかなかいいシンガーと見なおす。[B10]ケヴィン・デンプシィのバックは少々やりすぎ。

 4時過ぎ家を出て、まっすぐ葛飾のアイリス・ホールを目指す。マーティン・ヘィズ&デニス・ケイヒルのライヴ。青砥駅から歩きというのだが、まず青砥が思いの他遠い。そして駅から地図にしたがって線路ぞいに歩いていっても、全くの住宅街でそれらしいもののある気配もない。それでもとにかく歩いていくと、その住宅街の真只中に忽然と立派なホールがある。細い道をはさんで両側にあり、いったいどこでやっているのかさっぱりわからない。すでに開演時関ぎりぎりで、辺りにはほとんど人影もない。ぐるぐる回ってようやく目当てのホールが地下にあるとつきとめた。場内満席。500弱ほどのキャパだろうか。ちょっと見渡したところ地元の人たちらしい年配の人たちも眼につく。隣も近所の初老のおばさん同士という感じの二人組。

 やがてピーターさんが出てきて始まる。ピーターさんが今日初めてアイリッシュ・ミュージックというものを聞かれる方手をあげてくださいというと、半分ほど手が上がる。
 ピーターさんに呼出されてマーティンとデニスの二人が出てきて、椅子に腰かける。椅子はサンフランシスコのときより間の距離が近い。ほとんど膝をつき合わせる感じ。嬉しいことにPA無しの完全生音。このホールは元々はクラシック用なのだろう。完全生音だとデニスのギターが時おり聞取りにくいこともないことはないが、響きのすばらしさはそれを補ってあまりある。

 休憩をはさんで前半は5、6曲のメドレーと短めのメドレー3個。休憩の後、ピーターさんが一緒になり、いくつか質問。特に珍しいものはなし。その後、例の長い長い30分もの。ライヴ・アルバムでは途中ちょっと流れが緩むところがあるが、今日はそれはほとんどない。デニスのソロも挟む。デニスのソロの入口は完全にジャズ。だんだん伝統食が出てきて、ついにギターがリードでダンス・チューン。そして仕上げは「パッヘルヴェル・スペシャル」。

 アンコールは二つ。拍手は止まなかったが、最後に二人がちょっと顔を見せて挨拶しただけで、演奏はしなかった。
 サンフランシスコでのときよりも一層二人の「おしゃべり」は緊密に、ダイナミックになっている。デニスは途中でマンドリンも手にする。

 左隣の席は空いていたが、後半はピーターさんが座る。右手後ろの方で手拍子をとる人がいたが、どうも一拍ぐらい遅れている。どうやらホールの残響が長いのでそう聞えるらしい。CDや音友の本の物販も出ていたが、こういうところではよく売れるようだ。飲物の物販はなし。初めての人たちの反応もよかった。

 終演後、音友のSさんやKさんなどとロビーに屯していると、マーティンとデニスはサイン会で出てくる。かなりの列ができていた。30分はかかっただろう。終って楽屋にもどる二人に挨拶。

 Sさん夫妻、Kさんと、駅前近くの焼き鳥屋に入る。スタッフが全員女性なのは珍しい。ぎりぎりまでいて駅に走る。終電に間に合い、帰宅1時。
2000年 10月 27日 (金) 晴れ。

 朝食、えぼだいの干物、大根とあぶらげの味噌汁、キャベツ若布、ご飯、ゆかり。
 昼食、帆立てを解凍して刺身、キャベツ若布の残り、ご飯、林檎。

 ナイコムよりスペクトラルのCDプレーヤーがもどってくる。修理内容を見ると、トレイを出入れしたり、クランプを動かすゴムの細いベルトがいかれたらしい。メカニカルなものだったので、修理代もやすいわけだ。とりあえずパワーアンプにつないでみると問題なく音が出た。カセット・デッキ、フォノ用アンプをつないでみると、カセットは問題ないが、フォノはやはり左チャンネルの音が出ない。

 今日来た、RealNews に長野県知事に当選した田中康夫氏のインターネットを駆使した選挙運動の記事が案内されている。このサイトは講談社の『週刊現代』のウェブ・サイトらしい。

●インターネットが政治を変える:田中康夫氏の場合
http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2000_10_18_1/index.html
→田中康夫知事を誕生させたネット・ボランティアについて。ドキュメント映像付。

 ここには「怪文書図書館」へのリンクがあり、行ってみる。今回の長野県知事選挙中の怪文書やそれに類するものを集めているが、出所が明らかで怪文書とは言えないものもいくつかある。その一つに自治労の号外があって、出鱈目をでっちあげて攻撃している。そごうでも労組が前経営陣とつるんで幹部が甘い汁を吸っていたそうだが、ここでも同じことが起きているのではないかと推測される。

 今朝の朝刊に、昨日初登庁した田中新知事に対し、企業局長・藤井世高が「知事としての認識を持っているのかが分からない」と話したという報道。そりゃあ、あんたの「知事」に対する認識と同じものを新知事は持っていないだろうなあ。それにしてもこの局長さん、新知事が名刺を渡そうとしたら受取りを一度拒否したとか、ようやく受取っても知事の部分を折りまげるとか、やることがガキだ。まさか、元副知事の候補が知事になっていたら、自分は副知事だとか思っていた目論見が潰れて八つ当たりしているのではないだろうね。

 3時半に家を出る。ビブレのチケットぴあでヒートウェイヴのライヴのチケットを買おうとしたらすでに発売が終っていた。吉本家で葱味玉ラーメンで腹拵え。まっすぐ原宿に出る。改装した元のビューリーズでマーフィーズを一杯飲んで時間を潰す。什器もすっかり変わり、スタッフも変わっている。バーテンの兄ちゃんはどこかで見た感じ。
 7時過ぎにアストロ・ホールに移動。マーティン・ヘィズ&デニス・カヒルのライヴ、二日目。

 今日はひと通り揃っている。山口さんも来ている。どうやら昨日で味をしめたらしい、おばさんたちの姿もある。タッドや五郎さんと一緒に前方右手の椅子に座る。茂木も来た。この二人はやはり座って聞きたい。今日はPA入り。このホールはそれほど広くないので、音の押出しがいい。PA無しとありで聞けたのは収穫。演目はほぼ昨日と同じだが、PAがついているだけではなく、まるで別のステージなのはさすがというか、当然というか。何かひどく豊かなものを注入された感じ。元気が出てくるのは、リアム・オ・メーンリたちのステージもそうだが、この二人の場合とは元気の質が違うように思う。リアムのは直接的だが、マーティン&デニスの元気は一番底のところで支えてくれる感じだ。

 デニスは昨日は帽子をかぶらず、長髪のマーティンとスキンヘッドのデニスが対照的だった。今日はいつもの帽子をかぶっている。
 終演後、ちょっと楽屋に皆で寄る。乾杯しようとしたが、マーティンがバスルームに入って出てこない。ので、打上げの席に移動。隣に座ったTさんの話では、昨日葛飾で、おばさんたちが「あなた、あしたはお時間おありになる? あたくし、原宿に行こうと思うんだけど」などと話しているのを耳にしたそうな。すばらしいことなり。

 デニスのマンドリンはカスタム・メイドかと思ったら、スコットランド製の市販のものだそうだ。畠山さんによると、ギター型なので音もギターに近い由。
 ぎりぎりまでいて、明日の再会を約して帰る。

2000年 10月 28日 (土) 晴れ。

 朝食前にKを学校まで送る。昨日・今日と文化祭。

 もどって朝食、健康パンにハムを挟み、リンゴ、コーヒー、オレンジ・ジュース。
 MacOS X Public Beta が届く。申込んだのが前の日曜日だったから、6日で届いた。

 朝刊によれば、昨日報道された長野県新知事に対する企業局長の対応について県庁に抗議が殺到し、日常業務が滞ったそうだ。本人は「知事や県民への冒涜と受け止められたのは本意ではなく、申し訳なく思う」と言ったそうだが、最後まで名刺を受けとらなかったのならともかく、「知事」と書かれた部分を折りまげたのは愚かとしか言いようがない。この様子はテレビ報道で全国に公開されたことで、抗議は全国から来たそうだ。しかし、まさかテレビ・カメラが入っていたことに気がつかなかったとも思われない。気がついてはいてもそれがどういうことなのか、わかっていなかったということか。

 一方、26日午前中の部局長会議で新知事に対し、「(これまでの県政に批判的な発言は)われわれが特定の者の利益のために事業を行っているように思え、腹が立つ」と発言した農政部長に対しても同様に抗議が殺到したとのこと。こういう発言が出るということはその通りのことをしてきた証しと取られても仕方があるまい。「天地神明に誓って」そのような事実はないとすれば、何を言われても腹などたつまい。腹が立つのは、隠しておきたい事実を指摘されたからだ。

 こうした「井の中の蛙」状態、あるいは蛸壺意識はおそらく長野だけではないだろう。地方自治体の各レベルで多かれ少なかれあるとおもわれる。宮城で情報公開条例をめぐって知事と県警本部が対立しているのもその一つ。この厚木の土建行政もその一つ。北海道の「官製談合」も同じ。

 さらにこうした官僚の言動に対して抗議が殺到するのも、官僚に対して一般の市民が抱いている不信感が強いことの現れでもある。基本的に「役人」は敵と考えられているわけだ。しかも今回の長野の場合、新知事が官僚の代表である候補を破って当選した「市民」の代表と思われていることも反発に輪をかけているだろう。

 それはまた、「官」に対する「民」の意識が変わってきていることの現れでもあるまいか。「官」の方はあいかわらず「お上」意識が抜けないうちに、「民」の方は「官」を文字通りの「公僕」と見はじめている。
 インターネットに問題の局長に対する中傷文が上がっていることも報道されていて、こちらの方を拡大して、問題の核心の所在を曖昧にしようとする向きも出てくるだろう。しかし、こんな中傷文は選挙の中傷ビラや怪文書と同じで、無視すればいいだけのこと。これが個人相手なら問題だが、相手は「公人」なのだから。それを口実に「職員が知事に何も言えなくなる」ようなら、そんな職員の方が問題だろう。

 一見これとは別だが根っこは同じと思えるのが、中川前官房長官のスキャンダル辞任。朝刊のコラムで与良正男という人が署名入りコラムで、今回の事件を「ポスト・フォーカス政局」と名づけている。中川氏を辞任に追込んだ原動力が『週刊ポスト』と『フォーカス』だったという意味だそうだ。野党、新聞、民放テレビはこの二つのメディアの報道に乗っかっただけだと言う。その理由は、この事件には複雑な背後関係があり、スキャンダルの材料が何者かの仕掛けで故意に流されたからで、新聞もテレビもその背後関係に遠慮した。

 コラムの趣旨が今ひとつ明確ではないのだが、政局を動かすものは新聞・テレビの「公器」としてのマスコミではなく、週刊誌のような大衆的、扇情的メディアに移っていると言いたいらしい。そしてそれが政局まで動かすようになったのは、有権者の側で既存の政党、とくに自民党の政治のやり方に対して、怒りではなく嫌悪感、情けなさを感じているからだ、と言う。
 有権者が感じている嫌悪感が週刊誌の影響力増大にどうやって結びつくのかは分明ではないが、嫌悪感という指摘は適切と思う。そしてこうして指摘されることが、ますますその嫌悪感を増大させる。

 もう一つ、台湾が建設中の原発の建設中止を決定したニュース。何でもこれはわが国原発産業界の輸出第一号で、中止は業界にはショックなのだそうだ。しかし、ゴミの始末のやり方すらわからずにそのゴミを出す原発を作りつづけ、運転しつづけるのは無責任極まる。リサイクルどころか、単純に捨てる方法すら分からないのだから。

 昼食は鱈子、キャベツの味噌汁、海苔、ご飯、トマト。

 昼食後Kから電話。調子が悪く迎えに来てくれ。スイミングへ子どもたちを送り、4時過ぎ、Kをピックアップ。子どもたちを拾って帰宅。

 5時過ぎのバスで出かける。道路混雑でダイヤは大幅に乱れていたらしいが、月末土曜日、しかも午後から雨が降りだすという組合わせで、バスは途中からぴくりとも動かないまま6時。仕方なく駅まで歩き。腹が空ききり、ミロードの杵屋に飛びこんで饂飩と蕎麦の相盛りを掻きこむ。横浜経由で鎌倉。松山さん宅。マーティン&デニスを迎えての宴会。

 今日はプランクトンのI君が料理の腕を振るっているそうだ。彼の実家は中華料理の食材卸の由。パスタ、あつあげ、烏賊の煮込み、茸と豚肉のクリーム煮等々、どれも美味。

 デニスはワイン。マーティンは例によって水と紅茶。騒ぐこともなく、CDを聞いてはおしゃべり。二人が好んでかけるのはたいていジャズ。デニスはやはりピアノがお気に入り。二人ともディスクマンとCDの板だけ重ねて入れておくCDサイズのバッグを持っていて、二、三十枚、常に持っているらしい。持っていった鶴田錦史のオコラ盤を聞かせたら、マーティンはいたく気に入ってタイトル等もメモしていた。

 昨日会場でかけていたCDを教えてもらう。コネマラ出身のシャン・ノース・シンガー Darach O Cathainで、今はもう亡くなってしまったそうだ。松山さんがシャンカールとヤン・ガルバレクのECM盤を出すと、マーティンが大喜び。これはすばらしい。が、マーティンもデニスも喜んだのはポール・ブレディの WELCOME HERE KIND STRANGER。実に久しぶりに聞いたが、いま聞くと実にアイリッシュだ。マーティンによると、ノーザン・アイルランドの伝統的シンギングを受けついだもので、ブリテンのフォーク・リヴァイヴァルの影響も受けている。マーティン・カーシィと Darach O Cathain の中間だという。マーティンはティム・デネヒィよりもポール・ブレディの方が歌は上手いと言う。こうして聞いているとそれも納得してしまう。

 マーティンに本当にフィドルの練習をしないのかと訊いたら、ほとんどやらないとの答え。フィドルを弾くのは大好きだが、自分の音楽を作りながら弾く以外のことはしたくない。それでも5分10分空いた時間にちょこちょこ弾いたりすることは時々ある。もちろん子供の頃は呆れるくらい練習していた。フィドルを弾くのは楽しかったし、子どものときの一年は本当に長い。

 0時を過ぎて、マーティンが眠くなった様子なので、引上げる。中山さんの車に乗せてもらって帰宅1時半。そのまま就寝。
2000年 10月 29日 (日) 雨。寒し。

 7時半過ぎ、目が覚める。Hがやたらに咳をし、頻繁に起きだすので眠りつづける気がしなくなり、起きてしまう。

 朝食、葡萄パン、ロールパンにハムをはさんだもの、コーヒー、オレンジ・ジュース。

 Kあいかわらずダウン。
 家事をかたづけた後、生協まで買物に出る。

 帰ってからメール・チェック。昨日メモしたCDをネットで捜す。Shankar と Jan Garbarek のアルバムはアマゾンでは見つからず、ECMのサイトに行って直接注文。二枚で送料込み72DM。3,500円強だから安い。Darach O Cathain と Marin Marais の Tous les matins du monde / Jordi Savall, Concert des Nations はアマゾンですぐに見つかり、とりあえず買物籠に入れておく。

 昼食、鯵の刺身、白菜の味噌汁、大根の漬け物、ご飯。

 MSIのためのデ・ダナン、ライナー・歌詞対訳をしあげ、送付。
 どうも臍の右下の辺りの一点が時々痛み、腰の後ろまで張ったような感じになるので、久しぶりに竹踏みをするといくらかよい。あるいは肝臓か、胆嚢か。

 夕食、豚肉、木綿豆腐、葱の鍋。今日たまたま買ってきた占地も入れる。ごはん。ポン酢醤油と唐辛子で食べる。デザートに葡萄。Kは豆腐と葱をほんの少し食べる。その後しばらくして、だいぶ良くなったらしい。

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