2000年 10月 30日 (月) 曇りのち晴れ
Kはほぼ回復。朝食、葡萄パン、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
昼食、稲庭饂飩、バナナ、チーズケーキ、コーヒー。
夕食、ハンバーグ、キャベツの味噌汁、隠元胡麻和え、ご飯。
午前中、歯科。右下奥。特別丈夫なセメントを入れてから削る。この削りが結構角度が難しいらしく、一度舌を削られてしまう。一時かなりひりひりする。下の本屋に寄り、『MacFan』と『噂の真相』10月号を買う。『噂の真相』は田中康夫の「東京ペログリ日記」を読みたかったためだが、今月は長野県知事選挙出馬のため休載。筒井康隆が連載しているのは知らなかった。ビアスの『悪魔の辞典』の翻訳をしているそうで、それにまつわる既訳者たちの訳業について書いているのだが、あんまり面白くない。郡司利男がその前に訳した人びとの仕事をこきおろしている言葉を連ねているだけ。最後にこれまでの三つの訳と自分の訳をならべているが、どれも似たりよったり。
ぱらぱらと目を通し、「一流週刊誌記者匿名座談会」だけ、ちゃんと読む。こういうのが読みたかったのよね。しかしたぶん一番面白いのは投書欄ではないか、といくつか拾読みして期待する。西尾カンジという人が書いた『国民の歴史』といううさんくさい本がベストセラーになっていてそんなにみんな右が好きなのかと思ったのだが、この人をはじめとするグループが作った歴史教科書をめぐる記事によれば、大量の組織買いがあり、ポストへ投込まれていたこともあったらしい。
しかし、昔から右翼は金持ちで左翼は貧乏なのはなぜだろう。それとも金持ちだから右翼になり、貧乏だから左翼になるのだろうか。投書欄に労働組合幹部の腐敗を指摘するものがあったが、これには同感。オウム真理教信者の転入に反対する地元住民の運動を批判、というより罵倒するものもあり、やはり考えてしまう。地元住民の行動も明らかに法律違反、人権侵害だが、ではオウムそのものがこの投稿者の言う通り、本当に「無力」になっているかとなると、そこまで確信は持てない。オウム真理教をめぐる件の曖昧さ、実態の分からない不安は大きいのだが、あるいはこの雑誌が言うように、公安調査庁や警察があえて情報を公表せず、一般市民の不安を煽っている面もないとは言えない。
午後、Hの授業参観と懇談会。国語の授業で、教科書の素材を元にして、自分でテーマを決めて調査をし、その結果を発表する。一人でやってもいいし、チームを組んでやってもいい。Hは盲導犬についてインターネットで調べていたものを発表していたが、声が小さすぎて、全然聞こえない。各自、それぞれに工夫して着目点はなかなか面白いし、まとめるのもそれなりに上手い。チームワークはまだだめ。発表も相手の注意を引く意識はない。
懇談会では先日の七沢自然教室の様子を担任がビデオに撮ったものを20分ほど拝見する。寝室の中の様子が、男子と女子で対照的。全部の部屋が一応静かになったのは1時半頃。4時5時にはもうがさごそ起きだし、ほとんど寝なかった子どもも何人かいた由。焼き杉というのはガス・バーナーで杉の板を焼いて木目を出し、旋盤のような電動糸鋸で形を切抜いて、絵を描くもの。
その後、最近のクラスでの様子として、自立心がない子が出てきているのと、相手の気持ちを思いやる行動が取れないことが担任から問題点として提起される。自立心がない、というのは、言われるまで行動を起こせないことだそうだが、それまで何もしていないかというとそうではなく、自分の好きなことに熱中したりするのだそうだ。一人の母親がうちの子もそうで、好きなことは何でもやるが、すべきことはやらないのでどうしたらいいか悩んでいるとの発言。これはしかしどこが問題なのか、今一つ分からない。相手の気持ちが思いやれないのは、相手が自分の思い通りの行動を取らないとひじょうに攻撃的な態度に出ることだそうだ。これはHが遊ぶ際によくMを怒鳴っているのがそうだろう。この点は注意する必要を感じる。しかし、これもどちらかと言えば今の大人が同じことをやっているのだから、われわれが自らの言動を律することがまず第一である。
4時を過ぎたので解散後急いで帰る。
Amazon.comから Susan McKeown 関係他CD3枚。Amazon.co.uk からクリスティ・ムーアの自伝。速い。
午後からMacOS Xを使いだす。これは Classic 環境で書いているが、なかなか快適だ。入力の取りこぼしも出ず。仮想メモリがずっと速いのであろう。WXG+Nickey の組合せでは、むしろ Classic の方が快適だ。AppleWorks 6 と Jedit 4 は Carbon化されているとのことで、MacOS Xで普通に使用できる。ただ、AppleWorks 6 はヒラギノ・フォントがフォント・メニューに出ない。データベース書類で、OS 9 で作ったレイアウトのフォントがそのままでは英文フォントに固定されてしまう場合がある。レイアウト画面で一度そのフィールドを消し、あらためて挿入すると日本語フォントになる。
Classic 環境ではアプリの切替えに多少時間がかかるぐらい。WXGの単語登録で一度ひっかかったように見えたが、しばらくすると治ってしまう。
MacOS Xネイティヴ環境と Classic 環境の間でテキストのやりとりができない。ヘルプを見てみると、本番ではできるそうだ。
林信行はメーラーのフィルタ機能が貧弱だと批判していたが、それ以外の部分はなかなかよくできている。フォントの変更の仕方が分からないのだが、デフォルトのフォントはなかなか見易い。メールを送る時、あまりにあっさりしていて本当に送っているのかどうかよくわからない。一応、SentMail のメール・ボックスに入っているのだが。
右脇腹下あたりの鈍痛、不快感は立っていると消えてしまう。朝食後と夕食後に竹踏みをすると、夕食後、便通があり、その後は座っていてもほぼ消えている。
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2000年 10月 31日 (火) 曇り
MusikFolkからCD1枚。ショウ・オヴ・ハンズの2枚組オリジナル・コンピレーション。Amazon.comからCD2枚。Susan McKeown がらみ。
○Capercaillie THE COLLECTION 1990-1996; Survival, 2000 |
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1992年の TWO NIGHT OF DILIRIUM というライヴ・ビデオを中心として、5曲のビデオ・クリップを頭に加えたDVD。ビデオ・クリップはまあまあで、確かに演奏風景があるとCDではどうでもいい曲も映える。ただカレンにはどうも華がない。表情が硬いし、纏っている雰囲気もくらいのだ。それもジューン・テイバーのようなミステリアスな昏さではなく、ただ陰気。収穫はやはりメインのライヴ。何でこういうアルバムを出さないのだろうか。ライヴ・バンドとしては一流なのに。アバディーンのかなり大きなホールでのライヴを中心に、やはりアバディーンらしい波止場でのストリート・ライヴ、別のフェスティヴァルらしいテント会場でのトラックをはさんで一時間弱。当然ながら完全アコーティックのストリート・ライヴがいい。バンド・サウンドを支えているのが何と言ってもジェイムズ・マッキントッシュのドラムス。手数は少な目に、ここぞというところのアクセントのつけ方が実に上手い。 |
○Capercaillie NADURRA; Survival/MSI, 2000
SIDEWAULK 以降では一番良いかもしれない。やはりマイケル・マクゴールドリックの加入は刺激になったのだろう、インスト曲がここ何年なかったほど活き活きしている。対照的に歌はカレン・マシスンの勘違いシンギングがますます嵩じていて、もはやバックのアレンジやプロデュースでは救いがたい感じだ。その中に時おり、ハッとする瞬間があるのがわずかに救い。ライヴではもっと闊達で、血の通った歌をうたっているのに。変化の途中にあるのだと思いたい。ここでもアルバムの成功の半分はジェイムズ・マッキントッシュのドラムスのおかげだ。
○Susan McKeown, Cathie Ryan, Robin Spielberg MOTHER; North Star Music, 1997 |
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女性シンガー三人による母の讃歌集。ロビン・スピルバーグという人は初めてだがすでに6枚アルバムがあるピアニスト/シンガー・ソング・ライターらしい。他の二人に比べるとずっとアメリカ寄りで、こうして並べるといささか面白みに欠ける。独立で聞けばそれなりの人ではないか。しかしここではむしろ邪魔でもある。やはりスーザン・マッキュオンが歌唱でも素材の選び方(オリジナルを含む)でもとび抜けていて、キャシィ・ライアンもそれに引張られている。3人が同時にリード・ヴォーカルをとることはほとんどなく、その点では少々物足りない。バックはアメリカの手堅いところで、ジョン・カニンガムのフィドルはさすが。 |
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2000年 11月 01日 (水) 曇り時々小雨。寒し。
Kが目覚ましを止めてしまっていて、起きると8時。Kは食事抜きで飛びだしてゆき、子どもたちはトースト1枚とプチトマトを2、3個、グレープ・ジュースを飲んで20分頃出てゆく。
午前中、ハインライン STRANGER IN A STRANGE LAND original uncut version 読了。
10時半頃、文化放送・U氏より電話。1時半に駅前で会うことになる。11時半、駅前に出る。有隣堂にて白石隆『海の帝国』(中公新書)栗本薫『大導師アグリッパ:グイン・サーガ75』(ハヤカワ文庫)野本陽代『続・ハッブル望遠鏡が見た宇宙』(岩波新書)を買う。『海の帝国』は昨日の朝刊で網野善彦の『「日本」とは何か』とならべて紹介されていたもの。過去二世紀の東南アジアを海の視点から分析しようとするものらしい。食事しながらイントロを読むが、面白そうだ。栗本薫があとがきで、ニフティの会議室やどこかのウェブ・サイトで自分の人間性に罵詈雑言を浴びせている輩に対して釘を刺している。そうした連中が栗本などをこきおろす動機はたいていは妬みや一方的な恨みであろうから、片方を叩きつぶしたとしても、また別の人間が同じようなことをするだろう。とはいえ、罵詈雑言を浴びせると怖い相手だと想わせることは必要かもしれない。
ミロード上の串焼き屋で昼食。野菜が多くて閉口する。
食事の後、下のくまざわで古屋兎丸の作品集2冊“Garden”と“Wusamarus 2001”(ともにイースト・プレス)があったので買う。『噂の真相』に広告が出ていたもの。この人のものはとにかく「断簡零墨」にいたるまで読みたい。午後から夜にかけて、後者全巻と前者の半分を読んでしまう。前者の後半は袋とじなので後回し。やはり天才なり。
改札前で待ちながら『ハッブル』を読む。というより見る。前回以上に美しい写真が多く、目玉焼き銀河と自然色の土星の写真には息を呑む。表紙にもなっている衝突する二つの銀河の写真もすばらしい。
U氏は定刻に現れ、近くの喫茶店で1時間半ほど打合せ。BSデジタル放送の音楽番組のための選曲の件。仕事が面白くて仕方がないのだろう、よく喋る。とまれ、やってみないとわからない。一応こちらの考えていることは伝える。
4時帰宅。THE BLOOD IS STRONG 2集3集を続けて見る。ドキュメンタリーとしての出来は良くないが、スコットランドやノヴァ・スコシアなどのすばらしい景色をたっぷり見られる。2集で出てくる、カロライナの世界最大規模のハイランド・ゲームズには想わず吹出してしまった。キルトを始めとするハイランズの正装は時代錯誤とは言わないが、どこかずれて見えてしまう。何故なのか、分からない。唯一似合うのはパイパーだが、これは楽器との組合せによるのだろう。
6時前K帰宅。『中谷宇吉郎集』第一巻着。箱が少し大きすぎる。想わず中の一篇「寒月の『首縊りの力学』その他」を読んでしまう。
メール・チェックするとMacOS Xのメーラーで送ったメールもちゃんと届いている。
Diary++ の新版他、エディタ2種類、FavoriteWriter の新版をダウンロード。Diary++ は、わずか 0.1 のヴァージョン・アップだが、機能強化は格段。
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2000年 11月 02日 (木) 雨、寒し。
朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、じゃが芋とウィンナと玉葱のバター炒め、コーヒー、グレープ・ジュース。
朝一番でMacお宝鑑定団のサイトをチェック。WXG4のアップデータが出ていたのでダウンロード。ついでに Amazon.co.jp のサイトhttp://www.amazon.co.jp/に行ってみる。まだ扱っているのは書籍のみ。一部文字化け。メールを送る。
○Susan McKeown, Lindsey Horner THROUGH THE BITTER FROST AND SNOW; Prism, 1997 |
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リンゼイ・ホーナーはアンディ・アーヴァインの最新作にも参加していたジャズ系のベーシスト。曲は二人のオリジナル中心からトラディショナル、バーンズまである。おまけに "Auld lang syne"。ギター、チェロ、ドラムスなどが付くこともある。ホーナーはホィッスルも吹き、センスがいい。ヴォーカルは多重録音でひとり合唱をすることもある。トラディショナルの[04]。ベースとヴォーカルの組合せははふちがみとふなとを連想する(特に[06][12]など)。スーザンはアイルランド伝統音楽、それもうたもので従来採用されてきたフォーマットやアレンジからは明らかに次元が違うこういう組立の方がずっと生きる。アメリカに渡ったのは正解だった。ゲール語も見事なものだが、アイルランドという枠では窮屈過ぎだのだろう。アイルランドから出たものだし、これも伝統音楽の柔軟さの証しであり、伝統音楽の同時代的展開として屈指のものだが、あえて一定の地域やジャンルの冠をはめたくなくなる。スーザン・マッキュオンという一個のジャンルであり、ブランドだ。スーザンの低く太く量感に満ちたヴォーカルもまたアイルランド離れしている。クリスマスを題材とした[06]のようなもろジャズの曲までこなす幅の広さ。そうやはり一番近いのはジューン・テイバーだ。 |
○John Cunningham PETER & WENDY; Alula Records, 1997 |
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ジョン・カニンガムがMabou Mines Company のために作曲したドラマのサントラ。J・M・バリの原作を人形劇に仕立て、ウエンディだけを生身の俳優が演じたらしい。一部トラディショナルも使っている(特に[08]後半と[09])が、ほとんどはオリジナル。メイン・テーマをはじめ、佳曲が多いのはさすが。半分強がインスト。スーザン・マッキュオンはほとんどの歌でリードを務め、例によって見事なうたを披露する。"The crocodile tango" のような歌までうたえるのは貴重だ。 |
昼食は昨夜の残りの豚肉と白菜の蒸煮、ご飯、ゆかり。
カルチュア・パブリッシャーズより THIS IS MY FATHER のサントラ・サンプル。ライナーを読返すが、われながらあまり出来は良くない。全体のパッケージは原盤より遥かに良い。
Irish Music Magazine11月号。
夕食、焼きソバ、葡萄。
Amazon.comで Lindsey Horner を漁るが、一枚しかない。AMG を見ると、スーザン・マッキュオンとはもう一枚共作があるのでAmazon.comとCDNow で捜すが見当たらない。ミュージシャンのウェブ・サイトからたどると、ニューヨークの極小レーベルからのリリースで、注文もマンハッタンの店の住所とメール・アドレスだけが出ている。仕方がないのでメールを送ってみる。Depth of Field というこのレーベルが他に出しているのはジョン・ゾーンがらみが2枚だけで、もう一枚昨年3月に出るとの予告があるだけ。サイトの更新も昨年1月下旬以来なし。在庫があればいいが。
ついでハインラインのノンフィクションを漁る。そんなに多くはなく、インタヴュー、旅行記、政治的パンフレット、エッセイと初期ノヴェラの合本、夫人編集の書簡集など。必読はインタヴューと書簡集だろう。Amazon.comからのメール・マガジンで、ル・グィンの新刊。ReadIreland からのメール・マガジンでモイア・ブレナンの自伝がある。海草についての民話集とともに注文しよう。
カパーケリーの THE BLOOD IS STRONG のライナー、午後遅くから書きはじめ、夜半までで何とか形を付ける。
臨界事故を起こしたJOCの社長はバケツによる違法な処理を「知らなかった」として刑事責任を問われないことになったという報道。一方そごう前会長の水島は架空取引などは「知らなかった」、経営の失敗は「想いもかけず」バブルが崩壊したからだ、だから自分には責任はないと主張しているとの報道。
しかし責任というものは、行為ではなく地位に属する以上、部下のやっていることを知っていようがいまいが関係なく問われるものだ。知らなかったのは無能な証拠で、無能であることの責任も問われなければならない。そして無能な人間を責任ある地位につけたことの責任も問われるべきだ。権力は責任と表裏一体のものとして初めて生まれる。
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2000年 11月 03日 (金) 曇り。
朝食、葡萄パン、炒り卵、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
朝一でMacお宝鑑定団をチェックしたら、Yahoo のウェブ・サイト人気投票に投票してくれとのメッセージ。投票ページに行ってみると、全カテゴリーに投票しなければならないという非合理な仕組みなので投票意欲を失う。新人カテゴリーの候補の中に Listen Japan というサイトがあるので行ってみる。以前、ここの仕事を請負った翻訳会社の仕事に立候補したら、おまえの翻訳は硬いから使えないと断わってきたところだ。Buddy Miller の項を見て唖然。まるで日本語になっていない。バディの共演者は「エミロウ・ハリス」なのだそうだ。自分ではそんなにひどいものではないはずだったから、訳が硬いというのは好みの問題なのかと思っていたのだが、これはもうスタイルとか好みの差ではない。こういうものを求めているのであれば、こちらから御免こうむる。
試訳をやらされたジョン・ゾーンを確認すると、俺が送ったものをほとんどそのまま使っている。一応その分の原稿料はもらっているから文句を言う筋合いではないが、自分のところの方針に合わないから採用できないと言っておいた原稿を使う神経を疑う。数ヶ所、語句を変えているところがあって、改善したことにしているのだろうが、それで翻訳の質が上がっているわけではない。手を入れるにしても採用するならするで、ひとこと断りがあってしかるべきだ。どうもいささか胡散臭いところがあったが、やはりだまされた感じが拭えない。
Kが買ってきた『週刊朝日』で中村うさぎが林眞理子と対談している。林も書いているが、写真で見るかぎり、実に綺麗になっているのに驚く。林があまりに誉めるので文春のエッセイを読みたくなる。
○CATHIE RYAN; Shanachie, 1997, USAmerica/Ireland |
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キャシィ・ライアンのソロ・ファースト。2ndの方が出来は良いと思うが、これもそんなに悪くない。やや軽めで、アメリカンの風味をほど良い。うたい手としてはもう少しパンチというか、存在感を押出す部分があってもいいけれど、若い頃のメアリ・ブラックを髣髴とさせるすなおでよく伸びる声には清潔感がある。シェイマス・イーガンのプロデュースはその清潔なヴォーカルにどんぴしゃのバッキングを用意することに成功している。歴史を変えるようなアルバムではないが、優れたうたい手が身の丈にあった歌をよく練られたアレンジに包んでさしだした佳作。それだけにジャケットはもう少し工夫が欲しいところだ。 |
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2000年 11月 04日 (土) 晴れ。暖。
朝食、チーズ・クロワッサン、葡萄パン、キャベツのバター炒め、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
午前中、2年生の親子触合いイベント。4組の親子で班を作り、構内をスタンプラリー。その後、体育館にて芋汁を賞味。薩摩芋は子どもたちが作ったもの、大根は子どもたちが切ったもの。基本的には豚汁に薩摩芋を入れたもの。薄味でなかなか美味。Mともどもおかわりをいただく。
昼食、カレー(昨夜の残り)、ご飯、ハム、昆布佃煮。
『春秋』11月号、メディアドライブより e.Typist 6.0 などのアップグレード案内。タムボリンよりカタログ。London Review of Books。Good Book Guide。
子どもたち、咳が収まらず。スイミングは振替えることにして休み。
4時過ぎ、K、Mと先発。5時過ぎ、Hと出る。バス、ユニシアから動かず、駅まで歩く。Hも歩きそのものは平気。6時、相模大野・西櫻亭にて、Kの両親と食事。牡蠣入りチャウダー、ロール・キャベツ、ご飯、コーヒー、デザートに南瓜のプリン。8時前、別れる。帰宅8時半。
夜、ラティーナの原稿仕上げ、メールにて送付。11時半前、Kさんから確認の電話。
『春秋』11月号関東のひろさちやの「仏教原理主義の確立」は痛快。仏教は恐竜のように江戸時代に滅んでいる。滅んだのは檀家制度のためである。キリシタン弾圧のため、民衆はすべてどこかの寺の檀家になることを強制された。僧侶と民衆の関係が壊れ、僧侶は葬儀屋になった。その結果、今あるのは葬式仏教と言われるような恐竜が滅んだあとのワニの類だ。その仏教を今に蘇らせなければ、現代日本社会を救うことはできない。そのためにはあえて仏教原理主義を掲げよう。それは仏教の基本にもどり、世の中の都合に合わせて仏教の思想を歪めることをやめよう。基本はまず少欲である。これは資本主義の原理に反する。次に仏子。宇宙の生きとし生けるものはすべて仏の子である。すると、教育制度の中で子どもに点数をつけることはできない。
「『仏教の歴史』によって教わったことは、過去の仏教者たちはそれぞれの状況の中で、それぞれが「仏教の原理」を見出し、それを人びとに説いたことです。各自が、これが仏教の原理である――と信ずるものを確立した。その営みが「仏教の歴史」であり、それがあったが故にともかくも仏教は江戸時代まで存続できたのです。
もっとも、仏教者によって、その人の考える仏教の原理は同じではなかった。対立・衝突はありました。けれども、その対立・衝突が、仏教を存続させてきたのです。世間に迎合しなかったからこそ、対立・衝突があったのです。いや、世間に迎合した仏教に対して、仏教原理主義から痛棒を喰らわせたが故の対立・衝突でありました」05pp.
同誌横内謙介の「納得のいく賭け」、辻内琢也の「気」の臨床:ある癌末期患者の物語」も良い文章なり。
前者は親の反対でと言って芝居をやめる人間が、それによって手に入れるものが何かを問う。かつてはそれは安定した収入と生活だった。今やそれが手に入る保証はどこにもない。
「親や家庭を引き合いに出して言訳する若者を前にして私が溜息をつくのはそこだ。彼らは劇団を辞めることでただ勝負を降りただけのつもりでいる。しかし親のいうことを聞くということも、現代においては一つの大勝負だということがわかっていない。しかもアドバイザーたる親の持つ世界観や幻想は、時代遅れである可能性が高いのだ。その勝負でしくじった時、かれらは親を恨むのだろうか」同誌14pp.
後者は膵臓の末期癌にかかったある刑事の終末医療を本人の一人称と三人称を交えて描く。鍵は情報公開と気のイメージ療法である。それによって残された時間を充実させ、トランスパーソナルな世界を体験し、穏やかに死を迎える準備をする。一人称なので、少々美化しすぎではないかという気にもなるが、一方劇的効果も強い。
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2000年 11月 05日 (日) 晴れ。暖。少し暖かくなるととたんに椿象が出てくる。
朝食、ホットケーキ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
今日の読書欄は3冊。小原秀雄『現代ホモ・サピエンスの変貌』(朝日選書)。ヒーラット・ヴァーメイ/羽田裕子=訳『盲目の科学者』(講談社)。雑誌紹介欄で東北文化研究センター編『東北学』第3号(作品社)。最後のものは注文する。シベリアからアイヌ、九州、奄美、宮古まで覆って列島の狩猟文化の系譜を特集したものの由。「農耕・稲作文化で統一されたと習ってきた列島の歴史に、実はこれだけ豊富な狩猟文化が並行して生きていて、しかもそれが久しく隠されてきた」(芳賀徹)。
『盲目の科学者』は盲目の生物学者の自伝。
「人間は、情報の多くを視覚を通して得ている生きものだが、それに頼りすぎるきらいがある。見えないがゆえに通常見落としがちな細かな点に気づけるとしたら、これは科学者としては、大変な利点だ。/もちろん、日常生活を含めて、多くの困難があることは事実であり、それを乗り越えていく著者と両親をはじめとする周囲の努力は、活字から読みとれるものを遥かに越えているに違いない。しかし、それ以上に、失明者が科学者になるのは無理だろうという決めつけの方が大きな障害だったと著者は語っているように見える」(中村桂子)。
今朝の毎日新聞は前期旧石器時代の石器発掘に捏造があったことを大きく報じている。捏造した宮城・上高森遺跡の調査団長藤村新一氏は大発見を次々にして、「石器の神様」とか「ゴッドハンド」とか呼ばれていたそうだ。が、記事によるかぎり、問題はむしろ、石器の年代決定は出土した地層がすべてで、形式よりも優先すべきだという芹沢長介東北大名誉教授の主張が絶対視されていたことではないかと思われる。出土した地層がどこまで信用できるものか、地質学との協力関係があったのかどうか。
真空管プリアンプの Audible Illusion Modulus2 をナイコムに修理のため送る。
アンディ・アーヴァインの原稿用のCD、LPジャケットをラティーナ・Kさん宛送る。
昼食、シラスおろし、ハムエッグ、豆腐の味噌汁、ご飯。
昼食後、MSI用のライナーを仕上げてSさん宛送る。
○Jacques Pellen LES TOMBEES DE LA NUIT; Naive, 1999 |
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この人の名を初めて知ったのはエリク・マルシャン、パオロ・フレシュとの三人でのアルバムだったが、ブルターニュのギタリストとしてはベテランらしい。副題に"A Celtic Procession Live" とあり、このバンド名ないしフェスティヴァル名で20年活動を続けていて、これはその20周年記念ライヴ。ブレトン・ルーツ・ジャズ/フュージョンと呼んでもいいが、[01][02]のかっこよさはちょっと他では聞けない。トランペットはフレシュ。タブラが入り、エリク・マルシャンが吼え、ブルターニュのあのリピートが恐ろしく切味鋭いグルーヴを生み、ボンバルドやオルガンのミニマルなフレーズが強烈なアクセントで突進する。ドラムスは名前からして明らかに日本人だが、ヨーロッパのジャズ・シーンで活動しているのだろうか。なかなかの太鼓を叩く。クリステン・ノーグの名前を久しぶりに見る。こういう顔になったのならソロを聞きたい。主人公のジャック・ペレンはむしろ後ろに引込み気味で、フロントはボンバルド、フィドル、トランペット。ダン・アー・ブラスの曲では本人がエレキ・ギターを弾きまくる。いずれにしても他のアルバムを聞きたい。タw, ジャック・ペレンの他のアルバムを探してネットをさらったら、Ar Bed Keltiek (The Celtic World) というサイトに行当たる。ブルターニュの音楽、書籍他文化一般のショップ。幸い英語版もあるが、肝心の注文のページがわけがわからない。仕方がないのでメールを送る。ジャック・ペレンの古いCDは一枚しか載っておらず、とりあえずそれを注文。他に、今月のバンドと今月のCDも注文。今月のバンドはKate-Me、今月のCDはMenestraというバンドのDog of Pride。どちらも若いバンドらしい。値段はちょっと高くてCD代だけで2,500円ぐらい。 |
夕食、豚肉小松菜、ご飯。
M、午後から気持ちが悪い、お腹がちょっと痛いと言って、ごろごろする。比較的頻繁にトイレに通うが、便通はない。それでも夕食は昼の残りのシラスをおかずにご飯を食べる。その他おやつに甘栗も食べるが、特にもどす様子はなし。咳は相変わらず。Hも咳が止まらない。寝ると止まったようだったが、11時半頃、また咳込んでいる。
夜、UNIX用の親指シフト・ソフトをネットで捜す。Emacs/Wnn とか SKK とか、かな漢字変換ソフト毎にあるらしい。Linuxの親指シフト化ソフトを中心としたメーリング・リストがあったので、加入してみる。iCab のMacOS X用ヴァージョンをダウンロード。
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