大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 11月 06日 (月)〜2000年 11月 12日 (日)] [CONTENTS]

2000年 11月 06日 (月) 曇り。予報では秋晴れだったが、当然のように外れる。終日厚い雲に覆われる。雨は落ちない。

 朝食、荒挽きウィンナ、キャベツの味噌汁、海苔、昆布の佃煮、和布キャベツ、茹でブロッコリ、卵焼き、ゆかり、ご飯。

 H、ちょっとおなかが痛いと言って朝食あまり食べず。Mはだいぶ元気になり、ふれあい遠足なので興奮して出てゆく。

 クリスティ・ムーアの ONE VOICE によると、ORDINARY MAN 収録の "They never came home" が歌詞の内容に関して訴えられ、裁判所の判決により、発禁とされたそうな。やむなく一度発売されたアルバムは回収され、"Another song is born" に差替えられて再発された。手元のアルバムを見て見たら、オリジナル版だった。しかし今度はこれのCDを買わねばならない。

 前期旧石器時代の石器捏造事件の続報によれば、背景には考古学会の主流派とそれに対立する一派との論争があった由。今回捏造した人物の師匠にあたる芹沢長介氏が主流派と対立して前期旧石器時代の存在を主張してきた。主流派ではこれを否定していたのが、前期旧石器時代どころかさらに古い時代の石器を「発掘」して芹沢派の主張を裏付け、論争に決着をつけたとされてきたのが藤村氏とそのグループなのだそうだ。本人は宮城の上高森の他に北海道の総進不動坂遺跡でも「発掘」した石器はすべて自分が埋めたものだと認めているが、これも毎日がその不振な挙動を写真撮影したためだろう。その2ヶ所以外は全く捏造していないと主張しているが、もちろんそんなことを信じるのは利害関係の強い人間だけだ。しかしこの芹沢という人の言動にはどこか胡散臭いものを嗅いでしまうのは下司根性だろうか。

 上高森遺跡の地層の年代は長友恒人・奈良教育大教授(年代測定学)が「熱ルミネッセンス法」という方法で測定している由。この測定自体には格別疑問を挟むべき根拠は無いらしい。
 しかしこのおかげで出たばかりの講談社『日本の歴史』第一巻『縄文の生活誌』の記述も事実と合わなくなった。
 この件はテレビでも大々的にとりあげはじめた。学問的な影響よりも、遺跡を抱える自治体の経済に対する影響に力点が置かれている感じだ。

○Jon Harvison HIGH DIVING; Drive-On Records, 1998
Jon Harvison  スコットランドのシンガー・ソング・ライターの2ndになるらしい。Robb Johnson など、ブリテンも優れたシンガー・ソング・ライターが出てきているが、この人も一応その流れに属するのだろう。歌そのものはまずまずだが、シンガーとしては一歩下がる。あるいはアルバム作りがうまくないのかもしれない。どの歌も同じテンポ感覚でうたうので、全体が平板に聞える。耳に貼りつく声でじっくりうたうのがはまる曲では説得力を持つが、アップテンポやビートを聞かせるべき歌では失速する。バックではジャネット・ラッセルのコーラスがいい。

○Christy Moore KING PUCK; Equator, 1992
Christy Moore  買ったまま聞いていなかったもの。この頃はピークの一つではないか。と言うよりも、これは彼のアルバムの中でもトップに近い。最後の長いモノローグが全体のバランスを崩している観も無きにしも非ずだが、歌うたいとして差し手引き手を熟知しているこの人ならではの芸だろう。冒頭ジャクソン・ブラウンの "Before the deluge"(なぜか ONE VOICE では "After the deluge" になっている。単なる勘違い?)も曲の良さが光る。ジャクソン・ブラウンの歌も他人がうたうとよさがわかる類。バックも昔ながらの仲間でどんぴしゃの伴奏。ハモンドとピアノの人はあまり見おぼえがないが、なかなかの演奏を聞かせてくれる。やはりちゃんと全部聞かなくては。

 昼食、昨夜の残りの豚肉小松菜、ご飯。

 自宅で死にたいとか、故郷で死にたいとかは全く想わないのは、やはり東京生まれの東京育ちで事実上故郷がないからだろうか。むしろ、死ぬ時には故郷からはできるだけ離れたところで死にたいと思う。

 午後、O医院に架電して、基礎健康審査を申込む。明日朝、朝食抜きで行くことになる。
 レニー・ブルース7章見直して、Jさん宛送る。その後、夕方までレニー・ブルース。
 5時前、MSI・Sさんから電話。あとで THE BLOOD IS STRONG のゲラのファックス。
 子どもたちは元気に帰ってくる。

 夕食、餃子、鶏チューリップの漬け揚げ、茹でブロッコリ(朝の残り)、ご飯。

 夜、プランクトン・Kさんから電話。例の話は12月18〜19日にコネマラのスタジオで録る予定。その前日17日にダブリンでマレードがプレゼンターとなるフィドルのイベントがあり、アルタンやドーナルも集まる由。早速山口さんにメールを送る。

 ラティーナ・Kさんから電話でスウィニーズ・メンのCDを入れ忘れていたことに気がつく。スキャナで取込み送ろうとするが、300dpi ではファイルが大きすぎて、メールでは送れず。150dpi に落して送り、ようやく届く。この間、何度か電話で連絡。

 寝る前にもう一度と思い、Beaters のサイトをチェックすると、更新されている。一応「日記」に目を通し、誤記などチェック。ついでにメール・チェックもすると、オルター・ポップのEさんからバスクのロック・バンドの来日公演の知らせ。そのうち一日は何と厚木の会場だ。どこだ、ここは。

2000年 11月 07日 (火) 曇り時々小雨。

 朝食抜きで医者へ行く。年に一度の基礎健康診査。身長、体重。胸部レントゲン、心電図、血液検査、問診。体重4キロ増。往復歩くと3,500歩。汗ばむ。

 ポーランド Orange World からようやく第二陣のCD6枚。The Living TraditionからCD3枚。The Tradition Bearers のシリーズのもの。カヴァー・レターにピート・ヘイウッドの走書きあり。このシリーズでしっかりした収入をあげられるのではないかと期待しているとあるが、こういうシリーズは続けていってある程度のバック・オーダーが来るようにならないとなかなか売れないのではないか。もちろん、大いに宣伝しよう。

 Amazon.comからCD1枚。スーザン・マッキュオンの BONES。
のざきから先日のマーティン&デニスとの写真。

○Susan McKeown & The Chanting House BONES; PRIME CD, 1996
Susan McKeown & The Chanting House  スーザン・マッキュオンの事実上のデビュー作。バーンズの "Westlin winds" とその原形、ショーン・オ・リアダの "The women of Eire" を除き、本人のオリジナル。アイルランドの伝統とは一度離れているが、アメリカ的なメジャーのポピュラー音楽とも一線を画す。ジャズの要素の方が大きいのは最近のご多分に漏れず、どちらかという一時期のジョニ・ミッチェルを想わせる。リンゼイ・ホーナーも含むバック・バンドも幅広いキャリアを感じさせる。チェロが効果的。ジョン・カニンガムやジェリィ・オサリヴァンのサポートはむしろ控えめ。ハーディガーディがいい。伝統曲をうたう時よりも当然、ヴォーカルの表現の幅はずっと広い。こういう歌を聞くと、今までのアイルランドにはいなかったタイプのシンガーではないか。伝統もモダンも全く同列に、しかも歌の深いところからうたえる。ジューン・テイバーとカサンドラ・ウィルスンとジョニ・ミッチェルを足したような。かと思えばダグマー・クラウゼを想わせるところもある。この後のアルバムでは伝統色が勝つが、リンゼイ・ホーナーとのデュエットはもっと続けて欲しい。もう一枚のアルバムの注文もとへ送ったメールにはまだ返事がこない。

 昼食、えぼだい開き、和布と榎の味噌汁、乗り、ゆかり、ご飯、梨。

○Santic; Dens/Pomaton EMI, 1997, Poland
 Oragne World からのギフトのCDシングル。軽いエスニック系のクラブ/ダンス・ミュージックというところか。ダルな女性ヴォーカルがちょっと面白い。

○Randy Scruggs CROWN OF JEWELS; Reprise, 1998, USAmerica
Randy Scruggs  多彩なゲストを迎えての「宴」アルバムの一種。宴の締めくくりはかの『永遠の絆』同様「青春の光と影」のギター独奏。一聴印象に残るのは、後半でエミルー、ロザンヌ・キャッシュ、ブルース・ホーンスビィ。特にブルース・ホーンスビィの曲は佳曲。どちらかというとカントリーやブルーグラスの印象だった人だが、これはがつんと腰の入った「ロック」だ。実はこの辺がアメリカン・ミュージックの基盤なのかもしれない。

 午後、Claddagh からCD11枚。この枚数だと関税がかからない。単なる書留。THE ART OF UILLEAN PIPING, Volume 3 はCD、ビデオ、ブックレットのセットで、ビデオは当然ながらパル。やれやれ。

○Annbjorg Lien FELEFEBER: Norwegian Fiddle Fantasia; Shanachie, 1995, Norway
Annbjorg Lien  クレジットが何もないが、ギター、パイプ・オルガン、ホィッスルの類が入っている。カトリオナ・マクドナルドやアイリーン・アイヴァースの初期同様、伝統曲をすなおにやっている。そして他の二人同様、それだけでも十分。相棒の Roger Tollroth はリエナ・ヴィッレマルクにおけるアーレ・メラーのようなサポートをしている。ミドル・テンポからスローで、メロディとハーダンガー・フィドルの響きをじっくりと味わえる。カトリオナ・マクドナルドも一曲やっていたが、オルガンとの組合せは意外にはまる。ヒロインのフィドル自体は伝統にしたがったものだが、アレンジはしなやかなセンスを示してモダンだ。[04]は自作曲だが「シーベグ、シーモア」のメロディを一部使っている。アイルランドのミュージシャンとセッションして憶えたらしい。

 夕食、鶏肉とカシューナッツの中華風炒め、かき卵スープ、ご飯、細切り昆布の佃煮。

 夜、ショウ・オヴ・ハンズの先日の二枚組の一枚を聞きながら、9月第3週の日記の整理。

2000年 11月 08日 (水) 晴れ。午後から北風が出て、気温が下がる。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、白菜とベーコンのスープ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Sharon Shannon & Friends THE DIAMOND MOUNTAIN SESSIONS; Grapevine, 2000, Ireland
Sharon Shannon  最近は多彩なゲストを迎えてアルバムを作るのが一種の流行のようだ。ナンシ様の OTHER VOICES 辺りからの傾向とも思うが、トリビュート・アルバムの流行とも関係があるのかもしれない。それ自体が悪いことではないし、様々な可能性を試したいというミュージシャン側の欲求も理解できる。ミュージシャンの中には一つのジャンルや傾向に収まらない表現への欲求は当然あるはずで、それをそのまま形にすることはリスナーにとっても多いに得るところが大きい。同じことの繰返しを避ける意味合いもあろう。
 シャロン・シャノンはもともと伝統のコアの人だが、アルバム作りとしてはかなりいろいろな実験をしてきている。ライヴとアルバムをきっちりわけているのかもしれない。ただ、ふだんライヴに接することの難しいリスナーとしては、もっとごりごりの、彼女本来のコアの部分に凝縮した、それだけで爆発しているようなアルバムを聞きたいという願いもある。だから、どちらかというとゲスト・シンガーのトラックより、シャロンの蛇腹が前面に出たインストのトラックの方に心惹かれる。冒頭のガリシアン・チューンやミホールとジョン・カニンガムの共作になる[08]、そして[09]のメドレー。ゲストではスティーヴ・アールとジョン・プライン&メアリ・ストーントン。ジャクソン・ブラウンはこういうところに入ってくるとどうしても「傍若無人」に聞える。スティーヴ・アールのトラックは彼の先日の新譜収録のものと同一だろう。

 昼食のご飯を仕掛けようとしたら、電気釜の調子がおかしい。コンセントの本体側が接触不良になったらしく、電源が入らない。ある長さにした時だけ入るまことに不安定な状態。何とか昼飯だけは炊ける。

 昼食、エボダイの開き、榎と若布の味噌汁(機能の残り)、ご飯、林檎。

 東京創元社から『江戸川乱歩の貼雑年譜』戦前篇完全復刻版のDM。推理作協の会員向けかもしれない。乱歩が戦時中、創作活動ができなくなったその代わりとして、自らに関する資料を蒐め、スクラップ・ブックに貼りつけて製作していたものの由。内容見本には昭和5年に平凡社から刊行された全集の内容見本を貼りつけたページが出ている。自伝の形としてはユニークで、世界でも例がないのではないか。中島河太郎と中井英夫の二人の推薦文が載っているのが、どこかおかしい。それだけこの企画に時間がかかったわけだ。これで30万というのはいまどきむしろ安い。もっと乱歩に関心があって、懐に余裕があればためらわずに買うところだが。何らかの形の普及版が出れば買ってもいい。

○Norma Waterson BRIGHT SHINY MORNING; Topic, 2000, England
Norma Waterson  改めてシンガーとしての器の大きさに包まれる至福。うたっている方は誰かのオリジナルだろうとトラディショナルだろうと、特に違いを意識しているわけでもないだろうが、聞く方としてはやはりどこかこれがこの人本来の歌、という意識は忍びこむ。イライザとベン・イヴィツキのプロデュースはノーマの大きく深い器を十分に活かしきったとは言えないが、新鮮なサウンドをいくつか生みだすことに成功している。メアリ・マクマスターのエレクトロ・ハープを入れたのはその代表。タイトル曲でのブラスの使用。それにしてもこの自然な歌唱、伝統曲の備える「直接性」をまさに直接に聞くものの胸に注ぎこむ声。"Flower of sweet Strabane" はマーガレット・バリィが出所と言う。マーティンのノートによると、1957年に初めてライヴを見ている。

 2時頃、かものはしから電話。古いMacがお亡くなりになり、以前譲ったiMacからはネットに繋がらないのでどうしたらいいと相談。1時間ほどあれこれやってみる。古い方はどうやら内臓電池切れかHDがお釈迦になった様子。iMacからネットに繋げられないのは分からないので、とりあえずTCP/IPの設定をやり直し、それでだめならシステムの再インストールを薦める。

 夕食まではレニー・ブルース。

 K5時に帰宅。入代わりにダイクマに行き、電気炊飯器を買ってくる。タイガーのもの。うっかりして一升炊きを買ってしまった。ところがいざ炊こうとしてスイッチを入れると凄まじい音を立てる。マニュアルにはブーンというファンの音がすると書いてあるのだが、そんな生易しい音ではない。近くでは会話もままならない。仕方がないのでダイクマに架電。売場の担当者に電話口で音を聞かせると、確かにおかしいと思うので交換すると言う。明日、行くことにする。

 『中谷宇吉郎集 第二巻 雪の研究』着。
 山口さんからのメールで、クリスマスのアイルランドは活動停止状態になるとの注意。さんざん悩み、何度も書き直して返事を出す。本音としては後半の方がいいのだが。
 ARENA 2.0 のβが公開されたのでさっそくダウンロードして試用する。今のところ、特に支障はない。

2000年 11月 09日 (木) 曇り。

 朝食、パン焼き機で焼いたパンにハムを載せたもの、バナナ、ハム・ライス、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝方、パン焼き機が作動する音で驚いて目が覚める。4時。はじめに生地を捏ねる際に凄まじい音がする。仕方がないので玄関の方に持ってゆき、間の戸を立てる。しばらくして捏ねが終り、静かになる。

 Kを送る。歯科。左下続き。前回植えたベースと虫歯を削り、型をとる。一度家にもどり、車でダイクマ。電気炊飯器を交換。そのまま駅前に出て、銀行2軒。カード代金を口座に移し、らっぱ堂にスペクトラルの修理代金を振込む。くまざわにて文庫2冊。外間守善『沖縄の言葉と歴史』(中公文庫)。中村融・山岸真偏『20世紀SF(1):1940年代』(河出文庫)。どちらも出た時に買っておかないと手に入りにくくなる。しかし文庫も千円が普通になってきた。

 ミロード上の鰻屋で舌麦トロ定食。オレンジ・ハウスでコーヒー・フィルタ。帰宅12時半。
 創元・Yさんから Nuala O'Faolain ARE YOU SOMEBODY?。F&SF10月特大号。久しぶりにケイト・ウイルヘルムの中編。読んでみようかという気になる。東京エムプラスから注文書。今回は特に無し。しかし、あそこはどうやらこちらの注文は無視しているらしい。

 音友・Sさんから電話。短縮授業でH2時半帰宅。Mは1時半頃電話をかけてくる。
 午後、レニー・ブルース。9章あげる。

 5時頃、かものはしから電話。無事ネットに繋げた由。結局プロバイダの認証方式の変更があったらしい。iMacの内蔵モデム用スクリプトの問題もあったらしいが、それとは別とのこと。30分ほど話していたら、Kがタクシーで帰ってくる。電話をかけると呼出し音は鳴るのだそうだ。仕事部屋のB&Oの電話で話していると、通話中にならないのかもしれない。もちろんこっちでは電話のベルは鳴らない。

 夕食、鰹の叩き、帆立てのフライ、隠元胡麻和え、榎と若布の味噌汁、ご飯。

 交換した炊飯器は無事作動。タイマーを仕掛ける前に試しに炊飯のスイッチを入れたが、今度は妙な音はせず、低くぶぅーんと鳴っている。

 iMacで久ぶりにLinuxを立ちあげようとしたら、またイメージ・ファイルが見つからんぞと出てしまう。
 夜、松井ゆみ子さんに架電。

2000年 11月 10日 (金) 曇り。

 朝食、ハム・トースト、肉饅、餡饅一個ずつ、コーヒー、プチトマト、グレープフルーツ・ジュース。

 ゴミを出しに行くと小学校の土手のコンクリートに二年生ぐらいの男の子が靴もはかず、正座している。一度家にもどるが気になってまた出てゆくと、同じ階段の顔見知りの老人がしきりに話しかけている。が、何を聞いても首を振るだけで喋らない。通りがかりの人が駐在所に告げたらしく、巡査が来るがやはり何も答えない。小学校の職員室に行き、教頭さんと教務主任のTさんに告げると、教頭さんがすぐに出てくる。顔を見て、抱きかかえ、保健室に連れていった。後で電話があり、ちょっと変わった子で、何かあると固まるのだそうだ。いつもは校内で起きるのだが、今回は外で起きたのでちょっと騒ぎになった。

○John Prine LIVE ON TOUR; Oh Boy Records, 1997, USAmerica
John Prine  新作が出たので買ったまま聞いていなかったこれを聞いてみる。始めバンドをバックに本人のヴォーカルが引込んでいる感じで気に入らなかったが、後半、ソロやアクースティック編成のバックになって好きになる。声がずいぶん掠れた感じ。こうなると悠々とうたうだけで様になる境地。"Illegal smile" はよほど人気があるのか、場内大合唱。ただ、この人の場合、むしろスタジオで作り込んだものにじっくり耳を傾ける方が性に合う。新作はシンプルな編成らしいから期待。

○The Village Band LIVE AT VILLAGE; Imogena, 1991, Sweden
 リエナ・ヴィッレマルクが参加したジャズ・バンドのライヴ。リエナは4曲でヴォーカルを披露している。うち一曲は英語のスタンダードで、こういう歌をうたわせても見事なもの。後の3曲はスウェーデンの伝統を昇華していて、特に[02]と[07]。編成はテナー・サックス、トランペット、ギター、リズム・セクション。水準はすばらしく高く、どのメンバーも一騎当千。リズム・セクションとはいうものの、ピアノがリードをとることも多い。この辺のジャズの人たちはジャズの中にもある役割分担とか、この楽器はこういう風にやるべしといった枠からは簡単にはずれてゆく。もう一つ、アメリカのジャズのような肉体からそのままあふれるぎとぎとしたところが少なく、知性を働かせた透明感があるにもかかわらず、あまたでっかちにならない。これも不思議といえば不思議。それにしてもリエナの歌から放たれる生命力、躍動感は無類だ。ジャケット写真を見ると、他が全員男性ということもあろうが、とび抜けて小柄だ。

 午前中、レニー・ブルース8章見直し。

 昼食、笹かまぼこ、プチトマト、隠元胡麻和え(昨夜の残り)、ご飯。

 1時頃、教頭さん来訪。来年のPTA人事の件。30分ほどで帰る。
 午後、創元・Kさんに架電。『レンズマン』は柴野さんがやっておられる由。楽しみ也。
 午後、中山さんが電話してきて、夜ベーコンを届けに来ると言う。9時半頃来て、本当にベーコンだけ渡し、借りていたCDを受取って消える。Chris Smither の新作、ダブったのでと置いてゆく。

 夕食、ハンバーグ、大根卸し、目玉焼き、葱の味噌汁、菠薐草胡麻和え、プチトマト、ご飯。

 skkが親指シフト化されていることを知って以来、気になって仕方がない。あれを使うにはLinuxを使わねばならない。久しぶりにVine Linuxのサイトを見ると、今月17日に2.1CRが発売になるというが、12,800円は高い。雑誌収録を待つか。

 11時過ぎ、プランクトン・Kさんから電話。18〜19日の件が、クライアントの都合で、12月頭にならないとはっきり決まらない情勢とのこと。と聞いたとたんに行く気がなくなる。が、これは物事が予定通り行かないとやる気がなくなるわがままの悪い癖が出たと思いなおし、ぎりぎりまで待つことにする。ただし、それに山口さんを巻込むのは申し訳ないので、事情を説明したメールを出す。

2000年 11月 11日 (土) 晴れ。風強し。

 8時半起床。その前からK、洗濯物を干している。

 朝食、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム、昨日中山さんが持ってきてくれたベーコン、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、菠薐草胡麻和え(昨日の残り)。

 M、子供会の行事で学校へ。K、買物。

○Ian Anderson THE SECRET LANGUAGE OF BIRDS; Papillon, 2000
Ian Anderson  ジェスロ・タルのリーダーだろうか、フルートを吹くし、この声は憶えがある。今さら何をと思ったが、これが失礼ながら意外に良いのだ。どこといってとりわけ抜きんでているわけではないが、歌つくり、歌うたい、アレンジ、それぞれのセンスとバランスがいいのだろう。とはいってもバンドではなく、本人と Andrew Giddings というキーボーディストの二人だけでほとんど作っている。何曲かドラマーが入るだけ。中近東風の曲があったりするが、基本的にはイングリッシュ・フォークの路線。いまどき、こういうやり方もあったのか、意表をつかれた。

 朝一番でメール・チェック。山口さんから、12月後半いつでも良いとのメール。ありがたいことである。

 教師のメーリング・リストから別れる形でできた、生徒と保護者と教師が共通の場で語合おうというメーリング・リストにボーイスカウトの話が出てきて、そこに引用された辞典からの定義では、スカウトの創立理念は「おもに戸外活動によって克己・忠誠・従順・勇気・親切などの美徳を養い、善良な公民として社会に奉仕する人物を養成」(三省堂New Crown英和「Boy Scouts,the」の項より)なのだそうだ。これは英和辞典からの引用だから、アメリカのものの理念と思われる。わが国の理念も共通だとすれば、やはりボーイスカウトそのものは19世紀的理念の産物になる。「忠誠」や「従順」を「美徳」としているのは今の時代には合わない。と言うよりもこの理念の背後にはカトリック的な匂いがする。われわれが必要なのは社会を指導する市民だ。

 ちょっと調べてみたら、ボーイ・スカウトを創立したのはアメリカではなくイングランド人の Robert Baden-Powell, 1st Baron (1857-1941) で、この人はインド、アフガニスタン、南アフリカと転戦した軍人だ。南ア戦争で軍功を挙げて中将にまでなったが、ボーイ・スカウト、ガール・スカウトを組織するために退役した。Scouting for Boys (1908) という著書がある。となるとボーイ・スカウトは英国の帝国主義に「奉仕」するための人員を育成するところから生まれているわけだ。これはなかなかに興味ある出自ではある。

 ところでこの発言は塾の講師からのものだが、やはり学校教育に対する見解は柔軟性がない。と言うよりも学校教育制度を肯定するものになっている。当然といえば当然だが、こういう見解から塾の講師が生まれるのだろう。

 LinuxでのEPWING辞書の検索ソフトをあちこちさがしてみたら、結局 Vine Plus のドキュメントで見つかる。KDE のアプリで一つあるが、他にもあるのだろう。
 しかし考えてみると、このDiary++が使えなくなるわけだ。Mac-on-Linux で使えばいいのかもしれないが。

 午後後半から、文化放送BSのための選曲とダビング。ソニーのCDプレーヤーがハリス・アレクシーウのアルバムでぱちぱちというノイズを立てるので、マイクロメガに変える。やはりこちらの方が音楽が深い感じがする。10時までかかってMD1枚分、18曲選曲。前半はヨーロッパ一周。後半はアイルランド、スコットランドの最近の国内盤と最新作中心。

 夕食、ハンバーグ、厚揚げ、蜆汁、隠元胡麻和え、ご飯。

2000年 11月 12日 (日) 晴れ。夕方から曇り、気温下がる。

 朝食、ベーコン、炒り卵、ロール・パンに苺ジャム、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝刊で養老猛司が「旧石器捏造事件」について、さすがに鋭いことを書いている。ひとことで言えば現代の科学が業績主義に陥った弊害なのだが、わが国ではことに科学に「実績」を求める。口では「基礎研究」の重要さを説きながら、実際には「役に立たない」研究には一顧だにしない。
 「科学がこうなったことを、喜ぶべきか悲しむべきか、私にはわからない。ともあれ私は個人的にしか考えないようにしている。虫を集めていれば、個人でもある程度はできる。だから例えば日本では、アマチュアの虫好きが多いのであろう。その数を見れば、日本人が科学が嫌いなわけではないと思う。無論理科離れどころではない。ただ、そうした興味が社会とどこか折り合わない。公的な仕事にならないからである。
 豪州であれば、キャンベラに国立研究所の昆虫部門がある。そこでは400人のスタッフが働いている。所長からそれを聞いたとき、私は人数が一桁間違っているのではないかと思った。人口比から言っても、そんなに多いはずはない。つまり社会が置いている力点、価値観が違うのである」(毎日新聞13版3pp.)
 書評欄で面白そうな本が三冊。というより面白い書評が三本。
 池澤夏樹の『ザ・ビートルズ・アンソロジー』(リットーミュージック)。小西聖子の『ブレンダと呼ばれた少年』ジョン・コラピント/村井智之=訳(無名舎/マクミランランゲージハウス)。三浦雅士の富岡多恵子『釈迢空ノート』(岩波書店)。

 まず池澤夏樹。
 「まるでサーフィンを見ているようだ、というのが読みながらの感想だった。超一流のサーファーが大きな美しい波の上に乗って、華麗な妙技を延々と見せる。絶対の自信とバランス感覚でウェイブ・ライディングを楽しむ。それが十年間続いた。
 ではその波とは何だったのか。あれは世代間の力関係が逆転するという一種の革命だったのではないだろうか。それまでの社会はぜんたいとして中高年が支配してきた。若い者にはほとんど権限が与えられなかった。二十歳代はまだ半人前扱いだった。しかし、六〇年代以降、その若い人々が社会の動向を大きく動かすようになった。全世界で社会の重心が若い方へ大きくシフトした。
 先進国で量産と量販という経済システムが本格的になったのが大きい。若者は消費者としての自分を意識し、その力を遠慮なく発揮するようになった。その象徴がビートルズのブームだった。
 歌は自己表現である。作詞・作曲・演奏だけでなく、聴くこと、ファンになること、コンサートに行って叫ぶこと、ドーナツ盤やアルバムを買うことなども自己表現になった。それと前後してアパレルなどもろもろの消費行動が正面に出てくる。今の先進国・中進国の社会の雰囲気の基本形が作られた。
 (中略)
 本人たちによるこの回顧は四人がいつもユーモアの衣裳をふわりとまとっていた点を強く印象づけるものだ。いつでもふざけちらして、邪魔するものをからかって、急場をしのぐ四人組であった。だからフィリピンのようなユーモアの通じない軍事独裁国ではしごく居心地の悪い思いをしている。
 ユーモアとは『女王が来た時よりすごい人出だ』という周囲の言葉に『女王にはヒット曲がないもの』と答えることだ。そうやって大人を挑発し、やんわりとからめ取っていく。このしなやかな権力奪取、溌剌たる無血革命を世界中の若い人々が熱狂と絶叫で支援した」(毎日新聞13版10pp.)
 小西聖子。この本は出生直後の医療ミスでペニスを失った少年が女性として育てられ、一時は幸せに暮していたと見られていたのが、14歳で男性となることを自ら決意し、男性名を名乗った。その実話の報告。この少年の事例はジェンダー・アイデンティティが後天的に獲得されることの証拠とされた。それに基づき、曖昧な性器を持っていたり、ペニスのない男児が女性として育てられていた。件の少年は睾丸も切除され、女性ホルモンを投与されて、ブレンダとして育てられた。しかし自分は男性であるという意識を失うことはなく、14歳の時、デヴィッドと名乗る。一方で生まれた時の身体がすべてを決定することでもないと言う。遺伝子形は男性、完全な女性形の身体を持って生まれ、女性として育てられ、なおかつアイデンティティは男性という人間もこの本の中で紹介されている由。
 「脳や性の発生の生物学的研究によって『先天的』という言葉は解体されつつある。性のアイデンティティの形成には、胎児における脳の性の分化が重大な役割を担っているのだが、こういう『先天的』な問題にも、遺伝子だけでなく、ホルモンやその動態に関わる多数の要因が存在することが明らかにされてきた。もちろん『後天的』な要因も存在するから、性のアイデンティティの分化とは実は非常に複雑で多様な結果を持つものなのである。ブレンダ→デイヴィッドの成長の写真を眺めつつ、男―女の単純図式を改めよう」(毎日新聞13版10pp.)
 この「先天性」の解体の具体的内容をわかりやすく紹介した文献はないのだろうか。
 しかし今読んでいる『海の帝国』でも明らかになっていることだが、アイデンティティをできるだけ少なく、単純に絞ることが統治する側にとっては不可欠の要請ではある。権力者にとって、いろいろな人間がいては困るのだ。例えば学校にとっては、男か女かどちらかでいてくれなくては困る。そして19世紀、シンガポールにおいて「マレー人」が作られたように、学校において「男の子」や「女の子」が作られてゆく。性の問題は思春期だけではない。目覚める前の人間が「無性」あるいは「中性」であるはずはない。

 三浦雅士の釈迢空も性に関わる。釈迢空が同性愛者だったことは今回初めて知った。「ただし、男と女、男と男、女と女、いずれの組み合わせであっても、『恋』の思いとその行動に組み合わせゆえの特殊性があるとは思えない」と著者は断っているそうだ。これは真理であろう。同時に、人間の行動に性の違い(とその間のあらゆる階調)ゆえの特殊性はない、との普遍化も可能だ。いや、性というのは男性と女性が両極ではないのかもしれない。言わば男性の向う、女性の向うもありえるのかもしれないし、またその位置関係は一次元や二次元ではなく、少なくとも三次元だろう。
 「まさに離れ業だが、それが可能になったのは、短歌という形式に正反対の方向からかかわったもう一人の大阪人、小野十三郎が著者の身辺にいたからである。また著者自身、大阪人だったからだ。都会人の含羞がもたらす顕示と隠蔽の逆説。その確認が最終章『ノート10』だが、しかしその確認の背後に、短歌とは精神の問題である以上に身体の問題であるという認識が潜んでいる。短歌とは『カラダで覚えた遊芸』なのだ。折口も小野も、そして著者も、その認識では一致している。恋もまたその『カラダ』がするのである」(毎日新聞13版11pp.)
 昼食、吉本家で葱味玉ラーメン。今日はことさらに辛かった。昼食の前に図書館に行き、借りっぱなしだった本を返却。
 午後、K、子どもたちを連れて買物などに出かけるが、どこかでPHSをなくしたとかで、帰ってきてHにあたる。Hは反発してやまゆりのスチロールの箱を蹴飛ばし、大穴を穿ける。こういう穴を穿けられるようになったのだ。

 夕食、牛肉金肥等、大根の葉の味噌汁、ご飯、ゆかり。

 終日、BSQRのための選曲とダビング。夜9時終了。聴直しながら、半分までコメントを書く。始めの方で二、三、録音悪いものあり。これはソニーのCDプレーヤーがおかしかったようで、以前、途中でノイズが入るようになっていたのを忘れていた。よって、ソニーはあえなく引退。

 昼食後、白泉社・Iに頼まれたもの、仕上げてメールで送る。夕方6時頃、電話。

 例の石器捏造事件で、Iは史学科だったので、遺跡の発掘がいかに報われない仕事かよくわかっていて、だから捏造した彼には同情すると言う。確かに日本の歴史科学の中で考古学は不当に扱われてきているようだ。Iに言わせれば、発掘して大学教授になった人間はいない、となる。
 いずれにしても、今回の捏造事件は歴史学、考古学全体のあり方の根本が問われている。

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