大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 11月 27日 (月)〜2000年 12月 03日 (日)] [CONTENTS]

2000年 11月 27日 (月) 晴れ。暖。

 朝食、ハム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 秦野市の秦野文化会館でのPTA県連合の大会のため、8時15分に家を出る。

 11号棟の前で、一緒に行く他の二人のメンバーと待合せ。東西の秦野村が合併して市になっている。現在人口17万弱。産業は農業と林業。日立の工場がある。9時半集合と案内にあったので早めに出発したので9時には着いてしまう。が、実際には10時まで受付けで、始まったのは9時45分のビデオ上映。このビデオは小田原の中学校でのちょっとした事件に取材した短いもの。

 何でも運動会のクラス対抗大縄跳びで、一人だけ跳べない子がいて、その子を外す外さないの議論をクラスの中でしたところ、最後にはみんなの気持ちが一つになって跳べた、という話。お涙頂載的な構成になっているのと、肝心の跳べない理由がまったく描かれていないので説得力はない。来賓祝辞のうち、先頭の県教育長の話が長くて退屈。中身もなし。もっとも祝辞の中身がないことは、他の二人、中学校長会長と秦野市長も似たりよったり。

 秋山仁の講演はほとんどライヴを見る感覚。話の内容はそれほど特別なことを言っているわけではない。教育の原点に還れ。どういう人間に育ってほしいのか。それによって求められる教育も変わってくる。自分の考えではわれわれが求めるのは、自分も歓び、それによって他の人びとも歓び、できれば全世界の人間も歓ばすことを人生の目標とする人間である。そういう人間を育てるためには、勉強=学問はその面白さを体験させてあげればいい。細かいことを型にはめていちいち教える必要はない。周囲の世界を知る感動をできるだけ多く体験させてあげることだ。そのために教科内容を削減したのはそのためだ。円周率が3になったなどというのは、学習塾の車内広告によるプロパガンダだ。

 学校時代の成績が悪かろうと、生きていける。その実例がここにいるこの私だ。高校の全国模試で、ビリから21番だった。英数国の合計点が10点。しかし数学は好きだった。好きな数学をやれるためにはどうするか。数学者になればいい。そうしてつづけているからいま今日のこの私がいる。

 まくらにしたアジアの大学生とわが国の大学生の違いの話は面白い。マニラ、クアラルンプル、中国・山東省の三つの大学で、一週間ずつ、集中講義をやった体験。初めて海外の大学の客員教授を務めたミシガン州立大学での体験。学生たちは皆勉強しに大学に来ている。自分を高めるための、力をつけるためのものとして必死になって勉強している。ミシガンでは講義に3分遅れてゆくと学生たちから遅すぎるとブーイングを受ける。日本では早すぎると文句を言われる。マレーシアではタクシーの運転手の給料(日当)はガソリン代よりも安い。かれらには人生の目標がある。夢がある。例えそれが、妻と6人の子どもたち、それに両親の家族に一日最低一度食事をさせたい、というつましい、厳しいものであってもだ。

 午後の分科会は父親の参画がテーマ。秦野市立北小学校の事例発表。条件が整いすぎていて、参校にならない。それに父親が参加して、学校のハードウェアを整備するのが、本当に意義あることか。ハードの整備は行政の仕事のはずだ。一つ、参考になりそうだったのは「親子防災キャンプ」。学校が避難所になった時を想定して、その体験をし、毛布を持ちこんで学校に泊り、備蓄食糧を食べる。同時に応急手当、消火器の使い方などを体験学習する。

 3時半に終了。他の二人とは分科会の始めに別れていたので、バス停まで歩く。渋沢行きのバスで、渋沢駅に出る。新宿に出る。1時間半。ほとんど眠っていた。さすがに眠り甲斐がある。「王ろじ」に行ってみる。前の店舗も気がつかなかったがビルだったらしい。味は変らず。値段もそんなに変わっていない。少し上がったか。とんかつセット(とんかつ、王ろじ流豚汁、ご飯、王ろじ漬け)。店名の由来は「路地の王様」だそうだ。メニューの裏に昔の店舗の写真がある。十二社が発祥で、現在の場所に来たのは1950年頃。今の店舗は三代目らしい。

 タワー・レコードでモーリン・フェイのインストア・ライヴ。会場の7階イベント・スペースに行くと、レイが楽器をセッティングしていた。裏に入り、モーリンに挨拶して少し話す。出て来るともう何人か集まりだしている。上に行き、ワールドのコーナーで5枚ほど。一枚は『ラティーナ』からレヴューを頼まれたユーゴのサックス奏者フェルース・ムスタフォフの新しい方。

 下へもどってみると、音合せの最中。2、30人は集まっている。プランクトンのI君がシャロン・シャノンのチラシを配っている。Hさん、Sさん夫妻。後からタッド、荒田さんも来る。顔は見たことがあるが、名前を思出せない人がデイヴィ・スピラーンのチラシも配っている。期日が12月5&6日と聞いていたが、6&7日になっている。共演は何と何とケヴィン・グラッキン!

 3人は一度引込み、のざきさんがアナウンスして、7時少し過ぎに出てくる。実はあまり期待をしていなかったのだが、モーリンは『リヴァーダンス』のステージとはまるで別人で、すばらしいフィドルとなかなかの歌を聞かせてくれた。アメリカで活動していたせいか、ブルーグラスが大好きで、そういう曲をやる時には全くのブルーグラス・フィドルになる。楽器はドイツ製で1870年代のものだそうだ。最近はいい楽器がなかなかなくて、相場は高騰しているらしい。それだけフィドラーが増えてきていることもあるのだろう。

 二、三曲目だったか、ケリィのポルカのメドレーをやったのがすばらしく、一気に乗れる。3〜40人集まっていたのに、音を聞いてか、後から来る人も何人もいて、最終的には50人は越えていただろう。ステージ前のスペースがあまりないので、脹れあがることはない。こういう所だと若い男も結構いる。クリスもいいギタリストで、モーリンとの息の合い方もぴったり。とはいえ、やはりレイが入ると全然違う。レイはローランドの電子ドラム、電子バス・ドラ、普通のスネア、それにスプーン。後で見たらローランドのやつは、表面がいくつもの枠にわかれていて、そのそれぞれで出す音を調節できるらしい。

 レイはローランドの大ファンで、音友のSさんが今ローランドの創業者の自伝を担当しているというので打上げの時、盛上っていた。客には ariko さんがお仲間と来ていたし、Robin さんも来ていた。やはりレイがいいねーと言う。30分強のステージで、歌も2曲「シューリ・ルウ」と "Bantry girls' lament"。前者はちょっといつもより早いテンポで軽やか。最後は "Bucks of Oranmore" を、モダンに展開。まことにおいしいギグだった。

 終ってからCD購入者対象にサイン会をやる。結構並んでいて、本人たちも楽しみながらやっていた。一緒に写真を撮る人も何人もいた。一組、60代と思われる夫婦がいる。小学校一年ぐらいの息子を連れてきていいて、その息子のジャケットの背中に三人のサインを入れてもらっている男性がいる。レイはかわいいドラムの絵を入れる。この人はずっとビデオを回していた。持参したヴァイオリンにサインしてもらった若い男性もいる。

 Sさん夫妻、タッド、荒田さんと打上げ会場に先乗り。後から、プランクトン・Kさん、T、カメラマンのIさん、たしかさIさんのパートナーのグラフィック・デザイナーの女性が合流。予定より人数が増えて、もっと広い席へ移るのでマニュアルからはずれた対応になったらしく、店員の若い男たちがあわてふためいている。こういうのも訓練不足だ。

 モーリンは和食が初めてということで、寿司など恐る恐る食べている。みんなおもしろがって、あれこれ説明して薦める。クリスは結構平気で何でも食べる。

 クリス・ケリーによると、グリーン・リネットは Reel Time の印税を一銭も払っていない。だからモーリンのアルバムは自主レーベルで出したし、リールタイムの契約としてはまだアルバムは残っているのだが、次のアルバムをどうするかは決めかねている。19日にはゴールウェイにもどるとのことで、向うでの再会を約す。

 終電で帰宅。

2000年 11月 28日 (火) 晴れ。

 朝食、葡萄パン、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 午前中、PTA役員会。

 昼食、帆立て刺身、キャベツ味噌汁、牛蒡梅和え、ご飯。
 昼食後、ニーヴ・パースンズのテープ起こし続行。3時半終る。
 夕食、ハヤシライス、梨、蜜柑。

 夕方からニーヴ・パースンズのインタヴュー原稿まとめ。夕食前あげて、ラティーナ・Kさん宛送付。後で確認の電話。

 MSI・Sさんから『海豹乙女』の原稿は遅くとも木曜までにというメール。夕食後、手をつける。語りの部分ももともと子ども向けだから、実に聞取りやすい。

 10時頃、中山さんから電話。アイルランドに行くスケジュールの確認。われわれより少し早めに行くらしい。向うのどこかで会えればという話。例によって雑談。『ミュージック・マガジン』の編集のいちばん若い男性に面白いやつがいて、アラン・ロマックスをやりましょうと言ってきた由。

 そこから話がわが国の「音楽ジャーナリズム」の本質とか、Amazon.com上陸の衝撃とか、あちこちに飛ぶ。いろいろ話しているうちに、インターネットによって既存のメディアが役割を喪失している、少なくとも従来の役割を喪失している今、われわれは何をなすべきかという話になり、ようやく前方に薄明かりが見えてくる。ナヴィゲーションは言うは易く、行うは難い。しかしおそらくわれわれに何か役割があるとすれば、それしかないだろう。そしてナヴィゲーションは漠然とした方向性を指すだけでは足らない。はっきりこのアルバムのこの曲を聞け、と言わねばならない。という結論が出て、1時過ぎに電話を切る。

2000年 11月 29日 (水) 晴れ。やや雲あり。

 朝食、葡萄パン、ブルーベリィ・ジャム・トースト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、胡瓜味噌添え。

 リンク・クラブより Holon Linux 2.0 豪華着。
 昨日来た『大分県アイルランド研究会会報』を開けてみたら、最新号の7号の巻頭で大野光子さんが寄稿されていた。ご息女がブルターニュの男性と結婚され、婿方の家族と会うためにブルターニュを訪問された印象記。ロリアンの汎ケルティック・フェスティヴァルでダン・アー・ブラスのコンサートを見聞されて、文化とナショナリズムの関係を鋭く考察されている。

 国文社・Nさんから、ブラウン本の書評の載った『學鐙』12月号が回送されてくる。丸善の発行しているフリー・マガジン。評者は外語大の鈴木聡氏で、行届いた書評だ。翻訳について「良心的」と評価してもらえたのは嬉しい。人名について訳註が必要との指摘はその通り。やはり、ウェブ・サイトで対応を考えるべきか。人名表記の誤り指摘一ヶ所。どんなに簡単に見えるものでも辞書は引かねばならないという教訓。

 ARENA 2.0 Beta2 がリリースになり、さっそくダウンロードして使ってみる。ボタンなどのグラフィックが Aqua 風になってきれい。
 MacOS Xのニュースから MacWire の記事を見ると、GTK が Aquq に移植されたか、されているところらしい。とするとMacOS XでGNOMEが使えることになる。この場合、Aqua がウィンドウ・マネージャになるのかしらん。

○Feruse & Milan ORA I COCECI; Biveco/Ondo, ?/2000, Macedonia (sample cassette)
 『ラティーナ』のディスク紹介で依頼されたフェルース・ムスタフォフのアルバム2枚のうち、新しい方。東さんのライナーによれば以前に一枚紹介されて、サックス奏者も含め、一部にはかなりの反響があったらしい。バルカンの超高速パッセージは変らないのだが、こちらはバルカンでも南部のセルビアやマケドニア方面のバンドの由で、ルーマニアに比べるとアラブの影響があって、テンポはややのんびりしている。ソロはカッ飛んでいるが、バックのリズムやグルーヴは盆踊りの雰囲気がある。ファンファーレ・チョカリーアあたりだと時にあまりのスピードに息苦しくなることがないとは言えないのだが、こちらのライヴだといつまでも揺られてトリップできそうだ。ミランは永年いっしょにやっている相棒の蛇腹奏者で、こちらも相当なもの。

○Feruse Mustafov FERUSE THE KING; Biveco/Ondo, 1999, Macedonia
Feruse Mustafov  こちらの方が前のアルバムらしい。メンツもやっていることも基本的に同じ。メロディにどことなく親しみやすさがあるのは何だろう。アラブの要素という可能性はあるだろうか。昨日今日出てきた新人ではなく、ウェディング・バンドとしてプレゼンテーションのツボを心得ていることもあるのかもしれない。ユニゾンとフェルースのソロをだいたい交互にやっている。コール&レスポンス的なところもある。ドラムスとダラブッカとエレキ・ベースのグルーヴが気持ちよくて、ほとんどドラッグになりそう。

 IT基本法なるものが国会で成立したとの報道。パソコンやインターネットの使い方の講習会などをやることになっているらしい。しかしそんなことに時間と労力を注ぎこむよりも、老人から子どもまで誰でも使えるようなソフトを開発する方が遥かに資源の有効利用だろうし、後世への財産にもなるのではないか。ベースはすでにトロンという形であるのだから。

 亀井静香がまたぞろ株価操作をしろと言出したという報道。わからないことをわかるふりをしてやるよりも、得意分野である政治に精を出したらいいのに。政治とはつまるところヴィジョンの提示なので、そんなに公共事業が好きならば、50年とは言わないから十年後の公共事業のあり方を提言してごらん。

 来年からの省庁統合のために、総務省だとかの入る新しい統合庁舎が完成し、今日そのお披露目式があったそうな。650億円もかかったそうだが、いつの間に造ったのだろうか。今まで使っていた設備はどうするのだろう。今までの設備では省庁統合はできないという説明も聞いた覚えはない。それともどこかに発表していたのだろうか。

 終日カラン・ケイシィ&フレンズによる SEAL MAIDEN の語りの翻訳と歌詞対訳。4時頃、最後の結論部分の聞取りが抜けていることを発見し、Sさんに連絡。とりあえず歌詞対訳の全部とある分だけの語りの翻訳原稿を送付。

 イアラ・オリオナードがシャン・ノースを2曲ほどうたっていて、はじめはいいと想っていた。が、今日、歌詞を追いながらよくよく聞いてみると、どうも変なのだ。アクセントのあるところは声を張りあげて伸ばしているのに、その他のところはほとんど喋っている。一見(一聴)メリハリはついているが、シャン・ノースは本来こういうメリハリをつけるものではないのではないか。というより、どうも聞いていて声を伸ばすところとそうでないところの差が大きすぎ、だんだん鼻についてくるのだ。もっと微妙な音の動きというよりはゆらぎが聞きたいし、ゲール語の響きの美しさは単音ではなく、いくつもの音の繋がりから生まれる気がする。

 その典型はカラン・ケイシィがうたう "The song of the seal" のコーラス部分で、特に意味はないようだが、実にもう脳の視床下部に直接響いてくる。そのまま溶けてしまいそうだ。とりわけこの歌はギター伴奏が見事で、ゆったりとしたテンポで坦々と弾いてゆくガットのサウンドとこのカランの声の組合せは、この世のものとも思えない。
 マーティン・ヘィズ&デニス・カヒルの "Port na bPucai" もさすがの演奏。久しぶりにやっていて、本当に楽しい仕事。

 先日メールの返事が来た Downtown Music Gallery にスーザン・マッキュオンの残りの一枚、リンゼイ・ホーナーとのファーストを注文するファックスを流す。

 夜、Holon LinuxをiBookにインストール。これはpdisk でパーティションを切る方式。なので、一度Mac側で作っておいたパーティションは削除し、新たにパーティションを設定。pdisk は使いやすい。パーティションの先頭位置の指定が楽。はじめ/と/usrと/homeを設定すると、いざインストールという時に「/usrの空き領域が足らない」と出る。pdiskにもどって切りなおしてもだめなので、結局/と/homeだけにして、/に1.8GB割当てたら大丈夫になった。インストールは十分足らずで無事終わり、再起動。ところが、/homeのマウントで super-block が読めないのでマウントできない、とメッセージが出る。今日はここまで。

2000年 11月 30日 (木) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 午前中歯科。左下奥を削り、型をとる。
 昼食、昨夜の豚肉白菜蒸しの残り、ハム・エッグ、鰹節、キャベツ味噌汁、ご飯。

 『ラティーナ』のディスク・ガイドの原稿書き。

 /dev/hda14 の super-block corruption の件は急がば回れで、iBookのHDを初期化しなおし、はじめからインストールしなおす。swap パーティションを作るのを忘れ、やり直したが、その後は順調にインストールまですむ。今回は無事立上がり、ネスケでネットにも繋がることを確認。

 夜、『CDジャーナル』の原稿書き。

○Harv MUST; Amigo/Northside, 2000, Sweden
Harv  スウェーデンの男性フィドラー二人組の新譜。Vasen のギタリストでアンビョルグ・リーンなんかともやっている Roger Tallroth とヘドニンガルナのパーカッショニストが一部で参加。期待したのだが、面白くない。まず曲が面白くない。演奏にも魅力がない。うまいのはうまいが、曲の本来の姿との間に皮一枚はさまっている。ヘドニンガルナの一枚前のアルバムにも共通する。音程が全体に低いのも面白くない原因かもしれない。こちらが高音中毒か。
○Various artists CORK FOLK FESTIVAL ARCHIVE; CFFCD, 2000, Ireland
CORK FOLK FESTIVAL  『CDジャーナル』の記事のために聞きだしたのだが、これほど質が高いとは予想外。今年の大収穫の一枚。マレード・ニ・ムィニーがフランキィ・ケネディを偲んで作ったスロー・エアは他で聞いた覚えはない。しかもまったくソロ・フィドルの名演なのだ。パトリック・ストリートもすばらしいし、オライオンが悶絶もの。というより17曲どれもこれも名曲名演。ベグリィ姉妹4人によるシャン・ノースの、厳しくも暖かい響き。ぜひ続篇を。

○Klezroym SCENI; CNI, 2000, Italy/Jewish
 イタリアのクレツマー・バンドだが、ぐっと遅めのテンポでジャズに振れた音楽。女性ヴォーカルが入る一曲など、英語の歌詞だ。が、これも後半パーカッションの即興がすばらしい。表面垢抜けていて、クレツマーのどろどろが感じられないのだが、聞いてゆくにつれ、その奥に意外に深く昏い情念がのったりと動いている。時おりそれがもこりと浮上するところ、これはちょっとこたえられない。イタリアはどちらかというと明るい印象だが、やはり一筋縄では行かない。むしろ、こういう昏い情動が本領なのではと想わせる。傑作。

2000年 12月 01日 (金) 曇り、小雨。寒というより冷。

 朝食、竹輪、さやえんどうの味噌汁、和布キャベツ、ご飯。

○KAJAH, BREGOVIC; Zic Zac Music Company/BMG, 1999, Poland/Balkan
KAJAH, BREGOVIC  鬼才ゴラン・ブレゴヴィッチがポーランドの女性ポップス・シンガー(?)と組んだアルバム。バルカン版「マウス・ミュージック」というところ。これが意外にはまる。いわばヴァーチャルな世界なのだが、はじめからニセモノであることを意識し、いわば「本物のニセモノ」を狙っているからだろう。一流など眼中に入れずに二流に徹することで一流を越えることが可能なように、本物など相手にせず、ニセモノに徹することで本物を越える。音楽は結局出自ではなく、やっている当人がどこまで自分の音楽を信じているか。ないし自分の音楽が狙うところを自覚しているか。

 家事の後、10時のバスで出かける。出がけにズボンを替えるがちょっときついのを選んでしまう。

 新宿で時間が余ったので郵便局に寄り、BGM、音友に送金。推理作協の食事チェック票を投函。神保町で東京堂を覗く。『じゃがたら』という本が出ている。

 宮田さんのところに伺う。昼食をご馳走になる。
 最近飲み過ぎで調子が良くないと言う。二人で3時間でボトル一本半開けてしまうとか。年取って歯止めが利かなくなったとおっしゃる。集まりに出てふと見回すと自分が最年長。出版界の話。早川の話。著作権界の話。著作権管理法が来年施行され、著作権管理機関と仲裁機関ができるのだそうだ。こういう話は他では聞けない。来年1月にまた引越される由。オープンソースの話をしたら、興味を持たれた様子。
 2時前に別れ、音楽出版社を捜す。地図のゼンリンのビルの8階。Iさんに今月分のCDを渡す。

 出かけた時は夜のライヴまで時間がありすぎるのでやはり帰ろうかと思ったが、宮田さんと話しているうちに元気が出てきた。あちこちで時間を潰し、夕食は銀座の「はしご」。
 青山のマンダラで大島保克さんのライヴ。ちょっと早く行きすぎるが、ビクターのKさんがいて、待ってていいというのでそのまま待つ。持っていなかった前のCDを買う。

 予定していた登川誠仁の息子さんが急病で、急遽代わりに新良幸人がゲスト出演。この二人は同じ島の同じ町で生まれ育ったそうな。年齢も近くて、こんなうたい手が二人も出る町というのもそうはないだろう。スタイルも対照的。
 客には知っている人も多く、音友・Sさん、星川さん、高橋さん、東さん。東さんは久しぶり。

 ライヴは基本的にソロで、新譜の冒頭に入っている「とぅばらーま」から。こんな風に声を震わせるのは、イランのアーヴァーズそっくりで、こういうのが八重山にはあるのかと星川さんに聞くと、いやこの人は特殊だとの答え。ひとしきりやってから新良氏が加わり、間に休憩が入って後半。はじめやはりソロで、新良氏が加わり、最後はソロで締める。沖縄の歌うたいの全くのソロのライヴは初めてだが、堪能した。何度でも見たい。聞きたい。

 終ってから星川、Sの両氏と近くの焼き鳥屋。師走最初の週末とて満員。小一時間でさっと引き上げる。帰宅1時。

 WXGのメーリング・リストに、Linux版が出たとのニュース。ますますMacOS Xを使う意味が少なくなってゆく。

2000年 12月 02日 (土) 晴れ。冷。

 朝食、ハム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 午前中PTA運営委員会。先週末交通事故に会った児童は意識ももどり、自力でお粥を食べているそうだ。今月中には退院、三学期からは学校にもどれるだろうとの診断の由。

 昼食、釜揚げ饂飩、茹で卵、リンゴ、蜜柑、プチトマト。

 新潮から『グラモフォン・ジャパン』廃刊通知。デルからDM。案外高い。ノートの安い方が18万だが、これはいわば素っ裸で、モデムもイーサネットもついていないし、HDは6GB。メモリを128にして、HDも10GB、モデムとイーサネットをつけて、なんてやっていくとすぐに25万ぐらいになる。

 K、夜宴会につき、夕食を作る。ハンバーグを焼き、キャベツ千切り、白菜の味噌汁、ご飯、大根卸し、梨、蜜柑。今日は食べはじめを早めにして、「週刊子どもニュース」の開始時刻に合せる。
 文化放送BSデジタルのクリスマス用の選曲。

○Mary Ann Kennedy & Charlotte Petersen STRINGS ATTACHED; Macmeanmna, 1991, Scotland/Highland
Mary Ann Kennedy & Charlotte Petersen  ヴォーカルとハープのメアリ・アン・ケネディとハープのシャーロット・ピータースンのデュオに、2曲ほどドラムスとベースがつく。基本はハープとヴォーカル。ハープでパッヘルヴェルをやったり、結構聞きおぼえのある曲をとりあげる。いわばアコーティック・オンリーの素朴なシーリスの趣。もう少しディープなものを期待していたのだが、水準は軽く越えているものの、少し軽さを感じてしまうところがある。あるいはまだ若すぎるか。
○Ensemble Choral du Bout du Monde NOELS CELTIQUES; Green Linnet, 1998, Bretegne
Ensemble Choral du Bout du Monde  ブルターニュの40以上の村や町から選ばれた百名を越える合唱団とサポート・バンドによるクリスマス曲集。歌の伴奏はほとんどオルガンのみ。2曲あるインストではパーカッションもあり、パイプありでなかなかに聞かせる。合唱は可もなく不可もなくだが、むしろすっきりした、厚みよりも膨らみで聞かせる。メロディの美しい曲が多く、当然ながらおなじみのものは全くない。それでもどこかにクリスマスらしさを感じるのはこちらの思い入れか。
○Zespol Polski KOLEDY POLSKIE/Polish Carols: Famous and Forgotten; MTJ, 1997, Poland
Zespol Polski  マリア・ポミャノフスカさんのバンドの3rd。ポーランドのクリスマス・キャロル集。クリスマス・キャロルから予想されるような箸にも棒にもかからないようなものではなく、闊達なお祭り気分の歌[01]があれば、およそクリスマスらしくない昏い情念の漲る歌[02 04]もある。お祭気分はコーラスでうたい、情念の歌はマリアさんのソロ。トライアングルの入れ方が鋭い。全体としてこれまで聞きなれてきたクリスマス・キャロルとは全く異なるメロディ、肌ざわりを持つ。一つにはここにうたわれている歌が、音楽産業の平準化を受けていないこともあるだろう。しかし、例えばウォータースンズのキャロルとも決定的に違う。非常に洗練されたアレンジを施されているのが原因でもない。単純にクリスマスを祝うのではすまされない、もっと切実な、切羽詰まった感情が聞える。[07]のようにスリリングな緊張感を持ってうたわれるクリスマス・キャロルは、いかなる経緯で生まれてきたものか。それにしても曲名の英訳が欲しい。他には一応ついているのだから。
2000年 12月 03日 (日) 晴れ。

 朝食、チーズ・クロワッサン、ブルーベリィ・ジャム・トースト、コーヒー、キャベツ・バター炒め、オレンジ・ジュース。

 朝食後、調子悪し。朝食を食べようとしたら、左目の視野の端にもやもやが現れ、しばらく消えない。竹踏みをし、仕事部屋でじっと音楽を聞いていたらだんだん良くなってくる。

○Trilogy TWO THOUSAND YEARS OF CHRISTMAS; Dragonwing Music, 1996, Canada
Trilogy  カナダの Cathy Miller、David K、Eileen McCann の3人が作ったミュージカルのサントラという仕立て。トラディショナル、コンテンポラリーのクリスマス・ソングによって、物語を語るものらしい。曲は古いものから新しいものへとならべているようで、第一幕は大部分がトラディショナル。第二幕は大部分がコンテンポラリー。演奏は3人のコーラスが基本で、伴奏はいたってシンプル。ギター、ブズーキが主体。ここでもブリテン群島とアメリカを橋渡しするカナダの位置は良い方に働いていて、伝統曲の解釈も怨念が消えてすっきりしているし、オリジナルの解釈は適度の湿度を持つ。カナダでもっとも有名なキャロルという "Huron carol" はフランスのトラディショナルをベースにしていると思われ、歌詞は英語。第一幕では最後にいきなりゴスペル/ブルーグラスの曲が出てきて、ちょっと驚く。タイトルはちょっとおおげさだが、ユニークなクリスマス・ソング集の佳作。

 昼食、鮪角煮、おでん、ご飯、ゆかり、蜜柑。
 夕食、おでん、ご飯、ゆかり、梨。

 子どもたちは子供会のイベントでボーリングに出かけ、1時前に帰宅。Hは2年生の男の子2人を連れてきて、家の内外で遊んでいた。

 終日、文化放送BSのための選曲とダビング、コメント書き。クリスマス用。
 3時過ぎに終り、SEAL MAIDEN ライナーのために、作曲者で知らない人2人をネット探索。Ger Woulf はわからないが、Leib Ostrow の方はAMGであっさり見つかる。なかなか優秀なプロデューサー/作曲家らしい。メインは子ども向けらしいが、Buckwheat Zydeco とか、タジ・マハルなんかとも仕事をしている。

 夜、メール・チェックすると、MSIの聞取り担当の外国人から SEAL MAIDEN の最後の語りの部分が入っていたので、すぐにやって送付。

 思いついて、ネットで飛行機の時刻を調べ、うちからの時刻表を調べる。6時には家を出ねばならないが、間に合うように電車に確実に乗るにはタクシーを呼ぶ他あるまい。

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