大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 12月 18日 (月)〜2000年 12月 24日 (日)] [CONTENTS]

2000年 12月 18日 (月) 曇り。

 朝食、雉焼き弁当、白菜の味噌汁、胡瓜味噌添え、トマト。

○嘉手苅林昌 琉球情歌行; ビクターエンタテインメント, 2000, Okinawa
嘉手苅林昌  渋谷・ジァンジァンでのライヴ。大城美佐子、大工哲広、上原がバック。全盛期、なのかもしれないが、晩年のビデオなど見てもこの人は不思議に波がない。衰えは全く見られなかったし、録音も演奏の出来不出来はほとんどない。あるいはこちらが聞分けられないだけで、本人はやはり出来不出来の自覚があったのかもしれない。もちろんそんなものは音楽そのものとして聞えるわけではない。これだけ質の高い演奏を常に聞かせ、残しつづけたことでも驚異的だ。「戦友」はよくよく聞くとしっかり歌詞を選んでうたっている。意識的に選んだのではないかもしれないが、印象に残り、記憶に残った歌詞は、自分の意志ではなく戦わされるものの哀しみを現わす。それにしてもこうしたうたが生まれるには戦争が「必要」だったわけで、となるとこのうたを聞いて感動するのは皮肉だろうか。それとも戦争があるかぎり、われわれはこうした歌を聞いて精神の均衡を保つ「必要」があるということだろうか。しかし同族がたがいに殺し合う戦争は、感情と同じく、人間を人間たらしめている要素、あるいはそうした要素の表現型だ。であれば、この歌は人間存在の根底からうまれた生き物としてのぎりぎりの叫びということになる。そして嘉手苅林昌のこのうたは、その叫びをもっとも痛切に伝えるものになる。

 午前中、『青』。ミミカキエディットのリヴィジョンが出ているのでダウンロードして使ってみる。なるほど、描画が遅かったのはバグだったらしい。今度はわりとさくさく入力できる。

 昼食、すき焼き(昨日の残り)、胡瓜味噌添え(今朝の残り)、白菜味噌汁(今朝の残り)、ご飯、林檎。

 午後はまたぼんやりとレンズマンに逃避。それにしても銀河パトロール隊のシステムは無法だ。少なくとも銀河文明は法治国家ではない。アリシアとエッドールの対立の構図が冷戦の反映であることは確かだろう。一方で、第二次大戦前夜のいわゆる "corporative state" への郷愁もある(アイヒの評価)。そうしてみると、冷戦構造はファシズム/ナチズムとの対立への郷愁の面もあるのかもしれない。一方で麻薬文化の扱い方は時代を先取りしている。セックスの徹底的排除はピューリタニズムの反映とみれば、スミスはアイルランド系ではなく、あるいはスコットランド系、ないしスコッチ・アイリッシュの流れにもみえる。

 カトリックであればもう少し「清濁併せ呑む」態度が生まれる気もする。しかし、一方でこの奇妙に清潔な態度が、レンズマンに独特の魅力を与えてもいる。例えばレンズマンの世界に『異星の客』の十分の一でもセックスが持込まれていたらどうだろう。あるいはあの面白さは半減、ないし、時代を越えた魅力を持つことはなかったかもしれない。不自然なほどのセックスの排除によって、レンズマンの世界は安心して遊べるものになっている。セックスのテーマやモチーフは人間存在の根底に関ることだけに、どこかに陰を持つ。

 例え晴天白日のもとにさらけ出そうと、本質的に陰がまつわりつく。セックスはそこが面白いのだが、一方で陰はあくまでも陰として受けて(読者)の側に澱にも似た、あるいは垢のようなものがまつわりつく。セックスが例えわずかでも入ったものを読むことは、おのれの存在の根底を問われるのだ。レンズマンにはそれはない。かれらはわれわれとは似ても似つかぬ存在である。かれらがいくら残酷なことをやっても、われわれはまったく安全なところで見物し、楽しめる。セックスがカケラもないことで、その遮断が成立している。もう一つ、フリーセックスやフェミニズムの観点からは、ライレーンのような世界は生まれまい。となると、レンズの子らの構成は暗示的だ。

 3時過ぎ、音友・Sさんから電話。チーフテンズの伝記の件。茂木はもう作業を始めているそうだ。

○ふちがみとふなと 日曜日ひとりででかけた; 吉田ハウス, 1996, Japan
ふちがみとふなと  ふちがみの歌とメロディカ、パーカッション、カズーとふなとのダブル・ベースのみ。ライヴを先に見ているから驚きはしないが、録音で聞くとやはり異様だ。表面的に異様だというのではなく、こうしたうたとベースだけで生まれる音楽が全くあたりまえに聞えること、そのこと自体が異様だ。ライヴではごく自然に受入れられてしまうのだが、録音として、間に一歩入ったものを聞くと、ちょっと待て、といいたくなる。やはり音楽はテクニック以前のもの、表現したいものがあるか否かが、音楽になるかならないかを分ける。歌い方、声の出し方、歌詞、メロディ等々の要素は後からついてくる。ふちがみがうたや発声の訓練を受けていたとしたら、この表現はありえただろうか。テクニックが「ない」ことがかえってこの表現を生出したことはないだろうか。では、テクニックを持っている人間が、こうした表現を選んだらどうなるか。それと比較した場合、なおふちがみの歌はかがやきを失わないか。おそらくは失うまい。むしろかえってかがやきを増すだろう。本当にぶうちさんの言うとおり、歌をうたおうというほどの人は一度はふちがみの歌を聞き、ライヴを体験すべし。

 夕食、ハンバーガー、フルーツ・スコーン、ポテト・サラダ、甘栗。

 B&Oの横浜の店にメールでイヤフォンを予約。入荷が間に合わないので「お詫び」キャンペーンをやっているらしい。

2000年 12月 19日 (火) 第320日。 曇り。

 朝食、健康パンにブルーベリィ・ジャム、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Itoh Takio/伊藤多喜雄 音頭; Vap, 1997, Japan
伊藤多喜雄  久しぶりに聞く伊藤多喜雄。こんなになっていたとは知らずして不覚。今までのアップ・テンポは影を潜め、大部分がゆったりとミドル・テンポでじっくりと聞かせる。バックはジャズだ。「八木節」や「タキオのソーラン節」の遊び心。「木曾節」の哀切。うたい手として音楽家として一枚も二枚も皮がむけている。今年聴いた中でもベストの一枚。

 ところがいつどこで買ったか記録がない。新宿のHMVという記憶はある。たぶん一昨年ぐらいだろう。

 つられてネットで情報を捜すが、オフィシャルのウェブ・サイトは今年の6月から更新無し。苫小牧のデザイン会社のサイトにライヴ・スケジュールが載っているが、あまり活発ではないようだ。アルバムもこの後に二枚出ているが、一昨年のものが最新らしい。もっともっと注目されていいい人だと思うし、海外にも出ていって欲しいが、ひょっとするとエアポケットに落込んでしまっているのかもしれない。

 午前中『青』1頁。ミミカキエディットは日本語の入力の際、画面が乱れたり、未確定テキストの表示がちゃんとならないバグがある。仕方がないので QuoEdit を再起用。軽くてコンテクスト・メニューのプラグインもちゃんと使える。まあ、翻訳原稿にはこれで十分。擬似ダイヤモンド・カーソルも使える。

 昼食、肉饅、餡饅、白菜味噌汁、林檎、煎餅。煎餅が固かったので、先日右下奥の歯に詰めたセメントが欠け、夕食の時全部とれてしまう。

 午後はチーフテンズの伝記を読む。

○Stuart Boyd BORSCHIT; Laughing Horse Records, 1997, Scotland
Stuart Boyd  スコットランドのシンガー/ギタリスト。典型的なリヴァイヴァリストで、有名曲のオンパレードなのだが、うたい手としてはかなりのもので、こういう人によくある肩に力が入ったところがまるでない。若い頃のディック・ゴーハンにもにた掠れ気味の声で、ごく自然にうたってゆく。有名曲は確かだが、手垢のついた感じがまったくせず、アレンジまでどこかで聞いたようなものなのに、自分の歌にしてしまっているのはこれも才能だろうか。ただ不思議なのは "Willie o' Winsbury" と "Tam Lin" をまったく同じ前者のメロディでうたっている。それも間に一拍入るとはいえ、続けてだ。それでも結構聞かせてしまうのだから奇才というべきか。ジャネット・ラッセルが一曲スキャットで参加。あとは知らない人ばかり。

 午後、プランクトン・I君から電話。チーフテンズのチラシの件。メルセデス・ペオンは良いということで盛上がる。

 夕食、ステーキ、粉吹き芋、人参、莢豌豆、白菜味噌汁、ご飯、蜜柑。

 夜、音友のアイリッシュ・ミュージック・ガイド本のためのVIPミュージシャンのリスト・アップを試みる。
 B&Oの横浜からイヤフォンが予定よりも早く入荷したとのメール。代引きで送ってくれるよう返事を出す。

 SETI@Home の本部からメール・マガジン。キャラクター商品のサイトがあるというので行ってみる。デスク・マグと一本四役のペンを注文。SETI@Homeのクライアント・ソフトの最新版(Ver.3.03)は、解析するデータ量が増えたということで、今までの倍近い時間がかかるようになる。2個やったのが両方とも21時間を越えた。

2000年 12月 20日 (水) 曇り。

 朝食、ハム・トースト、トマト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Strada TEXAS UNDERGROUND; Off Note, 1998, Japan
Strada  中尾勘二、関島岳郎、桜井芳樹とそろえば怖いものはない。ドラムスもなかなかで、例によって楽しく、シリアスな音楽を存分にやっている。アイスラーやクレツマー、韓国民謡などまでとりあげているけれど、こうしてみるとわが国の現在の音楽に根っこがないことを感じざるをえない。ここで聞かれる音楽の質が高いだけ、よけいに根っこがないことがわかる。ここでは根っこのないことを逆手に取るだけの想像力と技量が備わっているから、縦横無尽に宇宙を駆けまわり、地の底にも降り、霧となって棚引くこともできる。が、中心部の虚ろなことは音楽が良くなればなるほど明瞭に見えてくる。

 それにしてもオフノートのサイトがないのは困ったもんだ。全体像がわからん。

 午前中チーフテンズ伝記読書。
 昼前、ラティーナ・Kさんから電話。奄美と邦楽(津軽三味線)を聞くので忙しく、メルセデス・ペオンはまだ聞いていない由。

 昼食、鱈子、海苔、トマト、山牛蒡の漬け物、林檎。
 夕食、鮪刺身、和布キャベツ、胡瓜と大根の漬け物、白菜味噌汁、ご飯、蜜柑。

 午後はチーフテンズに手をつける。

○Compostela WADACHI; Tzadik, 1997, Japan
Compostela  様々なライヴ録音からのコンピレーション。これも久しぶりだか、あらためて管楽器三人だけでかくも立体的かつ多彩な音楽を聞かせていることに驚く。しなやかでもあって、渋さ知らズの淵源の一つはここではないか。あるいは渋さ知らズやコンポステラのようなバンドが出てくる土壌がようやく熟成してきていたのかもしれない。それに、案外わが国の音楽に聞かれないユーモアの豊かなこと。最後のライヴ録音では聴衆の笑い声も聞えるけれど、やっている本人たちが一番楽しかっただろうことは容易に想像がつく。これもまた音楽の原則なり。

 ストラーダの情報をネットで探したら、栗コーダー・カルテットのサイトがあり、関島さんの部屋があり、そこにこのアルバムのライナーの邦訳が載っていた。

 夕食前、らっぱ堂から電話。Audible Illusion が治ってきた。修理代は15,000円以内。

 2001年度予算の大蔵原案が示されたが、これを見て将来への明るい展望を持った人間はどれくらいいるのだろうか。これで来年の「景気回復」は確実だと考えた人間はどれくらいいるのだろうか。企業の設備投資に続くはずの個人消費の回復が起きないのは、国と地方自治体の借金が膨らむばかりであることの意味を、われわれがわかっているからであることが、与党や政府の人間たちにはわからないのだろうか。

 おそらくは無意識あるいは本音の部分ではわかっているのだ、と思いたい。が、現在の政策担当者たちは、金を使わないこと、公共事業をやらないことが怖いのだろう。既得権益を失うことへの恐怖だけではなく、金を使わないではいられない。つまり金を使うことに中毒してしまっているのではないか。

 「景気回復」などというのは口実であって、どんなに公共事業に金をつぎ込み、新幹線を通したとて、景気が回復するはずのないことは、理屈の上ではじゅうじゅう承知のはずだ。

2000年 12月 21日 (木) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Pidgin Combo THE LONG VACATION: Live 1988-1989; F.M.N. Sound Factory, 2000, Japan/USA
Pidgin Combo  トム・コラを初めて聞くが、知らなかったとはいえ、まったく惜しいことをした。篠田昌巳といい、どうしてこうすばらしいミュージシャンは早死にをするのだろうか(そういえば昨日カースティ・マッコールの訃報も入ってきた。こちらは事故で、なおさら惜しい)。にしても、よくぞ残してくれました、大熊さん。十年前にこういう音楽をやっていた人たちがちゃんといたのだ。何という楽しくて荘厳で鋭い音楽だろうか。大熊亘はここではまだ何とピアノを弾いている。トム・コラはとにかく残っているものだけでも聞かねばならない。大熊さんのライナーにあるように、本当に全身で弾く、というよりチェロを「使う」。駆使する。楽器というより、まさに道具だ。楽器を楽器のしがらみから解きはなっている。もちろん楽器を解きはなとうとしてやっているのではあるまい。自らを音楽のありとあらゆるしがらみから解放とうとしている。自由だ。自由とは自らの発言の責任を全うすることだ。この音楽はそれぞれが自らの責任を全うし、そのことを心から楽しんでいる、その軌跡だ。
F.M.N. Sound Factory: http://www.fmn.to

 午前中、歯科。右下の詰め物がとれてしまったのを詰め替えてもらう。

 下の本屋に寄り、『まーぱ』1月号。『PCユーザー』の「20万以下のノート」特集を立読み。エプソンがダイレクトで13万のものを出し、これがなかなかのようだ。メモリ増設、VRAM増設をすると、税金入れて15〜16万ぐらいだろう。13.3インチのXGAでイーサネットも標準装備というのは窓機では珍しい。HDは10GB。来年まで待てば 14.1インチで15万ぐらいのものが出てきそうではある。このサイズだとまだ税金を入れると20万を越える。後でエプソンのサイトを見てみると、人気で12月製増分は完売とある。

 『まーぱ』を見るが、あまり読むところはない。AppleWorks 6 を使った日記帳の設計ぐらい。

 昼食、ミニ・ハンバーグ、白菜味噌汁、胡瓜と大根、山牛蒡の漬け物、ご飯。

 『グラモフォン・ジャパン』終刊号。
 Jedit のリヴィジョン・アップがリリース。さっそくダウンロード。だいぶ良くなっている感じも無きにしも非ず。

 夕食、ささ身チーズ・フライ、キャベツの千切り、串カツ、べったら漬、ご飯。

 夕食時つけていたテレビのニュースに森首相の笑う顔が出てくる。地元財界人との会合とやらの映像らしいが、この人の笑顔はどうにもこうにも卑しい。小淵の笑顔はまだ見られたし、橋本も笑うと仮面がちょっとはずれる。が、森の笑う顔を見ても不愉快になるばかりで、少しも楽しくならない。リンカンは言った、「人間、40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持たねばならない」。森の顔は自分で責任を持っていない顔だ。もっともこれも坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの類かもしれない。

 夕食前、B&OからイヤフォンA8到着。Kへのクリスマス・プレゼント。

2000年 12月 22日 (金) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、プチトマト、コーヒー、オレンジ・ジュース。ハムは珠からの歳暮のもの。合成保存料こそ使っていないが、調味料や増粘剤は使っているようだ。

○Betsuni Nanmo Klezmer OMEDETO; Nani Record, 1994, Japan
Betsuni Nanmo Klezmer  始めは特にどうということもなく、クレツマーをやっているだけかと思っていたら、3曲目あたりから俄然おもしろくなってくる。こう来なくては嘘だ。そしてとどめは「魔法使いサリー」のテーマ曲と「青春時代」を組合わせた曲。バンド名に偽りなし。もっとどんどんやってくれえ。とはいえ、このバンドが目指したものは参加したメンバー個々の活動に受継がれているというべきだろう。その意味ではピジン・コンボとは性格を異にする。
○Shibusashirazu/渋さ知らズ 渋祭; 地底レコード, 1997, Japan
渋さ知らズ  やはり渋さのアルバムは全部買わねばならない。5作めのライヴ録音。あいかわらず騒々しく、すっ飛んでいて、そしてエネルギーに満ちあふれる。聞いているとどんどん元気になってくる。祭をそのまま音楽にしたような、あるいは祭そのものの音楽。個々のメンバーがかってにばらばらにやっているように見えて、その実全体としてはちゃんと繋がり、あるいは対抗し、あるいは融合し、混沌から秩序、秩序からまた混沌、否、混沌と秩序が全く同時に同じ時空に現れる。その楽しさ!

 The Living TraditionからCD2枚。Amazon.comからペーパーバック3冊。ハインライン関係。のざきからもろもろの紙資料。

 昼食、チャーハン、焼き餃子、椎茸入りかき卵スープ、搾菜。

 昼食を食べようとしてえたら、Audible Illusion 着。一応修理はして機能回復はしているがもうかなりあちこち痛んでいて、部品もないとのこと。今度壊れたら駄目かもしれない。

 夕食、豚肉茸のソースかけ、大根卸し添え、大根の葉の味噌汁、ご飯。

○Celtus MOONCHILD; Sony Soho Square, 1997, Ireland/Britain
Celtus  白木さんに言われて聞いてみたのだが、ライヴの印象とはだいぶ違う。ライヴではもっと「ロック」していた。ソニーということもあり、メジャー風な音の造りをしている部分もあるのかもしれないが、本人たちとしてもクラナドやカパーケリーに色目を使っているのは否めない。曲自体はしっかりしているものもあるし、ヴォーカルも芯はあるのだから、もっとストレートにやった方が魅力は大きいと思う。レイが入った3曲はなかなかで、特に[10]はインストながら、一番聞応えがある。曲としては[09]がベスト。
2000年 12月 23日 (土) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、レタス、コーヒー、オレンジ・ジュース。
 昼食、クサヤの干物、白菜味噌汁、べったら漬、里芋の煮転がし、ご飯。

 終日、領収書の分類と整理。合間に昼食後、昨日もどってきたプリアンプをセッティング。アンディ・アーヴァインの RAINY SUNDAYS のLPをかけてテスト。問題なし。

○Gotoh Yukihiro/後藤幸浩 琵琶七変化; Zanmai, 1997, Japan
後藤幸浩  渋さ知らズにも参加している琵琶奏者/歌うたい。琵琶を弾くということは即うたも歌うことなのかもしれない。成人になってから琵琶と出会い、弟子入りしたという異色の経歴だけに、従来の枠にとらわれない琵琶が面白い。とりわけ、「竹生島ブルース」での琵琶はまるでブズーキかサズである。後で一曲だけギターの曲があるが、このトラックが始まったらずっと聞いていたHが、さっきの楽器の方がいい、と言う。詞はトラディショナルでも曲はほとんどが本人の作。もちろん全くのオリジナルではないが。詞は面白い。ラストの「秘曲」の詞は詩としてみても面白いだろう。プロデュースは田中勝則。他の録音も探してみよう。
○Susan McKeown & Lindsey Horner MIGHTY RAIN; Depth Field, 1998, Ireland/USA
Susan McKeown & Lindsey Horner  このデュオの二枚目で、全く二人だけ。おそらくは一発録りだろう。今のところ最新作は別として、この形がスーザンは一番いい。自由にトラディショナルからジャズ、オリジナルの世界へと七変化する。ぜひともこの形は続けて欲しい。"Donal Nua" というゲール語タイトルの「ダニー・ボーイ」は、文句なくこの歌のベスト・トラック。ディランを2曲もとりあげ、それも目立たないうただ。トラディショナルの "Black is the color" も、名唱の多いうただが、これまた秀逸。ホーナーのオリジナルも面白い曲がある。タイトル曲は面白い。またスーザンがこれに合っているのだ。やはりこの人、ひょっとするとアイルランドに初めて現れた、本当の意味でジューン・テイバーに匹敵する歌うたいかもしれない。いずれにしても大物の風格がある。
○Rodrigo Romani ALBEIDA; Do Fol/アオラ/Beans, 2000, Galicia
Rodrigo Romani  永年ミジャドイロのリーダーだった人のソロ。白石さんのライナーは相変わらず見事なもの。一、二枚アルバムを聞くかぎりではあそこまでミジャドイロに入れこめないのだが、どこかでちゃんと聞かねばなるまい。とまれ、これはなかなかのアルバム。どんなバンドでも多かれ少なかれ一つの型にはまる傾向があるのだが、確かにソロになって解放された伸び伸びした音楽だ。最後の方のクラシックのような組曲は今一つだが、それを除けば何度も聞返して楽しめる。
○Hothouse Flowers THE BEST OF; ワーナー/イーストウェスト, 2000, Ireland
Hothouse Flowers  なぜかひょっくりと送られてきたベスト。どうやら日本独自編集らしい。正直昔のホットハウス・フラワーズはファースト以外聞いていなかったので、こうしてまとまるのはありがたい。しかしいまのリアムのライヴを何度か見てしまっていると、ここで聞ける音楽ではリアムという底知れない世界を、ごく限られた枠を通して眺めているように感じられてしまう。印象に残ったのは冒頭の "I'm sorry" と末尾近く "You can love me now"。
○Brian McNeill TO ANSWER THE PEACOCK; Greentrax, 1999, Scotland
Brian McNeill  ほとんど全部一人でやっているフィドルのためのオリジナル曲集。同名の小説を出版していて、ラストにその冒頭の朗読が入っている。後でウェブ・サイトを探して行ってみると、やはりこれは二冊目の本。一冊目の THE BUSKER は品切れだそうだ。Amazon.co.uk で見たらこっちの本はハードカヴァーがあったので注文する。バスカーが主人公の冒険小説だそうだ。アルバムにはその主人公のバスカーが演奏している曲も入っている。スコットランド人はオリジナルをよく作り、また作るのも巧みだが、作曲者としてはこの人はトップ・クラスだ。ただ、どちらかというとうたの方が得意のような気もする。ジョン・マカスカーと比べるとちょっと精彩がない、というか、伝統に忠実過ぎるところがある。久しぶりにフィドルを弾きまくっているアルバムを聞いたが、この人のフィドルはまた雄渾と表現したくなる。太い芯が一本、どーんと通ったフィドルだ。これに比べるとまたジョン・マカスカー辺りは柔、というとかわいそうだが、むしろ女性的だ。ある意味頑固親父かもしれない。もちろん、そこが魅力であり、気持ちよく聞けるのもそのせいだ。
○Brendan Larrissey & Mike Considine UP THE MOY ROAD; (no label no number), 2000, Ireland
Brendan Larrissey & Mike Considine  で、その後はやはりアイルランドのフィドルが聞きたくなり、最近着いていたものからこれを掘出した。アーケイディのフィドラーのソロとしては二枚目のはず。ブズーキとのデュオ。これがまた心地好い。ファーストは隅々までぴたりぴたりと決まってゆくサウンドが見事だった。切れ味といってしまうと角が立ちすぎてしまうようなみずみずしい音だった。もちろんそれは健在で、フィドルの響きに感じる水の感覚に磨きがかかっている。濡れたというと重くなってしまうだろう。しかし軽やかというと乾きすぎだ。透明で、形が崩れないから固体のように見え、その実おそろしいほどの速さで流れゆく渓流のフィドル。ブズーキは特に派手なことはやらないが、地味ながら味のある合いの手を入れている。[04]のホーンパイプと[05]の "Flatbush waltz" が印象的。

 夜は、Mの友だちが泊りに来る。一足早いクリスマス・ディナー。

 エビフライ、フライド・ポテト、林檎と薩摩芋のサラダ、プチトマト、レタス、チョコ・コロネ、細切り昆布の佃煮入りお握り、クリスマス・ケーキ、コーヒー。Iが先日持ってきたシャンペンを開ける。カシス入りのシャンペンで、ちょっと変わった味。

2000年 12月 24日 (日) 晴れ。

 朝食、ロール・パンと食パンにブルーベリィ・ジャムを塗ったもの、炒り卵、茹でブロッコリ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝一番でノートン・ユーティリティとアンティ・ヴァイラスのヴァージョン・アップ版が届く。早速iMacとiBookの両方に Norton Disk Doctor と Speed Disk をかける。

○GILLES SERVAT; Mercury, 1972/1999, Breton
GILLES SERVAT  ブルターニュのベテラン・シンガーで名前だけは聞いていたが、聞くのは初めて。72年のおそらくはデビュー作か。バックのクレジットが全くない。Kによると歌詞はフランス語だそうだ。が、曲のクレジットではブルターニュのトラディショナルも半分ほど。しかし、あまりブルターニュ的な感じはしない。同年のアラン・スティーヴェルの『オランピア』に比べると、まだアレンジにしてもプリミティヴ。と言うよりも、おそらくはスティーヴェルが進みすぎていたのだ。

 昼食、町田・東急の寿司屋『寿司岩』で、Kの両親と会食。
 たしかに他の子供たちと比べると、うちの子どもたちは二人とも良く食べる。

 帰り、Kと別れ、子どもたちを連れてタハラに寄り、先に帰宅。タハラでは散財。昨日、文化放送・U氏から、世界紅白歌合戦のようなものを企画しているので、ヨーロッパの二十世紀で男女五人ずつ選んでくれないかとの依頼。

 で、選んでみたのが以下のもの。
赤組
ノーマ・ウォータースン
マリア・デル・マール・ボネット
ハリス・アレクシーウ
マールタ・セベスチェーン
リエナ・ヴィッレマルク
アマリア・ロドリゲス

白組
クリスティ・ムーア
エリク・マルシャン
ジョセ・アフォンソ
ファブリツィオ・デ・アンドレ or アンジェロ・ブランディアルディ
タラフ・ドゥ・ハイドゥークス
 フラメンコやシャンソンはわからないからはずした。それでもジャック・ブレルやセルジュ・ゲンズブールやジョルジュ・ブラッサンスあたりは本当は入れなくてはならないだろう。意外に男性シンガーが少ない。特に北欧は全然思いつかない。東欧も個人としては出てこない。ルーツの世界ではまだうたは女性が中心で、器楽は男性というようなジェンダーの別があるようだ。

 イタリアを考えていてアンジェロ・ブランディアルディの名前が浮かぶが、『ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン』で東さんがファブリツィオ・デ・アンドレをあげているのを思出す。ところがこの人を聞いたことがない。そこでタハラに行ったわけだが、最新のライヴが一枚あっただけ。とりあえずこれを買う。夜、TowerUK に行くと、リストだけは出てくるが、在庫はどれも少ないようだ。とにかく東さんがあげていた残り三枚を注文。

 iBookにMacOS Xをインストール。

 夕食、豚肉と白菜の蒸煮、ご飯、茹でブロッコリ。クリスマス・ケーキ、ロイヤル・ミルク・ティー。

 昼間、Mが町田の東急の玩具売場でKにクリスマス・プレゼントを買ってもらった際、おまけでもらってきたCDを食後かけてみる。ベルの形で3曲入り。ところがこれがひどい代物で、ありきたりのクリスマス・ソングを全部シンセで作っているのだが、アレンジもつまらなければ、何より音がひどい。いまどきこんなひどい音を出すとは、よほどの安物か、ひょっとしてどこか人里離れた奥地にしか残っていないような20年ぐらい前の機械を使ってやっているのではないかと思われるくらい。聞くにたえない。

 それでもMはクリスマス・ソングだというので喜んで聞いているので、とにかく最後までかける。その後、マジカル・ストリングスの GOOD PEOPLE ALL を耳直しにかける。これは毎年クリスマスやイヴにかけている。ほっとする。それにしても東急はあんなものを作ってタダで配るのを宣伝とでも考えているらしい。教養のなさをさらけ出している。あるいは社員か幹部の関係者あたりがいわゆる「デスクトップ・ミュージック」で作った可能性もある。

○Fabrizio de Andre IN CONCERTO; Ricardi/Nuvola, 1999, Italy
Fabrizio de Andre  ライヴということで期待していた盛上りとか、ノリの良さはあまりない。確かにむしろうたい手としての姿はよく見える。[13]の "Geordie" は自作のクレジットだが、タイトルといい、メロディといい、スコットランドのトラディショナル・バラッドだろう。あるいは歌詞が全く別かもしれないが。イタリアのこの手の人というと、ブランディアルディぐらいしか知らないが、これを聞くかぎり、やはりどちらかというとルーツとは一線を画した、ポップスに近い印象だ。が、たぶんこの一枚で判断するのは危険だ。他のを聞いてきてからあらためて聞けば、また違う印象になる可能性が高い。

 『中谷宇吉郎集』第一巻読了。
※本日の引用
【コラム】

●もう、20世紀、20世紀って!

 毎年、この時期になると「重大ニュース」とか「10大ニュース」というのがTVを賑せますが、今年はさすがに20世紀最後ということもあって、「20世紀の10大ニュース」という名目で放送するところが多いです。

 しか〜〜〜し!
 決まって放送するのは結局「今年を賑せたニュース」だったりします。
 その中でも一番「えぇ〜〜!」って思うのが芸能ニュースですね。

 今日も何気なくTVを見てたらやっていたのですが、なぜ20世紀の芸能ニュースが「石原裕次郎死す!」とか「さようなら美空ひばり」なのでしょうか、それなら死んだときがニュースではなくて、そもそもそういった大スターが芸能界で活躍したことがニュースなのではないですか?

 何故、長島の引退がニュースで、天覧ホーマーがニュースではないのか、そこが自分には理解できないし、そもそも20世紀ってそんなに最近のことしかニュースがないわけじゃないでしょう。

 自分の中では20世紀といえば太平洋戦争なわけですけど、そんなのこれっぽっちも出てきませんね。だいたい20世紀を代表する女性ってアンケートの第一位が「高●尚子」ってのも納得できないですしね。いや別に彼女を否定するわけではなくて、「いくら何でも、20世紀ってのはちょっと、、、」ってことなわけです。

 なんか、どこもかしこ(うちも)も、20世紀最後って言葉を使いすぎで、なんか21世紀になったら何から何まで新しいことをしなくっちゃ、といったそういう風潮にちょっと文句を言ってみたくて、ダダこねてしまいました。

 20世紀最後のクリスマスを仕事で過す人や、カウントダウンを仕事場でする人だっているわけで、そういう人たちがいるってことをちゃんと意識しなきゃって思った次第です。(そういう自分も仕事だったりするので、ぐちっぽくなったのかも、、、)

                                 (みんぐ)
http://happy_ming.tripod.co.jp/
                 ・
                 ・
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■ きゃらめる 通信 ■CaravanLab * Mail information service
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mailto:tech@powerlab.co.jp

 編集 :きゃらめる通信 編集部
 編集人:塩見孝信(みんぐ)
 発行 :株式会社パワーラボ 販売企画本部 & CaravanLab
     東京都新宿区西新宿 4-32-12 西新宿フォレストLBF

□文化放送BS・クリスマス特集用選曲

01. PLEASE TO SEE THE KING(プリーズ・トゥ・シー・ザ・キング) Steeleye Span(スティーライ・スパン) The king(ザ・キング) 1:30 イングランド
 クリスマスに子どもたちがミソサザイを捕まえて殺し、この死体を持って各家庭を周り、お菓子などをねだる風習がイングランドにある。その時にうたう歌。ミソサザイは「鳥の王様」と呼ばれる。スティーライ・スパンはフェアポート・コンヴェンションとともにイングランドのフォーク・リヴァイヴァルを代表するバンド。

02. LIGHTS IN THE DARK(ライツ・イン・ザ・ダーク) Hector Zazou(エクトル・ザズー) An Realt(星) 4:27 アイルランド
 アイルランド古来の言語ゲール語の伝統歌。イエスに心の癒しと導きを求める。ヴォーカルはアイルランドのシンガー・ソング・ライター、ブリーダ・メヨック。ハープはブルターニュのベテラン、クリステン・ノーグ。トランペットはマーク・イシャム。

03. KOLEDY POLSKIE(ポーランドのキャロル集) Zespol Polski(アンサンブル・ポロネーズ) Raduj sie z tego wlerny(ラードイ・シェスタ・ゴーヴィエルヌー) 3:45 ポーランド
 ポーランドのクリスマス・キャロルは13世紀まで遡る歴史を持つが、これはそれよりはやや新しいルネサンス期のもの。演奏しているのは90年代に入ってポーランド伝統音楽の現代化の先頭を切ったマリア・ポミャノフスカ(現駐日ポーランド大使夫人)率いるバンド。

04. SOUNDINGS(サウンディングス) Noirin Ni Riain(ノーリン・ニ・リーン) The darkest midnight(ダーケスト・ミッドナイト) 3:35 アイルランド
 17世紀起源のクリスマス・キャロル。現在でもアイルランド南東部ではうたわれている。これはアイルランド室内楽団を伴奏にしたユニークなヴァージョン。

05. NOELS CELTIQUES(ブルターニュのクリスマス音楽) Ensemble Choral du Bout du Monde(世の終りの合唱団) Diskennit euz an Nenvou(降臨) 5:30 ブルターニュ
 ブルターニュのクリスマス・キャロルを集めたアルバムから、伝統聖歌の一つ。イエスの誕生に聖霊が天から降臨して祝福を与えることを求める。この合唱団の名前は「地の果ての合唱団」の意味にもとれる。ブルターニュ固有の言語ブルトン語でうたい、ブルトン語の歌を広めることを目的としている。

06. TWO THOUSAND YEARS OF CHRISTMAS(クリスマスの二千年) Trilogy(トリロジー) Huron craol(ヒューロン・キャロル) 3:35 カナダ
 ヒューロンは五大湖の一つヒューロン湖のヒューロン。17世紀フランスの伝統曲をベースとしている。カナダでもっとも有名なクリスマス・キャロル。うたっているのはカナダのフォーク・シンガー、Cathy Miller(キャシィ・ミラー)、 David K(デヴィッド・K)、 Eileen McCann(アイリーン・マッキャン)の三人から成るグループで、このアルバムはクリスマスの歌を素材にして三人が作ったミュージカルのサントラ盤。

07. GOOD PEOPLE ALL(グッド・ピープル・オール) Magical Strings(マジカル・ストリングス) Come ye shepherds(きたれ羊飼いたちよ)/King Glockchen(グロックヒェン王) 1:52 USAmerica
 どちらもドイツのクリスマス・キャロル。演奏しているのはアメリカのケルト音楽演奏の草分け的存在で、フィリップ&パム・ボールディングの夫妻によるデュオ。楽器はハマー・ダルシマーとハープ、チェロなど。

08. IF I SHOULD FALL FROM GRACE WITH GOD(堕ちた天使) The Pogues(ポーグス) Fairytale of New York(ニューヨーク夢物語) 4:31 アイルランド
 言わずと知れたシェイン・マクガワン畢生の名曲。クリスマスは必ずしも嬉しい季節とは限らない。自らのみじめさを思知らされる季節でもある。アイルランドからアメリカに渡った移民たちの夢と幻滅と未練を余すところなくうたいきる。

09. CAROLS AT CHRISTMAS(クリスマスのキャロル) Maddy Prior with the Carnival Band(マディ・プライア&カーニヴァル・バンド) Boar's head carol(猪の頭のキャロル) 3:11 イングランド
 猪の頭はクリスマスをはじめ、めでたい席でのご馳走。16世紀頃を起源とするイングランドの伝統歌。マディ・プライアは永年スティーライ・スパンのリード・シンガーとして名をあげたイングランド有数のうたい手。カーニヴァル・バンドは大道芸の性格の濃い古楽楽団で、マディ・プライアとのコンビで優れたアルバムをリリースしている。なお、これはライヴ録音。

10. Winter, Fire & Snow(冬、炎、雪) Anuna(アヌーナ) Silent night(きよしこの夜) 3:09 アイルランド
 アヌーナはクラシック、古楽とフォークを自在に往き来するユニークな合唱団。アイルランド『リヴァーダンス』の初代コーラス隊を努めて一躍有名になった。


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