大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 12月 25日 (月)〜2000年 12月 31日 (日)] [CONTENTS]

2000年 12月 25日 (月) 晴れ後曇り一時雨。

 8時半、いつもの宅急便に起こされる。

 朝食、シュトーレン、ロール・パンにハムをはさんだもの、レタス、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 M、朝食時、おなかが痛いといいだす。このところ睡眠不足気味なり。今朝も早くから起きていた。子どもたち二人は朝からクリスマス・プレゼントを開いて、Hなどはあっという間に組立ててしまう。Mは昼前に治ったと言いだし、昼食はまずまずよく食べる。午後はクリスマス・プレゼントのレゴのサッカー・スタジアムを組立てている。

 ドーナルとヒデ坊に手紙を書き、クリスマス・プレゼントと一緒に午後投函。

 MacOS Xで辞書のイメージ・ファイルをマウントしようとすると、一度に一つのファイルしかマウントされない。それになぜか『新編英和活用大辞典』のイメージだけはMacOS Xのデスクトップ上にアイコンが現われる。が、当然ながらクラシック環境中の Jamming はこれを読めない。クラシック環境中で、MacOS 9 付属の DiskCopy を立上げ、メニューから指定してイメージ・ファイルを開くと、クラシック環境中にマウントされる。これで Jamming を立上げると辞書を認識してどうやら使うことができる。しかし、いちいちこんな手間ひまをかける気にはなれない。

 今日はMacOS Xを立上げて、これはクラシック環境で書いている。デフォルトだとMacOS Xはネットワーク・タイマーに繋ぎっぱなしになる。日付と時刻の表記方法の変更ができない。
 MacOS Xの環境で AppleWorks 6 は日本語を入力しようとすると落ちる。仕方がないので Classic で立上げる。

 MacOS XPublic Betaからクラシックへのテキスト等のコピーはクリップボードを通じてある程度可能だが、逆はどうやらできない。やはりこれはまだ日常業務に使えるものではない。しかしPublic Betaを使ってみての印象は、Nickey とか Jamming とか、必須のツールがうまく使えないのではないかという危惧の方が強い。

○Soul Flower Union/ソウル・フラワー・ユニオン UNCHAIN; Polystar, 2000, Japan
Soul Flower Union  映画のサントラのミニ・アルバムということもあるが、ソウル・フラワーのレコードとしては、もう少し「肉」が欲しい気もする。個々の曲や演奏はけっして悪くない、と言うよりも、凡百のバンドにできるものではないと思うが、ソウル・フラワーなりの水準、とはちがう、燃焼度というべきだろうか、そこが足らない。まあ、映画あってのものなので、そうそう角を立てることもないのではあろう。

 午後から、領収書の記帳。

○Various Artists SP盤復元による沖縄音楽の精髄・上; 日本コロムビア, 2000, Okinawa
SP盤復元による沖縄音楽の精髄・上  20世紀前半の沖縄古典音楽の録音の復刻。聞きなれた「島唄」とは全く別の世界。三線と歌だけによる芸術音楽。まさにシャン・ノースそのもの。リズムはほとんどない。漫然と聞いていると、どこがいいのかさっぱりわからない。ところが、声の微妙な震えや、伴奏というよりも何かの区切りを現わすようにぽつりぽつりと打たれる三線の音に一度とらわれると、ぐううーと深みにひきこまれてゆく。一枚目から二枚目の頭までの金武良Hはとりわけ、声を張上げることがまるでない。囁くのでもない。インドやアラブの声楽にも通じる。はじめはどこが良いのかさっぱりわからなかった。しかしこれはおそろしい世界だ。二枚目の大部分を占める伊差川世瑞は、まず声がいい。自然に備わる押出しの良さ。三線の音も太い。2枚目の最後の数曲を除き、音質は良い。ほとんどSPとは思えない。すばらしいデジタル・ミキシングの技術。
2000年 12月 26日 (火) 晴れ。寒。

 Kと子どもたちはTDLに2泊で行くため、6時半起床。

 朝食、ビーフ・シチューの残り。フランス・パン、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 8時前に出て、皆を送る。

○Mairi MacInnes THIS FEELING INSIDE; Greentrax, 1995, Scotland
Mairi MacInnes  ウィリアム・ジャクソンのプロデュースの見事な成果。ちょっと整いすぎた声でうたう人だが、整った形はそのままに、効果的な伴奏で魅力的な音楽に仕立てている。聞きやすいことはこの場合プラスだ。「フィーラ・バータ」は数ある歌唱の中でもベストの一つ。マウス・ミュージックが始めと終りに違うメドレーで入っていて、これがすばらしい。トニィ・マクマナス、ジェイムズ・マッキントッシュを始めとするバックはもう中身を保証するブランドになってきた。
○Tony MacMahon, Iarla O Lionaird, Noel Hill AISLINGI CEOIL: Music of Dreams; Gael-Linn, 1993, Ireland
Tony MacMahon  保守派トリオによるライヴ。というと語弊がありそうだが、演奏自体は、特に二人の蛇腹奏者の実力は高い。イアラ・オ・リオナードも、これまで聞いた中では一番いい歌唱。ピアノ伴奏でなければもっと良かった。それにしてもやはり器楽演奏とうたが乖離している。この三人が一緒にやる、少なくとも蛇腹の二人とうたい手がいっしょにやる意味がまったく見えない。蛇腹二人だけで全部埋めていたら、文句なく秀作の一枚に数えただろう。アルバム単位で聞くものではないものかもしれないが、三人が一緒に出すことには何らかの意味をこめているはずだ。しかし、これがなぜ「古い音楽」なのだろうか。
○Marianne Faithfull RICH KIDS BLUES; Diablo/MSI, 1984/1998, England
Marianne Faithfull  マリアンヌ・フェイスフルがディランとかサンディ・デニーとかジェイムズ・テイラーといった人びとの自分が好きな曲を集めたカヴァー集。なぜこれを買ったのか、判然としない。そもそもあまり好きなうたい手ではないのだ。あるいは昔のトラディショナル・アルバムの再現を期待したのか。他人のカヴァーをするとうたい手としての実力がさらけ出されるが、この人の場合、やめておいた方がよかった気がする。
○Matt Darriau PARADOX TRIO; Knitting Factory Records, 1999, Balkan/Jewish/USA
Matt Darriau  クレツマティクスのメンバーでもあるマット・ダリウ率いる四人組バンド。五弦チェロとギター、ダンベク。数曲で女性ヴォーカル。「ウシュクダラ」がいい。クレツマーやバルカンというよりもアラブ寄りの香が濃い。こういうこともやっているとは、クレツマーも広がりを持ってきた。この方面をもう少し突込んで聞く意欲が起きるアルバム。
○Sviraj CIGANINE; Omnium Recordings, 1999/2000, Balkan/USA
Sviraj  『CDジャーナル』の差替え原稿用に聞いてみたのだが、ちょっと録音がおかしい。それは別としても、水準は高いし、かなり面白い板ではあるが、突抜けているところがない。トリオというのはロマ系の音楽としては少ないかもしれない。ロマの音楽の面白いのは、個人芸の世界でありながら、集団としての背景が必要なことだ。その点、ジャズやブルーグラスとは違う。トリオだとちょっとさびしいのかもしれない。その寂しさを録音で紛らわせようとしたか。
○Maureen Jelks EENCE UPON A TIME; The Tradition Beareres, 2000, Scotland
Sviraj  見事なアルバム。良いうたい手が良い曲、それもうたい込んできた歌をじっくりとうたったもの。一、二曲だが、プロデュースを手がけるトム・スピアズの鄙びたフィドルが良い味を出している。ちょっと70年代はじめのトレイラーやトピックを連想する音。結局基本に忠実にすればこうなるということか。
 「ブラックウォーターサイド」「クルーエル・マザー」「ドーナル・オグ」「ジョニィ・マイ・マン」等々耳慣れた曲が並ぶが、陳腐な歌唱は一瞬もない。大半は無伴奏。中くらいの声域。燗のつき具合で言えば人肌。写真を見ると40代から50代というところ。すばらしいうたい手はまだまだいるのだ。
○KATE-ME; Globe Music, 2000, Breton
KATE-ME  やったやったやったやったあああ。これですよ、これ。ブルターニュは絶対に「田舎」ではないのだ。ファンク・ジャズ・ブルトン・トラディショナル。くあつこいいのだ。やることなすこと決まっている。このセンス! メルセデス・ペオンとともにこの年末ぎりぎりにベスト10が二枚も出てきた。

 昼食、鰹の角煮、若布の味噌汁、ご飯、搾菜。

 終日、領収書整理・記入。
 2時過ぎ、かものはしから電話。高田レンさんは明日の夕方来たいとのことで、明日また連絡。

 4時過ぎ、『CDジャーナル』Iさんから電話。今月分のジャケットが届いていないとのこと。送るのを忘れていた。それに Farmer's Market はボンバとかいうところから国内盤が出ている由。他のものに差替えることにする。

 夕食前、『ラティーナ』のためのメルセデス・ペオンの原稿を書く。

 夕食、クサヤの干物、トマト、若布の味噌汁(昼の残り)、ご飯、蜜柑。

○Margot Leverett THE ART OF KLEZMER CLARINET; Traditional Crossroads, 2000, Jewish
 アリシア・スヴィガルズのアルバムがクレツマー・フィドルの扉を開いたように、これは俺にとってクレツマー・クラリネットの世界を開いてくれた。そもそもクラリネットこそはクレツマーの「メイン楽器」ではなかったか。クラシック上がりらしい美しい音色。自在に「笑い」「泣く」際だったテクニック。いや、そんな表面的なことよりも、とにかく聞いているとわけもなく涙が浮かんでくる。バックはボストンをベースとする Neftule's Dream。本人の熱のこもったライナーも読ませる。

 夕食後、『CDジャーナル』の差替え原稿用にもう一枚聞く。東欧モノの代わりなので、やはりクレツマーにすることにして、書いてしまう。『ラティーナ』用の原稿と一緒に送る。

○Various Artists A FULL HEAD OF STEAM; AFHOSCD, 2000, England
A FULL HEAD OF STEAM  蒸気機関車を言祝ぐ歌、それもオリジナルを集めたコンピレーション。トラディショナルは一曲もない。曲、演奏ともに揃った好トラックはBob Fox & Stu Luckleyのうたうマッコール・ナンバー。しかも『ラジオ・バラッド』のものから。リチャード・グレインジャーの自作、ウィルスン・ファミリー、ヴィン・ガーバットのそれぞれグレアム・マイルズの曲、マーティン・シンプスンのうたうドック・ワトスンの曲。意外に面白いのがリンディスファーン、とは言ってもロッド・クレメンツとマーティ・クレッグのふたりだけでやるクレメンツの曲で、ブルース仕立てのもの。ウィスキー・プリーストは期待したのだが、うるさいだけ。他がアコースティックなので、ちょっと場違い。歌詞もじっくり見ながらきくとまた良くなりそうだ。LP時代にも似たような企画があった気がするが、デイヴ・ゴールダーのアルバムと勘違いしているのかもしれない。なかなかの好企画盤。

 本日これで9枚め。この他に渋さ知らズの『ケイハクウタガッセン』の1枚目を聞いているから、実質十枚。一日に聞いた量としては新記録だろう。しかし本当に聞いている人はもっと多いに違いない。別に競争する気はないが。

2000年 12月 27日 (水) 晴れ。寒。夜に入って家の中も冷えてくる。

 昨夜、最後にトイレに起きたのは3時だったが8時過ぎに目が覚める。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Mickey MacConnell PETER PAN AND ME; Spring Records, 1992, Ireland
Mickey MacConnell  ニーヴ・パースンズの看板うたの一つ "The tinkerman's daughter" の作者のデビュー。"Only our rivers" も誰かがうたっていた。と思ってちょっと調べると何とプランクシティの1stだ。そちらでは Michael MacConnell が1964年に書いたものとなっていた。うたい手としては典型的なシンガー・ソング・ライターのレベル。つまり自分の歌は十分な説得力を持って聞かせる。キーラン・ゴスのプロデュースで、バックにはゴスはじめ、ジェイムズ・ブレナハセット、ロッド・マクヴィーが参加。むしろ本人のヴォーカルとギターが印象に残る造り。ラストの曲も移民をめぐる、いや故郷を離れることをめぐる様々な悲劇を軽妙にうたう。ジミィ・マカーシィやノエル・ブラジルだけがソングライターではない。アイルランドのフォーク・シーンはこういう人が支えてきた面もあるので、伝統音楽ばかりをとりあげるのは片手落ちだろう。
 掃除。

○Gram Parsons GRIEVOUS ANGEL; Reprise/ワーナー, 1974/1998, USAmerica
Gram Parsons  やはり良いアルバムだ。"$1000 wedding" が名曲。              

 The Listening PostからCD2枚。Read Irelandから書籍2冊。The Living Tradition41号、2001年1+2月号。MOJO2000年12月号。

 昼食は駅前に出て、吉本家で葱味玉ラーメン。家に帰って林檎一個。

 ペリカン便に荷物をとりにきてもらおうとしたが、電話がつながらない。話し中なので、おそらく受話器をはずしているのだろう。仕方がないので近くの酒屋まで持ってゆく。

○The Road to Kesan THE ROAD TO KESAN; Traditional Crossroads, 2000, Turkey/Rom
The Road to Kesan  トルコのロマのバンド。クラリネットがメインで、カーヌーン、フィドル、サズ、タンバリンと中型の太鼓。カーヌーンやサズが入って来るのはやはりトルコということか。当然ながら、ロマという基盤は共通ながら、その上でやっている音楽はそれぞれに異なる。ルーマニアのロマ、バルカンのロマ、そしてトルコ/トラキアのロマ。カーヌーンやサズをもっと聞きたいと思うのだが、クラリネットがのさばっていて、ちょっと興醒めのところもある。もちろん、そんじょそこらにあるようなクラリネットではないが。
○Various Artists HARK, HARK! WHAT NEWS; Village Carols, 1996, England
HARK, HARK! WHAT NEWS  イングランドでは今でもこうして人びとがコーラスを楽しんでいるらしい。12月3日のライヴで、季節がらかクリスマス・ソングが多い。その場にいる全員がうたっているのか、うたっているのは一部で聞いている聴衆がいるのか、よくわからない。それにしてもあとから後から、いつまででもうたが出てくる。当然といえば当然だが。コーラスも自然に自分のパートをうたっているようで、特に指揮をとったり、声部を分けたりしているのではない感じがする。フォーク・ミュージックを支えるのはこうしたコーラスを生み、続けてゆく感性なのだろう。こうした活動がいつ頃から、どの程度の広がりで続いているのか、興味あるところだ。
 
 3時過ぎ、ラティーナ・Kさんから興奮した電話。メルセデス・ペオンのディスク紹介原稿の礼。ひとしきり、ペオンの話で盛上がる。

○Ben Sands TAKE YOUR TIME; Spring Records, 1993, Ireland
Ben Sands  カラムやトミィに比べると兄弟の中では目立たないが、なかなかのシンガーであり、ソングライターだ。キーラン・ゴスがプロデュースをしているが、歌つくりとしての資質的にも近いところがあるように思う。うたのうまさで唸らせる人ではないが、ソウルやハートは技術的な限界を補ってあまりある。アーティ・マッグリンをはじめとする腕達者が担当するギターは兄弟の中では一番普通のポピュラーに近い響き。他の二人よりも解放感がある。
○Tommy Sands SINGING OF THE TIMES; Spring Records, 1985, Ireland
Tommy Sands  おそらくは旧譜のCD再発。ドーナルの名前はこの人脈ではちょっと意外。おまけに楽器はギターだ。2曲ほどライヴ仕立てにした意図はちょっとわからない。この人は本質的にはバラッド作りでありうたいだろう。何らかの物語に託して主張を述べる。このアルバムではまだ、おのれの物語の語り方を手探りしているのかもしれない。
○The Band JUBILATION; River North/Platinumed, 1998, USAmerica
The Band  ようやく聞いてみたが、悪くもない代わりにそれほど良いとも感じない。残骸や惰性ではないことは確かだが、それ故にかえって無惨な部分もある。リック・ダンコが生きていたとして、なおこうした音楽を聞き続けたいかといわれると、ためらわざるをえない。しかし、この人たちには何らかの形で音楽は続けて欲しい。ともかくも、やはり看板は変えた方が、本人たちのためでもあるだろう。とはいえそれももう詮ないことに属する。こうした終り方はやる方も聞く方も不本意ではあるが、おそらくあのバンドはこうなることを宿命づけられていたのだ。ディランとの共作や1stから三枚とライヴのようなレコードを作ってしまったものは、尾羽打ち枯らして杖をつきながら、荒野をよろめき歩いてゆく他なかろう。
○Benito Cabrera EL COLOR DEL TIEMPO/時の色; Manzana/Beans BNSCD, 2000, Spain/Canary Is
Benito Cabrera  カナリア諸島の小型弦楽器ティンブレの奏者の本邦紹介2枚目にあたるらしい。ティンブレの音は基本的にはウクレレやマンドリン系で、ショーロの感覚に似ていなくもない。ボブ・ブロッツマン流に言えば、これもまた島の音楽。からりとした晴朗の気の満ちる音楽。適度の湿度もある。押しつけがましくなく、大向をうならせる派手さもないのだが、聞いているうちに気分が良くなってきて、手放せなくなる。やはり島の音楽だ。
○Padraigin Ni Uallachain AN IRISH LULLABY; Shanachie, 2000, Ireland
Padraigin Ni Uallachain  子守り歌集ということだが、意外にトラディショナルは少なく、うたい手の自作も少なくない。いつもの腕達者の控えめでセンスの良い伴奏にのせて、これまたいつもの力みのまるでない声が心をこめてうたってゆく。心や体の隅々にまでその声が染込んでゆくのがわかる気さえする。まったくこうなると、この人の存在自体が奇蹟のような気がしてきた。

 夕食は肉饅、餡饅に大根の味噌汁、バナナ。夕食後、おふくろに架電。明日の餅つきだが、まだ大丈夫とのこと。

○Various Artists THE CROPPY'S COMPLAINT; Craft Recordings, 1998, Ireland
THE CROPPY'S COMPLAINT  こんなにうたが多いとは思わなかった。フランク・ハートやショーン・タイレル、オンヤ・ウィ・カリィはさすがだし、無名の人もそれぞれに味わいぶかい。が、想わず身を乗出して耳を傾けたのはショーン・ガーヴィ。実にアーチー・フィッシャーそっくりの声とスタイル。ローシン・ホワイトは初めて聞く。ちゃんとした録音を出して欲しい。ロージィ・スチュアートに匹敵するうたい手だろう。ティム・ライオンズを久しぶりに聞いて、心洗われる。
2000年 12月 28日 (木) 晴れ。

 眼が覚めると9時。久しぶりに良く寝た。

 朝食、バナナ、ブルーベリィ・ジャム・トースト、蜜柑、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Tartan Amoebas EVOLUTION; IONA, 1997, Scotland
Tartan Amoebas  Fraser McNaughton の個人インスト・バンドのセカンド。ジャズが入っていないせいか、やや単調。うーん、フュージョンにはなるのか。ライヴではむしろクラブ系のダンス・バンドになるのではないか。曲はすべてマクノートンかもう一人のオランダ系の名前のメンバーのオリジナル。曲自体は悪くないが、アレンジのアイデアや構想に広がりや飛躍が不足。ダンベクやホーンもメンバーにはいるのだが。
○Various Artists A CLEAR DAY'S DAWNIN'; Greentrax, 1999, Scotland
A CLEAR DAY'S DAWNIN  スコットランドの議会復活を千年に渡る音楽で祝う企画。それぞれのトラックは「侵入者の音楽」とか「啓蒙時代の曲」とか「民主主義の音楽の女神」とかの副題がついていて、それぞれの時代のシンボルとされている。時間軸を現そうとする意図はともかく、アルバムとしては、選曲/作曲、アレンジ、演奏ともに水準の高い出来。プロデュースのジャック・エヴァンスのセンスは流石だ。キャサリン−アン・マクフィーの久しぶりの新録がまず嬉しい。だが、ロッド・パタースンのうたう "Claerk Saunders" がそれを上回る、出色のうた。この人、本当にいい歌うたいだ。トニィ・マクマナス、ウエンディ・スチュワートも例によって鮮やかな演奏を聞かせてくれる。[01]のコーダのロゥホィッスルは音色もメロディも尺八を復原しようとしているとしか思えない。

 クラダからCD9枚。

 昼食、明太子、海苔、和布キャベツ、大根の味噌汁、搾菜、ご飯。

○Train Journey North FIRST TRACKS; Lochshore, 1993, Scotland
Train Journey North  FIRST TRACKS  なぜかもっとクラシック寄りのインスト・バンドという印象があったのだが、結構本格的なハイランドのバンド。ガーリックをうたう女性ヴォーカルも良い。ギターも達者で、アレンジのセンスもなかなか。

 MSI・Sさんからお詫びだと言ってサンプル盤などしこたま送ってくる。が、半分は持っているもの。Greentrax のカタログはありがたい。

○Da Fustra THE FOAMING SEA; Highlander Music, 1997, Scotland
Da Fustra  ドラムス〜ベース〜ピアノに蛇腹とフィドルがフロントのケイリ・バンド。シェトランドなのだが、特にレパートリィがシェトランドのものとも思われない。ライヴ録音らしい。おそらくはこれをかけて踊るためのレコードと思うが。途中一曲休憩の意味で「マギー」が入っていて、これがちょっと古いジャズ風味でなかなかよろしい。うまいことはまことに達者で安定している。ダンス伴奏はこうでなければ。

 2時半過ぎから40分散歩。

○Alison McMorland CLOUDBERRY DAY; Tradition Bearers, 2000, Scotland
Alison McMorland  ベテランだが、録音としては文句なくベストの出来。Peta Webb とのデュエットが良かったが、それをも凌ぐだろう。ほとんどア・カペラで、ややゆっくり目のテンポで適度な粘り気があるのがいい。独特のレパートリィも魅力。結構な歳のはずだが、声もうたもむしろかつてなく若々しく、みずみずしい。それに年齢相応のコントロールが加わる。数曲でつくシンプルな伴奏は1970年代初期のトレイラーやトピックの感覚。フィドルはデレク・ホイだが、鄙びた感じを良く出している。そのホイの伴奏付きの "The American stranger" がハイライト。この人の声はかなり強く、時にマイクが捉えきれずに音がビビるところがある。内容がすばらしいだけに残念。
○Various Artists MILESTONE (SO FAR SO GOOD); Stirling Folk Club, 1996, Scotland
MILESTONE  フォーク・クラブでのライヴということもあるのだろうが、歌が多い。単純な比較はできないが、有名な曲が多い。スコットランドの伝統の厚みがこういうところに現れないのは、理由を知りたくもなる。解釈はそれぞれに面白いのだが、イントロを聞いただけであの曲とわかるものばかり出てくるのだ。これがアイルランドとなると、半分ぐらいは聞いたこともない歌が出てくるのだが。レパートリィは別として、ミュージシャンたちの質は高い。ほとんどがソロで、バンドはインスト中心。バンドの中ではプージーズがダントツ。Quadrille と Setanta はアイルランド系。前者の方が洗練されている。後者はアンサンブルやアレンジよりも勢いで聞かせる。
○Various Artists REAL; Real Scotland, 2000, Scotland
REAL  スコティッシュ・ボーダーというのは常にスコットランドの一部としてとらえられている。スコットランド側からの概念という気がする。つまりロゥランドの一部だ。ある意味でロゥランド自体が「ボーダー」、二つの文化にはさまれた地帯であり、アイデンティティの危機が常態ともいえる。こうしたアンソロジーの意義もそこに在るのだろう。録音は既存のアルバムからのものだが、その中でそれぞれのミュージシャンが普段やっているものとは違う範疇やスタイルのものに踏込んでいる曲を選ぶというのが趣旨。この趣旨は一応成功していて、それぞれに質の高い音楽が集まっている。アーチー・フィッシャーの "The broom o' the Cowdenknowes" が想いがけなく出てきたのは嬉しかった。[12]と[13]は裏ジャケットの曲順とは入代わっている。とはいえ、それが曲がりなりにも「ボーダー」のイメージを後に残すかというとちょっと疑問。必ずしもまとまったものでなくともかまわないが、しかし、ひょっとするとこの曖昧さ、イメージのなさそのものが「ボーダー」の姿なのかもしれない。ただ、部外者としてこうしたアンソロジーに望む「意外性」は乏しい。

 4時過ぎ、一堂ご帰還。

 夕食、しゃぶしゃぶ、和布キャベツ、大根の味噌汁(実だけ)、株の漬け物、ご飯、蜜柑。

 Hは布団をのろのろ敷いて遅れて食卓に着くが着いたとたん頭が痛いと言うのですぐ寝かせる。疲れていたらしい。Mは帰りのロマンスカーの中で寝たので元気。

 終日、カード請求書から帳簿をつくる作業。Amazon.comはukも含め、これまでの全取引がウェブ・サイト上で参照できる。何年前のものまで確認できるのか知らないが、少なくとも取引を始めた1998年以降のものは全部残っている。これだけでも大したものだ。

○The Occasionals BACK IN STEP; Greentrax, 1996, Scotland
 Freeland Barbour が中心となっているらしいケイリ・バンド。蛇腹、フィドル、ギター、テナー・バンジョー、ピアノ、ベース、ドラムスで、ほぼ完全にダンス伴奏のためのアルバム。トラック名はダンス名。曲の中には有名な曲もあれば、パイプ・チューンもあり、一曲ハワイのミュージシャンが加わってハワイの曲もやっている。もちろん、完全にケイリ・ダンス用にアレンジされている。フリーランド・バーバーは Lapwing の社長のはずだが、最近新譜を出したとかいう話を聞かない。ここでは嬉々として蛇腹を弾き、作曲もしている。フィドルのメアリ・キャンベルはシンガーとしてもなかなかの人だし、なぜかマルコム・ジョーンズの名前もある。ダンス伴奏用だから、聞くだけでそれほど楽しいわけではないが、他の演奏と聞き比べるとまた面白いだろう。

○The Clydesiders CROSSING THE BORDERS; REL, 1996, Scotland
 バンド名を見ただけで中身の大体の見当がついてしまう。名は体を表す。ところでこういうバンドやミュージシャンはやはりどこにでもいるのだろうか。流れからいえばフォーク・リヴァイヴァルというよりはカレッジ・フォークであり、ダブリナーズに相当するはずだ。個々の技倆は歌にしても楽器にしても決して下手ではなく、むしろそこらの若者などよりはよほど年季が入っている。[05]のリールのメドレーのフィドルなど達者なものだ。それがグループとして生みだす音楽の張りのなさはどうだろう。このダンス・チューン・メドレーのパーカッションがずいぶん垢抜けていると思ったら、ジム・サザーランドだったりする。地元でもこうしたグループの方が若く、前衛的な音楽をやる連中よりも人気があったりする。ひょっとするとこれは「演歌」だろうか。共同幻想から生まれ、またそれを再生産してゆくための。マッコールの "My old man" を聞いて思うのは、この人たちは「フォーク」をやっているつもりはないのではないか。この演唱はむしろ、ポップスの立場だ。例えばディック・ゴーハンがこのうたをうたうとしたらと考えると、素材の選び方や演奏の仕方が「ポーズ」に見える。これは当人たちにしてみれば酷な言い方かもしれないが、どこか決定的にずれたものを感じる。これならば伝統的なメロディも題材も使っていなくとも、パンクの連中の方に親近感を感じる。そうなるとこのフィドルはもったいない。

○CLIAR; Macmeanmna, 2000, Scotland
CLIAR  このメンツで悪いものができるはずがないし、実際水準は軽く越えているが、アレンジというか全体のプレゼンテーションが微妙にずれている気がする。魅力的に聞かせようとする意図が音楽と噛合っていない部分がときどき聞こえる。特にうたの伴奏。インストはフィドルも[12]のハープもなかなかなのだが。本来無伴奏のものにバックをつけるための、自分たちなりの語法が確立されていないこともある。ありていに言えば装飾過剰ではある。けばけばしく飾りたてているわけではないが、装飾品もそれを適用する手法もまだ借り物。素っぴんでは目の覚めるような美人が慣れない化粧をしたために野暮になった、と言うところ。自分なりの化粧のやり方を身につければ、見ただけで失神ものになることは間違いないのだが、さて、そうした化粧のやり方は果たして自分だけで身につくものかどうか。
 それにしてもこういうのを聞くと Clydesiders のようなバンドの愛想の良さとの違いがわかる。音楽が血肉化しているか否かは技量の良し悪しでもセンスでもなく、ましてやレパートリィや音楽スタイルの枠組みでもない。

 これが今年初聞き501枚目。

2000年 12月 29日 (金) 晴れ。

 8時過ぎ起床。

 朝食、のり巻きも地、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 午前中は台所の水回りの掃除。

○Belshazzar's Feast MY KYNASTONS FAMOUS DANCE; Wild Goose Records, 2000, England
Belshazzar's Feast  なんとポール・サーティンがこんなデュオをやっていたとは。しかもこの人、フィドラーとしてもかなりのものだ。これもウッド&カッティングの余沢であることは間違いないところだろうが、こういうフォロワーならどんどん出てきて欲しい。そう、ここにはまたジョン・カークパトリック&スー・ハリスの谺も聞こえる。そうした先達や刺激を昇華して、独自の音楽を造っている。これは18世紀前半に出版されていたイングランドのカントリー・ダンス曲集から選んだ曲を演奏したものだが、古楽ではとうてい求むべくもないダイナミズムを実現した快作。これを伴奏にして実際に踊ることもできるらしい。冒頭の曲がまず聞物。曲自体としては[02]の方が愛らしい。Kynaston はこのダンス曲集の大半を作曲したとされている人物。

 KとHは映画『ゴジラ』を見に行ったため昼食はMと。餃子、大根の味噌汁(昨夜の残り)、搾菜、ご飯、林檎。

 午後、Mを監督して、Mの机周りの掃除。

○Belshazzar's Feast DROP THE REED; Wild Goose Records, 1998, England
Belshazzar's Feast  買ったまま聞いていなかったベルシャザールの前作。2ndにあたる由。ジャケットは酷いが、例によって中身は反比例。サーティンのもう一つの仕事はオクスフォード、クライスト・チャーチの聖歌隊だそうで、古楽方面の録音もあるらしい。となるとそちらも聞いてみたい。サーティンはヴォーカルも披露しているが、確かにちょっとクラシックがかったスタイル。とはいえ、それほど臭くはない。イングランドのカントリー・ダンス・シーンにもまた新たな展開が起きているのかもしれない。こちらはイングランド、ウェールズ、フランス等々のトラディショナル中心。サーティンのオリジナルもある。より二人のライヴに近い構成だそうで、実際二人だけで多重録音も無いようだ。これも早弾きをしなくても十分エキサイティングな音楽を造れる証しだが、やはりアンディ・カッティングの功績は大きい。サーティンのうたからフレンチ・トラディショナル、そしてイングランドの聖歌のメドレーの[03]。
○Chris Wood & Jean Francois Vrod CROSSING; RUF, 1999, England/France
Chris Wood & Jean Francois Vrod  フランス人フィドラーとのデュエット。ジャケットのオブジェもこのフランス人フィドラーの作品。二人の個性の差異と伝統の差異が重層的な干渉効果を生んで、ちょっとおもしろい、バロック的な響き。クラシックではもちろんないが、フォークの文脈ともちょっと離れている感じ。少なくともイングランド国内では生まれようのないエキゾティズムが新鮮だ。フィドル二本だけだが、広がりのある、立体的な音楽で単調なところや退屈なところは欠片もない。二人のフィドルが対位法的に絡んだり、片方がリズムを担当したり、おしゃべりも楽しい。まずはウッドのオリジナルにフレンチ・トラッドがはさまった[02]がいい。クリス・ウッドのうたうたいとしての資質も開花していて、"Seeds of love" は聞物。レーベルのサイト (www.rufrecords.com/) を見るとクリス・ウッドは他にも二つばかりのプロジェクトをやっていて、音が聞きたい。
○Chris Wood & Andy Cutting KNOCK JOHN; RUF, 1999, England
Chris Wood & Andy Cutting  IBTRAD-L で Michael さんが絶賛していたが、確かにかれらの最高作。このグルーヴ! 切れ味の良さはそのままに、うねりが加わっている。アルビオンズが鈍重に思える。そしてクリス・ウッドのヴォーカルのすばらしさ。ハイライトはカッティングのオリジナルから "Spencer the rover" へのメドレーで、このうたを聞くのは久しぶりの気がする。しかしこのグルーヴはイングランドだろうか。どうでもいいといえばどうでもいいのだが、このうねりはどこから来ているのか、気になる。曲によりイアン・カーがギターで参加しているが、期待通り、これまた見事。

○Chis Sherburn Denny Bartley Nick Scott LIVE AT THE WHARF; Sherbart Music, 1999, England/Ireland
Walt Michael & Company  LEGACY  クリス・シャバーンとデニス・バートリィはイングランドのデュオだったはずだが、ここではイラーン・パイプのニック・スコットをくわえて、ほとんどスタイルもレパートリィもアイリッシュだ。このコンサティーナはニール・ヴァレリィにも匹敵する。しかしノリはあくまでもイングランドのままで突走る。アイリッシュのように軽やかではないのだ。2tトラックのF1があったらこうだろうか。何より違うのがヴォーカル。どこまでも直球勝負の正面突破。とにかく熱い。"The May mornign dew" など、ちょっとアイリッシュでは出せないような押出しだ。リアム・ウェルドンでもこうはいかない。ただ、ひょっとするとこういうシンギングはアイリッシュからすると「傍若無人」に聞こえる可能性もないとは言えない。こんな凄いアルバムがあったとは、ちゃんと買った時に聞いていれば、昨年のベスト10は間違いない。

 夕食、鰹の叩き、小松菜の煮浸し、大根と油揚の味噌汁、ご飯、蜜柑。

 ミミカキエディットの作者から、コンテクスト・メニューの件で返事。Jamming を使えるようにツール・ボタンを作って送ってきてくれる。添付されていたファイル(単なるテキスト・ファイルらしいが)ツール・バーにドラッグ&ドロップするとちゃんとボタンが表示されたのにはちょっと驚いた。

○The Carnival Band HOI POLLOI; Park, 1999, England
The Carnival Band  マディ・プライアとの共演のときよりも遥かに奔放な演奏で驚く。[03]のマケドニアのトラディショナルなど、レゲェでやっている。かとおもうと[04]は古き良きニューオーリンズの想定。ヴォーカルもいい。もっと古楽に振れたグループだと思っていたら、どうやらとんでもない連中らしい。というよりこれはアメリカ、マケドニア、アフリカ等々の各地の音楽を自分たち流に料理したアルバムだった。サンバをカーテルやショームでやってるのには爆笑。こりゃあ傑作だ。各地の音楽の基本的性格はちゃんと残しながら、きちんと「偽物」を造っているところは凄い。
○Dave Whetstone THE RESOLUTION; Monkeys Knib Records, 2000, England
Dave Whetstone  アルビオンやコック&ブル・バンドの蛇腹奏者のソロで、バックはマーティン・オルコックはじめフェアポート関係者。カーニヴァル・バンドとかアンディ・カッティングとかBelshazzar's Feastとかを聞いてしまうと想像力の貧困が眼につく。というと酷だろう。もともとこの人たちはそれほど広い応用力を持っているわけではなく、いわば身の丈にあった音楽を誠実にやりつづけるところに価値を見出してきたのだから。「身の丈に合う」のと「続ける」というのが味噌だ。その意味で「フルハウス」の頃のフェアポートや初期スティーライ、あるいはアルビオン・カントリー・バンドとは音楽の成立ちが違うのだ。ここには音楽を魅力的に飾ろうとか、想像力を飛躍させることを楽しむ姿勢はまずほとんどない。デイヴ・ウェットストーンはイングランドの蛇腹弾きとしてはやはり一流で、名人芸ではないが、安心して聞けるし、基本的にオリジナルの曲も悪くない。音楽の前提を受入れてしまえば、気心の知れたものたちが和気藹々とやっているのは実に楽しい。

 夜はまた日記の整理。

2000年 12月 30日 (土) 曇り。

 朝食、フレンチ・トースト、餅海苔巻、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Hashikenn/ハシケン 感謝; リスペクト, 1998, Japan
Hashikenn/ハシケン  バンドでの渋谷クワトロでのライヴは今年見た中でベストのライヴの一つだったし、これまで見た全てのライヴの中でも屈指のものだった。ホーンの入った「ワイド節」のかっこよさは形容を絶した。本人もよほど気持ちよかったのか、まんまもう一度繰返したもので、それがまた良かった。バンド形式での最新作は文句なく今年のベストに入るが、基本的に一人でやっているこれもまた傑作。今のハシケンは歌うたいとして当たるところ敵なしだが、ここでもすでに独自の地位を確立している。シングル・カットもした「凜」やタイトル曲を聞いていると、日本語の歌つくりとしてこの人がいてくれる幸せを実感する。クワトロでのハイライトの一つだった「乳のみほせ」とか、独特の言語感覚が生出す美しい詞は何度でも聞きたい。ラスト・トラックでのユーモアたっぷりの太田恵資のヴァイオリンが見事。こういうセンスもハシケンの魅力だ。熱烈支持。

 午前中、台所ガス・レンジ周りの掃除。
 昼食、チャーハン、餡饅、肉饅、搾菜、鶏肉とカシューナッツの中華風炒め、蜜柑。

○Various Artists 貘 詩人・山之口貘をうたう; B/C Records, 1998, Japan
貘 詩人・山之口貘をうたう  ニフティであがったさんが騒いでいたので記憶していて、ふちがみとふなとカルテットのライヴ会場で買った。五郎さんの解説が簡潔で要をつくしている。どれもこれも力演、快演だが、一聴印象に残るのはつれれこ社中と佐渡山豊、それにすっとぼけた感じに聞こえる大工哲広。確かにこれは元の詩集を読みたくなる。
○ふちがみとふなと バブの店さき; 吉田ハウス, 1998, Japan
ふちがみとふなと  2nd。まず渕上の詞がいい。うたとしてうたわれて初めて「意味」を持ちうるコトバがいい。そしてコトバに「意味」をもたせるうたがいい。ぶうちさんがうたの原点を考えさせるうたと言っていたが、それはおそらく呪文だ。あるいは言霊。一見「意味」がない故に生じるコトバの力。「意味」と響きの共鳴。その共鳴をさらに増幅するのが船戸のベース。これは伴奏ではない。対話ではあるだろうが、通常の意味での「会話」ではない。それ自身意志を持つ谺というのが一番近いか。そして二人の音楽世界の重心でもある。収められた8曲どれもこれも面白いが、強いて一曲揚げれば「Go! Go! マングース」。

 Amazon.co.uk から書籍1冊。サン・シモンの回想録の3冊目。
 午後、ガス・レンジ周りの掃除の続き、パソコン台周りの掃除。
 K、5時半過ぎ、町田で晋君と待合せ。

○Uchida Kanntarou/内田勘太郎 MY MELODY; トオン・レコード, 1998, Japan
Uchida Kanntarou/内田勘太郎  たしか久田頼師匠が誉めていたので買ったと記憶する。白状すると憂歌団はまともに聞いたことがない。沖縄で録音したこのアルバムは確かに悪くない。相当に質の高いアルバムではある。ただ、ハシケンやふちがみとふなとといった人たちとならべてしまうとどこか隔靴掻痒の感は免れない。比べるのは酷かもしれないが、どうしても比べずにはいられない。これだけの腕とセンスを持っている人が、もう一歩先へ踏出してくれないのか。録音優秀。

 夕食、釜揚げ饂飩、味噌巻繊汁、蜜柑。

○Fuchigami to Funato Quartet/ふちがみとふなとカルテット 博学と無学; 吉田ハウス Label, 2000, Japan
ふちがみとふなとカルテット  ライヴから時間が経って、いま聞いてみると改めてあのライヴのすばらしさが蘇る。あの時も感じたが、千野秀一のピアノが実にすばらしく、バンドのサウンド面では核だろう。もちろん他のメンバーとの絶妙なやりとりが何とも楽しい。渕上純子の歌つくりも新たな刺激を受けた感じだ。歴史に残る傑作。
○Asakawa Maki/浅川マキ 闇のなかに置き去りにして; 東芝EMI, 1998, Japan
浅川マキ  以前、志田歩さんが絶賛していたので買っておいたもの。若いギタリストと二人の対話に、わずかにピアノとオルガン、打楽器でゲストが参加しているシンプルなサウンド。実は浅川マキもほとんど初めて聞くぐらいのものだが、喋るようにうたい、うたうように喋るヴォーカルと余計なことを一切しないギターとの緊張感と、二人の間の信頼感に満ちたやりとり。きわめて個人的な閉ざされた世界で、やはりモノクロームの世界でもあるが、一種水墨画の広大な天地にも通じる。こういうやり方もあったのだ。この後、最近の動きも気になる。
2000年 12月 31日 (日) 曇。

 朝食、ハムをはさんだロール・パン、チーズ・デーニッシュ、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

○Ohshima Yasukatsu/大島保克 東ぬ渡(あーりぬとう); Victor Entertainment, 1999, Okinawa
大島保克  最低限のバックのついた形で、全くのソロである最新作を聞いていなければ最高傑作とするところ。何の文句も無い。優れたうたい手のうたを心ゆくまで堪能できるだけでなく、「赤ゆら」のような伝統から半歩踏出した展開も聞ける。共同プロデュースをしている武川雅寛という人のヴァイオリンとマンドリンがいい。と思ったら、この人、はちみつぱい〜ムーンライダーズではないか。大学3年の時だったか、学園祭で呼んだアグネス・チャンのバック・バンドで来ていて、開演前のステージでベースの頭が顔に当たって痛そうにしていたあの人であろうか。

 午前中、オーディオ・セットの前のHの玩具類を整理させ、空いたところからスピーカー周りを掃除。Hの机周りを整理、掃除させ、最後に和室からリビング、洗面所、トイレ、玄関など一通り掃除。

 昼食、浅蜊の炊込みご飯、味噌巻繊汁(昨夜の残り)、菠薐草おひたし、厚揚げ、林檎。

 午後は、呆然としてもっぱらCDを聞く。Kはおせち料理を作りまくる。

○Daiku Tetsuhiro/大工哲広 誇(ふくい):八重山の祝の歌; アカバナー, 1997, Okinawa
大工哲広  「八重山百歌撰」の第一弾。ちょっとヴォーカルが引込んだプロデュースは疑問だが、それ以外は本人のうたもバックも文句のつけようもない。百曲録音するとなると少なくともCD8枚だから、おそらくは10年から15年かかる企画だ。最後まで見届けたいと思う。それにしても歴史的企画に乗りだすのに、普段着で雪駄履きでやっている風情。が、そこが沖縄の歌の魅力であり、音楽が生きているのはこういうことなのだろう。
○Ohshima Yasukatsu/大島保克 北風南風(ニシカジハイカジ);Polyster, 1993, Okinawa
大島保克  デビュー作。オリジナルをギター中心でトラディショナルは三線でやっている。その辺も含めて「脚色」が目についてしまうのは、素裸の最新作のすばらしさを聞いてしまっているからだろう。とはいえこれとて、はじめに聞いたなら、たぶん傑作とたたえたと思う。『今どぅ別り』も含め、この人のアルバムは全部見事。最新作が今のところ最高傑作であることは動かないが、好みからいうと微妙にコスモポリタンな香りのただよう2ndかな。
○Daiku Tetsuhiro/大工哲広&ツンダラーズ あがろーざ; ビクター/Nafin, 1998, Okinawa
大工哲広&ツンダラーズ  大工哲広恐るべし。あるいは梅津和時えらい、と言うべきか。大工哲広と梅津和時の二人を焦点とした二つの世界が重なり合う四次元空間はスリルに満ち、同時に心を鎮め、カタルシスをもたらす。ツンダラーズはその空間をひらりひらりと飛回る。タイトル曲をはじめとして太田恵資のヴァイオリンがいい。「月ぬ美しや」での梅津和時のクラリネット。この歌は子守り歌だそうな。「みなとーま」ではアフリカン・ポップスの組立てを持込み、囃しと返しのコール&レスポンスが見事にはまる。アコースティック・ギターにはアラブまで入っている。「あんばるんみだがーまゆんた」ではカリビアン。「つんだら節」では4ビート。そのねじくれたかっこよさには脱帽。うたの意味を知るとなおさらその深謀遠慮に唸るしかない。最後の「群か星ユンタ」ではサム・ベネットの打楽器が見事。いやしかし大傑作ではないか。
○Daiku Tetsuhiro/大工哲広 YUNTA & JIRABA; アカバナー, 1993, Okinawa
大工哲広  この時点ですでにここまでやってしまっていたのだ。トム・コラの名前があるのに驚いたが、すばらしいチェロを聞かせている。『あがろーざ』はこれの再演に過ぎないといってしまうと言過ぎだろうが、縦横無尽の演奏をバックに悠々とユンタやジバラをうたってゆく大工哲広のうたは無敵だ。この人の前に道はなく、歩いたあとに道ができる。

 「週刊子供ニュース」特別版を子供たちと見る。この中で公共事業の実体を人形劇でやってみせたのが爆笑もの。いつもながら世の出来事に対するこの番組の解説は本質をずばりとつき、しかも実に明快に提示する。これを見てしまうと他のいわゆる成人向け報道番組が、いかに表面的なことに終止し、本質を伝えていないかも良くわかる。

 夕食、すき焼き、ご飯、蜜柑。

 年越し蕎麦。子どもたちは一世紀に一度ということで年が変わるまで起きていてよいことにする。

○Various Artists 花染:奄美しまうた紀行; Jabara, 1997, Amami
花染:奄美しまうた紀行  奄美のうたい手のオムニバス。大半が女性。聞きなれないせいか、声も歌い方も全部同じに聞える。歌い方はともかく、声まで同じに聞えるのは何だろう。リッキーはちゃんと個性が感じられたのだが。少し本気で聞いてみる必要がある。奄美の三絃はバチバチというアクセントが気持ちよい。冒頭と掉尾に竪琴のインストがある。奄美の竪琴といえば里国隆だが、竪琴はやはり奄美では珍しくないのだろう。
 帯に書いてあるURLはなくなっていて、正しいURLは http://www.amami.com/jabara/index.html
○Daiku Tetsuhiro/大工哲広 賜(たぼられ): 八重山の願いうた; アカバナー, 1999, Okinawa
大工哲広  「八重山百哥撰」の二枚め。こころなし、こちらの方が大工氏の気合いの入り方が強い感じ。前作『誇』よりヴォーカルが前面に出ているせいかもしれない。しかし確かに油の乗った歌だ。こうなると出来がどうのこうのというレベルではもはやない。ただただ浸っていたい。
 521枚目。これにて今年の聞納め。

 今年一年間の入手枚数529枚。内サンプル盤73枚。13.8%。案外多かった。自前で買ったのは456枚だから、もう少し減らさねばならない。この他にライヴ関連にかかる金も相当ある。まあ、書籍の購入量が激減しているから何とかカヴァーしていられる。

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