大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 1月 29日 (月)〜2001年 2月 04日 (日)] [CONTENTS]

2001年 1月 29日 (月) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、オレンジ・ジュース、コーヒー。

 歯科。右上奥。今日は型を取る予定だったが、形を整えるので削った際、歯茎を痛め、出血したので、この次にするとのこと。

 「新し物好きのダウンロード」で、ATBEdit の新版があったのでダウンロード。テキスト・エディタのコレクションのためだが、これは特徴のないエディタ。これでしか可能でない機能はない。インターフェイスも凡庸。唯一買えるのはアプリのアイコン。フリーでもっと使えるエディタがたくさんあるので、わざわざこれを使う気にはなれない。iBookでもヤノのMOドライヴが使えるようにドライバをインストール。一応ヤノのサイトに行き、ドライバの最新版を確認。

 昼食、おでん、ご飯、搾菜。

 Amazon.co.jpから切通理作『ある朝、セカイは死んでいた』文藝春秋。昨日注文したもの。これはもう一般書店は全く勝負にならない。

 この人の名前を覚えるきっかけとなった『春秋』掲載の県立所沢高校の生徒会長との対話はこの本の冒頭に収録。小林よしのり『戦争論』についての論考に興味が引かれ、まず一読。導入部はなかなか面白いが、先へ進むにつれて奥歯に物が挟まったような文章になる。『戦争論』そのものに批判はあるようだが、小林への遠慮もどこかにあるらしい。あるいはこの文章がもともと掲載されたのが『諸君!』であることの「制限」があるのだろうか。
 「小林は、自分は我をなくしているから何も怖くないと言っている。そしてあくまでも証明された事実にのみ依拠するという。この態度は一見、とても謙虚である。彼はもはやゴーマニストではなくなったしまったようにみえる。
 だが、自己表現という枠を越えてしまうというのは、神を目指す行為でもあるのではないか。」
――同書、221pp.
 というような箇所を見ると、この文章は、自らを神に擬しはじめた小林に引導を渡すべく意図されたものなのかもしれない。ゴーマニストを続け、批判をすべて愚かなものとして斥けるならば、自らを神に擬しても不思議はない。ここで、小林は自らに向けられた批判を、はじめは反発してもやがてとりこむと著者は書くのだが、しかしその取込み方に未来はないことを、ミイラになったミイラ取りならぬ、ゾンビに齧られるゾンビの形で提示してみせる。引導を渡す、ではゴーマン過ぎるというのであれば、決別宣言だろうか。

 それにしても「証明された事実にのみ依拠する」とは、さすがにゴーマニストを自称するだけのことはある。確かにこういう自己規定をわざわざ掲げなければ、ゴーマニストにはなれまい。
 カヴァーの古屋兎丸の絵は、どうやら大地震で壊滅した東京らしい。多くの建物は傾き、少女が立つビルの屋上の床にも無数の罅が入っている。あるいは地震が襲った直後、まだ火事が起きない、あの妙にしらけた空白の時間だろうか。

 午後、チーフテンズ、ノルマ。昨日消したところは後でやることにして、先へ進む。

 夕食、カレー。

 夜、ぽっかりと時間が空き、久しぶりにニフティを巡回。「パブ」にだいぶ書込みがある。いかん、いかん。のりつじさんが6年前の1月17日のことを書いている。いまだに1月17日が近づくとどきどきし、当日は朝5時半に眼が覚めてしまうそうだ。当然だが、今までに接したどんな報道よりも、かの震災が人の心に刻んだ傷痕の深さを思知らされる。

 OSを9.1にしてから初めてニフティにつないだが、ComNifty の動作がまた違っている。9.0.4の時よりも、画面の動きが遅い。文字の流れ方がずっと遅いのだ。ダウンロードそのもののスピードも鈍っているのかもしれない。とりあえず、何とか繋げて、ダウンロードもできているので良しとしなくてはなるまいが、将来的にはますます不安だ。

2001年 1月 30日 (火) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、オレンジ・ジュース、コーヒー。

○Robin Williamson CELTIC HARP AIRS & DANCE TUNES; Greentrax, 1997, Scotland
 この人のLP時代の THE LEGACY OF THE SCOTTISH HARP はまことにすばらしいアルバムだったが、こちらは今一つ。あちらはどちらかというと古楽のレパートリィで、ダンス・チューンよりも、響きを大切に、ゆったりと聞かせる曲が主体だった。この人の資質にそれがよく合っていたのだろう。今回はダンス・チューンの有名曲などを多くとりあげているが、曲が踊っていない。ハープで弾くダンス・チューンは、もう少し軽やかに跳ねていってほしい。たどたどしいというほど技術的に劣るわけではないが、そう聞こえてしまうところがある。The Merry Band にも現れているが、どちらかというとこの人は頭で音楽をやっていて、ダンス・チューンをやる場合肉体を信用できないのではないか。インクレディブル・ストリング・バンドからしてロックではなく、むしろクラシック、つまり「教養」としてのフォークが底にある。本人は吟遊詩人を気どりたいのだが、宮廷の権謀術数は潜りぬけても、隣の村までも自分の足ではたどりつけない。

 10時頃、TBSビジョン・Kさんから電話。11時前に家を出る。観音坂からバス。観音坂まで真剣に歩くと、やはり左足脛が痛くなり、足はばたばた。停留所についてもしばらくは痛くて、左足を地面につけられない。散歩の時、こんなことにはならなかったから、それほど真剣に歩いていなかったのか。

 K氏12時半に現れ、ダンケで2時間ほど話す。なかなか話がわかる人なり。SFファンでもあるそうな。もっとも今日話したものがそのまま番組に活かされるとは限るまい。
 図書館により、池内紀『シレジアの白鳥』返却。連絡のあったエドゥアルド・ガレアーノ『火の記憶1:誕生』を借りる。『ムージル日記』『地域の世界史』のうちの「移動」の巻をリクエスト。

 昼食、吉本家で葱味玉ラーメン。

 吉本家で読んだ朝日の朝刊に、日本IBMが新入社員にLinux習得を命じたという記事。来年度の新入社員全員にノート・パソコンを貸与し、入社までにLinuxの基本を習得するよう指示したという。入社時にはLinuxは一応使え、半年後にLinuxの技術的側面についての論文提出が義務づけられている由。

 タハラでエンヤ『ウォーターマーク』、Dolly Parton LITTLE SPARROW、ニール・ヤング ROAD ROCK V1 を買う。

 『火の記憶』を読みながら帰る。翻訳良し。これは日本語で読んでもよいかもしれない。図書館の分類は「歴史」ではなく、「文学」。吾妻神社から歩いて4273歩。帰宅3時半。

 のざきからアラン・ケリィ『モザイク』。スーザン・マッキュオンの紙資料。ライナーは白石さんで、あいかわらずぎっしりの情報だが、文章そのものはいつもの冴えが鈍っている感じ。ちょっとくたびれていたのか。いずれにしてもスーザン・マッキュオンが紹介されるのはめでたい。Amazon.comからCD3枚。Kat Eggleston SECOND NATURE, Naftule Brandwien KING OF THE KLEZMER CLARINET, Oller & Co MANDOLINO。

 MacOSメール環境の最新版をダウンロードし、試してみる。さすがにずいぶん良くなり、ちゃんと動作するようになっているが、ダウンロードしたメールを一つずつのファイルに分割するところだろうか、処理に時間がかかりすぎる。Java を使っているらしく、Java Console が現われる部分。1本1.5秒ぐらいかかる。少々興醒め。1メール1ファイルはメリットも大きいと思うが、この処理時間はそのメリットを相殺してしまう。

 夕食前、ヒデ坊から電話。アルタンの『アイランド・エンジェル』の歌詞を送ってくれとの依頼。二つ返事で引受けたのはいいが、夕食後、さてと探してみると、どこにも見当たらない。なんということだ。電話して、代替の方法をとることにする。

 今回帰ってくるときにはアムステルダムの乗継ぎの際、飛行機のパイロットが雪で空港に来られず、6時間遅れ。ドニゴールに飛ぶ際ダブリンで3日待ったのに比べればいかほどのことがあろうとタカをくくって賭博場でとぐろを巻いていたら、その間に飛行機は飛びたってしまった。空港は24時間オープンなのではじめはそこで泊ろうとしたらしいが、あまりに「親切」な人が多いので、やむなく深夜、吹雪で視界がほとんどない中、アムステルダムの街へ2時間歩いた。はじめは空港近くのヒルトンを訪ねたが、一番安い部屋で2万円と言われてちょん。市街地へ向かい、安宿をみつける。満員と言われたが、もう限界だったので、ロビーの長椅子で寝ていると、フロント係が掃除道具をしまうロッカーに簡易ベッドを置いてくれたので、そこで朝まですごした。翌朝は朝6時に起き、またもや4時間遅れた同じ時刻の便に乗った。ヒデ坊は笑っていたが、今となっては笑うしかあるまい。

 夕食、カレー、白菜・人参のスープ、海苔、ご飯。

 全角英数入力の際、IMがひっかかってしまう現象をなんとかしようとあれこれやってみる。一つはキー・バインドを変えてみたが、これは効果無し。もう一つは Nickey の設定でキーコード出力のスピードを一段落とし、直接出力ではなく、間接の一番高速なものにしてみる。これは効果が一応あるようだ。

2001年 1月 31日 (水)  晴れ。

 朝食、ハム・トースト、プチトマト、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

 T's Scripts の新版(9.1対応版)をダウンロード。その作者の日記を見て、Disc Burner をダウンロード。アップルのサイトではファイルに繋がらないので、Apple のサイトに行く。TomeViewer で CarbonLib 1.2 日本語版をとりだし、手動でインストール。ことえりではキーボード・ショートカットに不具合が発生するそうだが、WXGでは特に問題はないようだ。しかし、できているのなら、なんで配布しないのか。と思ったら、やはり症状が出た。Ctrl+アルファベット・キーで入力のモードを切替えようとするとフリーズ。英語版にもどすと症状は直る。これではますます日本語版のOSを使う意味がない。

○Dolly Parton LITTLE SPARROW; Sugar Hill, 2001, USAmerica
Dolly Parton  けっして好きな声でも歌い方でもないのだが、全体の音楽には聞入ってしまう。歌に対する誠実さと、音楽を楽しむ姿勢の故だろうか。ジェリィ・ダグラス、スチュアート・ダンカンをはじめとするバック陣も、寛ぎながら気合いの入った演奏で、ヒロインと一体となる。アメリカの音楽として理想の形。アルタンは4曲で参加。前回もそうだが、あまりしゃしゃり出ることはなく、ヒロインの音楽に自然に溶込んでいる。キアラン・トゥーリッシュのロゥホィッスルがいい。ドリィの自作のタイトル曲がまずすばらしいが、ハイライトはスティーヴ・ヤングの "Seven bridges road"。この重い曲をアップ・テンポで軽快にやってのけたセンスに拍手。

 昼前、MSI・Sさんに電話。ヒデ坊にアルタンの歌詞をファックスしてくれるように依頼。

 昼食、クサヤの干物、キャベツ味噌汁、ご飯、林檎、蜜柑。

 アップルよりMacOS9.1のインストール・ディスク。白石朗さんより訳書。グリシャムの新作。Locus 1月号。F&SF2月号。MSIより新譜情報。
 Amazon.co.jpから田嶋雅已『炭鉱美人:闇を灯す女たち』築地書館。筑豊の46人の元女坑夫の肖像写真と聞書き集。最初の一人の分を読む。

 午後、チーフテンズ、ノルマ。19章、見直して送る。
 『中谷宇吉郎集』第三巻がようやく来る。

2001年 2月 01日 (木) 曇りのち雨。

 早朝、電話あり。今日のHたちのスケート教室は延期。

 朝食、薩摩揚げ、豚肉・白菜の蒸煮(昨日の残り)、茹でブロッコリ、ご飯。

 朝はまずiBookに Norton AntiVirus をかける。CD-Rから立上げて一度かけた後、インストールして LiveUpdate を行い、再度スキャン。問題なし。

 大分のYさんから、よくわからない添付ファイルが来たとのメールが来た。先日、Nさんからやはりよくわからない添付ファイルが来て、これが窓専用のウィルスだったため。
 QuoEdit 0.7.2r1 をダウンロード。

※アイルランド音楽がなぜわれわれにも訴えるか。

 われわれの感性の柔軟性。
 異なる文化や社会が生みだすものにも感ずることができる。
 では、音楽に国境はないかと言えばそれはある。政治的、あるいは経済的な国境ではないが、しかし厳然としてそれはある。空間的な境界ではなく、むしろ心理的・感性的境界だろう。異なる文化や社会の音楽を聞いてゆくと、どこかでこれはわからないという部分にぶつかる。アイルランド音楽でいえば例えばどうしようもなくセンチメンタルな部分がある。おそらくこちらはそれをセンチメンタルととらえるのだが、アイルランド人にとっては違う性質のものだろう。とまれ、そうした理解不能、共感不能の部分は必ず出てくる。
 境界自体はつねに揺れ動いている。短期的にも長期的にも変化する。しかし、無くなることはない。
 そして、実はその部分、理解不能、共感不能な部分こそは、われわれがそもそも異なる文化、異なる社会、異なる音楽に惹かれるその理由ではないか。わからないもの、未知のもの、われわれはそこに惹かれるのだ。異質のものはそれだけで魅力だ。
 そういう観点からすると、アイルランド音楽に感じる奥深い明るさ、励ましの性質などは、むしろ枝葉末節のことにも思われてくる。


 昼食前、TBSビジョン・Kさんからファックス。明日のラフな台本、資料、場所の地図など。エンヤ、U2、コアーズの三題話だ。多少覚悟はしていたが、現実をつきつけられると幻滅しないというと嘘になる。テレビとはまったくこんなものなのだ。腹が立つというより、気の毒になってくる。

 一通り、目を通し、架電。無駄と知りつつ、多少言ってみるが、やはり無駄であった。長めに収録したものをカットして15分ぐらいに縮めるとのことなので、とにかく、しゃべるだけしゃべってみよう。

 昼食、鶏の唐揚げ、搾菜、茹でブロッコリ、ご飯。

 昼食はさんでチーフテンズ、ノルマ。

 午後の残り、再度 Toast でCD-R焼きに挑戦。シミュレーションするとやはり途中で接続不安定に陥る。USBの機能拡張が怪しいと思い、調べてみると、インストールされているものが4.1.2付属のものより古い。4.1.2 のアップデータをあててみようとしたが、「インストールのための省略時設定の場所が見つからないため、インストールを終了する」とアラートが出て、できない。しかたがないので、4.1.2 のフォルダ内の機能拡張を手動でインストール。デスクトップファイルの再構築をし、再起動。ブランク・ディスクもまっさらのものに替え、再度シミュレーションしてみたら、今度は最後まで行く。実際の書込みでもOKとなる。初めの方でだめになっていたディスクでやってみると、ちゃんと書込める。ただし、Spectral でもマイクロメガでもエラーになって読めない。ソニーのディスクマンではちゃんと音が出た。

○Enya WATERMARK; Warner Music Japan, 1989, Ireland
 念のため聞いてみる。なるほど確かに伝統がベースにあることはすぐわかる。ケルトというよりも、はっきりアイルランドだ。しかし相変わらず、それ以上何も感じない。悪いとすら感じない。鳴っていてもいなくてもまるで何も変わらない。

 夕食、鮪刺し身、豚汁、茶碗蒸し、菠薐草おひたし、ご飯。

 夕食後、ラフ台本を見ながら、ちょっとメモをとる。

2001年 2月 02日 (金) 晴れ。


○Mike Oldfield VOYAGER; WEA, 1996, Britain
 こういう機会でもないと聞かないアルバム。TUBULAR BELLS と OMMADAWN は好きなアルバムで、特にセカンドは発表当時よく聞いたものだ。何よりあの二つは、テクノロジーを利用すればまったくの一人でも高度に複雑で洗練された音楽作品を作ることは可能であるという事実を実作によってしめした点で、先駆けであると同時に古典作品にもなっていた。エンヤにしてもこの人なくしてはあの形が可能だったかどうか。その後も時おり、ポルカをロック仕立てにしてみせたものなど、それなりにこだわりと音楽への執着が感じられ、どちらかと言えば好感をもっていた。ここにはもはや何もない。当初あったかもしれぬインスピレーションもきれいさっぱりと消えている。あるとすればカネへの執着だろうか。とにかく一枚アルバムを作らなければならないという契約履行義務と、少しでも「流行り」で「売れる」ものをとりこもうとする経営感覚のみ。これをしもファンは良いと感じるのだろうか。おそらく感じるのだろう。ファンとはそういうものだ。これによって新たなファンを獲得できるだろうか。できるかもしれない。とはいえ、これを続けるならば、音楽家としては死んだも同然。録音エンジニアか、シンセサイザー音楽コンサルタントか、別の職業を考えたほうが良かろうと思われる。

 11時半のバスで出かける。バスが発車する前から雪かなり激しく降る。駅前に行くと弱まっている。

 昼食、ミロードの上で麦トロ舌定食。

 まっすぐ北の丸公園、科学技術館内の千代田ビデオのスタジオ。TBS・BSテレビ番組の収録。2時少し前に着く。九段下から武道館の横を通ってゆくが、地下鉄のホームからずっと登りで息が切れる。メイクして控え室で待機。Kさんが来て、ちょっと打合せ。収録自体はほとんど一発。しゃべるつもりでいたことの半分もしゃべれなかったが、まあ、あんなもんだろう。4時半少し前に終わったので、次の出演者である坂本健さんのバンド(パイプがブレンダン)をちょっと見て辞去。

 『CDジャーナル』編集部へ行き、Iさんに今月のCDを渡す。送るのを忘れてていたため。
 東京堂を覗き、金子光晴・尾島庄太郎の『イェイツの詩を読む』思潮社を買う。二人の共訳による詩と各詩篇をめぐる対談を尾島氏の弟子の人がまとめたもの。「古瀬戸」に入って少し読む。やはりくたびれたのか、目がしょぼしょぼ。

 夕食、駿河台下の「ザ・ハンバーグ」。

 くたびれたので白泉社の新年会はパスし、とろとろと原宿。旧「ザ・パイント」の「マーフィーズ」で unit4 の新年会。7時少し過ぎだったが、野崎が来ていた。先ほどスタジオで一緒だった坂本氏らのバンドがライヴ演奏で入っている。

 クストリッツァとブレゴヴィッチは今や犬猿の仲で、世界でただ一人殺せるなら、あいつを殺すとまで言っているそうな。なかなか良い台詞だ。

 チーフテンズ伝記は4月25日のベスト盤およびリイシュー盤の発売日に合わせる方向になる。
 11時過ぎに一人帰る。最終小田原行きで帰宅〇時半。月初め週末とて、電車は朝のラッシュ並み。タクシー10分ほどならぶ。

2001年 2月 03日 (土) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 Kを送る。

○Suzuki Isao/鈴木勲 ブロー・アップ; Three Blind Mice, 1973/2000, Japan
Suzuki Isao/鈴木勲  ベーシストのリーダー・アルバム。ベースが二人いるが、本人がチェロを弾いている時に、ベースが入っているらしい。この組合せの曲はおもしろい。こういうアルバムを聞いて思う、日本でジャズをやる面白みがどの辺にあるか。というのも篠田昌巳や渋さ知らズのやっていることを聞いてしまった身であれば、ただアメリカのジャズをそのままやったとしても、すでに耳が変わってしまっているからだ。「そのままやる」というのは当然模倣やコピーではない。アメリカのジャズを十分消化し、自らの音楽言語として発信できるレベルのことだ。ある意味とても厳しいものを求めているのかもしれないが、北欧のジャズ、ブルターニュのジャズ、あるいはクレツマーやロマの入ったジャズを聞いてくると、そうした「ストレート」なジャズではどうにも物足らない。本来、もっともっと面白くなるはずではないかと感じてしまう。このアルバムに限って言えば、本人の作品ではなかなかの面白みを発揮しているが、海外の人の作品ではなるほどと頷く以上の感慨は現れない。
○Takayanagi Masayuki/高柳昌行・新世紀音楽研究所 銀巴里セッション; Three Blind Mice, 1963/2000, Japan
銀巴里セッション  ギターの高柳を中心としたセッションのライヴ録音。一曲目の「グリーンス・リーヴス」はベース二人、ドラムスとのカルテット、というのだろうかこういう場合。上記のアルバムと比べるとここでの音楽が興味深いのは、文化の土着的コンテクストから離れることに成功しているように聞こえるところだ。ジャズを追求することである普遍的音楽、コスモポリタンな響きと価値を持ちうる音楽の領域へと入ってゆく。一種のヴァーチャル・リアリティと言ってもいいかもしれない。高柳のギターにも、あるいは[04]の山下洋輔のピアノにもそうした響きが聞こえる。あるいは1963年というこの時代の持つ「普遍性」への志向の結果かもしれないが、だとしても、一瞬ではあろうとこうした音楽が生まれ出ていたこととそれがこうして記録されたことの価値が落ちるものではない。そう、特にこの四曲め、山下洋輔、富樫雅彦、金井英人、宇山恭平による金井英人の "Obstruction" の演奏は、歴史に残る名演ではないか。時も空間も完全に超えている。

 キング・ベアー出版販売促進部のY氏から『バビロン』の三版見本と各種資料。順調に重版を重ねてほしいものだ。Amazon.com よりCD一枚。SONGS OF A MECEDONIAN GYPSY。エスマの旧譜。

 昼食、釜揚げ饂飩、茹で卵、蜜柑、林檎。
 夕食、小松菜豚肉、ご飯、蜜柑。

2001年 2月 04日 (日) 曇り時々晴れ。

 朝食、葡萄パン、キャベツバター炒め、炒り卵、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

 小学校の自然観察会。児童・保護者等約60名の参加。高松山の頂上には登らずに、中腹と愛名緑地を回る。鴉には嘴細と嘴太があることとその見分け方。杉と檜の見分け方。青木。栗の毬。朴の葉。女郎蜘蛛の冬篭り用繭。忍冬。愛名緑地には桜の巨木が何本もある。樹木の種類とその見分け方を書いた看板があるのはいいが、なぜか遊歩道とは反対側に向いている。学校の雑木林の出口付近の樹の洞に、ヨコヅナサシガネという昆虫が三匹、じっと留まっている。暖かい地方に多い種類で、神奈川県内ではまだあまり発見例がない由。学校にもどり、豚汁をいただく。

 昼食、豚汁、肉饅、餡饅、海苔巻餅、蜜柑、コーヒー。

 Norton AntiVirusの新しい定義ファイルが出ていたので、LiveUpdate でダウンロード・インストールして、ウィルス・チェック。問題なし。
 くたびれたので実家へ行くのはやめて、午後はチーフテンズ、ノルマ。

 夕食、小松菜豚肉(残り)、大根と豚ばら肉の煮込み、舞茸と蓮根の炊込みご飯、巻繊汁、厚揚げ。

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