大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 2月 05日 (月)〜2001年 2月 11日 (日)] [CONTENTS]

2001年 2月 05日 (月) 晴れ。少し雲あり。

 朝食、巻繊汁、大根と豚ばら肉煮込み(昨夜の残り)、搾菜、細切り昆布佃煮、ご飯。

 朝刊に Gordon Rupert Dickson の死亡記事。1月31日死去。

 朝、PTAの旗振り当番。車の交通量は心なし減っている気がする。8時10分になると学校の土手沿いに上がってくる車が急に増えるが、それにしても一度に3〜4台でそんなに多くない。一度生徒の姿が完全になくなるまで待つと25分。家にもどり、歯科。右上奥をもう少し削って形を整え、型をとり、ストッピングを入れる。980円なり。もどって洗濯。

 Appleのサイトに行き、OpenGL 1.2.1 をダウンロード&インストール。iBookにも移す。iBookはゲームは直接関係はないのだが、QuickDraw 3D や ATI Accelerator の新版も入っているので、多少とも描画が速くなるようにとのおまじない。

○Yamamoto Takeshi/山本剛 ミスティ; Three Blind Mice, 1974/2000, Japan
山本剛  優れた演奏だし、アルバムとしても見事なものではある。それだけに一層もう一歩つっこんでくれ、と言いたくなる。この時期にはまだ無理なのかもしれない。アメリカ人のコピーとは言えないし、ジャズができるのはアメリカの黒人だけなどというのは愚の骨頂ではあるのだが、もともと生まれたコンテクストを離れてジャズをやるのだから、もっと「ジャズ」っていいのではないかと思ってしまう。クラシックではないのだ。何かの統一的理想があるわけはない。あたかもそうした「これがジャズだ」的な仮想的理想を目指して音楽をやっているようだ。そこが歯痒い。
○Hayasaka Sachi&Stir Up/早坂紗知 STRAIGHT TO THE CORE; Three Blind Mice, 1990/ 2000, Japan
早坂紗知  そしてこれはどうだ、何とも楽しいではないか。こう来なくては嘘である、ジャズではない。渋さ知らズの淵源の一つはここにある。というよりやはりこうした音楽が現れる条件が整ってきていたのだろう。ジャズのフォーマットやリズムにこだわらず、ロック調のギターやさまざまな打楽器が好き勝手に活躍する。おそらくは冒頭2曲("Mother of the veil", "In all languages")もとりあげられているオーネット・コールマンや後半出てくるローランド・カーク("Lady's blues")などの影響でもあるのだろう。この辺を筋としてこの二人を聞いてみよう。
○Sachi Hayasaka & Stir Up!/早坂紗知 MILAGROS; Off Note, 1996, Japan
早坂紗知  アルバムとしてのまとまり、完成度は一番かもしれない。メンバーとしてはほぼ現在活動している形。遊園地での子どもの声から始まる冒頭の曲はタブラトゥーラにいた時の作品の再演だが、もちろん、比較にはならない。まあ、別の曲と思ったほうがいいのだろう。金子飛鳥のヴァイオリンが良い。コスモポリタンとしてのジャズの枠組みと、この列島で生まれる音楽表現としての内実のバランスが気持ちよく、さらにそこからまた直角に離陸しようという試みは、柳の枝に飛びつこうとする蛙に似ていなくもないが、結果などどうでもいいのだ。おそらくは子どもの姿を見て、遊びの本質、などというと語義矛盾ではあるが、とにかく遊びとは結果を問わない、プロセスを楽しむことなりという「真実」をあらためて思知らされたその変化がこのアルバムとして捉えられている。我執のぶつけあいではなく、独立した個性同士の交歓。和気あいあいとして、手に汗握るスリルの連続。ドラムスが引いているのが奥ゆかしく、手打ちのドラム類を前面に出しているのも◎。とどめはトム・ウェイツの "Take care of all of my children"。傑作。

 昼食、クサヤ干物、巻繊汁(残り)、ご飯。
 夕食、ハーブ・チキン、白菜・人参のスープ、葡萄パン、ブルーベリィ・ジャム付ロール・パン、ココア。

 夕食後、iMacでCD-Rを焼こうとすると Toast CD Reader を読込んだところで起動がストップした。強制再起動したらコンフリクト・キャッチャーが自動的に立ちあがり、コンフリクト・テストをするのだが、途中からループに入ってしまう。「9.1すべて」を選択して立上げ、デスクトップファイルの再構築をしようとFileBuddy を立上げようとすると何かのライブラリがないので駄目。キーボード・ショートカットで再構築しようとヘルプを出そうとしたら、「インターネット設定機能拡張」が駄目なので、システムを再インストールしろとのこと。仕方がないので、新規に再インストールする。

2001年 2月 06日 (火) 晴れ後曇り。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、白菜・人参のスープ(昨日の残り)、バナナ、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

 家事の後、バスで出かける。実家。駅前の有隣堂に開店と同時に入り、トンボの Zoom 707 のシャープを色ちがいで2本注文。

 昼食、実家で葡萄の油で炒めた餅、バナナ、白菜の漬け物。

 餅と缶入り八丈バター、パイ饅頭をもらって帰る。ハインラインの短篇集は見当たらず。
 本厚木にもどり、無印良品で新製品のダブル・リング・ノート(ドット方眼)古紙再生紙使用とバイブル手帳用の付箋セットを買う。

 帰宅3時前。民音用の原稿の件、でプランクトンと何度かやりとり。
 Amazon.co.uk から書籍一冊。Ralph McTell の ALPHABET ZOO SONGBOOK。

 夕食、チャーハン、豚肉とニンニクの目の中華風炒め、牛肉金肥等、蜜柑。

 夜、チーフテンズ。歩きまわったせいか、あるいは風邪ぎみのせいか、体が何となくほてっていて、脳も沸いている。途中でダウン。

 実家への往復と帰宅後、ハインラインの中短篇を読む。EXPANDED UNIVERSE。THE WORLD OF ROBERT A. HEINLEIN 収録の中短篇の他、単行本未収録のもの、各種ノンフィクションを集め、著者のコメントを付したもの。著者の序文によれば執筆時期は処女作の "Life-line" (1939) から出版時 (1980) の40年におよぶ。中谷宇吉郎のエッセイとならんで読んでみると、科学者と技師の違いが浮きでてくる。SFとは畢竟テクノロジーをベースとするであって「科学」が対象ではない。一番の違いは問題の提起の仕方と「解決」の性質だ。科学の問題は自然の観察への反応から生まれ、「解決」は通常次なる問題を生む。技術の問題は人間の利益追求から生まれ、解決は通常利益を生む。

 そこで科学はそれ自体がロマンであり、冒険であり、娯楽である。フィクションに仕立てるまでもない。科学をフィクションに仕立てようとすれば、むしろ思想を扱うことになろう。
 技術もロマン、冒険、娯楽になりえるが、それはどちらかと言えば、科学に近い技術(科学と技術を明瞭に分ける境界はありえない)での話で、利益追求が関ってくれば当然そのプロセスは実際的、安全追求、義務遂行の色合を濃くする。したがってこれをフィクションに仕立て、ロマンと冒険と娯楽の要素を加える必要が出てくる。そして技術そのものよりは、それをめぐる人間のドラマとなる。

 ハインラインの関心はあくまでも人間であり、人間のドラマを生むきっかけ、触媒として技術が利用されている。SF以外の文学は、ドラマを生みだす要素として他の人間との関係を利用する。

 はじめは簡単に収入を得る手段として小説を書いていたハインラインが、小説を書かないと体調が崩れ、書くと調子が良くなる、という話はおもしろい。多少の誇張はあるとしても、核心の部分は事実だろう。

2001年 2月 07日 (水)  雨。

 朝食、ハム・トースト、プチトマト、バナナ、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

○Esma Redzepova & Usnja Jasarova SONGS OF A MACEDONIAN GYPSY; Monitor, 1994, Roma/Macedonia
Esma Redzepova & Usnja Jasarova  おそらくはLP時代別別に出ていたものを2 in 1 でまとめたものではないか。エスマとウスニャの二人の女性シンガーとそのバンドの録音。トラックは一応混ざってはいる。こういう人びとをただスタジオに入れてテープを回せば、こういうレコードができあがる。聞く方も辛いが、やっている方はもっと辛かったのではないか。やはりフランク・ロンドンのようなもののわかって、かつ実力のある人がプロデュースをしないと、録音で本来の魅力を伝えるのはむずかしい。資料としての価値以外なし。

 昼食、ほっけの干物、キャベツの味噌汁、プチトマト、白菜キムチ、ご飯、ユカリ。

 昼食を食べながら、中谷宇吉郎を読みつづけ、第四巻一気に読了。この人が描く寺田寅彦を読むと、寅彦はひょっとすると明治以降わが国に生まれた人物のなかでも飛びきり大きな存在ではないかと思われてくる。それこそ寅彦の師の漱石よりも遥かに大きい。むしろ科学と文学(寅彦は絵も描き、音楽も嗜んでいる)の双方に大きな足跡を残したことからすれば、文化史的には鴎外の後継と見るべきかもしれない。むろん政治家など比べ物にならない。そして寅彦が長生きしなかったことはわが国近代史上最大の悲劇、不運の一つではなかったか。
 そう言えば「科学の芽生え」のなかで称揚している島津斉彬もまた若くして死んでいる。

 午後、チーフテンズ、ノルマ。

 夕食、豚肉垂漬け、無翅白菜、大根の漬け物、白菜キムチ、ご飯、蜜柑。

 夜は J Neil Schulman のハインライン・インタヴューを読上げる。シュルマンが引出したいと意図している政治的な言質をハインラインは当然与えていないが、代わりに提示している作家としての姿勢や思考の痕には「本音」がしばしば漏れていて興味深い。そうした本音はおそらくは意図してしゃべっているものもあり、無意識にうちに漏らしたものもあるだろう。

 ハインライン本人は進んで自らについて語ろうとする人ではなかったようだ。英国人ならば自らをある程度つきはなし、作家として料理する材料にするところだろうが、その点ではハインラインはついに自意識の呪縛から逃れられない典型的なアメリカ人である(いろいろの点でハインラインは「アメリカ人」としての典型ではある)。あるいはむしろ、自らを客観視できないことは、アメリカ人に「なる」ための資格の一つといえるかもしれない。

 ついでに買ってあったはずの短篇集を探しだす。が、「未来史」の集大成である THE PAST THROUGH TOMORROW はカヴァーと本体がはがれ、読むとばらばらになりそうだ。さらにAmazon.comで他の短篇集二冊ほどと紀行文の集成を注文。またビブリオを求めてネットをさらうと一つやや詳しいものと、その他にポルトガルかブラジル人が作っているサイトがある。ここにはノルウェイ人らしい人物の『異星の客』の二つの版を比較してのエッセイもあり、一通り目を通す。細かいところでは異論もあるが、オリジナル・アンカット版の方が話の流れがスムースという結論には同意する。アンカット版を読んでしまうと初版はダイエットしすぎてバテている感じだ。

※今日の引用
 「此ノ鉱ハタトヒ発掘スルコト得ズトモ」という言葉は、科学の真髄にふれている言葉であると私には思われる。こういう場合によくある例は、家臣から外国鉱山発掘の研究を進言する、それに対して「それをやったら必ずこの金山が発掘できるか」という言葉が出るのが普通である。それとまるで逆の言葉が、百年前の斉彬公の口から出たことを、私は驚嘆するのである。

 研究すれば必ずできるものならば、研究する必要がないわけである。できるかどうかわからないからこそ、科学者は苦心するのである。こういう風にいうと、よくそれは科学者の逃げ口上であるという人がある。しかしわれわれは研究してもできないかもしれないが「此ノ鉱ハタトヒ発掘スルコト得ズトモ」研究をすれば必ずそれだけの効果はあることを確信し、またそれだけの責任は負っているつもりである。科学は実利を目的としたものでなく、実利が科学から生まれるものである以上、それは致し方のないことなのである。
中谷宇吉郎「科学の芽生え」『中谷宇吉郎集第四巻』2001.01, 301-302pps.

2001年 2月 08日 (木) 晴れ。

 朝食、ツナ・トースト、林檎、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

○Anthony Brown's Asian American Orchestra FAR EAST SUITE; Asian Improv Records, 1999, USAmerica
Anthony Brown's Asian American Orchestra  渋さ知らズを聞いていなければおそらく諸手を挙げて喝采するところだろう。全曲デューク・エリントンの作曲ということもあるし、もちろん全く別の音楽ではあるのだが、極東アジア的感性をベースとしたフリーなジャズという点では共通してしまう。そしてここにはどこかでまだ「ジャズ」のフォームに引きずられているところが見える。たぶん本人たちは意識していないだろうが、あるいは何とかそれを捨てようとしているところも見えるのだが、一方でまったくそれを無視してしまうのも「不安」なのではないだろうか。オーケストラという呼称をもち、大編成ではあるものの、むしろ集団としての相乗効果よりは、ソロをとるメンバーとバンドの間にスペースができてしまう。だから、小編成になった時の方が交歓が自由で音楽が生きる。そう、こうしてみると渋さ知らズは何と言っても農村共同体の伝統を行かした集団の「祭」なのだ。これはあくまでも個を第一に考えるアメリカの「芸」だ。凡百の「ジャズ」など問題にならない面白さではあるが、やはり「ジャズ」は個人による音楽であり、集団になった時も個々の役割が明瞭にならざるをえない。

 昼食、鰹角煮、白菜キムチ、大根漬け物、キャベツ味噌汁、ご飯。

 K、1時頃帰宅。Mの授業参観に出て、そのまままた学校へもどる。
 Rad Rockers からカタログ。B&OからDM。BeoSound 1 というレシーバーの新製品が写真。あいかわらずデザイン秀逸。

 終日、チーフテンズ。ラスト・スパートで10ページやったらさすがに終るとぐったり。しばし何もする気になれない。短時間仮眠。
 MacOS Runtime for Java 2.2.4 をソフトウエア・アップデートでダウンロード、インストール。

 夕方、メール・チェックをするが、今日もどこにも返事を出す気になれない。気持ちが内側に向いている。

 夕食、ハンバーグ、人参とインゲンのグラッセ、じゃがバタ、ご飯、大根卸し。

2001年 2月 09日 (金)

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、オムレツ(チーズ入りのはずだが割当ての断片にはチーズ無し)、白菜・人参のスープ、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

○Jon Jang, Jiebing Chen, Max Roach BEIJING TRIO; Asian Improv Records, 1999, USAmerica
Jon Jang, Jiebing Chen, Max Roach  ピアノのジョン・ジャン、ドラムスのマックス・ローチ、二胡のジービン・チェンのトリオ。マックス・ローチと言えば大御所の一人だと思うが、実にしなやかなセンスで音楽をやっている。むしろピアノと二胡をつないでいるのはこの人かもしれない。本人の資質か、ジャズという音楽のファンダメンタルなのか、あるいは両方か、わからないが、いずれにしてもこれまた音楽本来の楽しさを満喫させてくれるアルバム。みのさんからもらった一連のアジア系アメリカ人のジャズの中でも出色だが、だけでなく、たとえばデイヴ・マタックスのジャズ・アルバムにも匹敵するおもしろさだ。ジャンルやスタイルはどうでもよくなると同時に、ジャズの手法がいかに強力なツールかを思知らされる。それにしてもこの三つの楽器の組合せは絶妙だ。持続音楽器と、非持続音メロディ楽器と、リズム楽器。あえて難を言えば、正三角形ではなく、ピアノとドラムスを結ぶ線を底辺とした二等辺三角形というところか。こういうのをもっと聞きたい。

 昼食、鱈子、海苔、ご飯、林檎。

 朝からチーフテンズ。3時半、終了。
 Songline 2001年冬号。ハンガリーの Fono のサンプラーがついているのは嬉しい。

 夕食、水餃子、菠薐草おひたし、ご飯、伊予柑。

2001年 2月 10日 (土) 晴れ。

 朝食、グレープフルーツ・ジュース、チーズ・デーニッシュ、ブルーベリィ・ジャムを塗ったロール・パン、茹でブロッコリ、コーヒー。

 朝一番で医者に架電。薬を取りに行きがてら、そのまま駅前に出、有隣堂にて連絡のあったトンボのシャープ・ペンシル Zoom 707 2本を引取る。その前に一階で『噂の真相』3月号、栗本薫『疑惑の月蝕:グイン・サーガ77』ハヤカワ文庫、大岡信『詩の日本語』中公文庫を買う。ディスクユニオン前の雑貨屋で竹の深い笊を捜すが、いま竹の笊は扱っていない由。蛍光燈に焼けてすぐ色が褪せ、商品価値が無くなるため。また、製造量も少なく、国産のものは相当高価になる。安いものは中国産。普通に流通しているのはほとんどがステンレスかポリエチレン。とりあえずポリエチレンのものを買う。図書館で池内紀の本2冊返却し、池内紀訳『ホフマン短篇集』岩波文庫を借りる。ドイツ文学の棚を見ていたら、ジャン・パウルの『巨人』があるのをみつける。帰宅11時半過ぎ。

 上古沢行きのバスに乗ると、老婆が多い。5124歩。

 『CDジャーナル』からCD返却。Irish Music Magazine。London Review of Books。

 『噂の真相』の「撃」のコラムで、マスメディアで「演技」をする知識人に右寄りが多いのはなぜか、という疑問が提示されている。対抗として田中康夫ぐらいというのはなるほど。
 この理由として考えられること。戦後は建前としては「左寄り」だったから、目立つためには右の方が有利である。これとならんで、「左寄り」の場合、演技をする必要はなかったが、「右寄り」に立とうとする場合、自分を売込むため方策を立てて実行しなければならない。だから右寄りの方が自分を目立たせる訓練ができている。

 「東京ペログリ日記」知事になっても快調。各種自治体の首長や議員は投票で選ばれているのだから、自分たちが何をしているのか、有権者に伝える義務がある。毎日の行動をこうして情報公開すれば、議員汚職など起きるはずもない。田中康夫のように自ら筆を執って書くことはできない人もあるとしても、秘書なりなんなりそうした記録をつけて公開する仕事をする人間がいるべきだ。

 夕食、鰹の叩き、豚汁残り、小松菜煮浸し、茶碗蒸し、ご飯。

 午後から夜までかかり、チーフテンズ21章以降の訳稿見直し。23章は誤って消してしまった後半をやり直す。

2001年 2月 11日 (日) 晴れ。

 朝食、グレープフルーツ・ジュース、ロール・パン(ハムとブルーベリィ・ジャム)、白菜・人参のスープ、小松菜煮浸し(昨夜の残り)、コーヒー。

 『中谷宇吉郎集』第三巻の前半を占める「雷」をようやく読了。語り口は変らないが、すらすらと読めない。今までの文章と違い、中谷自身の体験から出たものではないからかもしれない。雷についての文献を博捜しての報告だから。そのすぐ後の「雪後記」を読むと、いきなり視界が晴れた感じすらする。こちらは四年ぶりに十勝の山荘に雪の観測に出かける話だ。

 健康上の問題から思うようにできなかった研究がようやくできる浮きうきとした気分が鮮やかだ。雪の結晶や氷晶を捕まえて顕微鏡で覗くのがとにかく楽しくて面白くて仕方がない。研究や勉強は本来こういうもののはずだ。そしてこうでなければ、優れた研究は生まれてこないものだろう。「雷」にはこの浮き浮きした感覚が薄い。これが中谷の文章でなかったら、あるいは途中で投げだしていたかもしれない。

 雷についての知見はおかげでずいぶん広がった。空中の静電気の放電などという単純な現象ではなかった。いや、その現象そのものが言葉で言うほど単純な現象ではない。稲光というのは秋の収穫の頃の電光をさす言葉、というのすら初めて知った。雷電光が空中から地上に落ちるだけでなく、地上から雲にもどるものがあり、実は目に見えているのはそちらである。しかもこの電光の速度が光速度の十分の一という恐るべき速度であることもおもしろい。

 中谷の「満洲通信」には満鉄で地道な研究をしている若い技師たちの群れが書かれている。戦後日本のクラシック音楽が満洲にルーツを持つというのが『王道楽土の交響楽』(音楽之友社)のテーマだったはずだが、満洲は確かに日本にとって「フロンティア」であり、今で言えば宇宙空間、国際宇宙ステーションがそれに相当するものだったのだろう。中谷は凍上をはじめとする低温科学の現場として満州に行くが、列島内ではあり得ない条件が満洲にはあったわけだ。後に『寒い国』に結実する、低温地帯での人間の衣食住の問題も、満洲で初めて問題として明らかになったものだ。「満洲通信」に出てくる畳とわれわれとの関係は、過酷な生活条件に直面することで浮上している。

 一方で、文化というものがいかに強い力、大きな慣性を持っているか、あらためて見せつけられる。
 こうしたことを考えるのに「満洲」は絶好の「環境」かもしれない。植民地経営は、その国の統治能力のバロメーターにもなりうる。統治能力とは還元すれば、植民地に植民した自国民に本国の生活水準をどの程度まで供給できるか、ということだ。

 その点からすると、中谷の文章を見るかぎり、当時の日本の統治能力は相当に低い。畳のモチーフにしても、文化の慣性の問題であるとして、それは文化一般に共通する性格だろうか、それとも日本文化固有の慣性だろうか。文化が一般に慣性を持つとして、それは文化により、あるいは文化の中のジャンルにより、大きさもベクトルも異なってくることもありうる。

 昼食、吉本家でキャベツ味玉ラーメン。昼飯どきだが、連休の中日のせいか、先客は一人しかおらず。

 コジマ、ケーヨー、ダイクマと回るが電気温風機はすでに時期外れでほとんどない。あるものは買う気になれず、この冬は諦める。

 午後から創元アンソロジーのためのエッセイ。ハインラインの『異星の客』をめぐるもの。
 今回はあえて論理的な筋立てを追ったり、全体のまとまりをつけたりすることを目指さないようにした。むしろ思いつき、作品を読んだり、翻訳作業をしたりしながら感じたり、浮出てきたりしたことを、書き連ねていってみた。材料をざっと揃えておいて、それを面白く書けるように書いていってみた。

 ただし、文章の構成はつけねばならないから、一応序破急を目論んだ。三段の中段の中でももう一度序破急をつけている。目論むというよりは、書いているうちに文章の生理としてそういう形になって行った。こういう形になりそうだと見えてきてからはそちらの方向を目指してもいる。
 結果として必ずしも満足の行くものではない。後でメモを整理してみたら、書落としたこともたくさんある。しかしあの文章はそれなりに一つの形を持っていて、書落としたものを足そうとするとバランスが崩れるだろう。

 むしろ問題提起、あるいはSFのマニアたちの納まりかえった読み方に石を投込んでみようという試みでもある。ハインラインはそのための題材として、なかなか面白い。

 夕食、牡蠣の土手鍋、ご飯。

 夕食後、Uさんから電話。浜松町のダイエーの清掃のアルバイトに出ている由。それで少し金ができたのでリチャード・トンプソンのライヴに行くとのことで、いろいろ雑談。10時近くまで。

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