大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 2月 19日 (月)〜2001年 2月 25日 (日)] [CONTENTS]

2001年 2月 19日 (月) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、茹でブロッコリ、ミカンジュース、コーヒー。

○Gerard Commane & Joe Ryan with Eoin O'Neill TWO GENTLEMEN OF CLARE MUSIC; Clachan Music (no number), 2000, Ireland
Gerard Commane & Joe Ryan with Eoin O'Neill  クレアの老人二人にオゥエン・オニールがつきあったアルバムだが、オゥエンはつつましく控えていて、ときどきそっと手を添えて肘を支えている。ジェラードがコンサティーナ、ジョーがフィドル。こういうのを聞くと、普段聞いているもの、たとえばアルタンとかルナサとかリア・ルークラとかダヌーとか、あるいはビギニッシュとかですら、実に洗練されていることに気づく。この二人が粗削りというよりも、「野生」そのもの、削りもへったくれもない。ミスタッチもリズム感のずれも「ミス」ではなく、音楽のかけがえのない一部になっている。上にあげたような「コマーシャル」なミュージシャンたちの音楽のエネルギーを支えているのは、まさにこうした人びとの音楽なのだろう。もちろんまったくの一発録りで、二人の家での録音。プロデュースなどという作為とは本質的に無縁の世界。
○Darol Anger DIARY OF A FIDDLE; Compass, 1999, USAmerica
Darol Anger  ダロル・アンガーがいろいろなフィドラーと共演したアルバム。ほとんどは相手のフィドラーと二人だけ。いきなりナタリー・マクマスターでガンガン。マーティン・ヘィズが2曲あり、インタヴューの時言っていたのはこれだったのだ。なるほど、おもしろい。アンガー自身は相手に合わせての七変化。アイリッシュでもブルーグラスでも前衛的な即興でも、何でもござれ。フィドルのベラ・フレックというところか。演奏として一番耳をそばだてたのはアラスデア・フレイザー。アンガーもいきなりスコッチになってしまう。通してみると、アンガーのフィドラーとしての狂気が漏れてくる気がして、ぞっとした。

 Amazon.comから書籍一冊。ハインラインの REQUIEM。中身を見てアマゾンに行き、中短篇集4冊注文。アイルランド大使館から、セント・パトリック・ディのレセプションの招待状。一人で行く気はないので、誰か行くのなら、行こうか。と思ったら、この日は「ラ・カーニャ」でジェフ・マルダーではないか。

 『CDジャーナル』3月号。この雑誌はオーディオも一つの売りらしく、2000年のベスト・バイ・コンポの特集をしているが、もう20年近く前に『ステ・サン』などで見ていたメーカーがあいかわらず幅を利かせているので、唖然とする。そりゃまあ、メーカーがそんなに入代わってしまっては困るのだろうが、デンオンだのアキュフェーズだの、果てはマッキントッシュまで出てきたのには、どこか寒々としたものさえ覚える。いかに閉ざされた趣味の世界とは言え、このデジタル時代に完全に背を向けているように見えるのは錯覚だろうか。広告でCD-R/CD-RW が編集できるミニ・コンポ(10万)が出ていた。

 昼食、帆立てを解凍して刺し身にし、キャベツ味噌汁、茹でブロッコリ、ご飯、林檎。

 レニー・ブルースの原稿の見直し。夜、最初の3章分だけ送る。

○Elena Ledda MAREMANNU; Dunya Records, 2000, Sardinia
Elena Ledda  堂々たる風格の三作め。最小限のバックが広大な空間を用意し、ゆったりとうねる地中海の潮と風と光そのままの化身となって、うたい手がたおやかな舞を披露する。リッカルド・テシの名前もあるが、ソロにしてもしゃしゃり出ることはなく、緊密なアンサンブル。もともと歌のうまさは指折りだったが、一枚も二枚も剥けて、うたい手としては次元が違う境地。なんということもないフレーズに背筋に戦慄が走る。ドイツでの録音でドイツ人のプロデュースであることがプラスに働いている。前二作、ことにファーストは傑作だったが、これはもうそういう評価は完全に抜けている。至福のアルバム。

 午後はリスペクトのためのタリカのプレス・リリースの翻訳。夜までかかって終らせ、夕食後見直して送る。

 ミミカキエディット作者の上山さんからメール。以前に要請した改善策を施したとのことでさっそくダウンロード、試用する。候補文字列がジャンプする件の対処は次期ヴァージョンとのこと。コンテクスト・メニューが使えるようになったのは嬉しい。

 夕食、旗魚のフライ、豚汁、茶碗蒸し、菜の花の芥子和え、胡瓜と大根の漬け物、ご飯。

2001年 2月 20日 (火) 曇。

 朝食、豚汁、ブルーベリィ・ジャム・トースト、ミカンジュース、コーヒー。

○Flowers & Frolics REFORMED CHARACTERS; HEBECD, 2000, England
Flowers & Frolics  なんといってもポルカ調のアレンジで男声コーラスというより、ユニゾンでうたわれる「サニィ・アフタヌーン」が白眉。立派にイングランドの「伝統」になっているではないか。レイ・デイヴィスもさぞや嬉しかろう。音楽史の上でのキンクスの功績は "You really got me" のギター・リフの創出としてもソングライター、レイ・デイヴィスはやはりイングランドの「フォーク」の伝統に連なるものだ。フォークそのものがミュージック・ホールやらアメリカン・ミュージカルやらの「流行歌」を取入れてきているのだから。よくよく見ると他にもボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドの歌だとか、さりげなく入っていて、センスがいい。オーストラリアの曲を多くとりあげているのも新鮮。2曲ほどリードをとるペタ・ウェブが見事。
 このバンド自体はチューバをベースに、バンジョーをリズム楽器にしたイングランドのローカル・バンドの域を出ないが、へたっぴぃなヴォーカルも含め、身の丈に合った音楽を身の丈に合った形で楽しくやっているすばらしいバンドだ。何でもそうだが、背伸びをしないことは勇気がいるし、創意工夫も求められる。背伸びをしてこける方がよほど簡単だ。

 昼食、鰹の角煮、豚汁、胡瓜と大根の漬け物、ご飯。

□Amino Yoshihiko/網野善彦『歴史を考えるヒント』新潮社/新潮選書, 2001.01.30, 190pp.
網野善彦  連続講演の録音をもとにしてまとめられた原稿を新潮の『波』に連載したもの。内容はこれまで網野さんがくり返してきたことではあるが、今回は日常使われている普通の言葉をキーワードとして、その背後にある蓄積や意味の変化に注目している。「日本」から始まって、「関東」「関西」「九州」「人民」「国民」「土」「平民」、おなじみの「百姓」、被差別民、商業用語等々。こうしてみるとかなり明確なイメージが見えてきて、ふだんの歴史上の情報としての記述よりも身近になってくる。言葉はいま現在も使われているものばかりだから、遠い史実よりも具体的な、生々しい問題として迫ってくる。こうした検証作業は歴史学からはもちろんだが、言語学の立場からも研究されてしかるべきだろう。そういう成果も読んでみたい。

 午後、レニー・ブルースを一段落かたづけたところで散歩。郵便局でヒロ・アートディレクションズに送金。マンダラートのセミナーブックの通販を申込む。三丁目から石井耳鼻科の方に降り、高松山ゴルフ場の横手から高松山に登る。ゴルフ場横の道は舗装されていてなぜだろうと登っていったら、上にも家がもう一軒あった。これはかなり急な斜面で40度近くあるのではないか。家から先は踏みつけ道となり、ゴルフ場の裏を回って尾根づたいに高松山山頂まで続く。5166歩。

○Kat Eggleston SECOND NATURE; Waterbug, 1994, USAmerica
Kat Eggleston  散歩の友。ブックレットのリストによれば、アルバムとしては三枚目、ソロとしては二枚目。今のところ最新作の OUTSIDE EDEN にはおよばぬものの、それでも間然するところのないアルバム。共同プロデューサーのピアノがいい。イラーン・パイプが入った曲もあるが、もちろんアイルランドとは文脈は別。トラディショナルが2曲で、"I live not where I love" はまずまずだが、"The banks of sweet Dundee" は聞物。オリジナルでは家庭内暴力を扱った "Fury" が有名らしいが、曲として耳を奪われたのは "Paper boats"。

 夕食、豚肉・舞茸の中華風炒め、ご飯。

 マイケルさんからクランの再来日希望について意見を求めるメール。返事を書いているうちに、コアな方面をメインにしたアイルランド音楽中心のメール・マガジンを思いつく。これはやってみるだけの価値はありそうだ。マイケルさんが乗らなくても一人でやれるか。

2001年 2月 21日 (水) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、バナナ、ミカンジュース、コーヒー。

○Lila Downs TREE OF LIFE; Narada World, 1999/2000, Mexico/FONT>
Lila Downs  メキシコの音楽をうたうシンガー・ソング・ライター。ほぼオリジナルだが、どうやら Zapotec という人びとの出身らしく、その伝統に則った部分がある。曲としては半分ぐらいで、あとの半分はジャズなどのいわゆる主流音楽のフォーマット。歌詞はすべてスペイン語のものとサポテク語のものがあるようだ。ナラダなので同じメキシコでもケツァルのようにはならず、ゆったりと、押さえたサウンドではあるが、BGMにも堕してはいない。とりわけトラディショナルの色が濃いトラック、[05]や[13]は、独自のオーラを放っている。[05]は日本の童謡と良く似たメロディ。うたい手としても幅のある人で、何かに憑かれたようなまるめ込んだ高い声を出すかと思えば、地の底を這う怨霊のようにもなり、オペラのごとく朗々と歌いあげもする。歌詞をきちんと追って聞くと、『火の記憶』の世界が現れそうでもある。本来の好みとは少しずれるのだが、好悪を越えて耳を惹きつける力はある。

 午前中、レニー・ブルース原稿見直し、残りをやってしまう。

 昼食、旗魚のフライ(一昨日の残り)、和布ご飯、海苔、林檎。

 昼食後、AN IRISH EVENING の曲の邦題を考え、BMG・Oさん宛送付。ARENA 2.0 FC の使用期限が3月10日なので、サイトに行き、アップグレードを申込む。アオラから『アンボス・ムンドス』6号7号とスペインで出たギリシア音楽の二枚組サンプラーのサンプル。分厚いブックレットはギリシア語とスペイン語で涙。スペイン語を日本語に抄訳したものが二枚ついている。

 4時半、家を出る。ロマンスカーがあったので新宿。ところが今日は水曜日でタワーもヴァージンもアカシアも休み。なのですぐ渋谷に向かう。HMVとタワー。HMVのワールド・ミュージックのコーナーは惨澹たるもの。レーベルや卸業者のなすがままで、担当者の主張がみじんも感じられない。何か買おうという意欲がわかない。まだタワーの方が、うちはこれを薦めるという独自色がある。とりあえず新譜紹介用にHMVで一枚、タワーで2枚。タワーの一枚はヌスラトの旧譜2枚を縦長のケースに入れたもの。クレジットを見るとヌスラトのバンドだけで、よけいなものは入っていないらしい。フランスの初めて聞くレーベルだが、買ってみる。

 まだ時間があまったので結局プリムローズへ行く。暗い照明の中、夢中になって読みふけり、ガレアーノ/飯島=訳『火の記憶』第一巻をめでたく読了。1700年、スペイン国王カルロス二世の死でこのまことに無惨な物語の第一幕が下りる。

□エドゥアルド・ガレアーノ『火の記憶1:誕生』飯島みどり=訳, みすず書房, 1982/2000.12.15, 482+32pp.
 無惨なのは「征服」され、自治と財産と文化と記憶と生命までも収奪される南北アメリカ大陸の先住民だけではない。むしろ一層無惨なのは、巻末近く白痴の王カルロス二世に象徴される「征服者」側だ。長年の経験と知恵に支えられた「漢方」的医学を「悪魔の所業」として抑圧するカトリック教会の無知と迷信。代わりに彼らがさしだすのは聖人たちへの祈りと聖水と自らの体を傷つける行為。スペインで異端審問が燃えさかるのは、それだけ自らの正当性に自信が無かった故。イスラムやユダヤへの非寛容も、それだけ統治能力の未熟を無意識のうちに自覚していた故。コロンもコルテスもコンキスタドールたちのうち、「畳の上で」死んだものは一人だけ。

 スペインの新大陸略奪はヨーロッパ最強の君主カール五世の統治を支えるため。実は「最強」とは脆さをその裏に含む。最強の敵を誰よりも多く持つことだ。したがってその地位を支えるために莫大なコストがかかる。複数で分担するのではなく、一人で担うにはさらに多くかかる。新大陸略奪がなかったとすれば、ハプスブルクの覇権もあり得なかったかもしれない。ポトシの銀山の惨劇が続けられるのも、それなくしてもはやスペイン王国が一日もたちゆかなくなっていた、いや、この銀山によってかろうじて余命を保っていたからに他ならない。

 スペインが略奪したインカにしてもアステカにしても、スペイン人たちが来る前、やはり支配下の住民たちを略奪していた。インカやアステカを倒した本当の力は、数も少なく、資質も志も低いスペイン人たちではなく、かれらに協力したインカやアステカに支配されていた地元の先住民たちだ。スペイン人に協力した先住民たちもまた当然ながらやがて倒されることになる。

 それにしても、アフリカでは白人の「植民」を頑に拒んだ風土病がアメリカには存在しなかったのは、いかなる天の配剤か。代わりにヨーロッパ人が持込んだヨーロッパの風土病でアメリカ先住民は一掃される。

 悍ましい物語のそこかしこにさすかすかな光。たとえば新世界最初の叙任司祭にして先住民収奪を生涯弾劾しつづけたバルトロメ・デ・ラス=カサス師。二世紀に渡って続いた逃亡奴隷たちの王国バルマレス。新世界最高の詩人フアナ・イネス・デ・ラ・クルス尼。どの光もほんのかすかではあるし、やがてどの光も踏みつぶされ、消されはするものの、その光の存在と光が照らしだした真の意味での「新世界」の記憶は執拗に生きのび、今この書物の形でわれわれ共通の記憶となる。

 そう、これは共通の記憶であり、人間とはここに刻まれた記憶を残してきた、何ともやりきれぬほど残酷でがさつで尊大な生きものなのだ。その生きものの言動の軌跡がなぜこれほどまでに魅力に満ちているのだろうか。著者の語りの力だろうか。それもある。が、その語りを引出したもの、は何だろう。上にあげたかすかな光だろうか。いや、そうではない気がする。少なくともそれだけではない。

 ところでこの本の表4には内容紹介があるが、各段落の冒頭が一字下げになっている。近頃ではこれは珍しい。岩波でさえ、守られていないことが多いこの基本的ルールを守ったこの体裁は見るに美しく、実用的だ。

 リチャード・トンプソンの四度目の来日。今回もクワトロでソロだ。30分ほど前に入る。さすがにかなり入っているし、在日の人たちの姿も多い。中心は四十代だが、三十代、二十代もいるようだ。やはり圧倒的に男性。それでも女性も確かに前よりは増えている感じもする。最前列で写真や花束を渡していたファンもいる。リチャードの音楽はよく知っているファンが多く、反応もすばらしい。

 本人はまたもや良くなっている。怖くなるほど。今回はヴォーカルに一層磨きがかかっている。"Black Lightning" は鬼気迫る歌唱で、今夜のハイライト。ギターは "Shoot out the lights" の「前衛」ギター。もっとも曲はやはり MOCK TUDOR からが中心。中では、 "Sight and sound of London town" と "Basheshiva smiles" が印象に残った。アンコールは二度で、二度ともすぐ出てきて、二曲ずつ。オーラスに "From Galway to Graceland" をやってくれたのに涙。前回は体調が万全でなかったのかアンコールに一度だけ、一曲しか応えず、ちょっと欲求不満が残ったが、今回は堪能。

 ピーターさん、ビルと相方のオーストラリア人シンガーの彼女がすぐ前で見ていた。内田さん、白石さんの姿もある。メルダックのFさん。Fさんは世界で二番目に好きなミュージシャンだが、見るのは今回がはじめてとのこと。メルダックは社名変更になるそうな。同じ三菱電機の子会社の他のソフト会社と合併する由。

 終わってから皆で「龍の髭」で食事。終電に間に合い、帰宅1時。

2001年 2月 22日 (木) 晴れ。暖。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー、プチトマト。

 マイレート&トゥリーナのチラシのゲラで、プランクトン、民音と電話とファックスでやりとり。
 NewNOTEPAD Pro β3をダウンロード。めるめいくも最新版をダウンロード。

○Nusrat Fateh Ali Khan BACK TO QAWWALI/NUSRAT FOREVER; Long Distance, ?, Pakistan
Walt Michael & Company  LEGACY  オリジナルのリリース年のクレジットがないが、以前に出ていたものを一つのパッケージにまとめたものらしい。メンバーを見ると、後に後継者となる少年が入っているので、晩年に近いのだろう。とまれ本来のバンドだけで、余計なものは入っていない。一枚目の BACK TO QAWWALI の方が時期的には後と思われ、すでに往年のヌスラトではない。20分を越える演奏もあるが、タブラがややアップテンポのリズムをずっとキープしていて、ゆったりしたテンポで、リズムも自在に伸び縮みし、ヌスラトの個人芸と集団のコール&レスポンスで聞かせる全盛期の面影はほとんどない。ソロなどもさまざまなメンバーがとり、最晩年の集団芸への移行の過程にあるらしい。

 二枚目の方はヌスラトがまだ元気だ。ただ、少年はこちらの方が明らかに歌も声も良くなっている。あるいはたまたまこの時のヌスラトの調子が良かったのか。アップテンポで通すのは同じだが、ヌスラト本来の即興も力強く、タブラやコーラスとの掛合いにもエネルギーがある。当然のことながら、柱の調子が良いので、周りのメンバーも元気。とりわけ、[3]は名演の一つに数えてもいい。
 手元にあるヌスラトの録音を聴直して、ベスト盤でも作ってみるか。

 昼食、クサヤの干物、白菜の味噌汁、ご飯、蜜柑、林檎。

 ラティーナ・Kさんから、奄美の島唄のCDのレヴューの依頼。締切がきついが引受ける。ドナ・ロサの件で盛上がる。

 リスペクトからタリカのプロモーション・ビデオ着。さっそく見る。"Koba" と "Sulawesi" の2曲。後者はタリカだけをマダガスカルのさまざまな風景のなかに置いて撮ったもので、おもしろくない。前者はマダガスカル独特の楽器とその演奏のやり方がよくわかるし、演奏している各メンバーの表情がなんともいえずいい。服装もマダガスカルの伝統的な服装らしく、踊りもあり、ルーツ音楽はほんとうに「絵」になるとつくづく思う。この踊りはなるほどインドネシアだ。

 夕食、豚肉と白菜の蒸煮、ご飯、蜜柑、伊予柑。

2001年 2月 23日 (金) 晴れ。暖。

 朝食、早良西京漬け、白菜味噌汁、蒲鉾、菠薐草おひたし、ご飯。

 iTunes 1.1 をダウンロード。ARENA FC3 もダウンロード。

○Rahhal GYPSIES OF THE NILE; ARC, 2000, Roma/Egypt
Rahhal  このレーベルのエスニックものはいま一つのものが多いが、これも例外ではない。素材自体は悪くないが、録音したアルバムとして提示する気配りがない。生で見聞すればそれなりに面白いもののはずだが、その生来の力を信ずることと、魅力を伝えるための工夫をすることは別だろう。ひとことで言えばプロデュースの不在。とにかくリードが二本、四六時中鳴っていて、他をおおいつくす。メロディも似たり寄ったり。リズムも平板。他の地域のロマの音楽に聞かれる、地の底からわきあがってくるようなエネルギーのうねりがない。このバンドの実力か、エジプトのロマがそういう存在なのかはわからない。プロデュースの不在というより、バンドをぽんとただ投出している姿勢に、聞込む意欲を削がれる。

 歯科。右上奥と下を削り、型をとる。該当箇所、上全体、下全体と三個取られる。観音坂のバス停から駅前。図書館で『火の記憶』を返却。宮下章『鰹節:ものと人間の文化史97』法政大学出版局を借りる。このシリーズはあらためて目録を見るとおもしろそうな本が並んでいるが、楽器がない。タハラでは適当なものがなく、ヴァージンでザ・フーの WHO'S NEXT リマスター盤を買う。アンデルセンで昼食用にパンを買い、無印でハンカチを買って帰る。帰宅2時少し前。

 昼食、アンデルセンで買ってきた細いフランスパンのハム・チーズ・サンド、チェダー・チーズ・フランス、苔桃のパイ、グレープジュース。

 クラダよりCD6枚。Paddy Glackin & Michael O Dhomhnaill の新譜は間に合った。
 2時頃、ミュゼのSさんから電話。チーフテンズの原稿依頼。ここも締切3月2日というので、4日に延ばしてもらう。

 iTunes 1.1 はなぜかバイナリからデコードできない(StuffIt がすぐ終了してしまう)ので、ネスケであらためてダウンロードしたり、いろいろやったがやはり駄目。思いついて bin-tar-zip にドラッグ&ドロップしてみたら見事デコードできた。すると StuffItExpander がおかしいのか。しかし、対応CD-Rレコーダに名前はあるものの、QUE! Drive は認識しない。Toast のディーラーからメールで、初夏に名前を変えたMacOS X対応の新版が出るらしい。

 Michael 菱川さんから返事。メール・マガジンには賛成してくれたので、やることにしよう。
 ラティーナからレヴュー用のカセット。

 夕食、水餃子、隠元胡麻和え、菜の花芥子和え、ご飯、蜜柑、伊予柑。

 午後から断続的にチーフテンズのライナー執筆。夜までかかって一応書上げる。
 終日時間さえあれば『中谷宇吉郎集 第5巻 立春の卵』を読む。珍しく駅前でバスを待ちながら、立って読みつづけた。今日一日で半分以上まで読んでしまう。

 例によってどれもこれも面白く、原爆について鋭い洞察に満ちた一篇をはじめ、着眼の妙と考察の緻密さに脱帽する。あるいはまたできたてほやほやの昭和新山の噴火口をのぞき込む大胆さ。

 それとは別に敗戦直後、石狩川上流の一支流域に積もった雪の量を割出すため、占領軍に該当地域の航空写真の撮影を依頼してとってもらった話は感動する。第二次大戦参戦から冷戦の開始までのアメリカ軍は、軍隊というものがとりうる最良の形だったのかもしれない。

 とはいえなんと言っても光る一篇は「I駅の一夜」だ。そう、まさにあの若いインテリ夫人や、夫人をはじめとする本に飢えた人びとの求めに応える本屋の主人のような人びとが、わが国の屋台骨を支えていたのだ。無知蒙昧頑迷なカトリック精神が覆った独立直後のアイルランド共和国で、開かれた文化の松明をになっていたインテリ層にも通じるところを感じる。

2001年 2月 24日 (土) 雨。

 朝食、アンパン、チーズ・デーニッシュ、茹でブロッコリ、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

○Paddy Glackin & Micheal O Domhnaill REPRISE; Gael-Linn, 2001, Ireland
Paddy Glackin & Micheal O Domhnaill  この組合せも出てしまえば今までなかった方が不思議。パディ・グラッキンのフィドルは切れ味は鮮やかだが、ぶつぶつ切れるのではなく、清流が山間を右に左に流れる艶がある。とりわけその艶が厚みを増すのがスロー・エアだ。そしてなお[05]のホーンパイプが絶品。ミホールのギターは煽るでもなく、引留めるのでもなく、やはり一体となってすいすいと流れに顔を出す石の上を跳んでゆく。ここではノエル・ヒルなどもユニゾンに加わり、時にセッションは「白熱」するが、むろんボシィにはならない。こういう演奏が今では一種標準になっているのは時代の流れかもしれない。ミホールが三曲うたい、彼の柔らかいゲーリック・シンギングをこうして聞くのは久しぶりの気がする。[06]"Brid Bhan/Fair-haired Brid" ではノエル・ブリッジマンのパーカッション、Ciaran Brennan のダブル・ベースをバックに、ちょっとミニマル的なギターを聞かせるのは新境地。ヴォーカルも珍しく歌いあげていて、これはハイライト。

 プランクトンからチーフテンズが参加した東大寺のプログラム。ヒロ・アートディレクションズから『マンダラート・セミナーブック・自分を知る』。MusikFolkからカタログ。
 昼食をはさんで、『CDジャーナル』の原稿。

 昼食、釜揚げ饂飩、茹で卵、茹でブロッコリ、伊予柑。

 CarbonLib 1.2.5 が出ていたのでダウンロードして手動で組込む。そこで Nickey を直接出力にして使っているのだが、これはまずまず大丈夫なようだ。WXGの確定undoも問題ない。と思ったら、やはり辞書変換をしようとするとひっかかる。

 夕食、おでん、ご飯、ゆかり。H、喉が痛いと言ってごろごろし、夕食抜きで寝る。

 夕食をはさんでタリカ翻訳。半分終わらせる。

2001年 2月 25日 (日) 晴れ。

 9時起床。朝食、ツナ・トースト、グレープフルーツ・ジュース、林檎、コーヒー。

 昼食、おでん、ご飯、ゆかり。
 H、喉と腹が痛いとてごろごろ。昼食後熱をはかると7度5分。寝かせた後、3時頃おじやを食べて元気になる。
 昼食をはさんでタリカ、後半。一通りあげる。

○Various Artists GRECIA: de Oriente y de Occidente/東からそして西から; Resistencia/Beans, 2000/2001, Greece
GRECIA  まことにすばらしいアンソロジー。正直言ってハリス・アレクシーウしか知らなかったギリシア音楽の豊饒さ、多様さをまざまざとみせつけられる。ルーツのコアからロック、ジャズもある。ばりばりのレンベーティカからトルコやアラブ、ロマ、わけのわからんものまで、歌もインストもとりそろえた43曲。どれもこれも外れがない。どれもこれもきちんと聞いてみたい。あえて言えば女性ヴォーカルに心惹かれるが、男性が駄目なわけでは全然ない。どこから手をつけるか、その順番としてまず女性シンガーからというぐらい。ギリシアはアルファベットからして違うのが少々厄介。入門書ぐらい目を通してみるか。スペイン盤だが、トラックごとの解説、原盤のジャケ写、曲のクレジット、演奏者のクレジット、歌詞(原詞とスペイン語対訳)を取りそろえたまことに豪華なブックレットというよりこれは一冊の本だ。

 午後、『CDジャーナル』と『アイリッシュ・イヴニング』の原稿を見直し。夜、メールにて送付。
 夕食、おでん、ご飯、ゆかり、伊予柑。
 夕食後、『中谷宇吉郎集 第五巻 立春の卵』読了。
 夕食をはさんでメール。夜、ARENA 2.0 FC4 が出ていたのでダウンロード。

□Nakaya, Ukichirou/中谷宇吉郎『中谷宇吉郎集 第五巻 立春の卵』岩波書店, 2001.02.05, 319pp.
 解説に宇吉郎がいた北大理学部に三人の名エッセイストがいたとある。宇吉郎の他は、数学の吉田洋一、動物学の内田亨。Amazon Japan で捜すと吉田洋一は岩波書店で、内田亨はサイエンス社の単行本でエッセイ集らしいものがある。専門書は別。ついでに文庫で読める湯川秀樹と朝永振一郎の本を探してカートにほうりこむ。

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