大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 2月 26日 (月)〜2001年 3月 4日 (日)] [CONTENTS]

2001年 2月 26日 (月) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、人参と白菜のスープ、グレープフルーツ・ジュース、コーヒー。

 宇吉郎を読んでしまったので、また寅彦にもどる。
 寝不足からか、右目の目蓋が勝手にひくひくする。

○Honzi HONZI TWO; HIFUMI Records, 2000, Japan
Honzi  HONZI TWO  伝えるべきものは掴んでいるが、伝える方法については定まらない。これもまたデラシネの音楽で、わが国の才能ある、本物の音楽家はこうならざるをえないのではないかとすら思えてくる。音楽資本によるグローバル商品とは別の話だ。「いい言葉ちょうだい」は核と形を備えた見事な音楽だが、これは本人の作ではないのがやはり気になる。伝える方法、あるいは様式をつかむ試行錯誤の軌跡を見せるだけの覚悟があるかどうか。

 昼食、ハンバーグ、キャベツ味噌汁、ご飯、林檎、蜜柑。

 プランクトンから、マイレート&トゥリーナの演目リストがファックス。
 Interzone2月号。MOJO2月号。

 昼食をはさんで、確定申告の修正と今年のレシートの入力。夜まで断続的。
 Hが4時すぎ帰ってくるが、その頃から調子悪くなる。仕事部屋でラティーナからのテープを聞きながらうとうと。花梨蜜を飲み、夕食を食べ、キヨーレオピンを飲んで作業をしているうちにすこし良くなる。寝不足は明らか。

 夕食、鮪刺し身、茶碗蒸し、菜の花芥子和え、ご飯、伊予柑。

2001年 2月 27日 (火) 晴れ。

 血液検査のため、朝食抜き。朝一番で医者。簡単な診察と血圧測定の後、血液採取。
 iBookにも SETI@home をインストール。

○Takeshita Kazuhira/武下和平 奄美しまうたの真髄; JVC, 1994.05, Amami
武下和平  考えてみると、奄美はなぜか若者ばかり聞いていたようだ。本格的な「大人」の歌を聞くのは初めてで、やはり伝統音楽はオヤジオバンを聞かないと本当のところはわからないとあらためて思う。歌の巧拙に心が動くのではなく、そこににじみでる人生の蓄積が響くのだろう。初めて奄美の歌が心にしみてきた。確かにこれほど裏声を多用する歌は聞いた覚えがない。ヨーロッパにはまずない。カウンター・テナーあるいはかつてのカストラートは裏声といえないこともなかろうが、意味合いは違う。あちらは裏声だけだが、奄美は地声と裏声の対照の妙だ。こういう形はイランのアーヴァーズぐらいだろうか。普通裏声は一時的なもので、すぐまた地声にもどるのだが、奄美では裏声で一フレーズうたうことも珍しくないらしい。
 ところでライナーにある薩摩による奄美の収奪はまさしく新大陸に対するヨーロッパの収奪そのままだ。あるいはもっと過酷かもしれない。中谷宇吉郎が称揚していた幕末の藩主島津斉彬の一連の科学振興・殖産振興の原資もこの収奪によるものだったのだろう。あるいは討幕活動の原資そのものが奄美に対する帝国主義的収奪のおかげだった可能性もある。
 とすると明治政府が欧米の帝国主義に習おうとしたのも無理はない。すでに薩摩自体、小規模な形であれ、帝国主義の実践はしていたわけだから。
 すると長州の経済基盤はなんだったのだろう。
○Touhara Mitsuyo/当原ミツヨ 美ら島ぬ花(きょらしまぬはな); Victor, 1997.03, Amami
当原ミツヨ  奄美のしまうたは東節(ひぎゃぶし)と笠利節(かんりぶし)の二つに大きく分かれるそうで、武下が東節でこちらが笠利節。武下ほど裏声を使わないが、芯の太い美しい声。ここにいたってようやく奄美のしまうたの醍醐味が感じられてきた。里国隆のうたもあらためて聴直す必要がある。
 男性の相方が三味線も弾いているが、女性は弾かないのだろうか、それともたまたまこの人は弾かないので、相方が弾くのだろうか。
○Takeshita Kazuhira/武下和平 立神; ビクター, 1995.05, Amami
武下和平  こうして聞くと、この人が天才といわれる由縁がやや見えてくる。コブシの聞かせ方、アクセントというか、音をぐうっと引延ばしてゆく際の加速感、とりわけ低音からコブシを利かせながら昇ってゆく時、裏声に行くタイミング、裏声の響き、確かにここにしかないうただ。

 昼食、ハム・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、林檎、コーヒー、牛乳。

 午後はチーフテンズ、パンフのための年表の作成。

 ぎりぎりまでやって4時に家を出る。ロマンスカーで新宿。おかげで時間があまり、ヴァージンを覗いてCD2枚。アカシアでロール・キャベツとKRBケチャップ抜き。山の手で新橋、ゆりかもめで台場。TLGにて大島保克特別バンドのライヴ。後からのざき、タッドがくる。プランクトンの一行がいて、シャロンのための打合せをしている。

 今日のライヴはTさんのプロデュースで、武川雅寛、笹子重治(ギター)、桑山哲也(アコーディオン)、三沢泉(パーカッション)という、ジャンルを越えた組合せ。久しぶりにわくわくする。むろん、今回だけの即席バンドだが、Tさんによると、一回リハをやっただけでメンバーは盛上がっていて、このまま全国ツアーだという声も出ている由。そう聞いて高まった期待はうれしい方に裏切られる。武川氏は『東ぬ渡(あーりぬとう)』で共演し、プロデュースもした仲だから息が合うのは当然としても、他のメンバーもそれぞれに独自のカラーを持っていて、それゆえに高いレヴェルで融合している。たがいに相手を尊重しながら妥協しない、あの関係だ。音楽としては最高か最低かどちらかしかないが、まあ、伝統音楽が核になるとたいていは最高になる。というのは楽天的過ぎるか。とまれ、この組合せはほんとうに良い方へ良い方へと作用していて、異質の要素がたがいを増幅する。大島さんと武川氏の二人だけでまず始め、主に伝統曲をうたい、やがてメンバーを一人ずつ呼入れて、オリジナルが増える。本当にこのメンバーでぜひライヴを重ねて、録音も出してほしい。

 大島さんの地元、石垣島の酒屋さんの差入れで、客には泡盛が一杯ふるまわれる。うれしい趣向。のざきはきついというので、それももらう。

2001年 2月 28日 (水) 曇。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、オレンジ・ジュース、コーヒー。

 9時に出かける。まっすぐI税理士事務所。確定申告の書類等を持参。Iさんの事務所はDSLにするそうだ。厚木はまだまだ先だろう。とはいえ今年中には何とかなるかもしれない。大江戸線で新宿に出る。大江戸線は初めて。本郷三丁目の駅は何やらぐるぐる回っておりてゆく。いわゆるバリア・フリーの駅にしようとしているのだが、そのせいか、何のためなのかよくわからないスペースがある。ホームが深いせいもあるのかもしれない。

 昼食、新宿・桂花にてターロー麺。水曜日でどこもかしこも休み。

 往きは相模大野からロマンスカー。帰りもロマンスカー。まっすぐ帰宅で帰宅2時半。
 浅倉さんより訳書。アップルから昨日来たMacOS X購入の際、Public Beta分の価格を引くというクーポン使用催促につられ、アップルストアでMacOS Xを予約する。
 夕食前にかけて、チーフテンズ・パンフ用の年表の作成。

 夕食、豚肉の茸ソース・大根颪添え、豚汁、菠薐草おひたし、ご飯。

2001年 3月 01日 (木) 雨。

 朝食、えぼだい開き、豚汁(昨夜の残り)、菠薐草おひたし(昨夜の残り)、ご飯、ゆかり。

 歯科の予約を忘れていて、あわてて出かける。右上奥に金属が入る。3300円。

 今日の寅彦は明治42年=1909年ドイツ留学の際の上海からベルリンまでの旅日記。4月1日に上海に入り、5月3日ミラノに上陸。そこから列車でベルリン着5月6日。降船の際35日間世話になったと書いているから横浜出航3月30日のはず。ドイツの船会社の客船だったらしい。Tという男と同行。国際航路の客船はヨーロッパが基調ながらインターナショナルにならざるをえない。一方でこういう旅ができたのは限られた人びとだったはずだ。移民はこんな客船には乗らない。乗っていたとしても寅彦の耳目には入っていない。乗っていて気がつかない寅彦でもなかろうから、やはり乗っていなかったのだろう。文章自体はみごとな紀行だ。とりわけアラビア海から紅海へ入り、スエズへ向かう両岸の風景、ヨーロッパへ入っての列車の窓から見える自然と農民たちの色鮮やかな服装の妙は心に残る。

○Moscow Art Trio MUSIC; JARO, 1998, Russia
Moscow Art Trio  ヴォーカルはロシアのトラディショナルがベースのようだが、インスト部分はバンド名らしく「芸術」を目指しているらしい。ジャズとかクラシックとかの既存のフォーマットに入らないように、と言っていわゆる「前衛音楽」にも陥らないように、綱渡りをしている。その部分はおもしろくなくもないのだが、どうも積極的に自分たちのスタイルを探るというよりは、消去法でやっているようなけしきがある。だから今一つ音楽が生きてこない。どこか手先でやっている。ブックレットによれば Mikhail Alperin という男のワン・マン・バンドで、他に3枚アルバムがあり、同じレーベルでブルガリアン・ヴォイスのグループやフール・フーン・トゥーとのジョイント・アルバムもある。ハンブルグでのライヴ・アルバムは聞いてみたい。曲は全部この Alperin のオリジナル。サブタイトルとして12の楽器とフォーク・シンガーと打楽器のための音楽とある。
 ところでこれは Pop Biz という会社が輸入しているが、プラケースにシールを貼るのはやめてもらいたい。おまけにごていねいに表と裏と両方貼っている。くどい。剥がしても糊が残る。

 昼食、薩摩揚げ、ご飯、蜜柑、甘栗。

 音友からダイアナ・ブリアー/守安功=訳『アイルランド音楽入門』。MSIから新譜案内。ファイブディーからヒートウェイヴの活動停止のお知らせ。今後は山口洋個人名義での活動となる由。まあ、今までも事実上はそうだったわけだが、バンド名義での活動に何かこだわるところがあったのだろうか。あるいは、ようやく個人名でやることにふっきれたのかもしれない。バンドに頼る必要がなくなったのかもしれない。推理作協より会報。リンク・クラブ会誌。トリニティーからパディ・グラッキン&ミホール・オ・ドーナルの新譜のサンプル。

 タリカ『ソウル・マカッサル』のブックレットの翻訳原稿を見直し、送付。

○Seishou Yoshikazu/清正芳計 ちょうきくじょ:黒潮の歌; JABARA, 2001, Amami
清正芳計  『ラティーナ』ディスク・ガイドのために聞く。これは奄美の本流ではないそうだが、俺のような外部の耳にはかえって魅力的。まさに地を這うような三線、舞上がらずにふくらむ裏声。タイトル通り、黒潮の流れのようにゆったりと、しかし逆らえぬ慣性をもって進む歌。囃子方の女性はあの里国隆の姪にあたる人の由で、やはり低く低くふくらむ。伝統音楽における低音の価値、などということを漠然と想う。アイルランドも沖縄も、たいていの伝統音楽は高音が好きだ。低い方に伸びるのは、ブルガリアのバグパイプ、カーバぐらいではないだろうか。アフリカはどうだろう。わざわざ低音に向かう志向性はあるのだろうか。奄美の地域性を越えて、愛聴盤になりそうな気配。

 午後、iMacの SETI の解析が一つ終わったのでサーバにつなげようとするが全然繋がらない。SETI@home のサイトに行ってみると、プロバイダらしきもののメッセージが掲げられていた。なんと、プロジェクトを置いている研究所に繋がる光ファイバーが何者かによって切断されたのだそうだ。なんでもその近くにあった銅線を盗もうとしたらしい。新たに線を敷いているが、復旧は2日の予定とある。

 『ラティーナ』用の清正芳計のディスク・ガイドに呻吟。

 夕食、牛肉とピーマンの中華風炒め、かき卵スープ、北京餃子、ご飯、蜜柑。

 夜、Appleのサイトで iTunes で使用可能なCD-Rレコーダに Que! USB が入っているのを確認。使えない場合は他のオーサリング・ソフトとぶつかっている可能性ありとのことで、よくよく見てみると、Toast USB ドライバが入っていた。これを外すとOK。iTunesの場合CDを作ろうとすると一度MP3なりAIFFファイルにエンコードする必要があるらしい。HDに落さねばならない。初期設定でエンコードの際音を鳴らすオプションを外すと、エンコード自体は一曲あたり一分ほどでできてしまう。CD作成そのものもひょいひょいとできてしまう。Toast のようなトライアル・モードはないが、HDから焼く形だとずっと安定するはずだ。スピードも速い。この辺の設定は自動。

 これで一発でうまく行けばいいのだが、そうは問屋が卸さない。途中でエラーが出て、焼きが中断してしまい、CD-R一枚パー。その後今度は「CD作成ソフトが見つかりません」とか、すぐに拗ねる。デスクトップファイルを再構築したり、DisckWarrior をかけたり。何とかまた書込みができるようになると、今度は元の音楽ファイルがどこかへ行ってしまったりしている。途中で音楽ファイルの保管場所を変えたりしたためらしい。ライブラリのリストからダブル・クリックすると、ファイルの場所を聞いてきてあらためて指定してやると、今度はOKになる。が、また、「CD作成ソフトが見つかりません」とすねる。しかたがないので今度はノートンをかけてみる。DiskDoctor と SpeedDisk。

2001年 3月 02日 (金) 曇。寒。10時頃から雲が切れて、晴上がる。

 朝食、フレンチ・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、プチトマト、蜜柑ジュース、コーヒー。

 図書館の本の返却期限が来ていたことを思出し、午前中図書館に往復。高田宏『冬の花びら:雪博士 中谷宇吉郎の一生』偕成社と内田亨『蜜蜂と花時計』旺文社文庫を借り、東晃『雪と氷の科学者 中谷宇吉郎』北海道大学図書刊行会をリクエストする。『中勘助全集』を借りようか迷うが、今回はやめておく。この全集を買っておかなかったことを後悔。

□Terada, Torahiko/寺田寅彦 寺田寅彦全集 第二巻 隨筆二; 岩波書店, 1960.11.07, 254pp.
 「厄年etc.」は厄年にひっかけた「中年の危機」をめぐる告白。厄年の大病という著者の特殊状況はあるとはいえ、視力聴力をはじめとする体力の衰え、それに伴う精神状況の変化は普遍的なものだ。量子力学による自然現象の非連続の性質が人間の体にも備わっていると連想を働かせ、内部の変化が「律動的弛張」をするのではないかと考察する。一方、外的要因として、二十代で準備し、三十代で投込まれた闘技場での優劣がほぼついて、その後のコースが分かれるその分かれ目が厄年とも考える。そしてそこから「これから私はどうしたらいいだろう」と大命題を提示する。そして自らのこれまでの人生の「棚卸し」を行う。ここまで自己について語っているのはこれ以前のエッセイには見られないように思う。

 そしてこの一篇を境として、これ以後のエッセイの文章の雰囲気が変わる。どこか開きなおるのだ。それまでのどちらかといえば抑えた、慎重な言回しが後ろに引込み、時に切れ味の鋭さを感じるフレーズが増える。エッセイ全体の姿勢もむしろ積極的だ。
 「春六題」のかろやかさ。そして射程の深さ。
「だれにでもわかるものでなければそれは科学ではないだろう」
220pp.
「いわゆる輿論とか衆議の結果というようなものが実際に多数の意見を代表するかどうか疑わしい場合がはなはだ多いように思う。それから、また志士や学者が言っているような『民衆』というような人間は探してみると存外容易に見つからない。飢えに泣いているはずの細民がどうかすると初鰹魚を食って太平楽を並べていたり、縁日で盆栽を冷やかしている。
 これも別のことであるが流行あるいは最新流行という衣装や装飾品はむしろきわめて少数の人しか着けていないことを意味する。これも考えてみると妙な事である。新しい思想や学説でも、それが多少広く世間に行き渡るころにはもう『流行』はしない事になる」
220-221pps.
 「蓑虫と蜘蛛」「蜂が団子をこしらえる話」は昆虫観察のエッセイ。
 「田園雑感」はわが国の農村共同体のデメリットを、これまた鋭く、またユーモアたっぷりにつく。一方で本来の盆踊りにひそむ伝承文化の価値も洞察している。珍しく時事ネタがちらりとだが出てくる。
 しかし、わが国の歴史に対する「歪んだ」認識は、科学や自然に対する、実にしなやかでまっとうな認識とは対照的ですらある。江戸時代を抜けると一気に奈良時代に行ってしまう。中世は存在しない。この人にしてこの有様。ある意味で歴史認識の恐ろしさをみる。教育の恐ろしさかもしれない。

 とまれ、俄然おもしろくなってきて、「旅日記」以降はほとんど一気読み。

 F&SF3月号。Asimov's3月号。London Review of Books。F&SFはルーシャス・シェパード特集。新作ノヴェラにビブリオだ。嬉。実に久しぶりの新作ではないか。

 昼食、釜揚げ饂飩、伊予柑。

 『青』再開。

 夕食、鯖味噌漬、蒲鉾、隠元胡麻和え、大根味噌汁、ご飯。

 夜、天気予報を見たついでに、何の気なしに Yahoo 掲示板を眺めていたら、ケルト/アイルランド伝統音楽と言うのがあったので覗く。すると何と、元青弓社編集のNさんが書きこんでいた。世の中狭いもんだ。

 Kは転勤決定。ただし、転出先が3月下旬まで不明の由。これも教職世界の慣習なのか、なぜそんなぎりぎりまで不明なのか話を聞いてもよくわからない。

 Hの昨年の担任だったRさんは管理職就任を断って現場に残ったが、管理職になってほしいと思う人はそういう判断をする傾向があることは否めない。学校の管理職自体が全く魅力のない仕事になってしまっている。誰かが第一ヴァイオリンを弾かねばならぬとはいえ、それが当人の福利に繋がるかどうかは別問題だ。

 AppleからMacOS XPublic Betaに関するアンケート依頼のメール。サイトに行き、アンケートに協力。

2001年 3月 03日 (土) 晴れ。

 朝食、蜜柑絞りジュース、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、コーヒー。

 K、卒業式につき、送る。

◇Uchida, Tooru/内田亨 トンボ取り; 蜜蜂と花時計, 1951.11/1982.10.25
 北大で当時中谷宇吉郎とならび称されたエッセイの名手という。動物学の人。解説によれば、最先端技術を駆使した生物学というよりは古き良き博物学の流れを汲む、観察と記述の名手であったらしい。この一篇は、明治の末年というから20世紀初頭の東京で過ごした子供時代蜻蛉獲りに夢中になり、その体験で会得した蜻蛉の生態のスケッチ。蜻蛉獲りの方法や道具の詳細も含む。確かに子供のころ特に虫が好きというわけでもなかった俺でも、蜻蛉の名前と形ぐらいはすぐに浮かんでくる。赤蜻蛉や塩辛はよく見るが、夏の盛りの銀蜻蜒、鬼蜻蜒はあまり見た記憶が無い。夕方蚊柱の立つ頃、蚊に喰われながら、その蚊柱を飛び違っては採食する蜻蛉の生態をじっと観察している少年の眼の輝きに憧れる。

○PADDY & BRIDGET & THEIR GREAT FRIENDS; PBCD1, 2000, Japan/Ireland
PADDY & BRIDGET  なるべく無心に聞こうと思ったが、書いたものからうかがえる守安氏の姿勢というよりはあれは性格だろうが、それを思うとどうしても楽しめない。あの几帳面さは、本質的にいい加減でずぼらなアイルランド音楽とは相容れない気がする。それがここでも音になって現れているように聞こえる。音楽そのものの質はこれだけの人が参加している以上、悪いはずもなく、ををっと声をあげたくなる瞬間も何度かある。例えば[09]のいかにもパブでのセッションというトラックや[17]の The Ceili Bandits の入ったトラックには耳がひきつけられた。[13]のジャッキィ・デイリーもさすがだ。それにしても各曲に「原典」のつもりだろうか、楽譜集の記載はあっても、その曲を誰から習ったかというクレジットが一切無いのは不思議。

 SETI@home プロジェクトは切られたケーブルの修理がまだできない。切られた所の地形が険しく、悪天候もあって修理チームが現場に到達していないのだそうだ。今の予定では修理できるのは現地時間で3日の午後になるとのこと。

 昼食、三人で釜揚げ饂飩、茹で卵、伊予柑、隠元胡麻和え(昨日の残り)。

○Pat O'Connor THE GREEN MOUNTAIN; Clachan Music, 2000, Ireland
Pat O'Connor  大方と違って低い方へ音が膨らむフィドル。いわゆる「クローズド」なタイプのフィドルで、器用さよりも線の太さが目立つ、大らかな演奏。装飾音で聞かせるのではなく、弓使いによるアクセントとスラーの味。[09][15]など同じリールながら曲が進むにつれてテンポが速くなる。ギタリストの家で一発録りで録った自然発生的な(スポンテイニアス)音楽の旨味。おまけにこれを録るまで一緒にやったことは一度もなかったというのもおもしろい。録音、特にギターの録音はあまり良くないが、全体から見れば傷ではない。むしろ音楽の生々しさが引立つ。二曲ある、フィドル二本のトラックはことにそうだ。このフィドルはジョセフィン・マーシュだが、この人、フィドルも弾くのであった。シャロン・シャノンといい、メアリ・ストーントンといい、女性の蛇腹弾きはフィドルもうまい人が多いのはちょっと謎。[11c]はスティーライがセカンドでやっているやつだが、タイトルが違う気がする。別ヴァージョンかもしれない。
○The Ceili Bandits HANGIN' AT THE CROSSROADS; CBCD002, 1999, Ireland
The Ceili Bandits  イヴォンヌ・ケイシィはボビィ・ケイシィの血縁だろうか。気持ちの良いフィドルを弾く。オゥエン・オニールのブズーキとクェンティ・クーパーのギターがかけるドライヴに乗って、すいすいと高い響きをひびかせる。フレージングがいい。"Devil among the tailor" のリフレインが松果体にずんずん響いてくる。アイルランドでこの曲をこんなに気持ちよく聞かせてもらったのは初めてだ。ケヴィン・グリフィンのバンジョーとの合わせ技もいい。それにしてもリズム楽器二つにフィドルという組合せは、ちょっとおもしろい。小規模なボシィのようなところもある。

 午後から musse のチーフテンズの原稿を考える。

 夕食、鱈子、茹でブロッコリ、キャベツ味噌汁、海苔、ご飯。

 Kは宴会。

○Richie Buckley YOUR LOVE IS HERE; Hummingbird/h35, 2001, Ireland
Richie Buckley  こういう普通のジャズをやる人がアイルランドにもいる、という証拠以上のものではない。悪くはないが、さりとてことさらこの人のサックスが独自のものとして際だつことはない。むしろどちらかというと共演者の方が押し気味。トランペットのルー・ソロフという名はどこかで聞いた気もするが、この人の方が遥かに面白い音楽を聴かせる。ピアノ・トリオも負けていない。名前からするとオランダ人らしい。こういうのを聞くとやはりアイルランド人はジャズに合わない、あるいはジャズがアイルランド人に合わないのだろう。曲はバックリィのオリジナルがほとんどだが、特にアイルランド的なところはない。アイリッシュ・ミュージックはジャズへの応用が効きにくいのかもしれない。これだったらキース・ドナルドのやり方の方がまだ有効だ。

2001年 3月 04日 (日) 雨。時に激しい。

 9時前起床。朝食、葡萄パン、バナナ、茹でブロッコリ(昨夜の残り)、蜜柑絞りジュース、コーヒー。

 駐車場抽選会。たまたま棟前に一つだけ残っていたものに当る。
 Diary++ 1.6.3 が出ていたのでダウンロード。

 昼食、豆腐、豚肉、葱の鍋、ご飯。

 『musse』のためのチーフテンズ原稿。一度書いて送ろうとしてSさんからのメールを見直し、半分以上書直して送る。

 この原稿のためにようやく Hot Press の問題のインタヴュー記事に目を通す。しかし、そんなにすごい内容ではない。むしろ公式伝記が消毒が過ぎるので、こちらの方が自然に近いだけだ。発言内容は公式伝記とだぶるところもずいぶんある。インタヴューとしては良くつっこんでいるところもあり、かなり上質のものだ。作曲プロセスについてのデレクとパディの発言の違いがおもしろい。

○Jimmy Crowley THE COAST OF MALABAR; Free State Records, 2000, Ireland
Jimmy Crowley  この人が歌いつづけていてくれることは、あたりまえといえばあたりまえなのだろうが、何とはなしに嬉しい。この人のうたにひたる歓びは久しぶり。[09]のタイタニックを悼むうたはこの人のソングライターとしての才能を示す。ほとんどブズーキ、マンドリン族だけをバックにするのは、良く似合う。この巻き舌のテナー・ヴォイスにギターでは多分底が抜ける。ミドルからスロー・テンポでじっくりうたわれるうたの纏綿たる抒情。トゥリーナのコーラスがその感情の色合いを一層深くする。[12]のような、ホーンパイプ的メロディ・ラインを持つ、ややユーモラスな雰囲気のうたはこの人の独壇場。

 夕食、チラシ寿司(穴子、椎茸、筍、人参)、若布と三つ葉の吸い物、菜の花芥子和え。

 夜、Dvorak 配列を試す。なるほど、ローマ字入力は格段に楽だ。楽という意味では親指シフトより楽かもしれない。効率では親指シフトの方が遥かに上ではあるのは変らないが、しかし Dvorak では指がキーボードの上をあちこち跳ばない。これに比べると親指シフトも結構跳ぶ感じだ。

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