大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 3月 12日 (月)〜2001年 3月 18日 (日)] [CONTENTS]

2001年 3月 12日 (月) 曇り。寒。

 朝食、ロール・パンとブルーベリィ・ジャム・苺ジャム、茹でブロッコリ、林檎ジュース、珈琲。

 朝一番でメール・チェック。予想通りSさんからメールが入っている。チーフテンズのプロファイルは書直し。ちょっと調子に乗りすぎた。

○Alan Kelly MOSAIC; Tara/Music Plant, 2000/2001, Ireland
Alan Kelly  アイルランドのピアノ・アコーディオンというと、カレン・トウィードもそうだが、二人とも伝統の枠組みにとらわれない、自由な発想が身上であるのは、楽器の特性だろうか。レパートリィもスコットランドもとりあげるし、フィンランドもとりあげる。カレンに比べると、音色が大らかで、あっけらかんとしているところもあるが、細かいことにはこだわらない明るさがいい。むろん音楽の細部はきっちりしている。ファーストはルナサのドノが全面的にサポートしていたが、今回はアーティ・マッグリンとそれにリアム・ブラドリィのドラムスが実に良い。全然ドラム・キットらしくない。しなやかだ。[04]で聞かせるロッド・マクヴィーのハモンド。バックのいわば70年代的な響きと、主人公の90年代的な切れ味の良さがうまく合っている。ピアノ・アコーディオンというアイリッシュ内での希少価値を差引いても十分な快作。
○Kat Eggleston FIRST WARM WIND; Waterbug, 1990/1998, America, Amazon.com
Kat Eggleston  ファーストのCD再発。基本は本人のギターと歌だが、オーボエやリコーダー、それに何人か、男性のハーモニーが、この人のややエッジのたった声とよくブレンドしている。これ以前に2本ほど共作のカセットがあるらしいが、シンガーとしてもソングライターとしてもすでに成熟した姿。意志の強さが反映している声の強さを本人はややマイナスと感じているらしいが、妙に繊細さを装うことはあるまい。言葉の繋がりの美しさは十分に繊細。とび抜けた曲はないが、全体の水準は高い。中で一曲選べば "Equinox" か。霊感のもととしてピーター・S・ビーグルの名前が上がっているのに意表を突かれる。歌詞は印刷が小さすぎて、見難い。
○Various Artists ACCORDION WORLD; ellipis.../FOA Records, 1997, world
ACCORDION WORLD  ellipsis のアンソロジーをフォア・レコードが国内盤として出していたものの一枚。まだ手に入るのだろうか。解説は星川師匠。ラテン以外のアコーディオンのアンソロジーで、ケパの初期の録音から拾ったり、さすがに目配りがいい。選曲もヴァラエティに富み、ヨーロッパ系のアコーディオンのアンソロジーとして良いものだ。大半がおなじみだが、バヴァリアのものとアーリィ・タイム・ミュージックの蛇腹は「発見」。南イタリアも面白い。ケベックのジャズ仕立ての曲もなかなか。通して聞いて一番目立つのはジョン・カニンガムのライヴ。PALOMINO WALTZ に入っているやつ。

 昼食、昨日の残りのカレー。

 リスペクトから登川誠仁新作のサンプルCD。Irish Music Magazine 3月号。名古屋アイルランド研究会会報。
 チーフテンズ原稿の見直しとメンバー・プロフィール原稿の書直し。夕方、両方送る。

○登川誠仁 SPIRITUAL UNITY; リスペクト (sample CD)、2001, Okinawa
 ソウル・フラワーの中川さんがプロデュース、モノノケ名義でバンドが参加したトラックもある。これは大成功。モノノケもバンドとしてのスケールが大きくなったものだ。アルバム全体としてどちらかというと前半は異種交配、後半は登川一門揃い踏みという感じで、結構はっきり性格が分かれているのは故意なのだろうか。もともとの意図はともかく、二つの世界を自在に往き来する、というよりはどこにあっても我関せず焉と揺るぎもしない御大の存在がよけい大きく見える。

 夕食、味の刺身、菠薐草お浸し、白菜味噌汁、蒲鉾、ご飯。

 夕食後、音友・Sさんから電話。チーフテンズ、プロフィール原稿の件、伝記の件で打合せ。
 入浴後、プロフィール原稿、指摘にしたがって改訂して送る。

2001年 3月 13日 (火) 晴れ。風強し。

 朝食、ハム・トースト、菠薐草お浸し(昨日の残り)、バナナ、林檎ジュース、珈琲。

 朝一番でメール・チェック。Jedit 4.0.5 が出ているのでダウンロード。
 午前中、駅前。図書館に寄り、『中勘助全集』第15巻・書簡・補遺・年譜を借りる。この全集を買っておかなかったことの後悔が募る。

 Amazon.co.uk から書籍一冊。ジョセフ・オコーナーの THE IRISH MALE AT HOME AND ABROAD。「アイリッシュ・メイル」シリーズの二冊め。

 昼食、鰺の開き、大根の葉の味噌汁、菠薐草お浸し(最後)、ご飯。

 午後、チーフテンズ伝記原稿見直し。

 とうとう中勘助の作品を読みはじめる。

◇Naka Kan'suke/中勘助「夢の日記」新小説, 1912.08/岩波版全集第四巻 , 1989.10, 03, 30
◇Naka Kan'suke/中勘助「夢の日記別稿」新小説, 1912.08/岩波版全集第四巻, 1989.10, 31, 36
 1904(明治37)年1月から1912(明治45)年3月まで、勘助20歳から28歳までの間の夢を日付とともに書きとめたもののうち、独立した作品に転用されなかった稿をまとめたもの。角川版全集にまとめられたものが「夢の日記」でそこにも漏れたものが「別稿」。一般的に「別稿」にはグロテスクで暗い色調のものが残され、「夢の日記」としては明るい内容のものがとられている。
 よくこれだけ克明に覚えているものだ。覚えていたものだけを書いたのかもしれないが、一晩で二つの夢もあるところをみると、何らかの形でメモをとっていたのかもしれない。まあ、それはどうでも良い。

 夕食、鶏肉とカシュー・ナッツの中華風炒め、かき卵スープ、餃子、ご飯。

 考えてみたら今年の1月31日で退社10年目になった。

2001年 3月 14日 (水) 晴れ。

 朝食、ストロベリー・ジャム・トースト、プチトマト、林檎ジュース、珈琲。

 朝一番でメール・チェック。Jedit 4.0.5.1 をダウンロード。
 午前中、チーフテンズ伝記、原稿見直し。一部昼食後にこぼれる。
 荷物。羅門さんから著書。タムボリンよりCD17タイトル。中の一つにマーティン・カーシィのボックス・セットがあったのだが、これはとんでもない代物らしい。未発表、レア物のトラック満載で、充実のブックレット。
 3時少し前からHが帰ってくるまで30分ほど昼寝。

 夕食、ハンバーグ、人参とインゲンのグラッセ、ご飯、バナナ。

 午後から夕食を挟み、マイレート&トゥリーナのナレーション原稿を書直し、夜、送付。
 結構くたびれる。昼寝したが、夜、眠くて仕方がなくなる。

□内田亨『蜜蜂と花時計』1947?/旺文社, 1982.10.25, 214pp.
 観察の鬼、と言いたいところだが、「鬼」ではない。実に自然に、日常生活の一環として観察をしている。細かく見ようとか、見落とすまいといった自意識とは無縁に、対象に惹かれるまま、どんどんと深いところに入ってゆく。動物であれば、昆虫であれ、魚であれ、鳥であれ、哺乳類であれ、何でもござれだ。寺田寅彦の言ったと中谷宇吉郎が言う「まず対象をよく見る」ことがここでも繰返されている。何であれ、これは基本なのだ。加えるに、観察者たる自分を客体化できる能力。例えば様々な動物にとって嗅覚の持つ意味合いの大きさへの洞察。観察者たる人間の嗅覚が未熟なため、嗅覚の発達した動物たちの世界が見えないという自覚。
 加えて、解説によれば、この人の父親は朱子学の大家だった由で、その流れはこの人も受継いでいる。「唐犬」や「動物の古和名」に現われる和漢の古典籍への教養。これは理科文科が截然と分離してしまった現在の「科学者」に望むべくもないものかもしれない。宇吉郎も雪の研究にあたって、先達の研究をきちんと評価している。
 一つひとつの話は短く、エッセイというよりはコラムに近い。もう少しじっくりと書かれた文章を読んでみたい。比較的長い表題作や冒頭の「トンボ取り」「蜜蜂の言葉」「性の意義」でも、贅肉をそぎ落とした観があり、もう少し脇道にそれたり、よけいな遊びが欲しいところがある。この辺も、もっぱら簡潔を旨とする漢文の素養のせいだろうか。
 宇吉郎や寅彦ほどではないが、動物学というよりは動物から見た博物学の世界への入口としてはこれ以上のものはなかなか望めまい。

2001年 3月 15日 (木) 晴れ。風強し。暖。

 朝食、鰺の開き、大根とあぶらげの味噌汁、小松菜煮浸し、ご飯。

 朝一番でNewNOTEPAD Pro β4ダウンロード。
 午前中、チーフテンズ原稿見直し。これにて入稿前の作業一通り終了。次は初校ゲラ。なんだかひどくくたびれる。

○Van Morrison THE PHILOSOPHER'S STONE, Polydor, 1998, Ireland
Van Morrison  すっかり忘れていて、キム・スタンリィ・ロビンソンに言われて思出した。なるほど、充実の一枚、というか二枚組。全アルバムの中でも五指に入る。MOONDANCE, VEEDON FLEECE, INTO THE MUSIC, HYMN TO THE SILENCE, そしてこれ。一聴印象に残ったのはCD1では "Contemplation rose"、CD2では "Stepping out queen Part 2"。B13 はムーヴィング・ハーツとの共演。デイヴィ・スピラーンのイラーン・パイプ大活躍。ラストはチーフテンズというのはなかなかにくい。

 午後は『青』を少し。

 3時半、家を出て、観音坂からバス。図書館で内田亨『蜜蜂と花時計』を返却、『中勘助全集第二巻』を借りる。ロマンスカーがあったので新宿経由で渋谷。ブック・ファーストで『噂の真相』3月号。桂花のターロー麺で夕食。井の頭の駅近くの支那蕎麦屋に久しぶりに入ろうとしたら、牛骨ラーメン屋に変わってしまっていた。腹が支那蕎麦に向けて備えてしまっていたので、桂花の味は今一つ。南青山のマンダラでブー・ヒュワーディーンのライヴ。中勘助を読みながら待つ。

 定刻になったか、和久井さんのバンドが出てくる。いつもとはメンバーが違うそうで、またバンド名が変わっている。ドラムスはなかなか良い。4曲ほどやるが、「同胞(はらから)」は曲も良く、演奏も一番良かった。このバンドにこの曲でゲストで加わった大名が残り、チャーリィ・マクマーンというディジリドゥー奏者と2曲披露。チャーリィは右手が義手で、これにディジリドゥーを挟み、口元に着けたマイクで演奏する。一本はトロンボーンのように伸び縮みする細めの楽器。伸ばすと当然音程が低くなる。これをバズーカのように構え、左右に振りまわしながら吹く。もう一本は普通のディジリドゥーで、かなり長い。オーストラリア出身だそうだが、やはりアボリジニの血を引いている感じだ。年の頃は50がらみ。アメリカで様々なバンドと共演しているらしい。和久井さんのバンドのベーシストがスライド・ギターでサポート。

 休憩時間中にトイレに行ったら、ステージ左側の奥の席が関係者席になっていて、みんないるのでそちらに移る。五郎さんと鈴木亜紀さんも来ている。

 そのうち客電も落ちる前にブーがすたすたと出てくる。生ギター一本で、新曲で、ちょうど来ていた在日英国人らしい夫婦が連れていた赤ん坊に捧げると言って、子守り歌のような自作をうたいだす。あとはあまりおしゃべりはせず、次から次へとうたってゆく。ジェフ・マルダーが円熟の極致ならば、こちらは脂が乗りきっているところだ。途中でエディ・リーダーが友人たちと一緒に入ってきて、われわれの前の椅子に座る。一曲、ブーがうたいだしたところでエディーがふらりと立ってそのままステージに出てゆき、コーラスをつけだした。そこで2曲ほど一緒にうたい、あとで2度目のアンコールでもう一曲。なんとも気分がいいハーモニィ。肩に力が全然入っていなくて、ごく自然に歌が出てくる。それにしてもブーもまた音楽に魅入られた人ではある。天才というには真の意味で独創的なところは少ないが、佳境に入ると我を忘れている様子は本物だ。

 十数曲もうたい、一度引込んで、和久井さんたちのバンドと一緒に出てきて、3曲ほど。さらに「シナモン・ガール」をやったが、これは大名がリード・ヴォーカルで、ブーはうたわなかった。五郎さんは やらない方が良かったんじゃない とぼそり。それでも拍手はやまず、ブーが一人でまた出てきて一曲。エディーと一緒に一曲。最後の最後に、ザ・バイブル時代初めてのシングルとして出した曲と言って "Graceland"。このシングルの発売日とポール・サイモンのアルバムの発売日が偶然重なったのだそうだ。

 全部で2時間ほどのステージ。チーフテンズの伝記の見直しでくたくただったが、いいライヴ。客のひけるのを待って腰をあげる。うちあげは遠慮し、やはり帰るというプランクトン・Kさんの車で渋谷まで送ってもらう。車中、届いたばかりというタラフ・ドゥ・ハイドゥークスの新作のライヴのラフ・ミックス版のサワリを聞かせてくれる。あまりの凄さに笑うしかない。コチャニ・オーケスターのメンバーやトルコのパーカッション奏者も入っているそうな。録音も生々しく、妙に手を入れずにこのまま出して欲しい。ナンサッチ盤は5月ヨーロッパ、6月国内盤発売予定。オフィシャルの写真が全部、今回石田さんが撮ってきたものだそうだ。

 終バスに間に合い、帰宅〇時すぎ。

2001年 3月 16日 (金) 曇り。

 朝食、ほっけ開き、大根の葉と実の味噌汁、薩摩芋と鶏そぼろ煮込み、ご飯、ゆかり。

○Mari Boine, Inna Zhelannaya, Sergey Starostin WINTER IN MOSCOW; Jaro, Sami/Russia, 2001
Mari Boine, Inna Zhelannaya, Sergey Starostin  1992年冬というと、マリ・ボイネはまだ GULA GULA まで。ファーランダーズはまだ影も形もなく、その前身のアリアンズ時代。マリ、イナ、そしてモスクワ・アート・トリオのセルゲイ・スタロスティンが一堂に会しての録音。全員がそろっての曲ははじめの2曲だけだが、これだけでもこの冒険の成果は十分。アルバム全体の出来などは、どうでも良い。そしてむしろ、それぞれのその後への影響は大きかったのではないか。こうしてならぶとやはり、シンガーとしてのマリ・ボイネの異常さがよくわかる。そして、北国の音楽の熱さよ。ファーランダーズとなってからのイナとマリ・ボイネの共演は聞いてみたい。

 PopChar Pro 1.3.2 をダウンロード。ただし、インストールはまだせず。
 Amazon.comから THE ROUGH GUIDE TO WORLD MUSIC, Vol.2。Interzone3月号。ほほう、John Christopher 特集とは、また実に英国らしい。

 昼食は朝のご飯が一膳分だけ残っていたので、これと海苔巻き餅、薩摩芋と鶏そぼろなどで済ませる。

 『噂の真相』などぱらぱら。筒井康隆が連載コラムでマスメディアのスキャンダル・ジャーナリズムへの傾斜に警鐘を鳴らしている。『噂の真相』は「ミニ・コミ」という認識は確かにそうなのだろう。部数ではなく、態度が、だ。とはいえ、そのスキャンダライズへの志向は鼻につくこともある。特に「ホモ」とか「温泉芸者」とか、本来それだけでは軽蔑の対象にはならないはずの属性を、あたかも軽蔑すべき属性としてもちだす態度は辟易する。もっともそういうことを言いだすと、スキャンダルそのものが成立しないのかもしれない。スキャンダルはそもそも、他人のプライバシーの部分を拡大解釈すること、なのだろうか。

 夕食、豚肉のタレ漬け、和布キャベツ、薩摩芋と鶏そぼろ(朝の残り)、ご飯、伊予柑。

○Various Artists LA/MH AR LA/MH=Many Hands; Mater Music, 2000, Ireland
LA/MH AR LA/MH  (ミュージック・プラントのウェブ・サイト参照
http://www.mplant.com/magazine/oshima2.html

 入浴しながら構想を練り、ミュージック・プラント・ウェブ・サイト用の原稿を書く。

2001年 3月 17日 (土) 曇り。

 朝食、クロワッサンとライ麦パンにストロベリー・ジャム、茹でブロッコリ、グレープフルーツ・ジュース、珈琲。

 今日の 寺田寅彦「電車の混雑について」1922.09, 思想 はこの人の面目躍如たる傑作。この場合の電車は路面電車で当時は市電、後の都電だが、その電車が満員で来る場合が周期的だという観察から、最後には人間の行動原理にまで話がおよぶ。ごくありふれた日乗の風景からもっとも本質的な部分を抽出し、科学的・数学的分析と考察を加え、ある普遍的な哲学を引出す。
 この場合の結論は
「来かかった最初の電車に乗る人は、すいた車に会う機会よりも込んだのに乗る機会のほうがかなりに多い」(215pp.)
 ここから導かれるさらなる結論は
「第一に、東京市内電車の乗客の大多数は――たとえ無意識とはいえ――自ら求めて満員電車を選んで乗っている。第二には、そうすることによって、みずからそれらの満員電車の混雑の程度をますます増進するように努力している」(同上)。
 とすれば、こうした状況を改善しようとすれば、とるべき方法は理論上からは簡単になる。「第一には電車の車掌なり監督なりが、定員の励行を強行することも必要であるが、それよりも、乗客自身が、行き当たった最初の車にどうでも乗るという要求をいくぶんでも控えて、三十秒ないし二分ぐらいの貴重な時間を犠牲にしても、次の空いた電車に乗るような方針をとるのが捷径である」(216pp.)。

 昔であれば人に道を譲り、人と利福を分かつということが美徳に数えられたが、それは時代に合わないからといって功利的利己的に考えたとしても、満員車は人に譲る方が「能率」が良いことになる。
 そして、同様のことは、いわゆる人生の行路においてもあてはまることが多いように思われる。

 このことは寺田自身の哲学の基本に近いとも思われる。が、たとえそれが前もって結論としてあったとしても、話の運び、論理の通し方は実に自然で、むしろこうした哲学が現れるとは予想に反している印象すら与える。見事というしかない。

 昨日寝る直前から、妙に痛かった左手親指が直らず、コマンド・キーを押そうとするとひねったように痛い。ので、寺田寅彦の部分はことえりで Dvorak を使ってやってみる。入力は楽だが、ことえりの変換にはやはり苛立つ。特に動詞の登録ができないのはまことに不便。

○Arz Nevez PEVAR EN AVEL; PEM MASQ, 2000, Breton
Arz Nevez  ブルターニュの弦楽四重奏団のアルバム。ブルターニュだけでなく、ケルト全般の曲をとりあげるとのことで、"The may morning dew" なども歌入りで演奏しているし、アイリッシュ・チューンも入っている。が、どうもあまりおもしろくはない。フルートが入る曲などは、ブルターニュ独特の繰返しが生きている部分もあるが、たいていはごく普通のクラシックの弦楽四重奏のアレンジ。トリオロジーのような遊び心も感じられない。メロディが特に際だつところも聞こえない。ただ一つ、ラストのスローな曲だけは、この組立と曲の性格が合っているようだ。わりと期待していたのだが、外れ。

 午前中、『青』。

 朝刊に昨日の都議会で現都知事石原慎太郎が、共産党を「ハイエナのような下劣な動物」にたとえたとの報道に笑ってしまった。ハイエナ自体は単にかれらなりに必死に生きているだけで、その生態を「下劣」と言うなら生物としてのヒトの生態も「下劣」以外の何者でもない。何もないところにある価値を見出すのは、価値判断を下す側がその価値を投影していることになる。ヒト以外の生物の生態にマイナスの価値判断を投影することは、投影者みずからに備わる価値を明らかにすることにならないか。もちろんこの場合、ハイエナが石原慎太郎自身にとって生命を脅かす存在ならば別だ。都庁の中を腹を空かせたハイエナが徘徊しているとは寡聞にして知らない。

 もう一つ、この答弁の元になった質問が、共産党が配ったチラシに対して公明党議員が都知事の感想を求めたというのにも呆れる。それが都民の生活にとってどういう関りがあるのだろうか。政治の本質が宣伝にある、つまりイメージのやりとりにあるにしても、相手のイメージを貶めることで自分のイメージを上げようとする発想の貧しさよ。公明党には自分たちのイメージを積極的にプラスにする要素が何もないのかと勘繰りたくなる。現在の連立与党の枠組みに留まるかぎり、ないことは確かだが。

 昼食、餅のサラダ油焼き、茹でブロッコリ(朝の残り)、茹で卵。

 昼食後、ワトスンに手をつける。既発表の部分も細かい部分が改訂されているようだ。
 The Living Tradition42号。表紙は Jock Tamson's Bairns。再編でもしたのだろうか。

 夕食、巻繊汁、釜揚げ饂飩、伊予柑。

 夕食をはさんで、大分アイルランド研究会報のための原稿。一通り字数制限まで書上げる。

2001年 3月 18日 (日) 雨後晴。朝のうち雨が降っていたが、9時すぎ晴れる。

 またげっぷが溜まり、胸が痛くなって、7時半頃目が覚める。Kの部屋の明かりがついていて、眠れずに起きているのかと思ったら、子供たちが漫画を読んでいるのだった。

 朝食、ハム・トースト、キャベツ・バター炒め、グレープフルーツ・ジュース、珈琲。

 朝刊書評欄、エドワード・サイードの自伝を池澤夏樹が評している。自らを突き動かす原動力を自覚できるのを幸運と感じるのは、この人に言わせれば贅沢になるのだろうか。OUT OF PLACE の邦題を『遠い場所の記憶』としたのは秀逸。

 岩渕功一『トランスナショナル・ジャパン』岩波書店。日本発のポップカルチャーのアジアでの伝播と受容にまつわる言説の分析。「文化研究の最新理論に目配りをしつつ、メディアに溢れる様々な言説を逐次、検証する。思想的なメッセージ性について、文化論のコンテクストにおいて批判的に読み解く、本格的な論考である」(競)

 雨が降っていたので中止と思いこんでいた子供会の廃品回収がやはり来たのでふてくされたHを追出す。

○Duo Ars Celtica FREHEL; KERIG, 2000, Breton
Duo Ars Celtica  70年代からやっている女性ハーパーの Myrdhin と男性ハーパー/シンガーの Zil のデュオに、ボンバルド、ホーミィ、フルートなどのゲストが加わったアルバム。ほぼ全曲ミャーディンのオリジナル。どちらかというとアンビエント。2曲めは何とセルジュ・ゲンズブールだ。瞬間的には耳を惹かれる部分もあるが、全体としてはあまり面白くなし。一番惹かれたのは[05]。伝統色の薄い、どちらかというとキース・ジャレット風の感じのピアノと、ドラムスも入ったハープによる伝統的なメロディが交錯する。こういうものに対するアレルギーもあるのかもしれない。あるいは聞き方が良くないか。もっとゆったりした気分でじっくり耳を傾けるべきか。あるいはそれこそくたびれたときなど、「ヒーリング」のつもりで聞くとまた別か。三つ折りデジパックのケースとブックレットに満載されているブルターニュの海岸の風景写真がすばらしい。ここはどちらかというと海の国らしい。

 午前中『青』。

 昼食、餅と巻繊汁(昨日の残り)。餅は海苔巻きとサラダ油炒め。

 昼食後ワトスン。2時すぎから1時間ほど、仕事部屋で昼寝。

○The Bible! WALKING THE GHOST BACK HOME; Haven Records, 1986, England
The Bible!  ブー・ヒュワーディーンのライヴから久しぶりに聞く気になる。声が若い。このバンドはむしろニール・マッコールが入っているので1stを買ったと記憶するが、実はブーのバンドであったらしい。ポスト・パンクの時代にこれがどういう評価を受けたのかはわからないが、ポップスとしてはかなり上質。当時はロックの流れで聞いていたが、今から聞くとロックよりも自由な感じを受ける。俺の中ではロックはむしろ固定されたフォーマットで、不自由な音楽としてのイメージが強くなってきている。ロックが生まれてきた頃の精神とは別のものとしてだ。おそらくはジャズのスタンダードがロックのフォーマットをとりこむ、ないし合体するところからこうしたポップスが生まれてきたのではないか。ポップスを生みだす、あるいは求める傾向は表面的な様式の盛衰に関らずずっとあるのかもしれない。その欲求がこの時代にこうした形をとった、というのはどうだろう。しかしこうした流れはやはりイングランドのものなのだろうか。アメリカの現在のシンガー・ソング・ライター文化からはこうしたものは出てこないように思う。あるいはアメリカのシンガー・ソング・ライターに相当するものがイングランドではこれになるのか。

 夕食はハヤシライス。今日は煮込み途中でかき混ぜるのを子どもたちにまかせる。食べおわってHが「美味しかった」というので、「自分で作るとうまいだろ」と返したら、Mが「自分で作らなくても美味しい」と答える。

 「パブ」でGさんがケルタス・コルトスのライヴ盤が出ていたと騒いでいた。こりゃあ、捜して買わねばならない。

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