大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 4月 09日 (月)〜2001年 4月 15日 (日)] [CONTENTS]

2001年 4月 09日 (月) 晴れ。

 朝食、ハム・トースト、茹でグリーン・アスパラ、林檎ジュース、珈琲。

 Hは回復。ばくばくと朝食を食べて、元気に出てゆく。
 午前中、歯科。右下奥、ぐりぐりと削られる。歯茎の下まで削りこみ、出血。PTA運営委員のAさんと一緒になる。各クラスの委員選出、難航しているそうだ。
 帰ってからワトスン。

 昼食、薩摩揚げ、キャベツの味噌汁、茹でグリーン・アスパラ、ご飯。H、昼食に帰ってくるが、まったく回復。

 Granta。MOJO。
 午後もワトスン。夕食前、音友・Sさんからばたばたと電話とファックス。チーフテンズの袖まわり。

 夕食、鶏肉ピーマン、かき卵スープ、ご飯、ゆかり。

 夕食後、パディ・グラッキン&ミホール・オ・ドーナルのライナーの翻訳。これもいつの間にか締切が迫ってきていた。思いのほか量が多い。
 11時前、音友・Sさんから電話。ファーンヒルの取材の件。チーフテンズ伝記の再校ゲラも同じ日に持ってきてもらい、取材のあと、見てしまうことにする。

 『寺田寅彦全集』第五巻読了。

2001年 4月 10日 (火) 晴れ。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、茹でブロッコリ、胡瓜味噌添え、林檎ジュース、珈琲。

 FreeML の新着メーリング・リストニュースにクラシック音楽のリストが載っているのだが、これの説明文に「主催者は現役音楽評論家」という文句があるのに笑ってしまう。しかし評論家と自称したがる人の心の動きはわからない。それともこれは「プロの自覚」というやつだろうか。

 朝刊の政治面報道で、自由民主党・橋本派の当選一回ないし2回の議員が、総裁選挙での投票で派閥単位での縛りをするなと言っているとのこと。この主張はよくわからない。ではいったいあなたは何のために派閥に属しているのだろうか。選挙の時、資金援助を受けるためではないのか。自分が選ばれる時は金をもらっておいて、自分が投票する時は勝手にさせてくれというのはいくらなんでも虫が良すぎるだろう。派閥の長以外に投票したければ、派閥を出ればいいので、誰もそこまでは縛るまい。

 ということは全部承知のうえで言っているとすれば、これは単なるポーズに過ぎまい。あるいは、いま橋本派が候補にしようとしている橋本龍太郎には投票したくない、ということを遠まわしに言っているのだろうか。こちらの方がありそうだ。確かにあの中では正面切って、あんたは嫌だ、とは言えんだろうなあ。

 この自由民主党総裁選挙に関する社会面記事の中で、岸田秀・和光大教授(精神分析)の話として、この政党の体質を「昔のムラ社会、共同体組織」そのものとしているのは、何となくわかるような気もする。そして、「国民にも現実を直視したくない、大変な事態に気づきたくないという意識がある」ことが、こうした体質の政党が今なお支持を得ている背景にあることを示唆している。自由民主党は今なお全住民の2割の支持(昨日発表されたNHKの世論調査の結果)を得ているわけだ。

 しかし、この「昔のムラ社会、共同体組織」の実態がどういうもので、なぜ、どのように生残ってきたものか、の検証はもう少し厳密にやる必要があるようにも思われる。誰か、やっているはずではあるが。

 こういう時、どこを捜せばいいのか、ちょっと途方に暮れる。キーワードでネット検索をかけても、目指すところ(があったとして)にたどりつくには相当の時間と手間隙をかけねばなるまい。やはり、「ネット探索士」のような職業が、これからは求められるし、出てくるのではあるだろう。いわゆる検索エンジンにはこうした機能やサーヴィスはまだ個人向けにはないようだが。

 午前中、ワトスン。
 音友からチーフテンズ再校ゲラ前半。

 昼食、竹輪、ミニオムレツ、キャベツの味噌汁、胡瓜味噌添え、茹でブロッコリ、ご飯。

 税務署より国税還付金払込通知。東京創元社・Yさんより、ヌーラ・オフェイランのインタヴュー記事。

 ワトスン、ノルマ果たした後、1時間ほど昼寝。その後、タムボリンの出張所をウェブ・サイトに作る作業をして、一通り作りおえてからメール・マガジン「クラン・コラ:アイルランド音楽の森」創刊号発行作業。いざ発送の段になり、30KBのサイズ制限があることを発見。あわててあちこち自分の書いたところを削る。一応無事、発行を終わる。ついでにメール・チェック。

 夕食、牡蠣味噌鍋、釜揚げ饂飩。H、饂飩をむさぼり食う。M、昨日高松山かどこかで右足脛の外側を虫に食われたらしく、今朝、やや腫れて、ひどく痒がる。そのまま登校したが、結局4時間目に保健室に行って手当てしてもらった由。

 夜、入浴後、ウェブ・サイトのメール・マガジンのページを更新して、サンプルを創刊号に取替える。念のためと思ってメール・チェックすると、読者からの反応第一号が来ているので、編集用メーリング・リストへ転送。
 雑誌の山を漁り、fRootsのサイトも見て、ファーンヒルの記事の載ったものを探しだす。泥縄である。

2001年 4月 11日 (水) 晴れ、暑し。

○Baaba Maal MISSING YOU (MI YEEWNI); Palm, 2001, Senegal
Baaba Maal  MISSING YOU  前作は焦点の定まらない「売れ線狙い」でつまらなかったが、これはがらりと変わり、自らのよって立つところにしっかりと脚をふんばっている。アリ・ファルカ・トゥーレの『ニアフンケ』と同じく、原点回帰を志向したと思われる。こういう人はこう来なくてはいけない。もっと自らの歌の力、声の力、あるいは自分のなかに流れる音楽の力を信頼すべきだ。この人はもっと昏い印象だったが、これはむしろうたうべき歌を見つけ、思う存分にうたうことができる歓びに輝いている。ユーモアの隠し味が効いている。

 朝食、鯵の開き、キャベツの味噌汁、ご飯、ゆかり、海苔。

 朝、あわててファーンヒル関係の記事に目を通す。11時、家を出る。ロマンスカーで新宿。

 昼食、新宿・桂花でターロー麺。いつもの住友銀行横手の路地の店だが、どうも、渋谷の店と味が違うように感じる。こちらの方が旨い。

 渋谷に出てHMVでお土産のCDを3枚。ジュリィ・マーフィにはリッキの『ミス・ユー・アマミ』。アンディ・カッティングに『エイジアン・ファンタジィ・オーケストラ』。カサンドラに後藤幸浩。ルノワールにて待つほどに、COCOさん一家登場。あらためて気がついたが、子どもを生んでCOCOさん、えらくきれいになった。しばしして音友・Sさん登場。ところが、本人たちとのざきたちは一向に現れず、通訳のSさんだけがきている。なんでもピーターさんのテレビ番組の収録に手間取り、30分押し。

 皆でインタヴュー。COCOさん一家がアンディとひとしきり旧交を温める。COCOさんが手作りのTシャツや団扇をプレゼントする。COCOさんの描いたロボット蛇腹猫があしらってある。インタヴューそのものはまずまず。ジュリーがほとんどしゃべる。なんだかんだで時間オーヴァーして4時10分ほど前終了。次は白石さんで、出がけに声をかけるが、ろくに返事をしない。あとで聞いた話では、どうやらがちがちに緊張していて、Sさんが通訳でいることにも気がつかなかったらしい。

 音友・Sさんと新宿に移動し、駅ビル2階の喫茶店でチーフテンズ伝記再校ゲラの校正。その後、雑談。6時になったのでタワーに移動し、CDを漁る。グルジアのCDを一枚買う。下に降りて、インストア・ライヴの会場の辺りをうろうろ。セッティングは実に簡単。キャスはフィドルとクルース、アンディは2台の蛇腹を交替で使う。キーの違うもの。Robin さんも来た。ネット上のマルチメディアの著作権関係の記事を書かねばならないといって、その手の本を持っている。

 ライヴは予告もなく、定刻に三人が出てきて、あっさり始める。わかってはいたが、やはり音の密度、プレゼンス、段違い。とりわけジュリーのヴォーカルは、アンディ・アーヴァインの時同様、予想外のパワーがある。

 人出はちょっと心配したが、意外に集まり、2〜30人はいただろうか。とりわけ、アイリッシュ系のライヴではあまり見かけない、若い男の子がけっこういる。どういう人たちなのか。4曲ほどやったが、最後の1曲は3曲の歌をつなぎ合わせた組曲で、かなり長い。あっさり終わる。COCOさん一家がいろいろアンディを捕まえて話を聞いていた。

 トリニティーの二人が来ていて、終わってからその場でちょっと打合せ。
 夕食に、バンドやプランクトンのKさんとI君、のざき、タッドと新宿の関西料理屋。バンドの三人は、出されるものはたいてい食べる。カレー味のジャーマン・ポテトがいたく気に入ったらしい。酒はあまり飲まず、アンディが焼酎を試していたぐらい。ジュリーの隣にすわったので、いろいろ断続的に話を聞く。1時間半ほど食べて、お腹が一杯になったとのことで、10時半頃あっさり解散。I君が車でホテルに送り、こちらはそのまま帰る。ロマンスカー最終の席があったので、それに乗り、町田まで眠る。終バスにも間に合い、帰宅0時15分。

 留守電にペリカンから昨日Jさん宛送ったゲラ、住所に見当たらないと入っている。よく見ると、住所をまちがえていた。そのまま今日のところは寝る。
 アオラからサンプルCD。

2001年 4月 12日 (木) 晴れ後曇り。

 朝食、鯵の開き、和布とあぶらげの味噌汁、小松菜煮浸し、ご飯、ゆかり。

 8時にペリカンに架電。8時45分、電話が来る。9時過ぎ、Jさんに架電。彼も昨日一日留守していたらしい。

○Pigyn Clust PERLLAN; Fflach.Tradd., 2001, Wales
Pigyn Clust  PERLLAN  昨日ジュリーにもらったサンプル。ウェールズ音楽の古楽に通じる相を聞かせる。最近のアイリッシュに慣れた耳には、ゆったりとしていて躍動感や緊張感に乏しく響くところもないでもないが、それもまた偏向だろう。フィドル2本にヴォーカル、ギター、ブズーキ、マンドリンの5人組。フィドルの一人が今回来日しているキャス。アイリッシュで聞覚えのあるジグなども2曲ほどやり、これはこれで闊達な演奏なのだが、ノリが全然違う。ちょっと聞くと、ずれているのではないかと聞こえるリズムの取り方をする。が、そうしたことよりも、どこか鄙びた、時の古層から響いてくるようなフィドルの響きはいっそ新鮮。せわしなく動きまわることとは無縁な、地に足のついたリズムが流れている。寄添うように、離れるようにかつ舞い、かつ歩む2本のフィドルのハーモニーに聞惚れる。クルースも1曲入っている。ヴォーカルもややクラシカル的な歌い方ながら、無伴奏でもなかなかに聞かせる。
http://fflach.co.uk

 昼食、ハム・トースト、バナナ、小松菜煮浸し(今朝の残り)、ココア。

 午後、ワトスン。
 4時過ぎ家を出ると、燕が飛んでいた。今年初めての燕。

 夕食、吉本家で葱味玉ラーメン。

2001年 4月 13日 (金) 晴れ。風あり。

 朝食、ハム・トースト、プチトマト、バナナ、グレープフルーツ・ジュース、珈琲。

 朝メール・チェックすると船津さんから、デイヴィ・スティールの訃報が入っていた。合掌。

○Lunasa MERRY SISTERS OF FATE; Green Linnet/Music Plant, 2001, Ireland (sample cassette)
Lunasa  MERRY SISTERS OF FATE  エド・ディーンの名前には驚いた。ウッズ・バンドのあの人、ということはグラニィズ・インテンションのギタリストではないか。今やアイルランド随一のスライド・ギタリストだと中山さんがいつだったか言っていた。これは来た時に確認しなければ。それにしてもいつも思うことは、この連中はひと時もじっとしていない。アルバム毎、ライヴを見るごとに変わっているのはもちろん、全く同じ音が入っているはずのこのアルバムを聞くたびに、どこか違っているように聞える。今回凄味を感じるのは、むしろスロー気味の曲。吉川英治の『宮本武蔵』に、ある宿場の厩の傍の宿で、蕎麦にたかる蝿を武蔵が箸でひょいとつまんでは捨てているシーンがあった。その武蔵にどこか共通するものを感じる。

 朝一番でiBookの FirmWare Update 4.1.7 が出ていたのでダウンロード&インストール。
 午前中、PTA。総会資料の準備。帰り際、教務主任・Tさんのところに寄り、ボランティア研究会の始めはいつか訊ねる。来週18日午後とのこと。市から案内が郵送されているそうだが、まだ着いていない。

 昼食、チャーハン、肉饅。

 London Review of Books。
 3時半過ぎ、メディアワークス・Yさんから電話。今年の電撃小説大賞の選考は、二次選考を外部に委嘱しない形にするとの通知。ほっとすると同時に、収入が減るのは痛い。しかし、今やあのひと月の精神的苦痛はかなりのものだったから、たとえ収入が減ってもありがたい話だ。
 KはMを連れて耳鼻科。このところ、咳が出ているため。
 午後、ワトスン。

 夕食、味の刺身、キャベツの味噌汁、隠元胡麻和え、ご飯、苺。

 夜、パディ・グラッキン&ミホール・オ・ドーナル。
 入浴後、寝る前に日記の整理。

2001年 4月 14日 (土) 晴れ。風あり。

 9時過ぎ起床。
 朝食、クロワッサン、ロール・パンにブルーベリィ・ジャム、グレープフルーツ・ジュース、珈琲。

 朝一番で医者に架電。薬をとりに行く。帰り、農協の計算センターの脇を通り、花見。ここの八重はほんとうにすごいが、今日はやや盛を過ぎた感じ。少しくすんだ感じで、それもまた良し。
 History Ireland春号。Interzone4月号。表4の広告など見ているうちに、久しぶりに小説が買いたくなってくる。

 昼食、焼きそば。

 仕事をする気になれず、日記の整理などに逃避。
 子どもたちはともに調子がいまいちで、スイミングは振替。代りに買い物に行く。

 夕食、カレー、甘夏。

 Amazon.comのニュースレターのフォーク版でエリック・テイラーの新譜が出ているとあったので、買物籠にほうりこんでおく。

 夕食後、ワトスン。少しふんばる。
 iBookの下にいつも椅子で後ろに寄りかかる時膝の上に置く台にしているパーチクル・ボードを敷いて、高くしてみる。いくらか楽なようだ。ついでに原稿を置く台もすこし低くできる。

2001年 4月 15日 (日) 晴れ。

 8時過ぎ起床。
 朝食、クロワッサンにブルーベリィ・ジャム、トマト、グレープフルーツ・ジュース、珈琲。

 仕事部屋にでかい蠅が出る。部屋の中で越冬していたのかもしれない。幸いまだ動きは鈍いので撃墜。

 Diary++ 1.7、度量衡 1.4 が出ていたのでダウンロード。Diary++ はついにタブをサポートし、カーソル、ウィンドウ位置等も保存できるようになった。ついでにMacOS Xの方もソフトウエア・アップデートする。管理者用パスワードを忘れてしまったりして、なんだかんだで時間がかかる。

 MacOS Xのアップデートがすむのを待っていたら、また胸骨の裏が痛くなって浅いげっぷが出る。姿勢が悪いせいなのかもしれないが、原因がよくわからない。こういうのはやはり整体だろうか。
 午前中、ワトスン第一部残りをやって送る。

 昼食、カレー(昨日の残り)。

 午後もワトスン。

 MacOS Xの管理者パスワードを忘れてしまい、設定がいじれなくなる。こういうところは不便だ。UNIXはやさしいパスワードは受けつけないし、難しくすると忘れる。いずれにしてもしばらくは使い物にならないから、MacOS X自体忘れることにしよう。

 夕食、蟹春巻、豆腐と油揚の味噌汁、胡瓜塩揉み。はじめ旗魚のフライだったが、一口食べたところで、これは鮪だったことに気がつく。

 10時半頃、音友・Sさんから電話。チーフテンズ伝記、確認いくつか。ちょっと雑談で、ガイドブックの話になり、秋のルナサ来日に合わせようということになるが、そうなると連休明け早々に作業を始めなくてはならない。あとでもう一度電話。パンフで、年表などのアルバム発表年と白石さんが作ったディスコグラフィでの発表年のずれの調整の問題。こちらは伝記や公式ウェブ・サイトのデータを基にしているのだが、白石さんは現物にあたっているわけだから、根拠としてはもっとも確実だ。よって、そちらに合わせようということになる。

 朝刊文化欄「〈21世紀〉の視点」で宮本みち子・千葉大教授(青年社会学・家族社会学)が、「若者を逃避させる社会」というタイトルで書いている。社会が転換期にありながら、古い体質(例えば組織における年功序列)が残っているので、若者は旧世代にはない能力をもったものだけがすくいあげられる傾向がある。こうした社会を若者は批判してほしい。という趣旨なのだが、これ自体、古いとらえ方では無かろうか。生涯の仕事として「やりがいの感じられる仕事、自分が納得できる仕事」を目指す時、それは何も旧来の組織に入ってすることとは限るまい。ましてや、経済や市場を至上命題とする仕事ともかぎらない。むしろ、全く別のところで創造性や社会への貢献ができる仕事を自らの手で生みだすことこそが、「若者」に求められることであるはずだ。そうして初めて、年功序列に代表されるこの国の社会の体質が変わってゆくだろう。

 その時、強力なツールとなりうる可能性があるものの一つとして、デジタル技術とネットワークがある。
 と思っていたら、ふと目についたのが、London Review of Books 2000.08.10号の John Sutherland による Richard Powers の近作2本GAIN (1998) と PLOWING THE DARK (2000) の書評。パワーズが目指すのが、「究極のネットワーク装置としての小説」であるのが、この評者は気に入らないらしい。パワーズがマッカーサー財団の奨学金を1989年、おそらくは歴代の小説家の受賞者の中でダントツの最年少である32歳で得たのも気に入らない。パワーズの小説では複数の筋(たいていは2本の物語)が並行して進み、やがて思いがけない物語の捻りで一つの「ネットワーク」を現わすのも気に入らない。マイクル・クライトンを持ちだして、パワーズを苛立たせようと試みているが、評者自身の苛立ちの方が顕になっている。おそらく評者が一番苛立っているのは、「これまでのテクノロジーは人間の環境を変えてきたが、コンピュータは人間を変える」というパワーズの認識なのではないか。

 この認識自体が当たっているかどうかは、われわれにとって大した問題ではない。つまり変わっているのが人間自身か、人間が住む環境かは、実際には同じことだ。コンピュータによって生じる変化は、その双方の変化の結果が区別がつかないくらい大きなもの、規模においても影響の深さについても、大きなものだ。その点ではこれまでのテクノロジーとは次元を異にすることは確かだ。

 むしろ、この変化はテクノロジーの次元ではなく、「科学」の次元、すなわち天動説から地動説への転換、古典力学から相対性理論と量子力学への転換に等しいのではなかろうか。しかもその転換が、世代をまたぐゆっくりしたものではなく、わずか十年、おそらくは五年以内という短期間に起きていることだ。これはどんなに若くとも、通常の人間の適応能力を遥かに越えている。自分たち自身、自分たちの住む環境が劇的に変わってしまったことに、われわれ自身が本当には気がついていないのだ。せいぜいが、気がついていないことに気がつく程度だ。

 これはどういうことか。一人ひとりはごく限られた接触面、ほとんど点に等しい接触面でその変化に直接タッチし、変化を引継ぎ、先へとすすめている。が、他の大部分では変化にまったくついてゆけずにいる。これが個人のなかに分裂を引起すことはあきらかだ。パワーズが追求しているのはこの分裂であるらしい。おそらくはこの分裂がさらに人間を変化させ、人間の環境を変化させるエネルギーを生出しているのではないか。分裂した存在を再統合しようとする欲求が生みだすエネルギー。

 再統合の方向は人によって異なる。変化に追いつこうとするものもいれば、立止まろうとするものもいるし、変化に背を向けて後戻りしようとするものもいる。あるいは、自分では追いついているつもりが一目散に後戻りしていることもあるし、後戻りしているつもりが気がついてみると変化の最先端に立っていることもある。

 とすれば、変化に支点を置くことはおそらくもっとも危険だ。あるいは、労多くして功少ない。
 結局は自らの「好きな」部分、触れていて一番快く、楽しく、充実感を味わえる部分を大切にする。そこから始めるしかあるまい。ここで必要なのは、「快感」「充実感」のもとを掘返すことだろう。なぜ、それを「快感」と感じ、「充実している」と感じるのか。そこに「哲学」あるいは「人生の基本方針」の必要性が現われる。それがあって初めて、いかなる変化にもついてゆける。間合いを見切れる。

 当面はパワーズを読むべきだろうか。この書評を見るかぎり、評者の苛立ちは別として、やはりアメリカの限界を背負っているようにみえる。この人もまた幼時をタイに過ごして、アメリカからはみ出してはいるのだが。

 ネットワークは複数の存在が前提となる。小説を生みだすことは、単数の活動だ。作家をひとつの結節点として、ネットワークがある形をとることは可能だろう。パワーズの小説はそういうものであるだろうか。その小説を読むことで、ネットワークの実相と、人間との関係のある要素、ある面が見えてくるだろうか。

 そしてもう一つ、当然のことながら、ネットワークの自分を通じた「噴出」を試みるべきだろうか。

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