大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 4月 16日 (月)〜2001年 4月 22日 (日)] [CONTENTS]

2001年 4月 16日 (月) 晴れ。

 朝食、エボダイ開き、占地と若布の味噌汁、茹でグリーン・アスパラ、ご飯。

○The Soinari Ensemble & Lela Tataraidze IDJASSI: Songs and Music from Georgia; Long Distance, 2000, Georgia
The Soinari Ensemble & Lela Tataraidze  グルジアというと男声合唱のイメージだったが、やはりそんな浅いものではない。アルメニアのデュデュックと同系列と思われるリード楽器をフィーチュアし、これのインスト、この楽器を伴奏にした歌を集めたもの。デュデュックはカフカス山脈一帯に分布する楽器だそうだ。グルジアでは「デュデュキ」。ソイナリ・アンサンブルはデュデュキとドリと呼ばれる両面太鼓の4人からなるメンバー。これに西部のポリフォニーの伝統を継ぐ女性シンガーが加わった録音。三絃の撥弦楽器パンドゥーリを伴奏にしたこの女性シンガーがいい。伝統に培われた歌ではあるらしいが、かなり洗練されていて、技巧的にも複雑なようだ。全体に自由リズムのゆったりした曲。アップテンポはほとんどない。デュデュキの神秘的ともいえる音とあいまって、高度が高い風景が展開する。グルジアはスラヴとはまた違うらしいが、この辺まだまだ隠れているようだ。

 9時過ぎ、小学校・Tさんから電話。ボランティア研究会の件、まだ役所から書類が来ないかの確認。来ていないと答えると、手元の書類をコピーして子ども経由で渡すとのこと。夕方、もう一度確認の電話。

 もらった書類を見ると、ボランティアだけではなく、厚木市教育研究所研究員ということで、全部で五つほどの研究会がある。学校に特色を持たせる研究会、幼児・児童の社会性を持たせるための研究会、小学校、中学校それぞれの社会科副読本の研究会。うち、保護者代表が入っているのはボランティアの研究会だけ。

 10時すぎ、Hさんから電話。仕事の話の後、ちょっと雑談になり、前いた会社の日本人副社長の話になる。外資系の会社の親会社と日本人スタッフの間に入って、うまい汁だけ吸い、従業員と会社を踏みつけて食い物にする人間の典型らしい。そういう人間は今多いだろう。

 ラティーナ、fRoots各5月号。

 昼食、チーズ・トースト、甘夏、茹でグリーン・アスパラ、牛乳。

 夕方、子どもたちをスイミングに送迎。
 注文しておいた『グランド・コンサイス英和辞典』到着。三省堂らしい、垢抜けない本。見出し語以外の行の字下げを廃し、代わりに見出し語を色刷りにしている。ぱっと見た感じでは実に醜い。果たしてつかっているうちにどう映るか。

 夕食、牛肉とピーマンの中華風炒め、トマト、ご飯。

 夕食をはさんでワトスン、ノルマ。

2001年 4月 17日 (火) 晴れ。

 朝食、万鯛の付焼き、筍と若布の味噌汁、菠薐草お浸し、ご飯。

○Avalon LUA MEIGA/魔女の月; Discmedi Blau/Beans, 2000/2001, Spain/Galicia
Avalon  LUA MEIGA  女性ばかり6人のバンド。ヴォーカルがアイドル的で弱い。最後の(一応)ライヴ録音を聞くと、スタジオでの録りかたが甘いのかもしれない。実際にはもっと押出しのある人ではないか。それ以外はなかなかに聞かせる。リコーダーがメインのリード楽器で、フィドルがサポート、ギターとベースがリズム。特にパーカッションがいい。嗜好としてはどちらかというとのりのりリズムで迫るよりは、ちょっと古楽的な響きへの好みがあるらしい。そのあたりのしっとりした味わいは、ガリシアとしては新鮮。最近のカルロスのアルバムのように妙に背伸びしていないのもさわやか。ライヴを重ねてアレンジを練り、冒険も辞さなければ飛躍の可能性もある。とはいえ、これで悪いわけではない。

 朝、歯科。右下奥。ベースを入れて削り、型をとる。一度帰ってすぐ車でダイクマ隣のサンワ。牛乳はろくなものがない。

 午前中、トリニティー用パディ・グラッキン&ミホール・オ・ドーナルのライナーを書いて送る。白石さんも書くし、ブックレットもあるので、シーン全体での位置を中心に簡潔に。

 昼食、納豆、ご飯、菠薐草お浸し、バナナ。

 夕方、図書館より電話。リクエストしたもの3冊、入ったとのこと。
 午後、ワトスン、ノルマ。

 Kと入代わりに出かける。毛利台からのバスが出てしまったので、観音坂へ降りたら青学の学生で一杯のバスが来る。ミロードの上の蕎麦屋で薯蕷蕎麦。ロマンスカーで新宿。3丁目まで歩き、本牧亭横の「みくに丸」で植野和子さんを囲む会。結局長嶺さんとアオラのTさんと4人だけ。音友のKさんは風邪でダウン。Sさんは仕事が詰ってこられず。植野さんは相変わらず、大元気。今夜のヒットは20代の頃、70年代半ばぐらいのパリでの植野さんの写真。当時全盛だったベルボトムのジーンズに長髪で、なかなかキュート。11時すぎまで。帰宅〇時半。

2001年 4月 18日 (水) 晴れ後曇り。

 朝食、炒めソーセージ、葱と若布の味噌汁、ご飯、蚕豆、胡瓜と大根の漬け物、細切り昆布佃煮。

○The Ukrainians DRINK TO MY HORSE: Live!; Zirka, 2000, Ukraina/England
The Ukrainians  DRINK TO MY HORSE  ライヴを聞くと、このバンドがウクライナ・パンクであることがよくわかる。ロックというよりは「パンク」だ。あるいはシューグルニフティもそうなのかもしれない。ウクライナの伝統音楽の現代的展開とか伝統の継承など、かれらの頭にはなかろう。パンクとしての自己表現の際、一番手近にあり、また他との差別化のための武器としてベストのものとして、ウクライナの音楽があった。それだけのこと。だからこそ、かえって音楽がかれらの血肉となっている。技術の稚拙さとか伝統の希薄さとか、普通ならばマイナスの要素になってもおかしくない性格が、むしろリアルな等身大の表現として突刺さってくる。身を捨てたものの強さだろう。これが長く続くはずはないし、後世への影響、例えばウクライナ音楽への影響がどの程度のものかはまだ未知数だ。しかし、とにもかくにもこのバンドが生まれ、何枚かのスタジオ録音と、このライヴ記録が残されたことは、われわれにとって大いに言祝ぐべきことではある。「かつて、ウクレイニアンズというバンドがあった」と音楽史に書かれるだけの価値はある。

 昼食、ハム・トースト、バナナ、甘夏、飲むヨーグルト。

 ワーナーからCDサンプル1枚。ポーグスのベスト。今ごろ何かあるのだろうか。まさか、シェインがいつ死ぬかもわからないので、ということではないだろうな。

 昼食後、またワトスン。
 小学校授業参観と学級懇談会。はじめMの方の授業を見て、後半Hの方を見る。懇談会はHの方。4時終了してそのまま帰宅。
 帰宅後またワトスン。ノルマ。

 夕食、豚肉と舞茸の中華風炒め、ご飯。

 夜、トゥリーナの歌詞対訳。歌の解説にゲール語頻出。これは Michael さんに助けてもらわねばどうにもならない。

 9時前、中山さんから電話。CDNow の日本のサイトが売上げで英国のサイトを抜き、世界で2位になった由。様々に雑談。いろいろなベテランたちの年齢・世代とわが国戦後の世代の話。何やら打合せがあるとて、10時頃向こうから切る。

2001年 4月 19日 (木) 曇り。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、グレープフルーツ・ジュース、珈琲。

□Ikeuchi Osamu/池内紀 なじみの店; みすず書房, 2001.03.02, 190pp.
池内紀  なじみの店
 「整理したがるのは、あきらかに生来のエネルギーを失ったからである。自分の中の多くのものが固くなり、古くなり、しなびてきた。それはもはや新しい何ものも生み出さない。せめて摩滅するのを防ぐために配置替えをする。頭、感覚、さらにこの全身が針でとめた標本のように干からびている。だからこそ身のまわりをあれこれ移し換えて標本箱をつくりかえる。
 (中略)実のところ何もかもがゴッタ煮の状態こそ、生きもの本来の姿なのだ。身のまわりの平面が、当の人間の生の状態を正確にあらわしている。ゴミの山によって、その町のエネルギーがわかり、医者が排便と小水によって診断を下すように、アナーキーと無秩序の状態によって、健康と活力を計ることができる。
 (中略)
 整理をしている時、いつもある一つの思いがある。なにやら支出をおさえて収入を増やすための工夫をしているようだ。先細りの経済を案じている。貯めの中身を組みかえて、見かけだけでも黒字の予算をひねり出そうとしている。過去と記憶の会計に新しい計算法を導入して、自分の知らなかった富をこしらえたいらしいのだ。
 私はこれまでの経験からよく知っている。まるきり新しいこと、独創に類すること、さらに創造そのものは、いつも予測のつかぬうちにはじまり、たいていの場合、考えもなしに進展する。そして、ときならぬときに完了をみる。だから終ったあとで、当人がもっとも驚く。準備なしに起こって、思いもかけないひろがりをみせ、まるで気づかないうちに成就していた。
 (中略)
 活力のあるときは、あらゆる側面からの変化にさらされ、それを何とも思わなかった。たとえ同じものを生み出すにしても生命の高まりの中で生出すのと、ただ置き直してそれをするのとでは、まるきり違うのだ。 整理した再生産は、つまるところ自分と和平をむすび、獲得したものの専守防衛を図っている」
「いいかげん」179-181pps.
○E2K SHIFT; Topic, 2001, England
E2K  SHIFT  女性ヴォーカルが入って、またまた性格が変わる。名前も変わって、繋がりは断たれてはいないが、確かに別のバンド。こういう変身もおもしろい。イングランドの歌、アイルランドのチューン、アフリカ・カリブのリズムとハーモニー、そしてジャズの精神。今の時点での理想に近い融合。アフロ・ケルト・サウンド・システムなどおよびもつかない。最先端にして最も深く、衝突と融合による新たなレベルへの進化。ハイライトは[09]のトランペット・ソロ。アイリッシュ・ダンス・チューンからジャズへと展開してゆくこの快感。起立喝采を送る。

 午前中、ワトスン。

 昼食、鰹角煮、あげ薩摩芋、胡瓜・大根の漬け物、金肥等、ご飯。

 1時に出かける。中央公園地下駐車場に車を駐め、ビブレで認め印を買い、図書館で本を2冊返し、3冊借りる。上のヤンコミで厚木市教育研究所研究員委嘱式および第1回部会。4時過ぎ散会。ビブレ地下で牛乳を買って帰る。

 やたら疲れて、帰宅後仕事部屋でうつらうつら。
 音友・Sさんから二度ほど電話。チーフテンズ伝記、最後のチェック。かれもなかなか粘り腰だ。つきあって粘る。

 夕食、蟹春巻、海老焼売、餃子、春雨・人参・胡瓜の中華風サラダ、ご飯。

 夜、トゥリーナの歌詞対訳。バラッド一曲に2時間かかり、今日はここで力尽きる。

2001年 4月 20日 (金) 晴れ。

 朝食、早良西京漬け、和布味噌汁、春雨サラダ、薩摩芋煮付け、ご飯。

○The Albion Band ROAD MOVIES; Topic, 2001, England
The Albion Band  ROAD MOVIES  悪くない。確かにアルビオンズとしては近年になく溌剌とした音楽で、数多いこのバンドのアルバムでも上位にランクできる。ケン・ニコルもケリィ・ホワイルも歌うたいとして収穫だ。にもかかわらず、例えばE2Kに感じたような興奮はもはや感じない。ハッチングスが一曲、ロックン・ロールを言祝ぐ歌を歌っているのだが、彼がロックン・ロールを称揚すればするほど、ロックン・ロールは今や「老人」のための音楽になっていることが明らかになる。ケリィ・ホワイルはE2Kとのかけもちで、この人自体の歌い方などはまったく変わっていないようにおもうが、歌の活きの良さではやはりE2Kの方が遥かに勝る。ロックン・ロールが生まれて半世紀。21世紀のいつまで残るだろうか。

 昼食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、春雨サラダ、薩摩芋煮付け、ロイヤル・ミルク・ティー。

 午後、PTA。総会資料綴込み、打合せ、新委員全体会。4時半過ぎ帰宅。

 夕食、ハンバーグ、キャベツの味噌汁、トマト、ご飯。

 夕食にHが呼ばれてもこず、漫画を読んでいたので怒鳴りつけ、換気扇のスイッチに八つ当たりしたら、スイッチが壊れてしまう。強弱の切替スイッチが三つとも押しこまれたままの状態になり、最大パワーで回りっぱなしになってしまう。やむなく、食後、カヴァーをはずし、スイッチ・ボックスもはずして裏返し、押しこまれたスイッチをドライバでむりやりもどす。一応スイッチ自体は治るが、強弱の切替は効かなくなってしまった。

 M、夕食前から頭が熱いと言っていたが、食事中頭が痛いと言いだす。それでも気分が悪いわけではないようで、食事自体はふつうに食べる。すぐに寝かせると、あっという間に寝入ってしまった。眠かったらしい。

 午前と午後、夕食後、ワトスン。ノルマには足らず。

 K、歓送迎会で、11時半帰宅。2時間目の授業を3時間目だと思いこんでいて大遅刻した、ボケてきたと落込んでいる。それから今使っている英語の教科書の愚痴。三省堂の『クラウン』なのだが、頭の古い人間が作っているらしい。何でも例文で The boy could answer the question. というのが出てきた。前提なしに出てくれば仮定法とみる(「その少年ならばその問題に答えられるだろう」)のが普通だ。高校1年で条件文なしの、主文に仮定の意味が入るこういう表現が出てくるのはなかなか粋な計らいと思うと、実はそうではないらしい。なんと練習問題としてこれの疑問文と否定文を作れ、と言うのだそうだ。となるとどうもここではいわゆる「可能」の意味の助動詞の過去形(その少年はその問題に答えることができた)として使っているつもりらしい。

 それで頭にきてあれこれ辞書や文法書をあたってみたら、『ジーニアス英和辞典』その他で、こういう場合には "could" を使うのはおかしい、と出ていたそうな。少年が問題に答えられたのなら単純に The boy answered the question. で十分となる。どうしても「可能」の意味をしめす必要があるのならば、 The boy was able to answer the questions. としないと通じない。

 特に文法事項に注意して読んでいるわけではないが、ふだん英文を読んでいて、助動詞の過去形が出てくればまず仮定法と思って読んでいる。助動詞の過去形を使った疑問文などは、依頼の表現以外見た覚えはない。他には付加疑問文ぐらいか。

 もちろん、何かがないという証明は難しいので、「可能」の意味の過去形としての "could" の使用が絶対ないとは言えないし、昔はそういう用法が結構多かった可能性はあるが、もしどこかで使われていたとしても、何もわざわざ高校で教えるような用法ではなかろう。

 こういう例文を出してくる背景には、文法事項にとらわれすぎてミイラ取りがミイラになっていることが一つにはあるのだろう。進学校とされて、在校生は一応大学進学を第一目標にしている今の勤務先高校の場合、生徒の質問として、この節は名詞用法か形容詞用法かというのがあるのだそうだ。それがわからないと意味が取れないとなると、実際の、巷にあふれている英文の大半は意味が取れないだろう。書く側はいちいち文法的にいちいち用法が何かを考えて書いてはいない。文法は実際に使われている言語の実体から抽出した、いわば「最大公約数」だ。言語を使う場面で助けになることはあるが、支配的なルールにはならない。

 もう一つは作っている側が英語の生理に鈍感ということもある。日常的に実際の英文に接していないのではないか。まさか大学入試問題に出てくる英文以外、読んだり書いたりしたことはない、といわけでもないと思いたいが。

 なるほど「受験英語」とはこういうものをさすのだろう。「受験英語」もマスターしないで「受験英語」を批判するなという主張もあって、それにも一理あると思ったが、こうなると問題だ。「受験英語」をマスターしたら、実際には通じない英語が身についてしまう。

2001年 4月 21日 (土) 曇。寒。

 朝食、チーズ・デーニッシュ、あんパン、プチトマト、オレンジ・ジュース、珈琲。

○Shooglenifty SOLAR SHEARS; Compass Records/Music Plant, 2001, Scotland
Shooglenifty  SOLAR SHEARS  The Albion Band とは対照的な「問題」を提示する。音楽としての活きの良さ、いわば音楽が「手について」いて、地に足がついている点ではThe Albion Bandに軍配をあげるのだが、同時代性、冒険精神では明らかにこちらの方がヴィヴィッドだ。相変わらず意味のない、としか思えないトラックとおもしろい曲が混在している。むしろこれはひとえにジェイムズ・マッキントッシュのバンドであって、フロントはドラムス(とベース)をひきたてるための刺身の妻と捉えるべきか。遊んでいるのはわかるが、その遊びのおもしろさがこちらまで伝わってこない。

 Amazon.comからCD一枚。ロニー・レーンのオースティン・ライヴ。Amazon.co.uk から本3冊。ホグワートのテキスト2冊とステイプルドンの LAST AND FIRST MEN の再刊。

 昼食、釜揚げ饂飩、茹で卵、トマト。

 午後、ワトスン。子どもたちをスイミングに送迎。

 夕食、鰹叩き、帆立てフライ、大根の葉の味噌汁、隠元胡麻和え、ご飯。

2001年 4月 22日 (日) 晴れ。

 8時過ぎ起床。

 明け方、眼が覚めてトイレに行くと、例の発作が起きて動悸が激しくなるが、小便をしているうちに急速に治り、トイレから出る頃にはほぼ平常にもどった。ひょっとすると小便がたまることによる体内物質の変化が原因なのだろうか。尿意と重なったことは今回が初めてなのだが。

 その後寝直して妙な夢を見る。ひとつは家の中に狸のような、川獺のような動物が2匹入ってくる。片方はやや小さい。薫に慣れていて、しばらくいるが、そのうち、ある朝ベランダの窓を開けると出てゆく。外は寒のもどりで一面氷。樹々はもちろん、草の上も、積もった雪が凍ったというよりは水が凍った感じの氷。

 もう一つはやはりどこかのイベントに行っている。そこで誰やらのマネージャーが招待チケットとチラシをもって誰か行く人いませんかと訊いてまわっている。それが連休の真只中で、「家族持ちは連休は駄目」と言って断わっている。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、炒り卵、トマト、オレンジ・ジュース、珈琲。

 朝刊は自民党総裁選のいわゆる予備選で小泉圧勝を報じている。しかし、実際に小泉が総裁になったとして、かれが日頃公言している財政構造改革や、郵政事業の民営化が本当に実行できるのだろうか。総裁に独裁的権限があるわけではなく、自民党の国会議員に橋本派が圧倒的多数である事実は変らないわけだから。自民党の中で「少数与党」になる可能性もあるだろう。
 まあ、小泉が総裁になったとして、それで結局何も変らなければ、今度こそ自民党は分裂・消滅する可能性は高い。

 もう一つ朝刊の報道で驚いたのは、携帯電話のメールは着信に料金がかかる、という事実。NTTドコモはどこからのものだろうとメールを受取ると料金がかかるのだそうだ。それで利益をあげているのは暴利というものだ。当然、ジャンク・メールを受取っても料金がかかるわけだが、それよりは受信で金を取ること自体がおかしい。それとも携帯にはそういう「不利益」を上まわるメリットがある、とユーザーは判断しているということか。

 午前中、トゥリーナ・ニ・ゴゥナルのブックレット対訳を見直して送る。
 Kたちと駅前に買物。有隣堂で『ネルヴァル全集』を引取ってきてもらう。第一巻。

 昼食、納豆、味噌巻繊汁、ご飯。

 午後、ワトスン。昼寝のあと、ふんばってノルマほぼ。
 終わって5時半過ぎから散歩。体育センターの向うをまわり、川沿いに遡り、県道とのT字路からもどって、裏の山道。森山公園の脇に出る。45分間。お供は Jacky Molard, Patrick Molard, Jacques Pellen の TRIPTYQUE。ガリシアのジグかマーチを伴奏に、陽は沈んだがまだ明るい中、見晴らしのいい高台を歩いていくのは実に気持ちがいい。

○Jackey Molard, Jacques Pellen, Patrick Molard TRIPTYQUE; Gwerz/Pladenn, 1993, Breton
TRIPTYQUE  フィドルのジャッキィ・モラール、パイプとフルートのパトリック・モラール、ギターのジャック・ペレンのトリオによるインスト・アルバム。ほとんどがトラディショナルだが、原曲をライト・モチーフとしたフリーな即興的展開。手法としてはジャズだが、音楽としてはあまりジャズ的ではなく、もっとゆったりとした世界だ。ヒーリングとかウィンダム・ヒル的な手ざわりの良いだけの音楽でもなく、かと言ってあまりエッジがたっているわけでもない。抑えるべきところは抑え、たがいの交歓を大切にし、大らかに、精神の上ではスイングしている。洗練と野性の同居。というよりはその二つがまったく一つに融合している。こういう形は他ではほとんど聞かれない気がする。これこそがブレトンの特色といえようか。曲自体はあまりブレトン色を前面に出さず、むしろカルロス・ヌニェスから習ったらしいガリシアの曲や、ラストのピブロックなどが聞きどころ。

 夕食、生利煮付け、薩摩芋と鶏肉の甘露煮、味噌巻繊汁、ご飯。

 夜、9時すぎ中山さんから電話。また2時間半ほど。仕事で関係のできたフリーの編集者から、Beaters のようなものをフリーペーパーでできないかという話があったがどう思うか。座談会や対談形式のディスク・レヴューを柱にするもの、というコンセプトだそうだ。それはのざきのところのサイトやライナーをみても、やる方も楽しいし、読者も喜ぶのではないか。彼が最近つきあっているシンガー・ソング・ライターが回っているような「ロック飲屋」の全国ネットワークを使えば、可能だろうという話。レコード店、特に大型のチェーン店は相手にしてもしようがなかろう。話は「ロック」が役割を終えていることに、メジャー・レーベルも主な音楽ジャーナリズムも気がついていない、あるいは見ないふりをしているという方向に向かう。The Albion Bandの新譜の件などもちだす。味覚の変化、では説明できない、別のものではなかろうか。パラダイムはすでに変化しているが、ジャーナリズムも含めた音楽産業の指導層は古いパラダイムで育ち、成功してきているので、変化にはついていけない。自民党を支える職域組織(が確固としてあるとして)のようなものだ。

 Paddy Glackin & Micheal O Domhnaill のアルバムについて、パディの鋭さをミホールがナイトノイズで薄めたという批判もある由。それはおそらくより強い刺激を求める傾向ではないか。あのアルバムの真価は、表面的な刺激ではなく、二人や他のミュージシャン、あるいはアイルランドの伝統とのもっと密やかでしなやかな交歓にあると見る。ドーナルのように音楽のエッジを立てるのではなく、よりまろやかに、伝統とモダンのより深い部分での融合を目指す。

 中山さんはアイルランドで聞いてきた、パディがフィドル教師としてひじょうに厳格であるという話から、パディを「原理主義者」とみているようだ。しかし、教師としての厳格さと音楽上の基本理念は必ずしも直結はしないだろう。トニィ・マクマホンは教師としてはきわめて優しく、柔らかいという証言もある。少なくともあのアルバムを聞くかぎり、それほど伝統を狭く解しているとは思えない。パディ自身のフィドルはより伝統の根っこを深くたどろうとする志向を持つことは聞取れるとしても、それだけでは本人の考え方や音楽への態度ははかれない。

 ヒデ坊の話などから推測するに、パディ自身は50年代以前の、やや古い枠組みのアイルランド人の一つの典型のようにもみえるが、一方教師として厳格ということなども考えあわせれば、おそらくそれは古い考え方というよりは性格がまじめなのではないだろうか。あるいは几帳面というべきかもしれない。一つひとつのことをゆるがせにできない性格で、教えることも実は嫌いなのだが、伝統音楽の一角を担う一人としてそれも義務と考えてしまうわけだ。

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