2001年 5月 14日 (月) 晴れ。
朝食、ハム・トースト、南瓜煮付、グレープフルーツ・ジュース、珈琲。
○Robbie Hannan TRADITIONAL IRISH MUSIC PLAYED ON THE UILLEAN PIPES; Claddagh, 1990, Ireland |
|
それにしても凄まじいほどの指使いだ。スタイルとしてはフラット・ピッチでクローズドで、そのために音の回転がよけいに早く響く。しかも一つひとつの音に一切の手抜きがない。誠実そのものの演奏。その快さ。パディ・グラッキンとの共演盤も素晴らしかったが、これはまたすべてソロなだけに、この人の凄さがまざまざと肌に迫る。 |
○Helen Watson DOFFING; Fledg'ling, 1999, England
|
|
オリジナル曲集という予想に反してアメリカのブルース、ミュージカル、ソウルなどのカヴァー集だが、思いもかけぬアルバム。一曲だけ自作があるが、これもイングランドのスタイルではない。歌もうまいがうまさで聞かせるのではない。これもまた仮想のアメリカなのだが、夢見る力の強さ、仮想世界を支える想像力の大きさが圧倒的だ。言ってしまえばこれがアメリカの歌、これがアメリカの歌い方と本人が思いこんだ、その思込みの強さだ。そうして濾しとられた歌の一つひとつ、音の一つひとつ、言葉の一語一語は実に無邪気だ。不純物、アメリカ社会につきまとう、いやどんな社会にもつきまとう暗黒面はかけらもなく、どの歌もどの音もどの言葉も磨きたてられて輝いている。しかもここがイングランドなのだが、その輝きは決して金ぴかの、表面だけつるつるのものではなく、奥からさしてくるような輝きだ。どれ一つとして駄曲とか、手を抜いた演奏はないが、例えばブルース・スプリングスティーンの "Ain't got you"。作った本人すら思いもよらなかった魂の奥深さ、深淵としての人間が匂いたつ。わが国のアメリカ音楽好きが聞けば、おそらくは毛嫌いするだろう。わが国のアメリカ像とは決定的にずれているからだ。だからこそ、われわれから見てアメリカでもイングランドでもない、歌の想像力だけで作りあげた王国、いややはりこれは庭だろう。これぞ tour de force。 |
大西巨人「籠れる冬は久しかりにし」は敗戦のほぼ一年後に書かれた文章。
悲痛と歓喜と、その相反する二つの心情を胸に抱いて僕が目の当たりに見た敗戦の日本、その中に僕がなお生きねばならぬ祖国の現実を、僕は、日本の「立春」と信じようとして帰ってきた。
中谷宇吉郎が「立春の卵」を書くのはもう少しあとだが、敗戦による新たな出発を「立春」と感じたのはあるいはこの時期かなり共通した心情だったのかもしれない。
宇吉郎が「立春の卵」で示したことは少し視点をずらせば、「立春」そのものに特別な意味を含ませようとする人間の心の「慣性」の危険性だった。巨人はここでは「立春」そのものが偽りの、見せかけのものであり、実は「新しい別の冬」の到来ではないか、なんとなればかつての「冬」を支えた人びとの心性は何ら変わってはいないからだ、と指摘する。かつての「冬」を「日の本の栄光(はえ)ありし日」と見る心性だ。
そこには、自ら失ったものを惜しみ懐かしむあまり、実はそれを失わしめた張本人であるにもかかわらず、失ったものが属する過去の体制・社会をそっくり美化しようとする、人間の弱さも浮出ている。そしてさらに心の奥底では、そうした体制を生じさせたほんとうの真犯人がまさに自分であることにも気がついていて、しかもその事実を直視できないもう一つの弱さ、先ほどの弱さのこれも根本にある弱さが表れてもいる。
「日の本の栄光ありし日」という現象の捕え方は、今日ひそかに大多数の人人の心の中にも存在していながら、未解決のままに押し伏せられている。それを明るみに出すことは、意識的にか無意識的にか回避せられている。「日の本の栄光ありし日」は、そういう事態の推移のうちに余命を保つことによって、将来の大きい反動の支柱になりえる可能性を持つ。
『新生』29pp
この可能性は、マーフィーの法則そのままに、実際に実現している。
1946年8月当時、表には出ていなかった「日の本の栄光ありし日」を抉らねばならなかったと同様、2001年現在、この心性の因ってきたるところを、文学は抉らねばならない。それは単純に、「中国への、あるいは大陸への恐怖」といった命題ですまされるはずのものではない。
やはり大西巨人は刺激的だ。
プランクトンよりチーフテンズのチケットとパンフ。
12時過ぎのバスで出かける。吉本家でキャベツ味玉ラーメンで昼食。まっすぐ新宿。ロマンスカーがあったので乗ったが、新宿に着いても目が覚めず、隣の人に声をかけられてようやく起きる。石澤眼鏡で眼鏡を受けとる。かなり細かい調整をしてくれる。外出用の、今までかけていたもののツルにゴムの滑止めをはめてもらう。紀伊国屋を覗くが、目当ての本は何もなし。期待しただけ無駄であった。
伊勢丹のロイヤル・コペンハーゲンのティールームでかものはしと待合せ。しばしおしゃべりした後、美術館の「フランドル派」の展覧会を見る。ブリューゲル親子が目玉だったが、一番有名なものは来ておらず。それでも、やはり初めて見るほんものは別格。その後、フランドルに栄えたいろいろな画家の作品が並んでいるのだが、やはりブリューゲルは特異だ。写実のようなふりをした誇張やデフォルメが生みだす躍動感、生命感。その場の匂いや中の人びとが食べたり飲んだりしているものの味までわかる気がしてくる。そして大きな画面をいっぱいに使って語られる「物語」。同じような縁日(フェア)を描いた少しあとの別の画家のものなど、全く凍りついている。冬の日の、凍った川でのスケートや橇遊びの人びとの情景も同じ。
出てくると5時半。同じフロアの「美術画廊」で東欧の画家のコレクションがあったので覗く。こちらは現代画家たちの売物の絵。チェコの人で二人ばかり、ちょっとおもしろい。一人はスーラのような点描の重ねで、白の勝ったモノクロームの世界。プラハの橋の情景など。もう一人もプラハを描くが、こちらは一定の色のグラデーションを近い方を濃く、遠くを薄く重ねて、影絵の世界。月のカレル橋など。どちらもあまり高くなかった。余裕があれば一枚ぐらい買いたいところだ。その他はありきたりで、別に東欧でなくてもかまわない。
タワーを覗く。覗いたのは間違いで、あっという間に十数枚溜まってしまう。仕方なく全部買う。イタリアとハンガリーの Fono のものが主。
Du-Sau-Ge, DURCH DIE ZEITEN
Daniele di Bonaventura, BANDONEON & BANDONEON
King Naat Veliof & the original Kocani Orkestar, CIGANCE
Lovasz Iren & Hortobagyi Laszlo, VILAGFA
Makam, DIVERT TIME INTO...: composed by Zoltan Krulik
Makam, A PART
ROMANYI ROTA, CIGANY NEPDALOK
Sol De Nit, SOL DE NIT
Tenore "S Gavino" Oniferi, SU BANZIGU
Urbalia Rurana Urbalia Rurana SARAU MEDITERRANI
Zagana mama, ZIGANA MAMA
その後、老辺餃子館で餃子を食べる。かものはしは昨日中山ラビのライヴで飲み過ぎたといって、あまり飲まない。8時半、店を出て半蔵門へ行くという彼女と別れる。
帰宅10時すぎ。メール・チェックして、至急のものだけ返事を出す。
|
2001年 5月 15日 (火) 晴れ。
朝食、鱈粕漬、莢豌豆味噌汁、茹で空豆、胡瓜と大根の漬物、沢庵、ご飯、細切り昆布佃煮。
朝一番で歯科。右下奥に冠入る。
○Alison Brown FAIR WEATHER; Compass, 2000, USAmerica |
|
どのアルバムも上質ではあるが、これというパンチに欠ける。ブルーグラスとして聞いていないからかもしれない。つまりブルーグラスとしての決まりごと、暗黙の前提を知らないからだ。この人の資質は本来ブルーグラスに収まるところではないと思うし、アルバム作りにも、ジャンルの枠組みを無意味にしようとする志向も見えるのだが、最後の詰めが甘い。どこかで甘えがある、と言ってしまっては酷かもしれないが。 |
「貨幣のように、言葉は、人人の手から手に渡って流通するにつれて、汚れ果ててゆく」
と大西巨人は「創造の場における作家」(『新生』32pp.)を始めている。ここには1946年秋における「理想」と「民主主義」がその実例としてあげられている。2001年初夏にあっては「改革」がその実例としてはもっとも前線にある。
中野重治は書いている。
「異端者こそはつねに正統者より健全であり、ヒューマニズムの大道を歩むものである。」などということはない。特定の異端が特定の条件の下でいわゆる正統者よりも健全だっただけである。
(「批評の人間性」、『新日本文学』四号 )
そこに引用せられているのは、荒正人の文章(『民衆とはたれか』)である。中野の「特定の異端が特定の条件の下で」云云は、正しい。それは、まちがっていない。しかし「特定の条件」がこの世の中からそんなにやすやすと消えてなくなると思うことは、あまりに楽天的過ぎるだろう。「特定の条件」が永続しそうにみえる場所、「特定の条件」の破砕が単に「特定の条件」の存在せぬ世界の設計部の提示やそれへの勧告・讃嘆やのみによっては成就せられ得ない場所、醜悪と優美と汚辱と貞潔とを同じ肉体に共存せしめて二十世紀まで生きつづけた(そしてこの世紀に二つの大きい戦争の惨害とその終結と原子爆弾の恐怖と原子力時代への輝かしい予感とを経験しなければならなかった)度しがたい人間の絶望を踏まえて希望の灯を点すことが要請せられる場所、「あぁ、二つの魂わが胸に宿る」(ゲーテ)場所、一つの「特定の条件」の破砕が新しい別の「特定の条件」の誕生を約束する可能性の多過ぎる場所、――文学が相関しているのは、そのよはうな場所である。それは、正統者が異端者としての表出を余儀なくせられる場所であり、彼が愛するがゆえに憎み愛するゆえに訣別する世俗と彼自身とのたたかいの場所である。
(前傾書、37pp.)
帰ってから掃除。久しぶりにかなり細かいところまでやる。
昼食、ハム・トースト、ロールパンブルーベリィ・ジャムつけ、バナナ、オレンジ・ジュース、珈琲。
The Living Tradition 43号、Asimov's 5月号。
1時、オーディオ・ファイルのAさんから電話。今度のiBookはどうだと言うので、うちでは買うと答える。あの様子ではたぶん買うだろう。仲間で師範を担いで道場を開かせ、週に4日、柔術に通っている由。ほんとうにあの人の仕事は何なのだろう。
2時、W君来訪。6時近くまで。アルタンに出会う前は、ごく普通のロック青年だったようだ。一方で『ストレンジ・デイズ』あたりを愛読し、ブリティッシュ・フォークなどにも興味はあるらしい。例によってケンブリッジのビデオと、SPYBOY のビデオを見せる。
民音・Iさんからファックス。マイレート&トゥリーナの曲名とレコードの表記が違うとの指摘。レコードの方に合わせてくれとメールで答える。
夕食、豚肉生姜焼に椎茸・占地・大葉・大根卸しをかけたもの、ご飯、胡瓜と大根の漬物、沢庵。
|
2001年 5月 16日 (水) 雨。午前中、雨はかなり真剣に降っているが、燕たちはまるで気にせず、あるいはそんなことにかまってはいられないというように翔びまわる。昼過ぎ、雨上がり、日没直前には、雲もだいぶ切れている。
朝食、鯵の開き、キャベツの味噌汁、茹でブロッコリ、胡瓜と大根の漬物、ご飯。
朝一番でアマゾンに行き、昨夜繋がらなかった古本屋につないでみる。無事繋がり、Garland Encyclopedia of World Music Vol8: Europe を注文。送料込み164ドルなり。新刊より100ドル安い。Amazon.comのレートではほぼ満点に近い古本屋なり。
NewNOTEPAD Pro 1.0 β6 が出ていたのでダウンロード。
○Daniele di Bonaventura BANDONEON & BANDONEON; Felmay, 2000, Italy |
|
イタリアのバンドネオン奏者のソロ。一部ピアノ、2曲ほどヴォーカルがつく他は全くのソロ。ピアノは本人の多重録音。ひょっとすると、もともとはピアニストではないか。バンドネオン奏者としての評価はわからないが、ジャズやクラシックの上質のピアノ・ソロにも通じる感性。タンゴというよりはもう少しパーソナルな音楽。自筆ライナーによれば、あえてタンゴのコンテクストから外したらしい。その試みは大方成功している。ヴォーカルは朗々と歌いあげる勢いが強く、バンドネオンと必ずしも合ってはいない。 |
大西巨人「冬を越した一本の花」に保田與重郎の「日本の橋」からの引用があって、この人の文章を初めて読む。引用者の意図も込められた引用だが、少なくともこの文章に関するかぎりは保田の考えはひどいもんだ。
保田與重郎が侵略戦争の「単なる」メガフォンであった、などという通論を、僕は承認していはしない。しかし人は、前記の文章に潜む最も危険な陥穽を慎重に点検・摘出し、そこから辿り進んで小林秀雄の『無情といふこと』にまで到着せねばならぬ。
(『新生』47pp.)
という引用者の言葉は妥当。
○Du-Sau-Ge DURCH DIE ZEITEN; ATS Records, 1999, Austria |
|
バグパイプ、フィドル、パーカッションのトリオ。全員がヴォーカルもとり、フィドラーは女性。プロデュースの不在。あるいはバグパイプ(デューデルサック)にのめり込むあまり、音楽として聞かせる努力の必要に気がつかない。とにかく始めから終わりまで、この音が鳴りっぱなしなのだ。しかもドローンなどという生易しいものではなく、ひたすらシンプルなメロディをくり返す。ほんの時たま、遊ぶこともあり、音楽そのもののおもしろさが顔をのぞかせることがあるが、その瞬間は短い。あるいは自らのめり込むのではなく、楽器の悪魔にとり憑かれたのかもしれない。そうとでも思わなければちょっと理解できないようなくり返し、それも単調なくり返しを延々と続けることもある。シューヴェルトの子守り歌をこの編成でうたうのはちょっと面白く、この地域の伝統音楽の位置がよく見える気もする。通して聞くのではなく、一曲ずつを独立して聞けば、もう少し面白みが出るだろう。 |
東野司氏から著書。徳間のデュアル文庫というシリーズからの書下し。このシリーズは文庫と新書の中間の妙な判型。 The Living TraditionからCD一枚。Tom Spiers ALLAN WATER。The Tradition Bearers の一枚。 リンククラブから『岩波日本史辞典』の電子版。
昼食、ハム・トースト、ブルーベリィ・ジャム・トースト、バナナ、ロイヤル・ミルク・ティー。
午後、『青』。
夕食、牛肉・ピーマン・筍の中華風炒め、餃子、かき卵スープ、ご飯。
|
2001年 5月 17日 (木) 晴。風あり。乾。
朝食、鯵の開き、キャベツの味噌汁、プチトマト、茹でブロッコリ、ご飯。
○Eureka! with Dave Swarbrick JAMMIN' WITH GYPSY; Word of Mouth Music, 1997, Australia |
|
オーストラリアのフォーク・ロック・バンドにスウォブが加わったミニ・アルバム。スウォブのフィドルが入るだけで、凡庸な音楽がそれなりに聞けるものになる。スウォブの偉大さをまた一つみせつけられた想いだが、ではこのバンドのどこに一緒にやるだけの魅力を感じたのか、その辺の事情をやはり知りたくなる。 |
午前中、駅前に出て、自動車税を納める。ソフマップへゆき、iBookを予約。メモリは店頭では高いのでその場ではやめる。全額前金。買取りの看板が出ていたので訊いてみると、HDを換装している場合、下手をするとジャンク扱いで上限の十分の一になるという。であれば、やはりあと一年ぐらい、使いたおし、次のiBookを待つか。
昼食、ハム・トースト、チーズ・パン、歌詞パン、胡桃パン、バナナ、オレンジ・ジュース、珈琲。
MSIよりバトルフィールド・バンドのサンプル。
NYさんがオーマガトキから電話をかけてくる。 SONGCATCHER の件で、Mさんに説明してくれとのことで、Amazon.comのサイトに繋いでデータを見ながら説明する。NYさんも親指シフターであったのだそうだ。
「暴力は無能なものの最後の砦」とは、アシモフが『銀河帝国の興亡』第一巻の「市長」の章で、有能なサルヴァー・ハーディンに言わせる言葉だが、おそらくは誰かからの引用だろう。誰の言葉かはともかく、「憲法改正」「再軍備」をお題目のように唱えている人びとには相応しい。
夕食、鶏チューリップの唐揚げ、苺ジャム・トースト、バナナ、ロイヤル・ミルク・ティー。
夜、iBookの方も SETI@home が一つ終わったのでサイトに繋ぐと、次のものとして送られてきたワーク・ユニットが、つい先ほどiMacの方に送られてきたものと全く同じ。周波数だけがちがう。ここのところ今年の1月2日に受信したものが多かったのだが、全く同じものがくるという確率はどのくらいなのだろう。
○Vikki Clayton MOVERS AND SHAKERS; A New Day Recordings, 1997, England |
|
期待していたのだが、この人の悪い麺が前面に出てしまっていてがっくり。 |
|
2001年 5月 18日 (金) 晴れ。2時半過ぎから曇り。
朝食、ハム・トースト、胡瓜味噌添え、オレンジ・ジュース、珈琲。
昼食、ハム・エッグ、ポーク・ウィンナ、キャベツの味噌汁、南瓜煮付、ご飯。
『ラティーナ』、『CDジャーナル』各6月号。細川周平さんから、オーストラリアの雑誌に載った記事のコピー。ありがたいことである。
小学校担任の家庭訪問。2時過ぎにMの担任、2時半過ぎにHの担任。ともに特になし。
夕食、鯵の刺身、南瓜煮付、キャベツの味噌汁(昼の残り)、冷や奴、ご飯、細切り昆布佃煮。冷や奴はHもMも大好きで、ぱくぱく食べる。
○Mary Coughlan 奇跡のダブリン・ライブ; Omagatoki, 2001 (sample cassette) |
昨年、ダブリンで連日満員御礼を出した、メアリ・コクランがビリィ・ホリディをうたったライヴの録音。買いのがしていて、ようやく聞けた。ではあるのだが、確かにちょっと期待はずれの部分はある。一つひとつとりあげると、まさにこの人にしかうたえないようなビリィ・ホリディが現れているし、曲によっては至高の名唱と言いたいものもいくつかある(例えば「奇妙な果実」)。が、アルバム全体として聞きとおすと、うたい手としてのこの人の限界のようなものが現れる。限界というのは酷かもしれない。むしろ、ステージの裁き方、あるいはひとまとまりのコンサートとして客を楽しませるエンタテインメント性の不足だろう。実際のライヴではまた違うはすだが、録音としてまとまった場合、しかもこれにはMCなどはほとんどなく、坦々と歌が続く。そうするとうたい手のうたまでが単調に聞こえてくる。その意味ではプロデュースの不足かもしれない。そこに何らかの物語が浮かんでくるということもない。だからむしろこのアルバムは通して聞くのではなく、個々の曲をあれこれ拾いあげ、本人や他のうたい手のうたと聞比べるなどして、聞き手の方で一つのコンサートを組立てる、その格好の素材、きっかけにするのが一番楽しめるだろう。とまれ、メアリ・コクランがこうしてまた表に浮上してきたことは何よりもめでたいことではある。 |
夜、音友・アイリッシュ・ガイド本のためのリスト作り。眼が疲れる。
|
2001年 5月 19日(土) 晴れ。
朝食、ロール・パンにイチゴジャム、胡桃バタール、莢豌豆バター炒め、オレンジ・ジュース、珈琲。
○Seamus Ennis THE RETURN FROM FINGAL; RTE, 1997, Ireland |
|
1940年から最晩年の1980年までの未発表録音集。40年代のものが4分の3。SPからの復刻。演奏はもう今さらどうのこうの言えるレベルではなく、こんなものを生で聞いていたら頭がどうかなってしまうのではないかと思われる。フラット・ピッチでどちらかというとオープン。流麗な中にもアクセントのつけ方が美しい。有名な曲も独自のヴァージョンで、今聞くと「ひねって」いるように聞こえるが、それがまた実に新鮮。歌も数曲ある。詳細なバイオ情報や貴重な写真満載のブックレットも充実。 |
嶋田さんから訳書。何とブライアン・ステイブルフォードだ。この人の翻訳が出るのは何年ぶりか。それにしても『地を継ぐ者』というタイトルは味も素っ気もない。
Fivetree から The Joyce Gang のアルバム、CD2枚とカセット1本。
The Joyce Gang, DEADHEADS DON'T DANCE
The Joyce Gang, IN YER FACE: Live
The Joyce Gang, NO TRUE ROAD
Amazon.comからCD3枚。
Cristina Branco, POST-SCRIPTUM
Various Artists, CELTIC CHRISTMAS II
Various Artists, SONGCATCHER: Music from and Inspired by the Motion Picture
Read Irelandから書籍1冊。
READING THE IRISH LANDSCAPE by Mitchell, Frank & Micheal Ryan。
昼食、釜揚げ饂飩、肉饅、アーモンド・ロール・ケーキ、珈琲。
2時過ぎのバスで出かける。往きのロマンスカーで寝る。東京国際フォーラム・ホールC。チーフテンズ東京公演。有楽町からよりも近いかもしれない。4時前に着く。物販の辺りで時間を潰し、一度外へ出てあらためて入る。最近はマーフィーズがスポンサーになったらしく、今回も飲物はこちら。別に文句はない。物販の辺りにうろうろ。BMG・Oさんにも会う。チーフテンズはリマスタリングしたんでCDは聞いてくれと言われる。さすがにパンフレットはよく売れている。それとTシャツがあっと言う間になくなった。バンドが持ってきたものは残っていた。伝記もまずまず売れているようだ。
定刻に開演。まず5人が出てきて一曲。男女のダンサーが途中から登場。ケヴィンが一曲 "May morning dew" をうたい、その後でリチャード・ウッド登場。ソロをひとしきり。ファッション・センスも演奏スタイルもまさにアシュリィ・マクアイザックをもう少し「正気」にしたもの。レパートリィもスコティッシュ。小柄で細身、なかなか愛敬もあり、童顔なのも相まって、ステージが明るくなる感じがする。そのまま残って、以後はバンドの一員としてマーティン・フェイの代理を努める。マーティンよりは積極的で、観客に手拍子を求めたりもしている。第二部でショーン・キーンのソロのあと、二人で合わせた時も結構聞応えがある。
チーフテンズそのものは相変わらずで、こうしたゲストがアクセントになっていることはいつも通り。マネージャーの一人、イヴォンヌがシンガーとして、"Foggy dew/Sake in the jar" をうたったのはご愛敬。後半はもちろん矢野顕子の曲だが、日本語もそれほどひどくなく、かえっておもしろい効果。ガリシア・メドレーではスペイン語の歌も披露する。
ジェシ・クックのギターもたいしたもの。フラメンコ・ベースで、より奔放にジャジィにした感じ。一曲完全なソロで、仲間のギタリストのリズム・ギターにケヴィンが軽くバゥロンをつける。ガリシアン・メドレーでも冒頭ソロを聞かせる。やんやの喝采。
しかし、何よりもかによりも今夜のハイライトということで、あとでKさんはじめ、五郎さん、タッド、北中さん、白石さんなど全員の意見が一致したのは古謝美佐子さんだった。旦那さんという人のピアノがつき、本人は三線を抱えてでてきてまず沖縄の曲を一曲。これだけでも卒倒ものだったが、圧巻はその後の "The mountains of Pomeroi" の沖縄語版。チーフテンズの伴奏は当然アイルランド版で、本人の三線と歌は沖縄のメロディになっている。それが完全に溶合って、一つの音楽になっている。そして何よりも本人の声。目の前でうたわれるのを見ていて、涙が出てきた。このためだけでも、来てよかった。
あとでKさんから聞いたところでは、昨日、ホテルで初めて古謝さんがパディたちと会い、そこで古謝さんが歌って聞かせたのを聞いて、パディは即録音しよう、と言ったそうだ。9月には結成40周年記念のコンサートがダブリンであるそうで、うまくすればそのゲストという可能性もある。もしそれが実現するならば、それは見てみたい。
席は例によってど真ん前の真ん中。しかし、ヴォーカル用のモニタが邪魔になって、マットがよく見えない。左隣にめずらしやMさんがいる。なるほどと思ったのは、チーフテンズのメンバーでマーティン・フェイだけが、バンド以外の活動を一切していない。だから、これはマーティン・フェイのバンドだという。
古謝さんは例の最後の全員そろってのフィナーレでもア・カペラで一曲、圧倒的な歌を聞かせた。
ジェシ・クックも派手なギター・ワークを聞かせる。この人、一度ちゃんと本人のバンドでみたい。
間に15分休憩が入り、終演7時45分ぐらいだったか。今日はホールAで米米CLUBのコンサートがあり、盛上がると振動や騒音が聞こえる可能性があるので、時間が早くなったのだそうだ。休憩のときはまだ外は昼間だった。
終わって帰ろうとしてたまたま楽屋入口の前を通るとのざきに捕まる。そのまま楽屋に通され、イヴォンヌ、マット、パディ等に挨拶。例によってバンドは早々に引上げ、Kさんとわれわれ4人、あとに残ってしばし雑談。8時過ぎに引上げる。
皆と別れ、タッドと「芳蘭」のラーメンで腹拵えしてから帰宅。10時半過ぎ。
リスペクトから出るタジ・マハルのハワイ録音のライナーと歌詞対訳をタッドがやったのだそうだが、一曲、リッチー・ヘヴンスの曲で意味がまるでわからず、ピーターさんの友人の在日英国人だかアメリカ人だかに教えてもらってようやく光が見えたところへ、だめもとでメールを出したらヘヴンス本人から返事が来たそうだ。
リッチー・ヘヴンスとタジ・マハルは、黒人ながら、その枠にとらわれない音楽活動をしているというので、永年の友人の由。
|
2001年 5月 20日 (日) 晴れ。風なく、暑い。
8時、目覚ましで目が覚める。昨夜、夜半、また胸が痛くなって目が覚め、結局起きあがってげっぷを出してようやく収まるが、その時に汗をかく。これが冷えて明け方腹が下る。時計では4時半。おかげで眠い。
Kと子どもたちは学童の親睦会でボーリングに出かける。Kは腰が痛くてボーリングはできないと、Hを連れてゆく。
11時ごろ、iMacのSETI@homeのワーク・ユニット解析が一つ終わったが、サーバに繋がらない。サイトを見てみると、データのバックアップからのリストアをしているとのことで、眠らずにやって二日かかるのだそうだ。
Plus Yu 楽天堂のサイトに往き、新iBook用の256MBメモリを注文。
朝刊読書欄、大口勇次郎『徳川時代の社会史』吉川弘文館。待ってました。ほんとうにこういう本がなぜ今までなかったのかと思っていたが、五味文彦によるこの書評によると、社会史への関心が高まった時期、社会構造や政治体制を中心の課題としてきた研究者から強い懸念が示され、その反発をかったことがある、と言う。要するに自分たちのおまんまの食い上げを恐れた穀潰し研究者どもが邪魔をした、と言うと俗に堕しすぎだとの非難もあるだろうが、つまるところはそういうところだ。社会史の研究が社会構造や政治体制の研究にむしろ必要不可欠であることは、おれのような素人でさえわかる。まともな歴史家だったら、自分ではできないところをよくぞやってくれた、と大喜びしてその成果を取入れるはずだ。
もう一冊エントロピー学会編『「循環型社会」を問う』藤原書店。
「21世紀の視点」で東京外語大名誉教授(東洋史)の岡田英弘という人がちょっとおもしろいことを書いている。『日本書紀』の著者(たち)にとって同時代の一つ前が推古天皇と聖徳太子の時代だが、中国の正史では当時「倭」の王は男性になっている。妻までいると書かれているから間違いはない。おまけに別に太子がいることまで『隋書』には書いてある。そして例の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」という国書が来た年が、実は『隋書』の記事は間違いで、「煬帝紀」「琉求国(台湾のこと)列伝」も一年後になっているのだが、『日本書紀』は『隋書』の間違いをそのまま踏襲し、しかも使節を派遣した先が「大唐」になっているのは、隋から唐に移ってから『日本書紀』の編纂が始まっているからである。
つまり聖徳太子はその事跡はおろか、存在そのものも怪しくなる。まことに痛快。そもそも、『古事記』にしても『日本書紀』にしても、あるいは「魏志倭人伝」にしても、比較対照する史料がないままに、書いてあることをすべて正確きわまりない事実と受けとるのは、学問的態度とは言えない。誰かが書いていたが、「魏志倭人伝」のいわゆる「邪馬台国」の位置に関する記事が、その目的のため、つまり倭の地理的政治的状況を正確に叙述するために派遣されたプロの人間の手になるデータであるとは限らないわけだ。
もう一つおもしろかったのは、この人が聖徳太子の話は後世の作り話に相違ない、としたあとで次のように書いていること。
しかし、われわれ日本人にとって、聖徳太子は、日本文明と日本のアイデンティティーの出発点である。聖徳太子の存在そものものがあやしい、などと言われて、普通の日本人が承服できるわけがない。
この後に、こう考えれば、わが国の歴史教科書に、なぜ韓国人があんなに激烈に反応するのか、いくぶん理解できるだろう、と続く。だから、上記引用部分は一種のヴァーチャルな仮説なのだが、それにしても「ふつうの日本人」とはいったい誰なのだろう。扶桑社の中学用歴史教科書を両手を挙げて歓迎する人びとが、「ふつうの日本人」とどのくらい重なるものか。
あるいは、「国境線に囲まれた内側の、国民の一体感を醸成することを目的として書かれる『国史』」の場合、歴史は「ふつうの日本人」を作るため、「国民」を作るために書かれることになる。大英帝国を用意したマコーレィの歴史はその典型と思われる。「皇国史観」またしかり。
すると、扶桑社の歴史教科書が出てきたことは、やはり、いま「国民」そのものが揺らいでいる、「国家」そのものが揺らいでいることの反証となる。だから扶桑社の歴史教科書の推進者のひとり西尾幹二は『「国民」の歴史』を書かねばならなかった。
さてそこでだ、「国家」抜きの「日本人」のアイデンティティーとはどういうものだろうか。聖徳太子なしの「日本」とはどういうものだろうか。俺自身、聖徳太子などいなくて全くかまわないが、では、その俺のアイデンティティーとはなんだろうか。
すぐに思いつくものとしては言語がある。日本語のネイティヴ・スピーカーとしての日本人だ。その言語を生んだ主体は何か。断じて「国家」ではない。個々の人間だろう。日本語は、誰がどのように作ってきたのか。それが問題だ。
断続的に『青』。
昼食、肉饅、餡饅、苺ジャム・トースト、牛乳、胡瓜味噌添え(朝の残り)。
3時過ぎのバスで出かける。日曜の午後とてロマンスカーは満席。幸い各停で相模大野まで往き、そこで急行に乗換えると座れる。チーフテンズ東京公演2日目。会場の渋谷AXの場所が漠然としかわからないので、とりあえず代々木公園と体育館の間の道を歩いてゆく。ここを通るのはほんとうに久しぶりだが、代々木公園の柵に沿って、ホームレスの人たちのテント村ができている。段ボールではなく、青いビニール・シートを使ったものが多く、中には、簡単な枠の饅頭型の小型のものもある。立ち木の枝に洗濯物を干しているのもちらほら。いずれここも新宿地下道のように追立てられるのだろうか。あるいは荒川の河川敷などと同様、屋外ということで放置してあるのか。
舗道には転々と路上での物売りが続いている。中にはオーディオ機器など、ならべている者もいる。日本人だけでなく、様々な顔の人たちがいる。
これ以上行ってもなさそうなので、NHKと屋内プールの間の舗道をNHK本館の方に向かう。ここはまた、路上演奏のグループが適当な距離をおいて続いている。右手奥の、ちょっとした広場のところでは、何やら大音量でプログレじみたものをやっている。確かにこういうのはやめてほしいが、さりとて、あちこちに看板を立てて、頭から禁じるのも大人げない。なぜいけないのか、確たる理由があるのか。法律で禁じられているから、だけでは説得力はない。グループの中にはカラー写真の看板まで出したバンドなどもあるが、大半は一人ないし二人ぐらいがギター伴奏で歌っている。一人、スピーカー2本を置いてマイク・スタンドを立てて歌っているのがいた。楽器はわからないが、あのアンプとスピーカーとマイク・スタンドだけでも、結構金がかかっているだろう。もっとも、かれらはあれで収入を得ようというのではなく、むしろ注目を浴びることで表舞台に出る契機にならないかと考えているのではあるだろうが。
なぜかやっているのは全員男で、その前でさくらになって聞いているのは女性ばかり。まあ、こういう無益なことをやりたがるのは男に限られるではあろう。
公園通りの突端まで行くと左手にそれらしき建物が見えたのでそちらへ曲る。が、入口がよくわからず、一度通過ぎて屋内プールの駐車場まで行ってしまい、引返す。
ちょうど開場したところ。昨日買いそこなったTシャツを一枚と古謝さんのCDを買う。
ここはスタンディングがメインで、二階席はあまりないので、客層が昨日と全く違う。昨日は年配者が大半で、若い人もスーツやドレスなどの姿が多かった。男性も増えていたが、やはり女性が多い。今日はおそらく平均年齢で十歳は若くなっていた。しかも、今までアイリッシュ系のライヴでは見たこともないようなロック兄ちゃん、姉ちゃんの姿が目につく。前回のチーフテンズでもこんな客はいなかったと記憶する。場所柄もあるのかもしれないが、こうした人たちが来るようになれば、アイリッシュもようやく根付いたことになるかもしれない。
当然、客席の反応も昨日とは段違いで、手拍子が遅れることも少なく、歓声や拍手も大きい。それが伝わったのか、あるいはマットが言っていたように時差ボケが治ってきたのか、今日のチーフテンズは昨日とはまるで別のバンド。マットのソロでも例の "Mason's apron" が出て、やんやの大喝采。リチャード・ウッドやジェシ・クックも大受けにうけている。昨日はゲストばかりが目立ち、チーフテンズ本体の演奏は緩かったが、今日はしゃっきりと決まっている。
それでもハイライトはやはり古謝さんが矢野顕子と2コーラスずつ交替でうたった "The mountains of Pomeroi" であった。古謝さんの2コーラス目で矢野さんがスキャットでハーモニーをつけたのもよかった。
中間の休憩時間に引込む直前、パディが帰りかけたメンバーを止め、何やら合図している。ちょっと間が合って、スタッフ二人がそれぞれケーキをもって現れ、渡したのはリチャードと、ツア・マネで直前のセット・ダンスのシーンで踊っていたダグ。今日が二人の誕生日だった。あとで聞いたら、リチャードは今日で23歳だそうだ。このおかげもあってか、今日はリチャードのCDがよく売れていたそうな。
アンコールが終わって客電がついても、退場を促すアナウンスが2度流れても、客の大半は帰らない。珍しい、というか、チーフテンズの来日では初めてだろう。とうとう、パディが現れ、その後からメンバーがばらばらともどってくる。大歓声の中ではじめたのは "Carolan's concerto"。それはいいのだが、気の毒に、リチャードはこの曲を知らなかったらしい。その後、リールのメドレーを一組やって今度こそ本当に幕。
スタンディングだが前3分の2ぐらいはぎっちりつまり、身動きもならないくらい。チーフテンズのライヴは初めての人が多いのか、若い観客で反応がいいのか、パディのギャグがやたら受けていた。
このホールは音もすばらしく、大きさも適当で、良いヴェニューだ。
終わってから楽屋の一室で乾杯。上々颱風のメンバーも来ていた。タッドがデレクに猫のことで水を向けたとたん、デレクの口が止まらなくなる。女性ファンがパンフにサインをもらいに来て、ようよう逃げられる。
ポールがいたので、昨日ヒデ坊からメールで正式に依頼があったモノノケのベストの曲解説英訳の件を確認すると、原稿はゲイリーが書くことになっているのだそうだ。
後で聞いた話だが、今回のステージで猫のぬいぐるみを用意し、ピアノの上に置こうとしていたら、出る直前にパディがすっとんできて、それはだめだ隠せ、という。ニューヨークでやはりそういう趣向があったところが、デレクはぬいぐるみとの対話に入ってしまい、ライヴの間じゅう、ぬいぐるみとおしゃべりしていたのだそうだ。
30分ほどでメンバーたちは帰り、タッド、英輔さん、Aさんの4人で残った酒や料理をかたづける。AさんのところへAmazon.comからメールが来て、Joe Henry の新作にオーネット・コールマンが入っているという。ひとしきり、ジョー・ヘンリー話で盛上がる。そこも撤収ということで、外に出ると、茂木も白石さんも、まだみんな残っている。しばらくその辺で音友・Sさんなどと立ち話。メンバーをホテルに送っていったのざきたちもどってきて、結局渋谷の方へ歩いてゆくと、都合よく屋台があったので、そこで一杯。門限までいて、最終小田原行き急行。帰宅0時半。
|