<怒涛のバンジョー編> |
自分の意志で初めて購入した楽器は、ギターでもマンドリンでもなくて5弦バンジョーだった。やる気はあったつもりなのだが、いくら練習をしても、ちっとも上達しない。「これは楽器のせいだろう」と勘違いして、よせばいいのに2本目の楽器も買ってきた。このあたりでやっと自分の間違いに気がついて、結局ギターやマンドリンに転向することになる。ふたたびバンジョーにチャレンジする気になったのは、わりと最近のことだ。今度はマンドリンとの持ち替えがききそうな、テナーバンジョーを手に入れた。これはいまでもボチボチと使っている。
ご存知のように、バンジョーは、丸いボディに皮を張り、長いネックを取り付けた三味線のような弦楽器である。いかにもアメリカを感じさせる楽器の1つだが、もともとはアフリカ起源だそうで、黒人奴隷と共にやってきたらしい。主にオープンチューニングで使う5弦バンジョーと、5度音程でチューニングする4弦のテナーバンジョーとがある(このほかにも、プレクトラムバンジョー、ギターバンジョー、マンドリンバンジョーなど、いろいろあるのだが割愛)。アメリカに渡ってきた当初は、デザインもチューニングもまちまちだったバンジョーが、現在のような形に落ち着くのは、1831年のことだという。このときに、バージニアのジョー・スゥイニーという人物によって、ネックの途中に5弦が取り付けられたらしい。
もっとも、それ以前にも、中央アジアには、似たような構造の楽器があったようだし、必ずしもこれが真実とは言いがたいような気がする。専門のバンジョー・メーカーが続々と生まれてくるようになったのは、19世紀の後半からだ。たとえば、ワイマン&サンの創設が1864年、A.C.フェアバンクスが1875年、S.S.スチュアートが1879年、ベガが1904年、ベイコン(B&Dの前身)が1905年……。こうしたメーカーによって、オープンバック(ボディ裏がふさがっていない)の5弦バンジョーが、アメリカ全土に送り出されていくことになる。
そして、ジャズエイジと言われる1920年代〜30年代に入ると、5弦バンジョーに代わって、4弦のテナーバンジョーが、いきなり主役の座に踊り出る。音楽の嗜好の変化に伴い、マンドリンに操作感が近く、しかも大きな音の出せるテナーバンジョーが好まれるようになったということだろうか。そう言えば、リゾネーター(共鳴体)と呼ばれる裏板が取り付けられるようになったのも、この頃からだ。当時のメジャーなバンジョーメーカーには、B&D(ベイコン&デイ)、パラマウント、ワイマン、エピフォン、ギブソン、ベガなどがある。各メーカーが、豪華絢爛たる装飾を競い合うようになったのもこの頃だ。とくに目を引くのが、セルロイドを使った装飾である。現代人の感覚では、セルロイドというと安物のイメージしか出てこないけれど、当時は最先端のテクノロジーだったようで、むしろ高級機種に好んで使用されていたりする。
爛熟を極めたアメリカのテナーバンジョー熱は、40年代に入ると急速に冷めていく。第2次世界大戦も勃発したことではあるし、歌って踊っている場合ではなくなったのかもしれない。これ以降しばらくの間、バンジョーの伝統は、オールドタイムやブルーグラスのミュージシャンによって、なんとか受け継がれていく。再びバンジョーが注目されるようになるのは、フォークリバイバルの機運が盛り上がった60年代だ。フォークリバイバルの理念からすれば当然の帰結と言うべきだろうが、このときに復権したのは、ローリング・トゥエンティのあだ花とも言うべきテナーバンジョーではなくて、より伝統的なスタイルの5弦バンジョーだった。かくして、かつては一世を風靡したテナーバンジョーの多くが、ネックを5弦へと交換されて今日に至る。
現時点で、コレクター、プレイヤーの双方から、最も評価されているバンジョーというと、主に30年代のギブソン製だろう。その中でもとくに人気が高いのは、ブルーグラス・バンジョーの創始者と言われるアール・スクラッグスが使っていたグラナダというモデルだ。グラナダもオリジナル5弦のモデルは少なく、5弦のレプリカネックを付けられたものが大半を占める。
|
|